第5次瀬戸内横断隊 ファルトで乱入記
香川県直島~山口県祝島
2007年11月15日~11月23日
CONTENTS
①11月16日 直島→白石島 |
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②11月17日~18日 白石島→因島→大三島 |
③11月19日~20日 大三島→上蒲刈島→倉橋島 |
④11月21日~22日 倉橋島→周防大島→祝島 |
動機 ~事の始まり~
2006年、アラスカ遠征を延期した僕は5月後半に行われる山口県油谷でのシーカヤックアカデミーに参加した。この時の模様は「シーカヤッカーのお勉強会に行ってきました」に詳しいので、そちらを参照してください。
正直、このアカデミーは僕の中で満足できない物だった。色々な場数を踏んだカヤッカーの話を聞くことはできたものの、話だけなら参考書を元に偉そうに語ることはできるのである。経験論を語られたところで、実際にその人がそうなのかを知るのは、口だけではわからない。
カヤッカーは漕いでナンボだ。逆にいえば、多くを語らなくてもその人の漕ぎ方、ペース、装備の種類とその年季、量、ビバークのセンス、飲む酒、そういう物を見ればどんな人間か、どんなスタイルなのか、どれほどの力量、経験なのかはわかるという物だ。
そういう意味で、講義を聴く、話し合いをするということが中心のアカデミーは満足行くものではなかったのだ。
何より、話し合いではベラベラと自分の事を話さなければいけない。口で自己主張するのは非常に僕は嫌いなのだ。第三者から聞く根拠のない自慢は醜いですよ。だから聞くだけにとどまってしまう。つまり無口になる。それがせっかく千葉から山口まで出てきたというのに欲求不満な結果で納得できなかった(そのぶん、こういう文章では書きまくっているけど…)。
そんな中、シーカヤックアカデミーの実践版として行われているイベントがあることをここで知れたのは大きい。それが「瀬戸内横断隊」だった。
一週間かけて香川県小豆島(しょうどしま)から山口県祝島(いわいしま)まで行く。期間はこれだけ。いかなる条件でも出艇する。各自で舟を持ってきて、装備を用意し、チームとして遠征を行う。
瀬戸内海という世界でも類まれにみる珍しい環境の内海と多島群。時間帯によっては川のように流れる瀬戸の潮流。冬だとその潮流に大陸からの風が加わり、条件は更に悪化していく。そんな中、限られた時間内でチーム全体をゴールまで持っていくナビゲーション能力とパドリング技術、シーマンシップ。これは面白そうだと思った。何より、これに参加すれば口だけの論議ではなく、参加者各自のカヤッキングをリスペクトしながらシーカヤックの事を勉強できるという物である。
この年の夏、僕は香川県の小豆島でシーカヤックのガイドを行った。それまで瀬戸内海というのは東京湾と同じく汚くて濁っていて、潮が速くて僕にはどうしようもない、関わりのない場所だと思っていたのだが、たった2ヶ月間ではあったがこの時の体験から瀬戸内海の魅力、特殊な環境に興味を持った。
環境だけではない。この海の周辺住民達は密接にこの海と関わっている。海と人間との距離が近い、つまり海の文化が多く残っていて、それが非常に興味深かった。
1:瀬戸内という国内最大の内海、多島群、激しい潮流という特殊な環境でのカヤッキング
2:ほとんど同じかヤッキング能力の人間達とのチームとしての遠征
以上の2点からこの横断隊に参加したいと思った。
この年の11月、八重山一周の遠征「YAIMA Expedition」から帰ってきたら参加しようと小豆島の芳地さんに連絡が来たら教えてくれと言っていたのだが、手違いで参加が無理になり、次の年、つまり2007年の横断隊に参加する事とになったのである。
他に理由があるとすれば、横断隊に参加する隊員の方々との交流も期待していなかったわけではない。隊長の内田さんなどは、色々な所で会ってはいた(本人は知らないと思いますが…)が、これといった面識もなく、ちゃんとお話したいとも思っていた。アカデミーの時に話をした原さんとも、一緒に漕いでみたかった。
誰かのコネでもなく、参加者に直接の知り合いもいるわけではなかったが、沖縄から帰ってきた僕はすぐに高松へと出発した。
横断隊、まさに乱入である…!
僕に与えられたテーマ
今回の遠征はいつも僕が乗っているファルトボートで参加した。
出発前、西表にいるときに原さんとのメールのやり取りで、「かなりハイペースで漕いで行きますから、ファルトだと不可能ではないですけどかなり大変です。リジットを推奨します」というような返事がきた。
自分でもそう思う。西表島を漕店のツアーに便乗して半周した時、ファルトは遅いという事を身を持って知ったし、上級者が乗る舟だ。ホッソ~くて、メチャクチャ速い舟に乗っていたら、ファルトで参加するなんて、わざわざチームのペースを乱しにいく様なものである。
小豆島でリジットを借りようとも思ったが、祝島から送るのも面倒臭いし、やはり何よりファルトで参加することに意味がある、普段乗っている舟で行う事に意義があるように感じ、K-1参加となった。
カフナはさすがに無理だと考えた。しかしK-1がある。リジットと同等の長さ、走行能力があるとされる世界最高の遠征艇であるこの舟でこの横断隊に参加して、皆のペースについていけないようならフェザークラフトを使う意義もなくなるし、僕自身も本当に「Expedition」と呼ばれるような海外遠征をする者としての資格はない…と考えた。
結果的に、今回ファルト参加は僕を含め2名いてどちらもペースを乱すようなことはなかったので、ファルトでも十分横断隊に参加できることは照明済みです。
前日 11月15日
14日夜、東京八重洲口を出発した夜行バスは翌日早朝7時半には香川県高松の駅に到着した。その足でカヤックを送った小豆島に移ろうとしたのだが、ちょうど知合いが高松に行くというのでその人に渡してもらい、高松で受け取って直接出発地の直島に行くことになった。
当初は例年横断隊がゴール、もしくは出発地にしている小豆島のふるさと村から漕ぎ出していこうと思っていたのだがカヤックを送らせてもらったMさんが仕事だというのでタイミングが合わず、このような形になった。
Mさんの手造りのカートにカヤックを乗せて、ズルズルと重そうに配達役を請け負ったA子ちゃんがフェリーから降りてきた。悪い悪いと挨拶をしてお互い時間があったので久しぶりにお茶でも飲む。MさんもA子ちゃんも、昨年小豆島で働いていた時によく遊んでいた友人だ。日本各地に友人がいると言うのは素直に嬉しい。
昼過ぎに別れ、駅前のスーパーで買出しをする。
今回の横断隊での食料はほとんどここで用意した。献立は、夜は米を炊いてレトルトカレーかイワシの蒲焼(缶詰)丼。これにインスタントの味噌汁をつける。朝は残った御飯でお茶漬け。昼は基本行動食のみで、上陸して時間があればラーメン(マルタイ)という、簡素な物。
行動食は東ハトのオールレーズンとそのリンゴ版の奴と黒糖を中心に、魚肉ソーセージ、ソイジョイを日数分用意した。本当はこれに練乳チューブを加えるはずだったが忘れた。日本国内の遠征なので無理して無補給を考えるのは僕としてはナンセンスだったので後は適当に当地で買うことにした。今思えば途中で買う必要などほとんどなかったけど…。
嗜好品はとりあえずビールはかさ張るので直島でカヤックが組みあがったら購入する事にし(結局これも買うの忘れた)、フォアローゼスを一本買った。紅茶とインスタントコーヒーを買い、砂糖は黒糖がかなりあったのでそれで代用する事にした。紅茶に黒糖を入れたのはけっこう美味しかったけど、コーヒーは別の飲み物になってしまった…。紅茶は常に多めに作って魔法瓶に入れて休憩時に一口二口づつ飲んだ。
食料はフェリーの中で包装を取っ払い、ジップロックに分けておいた。 まぁ、食料に関してはこんなところだ。
フェリーに乗り、直島に着くと、誰もカヤッカーらしき人がいない。
僕は今回の横断隊、ほとんどの情報も得ずに来ていた。わかっていたのは15日に直島集合。港近くの浜でキャンプをしてそこから出発とのことだったが、港から一番近いそれらしき浜は、メチャクチャ小さく折からの風をモロに受けており、個人的にはあまり寝たくない場所だった…。
ただ、そこにはカヤックを積んだ車が泊まっており、その運転手の人と話をすると、皆さん宛に届いたメールでの案内にもそこだと記載されている物の、みんな電話に出ないしわからないと言う。とりあえず何かわかったら教えてくださいといい、港に戻ると、今度は別の人達がいた。どうやらその人達が島にやってくる人達への伝達役をやっているらしく、その浜の更に先の浜に移動したらしい。トイレを済まし、ガソリンスタンドにガソリンを買いに行き、その後カヤックと装備をかついで出発地の浜に向かった。車で運ぼうか?とも言われたが、意地を張って歩いていった。もちろん後悔しました…。意外に遠かった。
目的の浜に着くと、ナルホド、カヤックが並べられてテントが張ってある。先ほどの車の人もいた。時刻はもう遅く、あたりは真っ暗で、何艇くらい舟があって何人くらい、そして誰がいるのかサッパリわからなかった。
とりあえずカヤックを組み立て、水を汲みに行き、テントを立てて夕食を作る。
そしたらなんだか眠くなってしまった。
「もういいや、どうにでもなれ」
そう思ってシュラフに包まれると夜行バスの疲れと、つい最近まで沖縄にいたという旅疲れで眠ってしまった。11月の瀬戸内はさすがに寒かったが、沖縄にいた時考えていたよりはマシだった。