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漂海民:バジャウとは何か??

 2006年6月23日 掲載

バジャウ族(Bajau laut) 
フィリピンやマレーシア、インドネシアなどの東南アジア一帯で、陸に住まず、海の浅場に高床式の小屋を作ったり、小さな小船に生活道具を詰め込み、船上(家舟)で生活する人達のことを「漂海民」といいます。その一族の一つが、東インドネシアから東ボルネオ、セルベス海やスールー海に主にいるパジャウ族です。
 常に海の上で生活をし、魚やナマコ、ウニを獲って、それを干物にして中国華僑に売り生活の糧として生きる。生まれるのも海の上。子供を作るのも海の上。そして死ぬのも海の上。国境も関係なく海を行き交い、子供は海と両親に全てを教わる。

 
カヤックを使って漁をしながら旅をしたい僕は、漂海民そのものになるのは無理としても、彼らにあやかり、海の恩恵を受けながらの自給自足に近い旅を、
bajau trip (バジャウトリップ)と自ら命名しました。

 
 僕は昔から三度の飯よりも水の中にいる魚を無理やりふんづかまえて、陸上に放り出し、まじまじと眺めて包丁でさばいて食べてしまう事が好きな野蛮人です。釣りも好きですが、直接水の中に入って銛で突いたり、網で一網打尽にするのも好きです。
 沖縄でシーカヤックに出会い、これを使えば魚獲りをしながら海を旅することが出来ると思い、思わずゲヘヘとニヤけました。 そんな訳で、ここのホームページでは魚を獲るためにカヤックを使い、とにかく半自給自足を目指した旅を心がける男の部屋であります。邪道カヤッカーと言われるかもしれませんが、遊びは楽しくてナンボ、そんな奴がいてもいいではないですか!と、勝手に考えています。

■ 水・人・魚の気持ちいい場所を求めて~このサイトのコンセプトについて~

 
 2004年からフォールディングカヤックで魚を獲りながら旅をするスタイルを中心にカヤッキングをしてきました。その模様は極わずかではありますがこのサイトにて発表してきました(実はこのサイトに発表していない事もいろいろやっていたのです…)。
 bajau tripを開設してから3年経ちましたが、この間に僕自身の旅のスタイルも多少変化してきました。
 このサイトを創った当初は、西表島のカヤックガイドを経たばかりで、カヤック自体の面白さよりも魚獲りに使うのにもってこいの道具としか思わず、カヤックを漕ぐことばかりに固執しているカヤッカーにやや反抗するつもりでこのホームページを作った趣旨も無きにしも非ずでした。
 しかし、この3年間で僕の中にあるカヤッキングに対する考え方も多少変化し、それまでのただの乗り物、遊び道具でしかなかったカヤックというものが、次第に自分の人生の大半を占めるものに取って代わり、ライフワークの一つとなってきました。それはただ単にカヤックというものの可能性を僕が知らなかっただけで、多くのカヤッカーに会うことでより深くカヤックを漕ぐということに向かいあう機会を得ました。 根本的な僕の考え方は今でも変わりません。
 カヤック自体が目的になるのではなく、あくまでもその土地、その海、その川なり湖をよりよく知るために、僕はカヤックという乗り物を使って旅をすることに主旨を置き、手段として遊んでいくつもりです。
 ただ、これまでのようなガツガツとした狩猟中心のスタイルではなく、かといってストイックに過酷な海を漕いで行くアスリートなカヤッカーになる訳でもなく、「水、人、魚の気持ち良い場所を求めて」カヤックを漕いで行きたいと思っています。 学生時代のゼミの教授が「水・人・魚の関係学」というものを専攻していました。自然科学の事をただ単に知るのではなく、人間との係わり合いを学びたいと思った僕は、一番人間が自然と向き合っている学問として農業を考えました。でも土の上の話よりも、水の中の話の方に興味がある僕は農業ではなく水産業を志すことにしました。その結果、水産関係の大学に入り、水産学を専攻することになりました。
 しかし魚を獲ることと、魚を育てることのうんちくばかりで、実際の水辺で何が起きているのかということはほとんど学ぶことができませんでした。
 僕はカヤックという乗り物を使い、この水、人、そして魚がうまく関係し合い、なんだかそこにいるだけで気持ち良くなれるような場所を求めて旅ができればいいなと最近は思っています。この、「水、人、魚の関係」というフレーズは当時の教授の専攻から採らせてもらいました。 カヤックの旅の醍醐味は、自分でも想像していなかった桃源郷のような場所に時たま出くわすことです。
 メディアにも取り上げられない場所に、まだ人に知られていない美しい場所があります。そういう場所には自分の力で行くしかなく、水辺にあるそういう場所を求めるのならばカヤックは最高の道具となります。
 日本国内だろうと、国外だろうと、きれいな水辺があり、そこに素晴らしい魚が生息し、住民がその土地を愛している場所…。
 そういう場所を求める旅を僕はしていきたいです。
 bajau trip は「海の採集」を主題にしていましたが、今後はより、「漂海民」としての色が濃くなりそうです。

■ 漂海民のような旅がしたい   

~北へ南へ・・・カヤックの可能性~

 
 海を旅するのならば、金持ちならクルーザーですればいい。ヨットでもいい。
 クルーザーはクルーザーで面白いだろうし、ヨットにはヨットの面白みと醍醐味がある。それはカヤックでは到底できない醍醐味だろう。地球一周や無寄港一周など、カヤックでやるのは自殺行為に等しい。
 でも僕がカヤックにこだわるのは、単純に僕がカヤッカーだからだ。
 どういう因果か、カヤックをやるようになり、カヤックの旅をライフワークに決めたからだ。機会があればヨットの世界も知りたいが、今僕にはカヤックがある。何より、カヤックならではの醍醐味も知っているから。

 カヤックの一番の強みはその身軽さだ。
 まず、資格が要らない。乗り手の覚悟と技術と体力があれば、誰でも漕げる。
 リジットだろうがファルトだろうが、貨物で世界どこにでも運ぶことができる。
 海も漕げるし、湖も漕げる。水深30cm、幅1mの川だって漕ぐことができる。
 燃費がかからない。乗り手の食費くらいだ。
 どこにでも上陸できる。喫水が低いのでヨットやエンジン船が侵入できないような浅瀬にも入る事ができ、砂浜や干潟にも上陸できるのだ。ちょっと危ないが港の岸壁にも、磯の岩場でも上陸できる。
 とても静か。その昔、アザラシ猟に使っていたというだけあって、水面を進む音はとても静か。ありのままの周りの音が耳に入ってくる。
 泊める場所に困らない。いざとなったら持ち上げて運び、適切な場所におかせてもらえばいいのだ。

 僕の使っているカヤックはさらに折り畳み式のカヤック(フォールディングカヤック、ファルトボート)なので、公共の乗物に手荷物として持ち運ぶことができるので、より自由に、好きな時に持って移動することができる。 カヤックはイチイチ人の考えや力に頼らなくても、自分でなんとでも出来る。自分だけの旅を作る事が出来るのである。

 道がない海上、そこは陸上の生物である人間からすれば未知の領域だ。陸上から見る海岸線と海上から見る海岸線。同じ場所なのにまるで違うように見える。海面に座っているような目線は海をじかに感じながらの海の旅となる。機関室に閉じこもる船の旅とは大違いだ。道のない海上を進む旅は、それだけで規定概念を打ち崩していってしまう。

 「KING of OUTDOOR」が何かと問われれば、それはもちろん、僕はシーカヤックだと思う。
 それはシンプルで、最も自然環境の影響を受け、最も何でもあり、自由だからだ。

 確かにそのぶん、海が荒れれば、出発できないし、向かい風が吹けば体中の筋肉の悲鳴を聞きながら何時間も漕ぎ続けなければならない時もある。油断するとひっくり返ってしまう。沖縄の海のような場所ならともかく、北海道やアラスカの海ならハイポサーミアで死んでしまうかもしれない。漂流する可能性もある。とにかく人力なので、だるいし、鈍い。
 物理的にはとても不自由な乗り物ではある。
 だけど、不自由さは他の乗り物との比較から生まれているだけだ。獣の皮と、流木から作られたという太古のカヤックの性能はいまだに受け継がれている。あれだけ単純な構造で、動力が人間の力のみだということを考えれば、ものすごいシンプルにして、恐ろしいほどの性能をいまだに持っているということになる。
 たかだか5mほどのくり舟に乗って棒きれを振りまわすだけで、人間は北米大陸西海岸を縦断し、カルフォルニアからハワイまで航海し、大西洋を横断し、フェリピンから台湾を経由して日本まで漕いでこれるのである。

 カヤックは乗り手しだいで無限の可能性を持っている。
 精神的に自由な舟。それがカヤック、シーカヤックである。

 大海原で、カヤックに乗り一人うねりの海を漕ぐとき、僕は顔をニヤつかせながらパドルを握る。怖いとは思わないけど不安がないとは言えないだろう。でも、その時の僕は自分でも自覚できるほど生き生きとする。生きるも死ぬも自分次第。
 まさに自由だ。
 今でも明確に覚えている、フェザークラフトのカヤックを手にした時の感動。これさえあれば、北へも南へも、行きたい海には自分の技術を高めさえすれば行くことができるという事に、武者震いし、鳥肌が立った。僕はまさに「水を得た魚」だった。

 漂海民のように日本や外国の海岸線を、自力で食料も調達しつつ、旅が出来たらどんなに楽しい事だろうか・・・。
 そんな事を考え、実際に旅してみた結果、やはりそれはとんでもなく面白いということがわかりました(笑)

 国内で言えば北は北海道、南は沖縄・波照間島まで、日本各地にカヤックガイドは存在し、今や全国各地でカヤックを楽しむことができる。だけど、ツアーに頼るカヤックもいいが、自分の意志、自分の舟でそこを漕ぐのはまた違った意味で大変面白い・・・!
 なにはともあれ、カヤックによる旅行がどんなものなのか、このサイトを見て「俺も、私も、やってみたい!」と、思ってくれる人が増えるのならば、この上ない喜びであります!

■ 水平移動から垂直移動へ

 ~眼下に広がる水中の世界~

 
 カヤックと同時に僕が好むのが素潜りによる潜水です。
 水面を移動するカヤックという乗物に乗りながら旅する人も、その多くが沿岸の景色は見るものの、その足元に広がる水中の景色を見ないで終わる人がほとんどだ。
 本当の野生は水中にのみ残っている。
 都心から近い三浦半島や房総半島。陸の上はずいぶんと開発され、人の営みが行われているこの場所でも、水中に入れば太古からの景観が残っているのだ。陸の上では人間の敵となる生物はほとんどいないが、水面という薄い隔たりを超えると、そこには人間を脅かす生物の存在を感じる異次元世界。
 そういう世界を垣間見れるのが潜水という方法です。

 シーカヤッカーは、意外に水辺で育った浸水性がある人よりも山登りから入った人、リバーカヌーから入った人が多い。ゆえに水面を移動の手段としてしか考えていない人が多い気がする。
 だが、せっかく水の上を旅するのだから、その下も見てみたいものだ。
 真っ白なサラシのはったロックガーデンを漕ぎ抜ける時、その下にヒラスズキの存在を気付く人はどれほどいるか?40㎝オーバーのグレが乱舞しているのを見たことある人はいるのか?
 外洋のうねりの中、真下をカツオの群れが通過するのを知っている人がいるか?
 静かなリーフの上を漕いでいる時、カクレクマノミの親子がわずか30㎝下で踊っているのに気付く人がどれほどいるか?
 シーカヤックを漕いでいると、海が好きになる。だけど、海に潜り、水中の世界を知るともっと海が好きになると思う。

 現在、カヤックをやっている人はたいていの人が野田知佑さんの本を読んだことがあるに違いない。氏は何よりも水の中に入るのを好んだ。氏のアラスカや海外の冒険的なカヤックばかり憧れるのではなく、水遊びとしてのカヤックをやる人間がもっと増えてもいいと思う。

■ 食糧 現地調達のススメ

~魚を獲る・見る・食べる・知る~

 
 海や川などの水の上を旅したり、水辺で遊んでいると、おのずと様々な生き物がいることがわかる。
 幼児退行気味な悪どい男の場合、ひどくそれらを捕まえてみたくなってしまう。原始的に手掴みで、紳士的にフライフイッシングで、単純に網ですくって、あるいは投げて、野蛮にも銛で突いてみたりしてみる。とにかく手段は選ばない。その目の前にいる生き物を捕まえ、まじまじと眺め、触りまくり、どんなものか知りたくなる。そしてしまいには食べてみたくなるのだ。
 そういう流れとは別に、長い旅を荷物の削減、食費の節約など、やや大人な感覚から食料の調達を目的として魚を獲ることもある。

 ともあれ、現地で当地に生息する魚を捕えて食べるというのは、また別の意味で旅の面白みであると思う。
 僕はいろんな場所を旅しても、その土地に生息する魚を釣ってみたり、突いてみたりして手に取り、観察し、食べてみないとその土地を理解したつもりになれない人間だ。その土地の魚をマジマジと見て、やっとその土地になじんだ気がする。だから、いまだによくわからない土地も多い。アラスカはそのうちの一つだ。まだあそこではタイドプールにいたカジカしか魚を見ていない…。

 もともとカヤックはエスキモーの狩猟のための舟、キャッチャーボートなどとは、いまさら言うつもりはないけど、移動の手段と割り切らずに、魚を獲るための道具にもなるということは頭の隅に入れておきたい。

 僕はこのように個人的に魚獲りが大好きです。だからカヤックの旅にも食料を現地調達する意味で組み入れています。
 
 

■ 魚を獲る事に関して 

~遊漁の限界~

 さて、実際にカヤックを使って魚を獲るとなると、結構、障害も多いです。
カヤックを漕ぐこと自体に関しては、何の許可も要りませんし、資格も要りません(最近はそうでもなくなるような感じではありますが)。

問題は魚を獲るということです。

 我が「日本国」において、魚を獲るということに関しては、専業の人達がいるわけで、そういう人達の魚を獲る法律、「漁業法」があり、さらに魚などの水産物を獲るための権利、「漁業権」が付きまとう訳です。


 私は漁師ではないので、もちろん漁業権はありません。そういう職業ではなく、個人の楽しみ、遊びとして魚を獲る漁業者でない人間を「遊漁者」とし、彼らができる漁法は各都道府県の「漁業調整規則」によって定められています。 原則として自分はこの漁業権、漁業調整規則に従うことにしています。

「原則として…」というのは、場所によっては漁業調整規則で認めていない「魚突き」を自分は行っているからです。しかし漁業従事者が許可する(許してくれる)場合、もしくは規則で許可されていなくても、現地ではポピュラーに行われている場合もあるので、このような表現をしました。
 簡単に言えば地元漁業者を刺激しないということです。
 
これは「バレなければい良い」という物でなく、漁業法の特性上、現地での漁業者のこちらの見方によって大きく結果が変わるという事です。
 つまり、地元漁業者との兼合いが重要になるということです。

 僕は密漁を推奨する気はありませんし、食べあまって、売るほどの獲物を獲る気もありません。冷蔵保存できない長期の旅では、その日食べる分、食べられる大きさの獲物が獲れれば十分です。
 学生時代、漁業者の厳しい経済状況も学びましたから少なくとも「自分さえ良ければよい」という考えでもありません。ただ、僕は自分も、できる限り海の恩恵をささやかながら受けたいと思っているだけです。 
  日本には漁業権と同じような物として「地先権」という物があり、それによって「入漁権」という物も存在します。これは漁業権の一つ、共同漁業権に密接に関係するのですが、これも詳しいことは後にして、とりあえずどんな物かといいますと「地先権」というのはある一定の海域において、そこに隣接する集落が、その海域の水産物を利用する権利で、特にアワビやイセエビなどの根付きの水産動物に関係します。アワビの場合、採るのに「採鮑権(さいほうけん)」という独特の権利まである訳です。ただしこれは漁業法としての権利ではなく、昔からの慣習として残っている物で法で認められた権利ではありません。 
 そして「入漁権」というのは、その各集落ごとに決まった地先権の区域に入って漁をさせてもらう権利のことです。いろいろな手続きがありますが、ようはそこの海域の漁協に漁をする人が金を払って成立します。 
 日本は古来から自分たちが漁をする縄張りみたいな物を各集落ごとに作っていて、他の漁業者に荒らされると、殺し合いに発展する暴動にまでなったようです。そういうわけでの入漁権なのですが、そうなると好き勝手に漁場を移動して漁をするということが日本ではやりづらかったということです。 日本国内でパジャウ族のように漂海しながら漁をする人達は瀬戸内海にいるようですが、その他には沖縄県の糸満の漁民(特にアギヤーという潜水追い込み漁船団)が有名です。しかし彼らも各地の漁協に入漁権を買って漁をし、それでも地元の漁民といざこざがつきなかったようです。 瀬戸内の漂海民もそうですが、だてに海で生活しているわけではなく、卓越した独自の漁法を持ち、根こそぎ魚を獲っていくので地元の人間としてはいくら金をもらったとはいえ良い気分ではないでしょう。 
 そんな訳で、自分も同じような事をやるので地元の人とはなるべく問題を起こさないように、円満にしていきたいと思っています。ですから、基本方針として以下の事をスタンス、ポリシーとしています。

第一種共同漁業権対象種(アワビ、サザエ、イセエビ、ワカメなど)は、地元の漁師、住民の許可を得ない限りは絶対に手を出さない。
カヤックから直接エントリーしての潜水はなるべく避ける。無人のカヤックに心配して近づいてくる漁船がいるし、いきなり無線をされて他の漁船が集まってきてしまったり、海上保安庁などを呼ばれると騒ぎでかくなるので。
カヤックガイドショップが良く漕ぐポイントでの潜水漁は、変に密漁者と誤解を受けた自分の冤罪がカヤッカー全体の風評に繋がる可能性があるので避ける。
漁港の利用はなるべく避ける。北海道の漁港のスロープをカヤックが利用できなくなったように、漁民からすれば仕事の邪魔になるのはわかりきったこと。浜から上陸できるのがカヤックの強みでもあるのだから、緊急時や海が時化たとき以外はあまりトラブルのネタになるようなことはしたくない。たとえ漁師との出逢いが減るとしてもです。
⑤漁港を利用する際は当たり前ですが、漁港関係者に一言挨拶を入れて利用させてもらいます。ビバークする場合は隣接の漁協に届ける(挨拶する)事にしています。まぁ、基本ですが。

海外ではともかく、日本国内においてカヤックのフィールドである沿岸域は、どこに行っても漁師との共存が不可欠です。
 彼らの漁場から食料を調達するわけですから、その土地の慣習やルールをこちらも守り、友好的に旅を続ける事がカヤッカーへの信用、認知につながり、双方の為になると考えています。

profile 


ガキの頃は川口探検隊、わくわく動物ランドに陶酔して、球技に夢中になる友人達をよそに森に入りヘドロに塗れて無意味な生物採集にいそしむ。うまそうな物はとりあえず口に入れた為、何度か食中毒騒ぎを起こす。虫下しも何回か飲む。
夏休み冬休みは親父と2人で房総の海に行き、男の行動学を学ぶ。

学生時代に八重山諸島に入り浸って「島旅症候群」に感染。悪化の一途を向かえて休学。西表島に住み込んだあたりで人生ドロップアウト。
その西表島で運命のシーカヤックとの出逢い…。
沖縄で憶えた海を潜る楽しさ。魚突きというアウトローな趣味まで持ってしまった…。

カヤックを漕いで知らない海を旅する。食べ物は海から必要なだけもらう。
シンプルにして繊細。簡素にして優雅。
そんな生活を夢見つつも、都会育ちの悩める青年は今日も電脳世界の門をくぐっている訳です。
 
日々漕想(ひびそうそう)
さらに管理人の素顔に迫りたいという物好きはここへどうぞ。