グレートシーマンと漕いで、潜って、飲んできました

~沖縄県:石垣島~

2005年11月18日~11月21日

 
 
 Bajau Trip 2005から帰ってきて約2ヶ月、なんだか方向性も定まらず自宅で過ごしている自分がいた。
 何だか淡々と過ぎる月日。締まらない生活感。どうもいかん。
 そんな事を思いつつも、自覚はしていないのか新に石垣島に行く計画を立てていた。
 6月に西表島に行ったとき、歴史的な豪雨で僕はほとんど何も出来なかった。 青い空、白い砂浜、深緑のアダン、そして珊瑚の海・・・。
 沖縄ってそういう物でしょ!?だしょ??雨の降る西表も確かに景色の一部ではあるのだが、世の中バランスって物が重要ではなかろうか?6月の八重山は明らかにバランスが悪すぎる。海には潜れたが極限られた海域のみ。カヤックは自艇では漕げなかった。というか組み立てもしなかった。晴れていたら星が瞬く夜空の下、知り合った旅先の女の子とデートだって出来たかもしれない!
「やっぱり晴れた八重山に行きたい!!」
 その欲求を叶える為、僕は11月17日から出発の石垣島行きの格安チケットを抑えたのだった。

 西表島フリークの僕ではあるが、今回は石垣島オンリーである。
 何故かというと、ある人達に会いたかったからだ。
 僕に魚突きとカヤックの可能性を教えてくれた男の一人である八幡暁氏と、色んな所で行き違いになっていて噂だけは聞いていた「かごしまカヤックス」の野元尚巳氏である。
 今回、八幡さんのショップ「ちゅらねしあ」が石垣島に夏オープンし、そのツアーの一つでかごしまカヤックスとの合同イベントが催される事となった。八重山に行きたくてしようがなかった僕は、これに飛びついたのである。
 僕の文章にはちょくちょく出てくる「八幡暁」氏だが、正直の所、僕はこの人と一緒に漕いだ事もなければ潜った事もなかった。同じ西表島のショップで働いていた同門ではあるが時期が異なっているし何回か島で話をしただけである。
 東京でも何回か会ったが、潜りに一緒に行く事もなかった。カヤックも、潜りも、本格的に僕がやりだしたのは八幡さんと会ってからだからしょうがないと言えばそれまでだが、根本的に海で会うことがなかったのである。
 野元さんは著書「黒潮海道を行く」で知ってはいた。奄美大島でのシーカヤックマラソンに毎年出ているようなので奄美に行けば会えると思っていたが今年は不参加。
 屋久島では僕が島を去った後、ショップのツアーで一周に来るという情報は得ていたので、なんとも会えない人にはとことん会えないものなのだと思っていた。
 今回、そんな2人とまとめて会って、行きたい八重山で一緒に漕いで潜る事が出来るという事で「これはちょうどいい」と思ったしだいなのだ。まるで新谷さんが芳地さんのところに来た時と同じような理由で僕はこのイベントを狙って石垣にわたる事にしたのである。 
 俺って打算的でしたたかやね~。こうやって書くと。
 

■ 今年の沖縄は俺を見捨てたようだ・・・!

 
 11月の沖縄はちょうど季節の変わり目だ。「ミーニシ」という大陸からの季節風が吹くのもこの頃で、この風が吹くと沖縄も寒くなる。
 11月17日。目的地石垣島の天気は最悪という情報がネットでわかっていたが、出発するしかない。僕は早朝発の飛行機に間に合うよう、前日の終電で品川近くの友人の家に泊まり朝一で空港に向かう事にした。
 ところがだ。
 寝坊してしまった・・・!
 6時40分の飛行機なのに起きたら6時10分だったのである。 あぁ・・・マジであり得ない・・・。
 急いでバックパックとカヤックを引っ張り、空港に頑張って7時に到着する。どうせ間に合わないのだからと慌てはしなかったものの、とりあえずチケット売り場に行くと、案の定飛行機は遅れてもいなく、格安航空券なのでどうしようもない状況だった。
 なんとか次の8時10分の那覇行きに空席はあるのでそれを普通に買う。格安航空券、石垣羽田間往復+ホテル1泊分の料金と、ほぼ同額の値段で那覇までの片道料金を支払う・・・。 人生で一番後悔した寝坊だ。 現金がなかったのでカードで支払ったのだが、タイミングが悪いことに利用した航空会社のライバル航空社のカードで支払うことに。バツが悪い・・・。
 一抹の不安をもちつつも、とりあえず沖縄には行けるという事で荷物を預ける事にした。
 ところがだ・・・ 
「お客様、手荷物料金はお一人様最大25㎏までとなっております」
 はぁ?である。一つ25㎏ではなく、合計で、というのだ。この時の僕の荷物はバックパック(24㎏〈うち4㎏はウエイト〉)、パドルと銛(3㎏)、ファルトボート(28㎏)という組み合わせであった。ダイビング用品は30㎏まで大丈夫だと知っていたので交渉してみるが、超過料金を支払わないとダメだという。一応計算してみると、(55-30)×600(羽田那覇間のキロ当たりの値段)+(55-30)×300(那覇石垣間のキロ当たりの値段)となり、荷物だけでアホらしい料金を支払う事になるのだ。

 せっかく空港まで持ってきたのに・・・ 

「こんな料金払えるか!!」
 真面目に計算しているお姉さんが腹立たしくなり、とりあえずバックパックを預け、カヤックは宅急便で送る事にした。しかし宅急便の所に持っていくと着くのは19日の夕方だという。
 意味ないじゃん・・・。
 結局苦労して持ってきたカヤックは実家に送り返す事にして、石垣ではカヤックをレンタルする事にした。
 なんだか幸先悪すぎる・・・。
 那覇に到着後、モノレールに乗って美栄橋まで行き、行きつけのラーメン屋で朝食をかねた昼食をとる。その後色々寄り道をして空港に戻った。 
「早く行かないとまた乗り遅れるぞ」
 最後に寄った「漕店」で大城さんにそう言われていたが、案の定、まさにそんな事に・・・。
 3時40分発だと思っていた飛行機が、なんと20分発だったのだ。 もう自分の詰めの甘さが恨めしい・・・。さすがにこの頃になると自分でも自分がおかしいんじゃないかと思うくらいで、情けないというか、こんなに締まりのない頭でいいのだろうかと思うのだ。 どうも頭の中が堕落している。「テーゲー」だとか「なんくるないさー」とか言ってる場合じゃない。 何とかこの時は乗り遅れたものの、出発時刻前にカウンターに来たと言う事で次の飛行機に新に料金を払うことなく乗る事が出来た。4時50分の飛行機で石垣に向かう。
 やれやれ。
 本当にやれやれだ・・・。
 この日は石垣に着くとパックに付いていたホテルに向かい、夕食にいつものあさひ食堂に行ってソーキソバを食べ、その後この島でサンゴの研究で卒論を書いている後輩たちの所に遊びに行き、ちょっと飲んでホテルに帰った。
 たまには普通のホテルに泊るのもいい。安宿は楽しいがうるさくて眠れない。それに比べてホテルはしっかり眠れた。疲れていたこともあるだろうけど。
 
 

■ 手漕屋素潜店 ちゅらねしあ

 
 翌朝、すっかり寝すぎて9時頃目が覚める。どうも島に来るまでの睡眠不足も前日の間抜けな行動に関係はありそうだ。だがいい訳はいい。どっちにしろ損をしているのは俺自身なのだ。
 だがこの時は八幡さんと待ち合わせがだいぶ遅れるので急いでチェックアウトし、離島桟橋の前まで歩いていく。
 桟橋近くのホテルの前で待っていると軽自動車が目の前にとまった。八幡さんだ。
 久しぶりの再会ではあったが、懐かしさはそれほどない。今年の3月に横浜で偶然会っていた事も会ったが、メールや電話でやりとりしていたのでそれほど違和感はなかった。
 車に乗って20分ほどで「ちゅらねしあ」というか、八幡さんの家である白保のショップに着いた。白保の珊瑚の生垣に囲まれた平屋の集落は、沖縄の正しい集落といった感じでよかった。その中の沖縄民家の一つがショップになっており、感じよい。中に通されると、既に今回のツアーに参加するほとんどの人がきていた。といってもわずか3人・・・しかも身内。 スタッフのユキねぇに、野元さん、かごしまカヤックスの常連のやすよさんの3人に、僕と八幡さんという面子だ。明日からもう一人増えるだけである。
 自己紹介的な話をしたのち、午後からもう出発するので準備をし、雪ねぇが作ってくれた昼食の豚の首肉入りそばを食べて出発となる。
 この日は猛烈な北東の風が吹き付けており、本当は島の北東側に行きたかったらしいのだがそこはどう考えても無理なので風裏の御神崎近くのポイントに向かう事にした。
 まずは今回のポイントを上から見てみようということで御神崎に行ってみる。 車を下りて灯台に歩いて向かうと、とんでもない風が体に吹き付けてくる。油断すると帽子が吹っ飛んでしまう。 何とか急な階段を上って灯台に出ると、すさまじい風が体を叩きつけてきた。ちょっと気を緩めると体ごと吹き飛んでしまいそうだ。バランスをとりにくい。それでも乗り上げて海を見ると、「死ねますッ!確実に!!」という海が眼下に広がっていた。 沖を見ると大型タンカーが船体を大きく揺らしながら前進している。遠くからでも凄くゆれている事がわかる。 
「すごいなぁーこりゃー!!」 
「飛べるぞ、マジで!!」
 八幡さんも野元さんもたまげたような、呆れた顔で海をしばらく見ていたが、風に耐え切れなく早々に撤退。車に乗って今日の出発地に向かった。
 出発地は灯台からも確認できた灯台のすぐふもとだ。入り江になっていて見事に風裏になっている。
 そこから4人で(ユキねぇは明日の客と一緒に来るのでお留守番)カヤックを下ろし、砂浜に持っていくが風が強くてカヤックが横になってしまう。適当に荷物をポンポン放り込み飛ばされないようにする。 天気は風が強い物の、一応晴れ。白い砂浜が懐かしい。
 いざ出発!
 ぴゅーん
 え?もう着いちゃったの??
 入り江から出てリーフ内を南に進むとあっという間に目的のビーチに着いてしまった。所要時間約5分。こんなシーカヤックツアー、あっていいのだろうか??まぁこんな日にパドリングするほうがおかしいのだろう。ましてやキャンプしようなんて・・・。
 最初は洞窟のある場所でキャンプする予定だったが、思いのほか風が抜けるのでそこはやめ、隣にある崖裏に見事に風がこない場所を発見しそこにベースを構える事となった。
 先ほど集めた薪や流木をかき集め、八幡さんがタープを張った。 
「ちゅらねしあ」が別名、「ブルーシートカヤックス」と呼ばれる由縁を知る。
 
写真上:ウガン崎の灯台であまりの爆風に呆れる八幡、野元両氏

 

 
 この日は到着そうそう皆でビールを飲んでしまい、そのまま焚き火を囲んでゆんたくしてマッタリしてしまう。
 
 翌日、朝起きるとテントに雨が当たる音で気持ちが失せ、そのままうつらうつらとすごす。10時頃、野元さんの「飯にしましょう」という声で雨具を着込み厭々テントから這い出てタープの下に向かう。
 もうとっくに皆さん御飯を食べていると思ったが、全体的にスローペースで進んでいるらしく、みんな身内だという事でプライベートキャンプのようなリズムだ。
 トーストを焼いてもらい色んな具をはさんで食べる。コーヒーが美味い。
 飯を食べ、マッタリしたあとみんなで潜る事にした。僕と八幡さん、野元さんは銛を持ておかずを狙う。やすよさんはウエットを着ていたがウエイトがないのでぷかぷか浮いている事に。
 相変わらず風は爆風状態で、さらに雨まで時折降っている。ウエイトの関係で上半身だけウエットを着るが、海水が思いのほか冷たい!数日前に潜った三浦半島並の水温なのだ・・・。 
「どうかしているぞ、今年の沖縄は!!」
 それでもウエットを着ると温かい。4人でとりあえずリーフ内を潜るが、風で表層にいても流されるし、深場に潜ると底の方は底の方で潮が流れていやがる。たちが悪い海況だ。 30分位4人でブラブラと海中遊泳をしていたが、ウエットを着ていない野元さんがギブアップし、やすよさんも浅場で遊んでいるというので僕と八幡さんはシュノーケルモードからハンターモードに切り替えてリーフと外洋の狭間で魚を狙う事にした。
 「石垣の海は八重山の中でも、かなりいい海だよ」
 八幡さんはちゅらねしあを開いてからそのような事をよく言っていた。少なくとも僕や八幡さんが潜っていた西表島のあるポイントよりは凄いという。 
「本当カヨ~」
 そう疑心暗鬼で潜ってみると、確かに石垣の海は凄かった・・・!まだいくつかのポイントを潜ったわけではないけど、少なくとも今回潜った場所はリーフ内だというのに凄く発達した枝珊瑚が密集しており、時化で濁ってはいるものの、晴れて太陽が差し込めば恐ろしくきれいな海になる事は否応なくも想像できた。
 リーフの切れ目に行くとメーターオーバーのナポレオンがふわぁ~っと、泳いでいた。 だが、魚に関してはキレイな魚はいっぱいいるものの、美味しそうな魚はほとんど見られない。枝サンゴが多いので穴が覗きにくく、小魚ばかりなのだ。荒れているから表に出てきていないだけかもしれないが、石垣だからひょっとしたら電灯潜りの海人が入っているのかもしれない。
 そんな中、なんとか2人で今日来るお客さんを含めた6人分の魚を獲る。なかなか厳しい条件で、大きな魚は獲れなかったが何とか数で勝負した(といっても俺は2匹だけだけど・・・)。
 3時間潜って陸に上がると野元さんがお客さんを迎えに行くとカヤックを漕いで出発地点に向かっていった。その間に着替えて八幡さんと魚の下拵えをする。
 料理を作っていると野元さんとユキねぇ、そして今日来たNさんが合流した。風は強くて海は大時化だがキャンプサイトは穏やかな物だ。ビールの栓を空け、皆で乾杯した。

 

 

 
 

■ 冒険者の気質

 
 天気は悪いが夕日が沈んだあとの紫色の時間は何だかいやらしいほどキレイだ。大気の湿度や埃の量によって光の屈折の仕方が異なり色がはっきり出たり出なかったりするようだが、とにかくそんな理由でどういう条件でどのような空の色になるのか具体的に知りたいものだ。
 寒いので焚き火に薪を入れまくる。
 八幡さんの焚き火はドカッと大量の薪を燃やし、熾きを作ったらあとは必要な分だけ薪を足して行くという焚き火だ。地味だが無駄がない。鍋ややかんを直接焚き火に突っ込み煮炊きをする。網は魚を焼いたりするのに使うが、五徳などは用いない。東南アジアの原住民みたいな焚き火の方法が、この人の今までの旅を物語っているようだ。
 
 八幡さんはカヤックに出会うまではバックパックに三点セットを入れ、銛を持って全国を徒歩とヒッチハイクで旅していた。そして自分で海に潜って魚を突いたり、漁村に着いたら地元の漁師の手伝いなどをしたりしていた。
 魚突きを覚えたのは八丈島。魚突きをしていて、一番凄いと思ったのが奄美大島の潜水漁師だという。手銛一本でイソマグロと戦う男もいる。そういう話をする八幡さんからは海に生きる先人達への尊敬の念と謙虚さ、そして「海大好きです!」というオーラが醸し出されていて話をしていて楽しい。海だけ大好きかと思えば、実家に帰れば裏山に入ってキノコも採ってくる。 
「潜れる海があれば死なない」
 八幡さんの座右の銘らしいが、海どころか、この人はどこに行っても死なない気がする・・・。
 カヤックに出会ったのは西表島に来てからだ。「南風見ぱぴよん」で働いた事で旅の手段にカヤックが組み込まれる。そしてオーストラリアから日本までをカヤックを使って現地の海を潜りながら旅するという「グレートシーマンプロジェクト」を立ち上げた。
 詳しい経過はそのサイトを見てもらうといいが、今の所オーストラリアからパプアニューギニアまでは成功している。そして日本国内でも単独で太平洋側神奈川から鹿児島間、沖縄から熊本間、そして今年の夏に八重山から沖縄本島までを漕ぎきっている。途中には日本国内で最長の海峡、池間~久米島間220㎞も存在する。今までこの海峡を伴走船なしでカヤックで漕いだのはタンデムで1組(村田、本郷)。単独では初めての快挙だ。
 この成功を屋久島で聞いた僕はさっそく八幡さんに電話した。 
「あんなの我慢比べだよ。やろうと思えばだれでも出来るよ」
 ん~さすが成功者の発言はとんでもないぜ・・・と、当時は思っていたが今回その話をまたしてみると。 
「いやぁ~もう二度とやりたくねぇな!!ガハハハ!!」
 レポートを読んでもわかるが、今回の海峡横断で八幡さんは船酔いになっており、それが想像以上にきつかったそうなのだ。でも今回の海峡横断はインドネシアの島と島の間でもっとも離れている場所とほぼ同じ距離だともいうのだ。それの練習というか、実験も兼ねていたらしい。とにかくやることが凄すぎる。
 ここまで書くと八幡さんはとんでもない冒険野朗といった感じを受けるが、本人にその気はないようだ。
 もともとグレートシーマンプロジェクトも地図上にひいた一本のラインを漕ぎきる事が目的ではなく、ただ単に未知の海を漕いで潜ってみたかったと言うのが率直な本音らしい。僕にはそれが良くわかった。あくまでカヤックは手段なのだ。カヤックが目的ではない。その考え方がとても重要だと僕は思うのだ。
 そういうある意味余裕を持った人間が「220㎞単独漕破!」というような事をやってしまうから面白いし、カッコいいのだ。八幡さんの凄いところはそういうところだと思う。バリバリのアスリートがスポンサーをバンバンつけて記録に挑戦した所で数字が残るだけに過ぎない。そういうのは僕の中ではあまり意味がないことだ。 まァそういう事は自分もやってみて、出来てから言えって感じだろうけどね・・・。
 今年から石垣島でアウトフィッターになったのもこれが目的なわけではなく、次の遠征である台湾~与那国、もしくはフェリピン~台湾の基地として便利だからというのが理由で、今までの遠征がこのショップ開店の宣伝のためといった理由ではないようだ。実際、今年の春までショップ開店のことなどほとんど考えていなかったというから驚いたというかあきれた。そんな理由でいいんでしょうか・・・!?? ともかくおかげで八幡さんとゆっくり話せる機会もできたしイイ事ではあった。
 
 遠征といえばかごしまカヤックスの野元さんも数々の遠征をしてきた人物で、沖縄~鹿児島間も単独で行っている(一部撮影の為伴走船を用いている海域もある)。海外ではアラスカ沿岸やインサイドパッセージ漕破など、北米を中心に数々のEXPEDITIONをこなしている。
 野元さんと八幡さんはウォーターフィールド社がらみで何回か会った事はあったらしいが、一番の出会いは沖縄~奄美間のツアー中に、遠征中だった八幡さんと偶然会ったことだという。奄美大島までを抜きつ抜かれつ漕いでいたらしいがここで八幡さんの獲ってくる獲物にだいぶツアーは助かったという。この時台風がよく通ったので八幡さんは海が荒れる前に海に潜り、魚を獲っては干物を作っていたのでツアー客には「乾物屋の若旦那」と呼ばれていたらしい(笑)。
 最初は初対面だということで謙虚なおじさんだなーと、思っていたのだが、そこは「お笑い冒険家」「おわらいカヤッカ-」と言われているだけあって、話し込むにつれてギャグが四方八方から飛んでくるような状況になっていた・・・! 野元さんからはアラスカや北米でのカヤッキングの話が聞け、八幡さんからはインドネシアやトカラの話などが聞けて、ヒジョ~に充実したトークが繰り広げられた(はずなのだが、実際にはくだらない事をよくしゃべっていた気がする・・・とにかく2人ともやっている事は凄いのだが、ゆる~い空気が流れているのだ)。
 

 

 翌日、朝から雨が降ったりやんだり。寒いので濡れた薪を乾かしながら焚き火にくべて暖を取る。飯を食べて、用をたす以外は所定の位置から皆さん動こうとはしない。
 焚き火を囲んでひたすら話すしかない。ネタはいっぱいあったので苦労はないが、さすがに「ここまで来てこれでいいのだろうか?」という、若さから来る焦りみたいなものが僕の中で生まれてきた。
 寒くてどうしようもないが、気合いで着替えて激荒れの海に飛び込んだ。 どうしても海中の写真が欲しかったのだ。
 冷たい雨に打たれながら「ヒィーヒィー」いいつつ、ウエットに着替え、前日潜った場所よりかなり潮上に歩いてから海に入ると、予想通り恐ろしい勢いで流されていった。 目ぼしい所でサンゴの写真を撮るが、やはり外洋のうねりによるかく乱と濁りはしょうがない。
必死になって海底にへばりつき写真を撮るが、同じ場所にとどまるだけで息が切れる。
 それでも数枚はイイ写真が撮れた。帰りがけにクギベラがいたので写真を撮ろうとしたらハウジングが曇ってしまって来ていた。 
「これはまいったな~」
 そう思ってブンブン振ると、不思議な事にくもりが綺麗になくなっているではないか!ラッキーっとか思ったが、あまりにも不自然なのでよ~くカメラを見ると、ハウジング内のカメラが何故か水に浸かっている・・・。 
「ぐあぁああ~!!」
 慌てふためき、カメラを水上に持ち上げながら陸に戻る。急いで皆の所に向かいハウジングを開けるとジョロ~っと、水が滴った。 
「あ、あふぅ・・・」
 バッテリーとメモリーを取り出し、トイレットペーパーでキレイにふき取る。カメラは振るといろんな隙間から水が出てきた。
 しばらくしてからバッテリーを入れスイッチを入れるとレンズは動くが液晶は完全につかなくなった。アーもうダメだ。このカメラもやってしまった・・・。
 それにしてもハウジング内に水が漏れるとは・・・。Oリングって、結構デリケートなのだな~とは思ったが、それ以上にもしものための生活防水が、こんな肝心な時に生かされないことの方が腹立たしくなっていた。
 ともかくおかげでこの後、写真は撮れなくなった。
 

 
水没前に撮れたキレイなサンゴをどうぞ

 
 着替えて焚き火で温まり、昼食を食べて再びマッタリしたあと、皆さんで意をけっして撤収の準備に入る。
 わずかな雨が小ぶりになった時間を見計らってテントをたたみ、カヤックにパッキングして行く。皆さんほぼプロなので準備迅速手際がいい。あっという間に出発準備完了。
 海上に風紋が進行方向からやってくる中、怒涛の出発。 
「ウォッシャアアアー―――!!!」
 野元さんをはじめ、どいつもこいつも妙にテンションが高く、恐ろしい勢いでパドルを振り回している。向かい風にもかかわらずカヤックは順調に進む。そりゃそうだろ、あれだけ必死になって漕げば!僕はグリーンランドパドルなのでスピードが出ず、必死になって追いつこうとするがタンデム艇やカーボンパドラーは速過ぎだ。
 息を切らしてゴールイン。帰りのパドリングもわずか15分程度でした。
 出発した浜はものすごい風が抜けており、雨をあいまって何だか台風の中にいるような気分になっていた。全身が濡れ、寒さとパドリング直後の妙な興奮で6人のテンションは異常じみていた。 
「ゥおっシャーッ!一気にかたずけるぜぇーッ!!」
 そう言ってあっという間に荷物は車に積まれ、カヤックも強風の中なんとか積み上げ、帰路に着くことが出来たのであった。
 この夜もこのメンバーで八幡さんの家に泊まることになり、買出しに行き、皆さん色々買い、僕はどうしても餃子が食べたくて自分で作り、結局皆さんに手伝ってもらって完成し、こいつをオリオンビールで流し込みながら今回のキャンプの話で盛り上がった。
 今回のツアーは結局、飛行機代を2倍払い、自艇を使用することも出来ず、願った晴天にも恵まれず、カメラをまた水没させてしまうという、なかなか自虐的なものとなってしまった。
 しかし、天気が悪いおかげで八幡さんや野元さんとは話す時間がいっぱい出来、色々と聞くことが出来たのはいい事ではあった。
 翌日、やることがなかった僕は八幡家で雑誌や本などを読み、夕方の便でしっかり内地に帰ることが出来た。
 それにしても石垣島があんなにイイ所だとは盲点だ。みんな離島や石西礁湖ばかりに行ってしまうので石垣島の東北部などの人の行かないところはかなりすばらしい海が残っているらしい。日本中の海を潜っている八幡さんが言うのだから間違いない情報だろう。
 やっぱり八重山ですよね。
 今度は八重山諸島島巡りでもしに来たいものですな!
 

◎INFORMATION
■手漕屋素潜店 ちゅらねしあ http://www.churanesia.jp/ 
 代表:八幡暁 
 ■かごしまカヤックス   http://homepage1.nifty.com/k-kayak/
   代表:野元尚巳