漕店便乗西表島半周記
2003年11月2日~11月10日
話のあらすじ・・・
「南風見ぱぴよん」の仕事が10月一杯で終わった僕は、とりあえず西表島をでる前に一回カヤックで一周しておきたかった。
しかしこの季節は天気が安定せず、時化た海を無理やり漕破していくタイプでもない僕は何度も停滞することが考えられるので、そうすると自ずと時間がかかってしまい石垣から那覇に渡る週一本しかないフェリーに乗れなくなってしまうかもしれない。そうなると無駄にもう一週間八重山にいる事になってしまって那覇に行ってから行こうと思っている「ケラマ諸島」にいけなくなってしまう。
しかたなく一周はあきらめ、無人地帯を半周することにした。(本文から抜粋)
結局、その後も鹿川湾に一泊するだけで南風見田浜に戻ってきた僕は、偶然にもその日から西表島を半周しに行くという本郷、中川ペアに捕まり、沖縄本島の「漕店」のツアーに便乗することになったのだった・・・!
かくして僕は単独での半周を諦め(もはやする気はなかったが)、大勢のツアー客の胃袋を満たすための食料調達員として同行することになった。
ま、そんなお話です・・・。
①単独鹿川キャンプツーリング
大原→南風見田浜→鹿川湾
「南風見ぱぴよん」の仕事が10月一杯で終わった僕は、とりあえず西表島をでる前に一回カヤックで一周しておきたかった。
しかしこの季節は天気が安定せず、時化た海を無理やり漕破していくタイプでもない僕は何度も停滞することが考えられるので、そうすると自ずと時間がかかってしまい石垣から那覇に渡る週一本しかないフェリーに乗れなくなってしまうかもしれない。そうなると無駄にもう一週間八重山にいる事になってしまって那覇に行ってから行こうと思っている「ケラマ諸島」にいけなくなってしまう。
しかたなく一周はあきらめ、無人地帯を半周することにした。 11月2日、それまで自分が住んでいた部屋をとりあえずかたずけておこうと思ったのだが、散らかりすぎて何から手を付けていいものかわからない。実家に送ってしまうもの、これからの旅に持っていくものに分け、冷蔵庫の中身を整理していたら、あっという間に午後になってしまった。
ショップに置いてあった潜り道具を取りに行くと、オーナーの山元さんがオオウナギをさばいているところだった。なんでも昨夜のハブ捕りの際に捕ってきたらしい。ウナギが地面を這いつくばっている事からもわかるとおり、インターネットで天気予報を見ると、なんという事か!台風19号が八重山に近づきつつあるではないか!!
「大丈夫だよ、台湾に抜けるよ」
山元さんはそう言うが、なんだか気掛かりな問題ができてしまった・・・。 山元さんに今から出発すると報告し、車に荷物を乗せて仲間川の桟橋に向かった。そこでカヤックを組み立てて、荷物をパッキングしていたらあっという間に時間は過ぎ、出発は結局3時になってしまった。
この日の予定はとりあえずナイヌ浜あたりまでリーフの中を漕いでいけばいいと思っていたので2時間もあれば着くだろうとタカをくくっていた。 とりあえず出発。仕事ではリジットのカヤックを使っていたので久しぶりのカフナはなんだかブヨブヨした印象が強かった。コースとしてはいつもの仕事で行く南海岸コースだったので何の問題もなかった。ところがここでいきなり問題が発生した!
どうも左側が沈んでいるように思えるのだ。重心がずれている。
おかしいなぁ~と、思ったら案の定、右側のインフレ―ターには空気がパンパンに入っているのに、左側はベコベコなのである。シーソックスを外し、空気を入れても20分ほどですぐにへこんでしまうのだ。海峡横断や初めての場所を漕ぐなら少し焦るが、いつも漕ぎなれた場所なので「何とかなるだろう」と安易に考え、空気を入れつつ、パドリングを続けた。
海は適度に波があり、それほど良いコンディションではないが風もさほど気にならずリーフ内を漕ぎ進む。だがどうも空気もれが気になり、ナイヌまで行くのをやめ、もしもの時の為に道路のある南風見田浜で今日は切り上げる事にした。これは後々になって正解となった決断だった・・・。
浜に上がるとすでに時間は5時を過ぎており、荷物を森をぬけた所にあるキャンプ場に移し終わるとあたりは暗くなってきた。どうせビバークのつもりだったので浜にテントをはっても良かったのだが、ついつい人がいたのでキャンプ場に行ってしまった。
キャンプ場には男女2人のペアと男一人の3人がいた。男女2人はここに来るまで石垣の米原におり、男一人もレゲェ風の格好通り、バリバリの放浪キャンパーで歳も大差なかったのですぐに仲良くなった。
夜になるとここの管理人の宇立さんがやってきた。宇立さんは山元さんと昔からの仲でショップにもよく顔を出していたし、このキャンプ場もぱぴよんのガイドが作ったものも多い。僕はこの1年前、大学の後輩とここにテントを張り四六時中、魚を獲っては食っていたのですでに顔見知りだった。この日は大原中学校の体育祭があり、その部落対抗リレーにでたものだから体中が痛いといってしばらく僕らとユンタクして帰ってしまった。
翌朝、海岸に出てカフナを直す。インフレーターを引っ張り出すと、思ったとおり、みごとな穴があいていてガムテープでも張っとけばいいと思っていたのにこれがなかなかうまくいかず、どうしても空気が漏れてしまう。しかたなく本格的に修理用パッチをエポキシ樹脂でとめて直すことに。完全に乾くのに半日はかかるようなので天気も悪く、なんだか面倒臭くなってきたのでこの日もここにいる事にした。早くも停滞宣言である。
キャンプ場にある自転車に乗り大原に戻り、食料を買出しして家に戻り、昼食を食べる。なんかこれじゃ、カヤックの旅に出たのか、ただの暇つぶしをやっているだけなのかよくわからない。
キャンプ場に戻るとパッチもある程度乾いたようなので、カヤックで釣りに出かける。
ナイヌまで行ってみるが、海が予想以上に荒れていて、リーフの中までうねりが入ってくる。ボゲェーっと、竿を出していると危なく波にもまれそうだ。
「こりゃだめだ」と、若干残っていた出発願望もあっという間に消し飛んだ。
きわどい波の中、なんとかクサムルーとクチナギを3匹釣り、南風見田浜に戻る。キャンプ場では3人も天気が悪くて暇なのか、グダグダとおしゃべりしたり、将棋をさしたりして過ごす。
レゲェ風の男はトーマといい、歳は僕と一緒だったが測量の仕事を辞めて今はブラブラしているという。僕がカヤックガイドだというと興味ありげに話をし、自分も自然と関われる仕事がやりたいといっていた。男女2人組のうちの男の人はタカシといい、歳は僕よりも上で海外生活も経験していたが腕に刺青があり、最初はその手の人かと思っていたが、話をする上では全然フレンドリーな人だ。女の子はリョーコといって僕とトーマと同じ歳でタカシさんと米原で知り合ってからいっしょに旅をしているという。
この日の夜は僕が魚を提供し、それをおかずにリョーコちゃんが炊いた米をみんなで食べた。僕なんかはいつも魚を食べているのでそうは思わないのだが、キャンパーに魚をあげると非常に喜ばれる。
「こんな新鮮な魚食べる事なんて滅多にないよ」と、たいていのキャンパーは言う。確かに魚を獲らない人にとっては魚とは、肉よりも手に入れにくいものなのかもしれない。
10時頃まで話をしていたが、夜が更けるごとに風が強くなってきており、雨も降ってきた。いよいよやっぱり台風が近づいてきたのかと心配しつつ、テントにもぐりこんだ。強い風にあおられて大変ではあったがテントなしでキャンプツアーをしてきた僕にはとても快適だ。
翌日も天気は悪く、雨も降ったりやんだりと非常にケジメのない1日だ。あまりの天気の悪さに海に出る気にもならず、囲炉裏のある東屋でボーっとしたり、3人のうちの誰かしらと話をしたり、寝っころがって本を読んだりする。リョーコちゃんが椎名誠さんの「怪しい探検隊」の文庫を持っていたので「なつかしいなぁ」と読みふける。
タカシさんやリョーコちゃんがちょくちょくコーヒーやお茶を煎れてくれたり、お菓子をくれたりするので非常にありがたい。この日も朝は焼ウドンを作ってくれたし、昼はラーメン、夜はビーフシチューなんぞ作ってくれて、至れり尽せりである。トーマ君なんか「なんか色々提供してもらって悪いなぁ・・・」と、罪悪感に駆られていたが「みんなでたべたほうがおいしいじゃん」と、タカシさん。確かに知らない者同士が集まって食べ物を出し合い、食べるのは楽しいし、楽だし、自然だ。
「米がなくなりそうだから、そしたら買ってよ」
タカシさんはトーマ君にそう言った。とりあえず誰かだけが得をして、損をするということはないようになっている。
あまりにもグータラ生活をして、昼寝なんぞしていると、こういうのもたまにはいいなあと思う。ついつい出発しなければならないことも忘れてしまう。
3人は一週間後に石垣島であるレゲェパーティーに持っていくため、キノコを採って蜂蜜漬にしていこうという話をしていた。
西表島には何気にそこらじゅうキノコが生えている。だからたまにこういうことをする人たちもいるのだが、さすがに表立っては出来ないのでコソコソやらざるをえない。僕も昔何回か食べたけど、不味いうえにあまり効かなかったので自分で採ってまでやろうとは思わないでいる。
寒いので南風見田キャンプ場名物?のドラム缶風呂を沸かしてはいった。西表島に来てから湯船というものに浸かる事が少なかったので、そういう意味もあってか、なかなかよかった。ただ油断するとどんどん熱くなってくるので、結構忙しい風呂ではあった。
11月5日。テントから這い出ると、空は青かった。
「晴れたっ!!」
テントをひっくり返して乾かし、荷物をまとめた。2日間まっただけのかいはあって海は穏やかで風もほとんどない。出発日和だ。
3人に行ってきますと告げ、正午に出発。リーフ内は干潮で、とてもじゃないが漕げる様な状態ではないのでカヤックを引っ張りながらリーフエッジまで歩き、そこからリーフの切れ目を見つけて外洋に出た。
それまでどんよりとした空だったので、この快晴はひじょうに嬉しい。太陽は11月とは思えない日差しで肌をちりちりと焼き、青い海に差し込み、かなり深場のサンゴにまで届いている。その浮遊感がなんともいい。
藍色に近い色の海と、向かって右側に見える急な稜線を見せる西表島の山々が無人地帯であることを物語っている。ナイヌ浜をすぎると、僕にとっては未知の領域だ。
「よっしゃーっ!!一路、鹿川湾だ!!」
気合いを入れてパドルを握る力を強める。
この日の日程は西表島の南海岸を横断して、南西部にある鹿川湾まで行く事だった。予定の時間は3時間と見込んでいたが、思いのほか早く、2時間半ほどで着く事が出来た。
鹿野川湾はリーフが切れてないため、外洋のうねりがそのまま波となって入ってくるため、リーフ内の穏やかな波での上陸に慣れてしまった僕にはちょっときつかったが、速やかにカヤックを降りて高潮線まで引っ張り上げ、何とか波にもまれるのは避けられた。
「ん~、ついたなぁ~」
西表島に5年間通った僕も、何気にこの場所は初めてだったのでちょっと興奮気味だ。ただ、湾内には船が泊めてあり、誰かしらが先に上陸して山にでも入っているのが気になった。
砂はフカフカしていて歩きずらい。まるで雪の中を歩くようにあたりを探索する。何箇所か人が住んでいたと思われる場所があり、人工的に漂流物を集めて作った小屋や、妙に生活感を漂わせる広場などがある。しかし人の気配はない。
沢が山から流れていたが、流れがなくどんよりと溜まっていて漂流物がぷかぷか浮いており、とても飲料水には使いたくない。しばらく歩くと岩から水が滴り落ちる小さな滝を見つけた。これなら水には困らない。
なんとなく、あたりを探索し終わると漂着し、そのまま成長したのだろう。日本にはないはずの野生のココヤシの木の下で軽い昼食をとった。さすがに腹が減っていたのだ。
海を見ながらカロリーメイトをかじっていると、なんだか面白い。鹿川は先ほども述べたがリーフがないために波が大きく山も海に対して急にせり上がっているので地形がダイナミックだ。行ったことはないが、なんだかハワイに行ったような気分になった。
そんな印象を受けていると、藪の中から突然おっさんが一人、切り出してきた竹を何本も束ねたタバを担いで僕の前を通っていった。そして目の前の流木に腰掛けて一服しだした。
近づいて挨拶をするとなんでも船浮からパイミ崎を越えて竹を刈にわざわざ船で来たらしい。オじぃは僕がカヤックで大原から来たというと「へぇ、そうか」と当たり前のように返事をし、西部まで来るのなら、船浮にも是非寄りなさいと言った。
実はこの時、僕は鹿川に一泊したら、半周もせずに再び南風見田浜に戻るつもりでいた。なぜなら天気の安定しないこの時期に単独で、しかもファルトでパイミ崎をこえるのは危険すぎると山元さんに脅され、パイミの手前の浜には僕のようにファルトで西表を一周しようとして失敗した船の残骸が何艇か埋まっているというのだ。まだローンも残っているカフナをいきなりオシャカにするのも嫌だったし、西部で海人(うみんちゅ)の話が聞きたかった僕はとりあえず半周もあきらめ、鹿川まで行って一泊キャンプをし、西部には車で行こうと考えていた。
意気地なしだとか、根性なしだとか、いくら言われてもかまわないが僕は別に死をも恐れない冒険家ではなく、ただの旅行者であり、グータラ男なので楽しくカヤックを漕ぎたいのだ。不安や心配事を抱えてやるくらいなら素直にあきらめたほうがいい。確かに山元さんも一連の遭難騒ぎで多少、気を使っていたところもあると思うが、僕には更々その気はなかった。
「一泊だけしたら大原に帰るつもりです」
「そうかー。でも明日は南風が強くなるらしいから気をつけろよ。出られなくなったら歩いて船浮まで来るといいサー」
(えっ!?)
パイミ崎をこえるとか、西部に行くとかじゃなくて湾から出られない?こんなに天気がいいのに明日はまた風が出るというのか??
天気の変わりよう、その変化を身をもってツアーで知っていた僕はこのおっさんの言う事もあながちウソには聞こえず、さらにビビってしまった・・・。
オじぃは西部に用があるならいっしょに乗っけてやろうかと聞いてきたが、とりあえず明日は大丈夫だろうと自分の感を信じ、一泊キャンプしたかったのでその話は断り、オジイはもう一人の相棒が戻ってくると竹の束を浜に上げておいたカナディアンカヤックに積み込み、立ったままカヤックを漕いで繋留している船まで渡っていった。そして浜に打ち上がっていた木の電柱を船で引っ張ってもって帰ってしまった。
湾は再び波の音だけになった。
その後潜ろうと思ったが、噂通りものすごい濁りで、波の力もものすごく、魚突きはあきらめた。ホワイトアウトの中、波のうねりに任せていたら突然目の前に岩が現れたりしてかなり焦ってしまった。だからにごりは嫌だ。かと言って釣りをしたかと思えばゼンゼン駄目で、大物がウジャウジャいる手付かずの秘境、鹿川湾のイメージは僕の中ではボロボロと崩れ去った。
流木を集め、この日はひたすら焚火の前で酒を飲んだ。 夕食はミートソーススパゲティーのはずだったが、レトルトカレーのパックがやぶれていたのでしかたなく茹でてしまったパスタにそのカレーをまぶして食べた。意外にいける。魚が採れなかったのでサバの水煮をつまみにする。
魚は採れなかったが、この夜、僕は幸せだった。
ちょうど湾の中央部にテントを張ったのだが、目の前の海には満月が浮かび、両側にある山を照らしつつ、海にきらめく月光がなんともいえない。そして焚火の焔が必要のない部分を消し去り、あたりにあるものだけを照らしてくれる。
パチパチとはぜる音。久しぶりのソロキャンプに僕は調子に乗って持ってきたビール2缶を空け、泡盛2合を一人でストレートで飲んでしまった。さらに誰もいない事をいいことに持ってきたヘタクソハープを吹きまくり、一人で宴会を始めた。この時は非常に楽しかったが、今考えると・・・。アホというか、不気味である。
気付くと砂の上で海パン一丁で寝ており(11月ですぜ!)、月もだいぶ傾いていた。水をがぶ飲みし、テントの中に転がり込む。 翌朝、携帯のアラームで起きると全身砂まみれで、しばらく自分は何でこんな所にいるんだと錯乱した。
天気が悪いと言われた割には天気はいい。多少怪しい雲があり、雨が降った形跡もあるが、天気よりも俺の胃の方の具合が悪かった。
水を汲みにいってからコーヒーを煎れて飲み、さてどうしようかと考える。とりあえずラーメンを食べて朝食とし、早朝降った雨で濡れたテントを干し、できるところから片付けつつ、カヤックに詰め込んでいった。
たった一泊ではほとんど遊ぶ事も知ることも出来なかったが、とりあえず鹿川はいいところだと思う。パナリじゃなく、南風見田浜から出発してここで一泊だけのキャンプツアーをしても面白いんじゃないかと思った。そんなショップのオーナーみたいな事を考えつつ、少々の未練と共に10時きっかり、鹿川湾を後にした。
帰りは向かい風のために来た時よりも妙に波をかぶりながら進んだ。風による小さな波はあるものの、うねりは昨日よりもひいているようでやろうと思えばパイミもこえられそうだ。しかし余計な事になるのは嫌だ嫌だと、弱虫あかつかは波をジャブジャブかぶりながら南風見田に向かった。
さすがに来た道を戻るのは同じ景色になるわけだし、あとどのくらい漕げばどうなるのかがわかるので、一言でいえば退屈になる。リーフの側だとサンゴはきれいだがそのぶんサーフに近いので横波をかぶる。そのぶん沖を漕ぐのだが、「白鯨」と長いパドルになれている僕にはコンパクトなカフナは窮屈らしく、どうも尻と腰が痛くてかなわなかった。
何とか気分を紛らわせようとルアーをつけた釣竿を出して曳縄、つまりとローリングを試みて見たがアタリはなく、たまに竿が持っていかれたかと思うとただルアーが浮いている海草に引っ掛かっただけだったりした。
「うまくいかねーなー。カツオでも釣れないかねー」
そう思ってあきらめかけていた頃、ちょうどナイヌ浜の沖に来たあたりで竿が急に持っていかれてドラグがなった!!緩めすぎていたドラグはバッククラッシュをおこしてしまったがうまい具合にほどけ、竿を持ってやりとりを始めるとはるか後方で魚がジャンプした。バカデカイ!!・・・と、いうか長い・・・。
「くはーっ!巨ダツだ~」
明らかにメーターオーバーのダツがかかってしまった。あんな物が釣れても困るし、カヤックに穴でもあけられたら一大事だと考えていると、願いとは強く願えばかなうらしく、2度目のジャンプでみごとラインブレイク。結構好きだったミノーをつけていたので、ばらした事よりも、そちらの方が悔しかった。
12時半。南風見田浜到着。リーフの中はほとんど潮が抜けており、リーフの切れ目から中に入ると、程なくして「ずりずり」と、カヤックが底を擦る音がした。
暑いし、腹は減ってるし、疲れたしで、たいへんだるかったが、カヤックに荷物を3~4回に分けてキャンプ場に持っていき、真水のシャワーを浴びて昼食にカレーライスを作り食べた。キャンプ場には3人のテントはあるが誰もいない。
キャンプ場を出る際、今度帰ってきたときはお土産持ってくるからねーと、約束していたのに何も獲ってきていないことに気付き、潜りの道具だけもって魚突きのポイントまでカヤックで行く事にした。
だが、どういうわけか魚がいない。どうでもいい魚はいっぱいいるが、美味しそうな奴はゼンゼンいない。3時間近くも潜っていたのに恥ずかしながらボーズを食ってしまった僕は、「ダメですわ・・・ダメダメ人間ですわ・・・」と、SMAPの中居君のようにつぶやき、キャンプ場に帰ったのだった。
②本郷・中川両氏に拉致られパイミ越え
~漕店・BAJA横浜ツアーに便乗するの巻~
南風見田浜→鹿川湾→パイミ崎→外離島
その夜はついてなかった。ウダツさんが家に帰る際、自転車ごと大原まで連れて行ってくれ、スーパーで買い物をしているとばったりケンさんに会った。すると豊原まで送ってくれるというので「ガハハ、運がいいなぁ」と、喜んでいた。
ところがキャンプ場につくと携帯が無い!再び自転車に乗って通った道を探しまわった。リョーコちゃんに電話をかけてもらうと、なんとか鳴るので電波は届くところにあるらしい。結局2往復し、24㎞も自転車をこぐが見つからず、疲れ果てた僕はドラム缶風呂に浸かり、ブツブツ言いながら月を見ていた。3人は「なんのこっちゃ」と先に寝てしまい、せっかくの再会(と、言ってもわずか1日だけだが)も虚しく、一人で島酒を飲んで寝た。
翌朝、やってきたウダツさんのトラックの上にも無かったので、事情を話すと、数分後にまたやってきて、携帯を見つけてきてくれた。なんでも「ぱぴよん」のテーブルの上にあったらしい。いやぁ、なにはともあれ、よかったよかった。まったくウダツさんにはお世話になりっぱなしだと、痛烈に感謝した。
トーマ君が採ってきたキノコを天日干ししている中、朝食を買いに豊原まで行こうとすると、一本道の向こうから「海歩人」の中川さんを乗せた「デラシネカヤックス」の本郷さんの車がやってきた。僕の前にとまると開口一閃、
「あ、あかつか、お前今ヒマか!?」
やることはあったが、何かピーンときて、ヒマだと答えた。
「今から中川君とツアーにでるんやけど、お前も行くか?」
「ツアーって・・・どこですか?」
「南風見田から出て、白浜まで行こうと思ってるんだけどな・・・。どうだ?」
「何泊?」
「3泊4日をいまんとこ考えているんだけどな」
この日が11月7日。3泊4日という事は10日にツアーが終わる。石垣から那覇に行くフェリーが11月13日の早朝だから、12日に石垣に渡るとすれば、うまくやれば調査はできなくともお世話になった海人達に挨拶くらいはできそうだ・・・。
ここまでを一瞬にして考えた僕は、優柔不断の性格にもかかわらず、
「あ、それ行きます!いいっすねーっ・・・いや、本当、それイキです!!赤塚イキマス!!」
即決。
今夜は鹿川に泊まるというので、出発は10時だが、いつ来てもいいよといわれたので豊原をこえて大原まで行き、荷物をまとめて食糧を買い足し、キャンプ場に戻った。
単独ではともかく、一般のツアーでなら安心、確実である。まあ、カヤックに安全確実は無いにしろ、不安のあるなしで言えば全然別物である。なんとかこれで、念願のパイミ越えも夢ではなくなった。
ボーラ浜に住むことになったタカシさん達はキャンプサイトの掃除のためいなかったので、たまたま居合わせたリョーコちゃんに別れの挨拶をし、再び僕は南風見田を後にして鹿川に向かった。
再び鹿川湾に入る。3日間で行ったり来たり・・・。 さすがに2度目の鹿川は面倒臭かったが、しかたがない。たいして感動も無く、淡々とパドリングをする。南風に押されながら進んだので、かなり速く、2時間程度で着いてしまった。15㎞はあるんですよ、この距離。
湾から浜を見ると、たくさんのカラフルなカヤックとテントが並んでおり、さながら難民キャンプの装いである。都会の喧騒から逃れてやってきているのだからある意味難民に代わりはない、うん。
浜に近づくと、本郷さんが歩み寄ってきた。
「いやぁーよく来たねェー、ゆっくりしていきなよ。それにしてもお前、イイの乗ってるなー」
ツアーのお客さんたちは20名。ガイドを、僕も含めると総勢24名という大パーティーだったが、到着した時にはすでにお客さんたちは転々バラバラにちってシュノーケリングをする人、山に入っていく人、釣りをする人、ビーチコーミングをする人など、各自思い思いに好きな事をやっていた。
このツアーは沖縄本島のショップ、「漕店」の西表島遠征ツアーで、その下請けというか、現地ガイドとして「漕店」の大城さんと馴染みのある本郷さんが雇われ、人手が足りないので中川さんも助太刀し、そして僕が流れてきて、現地採用、食料調達要員として、組み込まれたのだった。
夕食の準備をすでに始めている中川さんのところに挨拶に行くと、おもむろにビールを渡してくれた。まァ、とりあえず、ビールでしょ!!っと、いう事に普段はなるのだが、食料調達の仕事も残っているので現時点で飲むわけには行かなかった。そこは我慢と決め込んでいると、大城さんが海に入っていくところだった。
「赤塚君、いい機会だから大城さんの後、ついていってみなよ。タコの獲り方とか教えてもらえるぞ」
大城さんがタコトリの名人であるという事は、何かの雑誌を読んで知っていたが、人の後ろに着いていっては獲物は取れない。僕は大城さんが浜から見て右側に行ったのに対し、左側に行く事にした。
波打ち際は相変わらずのにごり具合だったが、少し沖に出ると海底の砂が見え、コバンアジが優雅に泳ぐのが見えた。なかなか透明度はいい。荒波によってほとんど凹凸の無いリーフ際を舐めるように左側に泳いでいく。
「リーフのオーバーハングの下に、コーンな(手を大きく広げ)魚がいるけど、速くて突けないんだ。」
「それは青物系でした!?」
「ああ、そんな気がする!」
何度かここで潜っているという本郷さんにそう聞き、僕はガゼン張り切っていた。最初はニジハタとか、ブダイの仲間とか、どうでもいい魚ばかり現れていたが、次第に大きなアーガイやトカジャーが現れ、ミジュンの群などが出現するようになり、それに相応してテンションも上がってきた。
鹿川は波があるため、もしくは地形が急なためか、リーフがあまり発達しておらず、サンゴの隙間で魚を探すパナリの海とは異なり、垂直に落ちる岸壁で魚を獲るため、なんだか八丈島などの伊豆諸島に似ていた。いる魚もサンノジやフエダイ、スマなどがいるので八丈に似ている。水深は波打ち際が30cm足らずだというのに、そこからイッキに7~10mは落ち込んでいる。それがおきに進むにつれ10m、15mと深くなっていくので迫力がある。
しばらく行くと沈潜の残骸などが沈んでいて、魚突きにしても、シュノーケリングにしても格好のおもちゃとなる。
さらに進むと水深は20m近くにもなるので、底まで行かず、岸壁にへばりつくようにして魚を狙ったが魚は獲れず水面に顔を出したら、かなり浜から離れている事に気付いてしかたなく引き返す事に。
帰り際にまず、単独で泳ぐ40㎝あまりのイシフエダイを獲り、続いて穴の中にいた30㎝あまりのクロハタ、そして沈船の中にいたセグロコショウダイを一匹ずつ獲り、浜の近くの穴の中で40㎝あまりのユダヤーミーバイ(マダラハタ)を獲って浜に上がった。
だいぶ長いこと潜っていた為か、僕の後に潜ったはずの本郷さんはすでにあがって魚をさばいていた。大城さんもいる。
この時の獲物は僕の4匹と本郷さんが獲った良型のイシミーバイ、ちっちゃいヤコウガイのみで、ヤコウガイはリリース。案の定というか、期待通りと言うか、お客さんの驚いた反応が返ってくる。イヤァ、非常に嬉しい限りであるが、40そこらの魚ばかりなので、ガツンと大物を獲ってきたかった僕は本郷さんの言う魚を獲れなかったこともあり、少々不満だった。
しばらく魚をどう料理するかを考えたが、結局全て刺身になった。
さすがに20人もいると刺身はあっという間に食前の宴会だけですべて無くなり、アラでアラ汁を作り、夕食の献立の一部となった。
ちなみに僕は一切れも食べていない。
お客さんたちは浜に打ちあがっているビールのケースにベニヤ板を敷いてテーブルを作り、宴会を開いてすでに出来上がりつつあったが、ガイド4人はせっせと焚火で20人前の料理を作っていた。
お客さんたちはこれまた横浜にある「BAJA横浜」というショップのお客さんたちで、明るくて陽気なインテリ親父さんという感じで非常に面白い。
女性のお客さんもいたし、個人でツアーに参加した人もいるようで、すべて全員がという訳ではないが「サラリーマン転覆隊」に代表されるような遊びに全精力を傾けるオヤジ達の存在に、それまで「社会は厳しいぞ!そんなことでどうするか!」とか「大手企業に入って出世街道まっしぐら」とか、「家庭を顧みない会社人間」、「過労死」、「リストラ」――っと、いったイメージをオヤジという存在に持っていただけに、この人たちを見て「こんな親父たちも日本の社会に入るんだなぁ・・・」と、発見させてくれた。
それはぱぴよんで働きだしてキャンプツアーの常連さんの大半が会社の結構上層部の人たちだということで、薄々気付いて考えていた事ではあったが。
「今日の獲物は君のおかげなんだから、もっと飲みなさい!」
大城さんがそういってビールを渡してくれた。お客さんたちも酔っていたからだとは思うが、「アリがトーッ」といって僕に拍手などしながら歓声を上げた。20人という多くの人間に見つめられるのは久しぶりだったので、さすがに照れてしまった。
大城さんは「漕店」として独立する前は「沖縄カヤックセンター」という、沖縄本島のカヤックの老舗(昔は「エコマリン沖縄」)で働いていた事があり、当時、西表島に来る際は現地ガイドとして山元さんのところを訪ねていた。
今回も山元さんのところに顔を出し、話をすると、半周ツアーに行くのなら、今ごろ数日前にうちを辞めた赤塚という若造がいるかもしれないと聞いてきたそうだ。それがちょうど僕の住んでいた寮で話をしていたらしく、僕の三線や、ヒマを見て造ったセミホウボウの剥製などを見て、「こいつ、一体何者なんだ?」と、思っていたようだ。実際今日会って、魚を獲ってきた事もあり、初対面にしてはなかなかの好印象を与える事ができたようだ。
本郷さんは最初に、
「料金は要らないから、手伝ってくれて、魚さえ獲ってきてくれれば、あとは飲み食いし放題だから。大城さんには俺の方からうまく言っておくよ」―と言われており、僕は調子に乗って発泡酒ではないオリオンビールを飲みまくった。やっぱりビールはうまい。海辺で飲むビールほど、うまいものがあって、いいはずがないとさえ思える。
この夜も月はそこはかとなく美しく、しばらくするとお客さんたちの宴会も数人を除いて終わり、各自テントに入っていった。
2日前とはかなり印象の異なる、にぎやかな鹿川湾だった。
7時頃起きると、すでに3人のガイドは起きて朝食の準備をはじめていた。申し訳ないと思いつつも、ガイドにして、ガイドにならずの僕は、とりあえず今日の行動食となるおにぎりの製作にかかった。
バイキング形式のサンドイッチで朝食を済ませ、パッキングして、10時過ぎには出発する事になった。
とにかくお客さんの行動が早い。
実にテキパキとしていて旅慣れているといえばそれまでだが、朝も早いし、食器の自分でせっせと洗ってくれるし、荷物を片付けるのも何も言わなくとも短時間で済んでしまう。
大城さんは「ガイドはお客さんを育てるもんだよ」といっていたが、間違いない。毎回キャンプすら初めてという人達ばかり見ていた僕にとっては、目から鱗な言葉だった。
出発前のミーティング。ブリーフィングと言う奴だ。
本郷さんが地図を広げ、今日の移動予定をお客さんたちに説明する。 この日の日程は、僕が見てもかなりハードな物だった。
10時に鹿川を出発し、落水崎をまわってウビラ石にたどり着き、そこから一気にパイミ崎を越えて崎山湾を横断。網取の浜で休憩し、そこからさらに網取湾を横断してサバ崎を越え、外離島の西のビーチに上陸してキャンプ・・・というものだった。
距離にすると30㎞はありそうだ。女性のお客さんには初めての人もいるので、大変だろう。まァ、お客さんのほとんどはタンデム艇だし、体力のない人はガイドの前に座っているのでとくに心配はないだろう。 24名。シングル艇6艇(うち一艇はファルト、つまり俺)に、タンデム艇9艇という、大パーティーだったが出発もスムーズに行われ、一路パイミ崎を目標にさだめる。 波はほとんどなく、リーフの際で少し波が出ているくらいだ。本郷さんと大城さんは背中にジギング用のロッドをさし込み、トローリングをしながらである。こういう遊び心があり、それが実際にできるというツアーはイイ。
風は南東の風なので後ろから押すように吹いてくれて、波に乗るような形で進んでいく。波に乗るとスピードは出るが、カヤックが安定しないのでイマイチぎこちない。数日前からカヤックを漕いだ時に現れる腰痛もあり、コンディションはけして良好とはいえなかった。
漕いでいて気づいた事に、「ファルトは遅い」という、カヌー屋さんからすれば、当たり前のことがあった。一人でカフナを漕いでいる時は「なかなか速いじゃないか!」と思ってかなり満足していたのだが、リジットの人たちといっしょに漕いでいると、ゆっくりだが着実に抜かされていくのがわかる。
僕はシンガリが好きなので、後ろでトローリングをする大城さんと漕いでいたのだが、着実にトップ集団との距離が広がっていくのだ。自分ではかなり速いペースで漕いでいるつもりだし、仮にも体育会系スパルタショップ、ぱぴよんのガイドであった僕が体力負けするはずなどないと思っていたから、これにはイライラした。距離が拡がる度に、全速力で漕いで距離をつめ、何とかトップ集団に加わるのだが、じきにまたズルズルと抜かされていくのだ。やはり1馬力と2馬力の差は埋められず、やっぱりファルトは遅いのだと納得した。そしてリジットのタンデムと、ファルトのシングル艇はすこぶる相性が悪いということもわかった(あたりまえだが)。
そうこうしているうちに左側に見えていた仲ノ御神島が後に見えるようになって来た。パイミ崎が近い。
パイミ崎は西表島最西端にあたり、このあたりの海域はカヤックだろうと、一般の船舶だろうと航行するのが非常に困難な海域である。それは外洋から入ってくるうねりと、岬という場所がら、潮流が複雑な事、そして絶壁の島から吹き降ろす強風と、それによって起きる波の為だと言われている。
ぱぴよんでは毎年、「年越し半周ツアー」というものが行われているのだが、今のところ2年連続、このパイミ越えに失敗し、鹿川で3泊して帰ってきているという。
そのくらい、難しいところなのだ。 数々の修羅場の逸話を聞いていた僕は、いざお客さんが沈でもしたら、自分もレスキューに回らないといけないな・・・と、気合いを入れて揚々と漕いでいたが、一向にうねりは強くならず、波もなければ風もない。 「な、なんだなんだ??」 そう思っているうちに、パイミ崎と思われる岬を横目に通り過ぎる。お客さんの一人などは岬の先端にある浅瀬を波乗りしながら通過した。開いた口がふさがらないとはこのことで、意外にも意外、アッサリとパイミ越えを果たしてしまった。
「こんなパイミ・・・はじめてや」
崎山湾の入口で流されながら休んでいると本郷さんがそうつぶやいた。運がいいんだか、悪いんだか、この日のパイミ崎はベタ凪状態。カヤックを降りて魚突きができるんじゃないかと思えるほど静かであった。拍子抜けもいいところである。これなら十分、単独行も可能であった。
12時45分、網取の先端にある浜に上陸し、行動食による昼食となった。一人1本づつビールが配られ、リンゴが剥かれる。さすがに女性陣は疲れたといった感じだが、網取の浜は小さいのでこれだけの人間がテントサイトをつくるには狭いので、外離島まで行くのだと言う。しかし網取はいい所だ。1時間だけの休憩となったが、多くのお客さんは水浴び程度にシュノーケリングをし、楽しんでいた。
網取から外離島までは距離はあるものの、出発の時点ですでにゴールが見えるし、海は本当にベタベタなので楽なものだ。僕もトローリングをしたが、小さすぎるニジハタが一匹釣れただけで、ルアーを一つなくしてしまった。
4時頃、外離島のビーチについた。ここにはテレビでも放送された裸人のオじぃが一人住んでいて、そのオじぃに迷惑がかからないようにと小屋があるほうとは逆の浜に上陸しテントサイトを構えた。
荷物満載のタンデム艇はずっしりと重く、男5人がかりで高潮線より上に持っていく。それだけで大仕事である。長時間漕いで疲れているお客さんにはさぞかし大変な作業であったろう。しかしそれもシーカヤッキングだ。しかたない。 宴会スペースの確保、かまど作り、薪集めが一通り終わると、僕は大城さんを誘って海に出ることにした。
すると一緒に行きたいと言う人たちや釣りに行きたいという人達も集まり、結局10名ほどでポイントまで行くことに。ところが僕はこの人たちを大城さんに任せ、一人で魚突きに行ってしまった。すいませんでした、大城さん・・・。 狙っていたポイントにウエットスーツを着こんでカヤックで出かける。
ところがここが最悪!!リーフエッジは遠い上に、リーフの中は浅いうえにサンゴはダイナマイト漁でもやったのかと言いたいくらいボロボロで魚も変なのしかいない。潮もなぜか速かったのであきらめて大城さんたちのカヤックが浮かんでいるあたりに行く。
しかしここも30cm以上の魚がいない!!
「これではいかん!!」
結局カヤックを漕いでリーフエッジのある緑のポールがささっている沖まで来て、そこで潜ることに。浜から1㎞はあるのではなかろうか?ブツブツ言いながら潜ったものの、ここはまァまァよく、手堅くアオノメハタの良型を獲り、続けざまにミヤコテングハギを獲る。
日が落ちかけている上に、濁りがけっこうあり、視界はあまりよくなかったが、ポールの先にはリーフが無くなり一気にドロップオフがある。そこは水面からでは見えない。
ここでしばらくまっていると、いつのまにか周りにはミジュンの群が・・・!そしてさらに待つこと、数分、きました、きました、やっとキタ!ついに出ましたガーラ様!!こいつを獲って持ち帰れば、一躍、俺はヒーローだ!そう不純な事を考えながら水底でガーラが近づいてくるのを待ったが、僕の姿を見るなり、一目散に逃げていった。
世の中うまくいかないもんだね。
この後、50㎝オーバーのゲンナーを二回もばらし、40㎝ちょイの奴を何とか1匹獲って夕刻ぎりぎりになって浜に戻った。 暗い中、ウエットスーツを着たまま魚をさばき、刺身にする。大城さんも良型のチヌマンを2匹獲っていた。あの魚のいない場所でこれだけの物を獲ってくるとは・・!恐るべし!!さすがその道のプロと唸らざるを得ない。
今回も刺身は秒殺だった。
大皿いっぱいにかなりテンコモリにしたつもりだったが、①お客さんたちのいるテーブルに持っていき、②中川さんに魚のアラを渡し、③本郷さんにビールをもらって、④再び大皿を見ると、 もうすでに一切れもない!!
「いやぁ~、こんな獲り立てのプリプリの刺身なんて滅多に食べられないからネェ~」
「うまいなぁー、イヤー本当、ありがとう、赤塚クン!」
こういうシチュエーションは確かに慣れているといえばなれているのだが、せめて一切れくらい、醤油をつけて食べたいと思うのが実のところである。でも、このような賞賛の声をあげてもらうと、獲ってきた人間というのはひじょうに嬉しい物で、「いやいや♪」と、照れ笑いなど浮かべるのである。
この日の夕食は牛角肉のエビチリ風、ジャガイモとチキンのガーリックオイル炒め、ミネストローネスープ、ご飯というもので、本郷さんと中川さんは、まるで学校の給食でも作っているがのごとく、「ヒィーヒィー」と、額に汗をかきながら作っていた。何せ24人前だ。
中川さんは元シェフだっただけに料理がうまい。普通のレシピに+αが効いていて、とてもためになる。また、調理器具も創意工夫がなされており、ダッチオーブンなどもカヤッカー使用に改造されていた。
人のキャンプのやり方というのはひじょうにタメになるもので、今回の手伝いで何が一番役に立ったかといえば他のショップのツアーの流れがなんとなく垣間見れたという事もあるが、とくに料理は各ツアーの目玉になりうる部分なので興味深かった。
裸人のオジイも服を着て遊びにきた。おそらく女性がいたからだと思うが、男だけなら普通に裸で来たことだあろう。お客さんの俗世的な質問をそれとなく受けて笑ったりしていて、楽しんでいたようだ。
氷がないから、冷えているうちに飲んでしまえとビールをじゃんじゃんもらって飲んだ。腹が膨れているのにビールを飲むのは辛いが、ビール好きの僕はとくに気にする事もなく、とにかく飲んだ。 この浜はモッコウが多く、昨夜はテントを立てずに焚火の周りで寝た本郷さんと中川さんもさすがにテントを張り、僕はせっかく気持ちよく寝ていたのに、モッコウのあまりの痒さに目が覚めて、七転八倒しつつ朝を迎えたのだった。
③鉈で足を切って戦線離脱・・・
外離島→船浮→クイラ川→木炭の浜→白浜(ゴール)
キャンプ3日目。
朝から霧雨が降っており、次第に大粒になって、しまいには大雨になってしまった。
急いでタープを出して広げ、何とか朝食が食べられるだけのスペースは出来た。しかしお客さんもなれたもので、雨具を着こんで歯を磨いたり、ずぶ濡れになるのを楽しんでいる人までいる。
あまりにも見事に雨が降り続けるので今日はこのまま停滞かとしばらく様子を見ていたが、次第に小雨になってきたので、予定通りここを出ることになった。しかししばらくはゴタゴタしたままなので、ひとまずは水と酒がなくなったということで水汲みに買出しもかねて本郷さんと僕、そしてカヤックを漕ぎたいというお客さん2人と船浮まで行く事になった。
本郷さんと僕は、中川さんがつい最近買ったばかりだという WATER FIELD社のホエールウォッチャーというタンデム艇にここぞとばかりに乗り込み、試乗を兼ねて出発した。
行きながら前に乗った僕は、本郷さんにパドリングの指導を受けた。医者の不養生というか、普段お客さんに漕ぎ方を教えていても実際自分の漕ぎ方を他の人が見ると、やはりおかしいところがいくつかはあるようだ。
理屈はわかっているのだが、これがなかなか難しい。
本郷さんにはじめて会ったのは2000年の6月。
大学を休学して西表島で働き出した最初の頃で、本郷さんも西表島に来て「南風見ぱぴよん」で働き出したばかりの頃である。確か「サガリバナツアー」ではじめて対面して一緒に行き、終わった後、一日2人とも暇だったので話をしたり、急に釣り船に乗せてもらえることになり、2人して「ラッキー!」といって遊んだのがきっかけとなって知り合いになったのだ。
1997年、有人島最南端、波照間島から千葉の大東まで、村田泰裕氏とタンデム艇で「エビカニ団」を結成して漕破。その後伊豆からシングル艇で最北端、北海道宗谷岬まで単独で行き、カヤックによる日本縦断を成功させている。このあと北海道や沖縄本島で働いたのち、西表島に来ており、当時、このような人力旅行に興味があったものの、まわりにそれらしき事をやっている人がまるでいなかった僕には、この人の出現はかなりセンセーショナルで、衝撃的だった。
このような経歴の持ち主である事もあるが、それに加えこの人のなんとも云えぬ独特な雰囲気が好きで、休学中僕が働いていた写真屋に僕が辞める3日前から働き出したことや、その後もカヤックを漕ぐという共通の縁もあり、島に来るたびに何かあれば会う事が多くなってきていた。
船浮には、「そんな事もあったな~」という感じで雑談をしながら行ったのでほどなくしてたどり着いたが、実際に漕いだ感じは思ったより遠かった。
部落にある唯一の売店で、ビール3ケースと、ちょこちょこした物を買ったがさすがに24人もいると、一人一本だけでもダンボール一ケースが必要になるので、えらい量になる。気にせずガンガン飲んでいたが、南風見田浜から鹿川まで行ったとき、カヤックは一体どのような状態になっていたのか・・・・!?想像しただけで身の毛もよだつ。
小さい部落なので、あまり買いすぎるわけにもいかず、オバァの了解を得て、買っていくことに。
そして買出し組の特権として食堂に入り、「ガハハ」と、生ビールをいただいた。うーん、この泡のクリーミーさがたまらん!!
カヤックに水とビールと氷を詰め込み、再び漕いでキャンプ地に戻るとすでに12時を回っており、中川さんと大城さんの手によって裸人のオジイにもらったシルイカ(アオリイカ)のイカ墨スパゲッティーと、昨日の残りのスープで作ったスパゲッティーが出来上がっていた。そいつをパパッと食べきってしまい、恐ろしく手際よく片付けとパッキングが済まされ、ミーティングも済まして2時半には出発となった。 まっすぐ次のキャンプ地のモクタンの浜に行ってしまうと、とくにやる事もないので、本郷さんはシャワーを浴びたいという女の人と内離島の滝に行き、中川さんは生ビールを飲みたいというお客さんたちと船浮に。僕は一人船浮の裏にあるイダ浜に行って獲物を獲ってから行こうと思ったが、本郷さんに「ダメっ!!」っと、きっぱり断られ、大人数でクイラ川に行く大城さんのヘルパーとして付いていく事になった。 西表島名物といえばイリオモテヤマネコの他にマングローブがあげられるが、確かに今回のお客さんの中には西表島にはじめて来た人も多く、そういう意味ではクイラ川に行くのはいい事だが、正直そのマングローブ以外、とくに何もない川なので、つまらない。さらにカヤックを漕ぐ時の腰痛が、どうも悪化しており本音ではあまり長距離が漕ぐのがきつくなっていた(スイマセン、かなりブッチャけです)。
強烈な西日の逆光を浴びながらクイラ川をさかのぼっていく。先頭を大城さんが行ったので、最後尾を僕はルアーをキャストしながらのぼって行ったが、何も当たらず、腰が痛かったので漕ぐだけに集中した。支流に入りマングローブに囲まれた水路はそれだけでも十分面白いらしく、お客さんはジャングルクルーズのようなカヤッキングに満足してくれていたようだ。僕は腰痛で顔を引きつっていたが・・・。 プロはきついぜ。
4時半頃、折り返し、そのままモクタンの浜に上陸する。日も傾く寸前だった。
浜には最近問題になっている異常潮位のために、ほとんどが波に洗われており、何処にテントを立てていい物か、ガイド全員で頭を悩ました。 内湾のアマモ場が広がる浅瀬にある砂浜なのであまり海はきれいではないが、外がどんなに荒れていても、ここではキャンプが出来るので西部のカヤックショップにはよくビバークなどに使われている場所のようだ。波打ち際には黒い石炭が打ちあがっているが、モクタンの浜という名前はこの石炭に由来するのではなく、この浜の先の山の中に昔、炭焼きの集落があったためだと中川さんから教わった。
お客さんと到着祝いのビールを飲んだ後、今日の煮炊き用にマキを集め、適当なところにかまどを作り火をおこしだしたのだが、ここで僕はヘマをやらかした。 足を鉈で切ってしまったのだ。 細くて弾力のある枝を折ろうとしたがうまくいかず、しかたなく中川さんに鉈を借りて叩き切ろうとした。
そうしたら、鉈を叩きつける角度が良くなかったらしく、枝が鉈をはじいてしまい弾いた鉈が僕の右スネにあたってしまったのだ。
「ドスッ!!」
という感覚があり、「あ、やっちまった・・!」と思った時にはもう遅く、
「ぱかっ」という感じで皮膚が裂けたかと思うと、ドロリと浅黒い血が流れ出てきた。
妙に擬音が多くなった表現になってしまったが、とっさに傷をふさいでいると側にいた中川さんが気付いてくれて、マキュロンをこれでもかというくらい傷にかけてくれ、救急用テープで皮膚を引っ張り傷をくっつけてくれた。少しでも動くと傷が開くのでガムテープでがんじがらめにして明日までやり過ごす事にした。
「しまったなぁ・・・・今日に限って縫合用の糸と針を忘れてきてしまったなぁ・・・」
昔、漁師に船の上での縫合の仕方を習ったことがあるという大城さんは、妙に残念そうに、僕の顔を見つめていった。なんだか助けてくれるというより、久しぶりに「やってみたい」といった感じで、残念だか、うれしいんだか、助かったんだか、なんだかよくわからない複雑な気持ちになった・・・・。 しかし、実際手伝いだということでこのツアーに参加したのに、怪我の為に何も出来なくなってしまった。とんだお荷物だ。せめて食事の支度くらいはやろうと思っても「まぁいいから休んどけ」と制止され、端の方に座らされてビールではなくジュースなどもらっていた。
仕事ができないこともあるが、普段後輩とキャンプに行く時は鉈や斧の扱いに関して口すっぱく注意している自分が、こんな下らない事故をおこし、多くの人に気を使われるのがとても後ろめたく、情けなかった。
「俺は何をしに来たんだ?」
足にガムテープを巻き、ビッコを引いて歩いている僕に「大丈夫?どうしたの?」と、お客さんに心配される度にそう思った。
夕食はクラムチャウダーにチラシ寿司という、はたから見るとすごい組み合わせだが、こいつがムチャクチャ美味く、全部自分だけで食べてしまいたい衝動にかられたが、それはお客さんにまわし、僕らガイドは米を炊くのに使ったダッチオーブンにへばりついたオコゲで大城さんが作った雑炊を食べた。賄というのは、主役の料理並に美味い物だ。 食後はいつもはお客さんとガイドは別れて話をし、時々大城さんがお客さんがホストに回るといったものだったが、今夜は最後の夜という事で転がっている馬鹿でかい流木を丸ごと燃やして巨大な火を作り、みんなで飲むことになった。
みんな好きなところに座ってビールや泡盛を飲み、色々な話をしていたが血がとまらないと困るので酒を飲めない僕はすっかり意気消沈してしまい、しばらくはお客さんたちと談笑していたが、早めにテントに転がり込んで寝てしまった。
怪我自体はスネの骨のおかげで深くはないようで、痛くも対してないのだが、今後どう様態が変わるかわからないので、それがこの先まだ旅を続けていく僕には憂鬱だった。
何より海に入れないのが辛いではないか!みんな口をそろえて「濡らしちゃダメだ」というが、それでは潜って魚を突くどころか、カヤックに乗る事だって厳しいではないか。これから沖縄本島に渡り、ケラマ諸島に渡ろうという僕にはえらく厳しい現実だった。
テントのすぐ側まで波がきていたが満潮を過ぎて水没の危機は免れたようだ。この日もモッコウが酷く、あまり眠れなかった。
朝7時に目が覚めるとすでにほとんどの人が起きていて、浜はにぎやかだった。
ふと、右足に目をやると、ガムテープの隙間からビックリするくらい血が出ていたが、不思議に痛くない。ガーゼを取り替えてみんなのところに行く。
朝食を作って食べ、カヤックへのパッキングを済ませると9時30分になってしまった。今日は皆さん、昨日いけなかった「水落の滝」を見に行き、その後白浜にゴールするという予定で、僕は中川さんとタンデムで先に白浜に行き、診療所に行く事になっていた。カフナは大城さんが乗ってきてくれることになった。
僕が一足先に帰ると聞いて、みんな握手を求めてきて「ごくろうさま」「魚、美味しかったよ」「お大事に!」「カヤックの旅、頑張ってね」・・・など、言ってくれるが、実はまた白浜で合流するとは・・・なんか今さら言えない雰囲気になってしまい、ガイド3人も困惑した顔になっていた。
右足を防水バックにつっこみカヤックに乗り込む。別にここまでする必要はないんじゃないかと思ったが、せっかくの気遣いだし、先輩の言う事は聞いておこうと思った。
中川さんとはたまに会う程度であまり話をする事も、このツアーの手伝いをするまでなかった。本郷さんは昔から知っていたし、元ぱぴよんのガイドという事でたまにショップに遊びに来る事もあったが、中川さんは同業者、商売敵という事もあり、まともに話をする事もなかったのだ。
もともと西表島の中では大きい会社のカヤックツアーのガイドをしており、そこを退職して独立し、自分のカヤックガイドショップ「海歩人(うみあっちゃー)」を作った。ノウハウもほとんど独学でカヌーの師匠もいないという中川さんは、それまでよくわからない人という感じでいた人間像よりも、はるかに面白い人間なんだなぁと思った。詳しい事は「海歩人」のHPを見ればわかると思うが、西表島に根を下ろしている人間は一筋縄では行かない人達、悪く言えばまともな生き方をしている人はいないと、再確認した。これ、別に見下してるわけじゃなくて、僕からすればスゲェ尊敬の表現です。 途中、白浜からタンデム艇が一艇、近づいてきた。前に乗っている女の人が「あ、中川さんだ!なんでこんなところにいるの?」と声をかけてきた。カヤックガイドなんだから、何処でカヤック漕いでたっていいだろうが・・・と、関係ない僕が心の中でつっこんでいると、後ろの男の人もこちらに挨拶してきた。ガイドっぽかったが、見たことがない。
2人と別れた後、中川さんに聞くと、あの女の人は前に中川さんのツアーに参加した事があるそうで、後ろの男の人は新しくダイビングショップから独立してシーカヤックショップを開いた人らしい。 西表島はとにかくカヤックガイドショップが多い。
「西表島カヌー組合」に加入しているショップだけで約40くらい。それ以外でレンタルしたり、民宿などでガイドしているところを加えれば60は越えるんではなかろうかと以前、本郷さんが言っていた。
こんな小さい島にそれだけのショップがあるのは、正直言って異常である。
これは通常の流れのある川と違い、スタート地点もゴール地点も同じ場所でできる西表島の流れのない川、そして独特の興味を引く自然環境、入江状の湾と川がどんな荒れた天候でもカヌーの漕行を可能にすること、シロートでも漕げるということが、多くの観光客が訪れるこの島では、安定した収入を保証してくれるためだろう。
とくに人気のある船浦湾のヒナイ川とヒナイサーラの滝、西田川は、あまりに多くの人が一度に入ってしまうため、人数制限を設けなくてはならない状態にまでなってきている。
ここまでカヤックショップが流行ってしまうと各店舗、個別化を図っていかないとやっていけない。とくにカヤックだけでやっているショップは大変で、トレッキングやそれにカヤックを組み合わせた事などもやり始めている。
「もう西表島にはカヤックショップは要らない」
そんな声がどこからともなく聴こえてくる。こういう現状の中ではこれから独立を考えているショップのスタッフは自分ならではのオリジナリティーがないと西表島では難しそうだ。 白浜にはガイド2人で漕いでも30分ほどかかった。
ここで中川さんはみんなと合流する為に、一人でタンデム艇を操って水落の滝に向かっていった。僕は本郷さんの車を借りて祖内にある診療所まで行くはずだったが、教えられたカギの位置がわからず、もしものためにと中川さんに教わった中川さんの車のカギの位置を探り、中川さんの車で祖内に向かった。
診療所に行くと、大城さんには「俺なら5針は縫うな~」と言われていたのに、縫う事もなく、応急処置のときと同じく消毒してから医療用の強力なテープで傷を張り合わせるだけで、あとは破傷風の予防注射をうつだけですんでしまった。
あいかわらず「傷を濡らしちゃダメだよ」といわれたが、このとき僕は海には入っていたものの、かれこれまともに石けんで身体を洗ったのは一週間ほど前の話になっており、とてもバッチク、臭かったはずだ。いくら西表とはいえ、診療所の待合室にいた時は周りの人に迷惑をかけていないか気を使ってしまった。そんな身体だから早くシャワーを浴びてサッパリしたかったのに、この傷のせいでシャワーもまともに浴びれないとは・・・!!
シャツよりもきれいな包帯を見つめながら、僕は白浜港でみんなが帰ってくるのを日記を書きつつ待った。 約束の12時緒過ぎても船団は見えず、今回の遠征に船を貸していた村田自然塾のヒゲさんなども迎えに来ており、話をしたりして待っていると、しばらくして船団の先頭が見えてきた。
到着したのも束の間、急げ急げとみんな休むことなくカヤックの中身を放り出して用意された車の荷台やトラックに荷物をぶち込み、男のお客さんと協力してカヤックをトレーラーに積んでいく。このへんの手際のよさが、いかにもカヤックツアーに毎回のように参加しているお客さんのいいところである。僕はその間に急いでカヤックを解体する。あとあと考えれば、潮抜きをいっしょにしたので、解体することもなかったのだが・・・。 星の砂浜にある「星砂亭」にてシャワーを借りてみんなお客さんは汗と潮を流し、それまで着ていたパドリングジャケットやウエットスーツを脱ぎ、普段の格好になっていった。するとそこにはそれまで潮まみれになって無邪気に遊んでいたオヤジやおばさんではなく、インテリな紳士、淑女が現れた。都会でも、アウトドアでも同じような格好をしている僕にはこういうのはとてもかっこよく感じてしまう。2つの世界を行き来しているみたいでいいではないか!
昼食をここでとり、上原で解散の予定であったが、海が時化てしまい、西部に来る船は欠航。急遽大原港まで行く事になった。みんなあんなに海は穏やかだったのになぁ~と言っていたが、確かに西表島の内湾は外洋が荒れていても穏やかな物なのだ。 大原港に着き、ここで皆さんを送った。大城さんとも那覇で再会する事を約束し、握手をして別れた。
その後は海歩人にいってカヤックを洗ったり、パドルやその他コッヘルなどを洗ったり片付けたりして、ついでに僕のカヤックまで潮抜きさせてもらって、夜は本郷一家に「大将」で夕食をご馳走になった。
紆余曲折、いろいろあったけど、なんだかんだで大原から白浜までの西表島無人地帯のカヤックの旅は無事(でもないが・・・)終える事ができた。
本当は単独で一周したかったのだが、それはまたの機会とし、今回の旅はこれはこれでよかったと思う。前々から本郷さんとはもう一度いっしょにカヤックを漕いでキャンプしたいと思っていたし、中川さんとも仲良くなれたし、何より大城さんと知り合いになれたのは、これからシーカヤックをやっていくうえでとてもいい出逢いだったと思う。
仲間川を出発して約10日間。当初の予定をかなり変更してのカヤックによる旅だったが、それなりに満足できる旅だった。
2日後、僕は西表島を離れた。
半周から帰ってきた時、ぱぴよんには僕が住んでいた寮の庭に生えていたガジュマルの木が移植されていた。
今度来るときはこの木も、元気に枝を出していることだろう。
INFORMATION
各アウトフィッター
LINK参照 ・漕店(そうてん)
沖縄本島
TEL:098-859-1253
URL:http://www.h3.dion.ne.jp/~souten/
EQUIPMENT(この旅での赤塚の装備)
カヤック(フェザークラフト:カフナexpedition)、パドル(フェザークラフト:コーモラント)×1(予備無し)、ビルジーポンプ、PDL、キャップ、サングラス、テント(モンベル:ムーンライトⅡ)、タープテント(モンベル:ミニタープ)、マット、シュラフ、ストーブ(MSR:ウィスパーライトインターナショナル)、コッヘル、洗面具、調味料(醤油、砂糖、塩、コショウ、サラダ油、ごま油、本だし)、インスタントコーヒー(ネスカフェ:ゴールドブレンド)、着替え(シャツ、パンツ、パレオ、カーゴパンツ)、ラジオ、予備乾電池(単一×4、単三×4)、水中ライト、ヘッドランプ、潜り道具(ウエットスーツ、マスク、シュノーケル、フィン、ブーツ、ダイビングナイフ、ウエイト5kg、軍手)、水中銃、スカリ、ボンテン、釣竿(UFMウエダ:ソルティープラッガー)、釣具(各種ルアー、リール、予備ライン、ハリ各種)、食料(米2kg、パスタ、サバ缶×2、レトルトカレー×2、ミートソース缶)、水(2リットルペットボトル)、酒(ビール×2、泡盛2合)、行動食(カロリーメイト、黒糖、スニッカーズ、オールレーズン)、文庫本×5、ファーストエイドキッド、バックパック、ウエストバック(フロントバックとして使用)、防水バック、ロウソク、ライター、携帯電話、カメラ、予備フィルム、ナイフ、出刃包丁、手ぬぐい、海パン、便所サンダル、めがね、日記帳、筆記用具、裁縫用具