ちょっと後輩と西表島無人地帯漕いできました

西表島・船浮~網取 カフナデビュー
~南風見ぱぴよん編~
2003年3月末 

 

 
 2003年3月。西表島南端にある「南風見田浜」でキャンプをし、見事目標であるロウニンアジを仕留めたあと、僕は当時まだ常連客でしかなかった「南風見ぱぴよん」で新城島に後輩と3人、カヤックで行ってキャンプを行う予定であった。 
 キャンプ場に置いてあるママチャリに乗って大原のスーパーまで買出しに行く途中、豊原にある「ぱぴよん」を訪ね、予約をする事に。 ところが、この時ぱぴよんにガイドがオーナーの山元さんしかいなくて、キャンプツアーは正直キツイと言われてしまった。「置き去りキャンプ」でもよかったのだが、話を聞くと、別のお客さんを相手に2泊3日で船浮周辺のキャンプツアーが入っているようなのだ。
 その話を聞いた時、2人同時にいいことが頭に浮かんだ。 
 「赤塚、おまえ魚獲れるからちょっと手伝え!」 
 「いいっすよ。あの辺はあの辺で面白いし…。パナリは捨て難いけど、まぁいいっす」
 こうして西表島無人地帯2泊3日ツアーに便乗する形となったのだった。
 思えばここで山元さんといっしょにツアーに出たのが、その後僕がここで働く事になったきっかけになったのかもしれない…。
 
 話がまとまったところで急いでキャンプ場に戻る。予定ではあと3泊はするつもりだったのだが「明日からカヤックでキャンプだ!」…と、独断で決定してしまった僕は後輩二人に何の前触れもなく伝える。
 「あ…はい。」
 意外と柔軟な思考の二人。荷造りをはじめる。僕はカヤックをたたみ、明日すぐに出られるようにしておく。ところがこんな時に限って毎年会っていたのに会えなかったボーラ浜のキャンパーに会ってしまい、夕食後ちょっと遊びに行く。後輩二人は来なかったが、各種刺身などをいただき、原住民の生活様式の精巧さに感嘆しながら帰宅。
 翌朝、6時半に起床した物の、片付けは時間ギリギリまで続き、何とかパッキングが終わったと思ったら、ぱぴよんのデリカが約束の8時半よりも早く来てしまい、まだ食器が散乱していたのを急いで片付ける。山元さんは渋々待っていたが、絶対にイライラしていたはずだ。今ならなおさらわかる。間違いない…。
 ぱぴよんに着いてからもキャンプに持っていく荷物だけを選別し、残りの大量の荷物は店に置いておかせてもらう。なにしろ今回の2週間近いキャンプ生活の食料を全部事前に石垣島で買出ししてきたので、その荷物の量は半端ないのだ(ビールまでダンボールで買っていた)。
 山元さんは先に今回のキャンプの本来のお客さんを迎えに行き、その間に荷物をまとめると、今度はみんなして車に乗り込み、一路島の反対側、白浜に向かう。
 今回のキャンプは西表島の道路の終点、白浜港からカヤックを出し、船浮、網取と船でしか行けない部落をまわるという物だ。この周辺は道路がないうえに、湾になっていて比較的穏やかな事が多いのでのんびりするにはいいのである。 みんながパドリングの講習や、フッドペダルの調整などをしている間に、急いでカフナを組み立てる。
 時間がないのですぐに出発。 この時気付いたのだが、何気に後輩二人は初めてのシーカヤックだったのである。一番最初から2泊3日のキャンプ、それも西表島…。何と贅沢な奴らだ…。
 だがそのぶんヘタクソだ。パドリングもままならない。
 しかしべた凪のうえに、風は限りなく無風。楽勝である。どんなヘタクソでも前には進むし次第に二人とも慣れてきた。
 本来のお客さんは夫婦で、タンデム艇である。普段はK-2に乗っているらしく息もあっていてうまい。
 

パドリング講習。えっちらおっちら

 
 船浮に向かう手前の岬で昼食。 アオリイカの大群(20匹くらい。それもかなりデカイ!)が見えたのでエギを投げようとしたのだが、ショップに釣具を置いてきてしまった!ナ、何でこんな時にかぎって…。あんなにたくさん荷物を持ってきたのに肝心な時にないとちょっと虚しい…。 仕方なく銛を持って泳いで近づく。
 「bajauさん、もっと右!右!あ、今度は左に逃げた!あっ!あ…」
 岬の上から指示されイカの群に近づくが、結局一匹も確認する事はできないうちに散ってしまった。びしょ濡れのままカヤックに乗り再出発。悲しい…。
 クイラ川の方に向かい、水落の滝に行く。ここは入り江に直接滝が落ちていて、昔の船乗り達が船に乗ったまま水が汲める場所という事でかなり重宝された場所のようだ。
 マングローブの林の中を通っていくと滝が見えた。
 しかし水不足の為か前に来た時よりも水量が足りなくて迫力に欠ける。お約束で後輩一人を滝に突っ込ませる。夏は気持ちいが、この時期はまだちょっと寒い。でもこの海に直接落ちる滝というのは、その存在自体だけでも面白い。カヤックだとこういうところにも簡単にこれるからいいね。うん。
 滝の上には幻のツツジ、セイシカ(聖紫花)が見れた。
 
 
 しばらく遊んでからまた湾に出て、船浮部落を横目に漕ぎながら、その裏にあるイダ浜に向かう。パドリングの時間としては2時間あるかないくらいで非常にのんびりしたものだった。今日はここでキャンプである。
 テントサイトを作ると夫婦は2人でカヤックに乗ってあたりを漕ぎに行き、僕らは山元さんと今日の晩飯を取に行く。僕はカフナではなく、hiramasaの白鯨に乗り、奴と二人でポイントをめぐり、Fは山元さんと組んで獲物を追った。
 このポイントは結構地形にメリハリが無く、ただサンゴ礁がダラーッと続くような場所なので魚はリーフの中にいるようなものがほとんどだ。
 魚は僕がハマサキノオクサン(トガリエビス)、hiramasaがツマリテングハギという微妙な魚を突いた。魚があまりにもいないのでタカセガイを5~6個、サザエを同じくらい採り、hiramasaは格闘の末ワモンダコのオスをゲット。これはなかなか食べでがありそう。
 浜に戻るとすでに山元さんとFがギーラの殻をむいている所だった。カヤックの中身を見ると馬鹿でかいアバサー(ハリセンボン)とツバメウオ、コショウダイが見えた。ツバメウオはFが突いたのだが、あまりにもうれしそうなので僕らは顔を引きつらせて笑うしかなかった…。た、食べるのか…あれを。
 焚き火にかかっている鍋を見ると既に大量のタカセガイが湯がかれており、それをほじくりだして山元さんが「これでもか、これでもか」という感じでスライスしている。
 「んー、ちょっとがんばりすぎたな…。獲りすぎた…」

 

 
 いつもは山元さんが一人でキャンプツアーのお客さんをまかなうだけの獲物を採ってくるのだが、今回はそんないつものペースで採った上にさらに僕ら3人があれこれ獲ってきたので大量の獲物が揚がってしまったのだ。
 ちょうど西表島南海岸を横断しようとしている男の子が3人テントを張っていたので彼らにも声をかけて晩飯をいっしょに食べようということになった。
 仕事を後輩2人に任せ、僕はイダ浜から森の中を歩いて船浮部落に向かう。
 島酒を買いに行くお使いもあったが、この年の卒論でお世話になった海人のNさんに出来上がった卒論を渡す約束をしていたからである。 Nさんの家に行くとおばさんでっかいガクガク(ホシミゾイサキ)を庭でさばいている所だった。Nさんはちょうど風呂上りで、その陽に焼けた茶色の目で僕を見据えた。
 「おー、おまえか!どうした、え?」 
 卒論を渡し、しばらく海の話をする。もっと漁の話を聞きたかったが、懐中電灯を忘れたので暗闇の中、イダ浜に戻るのは不安だったので夕暮れ前に戻る事に。
 「忙しい時期になったらノボルさんじゃなくて、こんどはうちの手伝いに来い!」 
 んー、キャンプツアーの途中でなければもうちょっと居座りたい所だが、仕方ない。約束も果たせたしこれはこれでよしとする。 
 戻るとみんなかなりできあがっていた。
 つまみはタコの刺身、タコのブツキムチ、タカセガイの刺身、タカセガイのバター炒め、タカセガイキムチ和え、ギーラの刺身、各種魚の刺身…と、とにかく多い。タコの半身は焚き火の上に吊るされて燻製にされている所だった。
 ビールをもらい、一気に飲み干す。ウメーェ! オリオンビール最高!つまみも極上!これぞ西表のキャンプといった感じである。
 夫婦のご主人はかなり出来上がっていて、僕が帰ってきたときから既にへべれけになっていた。僕の後輩2人も妙にテンションが高い。
 いっしょにキャンプしていて誘った3人は、2人は大学のワンゲルOBで、毎年西表島の南海岸横断は行っているようで、明日にはサバ崎を回り、山を越えて鹿ノ川湾には出たいという。もう一人は普通のバックパッカーで、のんびりとマイペースで山越えをするそうだ。同じ大学生という事で後輩2人とワンゲルOBは自分達の入っているサークルの話などをして盛り上がっていた。 あれほどたくさんあった貝もタコもなくなった頃、山元さんが密かにコトコト作っていたシチューとご飯が出てきて、それもしっかりといただくと、腹もかなり満足して3人はテントに戻り、僕らもテントに戻っていった。

 
 翌朝、テントから出て焚き火の場所に向かうと、すでに山元さんがホットサンドを作っており、鍋にはアバサー汁ができていた。
 「いい時に来たな。来た奴から喰ってきな」
 そういわれ、サンドイッチを頬張る。外はカリッと、中はふっくらという感じで美味い。アバサー汁との相性はともかく、昨日の貝の残りやバイキング方式のサラダなどで朝からしっかり食べておく。 
 朝食後、色々片付けなどをした10時頃、再びカヤックに乗って出発。 今日も距離的にはそんなに漕がず、サバ崎を越えて網取湾で一泊するとの事。出だしは好調だったが、サバ崎をまわる際リーフを越えたサーフが横から来るので、素人2人にはちょっとテンパる状況になってきた。面白いので後から眺めておく。 
 「オラーッ!しっかり漕がないとひっくり返るぞー!!」
 山元さんの罵声が轟く。実際、「白鯨」は随分と安定した船なのでしっかりフォワードストローク(要するに普通に前に進む漕ぎ方)をしていればこの程度の波ではひっくり返る事はないのである。 多少のスリルの中から、自分で状況判断していく楽しさ。こういうものをいきなり叩き込まれるのが「南風見ぱぴよん」である。
 サバ崎の一番荒れる場所を過ぎると前方にゴリラ岩が見える。まるでゴリラが横を向いて座っているように見えるのでダイバー等からこう呼ばれているのだ。

 

 
 ここを過ぎると今度は網取湾を横断する。沖からかなり大きいうねりが入ってきており、前を漕ぐカヤックが時々視界から消える。上陸予定地の目の前に巨大なサーフが巻いているので、そこを迂回して浜に上陸。東海大学の研究施設がある網取だ。
 昔、それもつい最近の戦後までここには集落があったのだが、今は廃村。人は住んでおらず、この研究施設だけが水産資源や海鳥の調査の為に使われている程度の場所だ。 浜に到着するとコーヒーを煎れて軽い食事をとる。サーターアンダギーにクラッカー、ハッサク、ちーカマというシンプルな物。コーヒーを煎れるのを失敗して物凄い濃い奴を飲む羽目になった。
 

 
 しばらく休憩。山元さんは昼寝。夫婦は軽くツーリングに行き、俺と二人はビーチコーミングをしながら辺りの散策。年齢と行動が比例している。
 3時位に俺らはシュノーケリング。魚影が物凄く濃いがイマイチ大物がいない。チヌマンとダルマーの群がすごかったが小物しか寄らなくて結局30チョッとのミーバイ(ヒトミハタ?) しか獲れなかった。Fがいまいちパッとしないイラブチャーを獲ってきた。hiramasaはボーズ。
 その日の夕食はガスバーナーで焦げ目をつけて作ったマカロニグラタンとイノシシのチャンプルー。そして俺の獲ったミーバイ汁であった。
 マカロニグラタンはまさかぱぴよんのキャンプでそんな物を食べられるとは思わなかった意外性と、オーブンやダッチオーブンを使わなくとも作れるのかという驚きもともなってとても美味かった。イノシシのチャンプルーもニンニクの葉が良いアクセントとなって皮のコリコリ感が僕は好きだ。
 

 ここでガイドの山元さんについて。 このおっさんは只者ではない。職業は現在シーカヤックショップオーナーだが、副業が西表島で唯一のハブ獲り師。素手で獲っているだけにすでに八回も噛まれている(当時)。
 島外出身だが若い頃はマグロ漁船に乗り世界各国をまわり、北海道でキャバレーのオーナーをし、その後職を転々としながら20数年前に西表島に移住。 「南風見ぱぴよん」の名の由来は昔、蝶の採集と繁殖業をやっており、スティーブマックィーン、ダスティンホフマン主演の映画「パピヨン」が好きだからという様々な説があるが定かではない。 カヤックをやりだしたのは15年程前から。カヤックは沖縄の船、サバニを基にしたオリジナルカヤック「白鯨」を自ら作っている西表島の海、山を知り尽くした完全なるアウトフィッターである。 但し酒癖が相当に悪い。注意されたし。
 
 
 

 

 そんな物凄いおっさんだともつゆ知らず、御飯をよそってもらう人達。つまみに出てきたのは昨日のタコの燻製。マヨネーズがよく合う珍味だった。 この後、山元さんはヤシガニを探しに行ったがすぐに「ここにはいない」と言って帰ってきた。暇だからと電灯潜りに出かけ、俺たちはヤシガニ探しに出かけたが無論見つけることはできず。
 山元さんはでかいタコとゴマモンガラを獲ってきた。
 
 この日は月が半月だったのにもかかわらず物凄く明るくて風がまったくなく、ロウソクの火が真っ直ぐに昇っていた。泡盛に紅茶を入れて割って飲む。通称ブランデー。あったまってうまい。 昨日とは打って変わって静かな夜になった。

 
 翌朝、物凄い朝露がついていた。それでもかまわず山元さんはいつもと同じように雨合羽だけを着て焚き火のそばで寝ていた。この人はテントを使わない。西表の野人カヤッカーと呼ばれる由縁の一つだ。でも焚き火のそばでは寒くないし、より自然に身を置く事ができるのでなかなか気持ちよく寝むれる。もちろんタープはするよ。
 夜露で濡れた物を乾かし、昨日獲ったゴマモンガラの皮をはぐ。それを具にしてパスタを作ったが水がないから海水で茹でたために恐ろしく塩辛く、何故か函館直送のイカの塩辛がベストマッチだった。早々に食器を洗い、カヤックに荷物をパッキングして白浜に向かって出発した。
 来た時はリーフエッジは波がすごかったが今日はベタベタ。真っ直ぐにゴリラ岩に向かう。その手前でリーフから出て外洋を漕いで行く。これなら来た時みたいな苦労はいらない。

 ところがサバ崎を出た辺りから物凄い向かい風。カヤック経験者なら「これが基本」という感じだが初心者にはチョと辛い。hiramasaも「こんなにパドルって重いもんなんすか?」と言っていたが、まぁこれまでの条件がよかっただけなんだな。だから早めに基本を覚えないとこういう時に辛いのだ。
 案の定というか、ナンと言うかFがテンパッてきて、いつまで経っても覚えの悪いFについに山元さんが吠えた。 「おい!右に行くのに右を漕ぐ奴がいるか!左を漕げ!前をしっかり見ろ!」 スパルタショップぱぴよんがここにあった。
 うーん、でもまぁこれは僕の後輩だからという事もあるのだろう。しかしそれにしてもFのカヤックがまっすぐに進まないのもちょっと異常じみている・・・? 
 向かい風の中、何とかイダの浜沖に着き、桃源岬を回ると風も少しマシになってそのまま船浮のスロープに上陸。俺と山元さんはFが来るのを待つ。
 無事Fも到着。やけにくるくる回る男だなぁと思っていたら荷物を後にだけ入れて前が空だったのだ。これではこの風では船が左右に振られる訳だ。荷物を入れ替えさせる。その後ちょっと漕いで見ると一気に操作性が増してF自身が一番驚いていた。

 
 
東海大学実習船「銀河」の下でお昼寝タイム 

 
 船浮集落唯一の商店で買い物をし、前にある「ゆんたく広場」で軽い食事。
 ビールを買ってもいいというので迷わず、そして厚かましくも発泡酒ではなくオリオンビールをチョイス。カヤックの後のビールは最高に美味い。30秒で飲み干してやった。
 食後1時間ほど休憩を取り再び出発。内パナリ島の前まで来ると風が追い風になり漕がなくても進んでいった。見る見る白浜集落が近づいてきて、何ともあっけなくゴールしてしまった。
 白浜港には他のショップの人達もツアーから帰ってきており、僕は急いでカヤックをばらし、車に詰め込む頃には他の人の仕事も丁度終わっていた。

 カヤックツアーは終わり僕らは豊原へと陸路を走った。