11月16日
リーダー/原田
隊員数/12名
漕行距離 約45㎞ 直島→白石島
朝5時に起床。早く寝た事もあるが、周りのごそごそ動き回る音で目が覚め早朝出発と聞いていたのでこんなものだと思っていたのだ。
テントから這い出るとあたりはまだ薄暗く何も見えない。 MSR でお湯を沸かし、昨日の残飯にかけてお茶漬けにする。今回は MSR での燃料は赤ガスを使用した。それはより本格的な遠征を設定している訳ではなく、ただ単純に白ガスを充てんしてくるのを忘れただけだ。直島の港から歩いて5分ほどの所にガソリンスタンドがあったので1リットル 150 円で購入する。赤ガス使用だと煤が出るので常に強火にしないとガソリンが噴出す部分がすぐに詰まる。だから米を炊くのには難儀した。
飯を食い終わり、あたりが明るくなってきた所でテントを撤収し、カヤックにパッキングしていく。途中、ファルトボートが珍しいのか何人かの参加者が話し掛けてきた。
「おはようございます!」
振り向くと黄色いドライスーツの男がいた。昨日は夜遅くに来たらしく会えなかった、今回メール等で連絡をくれた山口県の原さんだった。アカデミーで少し話をしただけだったので顔がうろ覚えだったので、ちょっと驚いた。
6 時 45 分近く、波打ち際にカヤックが並ばれ、海図を持った内田さんの所に人が集まりブリーフィングとなった。
初日の参加者は 12 名。そのうちファルト参加者は僕を含め 2 人もいた。もう一人は僕よりも遠く仙台からきた本橋さん。舟はアルフェックのエルズミアだ。ファルトが自分一人でない事に少し安心する…。
これといった自己紹介も無く、目的地も聞くことなく、午前 7 時、出艇となった。リーダーは原田さん。
早朝の瀬戸の浜に、何人かの見送りに見守られながら出艇する。空は曇り空。風も強いが追い風だ。直島の沿岸をでて、いきなり瀬戸内海の中枢を目指して漕ぎで行く。はるか沖合に薄っすらと、島に隠れた線が見えた。瀬戸大橋だ。
パドリングペースは最初に聞いていたよりはゆっくりだった。事前に原さんのショップのブログを読んだら、恐ろしいペースで漕いで練習していたので「さすがにこのペースは奄美のレースに出たときよりも厳しいぞ…」と、脂汗をかいたものだが、実際は時速6~7キロといったところだった。パドルはいつも使っているニンバスのグリーンランドパドルはさすがにキツイと思い、久しぶりにコーモラントを使用しフェザーリングで漕ぐ。西表島の仕事ではフェザーリングで漕いでいたのでとくに困りもしなかった。
最初の2時間はとくにペースも乱れることなく、みんな固まって漕いでいく事が出来ていた。むしろ僕は皆に遅れまいと必死に追いつこうといつもより多めにパドルをまわしていた。おにぎり島と呼ばれていた大槌島を通り過ぎ、最初の休憩。基本的に1時間漕いでは 10 分休憩する…というのが横断隊の漕ぎ方のようだ。まさに基本どおりである。
風が追い風なので流されている時の距離はとくに気にはならない。再び出発。
風はかなり強くなって来ていた。追い風だからいいけど、向かい風ならかなり困った物だ…と、いうレベル。でもまだまだ余裕。風に押されながら正面に見える瀬戸大橋が近づいてきた。
手前にある釜島と室木島の間を通過する。この時、釜島から突き出た岬によって潮がもんどりうっており、見事な三角波ができていた。唯一の瀬戸内での激流経験があった小豆島の黒崎に似ている。岬から離れるに従い波はひどくなるので岬ギリギリを一列になって通過する。背後を見るとグチャグチャになった海が見える…。瀬戸内の瀬戸といった感じだ。
岬をまわると風裏にもなって海は凪いでいた。ここで休憩。上陸してトイレを済ませる。
今回のメンバーで初参加は僕だけのようだった。これといって誰とも仲が良い訳でもなかったのだが、西表島から来たというと、原さんと一緒に山口から来たゲンジュンさんが石垣島出身だというので話が弾んだ。見知らぬ先輩達を前に恐縮していた僕だが、ゲンジュンさんと話す事で少し心の壁が崩されたような気がした。
出発してからまだ 2 時間。 9 時に釜島の風裏を出発し、瀬戸大橋越えだ。
明石海峡大橋、大鳴門橋、しまなみ街道とならび、瀬戸内の象徴的な本州との掛け橋、瀬戸大橋をくぐるというのは瀬戸内海を横断するという意味では非常に気持ちのいい物だ。櫃石島と岩黒島の間を通過したのは 9 時 45 分。左右に万里の長城の如く長く延びる人工物を確かめながらその下をくぐるのはなかなか感慨深かった。 NHK の「プロジェクト X 」などでその建造秘話などを知っているだけに、よくもまぁこんなすごいものを人間は造っちまうのかと感嘆する…。
瀬戸大橋をくぐると、風は若干穏やかになったように感じた。代わりに海面はベタ凪の場所と潮流によって細波だった場所が明確に分かれ、複雑な潮流が海面下に流れている事を物語っている。そういう境目に舳先をとられないように進路をとり、更に西を目指す。
風が無かったのも束の間、すぐに追い風が強くなってきた。波が後から襲ってくる。
徳島の尾崎さんは今回ラダーなしの舟に乗っていた。そのためか頻繁にサーフィンをしていた。僕もただのパドリングに飽きてきたのでせっかくの追い波だしと、波を捕まえてはサーフィンし、距離を稼いだ。リジットの舟よりもファルトの方が波に乗りやすいと思うのは僕だけだろうか?波に乗りやすいし、その波に乗っていられる時間も長い気がする。おかげでだいぶ楽することができた。それに楽しい♪
10 時半頃、この頃から隊のペースが乱れてきた。先頭集団と後続の集団とに分かれるようになってきたのだ。先頭集団が後の人たちを待つと、その場で手を休めてしまう。
「前に出てください」と言っても集団に交じるだけでやはり後に着いてしまう。そして漕ぎ出すと再び離れていってしまうのだ。結局後続の人たちは休む事ができず、先頭集団だけが「待つ」という口実で休む事ができ、体力も回復される。もちろん、一番休憩が必要な後続組みは休憩が短くなるという悪循環が生まれる。どこに行ってもこれはしょうがないことなのだろうか?船団を組んでカヤックを漕ぐ場合、目的地と時間との関係でペースはおのずと決まってくる。ペースメーカーがそれを維持している以上は、やはり遅れる人が悪い。だが、それは理屈で、現場ではそれでも目的地に目的時間内にみんなで着かなければならない。ではどうするか??ツアーリーダーとしては難しい所だろう。
結局、この時は離れたら先頭がしばらく待つ…ペースを下げるという作戦しか取れなかった。だが、こういう時は後続の人、自分が船団のペースを乱しているとわかったら、なるべく前に出て、自分がペースメーカーになる気分で漕ぐべきだ。先頭で漕ぐのと、シンガリで漕ぐのでは精神的にかなり違う。商業ツアーのお客ではなく、壱カヤッカーとしてならそうするべきだと思う。
いきなり後から漁船が近づいてきた。みんな避けようと舟をまげるが、どうしてもこちらに舳先を向けてくる。
「どこまでいくんだ~」
「白石島までー!!」
「なら大丈夫だー。この風じゃ帰れネーからなー」
優しい漁師の気使いだった。確かにこの風では後戻りする気にもなれない…。後で聞いた話では漁船が僕らの事を「海苔いかだが漂流している!」と、勘違いし、海上保安庁に連絡したという珍事があったらしい。事前に海上保安庁には連絡がいっているので心配はしていなかったようだが、白石島の原田さんは各漁協に連絡し、大変だったようだ。まぁ、確かにこれだけの船団でこんな風の中、漕いでいる人たちも珍しいしな~と思う。でもカヤックって、海苔ビシに見えるもんかね~??
11 時頃、手島沖を通過。右手には倉敷の工業地帯が見える。多くのフェリーや貨物船が通過し、なかなか船の多い場所だ。ここから島影に隠れることなく一気に海峡横断で笠岡諸島の白石島に向う。風は強くなり、さらに風向きが微妙に変わってきた。真後ろの東の風から北東風に変わり、右舷から波を被る事が多くなってきた。一言でいえば面倒臭い海だ。連続のパドリングで疲れ始めた人もおり、その中でこの風向きの変化はかなり堪えたことだろう。それでも前にすすむ意外手段はない。
13 時近く、やっと白石島を捉えた。フェリーをいなし、島の北をまわり込んで西側にまわる。何気にこの島の沿岸周りが一番波が複雑だった気がする…が、もうすぐゴールなので皆、はやる気持で先を急ぐ。
13 時半、白石島到着。上陸寸前で白石島の原田さんファミリーにみんなの写真を撮ってもらう。
「撮るよ~」と言われて撮られる写真は恥かしい…。
出発からわずか 6 時間半のパドリングだったが、強力な追い風によってかなりのスピードが出ており、この時点で 45 ㎞も進む事ができた。この日は白石島の原田さんの民宿でお世話になるというのでキャンプではなく畳で寝れると言う。しかも夕食までご馳走になり、風呂まで入れるというのだ…!瀬戸内横断隊、初日はかな~り贅沢な気分で過ごすことができそうだ。
みんなで舟を浜の上に揚げ、パドリングジャケットを脱いで陸着に着替える。民宿の計らいでドラム缶で焚火が焚かれ、さっそくビールの栓があく。正直、こんな早くから飲んでしまっていいのだろうかと思ったが、これがこの横断隊のリーダーの方針なのだから仕方がない…。
夕食はバーベキュー。しかも生簀からサザエやタイやハギ何かが出てきて、無造作に焼かれる。初参加、しかも初日にしてこんなご馳走をいただいた僕は「横断隊、楽しいな~」と、ひとり舞い上がっていたのはここだけの話だ。
徳島の尾崎さんは今日のみ参加で、明日は一緒に参加した植村さんと四国に引き戻るという。尾崎さんとはアカデミーでお会いしたことはあったが、これといった面識はお互い無く、今回がほぼ初めてだったが、僕が小豆島の芳地さんのところで働いていたということで、芳地さんがらみの話でだいぶ話ができた。せっかく会ったのに残念だ。
宴はだいぶ遅くまで行われたが、 10 時を過ぎるとほとんどの人間は睡魔に勝てず、三々五々、寝床に散っていった。