11月19日
リーダー/高橋
隊員数/12名 本橋離隊 井上幹夫合流
漕行距離 約37km 大三島→上蒲刈島
起きるとテントの中でシュラフに包まれていた。しかし、テントに入った覚えもないし、マットを膨らまして寝袋に入った記憶も無い。気付いたら、しっかり寝ていた。自分のいい加減さと、それでもしっかり寝る準備は怠らない用意周到さに感心するような、情けないような、不思議な気分だ。
飲んだ記憶も忘れており、気持ちが悪いので「あぁ…昨日はずいぶん飲んだのだな…」とわかるのだった。水をたらふく飲み、それでもしっかり朝食を食べてノソノソとパッキングをする。いつもより起きる時間は 30 分遅かったが、なんとか出発までには間に合った。
気分とは裏腹に、天気は快晴、無風。気温が一気に下がり、所々、凍っていた場所もあったようだ。海面には朝靄がでて気温と水温との差を物語っていた。
7 : 00 、甘崎浜を出発。今日は井上さんが加わる。久しぶりに漕ぐというカヤックを誰よりも早く出してウォーミングアップをしていた。鏡のような海面にカヤックの航跡が残り、そこに朝焼けの赤い色が映って瑪瑙色に輝いている。
しょっぱなからこの日は鼻栗の瀬戸という、難所を通過する。大潮の日は段差が出来るほど潮が流れて大型船をへし折るほどの爆流になるらしいが、この時は小潮でちょうど潮止まりという事もあって難なく通過。それでも場所によって潮は流れていた。この瀬戸を越えてからはベタ凪の海を漕いでいく。あまりにも余裕なのでシンガリを漕いでいた井上さんと話しながら進んでいると、先頭に「遅いぞ!」と、怒られた。いや~、スイマセンでした…。
大三島南岸を西に向かって漕いで行き、その西の端で上陸、休憩となる。ここには木造の旧校舎が建ててあり、なんでも民宿として利用されているようだ。随分と管理が行き届いていると遠めで見ても思っていたので、なるほどね…と唸る。
天気がいいのでこれといって海は問題なし。ただ、常連の隊員の人達にとっては、潮の関係があってなんとか潮が代わる前に先に進んでおきたかったようなので、心中穏やかではなかったようだ。
肥島、大下島、小大下島、岡村島と、立て続けに続く島々の南岸を通過する。
小大下島は真っ白な島でおおきく島が削られたような形をしている。村上さんに聞くところ、この島は全体が石灰で出来ているので昔は発掘が盛んだったようだが、今は行われていないらしい。かなりもうかっていたのか、隣の岡村島には当時遊楽まであったそうだ。
岡村島南岸、観音崎を回りこみ、そこからさらに隣の島大崎下島に取り付くが、南岸を行かずに御手洗港から島沿いに北上する。海岸ギリギリまで木造の家や屋敷が建っており、瀬戸内の漁村を漕いでいる様でかなりいい感じ。山が急なのでなだらかに斜面に沿って家が建っているので海からでもよく集落全体が見渡せた。
大崎下島と岡村島の間、その北部に列なっている 2 つの島を間に入れて走る端をくぐり、ちょこっとはみ出た大崎下島の岬の裏側に上陸、昼休憩となった。天気はいいが、島の影に入るとかなり寒い。日向のでている小さな浜に無理やり上陸したのだが、皆が接岸した頃太陽は雲に隠れてしまった…。寒い…。
みかん畑の麓で、その下でみかんを食べているとものすごい誤解を招きそうな絵だった。
1時間の休憩ののち出発。大崎下島の北部沿岸を西へと進む。潮の流れで水面はざわついている物の、波があるわけではなくかなり順調に漕ぎ進む。風もなく、凪の時は FRP 船が強く、それまで後ろの方にいた人たちもグイグイと前に出てきてファルトはもちろん、ポリ艇の人達は大変だ。はたから見ると天気も良くて優雅なカヤックだが、内心は根性比べのような修羅場だった。
三角島との間を通り、ちょうど右手から三角島が消えるかという所で一気に海峡横断。豊島の港へと向っていく。豊島はお椀をひっくり返したような島で、その扇状の斜面に集落が作られていて、海に向かって開けた街のように見えた。そのまま真っ直ぐ進むかのように思えたが、先頭集団は港の中に入っていて休憩となった。
このあたりをホームグラウンドにしている野村さんが、この島にある「家舟」の説明をしてくれた。
この豊島の漁師は日本の漂海民と言って良いような生活を昔からしており、家族ぐるみで1隻の船に乗り込み、瀬戸内海をはじめ、遠く豊後水道や玄界灘、五島列島まで漁に行くという。水揚げは地元で行うのではなく、各地の漁港に水揚げをする事で長期間その場所にとどまる。そのため、家族ごと船で生活するのだった。今はだいぶそのような生活スタイルをする家族は減ったようだが、今でもこの島の漁船は家舟としての名残があり、船の前半分が小屋のようになっていて、そこで生活できるようになっているようだ。
ホームページの名前に漂海民の名前を使っている事でわかると思うが、僕は海を漂う人達に非常に興味がある。この豊島の漁師家族の話も高校生の頃か NHK のドキュメンタリーで見たことがあり、また日本国内にも定住地をもたずに海を漂いながら生活する人達が瀬戸内海にいるということを聞いていたのだが、具体的にどこにいるのかというのは忘れていた。だから、今回、その船を生で見れ、話を聞けたのは大変よかった。野村さん、ありがとうございました。
その後、原さんにラジオの取材があり、海上で携帯電話による中継があるので堤防の脇で休憩となった。海にぷかぷか浮いていると、ちょうど帰宅する時間だったのか、多数の漁船が港に入港して来た。港には数隻しか家舟が無かったのだが、来る船は皆家舟で、現役で活躍しているのか…と、訝しげにこちらを見る漁師の目線を感じながら船に見惚れた。今でこそエンジン船だが、昔は帆を張り、バジャウ族の家舟のように瀬戸内海を放浪していたのだろう。
豊島を後にし、島沿いに西に進む。
島を回りこんで対岸に上蒲刈島が見えてきた。まだ建設中だが、豊島と蒲刈島を結ぶつり橋が着々と出来上がっていた。村上さんによると来るたんびに形が出来上がってきていると言う。この橋が出来ると本土から岡村島まで車で来ることが容易になる。そうすれば各島の物流や人の出入りは今と全く違ってくる事だろう。果たしてそれが良い事なのか悪い事なのか、僕にはわからない。しかしそれを島民が望み、建設業者が望み、反対する者が少ないから行われている以上、彼等からすれば良い事なのだろう…。しかしその金は税金だ。フェリーも出ていて、最低限の生活が出来るだけの物流があるにもかかわらず、これだけ大きな橋を作ってこの島々を結ぶのは、どれだけのメリットがあるのか…。客観的な立場の僕からすれば微妙だ。
上から何か落ちてくるんじゃないかと心配しながら、その建設中の橋の下をくぐる。橋の大きさに感嘆しながら上を見て漕いでいると、潮流が大きく流れ、油断は出来んぞと気を入れなおす。
上蒲刈島にとりつき、その沿岸を今度は南から西へと漕いで行く。第4種共同漁業権地区の看板がでて、屋久比島、大子島、二窓島などのシルエットを左手に見ながら漕いで行く。その奥には松山が見える。四国はまた再び遠く離れていくようだ。傾きかけた太陽の西日がまぶしい。黒鼻の手前、県民の浜沖に出ると今回最高のベタ凪に出くわした。風は無風、天気は快晴、鏡のように静かな海面。そこを行くカヤック船団。皆の顔に笑顔が浮かぶ。ゴールが近いのも理由かもしれない。
岬をまわり、その入江に入っていく。静かで綺麗な花崗岩の砂岩で出来た入江に入っていくと正面に海浜公園のような施設が現れた。デッキの上には出迎えの人達が待っていた。水路から中に入ると B & G の建物が見え、その前にあるスロープに船を着けた。 14 時 50 分、 B & G 海洋センターに到着。
建物の前には「歓迎瀬戸内横断隊」というようなことが掲げられており、かなり気合の入った出迎え方をしてくれる。もう何年もここにはお世話になっているようだ。艇庫を貸してくれ、夕食などはここで食べることにし、テントは外のキャンプ場らしき芝生の上に張らせてもらう。さらには真水をたらいにはってもらい、塩抜きまでさせてくれるのだ!いたせりつくせり、これでいいのか横断隊!?といった感じだが、しっかり皆、塩を抜くどころか汗水垢まで落としてジャケットなどを干させてもらった。
施設の隣にある温泉の券まで頂き、ここぞとばかりに入浴。裸の付き合いも重要である。だが、あまりにも寒い所を漕いで来ていた為か、急激に温まった為に多くの者がのぼせてしまい、僕もしばらく気持ち悪くてフラフラしていた…。
この日の夜は山口でラフトのガイドをやっている人や、毎年参加しているが今年は参加できなかった人なども来て、それこそ多くの差し入れをもらい飲み食いにも困らなかったが、しっかり自分の夕食は食べ、お腹を満たしてから酒を飲むよう心がけた…。
この日、野村さん、原田さん、井上さんの 3 人が一気にいなくなる。寂しかったが、あまりそんなことは当たり前のように、普段と変わらず夜は更けていった。
11月20日
リーダー/原 村上
隊員数/9名 井上・野村・原田 離隊
漕行距離 約30km 上蒲刈島→倉橋島:唐船浜
夜、風が強くなった。干している靴などが気になったが、まあ大丈夫だろうと安易に考え寒いので再び寝てしまった。
翌朝 5 時、起きてテントを撤収してからみんなのいる艇庫に行くと皆険しい顔をしている。風は依然として強く、暗いのでまだよくわからないがとても出艇できるよな状況ではないのは理解できた。カヤックの置いてある場所に行くと、残念ながら乾かしていたレイントレッカーのパンツが無くなっていた。パドリング中の下半身は海パン(パタゴニアのリバーショーツ)をはいて、その上にレイントレッカーを履いてカヤックに乗っていた。さすがに海パン一丁じゃ寒いので困った事になった。結局濡れるの前程でジャージをはいて足をまくってやり過ごしたが、もしこれが真冬の遠征だったら致命的な失敗だ。まぁ、真冬だったらウエット着るかドライにしてこんな簡素な装備で来やしないが、装備の欠損をわかっていながらしてしまったと言うのは完全に驕りと舐めである。反省すべき点だ。
朝食を食べ、装備を着替えて準備を済ますと、皆、艇庫で「うーん…」と、唸る。海図を睨みながらどう攻めるかを議論し、頭をひねる…。
蒲刈島を西に進むと倉橋島にぶち当たるのだが、その手前にはカヤッカーには厄介な大型船舶が出入りし、自衛隊の基地もある呉港がある。凪なら関係なく海峡横断して倉橋島の南岸まで行ってしまえるのだが、この風では沿岸域を舐めるように漕いでいかない限り先には進めそうもなく、でもあまり呉港には近づきたくない。もし仮に沿岸域を漕いで風から逃げながら呉港の前を通り、島影に入っていくにしても島々の間にある瀬戸を越えるには潮汐の時間を考えなければならない。どこから風が吹き降ろしてくるかも微妙だ。ビバークする場所が難しそうなだけに手当たり次第に前に進むというわけにも行かない。翌日の出艇のことも考えなければならないからだ。
これぞ瀬戸内を漕ぐ難関…といった出だしである。
ともかく、風はいぜんとして吹いていたが、少しはマシになって漕げなくはなさそうなので出発する事になった。全員が舟に乗り、井上さん家族や見送りの人に送られてスタートしたのは8時少し前だった。
湾を出るといきなり向かい風が僕らを襲った。
波は今日までの瀬戸内横断で一番高く、艇のすぐ横に白波が立っていた。真横にいるカヤッカーのカヤックは見えず、人間だけがパドルを必死に振り回しているように見えた。
上蒲刈島南岸を西に進み、下蒲刈島が見えたところで北に折れ、蒲刈大橋をくぐって島影に入る。それまでノンストップで漕いできたのでここで休憩できたのはホッとした。静かな海面に安堵するがそれも束の間、上蒲刈島の「向」の港の前を通るとき、あまりの潮の流れの強さに舟がありえない方向に流されていく…!防波堤ギリギリを流れがある場所は渾身のスピードを出して真っ直ぐに進む。ここの潮流はこの横断で一番きつかった気がする…!
その後下蒲刈島に移り、すぐに下蒲刈島と本土を結ぶ安芸灘大橋の下をくぐる。ここは「女猫の瀬戸」と呼ばれておりけっこうな流れがある場所らしい。事実、沿岸域は緩やかに流れていたものの、本筋は潮がぶつかり、怒涛のように荒波だっていた。そのすぐ脇のキワドイ場所を漕ぎぬけてなんとか島の西側へ。
橋脚のふもとでは地元のおっさんがバカデカイタモ網を持って魚をすくっていた。サヨリが大量に跳ねていたのでそれを狙っていたのだろう。
再び向かい風が隊を襲うが、それにも負けずに一気に対岸の本土に移る。
海図を見るとこの瀬戸は急激に深くなっており、平均20mほどの水深の瀬戸内海において、最深部が100m以上ある。それだけ潮の流れが激しいということだ…!それだけにこの海峡横断もなかなかの好敵手だった。向かい風の中、左右にゆれ、波に翻弄されつつ何とか対岸に移る。
通常のツーリングならかなり危険な横断だったろうが、無事誰も沈することなく通過。本土に取り付くとそのまま西に進み、わずかに堤防が出ていた砂利浜に上陸。波がぶち当たり、エキジットのときに僕はずぶ濡れになってしまった…。
とりあえず上陸してみたものの、先に行けるかどうかも微妙だ。悪ければここでビバーク…という可能性もあった。偵察隊が道路を歩いて風上側に行って様子を見に行った。残った人達は「さみー、さみー」とあたりをさまよい、風のない場所を探す。雨までぱらついてきており、ちょうど目の前には公園があってそこは磯神社という神社の境内の中にあった。
さびれた場所にもかかわらず、立派な石碑があり、読むとここが白井水軍という水軍のゆかりの地のようだった。
その昔、瀬戸内海を我が物顔で牛耳っていた水軍達。正直、僕は彼らの事をよく知らないのだが、偶然到着した場所が、そういう海に関係する場所だというのはなんだか運命的な印象を受ける。海が静かになるようにお祈りをし、雨宿りをする。
偵察隊によると行けそうだというので出発。確かにここにいても始まらない。
岬をまわると思いのほか波がひどい。風もいぜん吹いてくるが、不規則な波が舟のバランスを崩してゆく。どうやら消波ブロックがうまく機能していないようだ。返し波がひどく、まるで外洋に面した港近くを漕いでいるようだ。船酔いする波である。
「面倒くせェな~」と、愚痴りながら漕ぎ進み、広の長浜に到着、ここで昼休憩とする。
落ちている流木では足りず、あちらこちらに出歩いて焚き木を拾い、小さい焚火をする。これがことのほか温かくて嬉しい…。五福さんのサポートをしているあっちゃんが温かいドリンクを差し入れしてくれ、それをありがた~く頂きながら行動食を食べた。
焚き木を探している最中、山葡萄を見つけて一人食べた。野山の幸はこういう時に頂くと甘く感じる。
いつも通り1時間の休憩。しかしこの風で距離はほとんど稼げていない。このままでは最悪、遠回りのコース(音頭の瀬を越えて倉橋島の西側を通り、柱島を経由して周防大島に渡る)を取らざるを得ない。しかしそれでは22日までに祝島に行けるかは微妙なラインになってくる…。
時間になり、とりあえず沖に出てみる。するとどうだ、風はほとんど皆無に近く、波も静かだ。音戸ノ瀬はすでに眼中に無く、西風を考慮して倉橋島東にある情島を狙っていくが、気にする風の強さではない。30分ほど漕いだのち、村上さんは倉橋島東端、亀の首を目指すように指示した。かなりの長い距離を、一気に海峡横断して距離を稼ぐ。
途中、何度か大型の船舶をいなして進む事になったが、海況は驚くほどよくなり、ただ代わりばえのない単純なパドリングを続けること2時間半、亀の首沖に到着した。
亀の首を回り込むと、見事なまでに風裏になり静かになった。我慢できずに上陸してション便をする。尿瓶を積むのを忘れていたので海峡横断は膀胱的にかなりしんどかった…。でもここの浜はきれいだったな…。プライベートでもこのあたりは漕いでみたいと思った。
時々突風が吹くが海面はいたって静かだ。西日があたりを照らし、島の山腹は赤い光で照らされてすでに夕日がかっている。ここで今日は内田さんがラジオの収録があり、携帯電話を電波の届く所に行ったりきたりし、なんとか通じ、16時半に海越の裏側にある唐船浜に上陸、ここで個人でやっている手造りキャンプ場、唐船浜キャンプ場に荷物を移してこの日のビバークとなった。
キャンプ場は本職がタイル職人だというおっさんが作った立派な風呂があり、それに入ってビールを飲み、部屋の中にあるガスコンロを使わせてもらい夕食を食べた。さすがに飽き気味だったレトルトカレーに、村上さんからもらったキムチチゲ鍋の素を入れて炊いたご飯をあわせて食べると、なんだかとりあえず、違う味になってよかった。
管理人のおじさんに蜜柑をたくさんもらう。そういえばみかんの時期だよな…と、一昨年お世話になっていた宗像のみかん農家の事を思い出しながら手が黄ばむほどみかんを食べた。この何日で何個みかんを食べた事か…。おかげで体が冷えてしまった…。
天気予報を見たのち、この日は早めに就寝した。