進水式は京浜運河 bajau trip プロローグ
~カフナ購入秘話~

2005年3月14日 掲載

よくCMやドラマに使われる橋の前で Photo by GAKU


 
カヤックが欲しかった。
 とにもかくにも、とにかくカヤックが必要だった。
 大学を休学して西表島に住んで、カヤックの存在を知ってからというものの、とにかく自分のカヤックを手に入れなければという、強迫めいた、ほとんど使命感に近い感情でカヤックを欲していた。
 しかし、具体的になにが欲しいのかと聞かれると、これが決まっていなかった。
 カヤックは大きく分けて、ポリエチレンやFRPでできたリジットタイプと、折りたたみ式のフレームとキャンバスでできたフォールディングタイプがあるという事は、このサイトをしっかり見てくれている人、もしくはカヤック経験者ならご存知のとおりだが、シーカヤックは主にリジットタイプのが主流で、僕もリジットしか乗ったことがなかった。
 だが、リジットは移動が困難で、車を持っていない僕にはどこかに置いておくしかない。安いポリ艇を一艇買って、西表島においておくということも考えたが、自分のカヤックを買ったのに、自分の漕ぎたい時に漕ぎたい場所で漕げないというのはもったいない。
 と、いうか意味がない。
 と、なるとファルトしかないのだが、シーカヤックで使用するとなるとそれなりに信用できるメーカーの物でないと厳しい。まぁどのメーカーも信用はできるけど、海で海峡横断などをする事を考えると、おのずと中古や安物では命を預ける道具としては信頼にかけるのである。
 そこで少し高価だが、がんばって目標をカナダのフェザークラフト(Feather crafte)というメーカーのファルトを買う事に決めた。
 フェザーは「カヤックのロールスロイス」とまで言われる高級品だが、その機能美を考えればその値段も当然のことだといえるだろう。
 とにかくカッコイイ!そして世界各国の各種エクスペディションに利用されている事からも信頼度はピカ1である。
 しかし高い。
 スタンダードモデルのK-1が50万円以上、二人艇のK-2など、70万円近くする(2007年現在はもっと高い…)。中古の車なら2台は買えそうな勢いだが、僕でも買えそうなものといえば、日本人向けにK-1を小さくしたKライト、Kライトプラス。そしてそれをさらに改良したカフナがあった。
 カフナは業界の人間の間でもかなり評判がよく、値段も当時35万円と、比較的リーズナブルになっていた。
 僕はカフナを買うために大学4年(実際は5年目)の時、卒論と平行して、猛烈にバイトをして金を稼ぎ、何とか奨学金とあわせていくらかまとまった金をつくった。猛烈にバイトした割には少なかったが、それは卒論が西表島だったので、それに行く旅費や調査費を全て自前でまかなっていたからである。
 買うショップも決めていた。
 当時、葉山にあったフェザークラフト専門店、「Tracks」である。
 色々なアウトドアショップに行ってカヤックを見たが、それほど本格的に取扱っている場所は少なく、どうせならちゃんとしたところで買おうと思ったのがきっかけだ。
 最初はメールでやり取りし、2003年1月の終わり頃、実家のある千葉の船橋から総武快速線、横須賀線を乗り逗子駅に行くと、「セタス」のワーゲンバスが停まっていた。Tracksの関東支部であるCetus(セタス)の笠原さんだ。
 車に乗り込み、公園にいって寒い中、カフナを見せてくれ、一通り組み立ててくれた。
 買う気満々だったが、金が足りない上に、欲しかった「赤」の在庫がなかったので、話を聞いたら足りないお金はローンが組める事、そして赤は取り寄せられるが、春になってしまうということだった。3月の西表には持って行きたかったので「黄色」を頼み、その日は家に帰り、後日カフナが届く日にまた来ることになった。
 しかしグリーンも気になってしまい、無理なお願いをしてしまって2つも取り寄せてもらう事にして、それから2週間ほどたった2月の半ば、再び逗子に向かった。
 あいにくの雨であったが公園の東屋で2つのカフナを組み立て、そのやり方を教わった。
 迷ったあげく、最初に決めた黄色にする事にした。今考えると、この選択はグッジョブだった。
 笠原さんの家に行き、ローン契約やら、カヤック本体以外の道具などを受け取り、逗子駅まで送ってもらった。
 笠原さんはシロートっぽい僕の質問にも「ボソッ」というような感じではあるが、しっかりと真面目に応えてくれて、無骨な職人気質の兄さんといった印象を受けた。
 なんだか、客商売をしている割には無愛想なひとだなぁと最初は思っていたが、カヤックや旅の話をしだすと微妙に声のトーンが変わり、それまでの職人気質から、揚々とした旅好きの兄ちゃんになって、「んー、この人はできるな・・・」と直感めいてこの人の店でカヤックを買ってよかったと思った。
 実際、このカヤックを買って1年半後に、三浦で行われたA&F主催のフェザークラフトオーナーズミーティングでは、それまでほとんど音沙汰をいれず、久々に会ったのにもかかわらず、真っ先に挨拶に来てくれ、唐突にフレームの修理やネット上でのお願いにもしっかり応えてくれ、ものすごく信頼できるショップ、人だ。
 
 折りたたんだカヤックは、最初は想像よりもコンパクトなので「すげぇ」と思ったが、実際に担いでみると、重くてかさばった。
 でも、ついにカヤックを手に入れたということが夢の様で、帰りの電車の中では妙にニヤニヤしていた気がする。
 
 それからしばらくして進水式を行う事にした。
 場所は色々考えたが、どうせならインパクトがあるところで最初から漕ぎたいと思い、結局学校のポンドから出発して、学校の周りの運河を一周することにした。僕の学校は東京水産大学(現:東京海洋大学)で、品川の港南にあった。水産大ということで、キャンパス内にポンド、要するに港があるのである。
 「釣りバカ日誌」で、浜ちゃんが会社に通勤するのに遅刻するからと、常連の釣り舟船長、ハチにお願いして会社の近くまで隅田川と運河を通って連れて行ってもらうシーンがあったが、あの景色をカヤックでなら見れると思ったのだ。
 だが無断で船を出すと学校側がうるさいので、ポンドの当直員に許可をもらいに行った。
 以前、ポンド内の生物相調査を行おうと、かに篭と刺網をかけたら、当直員のオヤジが駆け寄ってきて、「バカヤローッ!!港の入口に網をかける奴がいるか!!しかもそれ、漁業調整法違反だろ!!」っと、怒られてしまい(今思うと当たり前だ)、ちょっと嫌な思い出があったのだ。
 すると「管轄の先生がいいというなら、別に構わんぞ」と言うので、ポンドの責任、管轄している教授のところに行くと、あっさり許可を得た。
 
 「君も舟を持っているのなら、海上のルールくらいは踏まえているだろう。それさえ知っていればあとは君たちの責任だ。気をつけて出発しなさい」
 けっこう「何を馬鹿げた事をやろうとしているんだ」というような事を言われるかと思ったので、拍子抜けするくらい簡単に許可がおりてしまって、少し自分の大学の教授を見直してしまった。
 海の男はものわかりがいいねぇ。
 当直のおっさんに許可がおりた事を言うと、
「おぅ、なら出発せぇ。しっかし、カヤックをポンドから出すなんて初めてじゃないか??」
 ポンドにはアルミボートで伴走してくれる釣り研究同好会の友人、後輩達と、素潜り仲間が集まってきて、そこで進水式としょうし、お神酒にワイルドターキーを海とカヤックに捧げて自分もあおり、いよいよ出発となった。
 
  
 写真左上:バーボンでお神酒代わり 
写真右下:うっほほ~い♪ちゃんとアノラックの下にPFD着てますよ!

 
 京浜運河から見る景色は、それまで4年間通い続けていた品川の町の、まったく知らない素性を見せてくれた。
 途中、カヤックから降りてコンビニで買い物に行ったり、橋の上を歩いて帰宅するサラリーマンたちを眺めたり、羽田に向かうモノレールや夕日に照らされ、残照の淡い赤紫色に包まれるお台場、レインボーブリッジなど、普通なら見ることのできない景色に身震いがした。
 華やかな天王州アイルを通ったかと思えば、汚い水が排出される場所をとおり、屋形船が曳き波をおこして後から越していく。
 カヤックと言えば、自然豊かな場所で行うというのがイメージとしてあるが、こういう都会のふだん見れない場所を漕ぐというのはこれはこれで非常に面白かった。
 自分が自分の「漕ぎたい」と思った場所を漕げるようになった喜びと共に、通いなれた街の別の一面を見たことで、僕は学生ではなく、新しい世界をこれから踏んでいかなければならないという事を実感したのだった。

 
わざわざアルミボートを下ろし、伴走してくれたGAKUとO氏。ありがとー。

 

 カフナを購入して早2年。色んな場所で漕いだけど、この京浜運河を漕いだのはドキドキ感がすごくて、あの夕日のレインボーブリッジは最高に綺麗でした。フィルムが無くなってしまい、写真は撮れなかったのだけど、あのレインボーブリッジを見たとき、「カヤック買ったなー」という充実感と、これからこれでどこにでも行けると思うと、たまらなく興奮しました。
 
 なんだか、ちょうどこの時期くらいだったので、思い出して書いてみました。
 最近、expedition、書きたくてもネタが無かったんでちょうど良かったかな?