春に漕ぐ、風の半島  

~83,知床EXPEDITION~

北海道:知床半島  
2007年4月29日~5月6日


 

■放置プレイは突然に・・・

 
 女満別行きの飛行機は、定刻通り滑走路を飛び立ち、気がつくと眼下には江戸川と利根川の分岐点が見えた。遠くに日光の山々も見える。
 4月29日。東京は晴天であった。
 出発前日、職場の宴会の後、二日酔いの残る頭でいそいそと準備をするも、色々と遊んでしまって結局寝ずに当日を迎えてしまった。飛行機の中で寝ればいいと思っていたが、一時間半という微妙な時間と微かな興奮で浅くしか眠れなかった。
 目が覚めると眼下の景色はうって変わって、凍結した湖が見て取れた。広大な土地と、それを切断するような直線の道路は関東のものではない。 
「北海道だな・・・」
 飛行機で北海道に来たのは初めてだ。いつも飛行機に乗るときは西日本ばかりだったので、北に飛行機で向かうというだけで、僕は興奮していたようだ。
 やがて飛行機は台地の上にある滑走路に着陸。北の空も雲はあるものの、晴れていた。気温は16℃と、東京とさほど変わらない。 
「バシンッ!」
 搭乗口から出る順番を座って待っていると、突然頭をひっぱたかれた。
 サングラスをかけた、にやけた中華顔のおっさんと、丸眼鏡の兄さんが立っていた。
 手荷物を受け取って待合ロビーに出ると、さっきのオッサン達が待っている。 
「あかち~ん、久しぶりじゃねーェか!」 
「お久しぶりでーす。ずいぶんと小奇麗になっちゃったねぇ」
 72回の知床で出会ったPACEさんとグッさんだ。この二人が参加するのは聞いていたが、飛行機までいっしょだとは思わなかった。と、いっても出発前の待合所で僕は気付いてはいたのだけどね…。
 挨拶ついでに空港で昼食を食べ、コーヒーなど飲んでいると、他の参加者も若干数集まっており、入口にはすでに今回のツアーガイドが迎えに来ているという。荷物を担いでロビーに行くと、長いワンピースのウッド製アリュートパドルを持ったおじさんがいた。 
「おぉッ!よく来てくれたなー」
 新谷暁生さん。今回もこの人のガイドで知床を漕ぐ事が、今回北海道に来た目的である。
 僕が偶然、サブガイドとして参加する事になった73回目の知床EXPEDITIONはガイドの新谷さんも驚くほどの壮絶なツアーとなり、その話は各メディアに取上げられるほどとなって、新谷さん自身の3冊目の本の題名にまでなった。
 あまりにも壮絶な体験をしてしまった僕だが、そんな夏の体験を経ても新谷さん自身は「春の知床はいいぞ」と言っていた。
 もちろんそれは自然がきれいだとか、景色がいいとかではなく、カヤックのフィールドとして素晴らしいという意味だという事は、新谷さんと出会ったことで理解する事ができていた。2006年の春に、73回目に参加したメンバーの2人が参加し、その話をする時の彼らは、また何か凄い世界を知ってしまったというような、羨ましい表情で話を語ってくれた。 
「これは行くしかないな…」
 いつか行くしかないと思っていた春の知床。だがそれは思ったより早く実現する事が出来た。6月の遠征前に前哨戦の意味も込め、そして新谷さんに再会するため、僕は5月の北海道に飛ぶことにした。
 
 今回参加するお客さんもぼちぼち来ていたが、まだこの後の飛行機で来るお客さんもいるので、それを待ってから出発するという。僕は昼飯を食べたせいか、眠くなってきてしまい、それまでベンチで寝る事にした。
 ウトウトと眠り、一回、ぐっすりと眠りに入ってしまった。気付くと約束の時間を過ぎていた。慌ててみんながいたところに行くと、誰もいない!それどころか僕の荷物までなくなっている!! 
「何だ、おい!」
 駐車場まで行って車を探すが見つからず、とりあえず新谷さんに電話した。 
「いや~、ワルイワルイ、アカツカクン…」
 人数を数えるのを忘れて、居る人間と荷物だけ積んで出発してしまったようだ…。もう車もいっぱいなので、5時にまた別の迎えが来るからそれに乗って来てくれとのことだった。
 現在15時。
 今回の知床EXPEDITIONは、女満別空港での放置プレイから始まったのだった・・・!
 

■再会・風の半島


 空港の周りを散歩したり、再びうたた寝などしたりして過ごすと、時間はすぐに過ぎていった。
 約束の時間になり岩手から来たお客さんと、今回のサブガイド、フカザワさんと合流し、一路斜里へ。そこで買出しをし、その後まだ知床峠は開通していないというので標津に抜け、そこから北上して羅臼に向う。
 今回の集合地は羅臼のさらに奥、知床半島に一番近い公道のドンづまり、相泊という所である。ここの番屋を新谷さんが借りており、ここの前から出艇することとなる。つまり、羅臼側から宇登呂に一周するのだ。
 現地に着いたのは8時を過ぎていた。放置されたのには参ったが、今考えるとこの移動の途中でフカザワさんと顔見知りになれたのは、その後のツアーの手伝いをする上では良かったのかもしれない。
 車を降りると、雪が舞っていた。気温はいっきに下がって0℃近い。風がものすごい勢いで体温を下げる。たまらず番屋に駆け込んだ。
 番屋にはストーブがたかれていて、眼鏡がくもった。皆、冬の格好をしている。
 今回の参加者、サポートする人、羅臼在住の新谷さんの友人など、30名近い人が8畳ほどの部屋に車座になり、すでに夕食を済ませて酒を飲んでいた。途中から入ってきた僕たちに夕食のギョウジャニンニク入りの雑炊と、鹿肉のステーキが渡された。アイヌネギのコクのある味と、柔らかい淡白な鹿の肉は美味かった。
 今回の参加者も色々な職種の人達が集まっていた。ただ、前回の時に比べると、やや高齢な方が多く、東北から来た人達が多く見受けられた。まったくの初心者はさすがにいない様だったが、皆、春の知床を求めてきたツワモノカヤッカーばかり…といった雰囲気でもない。
 サブガイドの杉さんとも再会し、懐かしい話などする。
 この夜は、新谷さんの仕切りのもと、自己紹介などが行われ、まだ始まってもいないというのに、おおいに酒が入って、酔っ払いが続出した。そんな中、僕は前日の睡眠不足がたたってテンションは上がらず、途中、海岸に立ててあるテントに入って眠った。
 空は晴れてきて月が時々顔を見せてはいたが風は強く、テントに叩きつける風の音で前回の知床を思い出した。 
「こりゃ、今回も先が思いやられるなー・・・」
 そんな一抹の不安を抱きつつも、新しい冬用シュラフは暖かく、僕は眠りに付いた。
 

4月30日 相泊→崩浜

 

 朝起きるとテントには俺しかいなかった。
 今回はフカザワさんと杉さんのスタッフテントで3人で寝る事になっていたのだが、2人は番屋で寝たようだった。おかげで爆睡してしまい寝坊気味のようで、番屋に行くとすでに朝食が出きていた。とはいっても、朝の6時だ。
 天気は快晴。だが、風が恐ろしく強い。
 朝食を食べ終わると、参加者は皆、カヤックの身支度に移って行く。
 今回の春の知床を漕ぐに際して、もっとも気を使ったのが、パドリングウェアーだ。
 気温が15℃と暖かくても、海水温は流氷が去ったとは言え、いまだに0℃近い。手を海に入れると、10秒も入れることが出来ないほど冷たい。こんな海に落ちたら、あっという間にハイポサーミアで死んでしまう。
 新谷さんはドライスーツを推奨している。これならば安心だが、一着15万円近い値段のする服を買うには、なかなか覚悟がいる…。15万円で命が助かるのならば、安いものだが、通常のカヤッキングでドライスーツを必要とする時というのは、なかなかない。
 今回僕はいつもの如く、下半身はダイビング用の5㎜ロングジョンを、上半身はmont-belのセミドライスーツを使用し、足回りは新谷さんからネオプレーンソックスと、ロータスのパドリングシューズを借りた。この使用した感想は後々書くとして、とりあえずの所、この格好なら寒がらずに漕ぐ事はできた。
 出発の準備はしたものの、昨夜からの強風は一向に収まらず、海上に風紋を作りながら、時々海岸にいる僕らに向かってぶつかって来ていた。
 もちろん出発は延期。その間、新谷さん達は使用しない個人装備を最終日の宿泊場所にデポしにいったり、装備の確認などを行ったりしていった。
 こればかりは仕方がない。寒いのでせっかく着こんだ防寒具を脱いで番屋に入ったり、海を眺めたりして皆で風がやむのを待つ事になった。出発の最初から、停滞気味であるが、ある意味春の知床はこんな所なのかと考えさせるには十分な風だ。
 結局出発したのは昼食後の15時近くとなった。
 今回の参加者、ガイドを含めて21名分の食料、ナベ、やかん、個人装備を積んだカヤックが一艇、また一艇と出発していく。僕も舟をゴロタから滑らせて波打ち際で乗り込み、出発した。舟は3回目にしてやっと、ノーザンアドベンチャーカヤックス推奨艇、パフィンに乗れた。この舟は知床を漕ぐには、もう最高にいい舟だと思う。パドルは今はなきワナーのアークティックウィンドー。これに、初めてだがポギーという、一種のミトンみたいな物をはめて使用した。
 パドルから伝わってくる海水が尋常じゃなく冷たい…!思わず、手を擦りたくなるがポギーをはめているので我慢して漕いでいると、次第にあったまってきて、温かい。
 ポギー、なかなかの優れものである。
 海上に出ると、追い風なのか風はそれほど強くは感じない。だが、うねりが入ってきており、前後のカヤックは大きく波に翻弄され、ときどき視界から消える事もあった。だが、久しぶりのパドリング、それに春の見慣れない知床の風景がおのずとテンションを上げていて、一人、ニヤニヤとにやけながらパドリングを続けた。
 相泊から北上し、賞味1時間ばかりだろうか、この日はすぐに上陸。崩れ浜の波が少ない場所を見計らって上陸した。ただでさえ緊張を強いられる知床のエキジット。それに水温は0℃…!なかなかのスリルだ。でも誰もひっくりかえることなく、このときは無事上陸に成功。カヤックを潮上帯に皆で運び上げ、さっそくビバークの準備に取り掛かる。
 風はそれほど感じない場所で、いたってキャンプサイトは平和な空間だった。
 だが、海を見ると左右の海岸に打ちつける波は壮絶で、白いサラシを広範囲に作っていた。なんだか、前回、73回目の知床を思い出してしまい、これまた一人にやけてしまった。
 だが、どうも一人ではナイらしく、横でPACEさんやグッさんもニヤニヤしている。
「いや~、これが知床って、感じだよな~」 
「タッノシィ~♪」
 失敗しない根拠などないのに、まるで他人事のように楽しんでいるちょっと、おかしな大人がいる。アウトドアーってのは、そういう冒険心をくすぐる物がないと、やっぱ楽しくないのだ。自分の置かれている状況が、どんどん特殊になって、想定外なことが起こる度に、不安といっしょに生まれる幸福感。あれは人に説明しろといわれても、できないな~。
 すぐに暗くなりそうなので焚火はいつもの如くすぐに焚かれ、お湯が沸かれてお茶が出来る。
 夕食は知床名物、三色丼!この日は青菜がギョウジャニンニクと、かなり豪勢ではあった。
 東の空には限りなく満月に近い月が昇り、キャンプサイトを青白い光でつつんだ。
 久しぶりの焚火。知床を漕ぐには欠かせないというのは、実際本当の事だと思う。春の知床はまだまだ関東の冬に近い。寒い中、完全防備で酒を飲むが、それでも焚火がないと辛いだろう。夏に来た時、ビールが足りなくて困ったので今回はかなり買いだめしてきたのだが、あまりに寒くて飲む気にもなれない。回ってくる焼酎やウイスキーをお湯で割る。
 昨日の飲みすぎのせいか、この日は皆、早めの就寝となり焚火の周りには5人ほどしか残っていなかった。そういう僕も寒さに耐えられず、10時頃にはテントに入った。
 

 

 

 

5月1日 崩浜→船泊(カヤックじいさん)

 
 テントから出ると、背後に迫る崖の頂にはガスがかかり、空は重かった。
 焚火のそばに行き、コーヒーをもらう。
 朝食のパンに大量のマーガリンをぬってエネルギーをためる。寒い場所では脂肪はあるにこした事はないはずだ。
 8時頃、出発。波のセット数を数え、弱い時を見計らってみんなのカヤックを押してエントリーする。フカザワさんと僕が残り、最後の出艇となったのだが、波が弱らずキリがないので僕はかまわず出艇。これが失敗、かなり波を被って強引に出たので全身びしょ濡れ。スプレースカートもなかなかはまらず、大きなうねりにゆすぶられ、みんなは先に行ってしまうし、久々に焦った…!
 海に出てみると、風によってうねりが生まれていた。知床の羅臼側は、国後との間、根室海峡なので太平洋のようなバカみたいにでかいうねりは入らないようだが、それでも不規則なうねりがカヤックをバッたん、バッたんと、波に打ちつけていた。
 風は不定期に吹き付けてきて、その度にパドルが持っていかれそうになる。こんな海で漕いでいれば、そりゃ、新谷さんもアンフェザー、ナローブレードを推奨するはずである。
 強風の中カヤックを漕いでいると、ほどなくして上陸。モイレウシ川の河口にある入り江に入る。ここは比較的風が入ってこないので静かな湾となっていた。海岸には雪が残り、奥にはポロモイ岳が見える。風は強いが空は晴れてきており、青空がロケーションを良くしていた。
 杉さんのカヤックの調子が悪いらしく、ここでいったん修理、1時間ほど休憩となる。
 さっそくトイレ休憩となるが、僕はダイビング用のウエットスーツなので、チャックが付いておらず、用をたすのがものすごく面倒臭いのだ。 
「あー、カヤック用のウエットか、ドライスーツ買おう・・・」
 切実に思った。
 風のない海岸でゴロリと過ごす。川に水を汲みに行く人たちもいた。いつ、どこで停滞することになるかわからないので、水があるところで水を補充しておかないといけないからだ。
 正午前、再び出発。
 ところがここは出発して早々、風が強くなっており、湾を出るといきなり苦戦を強いられそうだった。
 目の前にあるメガネ岩の小さな岬が、大きくうねり、なかなかのスリルを提供してくれそうな海になっている。しかも風がぶち当たり、これまた難易度を上げている。
 風に逆わらず、岬の根元まで行き、そこから岸沿いに漕いでいくと、丁度うねりと直角に進む事になる。カヤックは上下に揺れ、油断すると磯に吸い込まれてしまう…! 
「オラーッ!!漕げ漕げ漕げーッ!!」
 新谷さんとフカザワさんが、掛け声を入れ、緊張感が高まった。
 びびったら負けだ。カヤックは漕いでいれば大丈夫だ。漕ぐのをやめたら波に負ける。ただそれだけの事。
 正面からやってくる大波に船体ごと突っ込む。飛び散る飛沫、スプレースカートを洗う波…!んーッ!アドレナリンが出てる出てるーッ!!!
 何とか岬の先端をまわりこむと、隣で漕いでいたTさんに異変。なんでもラダーが外れたらしい。とりあえずブレイクする場所から離れ、そこでいかだを組んでラダーをはめる。
 その後は風に運ばれながら、岸に向って漕ぐ。どうやらこのままそこの海岸に上陸するようだ。右手に見える離れ磯、どっかで見たことあると思ったらカヤックじいさんだった。
 昨日と同じようにゴロタ浜に上陸、カヤックを潮上帯まで引きずりあげる。人がたくさんいると荷物満載のダブル艇も難なく運べるので楽だね。
 上陸し、海を眺めているとPACEさんが近寄ってきた。 
「いやー、楽しいな。これが知床だよな」
 懲りないおじさんだ。でも、不謹慎ながら、僕もニヤついていたのは事実だ。というよりも、常連さん達は皆、こういう展開を期待していたはずである。
 

 カヤックの浸水がひどいようだ。ここで昼食をとって修理し、完了したのち、風を見て出発する予定のようだ。この先にあるのは難所、ペキンノ鼻。今の岬程度でさっきの状況では、このまま行っても事故を生むだけと隊長は判断した。 
 薪を集め、火を起こして昼食のラーメンをみなで作る。20人前のラーメンは袋から取り出すだけで大変である。
 グッさんと水を汲みに行く。この時期だけできる雪解け水の沢で水を入れると、多少濁っていた。山の上では雨が降っているのかもしれない。崖には夏になると生えるイタドリの茎が枯れて残り、岩と土だけの斜面が寂しい。所々に出ている大きなフキノトウが、やっと春が来たのだということを告げていた。
 この場所は風が強かった。カヤックをロープでつなぎ、休憩用にテントを立てるが、風であおられて大変なので荷物だけ入れ、ポールは抜かれた。
 30分かけて作られたラーメンは5分でなくなり、皆、思い思いに過ごす。ガイドの人たちは舟の修理に取り掛かるが、これが思いのほか重体で、大変な仕事になりそうだった。この日の出発は早々に見送られ、結局この日はここでビバークする事となった。
 そうと決まるとさっそく、夕飯の支度が始まる。メニューは名物、「知床カレー」。秋田から来たSさんは、このカレーが喰いたくて知床に参加したといっても過言ではないようだった。事実、僕もここで食べるカレーは絶品だと思う!
 皆で強風の中、玉ねぎ、ニンニクをむき、人参をザク切りにする。豚バラ肉をボンカレーに入っている肉の100倍くらいの大きさに切りわけ、表面をコンガリと焼いてから野菜と一緒に煮込む。あとの味付けは新谷さんのみ、知っている…。
 ビバークが決まったので、早々に皆さん飲みはじめている。ワインバーもいつの間にかオープンしており、皆さん、かなり陽気な感じで楽しそうだ。
 しかし状況は悪くなる一方。新谷さんは皆の前では陽気に振る舞っていたが、内心、ナーバスになっていたはずだ。風は次第に強さを増し、海から吹いてくる風のほかに崖の上から吹き降ろす突風まで加わってきた。タープテントを補強する為周りには大量のゴロタ石が積まれ、それにテンションをかけていた中央ポールはテントの生地を突き破ってしまった…!パドリングシューズを間にはさみ、何とか使用可能に。
 すべての荷物は石が乗せられ、飛ばされないように工夫されていたが、あまりの風の強さに修理していたダブル艇が、ついに風で吹っ飛んでしまった…!ゴロゴロと転がるダブル艇を初めて見た…。
 夕食前、テント場が移動される。浜の中央部にテントを張っていたのだが、浜の端っこ、岬の根もと付近は比較的風がないことがわかり、そこに皆で荷物を移動する事になった。
 そこはまるで別天地のように風がなく、快適だった。
 焚火が起こされ、米が炊かれ、そこで夕食となったが、タープテントとカヤックは元の場所に置いたままだったので新谷さんはそこに残り、一人夜を過ごすという。なんだか、申しわけない気持ちにもなったが、新谷さんのガイド魂を見たような気がした。
 その日の夜も、空には月が昇った。しかし昨日とは違って朧月。
 風は一向に収まる気配はない。
 雨が降らないだけまだマシだと思っていたが、この月を見る限り、そうも言っていられないことになるな…という事は想像できない事ではなかった。
 実際、雨は夜中、降り始めた。

 

 
 

5月2日 停滞

 

 早朝、雨が降ってテントに打ち付けている中、ガイド2人が起きて目覚める。
 外に出ると風は昨日と同じく強く吹き荒れ、雨がパラパラと顔を叩いた。
 朝食は昨日の残りのカレーで、カレー雑炊。一人、タープの下で寝ていた新谷さんもやってきて、タープを皆がテントを立てている場所に移動する。
 朝から、この日は停滞だと判断され、ただ、荒れて移り変わる海の様子を呆然と見ているしかなかった。
 雨は次第に強くなってきたが、時たま止んだりと、不規則に降り続ける。風は常に強かった。むしろ昨日よりも強く、上陸した場所に行くと、体が吹っ飛ばされそうになる。
 停滞中はみんなヒマなので、色んなことをする。
 雨にも降られ、風も強いのに、みんなテントに入らず焚火の前に集まってユンタクをし、朝だというのにすでに酒を飲み始めている人もいる。薪が拾い集められ、焚火では羅臼で獲れた「チカ」という海版のワカサギが焼かれて振る舞われた。骨がワカサギより硬いが、味が濃く、甘くて美味い魚だ。しかも安いらしい。堤防で、時期になると馬鹿みたいに釣れるそうだ。やってみたいな~。
 焚火のそばで温められた小石をカイロ代わりに持って温まる人たち。僕は熱い小石をワインに入れてホットワインにして飲んでいた。暖かいという事はこういう場所ではそれだけで慈愛に満ちている…。ホットワインって、美味いなーと思ったね。
 あたりを散歩している人も多く、たいがい海岸に落ちている珍しいものを拾ってくる。この海岸は骨が多く、鹿の骨はもちろん、トドの肋骨や、クジラと思われる馬鹿でかい骨なども拾ってくる人がいた。
 グッさんの防水ケースが風に舞い、裏の崖に舞い上がってしまって引っ掛かってしまった。取りに行くのは不可能だと思っていたが、時間が経ってから風が変わったのか、だいぶ下の方まで降りてきて、回収可能な場所まできた。僕が走りよって取りに行くと、無事に回収できたのだけど、ふと横を見ると鹿の頭蓋骨が転がっていた。こいつもこの崖を転がり落ちて死んだに違いない。立派な角がついていたのでそいつも持って帰ることにした。
 海を見ると時折、アザラシが顔を出してこちらを見ている。
 海坊主のように、静かに顔をこけしの様に出している奴らを見ていると、アラスカに行った時の奴らを思い出した。海獣類がすぐ間近に見られる環境と言うのは現代の日本では珍しいことだ。
 もともと日本の海岸線にはたくさんのニホンアシカや、アザラシが住んでいたようだ。しかし漁業にとって邪魔な存在である彼らは漁師によって殺され、現在は見ることが出来ない。今でもアシカにちなんだ地名は多いのだが、その名残は逆に痛ましさを感じてしまう。日本の沿岸漁業にとっては、よかった事なのかもしれないが。
 そういう意味でも、やはり知床は本来の自然が残っている場所だなぁ~と、つくづく思ってしまう。
 あまりにも雨が酷く、通常の雨具を着ている僕にはきつかったので、昼過ぎからテントの中に逃げ込んでしまった。漁師ガッパを着こんだ人たちは、かまわず雨の中酒を飲み続けていた。
 新谷さんの本の中で、漁師ガッパを偉く推奨しているのを、「何を大袈裟な…!」と、思っている人は一度、春の知床に行った方がいい。僕はあのカッパが、しんそこ羨ましかった。
 漁師ガッパ自体は昔、水産庁の調査船に乗ったときに作業着として着たことがあるが、完全防水で、とにかく温かい。風で吹き込む事もないので、まさに知床のような環境では最強だと思わずに入られなかった。
 日が暮れる前、雨が降って崖からの落石が多くなってきた。大規模な落石による事故を防ぐ為に、テントの位置をずらす事に。雨と風、寒さの中でこのような作業は非常に面倒臭い。だが、やらなければどうにかなってしまうかもしれない。その面倒臭い行動の決断もしっかり行わなければならないリーダーの決断というのは、やはり大変な事だと思う。
 夕食は米と汁と、シンプルな物だったが、人に作ってもらえるうえに、このような環境ではたいしたご馳走だ。
 この夜は、さすがに皆、早めにテントに入り、寝たようだ。新谷さんのテントは壊れてしまったので結局、タープで寝ることになり、外から完全に石で入口を閉じ、風が吹き込まない状況にしてから、僕らも就寝した。
 明日は出発したい・・・。
 というか、天気よ、改善して~。