11月17日 

 リーダー/村上 
 隊員数/ 11名 尾崎・植村 離隊 野村合流 
 漕行距離 約35㎞ 白石島→因島:折古浜

 

 
 朝 4 時半ごろから周りで寝ている人達はごそごそと起き出した。早すぎるでしょ、いくらなんでも…。 5 時まで粘って寝る。寝たいものは寝たい!
 その後、荷物をまとめ宿を出て真っ暗な海岸にあるカヤックのもとへ行く。パッキングをし直し、コンロを取り出して朝飯の用意をする。昨日はごちそうになったので米が炊けておらずラーメンを作る。まわりの人達はかなり色々と食材を持ってきており、旨そうな料理を創意工夫していてうらやましい。
 昨日と同じく 7 40 分にブリーフィングを行い、出発は 7 時前には行っていた。
 天気は昨日の強風、曇り空とはうって変わって晴天、凪。静かな海面を漕ぎだすと左手から朝日が昇ってきた。早朝のパドリングは気持ちが健やかになる。すがすがしい。ここで尾崎さんと植村さんは離隊し、今回の横断隊を後にした。
 

 
 代わって今日からは野村さんが加わった。
 白石島を出た隊は進路を西にとり、海峡横断をして仙酔島(せんすいじま)に向かう。これと言って問題のない海峡横断。視界もいいし、単調なパドリングを続けると仙酔島と本土との間を通り鞘の浦にでる。ここにある弁天島の麓で休憩する。ここの対岸には朝鮮通信使達が泊まった宿がありそこからの景観は「東洋一美しい」とまで言われた場所のようだった。そう言われて見なくても、なかなかさすが、きれいな景色だった。
 そのまま沿岸を漕いで行くと、今度は岬の先端に観音様が祀られている寺があり、そこは阿伏兎観音といい、安産祈願に良いらしく、ちょうど奥さんに子供ができた原さんが海上から参拝していった。
 

 
 田島に移り、その南側を漕いで行く。その先にある横島にたどり着くと、そこの海岸に上陸し昼休憩となった。横島は村上さんのホームグラウンドだ。そのため、村上さんからローカルな島の情報を聞く。ちょうど瀬戸内の漁業の話になり瀬戸内で昔行われていた帆船での漁や、漁法が卓越されていたため、各地の漁協に漁業指導で出かけていった話などをした。
 瀬戸内は日本国内で一番生産力が高い海だと言われているが、その割には漁民の漁業の技術が発達している。半農半漁の生活をする漁師ではなく、専業で漁業を営んでいた漁師が太古から存在するということかもしれない。
 一時間休み、 12 時頃出発。横島の東側の海岸にとまっていたためあまり気付かなかったが、昼過ぎから風が出てきたようだ。村上さんのクラブハウスがあるあたりを遠目に見ながら横島の南を通過すると、対岸にはしまなみ街道の根元に当たる因島(いんのしま)が見えた。右手(北)には向島と、因島を結ぶ因島大橋が見える。
 岬のように突き出た当木島を越えると、急に向かい風が強くなった。潮流も心配されたが、この時はむしろ風の方が厄介だった。
 因島と弓削島の間の海峡を目指すが、南西の風が強すぎて隊の並列が乱れてきた。向かい風になると露骨に隊員の技術の差が出てくる。
 
 リーダーの村上さんは最初の狙い通り海峡側の地蔵鼻を目指すことを勧めたが、内田隊長が吹き下ろしを避けるために岸に寄ろうと一番近い白獄の鼻近くに向かう。単純に風だけを考えれば内田さんの方が正解だと思うが、村上さんは潮の影響を気にしていた。潮の流れはその土地に詳しい者が強いのは確かなことだ。でもこの時はそれほど潮の影響を感じなかった。
 結局僕らは岸に向い、風の弛んだ場所で隊がまとまるのを待ってそこから地蔵鼻に向けて漕いで行った。風に対してタッキングしていく形だったが、村上さん的には納得できない様子だった。
 どちらが効率良かったのか、正解は今となってはわからない。答えがわからないからこそ、カヤッカーは自分なりの方法を考えていくしかないのだろう。
 

 
 地蔵鼻を越えて因島の南側を漕いで行くが、風が強くて岸際ぎりぎりを漕いで行く。沖には強い風紋ができており、その風にあおられないよう、じわりじわりと進む。あまりに風が強く、僕はかぶっていたグアテマラキャップを吹き飛ばされて沈めてしまった…。自分の帽子を飛ばされたあげく、失くしてしまうなんて久々の体験だ。 2 シーズン使い込んでいた帽子だけにちょっと悲しい。
 結局、この日は風に負けて近くの折古浜に上陸した。 14 40 分上陸。
 ものすごい小さな浜だったが、透明度がよく非常にきれいだ。今はやっていないようだが、昔は海水浴場としてにぎわった時期もあるらしい。テントを立ててぶらぶらとあたりを探索しようとしていたら地元のおじさんが左官で使うと砂を取りに来ていた。キメが細かく瀬戸内特有のベージュ色の砂がきれいだ。
 

 
 隣には大きな港があり、港があるなら商店もあるだろうと探すと、案の定コンビニ一歩手前といった店があり、買えなかったビールと少々の嗜好品を補充する。海から来たのでこの島がどれほど栄えているのか知らないが、コンビニまであってレジのお姉さんは若かかったし、若者もちゃんといる島なのだな…と思った(翌日、島の反対側にまわったら、相当栄えていてたまげた…!)。
 この日の夜、白石島の原田さんが持ってきた自作の燻製が原さんの持ってきた里山コンロ(詳細は後ほど)で焼かれてふるまわれた。マトンや鶏肉の燻製や、不思議な魚の燻製があった。食べると味が濃くて美味い。何の魚かと聞くと、意外な魚だった。  
「ボラだよ」
 な、なんとまー。瀬戸内らしいと言っちゃそれまでだが、ボラの燻製があんなにうまいとは思わなかった。酒がすすんだ。
 ここにきて初めて自己紹介のような話になり、内田さんが「おまえ、何ていうんだ?」とふるので、「え?一応、赤塚です。赤塚不二夫の赤塚です」と応えた。するとだ。  
「何?いちおう?苗字がイチオウで、名前がアカツカか?不思議な名前じゃのー」  
「ちがう、あれだろ、イチヨウだろ?樋口一葉。げはは!」
 ウわー、メンドクセー。絡みたくないわ~このおっさん達…。
 とりあえず得意の愛想笑いで話を流す…。しかし喰いついてくる…!  
「よーし、じゃぁお前は今日からイチヨウだ!よろしくな、一応クン!!」
 そんな訳で、僕は横断隊にいる間、一部の人間からは「イチヨウ」という名前をもらうこととなった。由来はともかく、あまりそれまでになかった呼ばれ方なので、ちょっと斬新な気持には…なった。
 この後、明日から合流する五福さんや地元の村上さんの知り合いなどがやってきて夜は更けたのだった(と、いっても 9 時が限界。飲み始めは 4 時頃なのだ)。

 
 

11月18日

 リーダー/本橋 
 隊員数/12人 
 漕行距離 約19km 因島→大三島:甘崎の浜 

 
 

 
「よし、じゃぁ明日のリーダーはお前がやれ、本橋!」
「え!?僕ですか??」
 昨日の夜、酒の席でそんなことが決まり、この日のリーダーは本橋さんに決まっていた。
 生真面目そうな本橋さんはそれから原さんや村上さんから島や潮流の情報を訊きまくり、海図とにらめっこしたまま塞ぎ込んでしまっていた…。そして当日。何気にこの日が海峡判断をする上で一番厄介な日になろうとは、本橋さんも思いもしなかったことだろう…。
 

 
 折古浜をいつも通り7時前に出発。因島を南下し、生名島側に渡る。途中、造船所があり、巨大な貨物船の横を小さいカヤック船団が通過するのは、なんとも人間を仰ぎ見る蟻になった気分だ。生名島の北側を北上し、その先にある無人島で休憩する。この区間は島と島の間が狭く、生活用の船舶が頻繁に通過し、危なくないといえばウソになるが、それでも大勢の高校生を乗せて走る船を見ながら漕ぎすすむのは、瀬戸内らしい生活感を感じられて良かった。
 この島で休憩した後、一気に生口島まで漕いで渡る。このあたりから向かい風が強くなり、できるだけ正面に当たらないよう、最短距離で島を目指した。
 島に着いてからも西風が強くなり、かなりの向かい風の中を進む事となる。なるべく風の受けまいと島沿いに漕ぎ進みフェリー乗場は桟橋の下をくぐる事ができたのでその下を通って先に進む。
 ところが風が強くなりすぎ、原町の沖あたりで突風が襲うようになってきた。休憩したくとも場所がなく、何とか正面に見える地蔵がある小島の島影に入って風をしのぐ。でもこの場も全員が上陸できる浜でもなく、抜けた風が巻いて、それほど気が安らぐ場所ではない。困っているとすぐ横に漁港への入口が見えた。僕と村上さんとで偵察がてらそこまで行ってみる。
 風は爆風で近くにある学校の砂が舞い上がり、砂塵が恐ろしい事になっていた。ああいうのを見ると、他人事に思えて笑えてくるのは何故だろうか?
 コンクリートに囲まれた川の河口を浚渫して船を係留しているだけの場所だったが、風待ちをするにはいい場所だ。みんなをよんでしばらくここで休憩とする。上陸できると思った浜はヘドロがひどくで上陸できそうも無かった。
  20 分ほど待っていると、風が穏やかになったような気がした。隊長が痺れをきかせ、外に出ると漕げそうだ。再び西に向かってみなで漕ぎすすむ。
 いくぶん、風は収まっている。さっきまでの爆風はなんだったのか?と、思えるくらいだ。向かい風ではあるものの、十分漕げるレベルなので今のうちにと、みんなで漕ぎすすむ。
 だが、おそらくこの部分だけ島影に隠れているだけなのだろう、大三島との境、多々羅大橋が近づけば、北から回り込んできた風が吹いてくるに違いない。その予感は見事に的中し、大三島が近づいてくるにしたがって再び風は強くなってきた。
 そして、岬を越えるごとに風は強さを増し、とうとう多々羅大橋が見えた頃には、漕げないレベルではないにしろ、とても海峡横断ができるような感じではなくなっていた。避難とばかりに岸にカヤックをつけ、みんなで持ち上げて上陸する。しばらくここで風待ちだというのを、みんなわかっていた。
 上陸するとみんなで風裏を探してフラフラと彷徨い、適当な場所を見つけては身を丸くしていたが、結局みんな同じ場所に落ち着いた。本道から外れた岬を回りこむような側道に座り込み、昼飯となった。時間もすでに 11 時近かった。朝が早いので 10 時過ぎには腹が減るのだ。
 

 
 

 
 風がないと日が照って、ポカポカと非常に気持がいい。ジャケットはすぐに乾き、塩がカサカサと落ちた。昼飯を食べてくつろいでいると、何とも眠くなって気持ちがいい。
 ここで優しい顔の男の人と、女の子を連れた女の人がやってきた。みんなで食べてとバケツいっぱいの蜜柑。なんか見たことある人だなーと思ったら、その人が日本で最初に日本一周をカヤックでやった井上さんだった。井上さんは今夜からいっしょにキャンプをし、明日からいっしょに漕ぐという。いやー、こりゃ随分とどえらい人が現れた。まさにシーカヤック界のレジェンドだ。まさか会えてお話までできるとは思いもしなかった。
 風は止んだ様に見えたり、やっぱり吹いたり、あまり変わらない様にも見えたが、待っていてもしょうがないと 13 時頃、出発する事になった。この横断が、この遠征最大の難問を突きつけた。
 当初、風の影響と潮の関係で大橋の橋脚より北側を目指してフェリーグライドで漕いで行こうという事で、かなり斜めに漕ぎすすむ形をとった。最終目標としては橋の麓に見える多々羅しまなみ公園という道の駅だ。しばらくは三角波と風に遮られてなかなか進む事ができず、じわりじわりと距離をつめるような感じですすんでいた。でも進んでいる実感はあった。陸の上から見ていたよりは海面は静かな物だったし、橋脚もしっかり移動していた。  
 だが、途中からあまり進んでいないようだった。内田隊長達はこれを見て、流れに逆らわずに直接岸を目指した方がいいと、進路を左にとった。そしてそれは海上での合図で送られていたはずだった。ところが後続隊(左右に分かれていたので右舷隊?)は当初通りの道筋で前進し、その結果距離が広がっていった。この日リーダーだった本橋さんはちょうど中間地点にいたと思う。僕はやや隊長寄りの中間地点だった。正直、客観的に「あーあ、バラバラになっちまったよ…」としか思っていなかったというのは今だから言うが、海も思っていたよりひどくなかったし、なんとでもなると思っていたから焦りもしなかった。でも勉強会という意味ではこれはどっちかが悪いという話になるだろうとは思った。
 僕の意見を言わせてもらうなら、これは完全に統制不足です。
   リーダーがどっちにいっていいか迷っちゃっているんだから、皆どうしていいかわからないのは当然です。リーダーは先頭にいるべきだし、後続を気にするなら先頭のペースを下げる方が確実だと思う。内田さんが先頭に出始めた時点でそちらに移動し、何故そうするのかを聞くか、注意をするか、何かしらの判断をくだすべきだと思う。
 リーダーが後方についていたら、逆に先頭は困る。本橋さんのレポートを読んで思ったのはやはり諸先輩方の意見・情報を重要視しすぎて、自分の判断に自信が持てなかったのではと思う。僕も瀬戸内の情報量はまったくないので確かに同じ立場だったらどうなっていたかはわからない。でも、この日のリーダーは内田さんでもなければ原さんでも村上さんでもなく、本橋さんなのだから、「俺について来いオーラ」を、もっと出してほしかったと思うのは、僕の我侭な希望でしょうか?
 情報を伝達するのがリーダーの役目ではないです。情報を咀嚼して自分なりの方法論に結び付けて隊員に確実に伝えるのがリーダーだと思います。
 ウワー…偉そうな事書いちゃった~…。次参加する時が怖いな~俺・・・。
 一方、内田さんもその方が楽だからとわかっていても、リーダーの言った事に付き合ってやるというのも必要ではないでしょうか。他の隊員はリーダーではなく、内田さんの方についていく事になっちゃいますし。
 とにかく、この日は風が強く、潮の影響も考えられ判断は難しかったと思う。情報よりも潮の流れはイマイチだったし、その辺はやはり状況判断を下す経験論なのかもしれない。明日は我が身です。偉そうな事書いて申しわけないです。
 

 
 結局 1 時間近くかかって多々羅大橋を通過し、大三島に 14 時頃、到着する。考えていた浜はしょっぱいので、さらに南下して甘崎の浜に上陸。時刻は 14 時半。パドリングを終了するには早い時間だが、この先にある鼻栗の瀬戸はこの時の潮では越えられそうも無いので今日はここまでとなった。
 くしくも本橋さんはこの日で最後。ファルトコンビも解消されて明日からは僕だけとなった。本橋さんのエルズミアがいとも簡単に解体されていく。
 ファルトボートで旅する者にとって、この瞬間が最も切ないのだ。この旅も、終わりだと…。この日は一泊し、明日に仙台に帰るという。
 竜舌蘭の生える浜で、狭いので皆から離れその麓にテントを張った。風が吹き抜けてテントが七転八倒している。流木に結び付けてテントを固定した。
 この日は流木もそこそこあり、浜の窪地で拾った釜の中で焚火をした。その火にあたりながら皆で酒を飲む。どういう訳かこの日、僕は飲みすぎてかなり酔っぱらった。どうやって寝たのか記憶がないのだ。何でそんなに飲んだのかもわからないが、とにかくよく飲んだ記憶だけはある。後日、話した記憶も無いのに井上さんや内田さんが僕のプライベート情報を知っているのでビックリしてしまった…。困った若造である。