シーカヤッカーのお勉強会に行ってきました

山口県油谷: シーカヤックアカデミー   

2006年5月19日~21日

 

 
 アラスカに行かなくなった。
 暇ではないが金に少し余裕ができた。
 ネットサーフィンをしていてシーカヤックアカデミーが5月の19~21日に行われることは前々から知っていた。参加する講師を見るとなんと北海道の新谷さんも参加するというではないか。その他にも日本の有名カヤッカーが多数参加、講師として来るということだったが、前々からこのイベントには興味はあったのだがなかなか参加する気にはなれなかった。
 遠いからだ。
 しかしbajautrip2005で、移動の距離感覚がおかしくなった僕は、まぁ何とかなるだろうという考えで、ここは一つ参加してみるか…という事になり、アカデミー当日の一週間前に参加する事を決めたのだった。


■たいへんだヨ、山口伊上への道中記

 
 アカデミー2日前。
 5月17日の夕方に東京駅八重洲口発下関行きの夜行バスに乗り、翌日18日の9時50分、ようやくバスは下関の駅に着いた。
 カナダのグレイハウンドバスや各地の夜行バスで慣れているはずだが、今回は妙に腰が痛くて寝付けなかった。
 曇り空の下関は人気が少なく、その町のビルなどの量と人とのバランスが都市圏に住んでいる僕からすれば妙にアンバランスに感じた。地方都市特有の空気だ。
 昨年末に福岡に働きに行っていたときに初詣を関門海峡近くの神社で行ったので、これといって真新しい感じもしなかったので早々に目的地の伊上まで電車で行くことにする。
 駅前のそば屋でかやくうどん大盛りを食べ、多少の食料の買出しをして山陰本線に乗る。
 電車はすぐにあり、それに乗って伊上の手前にある駅まで行き、そこで乗り換えるつもりでいた。40分ほどで終点の駅に着き、さて、乗り換えようかな~と思っていると車掌さんがホームのベンチに座って一息ついている僕に話し掛けてきた。 
「どこまで行くの?」 
「長門市方面ですけど・・・」
 イや~ナ予感がした。そしてみごと的中。どうやらここから先に行く電車は月に何回かある車輌点検のために4時過ぎにならないと出ないというのだ。ここからまた下関に戻り、山陽本線で厚狭まで行って、そこから乗り換えて長門市まで行ったほうがいいというのだ。 
「正確には伊上に行きたいんですけど…」 
「え!?伊上?そりゃ、不便な…」
 時刻表を調べてもらうとなんとかその遠回りをしたほうが早く伊上に着く事はわかった。車掌さんにお礼(?)を言って向かいのホームに向かう。やれやれ、なんだか昨年の夏の青春18切符を使った旅行を思い出してきた。
 再び下関に戻り、電車を3本乗り継いでなんとか伊上の駅に到着。
 電車を降りる時に切符を車掌さんに渡すと 
「だめだよ、この料金でこっちの路線から来ちゃぁ!」
 なんでこんな目にあった上に怒られなければならんのだ?時刻は16時40分になっていた。予定では12時にはキャンプ場に到着しているはずだったのに…。
 車掌さんにいきさつを説明するとすぐに理解したらしく、すぐに開放してくれた。
 やれやれ。
 駅を出るとトンでもない田舎だった。
 何もない。駅自体も非常にシンプル。
 海にでて、海岸沿いに歩き地図にあった場所に向かうと会場となるキャンプ場にたどり着いた。立派な管理棟があって、受付を済ませる。予約の電話をした時、キャンプ場宛にカヤックを送ったのでそれを無事受け取る。なかなか管理のしっかりしているキャンプ場だ。テントサイトも綺麗だし快適なテント泊になるだろうとこの時は思っていた。
 そもそもオートキャンプ場なので芝生のサイトにウッドデッキの駐車場が着いていて、電気が取れるように配線もひいてある。
 芝生の上にテントを張るとジトォ~ッと、グランドシートに水がしみこんできたのでウッドデッキの上にテントを張った。この時もまだ快適なテント生活を想像していた。
 キャンプ場には隣にもう一人、北九州ナンバーの車がとまっていたが、それ以外は誰もいない。さすがに前日入りするような気合いの入った暇人は少ないようだ。
 テントを張り終わり、カヤックを組み立てているとポツポツと天気予報どおり雨が降ってきた。カヤックをひっくり返し、傘を差して買出しに向かう。
 ネットで見た地図には3~4㎞先にコンビニとスーパーがあったはずだと思い、ひたすらに歩く。往復1時間も歩けば着くだろうと思っていたのだが、これが思いのほか遠い…。雨が降っていたのでなお更そう感じてしまい、丘を何個か越えるとやっとコンビニの看板が見えた。やれやれと2日分の食料とビールを買って来た道を戻る。
 あたりが暗くなって闇夜が迫る頃になってやっとキャンプ場にたどり着き、そうそうに夕食を作って食べる。
 キャンプ場のはずれにあるカヤックの艇庫には何人か人が出入りしているようだがキャンプ場は静かな物だ。雨が降っている中、流しのある東屋でスパゲティーを茹で、イワシの缶詰を入れただけのパスタ、ポテトチップを食べながらビールを飲む。しとしとと降る雨が旅情を深める。
 何もすることがないのでテントに入ってウトウトする事にした。なにしろ昨日は深夜バスでたいして眠れなかったのだからすぐに眠くなると思っていた。
 ところが雨が本格的に降ってくると、テントの下がポチャポチャと嫌な感触に変わってきた。飛び起きてライトを照らすとグランドシートが波打ち、所々浸水しているではないか!
 最初はそれでも開き直って眠っていたが、知床を思い出し、なんでキャンプ場でテント張っているのにこんな目に会わなければならないのだとしだいに腹が立ってきて、管理棟の隣にある集会所のような場所に移ることにした。ドライバックにどうしても濡らしたくない物と寝具を突っ込み、屋根のある下で野宿と決め込む。それにしても何と水捌けの悪いテントサイトなんだ…!!芝生の場所はグチョグチョで、水捌けのいいと思ったデッキの上も水溜りになっていた。テントを少しマシな場所に張り替え、放置しておくことに。 
「あー、もう嫌だ・・・」
 そう思ってやっと安眠できると思った矢先、それまで雨こそ降っていたものの風はなかったので安心していたのだが、深夜頃風が出てきて僕の寝床にも吹き込んできた。 
「勘弁してくれ・・・」
 最終的に僕はランドリー室に逃げ込み、そこで寝る事にした。時計は2時を回っていた。
 この時点で僕のテンションはかなり、ドンビキしていた。
 来なければ良かったと・・・。
 
 

■第8回シーカヤックアカデミー

 
 翌朝、人が来る前に起きないとまずいと7時にはかたづけて朝食をとった。
 受付は8時半からで、それまで雨はあがっていたので濡れていたものを乾かし、それを片付けるとテントにぶち込んで受付を済ました。
 ほとんどの参加者は車で来ており、車上生活と決め込むようだ。何だか一人濡れ鼠の僕は貧乏丸出しな感じだった。
 シーカヤックアカデミー初日は全員、ツーリングという事になっていた。ただしアカデミー本体とは別に、上級者コースとして実践講座があり、アルガフォレストの柴田氏、NCKの村田氏、レインドッグ、KAYAK誌編集長の野川氏が講師として付き添って別行動を採ることになっていた。僕は今回そんなに漕ぎたくなかったしテクニック的に上級者という気がなんかしないので一般の方と一緒にツーリングに出ることにした。別料金を払う余裕がなかったという理由が一番でかいが…。
 ちなみに今回の講師は上記の三人の他にもたくさんいて、海洋ジャーナリストの内田正洋氏、ナダカヤックスの末光氏、パドルコーストの吉角氏、そして北海道の新谷さんなど、ソウソウたる顔ぶれである。
 アカデミーは3日構成で行われ、初日の19日は上級者向けの実践ツーリング、一般とも変わらず海上でのツーリングのみ、夜は廃校した小学校の校舎で夕食と講演。
 2日目の20日は各種フィールド(野内、野外、海上)にて各種講師がそれぞれのテーマにあわせて講座を開くというもので、その時間になると各自自由に移動して講義を聴くというものだった。夜は再び公民館で講演ののち、宴会。
 3日目は午前中、2日目と変わらないが午後は全員聴講のライフガードによるレスキュー講習と、海上保安庁による救助デモンストレーションがあり、シーアンカーの考察が行われた。
 初日のツーリングは一日行われる予定だったが、30艇以上という大人数である上に、途中から猛烈な雨に降られて視界がものすごく悪くなり、午前中だけで切り上げる事になり午後からは近くの公民館で「グループツーリングの危険性」というテーマでディスカッションが行われた。
 その後、会場が小学校校舎後に変わるので車のない僕は参加者の一人に声を掛けてヒッチハイクして会場に向かった。会場のある小学校の近くには日本の棚田100選にも選ばれているという(そんな物まで100選ってあるのかと思うが…)棚田があるというので一人見に行く。しかしあまりの天気の悪さに全然見られずに帰る羽目になる…。
 この日の夜はシーカヤックアカデミーが油谷町で行われるようになったまでのいきさつと歴史が紹介され、その後宴会となったが眠いのと何だか誰と話していいのかわからない妙な空気に嫌気がして寝てしまった。
 

 

 2日目、朝起きると皆で掃除をし、また別の人をヒッチしてキャンプ場に戻る。
 朝食をとったのち、今日の講義に入る。
 僕がとったのは一限目、内田正洋さんの「瀬戸内カヤック横断隊の意義」というもの。瀬戸内海を一週間で香川の小豆島から山口の祝島まで漕いでいくという、このアカデミーの実践版というものの話で、潮流を読みながら進んでいくという話は普段風ばかりを意識しているツーリングとは一線を画していて興味をひいた。
 2限目は新谷暁生さんの講義。「カヤッカーあるいは冒険家にとっての安全とは」という講義名だったがほとんど関係なく色々な話に飛んでいく感じで、新谷節と言った感じだった。
 昼食をはさみ、試乗タイムがあって、その後KAYAK誌主催のパドルランチコンテストがあった。
 試乗ではFeathercraftを代表してグランストリームの大瀬氏とサザンワークスの松本氏がきていたのでウィスパーとカサラノに乗った。お2人とは初日のツーリングで挨拶をしたが、お互い知っていたのに顔をあわせるのは初めてで、なんだかどぎまぎした初対面だった。
 ウィスパーはかなりいいですね。2年前のオーナーミーティングで乗った試作品とは全然違って、非常に乗っていて面白い船でした。1泊2日のツーリングにはもってこい。これからの主流はカフナからウィスパーに変わりそうである。カサラノは相変わらずいい船で、これなら日本一周もできるなと思えるスピードでした。
 3限目はDAIDUKOCEANKAYAKS&ADVENTUREというショップをやっている原康司氏の講義。海上で行われていたが「カヤックでの一人旅」というテーマで、ソロでのカヤッキングを考えるものだったが、話はほとんど遠征に関する事だった。
 原氏とはこの時が初対面だったが、アラスカの遠征を繰り返していたという事と、インドネシアの真珠養殖の仕事をやっていたというのが妙に気になっていたので話を聞いてみたかったのだ。
 この日の夜は地元のバンドと新谷さんの講演。知床の問題を話す新谷さんでしたが、なんだかものすごく酒が回っているようで知床情歌も歌ってくれた。ヴァイオリンもそうなのだが、この人はやる前はすごい照れているのに実際にやりだすとビシッと決めてくれるので非常にカッコいいのだ。
 夜はまたもや宴会となったが、大瀬さん達と高階救命さんの営業の人達とトランスの話などして過ごす。
 

 

 

 最終日、最初の講義はエルコヨーテの洲澤育範氏の「カヤックと話す」を受講。トラディショナルカヤックの第一人者、日本でも有数のカヤック研究家の氏がグリーンランドパドルやカヤックの構造の事などを話してくれた。僕は「ファルト乗り」だし、アラスカ博物館にあるアリュートのカヤックを見てからこういうものに結構興味があったので面白かった。新谷さんや内田さんのナローパドルの理論なども加わってなかなかためになる。
 その後は海上保安庁のヘリコプターによる救助デモだったが、ヘリが来ないので先にライフセイバーによるジェットスキーを使ったハワイのサーファー救助に編み出された救助方法デモを見る。
 昼食の後、川尻の鯨唄が披露され、再び試乗。昨日あまり話せなかった原さんと話をする。話をするにつれて今年の瀬戸内横断隊の話になった。なんだか話を聞いていると面白そうなのだ。11月の中旬頃に行う予定だというので参加するかもしれない…。
 そんな話をしていたらあるおじさんを紹介され、その人が作ったという竹でできたカヤック、通称「タケダルカ」に乗せてもらえた。ちょっとさっきから気になっていたのだが遠慮していたのだ。はっきりいって普通に乗れる。手造り感がたまらず、これで旅にでたくなった。俺も自分でスキンカヤック作ってやってみようかな~。
 その後やっとヘリが飛んできたのでそのレスキューデモンストレーションを見る。
 ヘリが上空から飛んできた時、何故か僕の中で「燃えよドラゴン」のラストシーンが頭に浮かび、「ちゃ~ら、ちゃちゃん!」というBGMが流れた。たぶん、俺だけだろう…。
 遭難した時のレスキュー用具を実践していて、それも実際に見られたのは良かった。しかしそれとは関係なく巡視艇から飛び降りた人を本物の「海猿」が救助するシーンは皆でシャッターを押しまくっていた。そして颯爽とヘリは帰っていった。
 ヘリが去るとそのまま最後の講義、シーアンカーの講座が始まった。
 僕はこの講座が聞きたくてこのアカデミーに参加したといってもいい。とりあえずカヤックにおけるシーアンカー(ドラグ)はジョンダウトの著書にも記載されているにもかかわらず、ほとんどの人が携帯してなくてなかなかその仕様を見ることができなかったからだ。 釣りで使えるな~という事も考えていたが、開催側が思っていたように、2005年3月に起きた西表島での漂流事故をきっかけに僕もこの道具の実用性を知りたかったのだ。
 実際、効果は見た通りで、かなり効果的なようだった。収納もそれほどかさばるような物でもないし、過激なサーフゾーンでのエキジットにも使えるという話を聞いて、ちょっと購入を考えた。ただし、現在シーカヤック用のシーアンカーを取扱っているのは我らがFeathercraft社製のものだけらしく、その取扱量もかなり少ないといったものらしい。世界的にもシーアンカーの必要性があまりないようなのだ。簡単に作れそうなので自分で作ってみることにする。
 それが終わると僕は昼休みの間にテント、カヤックは片付けてパッキングも済んでいたので大瀬さんのところに行き、カヤックを解体するのを手伝い、ついでに会場撤収の手伝いもすることになった。船の解体はウィスパーとカフナをやったが、構造は元来のカフナとあまり変わらないようだ。だがコーミングの構造が大きく変わり(ビルトインコーミングシステム)、よりコンパクトになったうえに、サイブレイスバーが着いたのでガッチリと下半身でカヤックを支えられるので従来の物よりロールもしやすくなったと思う。そういうことも知れたのでなかなか手伝いはするものだ。 
 
「どうやって帰るんだ?」と言う話になったので高速バスで帰るというと、途中まででいいなら大瀬さんが送ってくれるといったので甘える事にした。なにしろ本来は四国によって夏の仕事の打ち合わせをするはずだったのだがそれが急遽なくなったので四国による予定がなくなり、どうやって帰ろうか実は悩んでいたので、「渡りに船」な話だったのだ。
 新谷さんにも別れの挨拶を済まし、あまり話もできなかったKAYAK誌の野川さんからバックナンバーを購入し、僕は油谷町を後にした。
地元に伝わる鯨漁の時に歌われる唄。昔の漁にはまだ獲物に対する『情け』があった
 
赤い舟のデッキに乗っているのが収容時のシーアンカーである。かなりコンパクトだ。持っているのは只のズタ袋。これでもいいらしい
 
 


■アカデミー:感想

 
 せっかく一週間ほどの休みをもらいはるばる東京から向かったのだが、最初にもらった大雨による浸水でかなりテンションが落ち、もっとガンガン質問しまくればよかったのだが、僕も中途半端にプロのカヤッカーだったこともあり、どこからどこまで自分の事を紹介すればいい物かよくわからず、あまり人と話をしないで終わってしまったというのが本音である。たぶん、油谷からの帰り、大瀬さんとはずいぶんと話をしたが、氏の僕の印象としては「よく喋るやっちゃな~」と思ったことだろう。そのくらい後半戦で一気に話をしたといった感じだった。人見知りする物の、一端気心が知れるとベラベラ喋りだすというお調子者の性格をモロに出した感じで恥かしい…。
 だがその一方で、関西圏の人がほとんどだったために実際に漕いでいるフィールド的に話があわないということもあった。
 また、毎年参加している方々は常連客なのだろうが、そういう人達だけでかたまってしまい、なかなか話をする機会もなかったという感じもある。こちらから話し掛けるとかなり驚いたような顔で「え!?」というような受け方をし、なんか印象悪いことが多かった。まぁしゃあないのかもしれないが。
 なにより思ったのが、初日に行われたツーリング後のディスカッションだが、ツアーリーダー達の身内話のような印象も受けて、一般のお客の立場である人からすればどうでもいいような、もしくは聞き捨てならないような内容も多かった。
「そんな事、こんな場所で言うなよ」みたいな。
 カヤッカーは自立した考え方を持たなければならないというが、だからといって客商売なのだからサービスや気配りの最低限はあるはずだし、そういうプロとしてガイドをやっている人の醜態話を聞くのは嫌な物だ。それがあってから、どうもこのイベントは仲間内で行っているだけのマニアックな話し合いでしかないのかと思い、一歩、退いてしまった所がある。とても一般の人(要するに個人で非営利にカヤックを楽しんでいる人)が参加しにくい感じなのだ。そういう雰囲気の中でも自立した人間という者は自己主張していかなければならないのだろうか??
 僕が多くの人と仲良くなりたいと思いすぎているだけなのか、積極性が欠けているだけなのかもしれないが、とにかく、自分の居場所に困った3日間でした。
 講義のほうは上記のとおり、ためになったものもあれば、確認の為の物もあり、面白い話がかなり聞けたと思う。ただ、東京からわざわざ来た割には…といった感じである。期待しすぎていたのだろうか…。
 ただ、奄美のシーカヤックマラソンに参加したときも思ったのだが、ここ油谷もかなり地元にシーカヤックというものが定着してきていて、犬の散歩中の漁師のおじさんなどにも、「シーカヤックの人かい?」と聞かれ、この横文字の船がしっかり地元にも認知されているというのはすごいと思う。それは過去伊豆で行われていた時からこの油谷にアカデミーが移ったときから精力的に活動している地元油谷のカヤッカーの皆さんの努力だと思うし、そういう点ではこのアカデミーをここまで開催してきたというのは尊敬すべき所だと思う。
 何だかんだいって今回のアカデミーで知る事も多かったし、まだまだ話してみたり、認識をもちたかった人もいるが、多かれ少なかれ出会いもあり、有意義なものでした。
 来年からは天草で行われるということで、シーカヤック大国、九州でなら参加者も多いと思うし、今後もシーカヤック界を引っ張っていって欲しいアカデミーです。
 
 最後にお世話になったグランストリームの大瀬さん、再会できた新谷さん、地元開催者様方、お世話になりました。この場を借りて感謝いたします。
 以上、きれいにまとまった(?)ところでお終い!