単独ケラマ気ままにアイランドホッピング

~沖縄県:慶良間諸島 ~

2003年11月19日~23日

 

 
 2003年11月13日。西表島でのシーカヤックガイドの仕事を辞めた僕は石垣島からフェリーに乗って沖縄本島に向かった。
 そこでしばらく、久しぶりの都会の空気にやられて怠惰な生活を過ごし、那覇や北部名護で何をするでもなく彷徨った後、沖縄本島に来た目的である慶良間諸島への単独アイランドホッピングに出かけたのだった。
 当初は那覇から慶良間まで渡ってしまえばいいとのことだったが、当時の僕はかなりのビビりで、単独で西表島を半周できなかったことからわかるとおり、当然慶良間までの海峡横断などできるはずもなく、海も荒れ気味だったのでそれを理由にずるずると出発が遅れ、本島に到着してから6日もして、やっと慶良間諸島の阿嘉島にフェリーで渡ったのだった…。
 

①沖縄本島

カメラが壊れたので写真が少なくてスイマセン!

 
 2003年11月13日。早朝石垣島からフェリー「飛龍」に乗り、夜に那覇港に着いた僕はターミナルで客引きをする民宿があるだろうからそこに泊まろうと思って予約もしなかったのだが、こういう時に限って客引きがいつまで待っても来ず、仕方なくタクシーに乗って「泊」まで行き、そこで宿を探したが、目当ての宿がなかなか見つからず、またまたしかたなく前に泊まった事があった「南風」に泊まることにした。
 しかしここは前日に泊まった客が使った布団をそのまま使いまわすような宿で、ここをたいへん気に入っている人もいるがいくら安い(一泊1500円)といっても同じ値段でもっといい宿を知っている僕にはどうも納得がいかず、今回は仕方なく泊まった。 翌日は那覇の町をぶらぶらし、前島にある「沖縄カヤックセンター」によって新しいパドルを買おうとしたが目当ての物の在庫がないということであきらめてオーナーの奥さんと話をし、「UMIKAJI」という新しい雑誌を買って店を後にした。オーナーの仲村さんとスタッフの池上さんはツアーに出ていたり、一足先に帰ってしまっていたりと結局会うことが出来なかった。 次の日は宿を「とまりや」という宿に変えて荷物だけ置かしてもらいバスに乗って北部の名護に向かいここでいったんバスを降りて友人に紹介された「名護ゲストハウス」に宿を置いた。再びバスに乗って海洋博記念公園に向かい噂の「美らうみ水族館」に行く。 海に潜る者にとって、ここはたまらない物がある。館内全体が沖縄近海にテーマを絞っており、非常にわかりやすい。そして珊瑚礁の水槽ではでかいフエダイの仲間やハタ類、ナポレオンなんかが近くまで寄ってくるので、思わず「おおっ!!おっ!おっ!」などと叫び、続いてジンベエザメで有名な厚さ60㎝のアクリル版で出来た大水槽に行くと、もう悶絶もんである。 「こりゃ入れすぎだろ!!」と、つっこみたくなるくらい大量の回遊魚が泳いでおり、3匹いるジンベエザメの大きさもさることながら、マンタが地味にヒラヒラ泳いでおり、メーターオーバーのツムブリやキハダ、タマカイなどを見ると一緒に泳いでいるロウニンアジでさえ小さく見えてしまう。

「た、たまらん!!」

 僕は修学旅行の高校生や家族連れ、カップルに交じってただ一人水槽の前に立ち尽くし、よだれをたらしながら向かってくる魚にアドレナリンを出していた。 ただ残念なのはここに来てカメラが壊れてしまたことだ。5年間使い慣れたカメラだけに残念でしょうがない。仕方ないので滅多に使わない携帯のカメラで高校生と一緒にパシャパシャとジンベエの写真を撮るのだった。 帰りはタクシーの兄ちゃんに捕まり、他のお客さんと一緒に「一人800円でいいよ」と言われ、名護市内まで帰った。普段は断るのだがもう一組のお客さんがきれいなお姉さんで、ついつい乗ってしまったのだ。でへヘ…、アホだね。 「名護ゲストハウス」はかなりよかった。ヘルパーのお姉さんたちもとても親切でかわいかったし(これ重要)、海のすぐそばにあるので夜でも昼でもテラスにあるハンモックにぶらさがってゆらゆら海を見ていると、もうそれだけで「この宿合格!」となってしまう。流木で作ったベッドもドミトリーだが雰囲気がよく、宿泊者は海岸に転がっているカヤックを使い放題で、施設だけ利用し、テント生活をする事も出来る。今度来る時はテント泊でカヤック借りて魚突きもアリだな、と思った。実際マイボツ者、多いみたい。 夜はジャンベ使いのヘルパー、ユーコさんと一緒に泊まっていたジュンと海岸でジャンベを叩きながら話をしていたら電灯潜りから帰ってきた地元の兄ちゃんがエビとコロダイをくれ、刺身にして食べた。 離島ばかり行っていた僕は「本島もいいなぁ」と思い、機会があればカヤックで沖縄本島一周もアリだなァと思った。 次の日は雨。重い腰を上げ、午後にジュンと那覇市内までバスで帰る。今思うとバスもいいのだが、レンタカー借りたほうが安く済んだんじゃないかと思う。ジュンは「リトルアジア(一泊1500円)」に泊まると言うので泊で別れ、国際通りに消えていった。僕は「とまりや」に向かう。 この日は3年前に石垣で出会ったアキが今はこっちで働いているのでこいつの家で飲む事になっていた。仕事が各自あるので8時過ぎに同じく3年前に石垣で出会い、今は実家のあるコザに住んでいるイッキさんと「とまりん」で待ち合い、車でアキの家に向かった。 しばらくはパソコンの話をしていたが10時くらいに同じ友人のトモちゃんが着たので真面目?に飲む事になった。
 
 ゲストハウスでもらったミジュン(沖縄のイワシ)があったのでこれでつまみを作ろうと思ったのだが、あまりにも自炊をしないのかアキの家には何も調理器具、調味料がなく、から揚げを作ったがめんどくさくなり最後は全部煮付けてしまった。そいつをつまみに飲んでいたら12時にイッキさんが帰り、2時頃トモちゃんも帰り、その後僕はアキの自慢の泡盛焼酎コレクションをビールをチェイサー代わりに利き酒して呑みまくっていたら泥酔してしまい、気がついたら昼の11時をまわっていた。
 せっかくとった宿が意味なくなってしまったことを悔やみつつ、眼の奥がズキンと痛くなる日を浴びながら二日酔いの僕はアキによろしく言い、とまりやに歩いて帰った。 途中、国際通りで露店を出してTシャツを売っているお姉さんが僕に向かって諸手を振っている。誰かと思ったら西表で一緒にパナリに行ったYさんだった。
 この人はぱぴよんの常連、高橋さんと船でパナリに行き、島に置きっぱなしのカヤックに乗って帰ってくるという予定でツアーに出たのだが、海が壮絶に荒れてしまい、パナリの手前まで来たところで引き返し、波をザブザブ被りながら港にたどり着いてそのままカヤックに乗り換え仲間川に行ったという、かなり特殊な思い出を共有していたので歳もいっしょだった事もあり妙に知った顔だったのだ。
 この子とは夕方くらいになったらまた会って飯でも食べようと言っていたのだが、夕方になると雨が降ってしまい僕が露店を開いていた場所に行ってもおらず、結局一回も食事をする事ができなかった。 この後はとまりやに戻ったがそれから2日間天気が悪く、慶良間に行くはずだったのにズルズルと沖縄本島に居続けた。天気が悪かった事もあるが、僕自身もどうにもしょうがない男で地図を買ったりカメラを新調しなければならないのにネットカフェに入ってネットやったり漫画読んだりしていたらミルミル時間がなくなり、西表で知り合った大城さんに連絡してみてもつながらず、国土地理院の地図を売っている所などネットで調べてさっさと行けばいいものをイチイチ歩いて探していたので無駄に体力と気力と時間と金を消費していった。 「那覇は魔都だ…」 自分自身の情けなさをまた他のことになすりつけた。なんでも非を他人のせいにする悪いくせが僕にはある。最も自分の嫌いなところではあるが、久々にすごす都会の生活は少々僕には誘惑が多すぎた。 ― と、まぁこんなあまりにも生産的なことをせず、ダラダラと那覇で過ごしていたわけで、本来の目的である慶良間でのツーリングは後へ後へと回されいったのでありました。

 旅は行き当たりばったりに、何も考えず行えばいいとは思うのだけど、人との約束を決めていくと結構時間は制限されていくものだから、そういう中で自分の決断力のなさを実感しつつ無駄な時間を作っていると、ただただイライラしていくのです。
 
  で、いよいよカヤックです。

②阿嘉島

 
 とまりやのオジサンやお姉さんと飲んだくれる日々もいいが、いいかげん慶良間に渡らないと那覇を去る日になってしまう。料金の安いフェリーで内地に行くとなるとどうしても日数が限定されてしまうので困る。 11月19日。この日は雨が降ろうが風が吹こうが船がある以上、慶良間に渡ってしまおうと考えていた。朝起きて朝食を買いに宿を出てみると、なんと青空が見えるじゃないか!

「むははっ!!」

 僕は意気揚々と準備をし、三線と少しの荷物を預かってもらい宿を出た。「とまりや」を選んだのはただ単に泊港に近いというだけの理由だったが水商売のお姉さんなどが寝泊りして、その子供が駆け回ったりと、なんだか中江裕二監督の「ホテルハイビスカス」みたいな宿だった。フェリー乗場までは重い荷物を担ぎ、カヤックを引っ張っていっても5分ほどで着いた。 ケラマ諸島は大小29の島から出来ており、そのうち有人島は阿嘉島、座間味島、渡嘉敷島、ゲルマ島があり、それぞれ泊港から船が出ているが、この時は渡嘉敷行きのフェリーがなく(高速艇はある)、阿嘉島行きの10時発しかなかった。 天気がよければ沖縄本島からカヤックで渡嘉敷に渡ることも出来る。実際先ほどの沖縄カヤックセンターや、大城さんの「漕店」でもアイランドホッピングツアーと称してカヤックで慶良間に行くツアーが組まれており、ぱぴよんのガイド、余語さんも一人で渡っている。しかしたいした航海用の準備もしていないし、天気が悪い中を漕いでいくのもバカらしいしダルいので普通にフェリーに乗って慶良間に渡り、カヤックで島を巡る事にした。
 
 フェリーざまみはたいして混んでもおらず、地元の人らしき人、観光客を半々くらい乗せて出向した。新しい土地への出発、そしてそこへ向かう船の中というのはなんともドキドキして興奮する。しかしそんなに興奮しても始まらないのでゴロリと横になりCDを聴いていたら眠ってしまった。船は結構ゆれた。
 11時15分頃、フェリーは阿嘉島に到着した。港には民宿やらダイビングショップやらの送迎が着ており、船から降りる人を次々に車に乗せて集落に消えていく。重い荷物を2回に分けて運び下ろし、トイレで用を済ませると港には人影がなくなっていた。
 まずは集落をぶらぶらし船を出すポイントを探した。スロープを探してそこから出そうと思っていたが色々と人工物を使うと後々面倒なことが起きそうなので近くにあったビーチから出す事にした。荷物を背負って浜まで行き、いったん荷物を下ろしてから雑貨屋に行って2リットルの水と500mlのさんぴん茶、それにライターを買って再びビーチに戻った。 風が髪をなびかせる程度吹いているが波はそれほど高くもなく日差しは申し分ない。カヤックを組み立てながら僕は大粒の汗をかいた。メガネがずり落ち、レンズが濡れて忌々しい。
 カヤックが組み終わりパッキングをしているとトラックがやってきて中から女の人が2人おりてきた。そしておもむろに服を脱ぎだした。思わず見入ってしまったがすぐにウエットスーツを着てタンクをしょった。どうやらここからエントリーするようだ。 パッキングが終わり出廷しようとすると2人も海の中に入っていった。僕はここの海を知らないのでもしかしたらすぐにきれいな珊瑚があるのかと思い、話しかけてみた。

 「すぐそこからきれいになるんですか?」

 「いいえ、ここは講習するだけですよ」

 女の人はキッパリと、こんな所がきれいなわけないじゃないと言わんばかりに答え、レギュレーターを加えて海に消えていった。 なんだか海を知らない男に思われたような、バカにされたような、なんだかよくわからないがとにかく恥かしくなってしまい、早々にこの場を去りたくなり船を出した。
 

出発した阿嘉島の前浜。

 当初は前浜からゲルマ島を回って再びこの浜に戻り、そのまま北上して島の北にあるニシ浜でキャンプしようと思っていたが南西の風が強くそれは無理そうなので直接ニシ浜に向かうのはつまらないので佐久原(サクバル)の鼻をまわって島の西側を北上しニシ浜に行く事にした。
 波は向かい風なのでバシャバシャとデッキの上に被り船体を洗っていたが漕げないほどでもなく、波風云々より慶良間は潮流が複雑だと聞いていたのでそれのほうが心配だった。実際サクバルの鼻では岬を渡りきったところで波が三角波になり非常にバランスがとりづらくなった。 
「止るとやばいなぁ」
 スピードを出していればカヤックは安定するのでとにかく漕いで早くこの場を抜けるようにした。すると心配するまでもなくあっという間に三角波はなくなり北上するにつれて波は一定の方向に向かい、南の風を受けながらカヤックはスイスイと波間を抜けていった。
 サクバルを越えてからは楽なものだった。思いのほか風が強く、船は波と共にどんどん北に運ばれていく。途中、クシバルという場所辺りで浅瀬を通ったのだが後からの波に乗り、10秒ほどサーフィンをした。痛快痛快!!
 儀名崎を通過し、イジャカジャ島を過ぎるとこのままゴールするのはつまらないと思い、そのまま座間味との間にある嘉比島をまわってニシ浜に向かった。
 その海峡に出たとき、ケラマ諸島の島々がいっぺんに視界に入ってきた。左に座間味、正面に無人島の安室島、その向こうにあるでかいのが渡嘉敷島、右にあるのが阿嘉島だとすぐにわかった。

 「なんて小さいフィールドなんだ…!」

 まるで箱庭のような限られた場所に大小さまざまな島が寄り集まりチョッと漕げばすぐ隣の島に行く事ができる。堆積岩でできた岩肌なので島は波浪の侵食により独特な形状を示し景観もいい。まさにカヤックには天国のようなフィールドである。
 最後の嘉比島からニシ浜までは向風なので多少苦労したが、出発からたった2時間あまりでたどり着いてしまった。何か漕ぎ足りない気分ではあったが初日という事でこの日のパドリングは終了。カヤックを浜に上げてテントを張る場所を捜した。
 ニシ浜ビーチは阿嘉島一番の人気ビーチなのか、いっしょにフェリーに乗ってきた女の子やカップルのほとんどがいた。別に無人地帯を漕ぐわけではないのでたいして気にはならなかったが、こんな中途半端な時期にダイバーでもない一般観光客が来るのだなぁと感心してしまった。
 浜から傾斜のある砂の崖を登ると道が現われ、その突き当りが枯れた木がたくさんありキャンプをした形跡が幾らかあった。そこに適当な平らな場所を探しテントをはり、カヤックから荷物を運び終わると急に暇になってしまった。
 海を見ると大小さまざまないりくんだ島が見え、青という色の様々なバリエーションに富んだ海がたまらなくきれいだ。浜では無邪気に大学生らしき男女が無理して水着で泳いでいた。 
 
「いっちょ…潜るか!」
 
 西表でけがした足の事もあったが、荷物がかさばり知人に「慶良間は漁師がうるさい」と聞いていた僕は今回ウエットスーツとウエイト、手銛を那覇に置いてきており、魚突きはあきらめ、釣りだけで魚を獲ろうと考えていた。だからあるのは3点セットだけ。その代わりインスタントの水中カメラを用意したのでカル~くシュノーケリングというのをやる事にした。
 ラッシュガードの下にTシャツを着込み、カヤックで沖に出る。ビーチの沖には御あつらえ向きにブイが浮いており、カヤックから飛び込んでブイにカヤックを繋留した。最初飛び込んだ場所は深すぎて底が何とか見える程度。そこからカヤックを引っ張って泳ぎ、だいたい水深7~10mくらいの場所のブイに繋留。 水はさすがに冷たい。
 ジャックナイフで潜水し、海底の死んだサンゴに掴んで海底に張り付くようにしてしばらく様子を見ていると、あれよあれよと魚が集まってきた。 慶良間のサンゴは素晴らしいと評判なので少々期待していたのだが、どうやらここはそうでもないらしく、いまいちパッとしない。しかし西表の海に比べると妙にクマノミが多く、そしてなによりタマンがやたらといる。青いグルクンの群が珊瑚の隙間を通り抜けて泳ぎ、砂浜を悠々とタマンの群れが移動していく。穴の中では40㎝位のミーバイがヒラヒラと闘牛士のマントのように胸鰭を動かしてこちらを見ていた。
 

 銛を持っているときより落ち着いているのかいつもより長く水の中にいる事が出来、夢中になってカメラのシャッターを切ったが、さすがにこの時期ウエットなしで泳ぐのはきつく、20分ほどで歯がカチカチ泣きだした。
 カヤックにまたがりブルブル震えながら浜に戻り、急いで着替えた。よく考えればあと数日で12月なのである。
 近くにある真新しいウッドデッキの展望台に登った。ここがなかなかの絶景で隣の座間味島や安室島の全貌が見渡せた。
 

 それにしてもなんと松ばかりの島なのか。
 慶良間に来て思ったのは山の木のほとんどが松や竹といった生態学的にはあまり遷移の進んでない植物ばかりで不思議であった。これが何故なのかは渡嘉敷に行ってなんとなくわかったのだが、西表島の原生林を見てきた僕にとってはそのこじんまりとした感じが沖縄の亜熱帯気候といえども、島によってその景観は様々だなと思わずにいられなかった。
 展望台を下りる途中、目の前に鹿が現われた。天然記念物のケラマジカだ。西表島でもずいぶんとお手軽に天然記念物を見たけれど、四足の物をこんな身近に見ることは珍しい。しばらく目を合わせたまま、僕が階段を下りるとシカが少し下り、また距離が詰まるとシカが降りるといった感じを繰り返し、階段を下りきるとシカは藪の中に突っ込んで消えた。
 
 まだ明るいうちに米をたいてレトルトカレーを温めて夕食を食べてしまったので夜、暇になってしまった。何でかしらないが酒を買うのを忘れており、歩いて集落まで行って買おうか迷ったがそれもめんどくさいのでテントから這い出てビーチに下り、砂のうえで横になりながら星を眺めていた。ひんやりとした砂の感触が気持ちよく、そのうちうまい具合に眠くなってきた。
 ビーチには他にも数組テントを張っている連中がおり、なにやら話し声が聞こえていたが、かまわず少し斜めになったテントの中で眠りについた。

③座間味島

 
 翌日はカラスの鳴き声で眼がさめ、なんだか気分が悪い。キャンパーのマナーが悪いキャンプ地はカラスが多いのだが、どうやらここもそのようだった。
 テントから出たばかりの頃は雲ひとつなくいい天気だったが、カロリーメイトとコーヒーの朝食を食べ終わる頃には次第に天気は崩れだし、風は昨日よりも西風が強くなってきていた。西表では西風がふくのは珍しく、ふくと決まって天気が崩れた。ケラマでもそうなのだろうかと心配になったが、今日一杯は大丈夫だろうと10時頃出発した。
 出発する前、前から赤いフェザーにのった男がやってきて浜に上陸した。話し掛けると同じカフナだったので、妙に親近感を感じてしまったがなかなかあっちが話に乗らず、思いのほか話は弾まなかった。 この人は座間味の阿真にあるキャンプ場にテントを張っているらしく、今日は阿嘉島観光に来ただけで、歩いてここから集落までいくという。話を聞く分にはまぁまぁいい感じの場所だったので、とりあえず僕も阿真に行き、気が向いたらそこにテントを張ろうと考えた。自分の中ではこの日無人島である安室島に行ってビバークするつもりだった。
 
 西浜をでて目の前の安慶名敷島の東をまわり、そこから阿真に行く。今回はトローリングでルアーを流しながら行く事にした。
 阿真にはたった40分ほどでついてしまった。遠浅の海岸で、干潮から満潮に移る時間だったのでカヤックを出来る限り浜にあげ、コンクリートブロックをアンカー代わりに縛り付けておいた。そして必要な物だけを持ち、歩いて座間味の集落に散歩に行った。 浜から林の中に入っていくと、そこは青少年旅行村というものの一部、、くじらの里ふれあい広場というもので、そこがキャンプ場であることがわかった。典型的な第三セクターキャンプ場で一番嫌いなタイプだ。急激にやる気をなくし、妙にこぎれいで、妙に生活感のあるキャンプ場に辟易し、早々にこの場を離れようと思った。
 阿真から座間味までは歩いて15分ほどだ。途中映画「マリリンに逢いたい」のモデルになった本物のマリリン像を眺め、コンクリートの護岸の上をテクテクと歩いて渡った。時々イカの墨がついている。 沖縄独特の「亀甲墓」が多い。この墓は女性の子宮の形をかたどった物だと聞いていたが、その形を見ると、確かに…と、うなってしまう。
 集落につくと売店で買出しをし、食堂で沖縄そばを食べる。この島のカヤックショップで少々情報をもらい、ターミナルでしばらくコーラを飲みながらボーっと海を眺めていた。ちょうどフェリーが着いた時でパラパラと人がでてきていたが、すぐに静かになってしまった。
 阿真ビーチに戻り、出発の準備をしていると、西浜であった赤いカフナの兄さんと、明らかに同じ人種の男が1人近寄ってきた。男は今回、自艇は持ってきてはいないものの、ここで借りてフラフラしているという。
 僕が西表島で働いているというと、驚いた事に共通の知り合いがいて何だかんだで働いていた場所までばれてしまった。この人、現在屋久島でカヤックのガイドをしている人らしい。名刺をもらうと確かに「屋久島カヤックツアー 風 こんのまさゆき」とあった。イヤァ~、この業界は狭いとは聞いていたが、改めてそう思わざるをえない出逢いだった…。 
 
 思わず長話をしてしまい、1時過ぎに出発する事になった。相変わらず西風が強い。座間味港を通過してイッキに航路を横断する。少し心配だった外白崎もアッサリ通過し、そのまま古座間味ビーチを横目に風に乗って北東に進む。途中うしろから二人乗りのジェットスキーがやってきて海上で軽く挨拶をする。50位の白髪のオヤジが後ろに若い女の子を乗せており、腰にがっちりと腕を回されている。いいなぁ、ああいうの。
 安護の浦の入口をあれよあれよと通過し、座間味島東端にある半島のくびれたところに上陸する。ここまで来た頃には空は完全に雲に覆われ、風は海上に白波を作るまでに吹き荒れていた。ダイビング船が何隻か出ていたが、カヤックでは少々不安になってくる。せっかくだからと随分遠回りしてきた物の、帰れなくなったらシャレにならない。いざとなればそのまま渡嘉敷に行ってしまえばいいのだが、無人島キャンプがしたかった僕は10分ほどですぐに離岸し、北平瀬まで行ったところでイッキに安室島に向かって漕ぎ出した。
 もろに向かい風を受けながらの漕行だったが、スピードは出ないものの結構漕げるもので、着実にフネは安室島に近づいていった。ぱぴよんで働いているうちに知らないうちに馬力だけは強くなったようで、これはさすがに山元サマサマである。多少の時化ではちっともビビラなくなったが、リジットならともかく、カフナのポテンシャルがいまいちまだ良くわからない僕はソフトよりもハードの面が心配であまり無理ができなかった。
 漕いでいると、次第に安室島の島影に入ってきたのか風が弱まってきた。 安室島の前には多数の養殖いかだが浮いていて、近づくとひどい異臭が鼻をついた。魚の腐った臭いだ。座間味漁協はマダイやスギの養殖で沖縄県では儲かっている方の漁協だとは聞いていたが、このいかだもそのひとつだろうか?海底はどうなっているのか?サメは多くないだろうかと要らぬ心配をした。
 どこに上陸しようかと、島の周りをウロウロしていると、流しているルアーに何かが掛かった。かなりあたりがでかかったので、期待したのだが、ただのイシミーバイだった。とりあえずキープ。振り向くと焚火の跡らしきものがあり、地面もならしてある場所があるのでそこの上陸し、テントを張ることにした。
 
 安室島は国立公園に指定されているケラマ諸島で唯一キャンプできる無人島だと、後になって知ったのだが、その時はまるでそんなことは知らず、地理的なことや、せっかくカヤックで旅しているのだから無人島でビバークするべきだろうと勝手にめぼしをつけていたのだ。
 砂の丘を登り草原を抜けて島の反対側に出ると、恐ろしい爆風が吹き抜けてきた。海にはウサギがぴょンぴょン飛んでいる。東側にテントを張って正解だった。
 目の前のビーチでルアーを投げた。
 ただの暇つぶしのつもりでやったのだが、一投目でいきなりヒット。手のひらくらいのオジサンが8cmのミノーに食ってきた。こいつはリリース。
 2投目は着水と同時にダツがアーチ状にジャンプした。「あーくるなー」と思っていると案の定、ガツンッとルアーをひったくられラインが横に走る。普通ダツならジャンプするのだが、おかしなことに横に走ってばかりだ。浜にズルズル引き上げると体中にラインがまきついていた。まるでウツボだ。体がボロボロになってしまい鰓から血が出てしまっていたので食べたくなかったが仕方なくキープすることに。
 
「結構釣れるなぁ~」
 
 ダツは嫌だったが釣れないよりは嬉しい。何の変哲もないビーチだったが、砂とサンゴの境やサンゴの切れ目を狙ってルアーを投げると適当にルアーに何かが当たってくる。
 10投目くらいだろうか。だいぶルアーを足元まで寄せたところでいきなり竿にテンションがかかりリールのドラグが鳴った!すぐにでかいとわかる。
「ガーラか!?」
 あまりにも走るし、このような場所でかかるのならばガーラだろうと勝手に僕は解釈した。ドラグを少し締め、走らなくなったところを一気に巻き寄せる。久し振りに大物とやり取りできるので僕は嬉しくて、慎重にやりとりする一方、魚を自由に泳がせた。40lbのリーダーはつけているし、このようなフラットな場所では問題ないと思ったからだ。明らかに魚を波打ち際まで寄せたのに何だか確認できない。ガーラなら水上からでも見えるのだが・・・。
 そうこうしているとまた沖まで走られ、遊びながらとはいえ、ランディングまで4~5分かかってしまった。砂の上に上げ波に乗せて引きずり上げると、なんとタマンだった。 
 
「こんな浅い所で、まっ昼間にふつう、タマンがつれるかぁ~??」
 
 仰天したが、何よりも久しぶりの釣りでの大物は僕には嬉しく、サイズを測ると53㎝あった。沖縄のハマフエフキ(タマンの事)にしてはいいサイズだ。ミノーを見るとフックが伸びていた。危ない危ない・・・。
 

 


 気分よくテントなど立てていると、沖にカヤックが見えた。赤いリジットカヤックでパドラーはクバ笠をかぶっている。上陸すると、さっき会った屋久島の「こんの」さんだとわかった。
 「遊びにきたよ~」
 挨拶を済ませると僕は急いでタマンをさばき、半身をこんのさんにあげることにした。食べ切れそうもなかったのでちょうど良かった。
 「タマンはうまいよねぇ~。あのお兄さんと一緒に食べるよ。」
 腕が悪いんじゃない!カメラが悪いんだ!(いいわけ)テントを再びたて始めると、こんのさんはおもむろにカヤックからロングフィンを取り出して海に入っていった。沖縄に来てはじめて自分以外でロングフィンを履いている人を見たのでなんだか嬉しくなってしまい、この日は潜らないつもりだったがテントをたて終わると僕も海に飛び込んだ。
 あれだけ魚が釣れた割には海はたいしたことなく、サンゴも生きているものと死んでいるものが半々くらいしかいなかった。でも泳いでいくにしたがってどんどん深くなり、水深があるところではタマンの群れやアカジンなどがいて、そこそこ面白かった。
 


 しかし世界一といわれるケラマの海だが、上から見ても中から見てもそれほど感動的な景色にはいまだ巡り会えていない。
 「モカラク島に行ってごらん。あそこはヤバイよ。」
 浜に上がってこんのさんと話すと彼は空港のある外離島の南にある無人島をとにかく勧めた。なんでも安室島も昔来た時は枝サンゴなどがそりゃきれいだったそうな。僕は即座にあの養殖いかだのせいではないだろうかと推測した。実際こんのさんが昔来た時はなかったようだ。富栄養化はサンゴにとって致命的だ。こんのさんは観光客が泳ぎすぎだといったけど、まァこういう問題は理由が一つとは限らないものだ。
 カメラを忘れたので再び潜るとこんのさんはカヤックに乗って阿真に帰っていった。海底にはでかいネムリブカが這いつくばっていた。
 夕方雨が降り、テントの前室で米を炊き、作っておいた刺身を少しぶち込んで鯛めしにして食べた。
 夜になると雨がやんだのでおもてにでて焚火をし、タマンのカマとダツを竹の棒にさして焼く。今夜はビールがあるのでタマンの刺身をつまみながら温いビールを飲んだ。
 皮のパリッと焼けた魚を食べ、集めた流木を燃やし尽くす頃、再び雨が降ってきた。テントにもぐりこみ日記を書くと珍しく自然と眠くなり、テントに打ち付ける雨音を聴きながら寝入ってしまった。

④渡嘉敷島

 
 風は西風から見事に北風にまわった。西表とたいして変わらない。上空には巨大な雲が、かなりのスピードで移動しており、真上にくる度に雨を降らした。座間味の影になっている為か、この場所はそうでもないが風は強そうだ。海は荒れている。 塩ラーメンを作り、昨日の鯛めしの残りをぶち込んでかっ込む。
 朝から降っていた雨は9時頃に一次止んだので、急いで撤収の準備を始める。
 無人島というワリには妙に人間の生活臭のする島で焚火やかまどの跡、流れ着いたゴミとは違う「普通の」ゴミ。
 数年前にはキャンパーによる山火事があり島の大半は燃えてしまったと聞いた。それが野グソをした後の紙を燃やしたという気配りが原因というから、思わず同情ついでに笑ってしまったが、なんだか大量の「人間の影」が混在しており、いまいち「もうちょっといようかな・・・」という気にはなれない島だった。

 無論、天気がよければまた印象も変わってくるのだろうけど。 10時20分頃出発。今日はちょっとフェリーの航路も渡り、いくぶん長い海峡横断なので気合を入れる。しかしトローリング用にルアーは流していた。
 安室牛瀬の側を通った時、急に竿が傾いてドラグがなった!
 カヤックでのトローリングの場合、ルアーが何かに引っ掛かってカヤックの惰性で勝手にドラグが出て行くときがあるが、今回はそうではなく、グイグイと竿が絞り込まれた。これは明らかにダツではない! 「カツオ・・・いや、ガーラか・・・!?」 少し緊張しながらリールをまきにかかったのだが、またしてもトラブル発生!!
 リールがまけない!!!! このリールは5年前に買った物で、近所の釣具屋で片落ちした物を半額で買ったのだが、愛用に愛用を重ね、かなりガタがきていたのだ。何とか騙し騙し使っていたのだが、よりにもよって、こんな時に使えなくなるとは・・・!!!

 「っキショウガーーー!!このポンコツメ!!」

 どうしようもなくリールをパワーでガリガリ巻いていると、何とかまけるようになり、随分と時間をかけてルアーを回収したが、すでに魚はついておらず、伸びたフックだけがルアーにヒョロヒョロとぶらさがっていた。 がっくりしているのも束の間、「はっ」と、我に帰った。竿を出していた反対側に目をやると、なんと先ほどまで何百メートル先にあると思っていた牛瀬がすぐ隣まで迫っているではないか!!返し波に大きくカヤックをたるませながら急いで竿からパドルに持ち替えて瀬から離れた。まさに危機一髪!! 単独行でのトローリングは大物とのやりとりが難しいと悟った。
 

 その後、ポールのある平瀬付近でも何かがかかったが、すぐにばれてしまう。海の様相もあまり好ましい状況ではなくなってきたので竿を上げ、まじめにパドリングすることにした。 真東に僕は進み、渡嘉敷島のスン崎についてから島沿いの海岸を眺めつつ、島の南の部落、阿波連に行く予定だったが、思いのほか北風が強く、大きく流されて結局島の沿岸に着いたときには目の前に渡嘉志久ビーチが現れていた。

 天気が悪いためか、海岸にはほとんど人がおらずホテルや人工的な建造物が多く見られるだけに、妙に寂しげな印象を受けた。上陸せずに湾内の海の色を見てから南下した。太陽の日差しがさし込めば、恐ろしくきれいな色になるだろう事は長年の沖縄通いの経験でわかったが、今回はこんなもんか程度。やはり沖縄の海は晴れなければ始まらない。 北の追い風に乗ってカヤックはスイスイ進む。リーフに波があたり、複雑なうねりを作ってカヤックの走行を妨げる。少し沖を流しながら行くと、展望台と、シブガキ隊の銅像があったことで有名なウン島が見え、その間に入るとピタリと風はおさまり、きれいな珊瑚礁になった。波のまったくない静かな湾内を漕ぎ、阿波連ビーチに上陸。時間にしてたった1時間半のパドリングだった。 阿波連の集落はまるで夏休みの伊豆諸島のように観光客相手の商売で成り立っているような感じだったが、人っ子一人おらず、野良猫だけが我が物顔で道路を横断したりなどしていた。

 しばらく集落をブラブラし、展望台に登って遠くの様子を眺めるように景色を覗った。明日、天気がよければ朝一でもう一回海峡横断をしてモカラク島に行き、一泳ぎしてから外離島、ゲルマ島を北上し、そのまま阿嘉島から帰ろうと思っていた。なぜなら阿波連で泊まろうとしていたキャンプ場は妙に閉散としており、ひと気もないのでどこにテントを張っていいものかわからない。一張りだけ集落近くの森の中にあったが、人が生活している気配はなく、阿真のキャンプ場と同じく無駄に金のかかった代物でなんだか嫌気がさしていたのだ。、 そう、早くこの島を出ようとする心とは裏腹に、風はますます強くなり、海は大荒れ。後もう少し時間が遅くなったらと思うとぞっとする。雨もパラパラと降ってきて、終いにはスコール級の大雨になった。カヤックに乗って別の無人の浜を探していたところだったので、たまらず阿波連に戻り、アーチ岩の下で雨をやり過ごす事にした。こんな雨と海の中でもオジイが2人、一人は磯釣りをし、一人は潜って一人追い込み網をやっていた。
 雨が若干弱くなったので、カヤックの中身をキャンプ場の炊事場に移すことにした。シーソックスには大量の水が入っており、多少、カヤック内にも浸水していた。

 地方自治体への交付金で作られたと思われるそのキャンプ場はやはり青少年旅行村というものの一部で、ダイビング用の円筒プールまであり、きれいなトイレに各サイトには電気コンセントまで備え付けられていた。中央にはステージになる広間があり、どこも芝生が敷いてある。典型的な青少年向けの施設で、それはそれは立派なのだが、人がおらず、犬の散歩にもこないので、管理人も見つけられないので勝手にテントを張ることにした。最初は芝生の上に風のこない場所を見つけて張ろうと考えたが、メンドクサイので屋根のある炊事場に張ることにした。 商店に行ってカップ麺とビールを買い、漁港に散歩がてら行ってみるが特に何かあるはずもなく、ただの港で、そのまま海を眺め、キャンプ場に戻った。


 雨と風がひどい。 日が暮れてきたのでお湯を沸かしてコーヒーでも飲もうかと思ったのにストーブにはもう僅かしかガソリンが残っておらず、火力が悪いのでしかたなくかまどで火をつくりお湯を沸かした。外は大雨で使い物にならないマキばかりだが、広い炊事場のかまどを全部見てまわると、一晩くらいもつだろう枯れた松の枝らしき薪が見つかって助かった。松は油があるのでよく燃える。ビロウの繊維質のマキもよく燃えた。煤がひどかったが。 カップ麺を主食に、サバ缶を食べ、ビールを飲む。

 炊事場は暗くなると自動的に明かりがつき、キャンプ場内の照明にも明かりが灯った。電灯に横殴りの雨が映って見える。

 普通に考えれば「なんて無駄なエネルギーを使っているのだろう」と思うのだが、今回ばかりは助かった。それどころかなんといたせりつくせりなのだろうか。ランタンなど使わなくても明るいし、携帯用の電気までとることができた。屋根があるというのは雨の日にはなおさらありがたく感じる。誰かきたら、ちゃんとキャンプ場代くらい払ってやろうと考える反面、「これはビバーク、緊急避難なんだ・・・」と、携帯の充電をしつつもつぶやいた。

 世の青少年はこんな所でキャンプをして、キャンプした気になれるのだろうか?

 
 こうこうと照る明かりの下で、僕はかまどの火にあたりながら白湯を飲み、星野道夫の文庫本を読んで夜を過ごした。
 
  翌朝、7時に起きると早速テントをかたし、海辺に置きっぱなしにしておいたカヤックを炊事場まで持ってきて、折りたたんでしまい、荷物をパッキングするまでを1時間でやってしまった。

 8時過ぎに携帯で渡嘉敷役場に電話をすると、悲しいことに今日の船は全便欠航。座間味村のほうも欠航だという事が分かった。今日は沖縄本島に帰るつもりだったので、これには参ってしまった。 「そうか・・・確かにこんな事態も・・・想定できたなぁ・・・」 僕は八重山の島に住んでおきながら船が欠航するというアクシデントを考えていなかった。ケラマなんて近いし、台風でもこない限り大丈夫だろうと勝手に決め付けていたのだ。あー、とんだオバカさんである。シーカヤッカー失格もんだ。 今日は一日停滞である。 阿波連から、船が出る渡嘉敷港までは4㎞ほどあり、山を越えるので、けっこう急勾配がある。そこを荷物を背負いながらカヤックを引っ張っていくのはとても憂鬱だったし、居心地がいいとは言っても、もう一泊ここに泊まるのは嫌だった僕は、港まで送迎してくれる、できるだけ安い宿を探して電話を入れた。すると一軒見つかり、2時くらいに来てくれというので、ヒマな僕は試しに歩いて渡嘉敷まで行ってみる事にした。 雨はほとんど降ってはいなかったが、空はどんよりと曇り、風だけはとにかく強い。両側を森に囲まれながらひたすら坂道を登っていく。やたらとイモリ(ヤモリでなく両生類のイモリ)が多く、ヨタヨタと道路や側溝を這いつくばっていた。内地ではありえない光景だ。

 途中、森林公園により、そこの挑戦的に高い階段をイッキに駆け上がり、息を切らしながら展望台に昇ってみる。帽子が油断するとあっという間に飛んでいってしまいそうな爆風のなか、荒れた海間にケラマの島々が見えた。 当初、僕はこのケラマを全島走破してやるくらいの意気込みで臨んでいたのだが、実際におとづれてみても、あながち無理ではないなと思った。だがそれは時間をかけてでの話で、3日や4日では無理みたいである。もともと海遊びが目的である事もあるが、カヤックは海の様子を見ながら予定を変更しつつ漕ぎ進む物であるから、最初の予定をそのまま敢行するのは逆に難しい。そういう意味ではこの天気の安定しない時期に、何とか阿嘉島、座間味島、渡嘉敷島の主要な3つの島をまわれたのはラッキーなのではないかと思えてきた。
 


 西表島に最初に行ったときも、島のわずかな部分しか知れなかったし、見れなかった。それが度を重ねるにつれ、どんどん物理的なものにしろ、現地の人々の思想的なものにしろ、見えてきて、僕はもっと徹底的に・・・と、島の生活にはまっていったのだ。だからケラマにしてもはじめてきていっぺんに何でも知ろうとするのは無理があるというものだ。ここをガイドするロコフィッターといっしょに島をまわれば、また別の発見もあるだろう。

 悪天候のケラマの島々を見ながら、次は晴天の輝けるケラマを見にきたいと思った。 阿波連集落全ぼう渡嘉志久ビーチ 渡嘉敷に着いたものの特に何もすることがなく、ターミナルでコーヒーを一杯のみ、再び歩いて阿波連に戻った。ただ、無理して荷物を背負い、ここまで歩いてくるという考えを持たなくてよかったなと、ヒシヒシとかみしめながら帰った。 キャンプ場にたどり着くと、食べようと思っていたカロリーメイトと黒糖がカラスによって引っ張り出され、ズタズタになって食べられていた。なぜかマットまで食いちぎられ、散らかされている。足元にはブサイクな猫が腹のたつ鳴き声でないていた。 商店に行ってスナックとコーヒーを買い、ポリポリとブサイクな猫と一緒に食べた。昨日の夜から僕をつけまわすその猫に、僕はイライラしていたが、宿にうつるとなると、なんだかせっかく知り合いになれた人と別れるみたいで、なんとなくスナックをあげてしまったのだ。それを見てカラスがやってきて、ブサイクな食べ方の猫はカラスにスナックを横取りされていた。さっきのこともあって頭に血が昇っていた僕はカラスに石を投げつけたが、一発も当たらなかった。 宿には季節労働者のとび達が泊まりこんでいて、我が物顔で使っていたので非常にうるさかった。近くの飲み屋で一番安い定食、「トーフチャンプルー」を食べてひたすらテレビを見て、これからの予定で、何をどうすれば一番安くて効率的かを考えつつ、布団で寝た。

 とにかく明日の船が気になる。 次の日、高速艇が出ることになり、送迎用の車に荷物を押し込んで港に向かった。よく喋るおばさんが運転していたのであっという間についてしまった。昨日1時間かけてきたのはいったいなんだったのかと思うほどで、常々思っていたことだが、車というものはスゴイと改めて思った。 高速艇も、これまた速いもので、たった30分程度で泊港についてしまった。カヤックの旅というものがどれほどまでに時間をかけるものなのか、この時代からしてなんと贅沢な乗り物なのかを考える。ぱぴよんで働き出し、5ヶ月ぶりに石垣にわたった時にも驚いてしまった。毎日2時間かけて渡っていたパナリに、わずか10分ほどで目と鼻の先まで来てしまうのだから。高速船のスピードをスゴイと思う前に、自分のやっている事の贅沢さの方が身に染みた。

 生活の感覚からすれば速ければ速い事に越した事はない。仕事で東京から大阪まで行くのであれば、あっという間とはいえ、あっというまでついてくれる飛行機の方がいいに決まっている。でも旅が「否・日常」を求める物であるならば時間をかけて行うこと自体が日常的、生活的ではない。そうなると、やはりカヤックというものは遊びの為、旅のためでなければ現代ではありえない存在なのかもしれない。

 別にカヤックの存在意義を問うわけではないのに、何故かそんなことを考えてしまった。 泊のコンビニで早速カヤックとキャンプ用具を実家に送ってしまい、再び「沖縄カヤックセンター」によって、仲村さんと池上さんを訪ねるが、この天気でも風を避けて北部にツアーに行っているらしく、奥さんとまたしても話し込んでしまった。

 結局パドルを買うお金はなくなってしまい、そのことを詫びると、

 「何言ってるの、旅をする人間なんだから、そんなことよくあることでしょ。気にしなくていいわよ」

 と、僕をテーブルにつかせるとお茶を出してくれた。いつも画いているおばさんという者とはちょっと雰囲気の違うおばさんに、ついつい話し込んでしまい、5月にまた来ますと言って店を出た。 昼食を食べたり、お土産の泡盛をアキに紹介してもらった店で買い、豊見城公園近くにある「漕店」を訪ねたが、あいにく留守のようで、大城さんに電話をしても繋がらなかった。本来なら昨日、会う約束だったのだが船が出なかったので駄目になってしまったのだ。残念ながら漕店をあとにし、荷物の置いてあるとまりやに戻り、そこから宿の送迎で那覇新港まで送ってもらい、4時30分発のフェリーに飛び乗った。


 11月23日。僕は沖縄を去り、友人のいる宮崎に向かった。