西表島南海岸編

 

10月23日 北東の風(7~8m/s) 晴れのち雨

 
  西表島一周を行う人は多い。
  シーカヤックというアリューシャン列島やアラスカ、カナダ、グリーンランド沿岸で使われていた小舟を、近代の技術でレジャー向けにした欧米の新たなスポーツが日本に入ってきた 20 数年前以前から、ゴムボートや筏などの手漕ぎの船でこの島を一周する人達は多かった。
 その先人たちを合わせても、この島を一周したカヤッカー皆、西表島の最大の難所はどこかと問えば、それは必ず同じ答えが返ってくるはずだ。
  パイミ崎。
  西表島最西端に位置するこの岬は、リーフが途切れている為に、外洋からのうねりが直接ぶつかる。渡るのが難しいから渡難(どなん)と呼ばれた与那国島からのうねりは、西表の内海の海しか知らない人には想像を絶する荒波だ。
  西表島南西部はリーフが極端に狭く、陸には絶壁が続く。島に吹く風はこの壁にあたり、予測不可能な向きに吹き、島の山を越えてきた風は、この壁伝いに、吹き降ろす。その為、このあたりは風が尋常じゃなく強い。
  毎年、年末になると僕が働いていたショップでは『年越しツアー』と称して、西表島半周をしていた。それはすなわち、カジマール(沖縄の冬は気圧配置がチョロチョロ変わるので、風が回る)の時期に、このパイミ崎を越えるというものだ。
  あいにく、僕は参加した事はないが、このときの模様は散々人から聞いていて、最後の 3 年間は、一回も越えられなかったという。あまりの向かい風に、 2 時間漕いでも 500m も進まないという状況だという。
  パイミ崎の南の手前の浜には、バラバラになったファルトボートの残骸が、何艇も砂に埋まっているともいう。
  僕自身は 2003 年の 11 月にパイミ越えをしているが、この時は奇跡的に海が凪いで、何の苦労もせず通過できた。しかもこの時はヒヨッて、単独ではなくツアーの臨時ガイドとして便乗した時だった。
 今回、単独でこのパイミ崎を越える事となる。
  4 年前はカヤッカーとしての自分やカフナの実力がわからず、無知な為の恐怖がまさっていた。
  だが、今は違う。個人での遠征をこなして来たし、西表島以外の海でも修羅場をくぐってきただけに、技術的なこと、カフナの性能に関しても不安は一切なかった。
  好運にも昨日から続く風の停滞。あたかも今日のパイミ越えにお天道様があわせてくれた様なかっこうだ。
  網取の浜を 8 時に出発
 せっかくここまできたのだからと、めったに来られない崎山湾を見ていく。このあたりの海岸線は自然保護区になっているようだ。
 湾の中は網取湾や船浮湾と違って遠浅の海で、アマモの草原が広がっている。
 一面エダサンゴが広がって、手付かづのサンゴ礁があるかと思っていたので、その点では残念だった。先を急ぐ。
 崎山湾を越え、崎山の浜の前を行く。
 この浜にも一泊してみたいのだが、昔、紙面を賑わした「白装束の集団」の関係者達が、ここで村を作って全裸で生活していたという話を思い出し、ちょっと近寄りがたかった(今はそんな事ないらしい)。この浜からパイミ崎は目と鼻の先だ。パイミ崎に潜ってみたいという願望も無きにしも非ず、だったが、越えてしまう。

 前回は南から岬を越えたが、今回は北からだ。
 狭いとはいってもリーフがある岬は、北からも、南からもうねりが入ってきており、サーフゾーンがぶつかってひどい事になっている。そのサーフゾーンを越え、思い切ってリーフの外を回って行くことにする。
 風は後ろから吹いているので、問題ない。むしろ快適ですらある。
 10時過ぎ、パイミ越え成功。
 前回同様、今回も「あれれ・・・?」というくらい、アッサリと岬を越えてしまった。2回岬を越えて、両方とも穏やかだったというのは、運がいいのかもしれないが、本当のパイミを知らないようで少々不満だ。しかし単純に無事、通過できたことは嬉しい。
無事に何事もなくパイミ越え
 
ウビラ岩沖通過。ここも難所
 
 パイミ崎を越えてからは、左手に西表島の核心、南西部の絶壁を見ながら、南下していく。
 右手には外洋の海が広がり、アジサシではなく、カツオドリが飛んでいる。沖には仲ノ御神島が良く見てとれた。この海鳥に支配された無人島は、細長く、絶壁になっている島で、見る方向によって様々な形の島となる。
 眼下には、怖くなるくらいのグランブルー。石垣島の御神崎で見た海底が、永遠に続いているかのような海底だ。あまりの群青色と透明度に、ビビッて、ドリフトダイビングをする気にもなれなかった。今思えば、この時にドリフトダイブしようとすれば、もう少し話が上手くなったのだが…。
 左手に見える絶壁の陸地は、海岸近くでゴロタ浜になっている。台風の影響か、壁とゴロタの間には大量の、それもバカでっかい流木がグシャグシャに積まれている。この景色だけを写真に撮り、北海道かぶれの人に見せたら、きっと「知床でしょ?」という事だろう。そのくらい似ている。ただし植生は針葉樹林と照葉樹林と、まったく違うが。
 うねりはそれほどなかったので、サーフも立たず、リーフの際にカヤックを進めていく。いつサメが横に現れてもおかしくないだけの外洋の気配を感じていた。
 ただ、うねりがない代わりに、風が岬を越えてから急激に強くなってきた。背後から吹きつける風は、明らかに山を越えた吹き降ろしの風だ。突風じみた強風は断続的に僕の背中を押し、バランスを崩すほどではないが、カヤックを強く押していた。
 あまりにもその力が強いので、パドリングをやめ、スプレースカートを脱いだ。
 昔から僕がよくやる遊びで、スプレースカートをパドルに付けて、セイル代わりにしてセーリングするのだ。まぁ、セイルというよりはスピンメーカーだけど。バランスが難しいが、これだけで相当な風を受けて進む事ができる。
 パドリングばかりやっている中で、たまにこうやって風を受けて進むと面白い。自分の力ではなく、自然の力、風というものを利用して進むのはなかなか理にかなった方法だと思えてくる。自分の力で前に進むのではなく、別の力で自分を前に押し出してもらえると言うのは、ある意味快感だ。しかもそれが自漕よりも速いとなれば、尚更である。
 しばらくセーリングをしていたが、ずっと手でパドルとスカートを持っていないといけないので、だんだん疲れてきた。しかも突風が吹き降ろす時には強く進むが、それ以外はほとんど進まず、結局、 「漕いだ方が速いな…」 と、いう結論に達し、パドリングを再開した。
 断崖の海岸線を漕ぎ進んでいると、前方に巨大な岩が見えてきた。
 ウビラ岩だ。いかにも大物が足元にいそうな、ダイナミックな岩だ。外洋を渡ってきたウネリが岩にぶつかり、なかなか良い飛沫をあげている。
 ここから進路を東に取り、さらに漕ぎ進める。海の色は明るくなり、かろうじてサンゴが見える。水の色は例えようもないほど青い。
 ウビラ岩を越えて、その先にある獅子岩を越えると、落水崎まで若干窪んで湾になっている。湾と言っても浜はなく水はかなりの透明度で、リーフの際をものすごいサーフが巻いている。しかし階段状になっているリーフエッジは次第に浅くなり、光の帯を弛ませながら眼下の海はたまらない透明度で迫ってきた。 
「潜らずにはいられないッ!!」
 ここで辛抱たまらず、潜ってみようとデッキの上に置いておいたマスクとシュノーケルに手を出すが、おかしな事に…ない。
 しばらく現状が理解できずストップモーションにかかっていたが、しばらくして海上で絶叫。 
「ウアァーッ!!俺は大馬鹿野朗だーァッ!!!」
 記憶ははっきりしていた。網取の海岸に置いてきたのだ。
 いつもはバウ側のハッチ内から荷物を入れるのだが、この時はスターン側から荷物を入れていた。その為、あまり荷物の確認が上手くいっていなかったのだ。記憶では確かにマスクとシュノーケル、そして水中ナイフを漂流物のかごの中に入れて、後でデッキにつけようと考えていたのだ。それを忘れて出発してしまったらしい…。
 正直、一番忘れてはいけない遊び道具を忘れてしまった…!遊び道具どころか、これがなければ魚を突く事もできないではないか!あまりの自分の不甲斐なさに滅入ってしまったが、悩んでいる暇はない。
 取りに戻るしかない。
 すぐにUターンし、レースでも出場するかのごとく漕いで戻るが、ものすごい追い風は、ものすごい向かい風になるわけで、全力で漕いでもちっとも進んでいる気がしなかった。ウビラ岩を越えてパイミ崎を見た時、このペースでは今日中に鹿川に戻るのは夕方になってしまうと思った。何より1日にパイミ越えを3回もするのはどうしたものか?
 海図を睨むと、鹿川から山を越えてウダラ川に抜け、そこから海岸沿いに網取に行くことも考えられた。鹿川からウダラ河口までは1時間半ほどだと聞いたことがある。今から鹿川に行き、山越えして行った方が、まだ何とかなりそうだ。天気が荒れても夜に移動もできる。 
「よし、とりあえず鹿川に行こう!」
 再びUターンし、結局鹿川まで行くことにした。この時、時刻が11時半。12時過ぎには鹿川に着きたい。
 そこから先は、それまでの余裕のツーリングではなく、時間に追われ、自分を罵り、スピードの出ないカヤックとパドルに八つ当たりし、移り変わる風景に集中する事ができなかった。
 落水崎にはその名の通り、岩棚の上から流れ落ちる滝が見えるのだが、遠目から写真を撮っただけで素通りしてしまう。
 鹿川湾に入ったところで、後ろから船外機が湾に入っていくのが見えた。 
「しめた!」 あの船の船長に交渉し、なんとかカヤックを運んで網取まで連れて行ってもらえれば、楽にマスクを回収できる!…と、考えたのだがすぐに船は人を乗せて出て行ってしまった。南海岸横断を考えていた人達なのか、手を振って僕を見送ってくれた。 
「応援はいいから、俺も連れて行って…」
 僕の淡い願望はアッサリと崩れ去り、自力で行くことが確定した。
 思いのほか時間がかかり、12時半、鹿川の浜に到着。約4年ぶりの鹿川湾はほとんど変わっていなかった。ただ、ここに自生していた国内では珍しい野生のココヤシは、見事に折れていて、幹しか残っていなかったのが寂しい。

 浜にはすでに一組、カヤッカー達が上陸しており、休憩していた。黄色い大型のカヤック。金ちゃんのところ(シーカヤックツアー海月)だ。
 だが、今は挨拶している暇などない。カヤックをとりあえず上げられるだけ上げ、網取に抜けるための道の入口を探す。大体はわかっていたのだが、ここでも台風の影響か、倒木が激しく、さらに森の奥にまで漂流物が打ちあがっており、道はメチャクチャ、わかりゃしない。
 パドリングの疲労と、これまでにない炎天下での活動に疲れてしまい、いったん引き上げ、金ちゃんなら何らかの情報を知っているかもしれないと挨拶に行く。 
「こんにちは、お久しぶりです、覚えていますか、俺です。」 
「え?あ…。アカツカ君・・・?」
 訝しげに僕を見た金ちゃんは、一瞬、間を置いたのち、僕の存在を思い出したようだった。
 金田さん(通称金ちゃん)は、僕が働いていた「南風見ぱぴよん」の先輩で、僕が働きだした時にはすでに独立し、「海月」を立ち上げていたのでほとんど会って話をすることもなかった。むしろ休学して由布島の前で観光写真を撮っていた時代、「ぱぴよん」に遊びに行っていた時に会っていた事のほうが多かった。だから、あまりこれと言って縁が濃かった訳ではなかったのだが、面識はお互いあったようだ。事実、顔を見ただけで僕の名前が出てきた事には、お互いビックリしたものだ。
 今、何やっている、仕事は?何でココにいるの…そういう会話をしたのち、今の僕の現状を説明する。 
「そこの沢から入って、一端左に曲がって別の沢を登って行くらしいけど、止めた方が良いぜ。さっき山を越えてきた人達がいたんだけど、倒木がひどくて道がけっこう荒れているらしい。天気も崩れるらしいから迎えに来てもらったようだよ」
 天気が崩れる?
 今日まで好天が続いていたし、今現在もすごく天気が良いのでなまじ信じられないが、それが事実だとすると、もし歩いて網取まで行っても、確実に今日戻ってこないとどうしようもなくなってしまう。
 とりあえずダメ元でその山越えの道を登ってみるが、確かに倒木はひどいものの、歩いていけない物でもなさそうだ。再び引き返して、飯を喰ってから出発する事に。
 浜に戻ると金ちゃんが歩み寄ってきた。 
「マスクなら貸してやるからさ、止めときな。大原まで行って安いのでいいから買えばいいじゃん」
 ンー…。使い慣れたクレッシーのマスク、諦めるにはちょっと悔しいが、自分の過ちだと言えばしょうがない。日が暮れるまでの5時間で帰って来られるという保障はどこにもないし、今後のコースを考え、マスクが大原で購入できる可能性を考えると、確かに拾いに戻るリスクの方がデカイ様に感じた。何より、こんな逆境に陥って取りに戻ったと言う事実が、ネタ的に面白いと思っていた節もあり、それを考えてみるとくだらない気がした。
 金ちゃんの「貸してくれる」という一言で、僕は網取に戻るのを諦めた。
 悔しさと、安堵感が複雑に入り混じった、奇妙な気持ちだ。
 服を脱いで海パン一丁で海に飛び込み、自分のダメさ加減にうなだれながら海に沈みこんだ。白い砂地に波紋が浮かび、それを洗う波がきれいで、揺らめく光の影が体に浮かびこむ美しさが救いだ。
 僕が海に沈みこんでいる間に金ちゃんとお客さん2人は海に入り、今日の獲物を取りに行った。金ちゃんと一人は魚突き、一人はカヤックから釣りをするようだ。僕は陸に上がり、テントを立て、ラーメンを作って一人すすった。
 鹿川湾(かのかわわん)は、西表島の南西部にある湾で、外洋に面した砂浜にはリーフがなく、外洋のうねりが直接、波となって打ち寄せる。とは言っても湾の入口には環礁があり、そこに波がぶつかるのでそれほど大きなダンパーが打ちあがることはない。だが大きな波の力でここの砂は基目が細かく、尚且つ赤土も流れていないので非常にきれいだ。
 かつて網取と同様、ここにも集落があったのだが、今は廃村。森の中にはその廃村跡が今でもあるらしいが、僕は知らない。
 きれいな砂浜があり、沢の水も多数流れ込んで、木陰も多いので、ここは最高のキャンプサイトだ。カヤックでしか来られない訳ではないが、一般観光客などは来ないので非常に気持ちがいい。この時の鹿川も、忘れ物さえしなければとても気持ちのいい光のさしかただった。
 金ちゃんがすぐに上がってきて、マスクを貸してくれた。なんでも釣りをしていたお客さんがクチナジ(イソフエフキ)が2匹釣れたので、別に魚突かなくてもいいやと、戻って来たようなのだ。ありがたくマスクを借り、お礼に獲物を取ってこようと思ったが、食べ余ってもしょうがないので、ほどほどにしようと決め、フル装備で海へ。
 鹿川は濁りやすく、そしてサメがいる事で有名だ。だから地元の人もこの海域ではあまり電灯潜りを行わない。海底は広大な砂地なので濁りやすいのだ。
 だがこの日はけっこうな透明度で、海底の砂地がむしろ青白く光り、神秘的ですらある。
 その砂地と海面との間をヒラヒラと泳ぐマルコバンアジ。優雅。
 ギンユゴイの幼魚が波打ち際で群れをなし、あの白黒の尾鰭模様がチラチラときれいだ。
 入水そうそう、目の前に巨大なオニヒラアジが現れた。70㎝くらいか。ファストコンタクトではかなり近くまで寄ってくれたが、2度目からはほとんど射程に入ってくれる事はなかった。
 オニヒラアジとロウニンアジはよく似ていると言われるが、海中で見るこの2種はまるで別物だ。まずオーラが違う。そしてロウニンアジがぶ厚い体をしているのに対し、オニヒラは薄い。真上から見るとすぐに違いはわかる。内湾に多いオニヒラに比べ、やや外洋性のロウニンアジはそれだけ遭遇率も低く、大型だと言う事か。
 まぁ、ロウニンじゃないからいいやとは思いつつも、大きいヒラアジを逃してしまったのは正直、くやしいっす・・・!
 前に来たときにも潜ったが、ここには沈没船があり、そこがけっこう魚がいるのだ。リーフは強大な波でのっぺりとしており、砂の影響か、砂に近い場所がオーバーハングしており、そこも大型魚が期待できた。
 しかしこの時、僕には魚突きよりも、あまりの海のきれいさに、カメラにすればよかったとマタマタ後悔の念に苛まれていた。
 何しろ、透明度がいい。そして海底の砂地の青白い色がなんともいえず、吸い込まれそうになる。光の帯が海底まで届き、その間を海中では青く光るグルクンが群れをなして泳いでいく…。
 もっと先、もっと先に行こうとリーフ沿いに進んでいくが、これは獲りたいという魚が見当たらない。むしろ海中の様相の方に見惚れてしまい、魚突きどころではない。
 狩猟本能よりも海の美しさに見惚れる気持ちの方が勝ったのは、初めてかもしれない。そのくらい、この時の鹿川湾はきれいだった。

 Uターンして浜に上がると武器は沈めておき、カメラを持って潜水。
 ところがカメラを持って潜りだした途端、光のさし方がイマイチになる。
 その時間、その時の潮位、その時の太陽の位置による光の刺し方、色々な条件が重なってその時の海の様相がある。いつでもその光が入っていると思ったら大間違いだと痛感。何とかそれでも気に入った構図を見つけては写真を撮った。
 この時、すでに3時間も潜っていたが、日も暮れ始め、いい加減魚も獲らなければならない。だが、写真を撮っているときにはあれほど寄ってきたオニヒラアジは寄らず、タマンには射程がとどかず、ミーバイは一匹も見かけずに、ヤバイヤバイと、何とか獲ったのがヒレグロコショウダイ。まさか、鹿川まで来て、こいつとは…。 4時間潜ってエキジット。 
「長かったなー。まァ、海の中は楽しいもんな」
 金田さん、ありがとうございました。このマスクがなかったら、こんな鹿川湾は見られなかったことだろう。素直に感謝です。 
「後で、遊びにきなよ、久々に飲もう」
 飲む約束をし、金田さんはお客さんと食事の準備に、僕はいそいそと魚をさばいてから着替え、焚火の準備をし始める。
 今夜はヒレグロコショウのホイル焼きと、頭とカマの汁、そして定番化しつつあるふりかけ御飯。長持ちしてご飯だけ炊けば食べ物には困らないものとして、ふりかけを持っていったのだが、これは大正解だった。いつもは「ごはんですよ」か「なめたけ」なのだが、これは長期間持っていると腐る。おかかふりかけはお茶漬けにもできるので使い勝手がいい。
 ホイル焼きが最高に美味かった。
 沖縄のコショウダイは、ヒレグロコショウ>チョウチョウコショウ>アヤコショウ>クロコショウの順で僕は個人的に美味しいと思っているのだが(ムスジ、オシャレは食べた事がない)、このヒレグロコショウは脂も乗っているし、ホイル焼きの効果でフワフワに仕上がり、今まで食べたこの魚の料理で一番美味かった。何で今までこうしなかったのか、悔やまれる。

 飯を食って満足すると、島酒持参で金ちゃん達のところに顔を出した。 
「お、めし食ったか?よかったら、これあまりもんだけど、食べな!」
 そう言ってキムチチゲをコッヘルによそってくれた。ニンニクの効いたキムチが、質素な食生活の僕には、たいへん美味しい。遠慮せずに頂いた。
 お客さんは2人いて、小浜島に住んでいる人だった。一人は昔から西表島に来ては冒険チックな遊びをする人で、「南風見ぱぴよん」が創業してからは常連客になって、今は金ちゃんの所を利用していると言う。もう一人はこの人と同じ職場の人のようだ。
 そんな訳で、共通の知り合いなども多く、昔の西表島やぱぴよんの話、西表島以外でのシーカヤックの話などをしながら酒を飲んだ。金ちゃん達は発泡スチロール一杯に氷を入れて持って来ていたので、島酒もロックで飲めて、これがストレートばかり続いていた僕にはたまらなく美味く、いつもより早く島酒はなくなりそうだった。
 常連客のHさんと話をしていると、薪を探しに行っていた金ちゃんが「ヤシガニがいる!」と叫んだ。
 2人で駆けつけると、そうとうデカイ、2キロ以上はあるだろうヤシガニがゴロタの上を転がり歩いていた。あまりにもでかいので動作が鈍く、お腹はパンパンで見るからに美味そうである!もちろん、捕獲!!
 ずっしりと重い。足はタラバガニのようにブッとくて、今まで僕が見てきたヤシガニの中でも一二を争う大きさだ。ヨダレが出る…。 
「どうするこれ?」 
「せっかくだから食べましょうよ!」
 金ちゃんがうなだれる。 
「俺、最近。こいつを見ると哀れでサー…、絶滅危惧種なんだろ?」
 確かに腹は減ってないし、3人(一人は寝てしまった)で食べるにはでかすぎる。ヤシガニを見慣れている僕らからすれば、確かに今、食べる必要もない訳だ。 
「じゃ、逃がしましょう…」
 結局、記念写真だけ撮って逃がす事にした。
 ヤシガニはゆっくりと森に帰っていった。この大きさのヤシガニがいるというのは、さすが鹿川!っといった所だが、国内全体のヤシガニは減少傾向にあるのは事実だ。型も落ちてきているし、それを差し置いて食べたいほど食べ慣れてない訳でもなし、味でもない。逃がした事に関しては別に後悔はない。
 一つの命を守った後ではあったが、その後、金ちゃん達が投げ込んでいた釣竿に、何かがかかっていた。夜釣りとしてタマン狙いで浜に向かって竿を出していたのだ。
 釣れたのは、これまたバカでかいシタビラメ!後に図鑑で調べたら、アマミウシノシタという、シタビラメがスレで釣れていた。ちなみに餌はフナムシ。 
「これは、美味そうだ!刺身だ!!」
 沖縄のドギツイ色彩の魚ばかり食べている身には、シタビラメのような地味な色の内地っぽい魚は魅力的だ。こいつばかりは逃がす事もせず、その場でさばいて食べる事に。
 ところが、ここに来て雨が大降りになって降って来た。
 タープも何もしていなかったので、とりあえず止むまで自分のテントに逃げ戻った。
 先ほどから何回か降ったり止んだりしていたのだが、今回は長く降り続け、止むのを待っていたのだが気付いたらテントの中で寝込んでいた。
 気付いたのは夜中の2時だった。
 もちろん、焚火の火は消えていた。

 

10月24日 北東の風(8~12m/s) 晴れ

 
 朝起きると、雨はあがっていた。
 干していたウエットスーツなどを干し直し、テントサイトを整理してから金ちゃん達のサイトに行く。
 11時ころ、雨はいくぶんあがったので、金ちゃんは一人で飲んでいたらしいが、誰も出てこないので寝たらしい。シタビラメは刺身にしたが、一日経ってしまったのでフライパンでバター焼きになっていた。せっかくだからと食べさせてもらう。 
「沖縄の魚にはない、味だよな」
 シタビラメやカレイと言った、一般的に北方系と思われる魚の味は、沖縄にいると異常に恋しくなる。僕も西表島に住んでいた時は食べるには困らないほど魚を獲っていたが、それでもサンマやサバ、ホッケやハタハタなど、石垣島のスーパーで購入しては食べていた。 コーヒーもご馳走になる。今回の旅では麦茶しかお茶を買っていなかったので、朝に飲むコーヒーはたまらないものがあった。やはり、インスタントでもいいから旅にはコーヒーを携帯しようと珈琲党の僕はそう思った。
 僕の焚火は雨で完全に消えてしまったので、朝食をここで温めさせてもらい食べる。
 その後少し雑談し、撤収作業に移った。金ちゃん達と帰り道は一緒なので、とりあえず豊原まで一緒に帰る事となった。旅は道連れ、世は情。 10時ころ、双方のパッキングがちょうど終了し、出発。
 天気は今日から荒れるという情報を得ていた。北の風が洋上で15mは吹くという。あまりにも強い風だが、風裏にあたる鹿川湾はいたって平穏である。しかし、もし昨日マスクとシュノーケルを取に行っていたら、今日の風ではパイミはそうとう荒れたことだろう。 
「タイミングが良かったよ。あんな凪いだパイミは俺も久々だった」
 この天気が悪化するという事態を知っていて今の状況にあるのではなく、ただ単純に僕は運が良かっただけだ。状況判断のレベルとしては、僕の考え方ではいつ遭難してもおかしくないものだと思う。鹿川で金田さんに会えたのは、好運だった。 
「湾内はアホみたいに静かだけど、マーピャを越えて大浜(うぶはま)に出ると、向かい風が強くなるだろう」
 確かに浜には波があまり入らず、エントリーは楽勝で、それからしばらくは無風状態のベタ凪の海を4人で漕ぎ進めていた。
 ところが、本当にマーピャと言うリーフが切れて絶壁になる岬を越えると、風が向いから吹いてくる事が多くなった。常に吹くというよりは、断続的に風の塊が海上を渡ってやってくる感じだ。
 風は強いが漕げない海ではない。左手には絶壁の西表島が見える。この絶壁の山を越えると、この壁は屏風のように薄いので本当の壁のような山で、すぐにクイラ川があって、島の北に流れている。実におかしな地形だ。 西表島にやってくる、ワンダーホーゲルや探検部の連中、もしくは個人旅行で西表島の無人地帯に入りたいという人達には、大まかに2つのルートがある。
 一つは西表島北西部にある浦内川から、東部にある仲間川に抜ける「西表島縦走」。浦内川支流のイタジキ川の上流にあるマヤグスクの滝、更にその上にある幻の湖を求めるもの、もしくは浦内川の脇からそれてテドウ山を越えてヒナイサーラの滝があるマーレーに抜けるなどのバリエーションがある。
 もう一つが「南海岸横断」だ。船浮からイダ浜に抜けて、そのまま海岸沿いを歩いてサバ崎、網取湾を越えてウダラ川の河口から山(僕がやろうとした道)を越えて鹿川湾に抜け、そこから干潮の時間を狙って海岸を歩き南風見田浜まで行くというものだ。これはあまりやる人が少なく、大潮の干潮の時間を狙って行かないといけないので、より自然を相手にする感じがして面白いと思う。
 この南海岸を歩いて行くとき、このマーピャが最大の難所で、ある人は山を巻き、ある人はロープを使って下降し、ある人は泳ぐ。マーピャの近くを漕ぐと、ロープが垂れ下がっていたり、流木でできたはしごなどがあり、つわもの達の夢の跡が残っているのが、なんだか微笑ましい。


 そのマーピャを越えると風は次第に強くなり、ナイヌ浜の手前辺りからはものすごい強力な突風が吹きつけるようになった。僕の帽子は mont-bell のグァテマラキャップで、後ろで結べるので風にはそうとう強いのだが、その帽子が飛ばされ、カヤックはかろうじて進行方向を保てるほどだ。
 僕や金田さん、Hさんなどはあまり問題にはならないのだが、今回はじめてカヤックを体験したHさんの後輩は、この風に面喰らっているようだった。漕ぎ方もまだぎこちないので、腕に力が偏っている。それでもジリジリと漕いでいれば前には進む。好運な事に風は山からの吹き降ろしなのでうねりはなく、波がなかったのが救いだ。断続的に吹き付ける突風だけに気をつければ問題ない航海だった。
  3 時間近くかかって南風見田浜沖に到着。この浜のちょうど真ん中にある谷から、風は吹き降ろしてくる。ここを何とかかわし、忘勿石の手前にあるカーミグチと地元で呼ばれるバリからリーフの中に入り、隆起サンゴの岩に囲まれたフケガーラに逃げ込む。ここまで来れば安全だ。風はほぼピタリと止み、静かなリーフ内を漕ぎ進める。  豊原のマーレーの手前にある浜に上陸。約 3 時間半の航海だった。  
「どうする?せっかくだからうちでビールくらい飲んでけよ」
 このまま僕は大原まで漕いで行く予定だったのだが、この申し出には応えずにはいられなかった。舟を係留し、とりあえず金田さんの家に皆さんと行くことにした。ちょうど金田さんの奥さんが迎えに来て、皆でキャンプ道具やカヤックを運ぶのを手伝う。
 豊原にある金田さん宅、「海月」のショップに行くと、荷物をチャッチャッと整理し「まーとりあえず、お疲れさん!」っと、缶ビールが配られ、プルトップの栓がひねられた。  う、うまい!冷えたビール最高!!
  なんだか、偶然出会っただけなのに、ずいぶんとご馳走になってしまっている。申し訳ないと思いつつも、その後奥さんが作ってくれたおにぎりや、焼いたパンなどもご馳走になり、いたせりつくせり。調子に乗って 3 本も飲んでしまった・・・。  
「もうビール飲んじゃったから、カヤックなんか漕ぐ気分じゃないだろ?ちょうど明日のツアーでカヤックを大原まで運ばなければいけないから、ついでに積んでいけばイイサ」
 んー・・・。しかし豊原から大原までの区間を漕がないと、八重山一周にならないしナー…。でも、ここは仕事でずいぶん漕いでるし、今更漕ぐのもナー。
 とりあえず、まだ顔を出していなかった同じ豊原にある「南風見ぱぴよん」に行き、オーナーの山元さんに挨拶をしておきたかった。そう言うと金ちゃんはカヤックを積んで行くついでにとショップまで送ってくれた。
 ショップに行くと、奥さんのキョウコさんがいて、あいにく山元さんは石垣に行っていると言う。  
「また来なよ!来る時は連絡してよ。今は電話、私が受けているから」  そう話をし、車を出した。  
「決まったな」
 結局カヤックを海月のキャリーに積み、ショップに戻ってからは後片付けを手伝って、またちょっと飲み、お客さんであるHさん達が帰る時間になったので、 2 人を送るついでに僕も大原まで行くこととなった。
 大原港で 2 人を降ろし、桟橋で二人を見送った。
 僕もガイドの仕事をしていた時はよく送迎をしていた。なんだか懐かしいが、それほど違和感もなく、ちょっと新しくなった港を懐かしんだ。
 港からちょっと移動し、仲間川の旧桟橋にカヤックと荷物を下ろしてもらうと、そのまま車に乗って大原にある『海歩人』の店の前で降ろしてもらう。先ほど通りかかったら、ここの車の他に、先輩の車もとまっていたので顔を出す事にしたのだ。  
「じゃ、またな」
  金ちゃんは明日の仕事の準備もあるので去っていった。  
 
「あ、やっぱり、さっき通った黄色いフェザー、アカツカ君のだった?」  店の中に入るとオーナーの中川さんとそのお客さんらしき男の人、そして僕が「南風見ぱぴよん」で働いていた時の先輩、賢さんがいた。久しぶりの再会だったが、あんまり違和感がない。賢さんは今、独立して「ブルーリーフ」というショップをやっている。昨年来た時に会えなかったので、今回は顔を出したかったので良かった。
  中川さんと賢さんから、最近の西表島のカヤック情報を聞き、僕も知床の話や瀬戸内の事、シーカヤックアカデミーなどの話をして色々と情報交換をする。
 本郷さんの事故があって昨年はそれほどでもなかったが、今年はだいぶショップも増え、例年にない好天に恵まれたために景気は上々のようだ。この時はちょうど業者用の道具の販売時期だったようで、カタログを見ながらあれこれと討論し、検討していたら 6 時になってしまった。桟橋に戻って荷物をとり、行きつけの民宿に向った。
  西表島に最初に来た 1998 年の夏から、利用し続けている「民宿やまねこ」。素泊まり 2000 円で港やスーパーからも近く、流しが外にあるので釣った魚を料理するのに便利だ。
なによりここで出会う旅人たちや、管理をしているオバァやおばさん、オーナーの徳元さんなどには休学時代に大変お世話になっており、ここに来ないと西表島に来た意味がないと言うくらい、僕には故郷の実家のような場所なのだ。今回、宿泊はできるだけキャンプ場も使わず野宿のみにしようと思っていたが、ここだけは泊まらないといけないと思っていた。
  10 月のオフシーズンに入り、民宿は静かだった。おばさんに挨拶し、チェックインもままならないうちからシャワーに入り、近くの玉盛スーパーで買出しをし、ビールを飲んでくつろいだ。

 

10月25日 北東の風(8~12m/s) 曇りのち雨

 
 今日は仲間川に行く予定だった。
 仲間川は西表島東部に流れる川で、浦内川についで長い川だが、マングロープ林が生い茂る流域面積は日本一だ。この島でカヤックガイドをしている時、最もひんぱんに行ったのがこの川である。西部にある川と違ってこの川には滝らしい滝がなく、ゴールに定める場所には困るが、日本一のサキシマスオウノキや、展望台、そして広大なマングローブ林を見るにはいいところだ。マニアックな説明で言えば国内には西表島の東部にしか生えていないマヤプシギの木を見たり、テッポウウオを見ることもでき、ガイドの時には日中、イリオモテヤマネコを見かけたこともある。満潮時にしかいけない水路なども豊富で、ガイドしがいのあるフィールドとも言える。今回、この川に久しぶりに行って、上流の沢で水中写真を撮るのが目的だった。
 だが、午前中はのんびりと宿で過ごし、たまった日記を書き続けていたら昼過ぎになってしまい、もう一泊する事にしてカヤックに乗ったのは2時をまわっていた。 途中、大富にある売店によって水中マスクを探したがろくなのがない。大原のスーパーにもまったくなく、釣具屋も商いをやめていた。マスクは諦め誰かに借りる事にし、川を漕ぐ。
 仲良川と違って、この川はかってしったるフィールドだ。時々深場の手前でカヤックをとめてルアーを投げた。ところが後で聞いた話では仲間川では資源保護の目的で河川内での釣りが禁止されたらしい。これから行く人は要注意です!で、釣果の方は最初にカマスが2匹釣れたので、「このペースならまだまだ釣れるだろう」と思って全部リリースしてしまったが、その後はノーヒット。結果的に資源は守ったようだ。
 ちょうど川のツアー客が帰ってくる時間帯だったので、正面からカヤックが何艇か流れてきた。一組は鹿川で会った金ちゃん達で、もう一組は「南風見ぱぴよん」の舟だった。ガイドは新しい人だったので挨拶し、時間がないのでいそいそと先を急いだ。 通常、ツアーでは一日かけて昇ったり下ったりする往復16㎞のコースを、半日でやらなければならないのだから、必然的にスピードが求められる。これでは仲良川を漕いだ時と変わりない。 天候もこの日は曇っており、1時間半かけてカヤックで行ける上流部まで行くと、雨まで降って来た。写真を撮るには光が寂しい。
 上流にカヤックを泊め、歩いて沢を昇る。
 仲間川の上流部は見事な渓流になっており、見た感じはイワナやヤマメがいそうな川相だが、いるのはオオクチユゴイとナガレフウライボラだ。どんな魚かと言われれば、ブラックバスの小さい奴と、コケしか食べないアユみたいなボラである。オオクチユゴイは雑食で、水面に米粒を落とすとすぐに喰らいついてくる。葉っぱや砂でも反応するので面白い。普段は落ちてくる虫などを食べているので、カガシラやフライなどの毛鉤やルアーを投げたらアホみたいに釣れる。あまりに純粋な魚なので釣る気にもならないが、けっこう美味しいらしい。
 雨が降って気温が下がり、寒いので膝まで水に浸かり、カメラを水中に入れ、ジッと待って水中写真を撮った。だが思いのほか魚の警戒心が強く、思い通りの絵がとれず、時間も迫ってきたので雨が大降りになったところで切り上げた。
 運良くオオウナギの子供が写真に入ったのは嬉しかった。
 復路を出発したのは、なんと5時。とにかく急いで帰る。こんなに遅くなるとは思わなかったので、ライトも何も持ってきていなかった。
 それでも釣り禁止の事も知らない僕は、ポイントポイントでルアーを投げ込んでは、「釣れないなー」と、うなだれつつ、先を急いだ。ジギング用の竿とステラの10000番という、バカみたいなタックルしかなかった僕は、よくもまぁ、こんな竿でキャストを繰り返したなと思う。ジャングルの中にこんな馬鹿でかいタックルでルアーを投げていると、まるでインドネシアのイリアンジャヤでパプアンバスでも狙っているかのようだ(ちなみに西表島の浦内川にいるウラウチフエダイはパプアンバスと同種らしい)。
 旧桟橋に着く頃には6時半をまわり、あたりは真っ暗になっていた。
 ヨロヨロになりながらカヤックを引き上げ、荷物を持って民宿に戻る。その後、宿の自転車を借りて豊原の「南風見ぱぴよん」に向った。予想通り、途中で雨が降り、全身ずぶ濡れになった。
 大原から豊原に向うと、集落の一番手前に蘭の花でジャングルのようになった家がある。それが「南風見ぱぴよん」だ。入口のテーブルに、オーナーの山元さんはいた。 
「おー、やっぱ、降られたか」 
事前に電話していたので、ちょうど今来たら濡れると知っていたのだろう。熱い珈琲を煎れてもらい、頂く。
 ぱぴよんは日に日にキョウコさんの趣味であるガーデニングによってジャングル化しつつあり、頭上には保護したというヤエヤマオオコウモリが鳥かごの中で動き回って、それがさらにジャングル化を促進させていた。シュノーケルツアーも始めたので海の写真がガラス扉に張りめぐらされ、僕が居たときよりもだいぶ、海遊びのショップらしい感じになっていた。
 数日前に来たという「沖縄カヤックセンター」の人達のことや、最近の西表の話や僕の話をし、この日は8時前には宿に戻る事にした。明日からパナリに行くので、水中マスクを貸してくれと言うと軽く了承してもらい、一つ借りていった。
 スーパーで八重山ソバを買い、シャワーを浴びてそれを食べる。宿には一人女のお客さんがいたが、どこかに行ってしまったので一人でテレビを見つつ、静かに過ごした。

10月26日 北東の風(6~8m/s) 晴れ

 
  8 時頃起き、昨日の残りのそばを食べてから荷物をまとめて桟橋に向かう。
  風は強かったが、この日は何が何でもパナリに行くと決めていた。
  ちょうど、ぱぴよんでもこの日はパナリツアーが入っており、途中までは一緒に行けると思っていた。
  パナリとは、西表島の南東部にある新城島のことである。上地(かみじ)と下地(しもじ)の二つの島があるが、もともとは一つの島だったものが、明治時代の大地震と津波で二つになってしまったらしい。距離的なことや風などを考慮したうえでも上地のほうがカヤックで行くには都合がいいので、この時は上地経由でキャンプのできる下地に行くことにした。
  新城島は基本的にキャンプ禁止だ。全国で野宿しているシェルパ斉藤さんの著書にも、ここでの野宿は断られている事が書かれている。だから僕達は無人に近い下地の、それも集落からは見えない一番南の浜でキャンプを行っている。
  出発する頃、山元さん達はパナリを諦め、南海岸コースに切り替えるという。パッキングと講習を終わらせたぱぴよんのツアーは、先に出発してしまい、その 20 分後くらいに僕は出発した。  
「さっきから見てたんだけどサー、それでどこまで行くの?」
  隣で働いている観光会社の人が聞いてきた。  
「こんな日に海出たら危ないよ」  
「大丈夫です、南海岸に行きます」 
「そうだよ、それがいい」
  西表島の人は、 2 年前の遭難事故以来、一般のカヤッカー、および探検部などの学生、旅行者には厳しい目を光らせている。当然といえば当然だが、昔の西表に比べると、正直ウザッタイほどの干渉が入ってくる。事実、遭難している登山者や海で遊んでいた人の話を聞くと、呆れるほどの装備だったり、経験数だったりするのが情けなくなってくる。
 僕は南海岸に行くと嘘をいい、パナリに向って出発した。
  風は想像よりも強く、仲間川の河口にはウザッたい波がザブザブとデッキを洗っていった。確かに一般の客を連れたツアーでは川に行くか、南海岸に行ったほうがいい海況ではあるが、カヤッカーが漕ぎきれない海ではない。むしろ僕には漕ぎなれた海、コースだ。逆に笑みが浮かぶほどの、好敵手のように思えた。
 遭難事故が起きてから、色々西表島のカヤック事情も変わってきた。その一つが、海峡横断をする際はカヤックにポールを立てて、目印をつけるというもの。北九州や山口で行われているローカルルールと一緒の物だ。遭難のためというよりは、近くを走行する漁船や高速船にカヤックの所在を知らせるためのものである。商業ツアーで鳩間島や新城島に渡る際は、このポールを立てないと、今後はダメらしい。もちろん僕は後で知ったので、この時は知らなかったが・・・。無知とは怖い。
  2005 3 月に起きたこの西表島と新城島の海峡で起きた遭難事故は、全国のカヤッカーに相当な衝撃を与えたようだ。僕自身、カヤッカーである以上に、一人の知り合い、先輩を失ったという事実として衝撃的な事故だ。
 あれから西表島に来る事はあっても、パナリに行くのは今回が初めてである。自艇で行くことも初めてだ。その海を、かなりのタフコンデションの中、漕いで行くのはなかなか感慨深かった。だが、条件としては今とあの時はだいぶ違うはずだ。風が一定の方角からしか吹かない今と、風向きが変わった当時とは海況も違うし、グループか単独かという点でも、かなり違う。

 仲間川の河口を出ると、真っ直ぐにパナリに向わず、隣の黒島に向って漕ぐ。
 しばらくは遠浅の海を漕ぐので、ウざったい細波がデッキを洗うも航海には支障はない。敵は風だけだ。
 黙々と黒島に向って漕いで行くと、サーフが立つようになり、次第に水深が深くなってくる。アマモからガラモになり、海底の風景はサンゴに移り変わる。左手にあった仲間崎が切れ始めた頃、その延長上に緑の 24 番ポールが見えてくる。
  右手の西表島側には 23 番ポールが見えて、その二つのポールの延長上が高速船の航路である。  ここで一端、このラインを垂直に横断してしまう。もちろん、高速船が双方から来ていない事を確認してからだ。高速船は想像以上に速く接近してくるので通常の漁船などと同じスピード感で扱ってはダメだ。
  24 番ポールが小浜島の左端まで行ったのを確認したら、もう安全圏だ。あとは上地に向うも、下地に行くのも、自由だ。
 フェリーグライドを使い、高速船の航路にさえ気をつければ、この風でも十分、パナリ島には渡れる。ただ、多少の体力と漕力がないと流されてしまうので初心者にはきつい。僕一人であれば、たった 10 ㎞の海峡横断は問題にはならないだろう。
  さすがにリーフを抜けてから水深が深くなってきたあたりでは不規則なうねりと三角波があったが、漕げない海ではない。商業ツアーのそれと、カヤック自体の性能、技術的な航法をいっしょにしてはいけないと思う。西表島は商業ツアーが大きくなりすぎた故に、初心者レベルの考え方が基本になっている。それは重要な事だけど、それによってカヤックの技術的な高みを目指す事がおろそかになっているのならば、それはかえって怖い事だと思う。ツアーとしてはともかく、ガイドはやはり自分の限界を知る海を漕ぐ事が必要だし、カヤックの限界を低く見てしまっている一般の人の考え方を変えることも必要だと思う。
  ずいぶん偉そうな事を書いたけど、僕の周りにいる西表島のシーカヤックガイドは僕よりもはるかにカヤックの技術もガイドとしての能力もあるから、釈迦に説法な事だろう。
  それ故に、 2 年前の遭難事故は不可解でしようがないのだが…。
 話を戻そう。
  航路を横断してからは、左から吹く風に乗って下地に向った。風はものすごい強いが追い風なので問題はない。ただ、新城島のリーフ内に入っても、その風のせいで海面が細波立ち、きれいなサンゴ礁が見えないのが残念だ。
 10 時に出発し、 11 時半に新城島、下地に到着。通常ツアーでは 2 時間で来るのが普通なので、この風の中、このカフナで来た事を考えると、なかなかのタイムだ。そういえば、カフナでこの島に来たのは初めて。この白い砂浜に黄色い舟を連れてくるというささやかな夢はかなった。

 
 

  新城島は八重山諸島の中でも、指折りの景勝地だ。隆起サンゴでできた島は白いサンゴのみの砂で覆われ、西表島の赤茶けた砂とは雲泥の差がある。
  白い砂浜と、コバルトブルーの見事の海の色、蒼い空に浮かぶ白い雲。あいにく台風のせいか、海岸を覆うモンパノキは少なくなってしまい、緑のコントラストはしょぼくなってしまったが、それでも久しぶりに来たパナリの海岸は格別だった。
 この場所のいい所は台湾漁船の難破船が打ちあがっており、ここがいい、休憩所となるのだ。僕がガイドだった時は砂に半分以上埋まってしまっていたのだが、今回は台風が砂を持って行ったのか、船が姿をほとんど現し、中には広い空間ができていた。まぁ、もともとはこういう感じで、僕がガイドだった時が変だったので、今は昔に戻った…と言った方が話が早いらしい。
 その代わり、ビーチの砂はだいぶなくなり、サンゴの岩が剥き出しになっている場所が多くなっていた。
  船の中に入って昼飯を食べ、食後にのんびりと昼寝をしていると、目の前の海岸に船が来て、大勢の人が降りてきた。黒島から来た船だ。  
「ちっ、せっかく一人でいい気分だったのに…」
  俺一人で独占したい風景だったが、そんな物でもないので彼らが弁当を食べると言うので、その間だけ隣の浜まで行き、そこで昼寝をした。
  陽射しは心地よいが、風がやはり強い。時々、砂がバチバチと体にあたり、あまりいい気持ちとはいえなかった。
  14 時頃、彼らは船に乗ってどこかにいったので、僕もウエットスーツに着替えて潜りに向かった。
 カヤックに乗ってガイド時代にいつも魚を獲っていたポイントに向う。
 何ヶ所かあるポイントのうち、一番サンゴがきれいなポイントに向かい、最初は写真撮影を試みた。ところがカヤックから飛び降りてみると、思ったよりも浅い。隆起したサンゴ礁の間にバラスや砂が埋まり、地形がゴッソリと変わっているのだ!
 いつもミーバイを追い込んでいた穴、ガーラを見かけた穴、クマノミがいたサンゴ礁がない…! おまけに透明度がほとんどなく、パナリの海と言うにはあまりにも濁っていて、悲しくなってきた。
 しかしサンゴはかなり健全で、生きている物が多く、この濁りが一時的なものである事はわかった。他の海域に比べて、ギーラ(シャコガイ)が多いのも、相変わらずパナリ周辺海域の特徴だ。
 第一印象はかなり悪かった物の、泳ぎ回っているうちにだいたいの場所がわかってきた。カヤックを置いてそのまま泳いで、魚を獲っていた場所まで移動する。
 透明度はムチャクチャだったが、魚はぼちぼちいた。特によく獲っていたアヤコショウダイはやたらといて安心する。だが、警戒心が妙に強く、最近人が入っている事をうかがわせた。事実、石垣島の電灯潜り漁が解禁し、パナリ周辺にも多くのサバニが浮いていたことからも、原因がわかった。
 写真をあきらめ、武器に持ち替えた所で「これは…!」という、アカジンを発見した。
 推定60㎝オーバー!馬鹿でかい顔をこっちに向け、胸鰭をヒラヒラとハタ類特有のホバリングでこちらを見ている。
 他の魚を狙っている時に見つけ、いったん浮上し、息を整えてから潜行、海底で奴が寄るのを待つ。水深10m弱、一分半ほど待っているが今一歩のところで近寄るのをためらっている。我慢できず浮上し、息を整えながら水面から奴を探すが、消えてしまった。
 再び潜るが、それ以降、奴を見かける事はなかった…。
 本当、今回はミーバイ系には負けっぱなしである。
 時間ギリギリまで探したが、自分が定めた時間内には間に合わず、夕日が水平線に沈む頃、なんとかダルマー(ヨコシマクロダイ)40㎝弱を獲り、キャンプ地へと戻った。
 潜っている時は、潜りだけに集中しているので気が付かないが、キャンプ地に着くと「何でもっと早く帰って来れないんだ~」と、自分を罵り、あたりが暗くなる前に魚をさばき、流木を集め、焚火を起こし、米をといで、おかずを作る。全ての準備が整う頃には日は完全に暮れ、夜の海でウエットスーツを脱ぐのだ。
 正面の海には2隻のサバニがライトを照らし、電灯潜りを行っていた。フーカーから漏れる空気の泡が確認できるほどの近さだ。
 そんな中、浜で僕は焚火を炊き、さっき獲った魚の刺身を食べながらビールを飲む。
 パナリ島は、僕のカヤックで初めて行ったキャンプ地であり、カヤックキャンプの原点である。だけど、ここ以上にすばらしい場所はなかなかない。
 白くてきれいな、極めこまやかな砂の上で、島酒を飲んで馬鹿笑いをし、時には全裸になって真夜中の海に飛び込み、探検がしたくなったら山に行ってヤシガニを探す。小腹がすいたら水中ライトを持って電灯潜り。眠くなったら、そのまま、どこだろうが寝てしまえばいい。酔いが覚めて、気がつくと正面には満天の星空。
 パナリ島とは、そういう場所です。
 本郷さんが、何故この島が好きだったのか、僕にはわかります。
 テントという、個室に入るよりはこの場所に溶け込みたく、いつもそうしていた様に僕はマットとシュラフだけを難破船の中に敷き、そこに眠った。
 ヤドカリが歩く音が、いつまでも耳に届いていた。

 

 

 

10月27日 北東の風(6~9m/s) 晴れ

 

  浅い眠りからさめ、のっそりと写真を撮ったり、焚火の火を起こしたりして朝を過ごす。
  午前中は昨日のリベンジをしようと、アカジンを見かけた場所に再び潜る。
 すると、昨日より小さく見えたが、岩の穴の中から顔を出しているアカジンを発見!しばらく穴の前で待ってみるが出る気配がないので、覗いてみる。穴は巨大なサンゴの岩が砂の上に乗っかっていて、その岩と砂の間にできている空洞…といったものだ。あちらこちから出入りできる、厄介な物。魚が一方に気をとられているのならば、別の穴から狙えるが、こっちに気を向けているときは、どこからでも逃げてしまえるという、困ったシチュエーションだ。
  上半身を無理やり穴の中に突っ込み、魚に向って打ち込むが、みごと、外れ。魚は「ドヒューン」と、ものすごい勢いで穴から出て行き、あさっての方向に行ってしまった。終わった・・・。
  カヤックに乗り、キャンプ地へと帰ったのは云うまでもない…。
  なんだか気だるいので、ウエットスーツが乾くまで、昼寝。パッキングをし、出発したのは 13 時半頃だったと思う。
  本来ならば、このまま上地に向って漕ぎ、そこから黒島に渡ってしまうのがいいのだが、マスクを借りているし、石垣島の米原で出会った例の女の子たちがそろそろやって来る頃だと思い、僕の里帰りの意味もあって南風見田浜に戻る事にしていた。今思えば、この時黒島に渡ってしまえば、今回の遠征は当初の計画通り、カヤックのみで八重山諸島を一周できたと思う。天候の変更を甘く見ていた僕に非があるとも言えるが、この時、南風見田浜やボーラ、ナイヌ浜を素通りする事は僕にはできなかったのだから、仕方がない。
  行きと違って北東から吹いてくる風に流されながら、とにかく西表島に向って漕いで行けば航路も横断せず、西表島南海岸にたどり着くのだから苦労はなかった。
  途中で気が変わり、大原港に向う。
 今からだと豊原のスーパーはやっていないので、大原で買出しした方がいいと思ったからだ。 2 時間ほどかかって大原港に到着し、スーパーで買出し。すぐにカヤックに戻って出発する。
  大原港から南風見崎を越えて南海岸を行くのは、後ろからの追い風もあり、かなり楽勝だった。時々、遠浅の場所があり、座礁しないように気をつけなければならないが、何もしなくても強風のために進むので、僕は完全に油断してビールなど飲みつつ、スーパーで買った週刊誌を読みながら南風見田浜を目指した。途中、モンツキサヨリの群れに遭遇し、大量のサヨリがカヤックの周りを飛び跳ねたのには、度肝をぬかされた。

  何だかんだで南風見田浜に到着したのは 5 時過ぎだった。
 西表の県道215号白浜南風見線の南の端。それ以上行けない終点にあるのがこの浜である。西表島で一番広い砂浜で、その昔、日本のバックパッキングの一つの聖地となっていたが、今はキャンプ禁止となり、浜の入口にあったキビ畑がキャンプ場になっている。このキャンプ場の地主が今の管理人で、ぱぴよんの山元さんとは旧知の仲なのである。僕も学生時代にキャンプ場にお世話になり、ガイド時代はよく顔を出していたのでここの管理人さんとは顔見知りである。
 ひさしぶりの南風見田浜は、台風の被害をそれほど受けていないのか、他の場所と違ってグンバイヒルガオがしっかり青い葉を茂らせていた。僕たちがテントを張っていた場所は見事に草がはえて森の一部となっている。今現在、森の中にテントを張っている人はいなそうだ。
  キャンプ場に行くと一人おじさんがいて、東屋の中にテントを張っていた。 
「なんだこいつ?」
 いくら人がいないとは言え、ずいぶんと大胆な所にテントを張るな…と、思っていたが、おじさんに話をすると、今は台風の影響でキャンプ場内の木々が折れ、いつ落ちてくるかわからないので、除去作業が終わるまで閉鎖しているとの事だった。おじさんはその間、ここを管理しているという。
  実は米原で出会った女の子たちはキャンプ場に来るも、台風で閉鎖していたという事で石垣島に戻ったという事をメールで知っていた。だが、別に構う事はないだろうと僕は強行して来たのだ。事実、管理人さんに一言入れて、キャンプ場内にある折れたモクマオウの木の下にテントさえ張らなければ大丈夫だと思っていた。
  このとき、僕はここに泊まるか、隣のボーラまで行ってしまうかを悩んでいた。
  その後、流暢に荷物をカヤックに入れたまま、落ちていく夕日の写真や、セマルハコガメの写真などを撮ってすごし、結局このキャンプ場に今晩は泊まる事にした。荷物を出し、メッシュバックに詰め、キャンプ場に持っていき、安全そうな場所にテントを張った。あたりはすでに真っ暗だ。  
「ちょ、ちょっと、ちょっと!あんた何やっているの!?」
  東屋にテントを張っているおじさんが不機嫌な感じで話し掛けてきた。  
「え?テント張っているんですけど?」 
「困るんだよ、そういうことされるの!入口の看板、見なかったの?」 
「あ、裏から入ったもんで、表の看板は見てませんが…」
  このキャンプ場には車道から入る道と、海側から入れる道の二つがある。僕は海から来たのでもちろん後者からとなる。
 つまり、話の筋はこうだ。台風の影響で木が倒れ、危ないので一般のキャンパーは泊めさせない様にしているらしい。その説明と、清掃作業の手伝いとして、このおじさんはここに泊めさせてもらっているようだ。管理人さんからは誰も泊めさせるなと言われているので、勝手に泊まられて、何かあったら、自分の立場がないと言うのである。 
「あ、僕、ウダツさん(管理人さん)の知り合いなんで、来たら話しますんで」 
「知り合いだろうが、なんだろうが、あんたがウダツさんとどのくらいの仲かは、わしは知らん。ウダツさんはもう、この時間からは来ないよ」
  身内だから大丈夫…という、僕の考え方もいけないと思うが、正直この強気な言い方に腹が立ってきた。 
「じゃぁ、この暗くなった状況で、俺にどこに行けばいいというんですか?(キャンプ禁止の)浜にテント張ってもいいというんですか?」 
「さー、そこまではわしは知らんよ…」
  何だこいつ?この荷物を持ってこんな時間に集落まで行けというのか? 
「じゃー、ウダツさんと話しつければいいんですね」
  僕はウダツさんの家に電話をして、このオヤジにギャフンと言わせてやると思ったが、あいにく留守だった。
 アッたまにきたので、テントを持ち上げ、そのまま浜に移動した。そして浜で一晩過ごすことにした。あんなオヤジと一緒の場所で寝泊りできるかッ!!なんという、要領のないオヤジなのだ。ウダツさんがいれば泊めてくれる事はわかっていただけに、なおさら悔しい。
  風が強く、流木も少ないので焚火ができず、ストーブでラーメンを作り、それで夕飯とした。飯を食ってからも気分が悪く、そのまま不貞寝した。
  西表島には現代生活が嫌になったのか、ものすごく固い仕事をしていた人が、突然やってきては、非人道的な生活を始める事が多々ある。南風見田浜には、そんな人達が昔から多く、ブルーシートで小屋を作り、国有林であるにもかかわらず、自分の土地であるかのように開墾し、生活し始める輩がいる。「原住民」と呼ばれる人たちだが、全ての人がそういう訳ではないが、年配の人には特に癖の強い人が多く、常識の通用しない我侭な人が多い。旅人にとっては「面白い人」で済むかもしれないが、周辺住民にとってはそういう人間が自分の生活圏にいるというのは「困った人」以外の何者でもない。
  このキャンプ場のオヤジもそんなオヤジの一人だろう。だが律儀にキャンプ場料金を払い、キャンプ場の仕事の手伝いもするところを見ると、現代人のルールをまだ持っているのだろうが、ここまで他の人に要領がないというのは、堅物以外の何者でもない。  
「絶対あいつ、元公務員だ…」
 ブツブツと愚痴りながら、この旅で初めて不機嫌な気分で眠った。
 

 

10月28日 北東の風7~11m/s 晴れ

 
  6 時頃起き、すぐにテントを撤収し、荷物を整理する。
  すると、どうしたわけか、カメラが見つからない。昨日、テントを移動した際に落としたのかもしれない。
  テントサイトからキャンプ場までくまなく探すが、見つからない。
  キャンプ場に行くと、ウダツさんと、その仕事仲間の若者が来ていた。最初、誰だか気がつかなかったようだが、挨拶すると、僕だとわかってくれたようだ。
 ウダツさんの話を聞くと、だいたいはあのオッサンと話はいっしょだったが、微妙な所で違いがあり、嘲笑せずにはいられなかった。昨日の夜は僕が去った後、キャンプ場に来たらしく、僕が来た事は知っていたようだ。台風の被害が酷くて、金をかけて作業しているがなかなか追いつかず、来月にはオープンできるとの事。でも場所によっては泊まってもいいとの事だった。
  ほらなー、わざわざこんなところまで来た人に対し、さらに夜中に追い返すバカなんて、普通いないだろ?器量のネェやっちゃ。
  ウダツさんは今日は泊まっていけと言ってくれたが、生憎こっちはあのオッサンがどうしようもなく気に入らないのでボーラに行くと言って、自転車だけ貸してもらうことにした。
 その後、カメラを探す為に昨日テントを張っていたあたりを物色していたらあのオッサンがやってきて、「何か用か?」と訊いてきた。カメラを落としたと言ったら、「ほ~」だとよ。テメーにも、責任の一端はあるだろうが!とイライラが募る。それに比べ、ウダツさんの相棒の若者は「あとで探しておきますよ、見つかったら教えます!」と、非常にうれしい事を言ってくれる。結局カメラはテントの中にあったのだが、久しぶりに頭の悪いオッサンに絡まれて、気分が滅入った。
  自転車を借りて大原まで遊びに行った後、カヤックにキャンプ道具だけを積んでボーラ浜へ。適当なキャンプサイトを見つけ、荷物を下ろした後、南風見田浜で残りの潜り道具を回収し、潜りのポイントまで行く。
  僕が一度だけロウニンアジを獲ったポイントに向う。実に 3 年ぶりにこのポイントに入るわけで、非常に気合いが入った。
  ポイント近くにカヤックを係留し、そこから飛び込んでポイントに向った。
  ところが、ここがものすごい激濁り!話にならないほど濁っており、海底が見えない。正直、濁っているサンゴ礁というのは、ものすごく怖い。ドロップオフの深場から、何か得体の知れない化物(例えばサメとか、鮫とか、鱶とか…)が飛び出してきそうで、なるべくそういう場所に浮かんでいたくはない。リーフ沿いに泳いで沖に向かう。
  沖に出ると、想像通り、透明度は次第に上がってきた。魚影も良く、水面には大量のセンニンサヨリが群れをなして泳いでいる。
  リーフエッジを出て、さらに沖に出る。この場所はリーフを出ても、沖にかなりサンゴ礁が張り出している。水深 10m というテラスの上を泳いでいく。サンゴの切れ目の上をタマンとダルマーの群れが泳いでいく。潜水して待っていると、興味は示すが射程まではあと一歩でとどかない。この魚はスタティックが長ければ獲れるはずだ。難しいというより、根性だと思う。
  そのテラスも切れて、一気に底の見えないドロップオフが現れる。凄まじいブルー。群青。恐怖だ。この恐怖がある以上、僕にはあの海底に潜る資格はない。浅場で遊ぶのみだ。
  リーフエッジで底抜けの海底を覗いていると、グルクンの群れに囲まれた。遠くにはシャンデリアのようにきらめくツバメウオ達。チカチカと水面に瞬くのはミジュンの群か?
  海の中には興奮、癒し、恐怖、恍惚、発見、全てがある。これを知らずして、海が語れるか…!
  いったんカヤックに戻り、ブイにカメラをぶら下げて、写真と魚突きを両方やる作戦にでた。
  何度か潜水を繰り返していると、深場から、流線型の巨大な魚が現れた。しばらく正面から見ていたので何かはわからなかったが、独特のスカイブルーのヒレを見て、それがカスミアジであることに気付いた。
「ついにでた!」
  英名、ブルーフィントレバリーの名の如く、イエローの主翼とは違ってブルーに輝く舵を見せつけながら、奴は僕の足元を通過しそうだった。息を思いっきり吸い、いっきにジャックナイフで潜る。しばらくは僕の存在を無視していたが、真上に僕が来る頃には気配を感じたのか、スピードをあげるそぶりを見せた。打つにはまだ早い、狙いもあまり定まっていない、しかし今打たないと逃げられる…!
  大型のカスミアジはロウニンアジと違って大きさに比例して寄らなくなる。ガキの頃はアホみたいに寄る。しかし、 80 ㎝、 10 ㎏オーバー近くなると気まぐれに頼るしかなくなる。このファストコンタクトを逃すと後がない。
  撃った。あたった。
「ブルルッ」 
「スポッ」
  あーッ!!またやっちまったーッ!!!
  奴のブッとい体に刺さった銛先は貫通することなく、それどころか一瞬の身震いで外れてしまった…!やはり撃つには早かったか…。
  ガーラはものすごいスピードで、はるか遠くに逃げていった。透明度がいいので、その逃げっぷりは、気持ちイイほど、よく見えた。これで僕の今回の遠征でのガーラハントは終わった。
  おかずにチョウチョウコショウダイとイシフエダイ、高瀬貝を採ってカヤックに戻り、ボーラ浜へと急いだ。
 

 

10月29日 北東の風9~12m/s 曇り 時々 雨

 
 ボーラ浜に戻った僕はいつも通り流木を集め、焚火を起こし、魚料理を作って食べた。今まで泊まった浜と違って広大なボーラ浜は、なかなか気持ちがよかった。この浜には隣のナイヌもそうだが沢が流れ込んでいるので水に不自由せず、非常にキャンプしやすい。お気に入りの場所だ。
 朝起きると、風がだいぶ強くなっており、空もだいぶ曇り空になっていた。
 この日は黒島に渡る予定だった。黒島まで行って、ゲリラ的にキャンプ、もしくは民宿泊して翌日、石垣島に渡るつもりだったのだ。ところが天気予報では78mという風。気分が滅入る。事実、風は昨日より強い。
 朝食を食べてから9時頃出発、まずはマスクを返す、もしくはもっと良い物に変えてもらうために豊原のラ・ティーダ前の浜に上陸し、ぱぴよんに向かう。
 ちょっとのつもりで寄ったのだが、思いのほか長居してしまう。マスクもキョウコさんの進めで新しい物に変えてもらうが、黒島に行こうと思うと言うと、「こんな日に黒島なんか行ったら、波照間まで流されるぞ」と、2人に警告される。
 そばにある八重山毎日を見ると、確かに海上の風は1113mとあった。
 気分は悪かったが、とりあえず買い出しついでに大原まで行こうと再びカヤックに乗って先を進む。
 ところがマーレーを過ぎたあたりで向かい風がすさまじい事になってきた。
 南風見崎では、全力で漕いで、やっと舟が進むという感じである。岬という状況ではあるものの、この強風下でカヤックを漕ぐのはハタから見ればただのバカだ。何とか岬は越えたものの、凄まじい風によって油断すると浅瀬に乗り上げて座礁しそうだ。 


「ダメだ、こりゃダメだ!!やめやめッ!」
  こんな近場で苦労しているようじゃ、先が危ぶまれる。ましてや沖に出たらひとたまりもない。何とか U ターンし、再びラ・ティーダ前に上陸し、そこから歩いて大原に向った。玉盛スーパーでサヨリ釣りの仕掛けと餌、サーターアンダギーとコーヒー牛乳を買って喰いながら歩いて戻る。この日は風のないフケガーラでビバークする事にした。
 フケガーラの浜に荷物を置き、サヨリ釣りの仕掛けをつくりカヤックからサヨリを釣ろうと思ったのだ。海が荒れるとサヨリはリーフ内に入ってくる。先日、このあたりでサヨリがバカ釣れしたようで、数日前からこのあたりで竿を振っている人が多かったのを見ていた僕は、いい暇つぶしだと久しぶりに釣りを試みた。
 ところがこれがまったく釣れない。
 夕方までやって一匹しか釣れなかった。しかも雨まで降ってくる始末。かなり虚しい。
  テントを張り、窪地にタープを張って、その中で焚火を起こした。濡れた流木を乾かしながら焚火にくべると、なかなかの移住空間となった。
  雨がタープを叩く音、焚火のはぜる音、風が木々を揺らす音、リーフにあたる波涛、なんか寂しいので付けてみたラジオの音。そんな様々な音の中、体を小さくちぢ込めてタープのシェルターの中にいるのは、悪い気分ではなかった。むしろ焚火の熱が心地よく、必要な物がすぐ手のとどく所にすべてある状況はなかなかすばらしい。
 最後の米を炊いてカレーをかけて食べる。たった一匹のサヨリはしっかり刺身にし、しっかりとビールのつまみとした。

 

10月30日 北東の風6~9m/s 晴れ

 
 もう黒島行きはあきらめていた。天候は明日も変わらないだろう。1日で石垣島に渡ってしまう事もできなくないだろうが、この海況ではそれは無理だろうと判断。この時点で僕の今回の遠征は失敗した事となる。
 しかし遠征と呼ぶにはずいぶんとのんびりと漕ぎ、女の子と遊び、寄り道をし、海に潜りすぎた。遠征と呼ぶには馴染みすぎた土地だった。まぁ、僕の人間性が表れているといえばそれまでだが、カヤックを使った旅と言ってしまえばそれまでのシロモノだ。
 開き直って午前中は陸からサヨリ釣り。
 風が強くて仕掛けが思い通りに流れない。隣でやっていたオヤジが何匹か釣ったが、奴はコマセを使っていた。俺は西表島ではグルクン釣り以外、コマセは使わない主義なのだ。つれなくても本望だ、コンチクショー。
 そんな僕にも律儀にガチマヤー(コトヒキ)が釣れてくれた。せっかくなので焚火で焼いて食べる。
 パッキングを済ませ、再びラ・ティーダ前に行き、ぱぴよんへ。マスクを返しに行く。
「だろ?やっぱり無理だったろ?」
 山元さんは笑ってそう言いはなった。昨日あれから来ないから、黒島まで行ってしまったんではないかと思ったらしい。南風見崎も越えられなかったというと、えらく安心したように笑っていた。


 
 

南風見ぱぴよん2006年

 
  ちょうど、仲間川に行っていたお客さん達も戻ってくる時間で、今のガイドである鈴木さんも加わって話をする。鈴木さんは昨日、僕と一緒にサヨリを釣っていたのだが、同じくまったく釣れていなかった。
 ぱぴよんで飼っているリュウキュウイノシシ、「てびち」も登場し、カッパエビセンを美味そうに食べていた。
  ウダツさんもやってきた。今日はキャンプ場に行くかもしれないと言っていたのだが、明日は雨だと聞いていたので大原に行くことにし、泊まれない事を詫びた。
 今まで気付いた西表島の変わったところをウダツさんや山元さんに聞き、なるほどねと納得する。西表島のゴミ処理方法や、観光業のあり方、浜のキャンパー利用、原住民の行く末など、西表島もずいぶんと変わったナーと、思う。
 話し込んでいたら 5 時近くなってしまい、大原まで行く事を伝えていたので、カヤックごと運んでやるということになった。最初は遠慮していたが、八重山一週できなくなったことでヤケクソになった僕はお願いし、山元さんと 2 人、カフナを荷物ごと軽トラに乗せ、大原の「やまねこ」に向った。
  ちょうど仕事終わりの民宿のオーナー、徳元さんやここに住んでいる「とんとんみー」の余語さんなどもいて、宿は賑やかだった。いきなり行ったのだが、部屋は開いていて、カヤックも洗わせてもらえた。
 カヤックを塩抜きし、洗ったり干したりし、洗濯などもして荷物の整理をしていたらだいぶイイ時間になってしまった。夕飯は外で食べようと思ったが、休業日だったので結局前回と同じチャンプルーのせの八重山ソバとなった。
 今日は余語さんのお客さんだという鹿児島のカヤッカー姉さんと、大学生 2 人が泊まっていて、ちょっと話をする。大学生 2 人はちょうど学祭があって講義が休みなので、ちょっと旅行にきたという、学校愛のない二人だった。
 それにしてももう学祭の時期か。帰京する日程はそういえばちょうど母校の学祭と被るな・・・と気付く。
 もう秋なのだ。
  シャワーを浴びて、日記を書きながらテレビを見つつ、ビールを飲む。
 寝たのは何時頃か忘れてしまった。
 

10月31日 北東の風6~9m/s 雨 時々 曇り

 
 朝から雨が降っている。予報どおりだ。
 8時頃おきて顔を洗い、スーパーに朝食を買いに行く。宿に戻ると昨日のカヤックお姉さんがいて、コーヒーを煎れ過ぎたと言って一杯もらう。
 雨が小降りになった頃、2階に干していたカヤックを片付ける。船体布は完全には乾かず、中はまだ濡れていたのでタオルで拭いて強引に丸めた。多少重くなってしまうが仕方がない。フレームは帰ってから塩抜きしよう。
 必要ない調味料はいつものように宿に寄付し、ゴミを捨て、荷物をパッキングしてしまう。バックパックは八幡家に置いてきているので、メッシュバックに詰め込めるだけ詰め込み、後は防水バックのまま持って行くことに。
 荷物が整理できると、これといってやることはない。残っている日記を書きながらリビングでコーヒーを飲んで過ごす。たまに来る来客が知っている顔だったりすると嬉しい。
 昼頃、カヤックを送るためにいつもの場所に行く。しかしいつものおばさんではなく、おじさんが出てきた。このおじさんも要領のないおっさんで、ここでも一悶着あり、相当くたびれてしまった。次からは郵パックを使おうと真剣に思った。
 そんな肩を落とした状態で歩いていると、隣に山元さんの運転する軽トラが停まった。
「お前、そんな白髪多かったか!?誰だかわからなかったぞ」
 そんなに目立つのか、俺の若白髪は?ともかく今から挨拶に行こうと思っていたというと、軽トラに乗せられ、ショップまで行くことに。 
「また来たの?」
 相変わらず、毒舌なキョウコさん、思いっきり僕も来すぎだと思っていたところに鋭い一言を浴びせてくれる。まぁ、確かに後半は毎日のようにショップに顔を出していたな。 
「お前も早く、ショップ開けばいいのに」
 数年前なら絶対、山元さんはこんな事は言わない人だった。生意気なこと言ってんじゃネェ!っと、逆に殴りかかってくるような感じだった。それが僕には驚きだ。
 僕のカヤックの実力を認めてくれたことなのかどうかは知らないが、山元さんも考え方が変わったな…と、以前会った時同様、今回も思った。それは、明らかに昔とは変わってきた西表島と、そこに訪れる人達に対応する為なのかもしれない。明らかに僕が最初に来た9年前よりも、この島は変わっている。たった9年間ででもだ。
 3時過ぎに大原まで送ってもらい、民宿に置いてある荷物を持って、1630分、僕は今回乗ることは無いだろうと思っていた安栄観光の高速船に乗って西表島を後にした。
 
 船から荒れた海を見ると、これはカヤックでは無理だという諦めに近い安堵感と同時に、恐ろしいほどのスピードで、この荒波を切り裂いていく高速船に、正直戸惑わずにはいられなかった。