西表島から石垣島離島桟橋に着いた僕は、すぐに側にあるバスターミナルに向かい、白保行きのローカルバスに乗り込んだ。地元のオバァばかりが乗っていて、車内はウチナーグチが飛び交い、外国のようだ。
 バスの外はすっかり日も暮れ、街灯の少ない石垣島の道路をバスは進んでいく。
 市街地をゆっくりと走っていたバスは郊外に出るとスピードを上げ、県道を東へと進んでいった。
 終点白保でバスを降り、八幡家「ちゅらねしあ」に向う。
 八幡さんの家に着くと、みんさんパソコンで仕事をしており、勝手にしてくれといった感じなので、預けていた荷物を受け取り、パッキングをしなおした。カヤックと潜り道具は送ってしまったので少ないだろうと思っていた荷物だが、バックパックに詰めなおしてみると、これがいつも通りのすごい荷物になった。とくに8㎏のウエイトベルトは毎度ながら、呆れる重さだ。
 この日はたまたま八幡さんの石垣での身元引受人のような人も遊びに来ており、前回来たときにはいなかった雪ネェの友人で、ここに居候しているダイビングのイントラの姉さんもいて、賑やかだった。
 翌日、何をするでもなかったのだが、朝食後に雑談をしていたら結構話が長く続き、色々と今回の八重山旅行の話とは別に、八幡さんや十河君と話す事ができた。
 八幡さんはご存知のように現在、『グレートシーマンプロジェクト』として、オーストラリアから日本までの海を漕ぐ遠征を行っている。それは名前からわかるとおり、カヤックを漕いで行くという意味で『グレートな海の人』ではなく、その土地の海で生活するグレートな人々を巡る旅である。
 その事で、以前書いたレポート「グレートシーマンと漕いで潜って、飲んできました」を読んだ八幡さんに、「誤解されるから表現を変えてくれ」…と言われたことがあったが、僕にとってはやはり、八幡さんも十分グレートなので、そのまま使わせてもらっている次第です。
 そんな大遠征を行い、いまやシーカヤック界の時の人となっている八幡さんから、各地での遠征の話を生で聞けるというのは貴重な事であるが、それらの情報ではなく、「遠征を行っていく上で必要な事」という意味の話をすることの方が、貴重だったと思う。
 同じカヤックの遠征をする事に重きを置いている同士、答えは出ない会話ではあったけど、色々と参考にはさせてもらいました。何より、今回の遠征ではアドバイスをもらい、2宿もさせてもらって、感謝するばかりです。
 330分のバスで帰るというと、バス停まで送ってもらい、別れを告げてバスターミナルに向かった。
 
 翌日早朝の船に乗るためにこの日は港近くで一泊し、朝6時半のフェリーで那覇に向った。
 宿は昔から使っている「パークサイドトモ」。近年のドミトリーの増加でこの宿も2006年の9月から一泊1500円になったという。昔はヘルパーが23人はいた宿だが、今はおじさんとおばさんが代わる代わるやっているようだ。個人的には昔のような活気がこの宿に戻ってくれるとありがたい。
 あさひ食堂でそばではなく、久しぶりに定食を食べた。飯もお替りした。
 宿に戻り、泊まりこんで塗装屋をやっているニィニィと、職業不明なおジィと飲む。
 深夜、飲む訳でもないのに、一人、美崎町に散歩に行った。
 トモに泊まり、連日宿で飲んだ後、消灯の時間からこの街に繰り出して、八重泉を飲んでいた頃を思い出す。
 明け方まで飲みまくり、酔っ払いを担いで宿に戻って泥のように眠る日々。
 9時前には起きて二日酔いのまま観光に出かけ、その夜もまた、飲むのだ。
 その友人達の中心だった男が、いつも流しをやっていたバルコニー前や、よく行った居酒屋、宿から出てくる酔っぱらった、いかにも宿で知り合ったばかりといった感じの協調性のないナイチャー達を見かけると、当時の事が思い出されてノスタルジックになる。
 石垣島は変わり、僕も変わった。後何回この島に来られるのか?でも来たとしても、もうあの頃には戻れない。
 人はこうして歳を重ねていくのだろうか?
 そういう、当たり前のことが、すごい旅情を高めた。
 那覇に向かうフェリーの中では、米原で出会った女の子2人のうち、一人と再会する。結局予定は色々変わり、タイミングは合わなかったようだ。まぁ、旅行なんてそんな物だ。だから偶然が楽しいのだろう。乗り込んだ直後に話し込んだが、その後2人とも船酔いになって部屋でおとなしくしていた。気付いたら那覇で、同じ宿に泊まる予定が、彼女は別の宿に移った。ちょっと寂びしい…。
 那覇は飛行機の関係で2泊し、11月4日、東京に帰った。
 帰宅する日程はとくに決めてはいなかった。時間はあるのだから、途中、奄美大島によってシーカヤックマラソンで出会った喜界島のWATARUさんに会いにいこうと思っていたのだが、遠征中のよからぬ出費の多さに、金銭面を最優先することとなった。その為、フェリーで帰るより、早めに飛行機を予約した方が安く済むと考え、西表島の上原にいる時に後輩に頼んでチケットを買ってしまった。石垣島から那覇に行くフェリーの関係もあり、それでおのずと今回の遠征の時間的制限はできていたのだ。いつも「行く行く」とばかり言って、まったく別の場所に行っているのでWATARUさんには申し訳ないと思っている。この場を借りてお詫びいたします。
 
 石垣島の登野城漁港を出発してからちょうど3週間、21日かけて僕は八重山諸島をめぐった。
 総漕行距離、258㎞。一日50㎞漕げば、わずか5日でゴールできる。漕げなかった西表大原から石垣島までの距離を加えても、一週間あれば十分漕ぎ切れてしまうフィールドである。そこを3週間もかけてしまったのだから、これは遠征と呼ぶには、まことに恥かしい物である。はっきりいって、「のほほんテーゲー、島巡りカヤッキング in 八重山諸島」と、名前を改名した方が、今後ここを漕ぐ人にとって良いと思う。
 だが、カヤックを使った旅としては大変面白かった。今回は、純粋に面白い遠征だったといえる。風はかなり参ったが、この時期の八重山にしては天候にも比較的恵まれ、潜りの点では非常に状態のいい海を潜れたと思う。
 以下、今回の遠征で思った事をテーマ別けして記載し、今回の遠征の報告とさせてもらいます。
 重複する所もありますが、今回の遠征に関して助言してくださった「ちゅらねしあ」の八幡さん、雪ネェ、十河君、ありがとうございました。米原で出会ったハギ、バンちゃんには、一緒に遊んでもらって感謝です。西表島にて僕の事を覚えてくれた(というか、いつもいるような感じで相手してくださった)住民の皆さん、鹿川で再会し、ずいぶんとお世話になった「海月」の金田さんと奥さん、心配だけはかけさせてしまった南風見田キャンプ場の管理人宇立さん、そして最後までお世話してくださった「南風見ぱぴよん」の山元さん、キョウコさん、ガイドの鈴木さん、たいへん、お世話になりました。ありがとうございます。
 そして毎度毎度、このクソ長いだけの長文を、最後まで読んでくださったこのサイトの読者の皆様、ありがとうございます…!
 この場を借りて感謝の言葉とさせてもらいます。
 

2007年1月
 bajau こと 赤塚

 

■波照間島島渡りに関して

 波照間島に関しては、実は八重山に渡る前、沖縄の名護のゲストハウスを出る時にコンパスを置き忘れてきてしまっていたので、島渡りに関しては諦めている節があった。だが、西表島から波照間島は晴天の時は確認する事ができ、条件がよければ十分コンパスや海図がなくても行く事はできた。西表島西部を漕いでいる時の天候なら、十分可能だったと思われる。
 しかし今回はちょうど南海岸のパイミ崎を越えて鹿川湾に泊まった段階から天候が急変し、海が荒れてしまったので渡航は不可能と判断、波照間島への航海は中止した。事実、北東の風が8m以上吹いている状況下でのこの海峡横断は極めて危険であり、行けたとしても、帰ってくる事はリスクがでかすぎると判断。その危険をあえて得てまで行うほどの遠征でもないので、素直に止めました。
 この航海ができなかっただけに、せめて黒島から石垣島には渡って、カヤックの航路によるラインを一周させたかったのだが、それも無理に終わり、非常に残念です。
 

■カフナの使用に関して

 上の波照間島の海峡横断に関しても当てはまるのですが、今回、FeathercraftのKAHUNAという、4.5mのカヤックを用いたのですが、沿岸域を漕ぐぶんには非常に申し分ない性能なのですが、海峡横断を行うなどの外洋の海を漕ぐには、いささか短すぎると思いました。
 理由は、追い波を受けて進む時、後ろからの波を被ってバウ側のデッキにも波を被り、バランスを崩しやすいということ、また三角波や細かい波、うねりがともなう場所を漕ぐ際はこの長さだと波に同調してしまい、バシャバシャと揺れ、波を被ってスピードが落ちる。横で5メートル以上のリジット艇を漕がれると、その違いは一目瞭然でした。
 もちろん、この船でも漕げないことはないとは思うのですが、正直申し上げれば、とても漕ぐのがダルイ。荷物が入るとか、直進性が増すという理由以上に、波やうねりに対する理由として、長い船のほうが長距離を漕ぐ際、いいな…と思いました。
 

■グリーンランドパドル使用に関して

 今回の八重山一周で、スペアとしてはコーモラント(ワイドブレードパドル)を持ち歩きましたが、使用したのはグリーンランドパドル(ニンバス)のみです。
 比較対照がないので、何ともいえませんが、パドルに関してはとくに問題は感じませんでした。ウッド製ですが強度面にも問題は感じませんし、見た目棒切れのように見えるパドルは、携帯にも楽ですし、タープのポール代わりにもなって非常に使い勝手は良かったです(スコップとしてはワイドの方が良いですが…)。
 パドリング方法も2006年に油谷で行われたシーカヤックアカデミーで、このパドルに詳しい州澤さんに聞いて、色々試した結果、以前のような水の抵抗も感じず、スムーズに行う事ができるようになってきました。
 ただ、グリーンランドパドルは同じトラディショナルパドルのアリューシャンタイプのものと違って、より遠洋を長距離漕ぐパドルよりは劣るような気がするので、漕ぐ事に関しては他のパドルに比べると劣るだろうな…という気がするのは致し方ないと思います。同じナローブレードを使うのならば、ワナーのアークティックウィンドーや、アリュートパドルを使いたいと思うのは僕だけでしょうか?
 そんな僕がグリーンランドパドルを使う理由は、横風に強いとか、重いカヤックを長距離漕ぐにはちょうど良いなど理屈はあるにせよ、第一の理由は「フェザーの舟にはこのパドルが似合う」もしくは「かっこいい」からです。そんな単純な理由です。
 

■フォールディング・カヤックを組み立てっぱなしにしてみて

 今回、3週間カフナは組み立てたまま、使っていました。油も塗りなおしていません。マニュアルなどを読むと2週間に一回は分解し、フレームのジョイントを洗い、塩抜きしたほうが良いとありますが、3週間ではジョイントが塩で固まったり、電離分解して溶接したみたいになったり…という事はありませんでした。
 スピニングリールのハンドルではよくあることなので、こまめにチェックはしていたのですが、問題はなさそうです。常に水が出入りし、濡れていた事もあるかもしれないし、気温や水温が高かった事も良かったのかもしれません。
 ただ、一回フレームのテンションを一つ上げたのは事実です。途中から船体布がヘなったのか、張りが弱くなった気がしたので張りなおしました。しかし、全体として問題はとくにありません。
 

■ファルトボート自体の使用に関して

 八重山一周できなかった事で、途中でカヤックをたたんで自宅に送るという事ができたのはファルトボートの強みだったと思います。もしリジットを使用していたとしたら、誰かにカヤックを預けるか、宅急便の人が来れる場所までカヤックを運ぶ必要があるので、それに比べると非常に手軽に撤収ができたと思います。
 また、サンゴ礁でのスキンカヤックを使用に関して、特に注意を払った事はないかといえば、確かに気は使いましたが、大きな穴を開ける事はありませんでした。多少、傷はできましたがキャンパス地を切り裂くほどではないです。この程度は通常のカヤッキングでも日常的にできる傷だと思います。
 沖縄の海はほとんどリーフに囲まれているので上陸地は上質の砂のビーチになります。リーフエッジも切れ目があり、深い所が必ずあるので無理に浅場を漕がない限り、大丈夫です。
 ただ、リーフ内は突然突き出たサンゴがあったりして座礁、もしくはキャンパスを切り裂く事に繋がるので、水面下が見えにくい風の強い時は要注意です。偏光グラスをかけていると便利です。干満の差も大きいので、とくに大潮時の干潮でリーフ内を移動する必要がある場合は無理をせず、カヤックから降りて歩く事を薦めます。
 

■自給自足に関して

 完全に失敗です。
 自給自足を心がけたのも、出発前に読んだ「サバイバル登山家」(服部文祥著・みすず書房)の影響が強いと思います。確かに魚を獲って食べていましたが、+αのおかずであって、米と味噌、ダシの素、ふりかけまで持参していたので、これだけで十分食事はできました。さらに後半は菓子パンを買ったり、行動食でチョコレートを買ったり、非常食でレトルトカレーなども買っていたので、結果的にはただの「貧乏な食卓」となり、魚が獲れると「豪華な食事」になった…というだけです。
 カヤックを漕ぐというのは、想像以上に肉体労働で、腹が減ります。減りまくります。そんな状況下で食うものも食わずに生活することが、いかに苦しい事か…という事実だけは知る事ができました。
 登山家が、アタック中は食べる事しか頭に浮かばないというのは、本当だなあと思いました。
 サバイバルの要素を冒険や遠征に埋め込むのは昔から行われている事で、かつて水も食料もなしに大西洋を横断したフランスの冒険家もいるようで、この人は釣りで魚を獲り、海鳥を捕まえ、その生き血で水分を取り、生き抜いたそうです。石垣島の八幡さんも、カヤックを始める前、インドネシアを素潜り旅していた時、「魚しか食べない」と決めて数ヶ月生活していたようですが、これも「何とかなる」そうです。人間とは思った以上に頑丈にできているようです。栄養学とか、あまり関係ないのかな…?
 問題は「食べたい」「飲みたい」という欲求をどう対処するかのようで、その点では僕はダメダメです。ビールの欲には勝てませんでした…。本当にサバイバルを試みるなら、本当に無人地帯だけの場所を漕がなくては意味がなさそうです(当たり前かもしれませんが)。
 煮炊きはほとんど焚火で行いました。
 その為、持っていった1/4ガロンのMSRの燃料シグボトルに入れた赤ガスは、1/3ほど残して、余りました。これは沖縄から八重山に移り、YAIMA expを行った一ヶ月間でです。
焚き火の方が、魚を料理する意味では非常に楽だし、便利だし、美味しくできます。薪は海岸に落ちている流木のみ。台風の後だった為か、流木にはほとんど困りませんでした。
 

持参した、携帯した食料・調味料

  • 食料
    米(2kgの物を、2回購入)
    パスタ(300g)
    インスタントラーメン(3食分)
    沖縄ソバ(300g)
    ランチョンミート(一缶)
    サバ缶(一缶)
    レトルトカレー(2パック)
  • 調味料
    しょうゆ・塩・味噌・酢・砂糖・お茶漬けの素ダシの素・ニンニクチューブ・ワサビチューブ・ショウガチューブ泡盛(調理用)
  • 途中で購入
    ごま油・味塩コショウ・ニンニク・柑橘系果物
  • 行動食
    スニッカーズ
    オールレーズン
    練乳(チューブごと)
    スッパイマン
    麦茶パック×24

 

■獲った獲物

 獲物は獲った順にトガリエビス、スイジガイ、イソハマグリ、アヤコショウダイ、高瀬貝、チョウセンサザエ、チョウチョウコショウダイ、スジアラ、ヨコシマクロダイ、セグロコショウダイ、ゴマフエフキ、広瀬貝、アオチビキ、ミヤコテングハギ、セグロコショウダイ、ヨコシマクロダイ、チョウチョウコショウダイ、イシフエダイ、高瀬貝、センニンサヨリ、コトヒキ…と18種。
 こうやって挙げてみると非常に少ない事に気付きます。毎日潜ったり、釣りをしたりして獲物を獲りたかったのですが、日が沈むギリギリまで移動したり、パドリングに集中したいあまりトローリングをしなかったりと、様々な理由であまり魚が獲れませんでした。その日の活動を終えてからでないと獲っても腐らせてしまうと考え、夕方しか狙わなかった事も敗因でしょうか。魚がないときは「魚くいてー」と、いつも考えていました。
 料理法は塩焼き、つぼ焼き、ホイル焼き、味噌漬、味噌汁、アラ汁、マース煮、刺身、カルパッチョ、魚飯、パスタの具材など、色々やりましたが一番美味かったのはヒレグロコショウダイのニンニクホイル焼き。魚本来の味ではアオチビキが最高でした。こいつの刺身に島レモンを絞って食べたのが最高に美味くて、一匹全部、一人で喰えました。
 変わったところではチョウチョウコショウダイの中華風カルパッチョ。要はオリーブオイルを胡麻油にしただけですが、メッチャ美味かった!胡麻油は「ごまかし油」と、誰かが言いましたが、それを差し引いてもこの料理法は美味いです。是非お試しを。
 脂の乗りではミヤコテングが最高です。こいつのホイル焼きも美味かった。網取での食事は、そういう訳ですごくよかったです。
 逆に失敗だったのは、トガリエビスの丸焼き。せっかく美味い魚なのに、面倒臭くてつい、内臓も取らずに鱗ごと焼いてしまった。下味もつかないので何かソースがない限り、この食べ方はやめようと思った。やはり一手間が、素材を美味くするようです…。
 魚料理では他に煮付けをやりますが、今回は大量にしょうゆや砂糖を使用するこの料理法はできませんでした。これは汁も(魚を煮る以外で)利用できないのでこの様な状況ではやりにくい料理法です。他にテンプラも然りです。時期的に日が短い時だったので、長ければ5時や6時に浜についても8時くらいまでなら勝負できるのでこれも関係したかもしれません。
 また、冬ならアーサやタコ、3月ならモズクなど、魚以外のものでも食べられる物が簡単に手に入ったかもしれません。漁具も潜って突きん棒以外に、釣りにもっと情熱を傾けてもよかったと思います。
 今回はバカデカイタックルしか持ってきていなかったので、いつものシーバスタックルや、バスタックルがあれば、川や内湾でマゴチ、クロダイ、コーフ(セッパリサギ)、リーフ内でイシミーバイ、クサムルーなども簡単に狙えて、食事は豊かになったかもしれません。今考えても、なんでこんな厳つい竿のみで釣りを考えたのか?大物を釣っても食べきれない事はわかりきっていたのに…?この道具の選択は大失敗です。潜りにこだわったのも、ある意味失敗でした。
 

■長距離を漕いでみて

 258㎞、一日平均20㎞ほどしか漕いでいないが、日によっては30㎞以上漕ぐ日もあった。
 通常の遠征に使用する舟と違い、ファルトである、グリーンランドパドルである、風が強いなどの理由もあげられるが、それでももう少し、距離は稼げたのではないかと思う。やはり漕ぎたりない。満足していない。
 1000㎞は漕がないと、長距離とはいえないだろう。
 さすがに3週間も漕いでいたのでカヤックを漕ぐ筋肉は付き始めてきたが、まだまだこれから…といった感が強かった。完漕できなかったのが理由かもしれないけど。
 しかし朝起きてまたカヤックに乗り、先を急ぐというのは往復旅や定住旅の多い僕には非常に新鮮でよかった。
 やはりカヤックは旅でないと。
 所詮は移動の手段でしかないです。
 

■西表島カヤック事情

 
 最後に、石垣島、西表島の事を書いて終わりたいと思う。
 石垣島にはご存知のとおり、新空港ができる計画があり、すでにその工事が着工し始めている。この空港ができる事で八重山諸島の物流は一転し、観光客も増加することが考えられる。それを考えてか、最近石垣島は移住ラッシュで、内地から定年後の生活をこの島で過ごそうと来島する者が多く、島の建設業者はちょっとしたバブルになっているらしい。事実、島の不動産屋は忙しいらしく、海が見える一等地にはオシャレな建築物が次々に建てられている。
 西表島も観光客を呼ぶためか、大掛かりな建造物が次々に立ち始めている。
 月が浜の前に立てられたホテルも、建造前はずいぶんと騒がれた物だが、今は普通に営業し、お客もしっかり来ているようだ。もちろん、そのホテルに泊まる観光客を地元のダイビングショップやエコツアーはお客として取り入れている。
 日本で一番カヤック屋の人口密度が高いと言われる西表島だが、近年はさらに増加傾向にあるようだ。それだけ、需要があるということなのだろう。西表島にはマングローブが有名だが、それを見るためのカヤックが流行っていたものの、最近は屋久島などと同じく、トレッキングガイドやネイチャーガイドなどのショップも増えているようだ。
 八重山諸島は今でも十分に自然が豊かな場所だ。海も山も、その核心に入れば今だ原生が残り、ありのままの自然が存在する。しかし、人間が生活する場所、もしくは人間が自然と関わる場所、西表島などで言えばヒナイサーラやマリウドの滝など観光地などは年々、自然の色はあせ、衰弱しているように思える。西表島が西表島である魅力が、褪せているように思う。
 仲間川は釣りが禁止になった。資源保護の理由としては良い事かもしれないが、何か釈然としない感情が湧いてきた。仲間川の釣りがそれほど資源量に与える影響がでかいのだろうか?港の桟橋ギリギリの場所で人が釣りをしているのに、生活の為だからどいてくれといい、刺網をかける海人を見て、僕はこの島の漁業資源がすでに恐ろしいほど減少している事を知った。だから手っ取り早く遊漁を禁止にするのか。ではいつまで禁止なのか?
 この押さえ込まれたような不快感。
 ゴミの問題はだいぶよくなったと思う。昔は缶だろうが、ビンだろうが、燃えるゴミといっしょに集落ごとにあるゴミ捨て場でばら撒き、野焼きする有り様だった。それに比べればしっかりとした分別が行われ、ゴミ収集車で集められた全島じゅうのゴミは一箇所で処理されるようになった。
 だが、その収集が追いつかないためか、何なのかわからないが、島から公共のゴミ箱が消えた。島に来た観光客はゴミを自ら持ち帰らなくてはいけない、もしくは宿泊先のホテルや民宿で始末してもらわなくてはいけなくなったようだ。
 その結果、港には自動販売機はあるもののゴミ箱はなく、飲んだ缶はその場に置かれる始末。弁当箱も放置される。観光地で食べたフルーツの容器や飲み物の容器も転がっている始末だ。そしてだれも処理しようとする者がいない。これはゴミ問題を解決した事になるのだろうか?キャンプしかしない僕には、ゴミを捨てる事ができず、後半は空き缶の入ったビニールをカヤックにくくりつけて漕いでいた。
 南風見田浜にはほとんどキャンパーがいなくなった。もはや誰もいない。誰かしらは常にいるのだが、今回は誰もいなかった。ボーラ浜に何人かいるくらいだ。ボーラにしろ、ナイヌにしろ、そして南風見田浜にしても地元の人はキャンプする事に関してはとくに何も言わない。ウミガメの産卵などのことはあるけれど、一泊や二泊程度の事をガタガタ言う輩は林野庁の役人さん以外いないだろう。
 問題なのは「住みだす」事なのだ。そして勝手に「死ぬ」こと。死んだあと、誰が始末するのか?完全に朽ちるのを待てと言うのか?て、言うか、いつからそこがおまえの墓になったのか?人が死んだ場所など、不気味で誰も近寄れないではないか。
 あの浜は完全無人のバックカントリーではない。竹富町の浜だ。地元住民のものだ。けしてそこにテントを張って生活していた者の物ではない。
 その為に地元民はここでのキャンプを禁止にした。国立公園内、国有林内でのキャンプ禁止と言う口実もあるが、実際の所、それが理由なのです。
 そんな西表島のよくわからないダークグラウンドの部分がなくなりつつある様で、さびしいと言えば寂しいが、あまりにも無法者が多くなりすぎた近年では、致し方ないことなのかもしれない。
 
 この島々に、懐かしさと癒しを求めてやってくる人々は多く、この僕もその一人として今回の遠征は計画されたと言っても過言ではない。
 今まで行ったことのない場所を漕いだ事で、新たな発見もあり、新鮮で、非常に楽しかったことは事実だ。だが、それと同時にガッカリした事や、諦めに近い感情を抱いた事も多々あった。
 一つの問題が起こり、それを解決しても新たに別の問題が起きる。
 どこにいてもそれは同じようで、この島々の問題は次々に起こっては、忘れ去られていく様な印象を受ける。
 だが、その問題を真正面から受け止めるには、島人ではない自分にはその資格が十分ではなく、ただの遠吠えを吹いているだけの存在となってしまっている。これが旅人の限界なのか。沖縄では旅人の事を「まれびと」と言う。稀に来るからまれびとなのだろう。まれびとである以上、その土地のことに関して、深く追求してはいけないのかもしれない。彼らは彼らの自治で動いているのだから…。
 西表島のカヤック事情と書いたのに、ずいぶんと違う事をつづってしまった。
 しかし、個人的には西表島の事を思わずにはいられず、簡単にではあるが書いてみました。
 西表島のカヤックはほとんどがシットオンタイプの物を利用した、マングローブ林内を漕ぐ為のカヤックで、本当のシーカヤックを使用しているショップは少ないです。使っていても、川の中だけで、本当に海をガイドできるショップは極わずかです。
 あえてどこが優良店で、どこそこはやめた方がイイとかは言いませんが、ショップの数が多いだけに選択には困ると思います。でもまぁ、それも楽しみと言う事で、各自ショップの門を叩いてみてください。どこも楽しいことは確実です。だって西表島なのだもの(笑)
 個人で漕ぐ場合、山に入る時のような許可に関して特に断りはいりませんが、宿かキャンプ場の管理人にでも出発の挨拶をする事を薦めます。西表島は昔から冒険気質の人が訪れる事が多いし、遭難者もそのぶん多いので、住民は旅人に厳しいですが、しっかりした計画を持った者には理解があります。
 
 また、地元カヤッカーか、アウトフィッターの助言は聞いておいた方がいいでしょう。比較的この土地感がある僕でさえ、今回は石垣島の「ちゅらねしあ」八幡氏や、西表島「海月」の金田氏、「南風見ぱぴよん」の山元氏に助けられました。

 その時期や、吹く風、場所によって海は様相を変えます。
 沖縄の海は水温が高いのでチンをしてもハイサポーミアなどにはなりにくい(まったくならない訳ではない)ですが、風が強く吹き降ろしたり、突然サーフが立ったりするブーマーが多かったりするので、サンゴ礁だからと舐めていると、大変な目に合います。要注意です。
 
 僕が今回漕いだポイントで注意するべき場所だと思ったのは、石垣島では米原周辺はリーフが狭くなっているので出入りに気をつけると言う事と、川平石崎先端、そして御神崎は波が不規則になるので要注意。
 西表島は東部、大原から今回上陸した青島あたりまでは大変遠浅の海が続くので、大潮の時は干満に気を使ってください。
 後はウナリ崎の先端はリーフが狭いのでサーフ帯に注意。
 天候が悪いときは外離島の外側は漕がず、必ず内側(白浜、内離島)を行くこと。
パイミ崎は前後左右から来るうねり、サーフに注意、南海岸は吹き降ろしの風に注意・・・といったところです。ただ、やはりその時の気象状況でかなり異なってくるので参考までにして、その時その時で地元アウトフィッターの助言を聞くのが確実だと思います。
 
 

 また、海峡横断をする際はポールをカヤックにくくりつけると言う、ローカルルールができたようなので、それを実践してもらえるとありがたいです。

 八重山諸島はシーカヤックのアウトフィッターが多いので個人で漕ぐ人は少ないかもしれませんが、適度な集落の数と、無人の浜、無人地帯があり、非常に面白いフィールドですので、長期の休暇を取って行っても、それだけの価値はあると思います。
 自艇を持っている方は、是非チャレンジしてみてください。
 
参考リンク集

■第11管区海上保安本部 沖縄の海洋情報
 http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN11/
■石垣市観光協会
 http://www.yaeyama.or.jp/
■竹富町観光協会
 http://www.painusima.com/
■手漕屋素潜店 ちゅらねしあ
 http://www.churanesia.jp/
■南風見ぱぴよん
 http://www.haimipapillon.com/
■シーカヤックツアー海月
 http://www10.ocn.ne.jp/~umitsuki/