オリーブ島でカヤックヘルパー
+小豆島一周

香川県 小豆島

2005年8月1日~6日 8月13日~22日

 
 

久しぶりのキャンプツーリングガイド

 
  8 1 日、高知駅を出発した僕は阿波池田を経由して高松に向かう。
 高知から高松に向かう土讃線はたった二輌のワンマン電車で、観光客を主に乗せ、程々といった混み具合だ。
 阿波池田では乗り換え時間が 1 分しかなく、クソ重いカヤックを引きずりながら歩道橋をわたり無事乗り換えることができたものの、乗り込んだ瞬間、あまりの荷物の重さにすっ転んで脛を打った。苦悶している側で、乗客の誰しもが無視しているそのノーリアクションぶりが恥かしい。
 しかし「大歩危」、「小歩危」などの駅も通り、電車の中から吉野川を下るカヤックやラフティングも眺めることができる列車旅は面白かった。
 高知で電車に乗り遅れ、 2 時間余計に時間がかかったので、高松に着いたら名物「讃岐ウドン」でも食べてから小豆島に渡ろうと思っていたのだがそんな暇はなく、急いでターミナルまで行くとちょうど船が出る所だった。
  18 45 分、小豆島の土庄(とのしょう)に向かう。
 小豆島には 2004 年の 11 月に島風のイベントで行ったことがあった(ホームページ: EXPEDITION 「新谷さんと瀬戸内ヘブン」参照)。その時から「夏にショップを手伝わないか」とオーナーに言われていたのだ。 あいにくショップ専属のガイドになるほどの技量も経験もないので断ったが、遊びに来たらいいということで今回、舞鶴から北海道に渡ろうと思っていたのでその途中に寄ることにした。そう決めて連絡すると、ちょうどキャンプツアーが入ったので手伝う事になったのだ。
  7 40 分、土庄港に着くとしばらくして娘の風ちゃんを連れて島風のオーナー、芳地直美さんがやって来た。軽く挨拶をするが、けっこう久しぶりに会ったのでその場で話しこみ、しばらくしてから車で島風のスタッフがいる鹿島の宿舎に連れて行ってもらい荷物を下ろした。
 いきなり明日からキャンプツアーに行く事になった。ガイドはスパークルの北田さん。この人とも何回か会っていたので気分的には楽だ。僕はそのサブガイドとしてついて行くことになる。
 まだ誰も帰ってきていなかったので芳地さんとしばらく話した後、近くにある温泉にでも行く事にした。温泉はショッピングモールの中にあり、帰りに買出しもできるのでひとっ風呂浴びたあと、鹿島の海水浴場をビール飲みつつ歩きながら宿舎に帰った。
 宿舎に着くと北田さんと島風のインストラクター、「テツ」こと前川君が帰ってきていた。 北田さんとは久しぶりの再会だったが、何も動じることなくいつも会っているがごとく、「アカツカ君、明日からのキャンプツアーなんだけど、よろしくね」ときりだしてきた。
 北田さんは移動式カヤック旅プロデゥースといった内容の「スパークル」というショップをやっており、夏の間だけ島風のツーリングガイドとして雇われていた。
 前川君は高校、大学と国体のレーシングカヤック選手で、アジア大会などにも出たカヤックの強者である。大学卒業と共にレスラーになるため某プロレス団体に入ったがヒザの故障でやむなくレスラーの道を諦めたという。実際彼の肉体はカヤックを漕ぐ事以上に発達しており、ヒマさえあれば筋トレをしていたが、一方でテレビゲームばかりしている人でもあった。

 翌日、北田さんと池田にあるショップに向かう。デイツアーのお客さんと半日ツアーのお客さんがいるので、キャンプツアーのお客さんが来る 10 時ごろまでカヤック出したり、パドリングの講習を見たりと手伝う。
 島風は小豆島の道の駅に併設されている「ふるさと村」の施設の一角にあった。ふるさと村から紹介されてくるお客もいて、かなり盛況している様子だ。海岸には見学する人などもいて賑やかである。

 
  10 時過ぎ、今回のキャンプツアーに参加する N さん一家がやって来た。ファミリーツアーなのでお客さんごとに気を使うこともなくて良さそうだ。
 ご主人の N さんと奥さん、長男コージ君(中1)、長女キヨカちゃん(小 6 )、ナルミちゃん(小 3 )の 5 人家族である。ツアーはこれに北田さんと僕が加わり 7 人の構成となり、上陸地にたまに芳地さんが来て参加するといった予定である。 ツアーは一応「小豆島一週ツアー」という設定になっていたが、家族連れのツーリングで 3 4 日の日程ではかなり厳しい。北田さん自身が僕以上にのんびりしたツーリングが好きなので「行けるところまで行って車で帰ればいいさ」という流れだ。池田のふるさと村から時計回りに行くことにする。
 カレントデザインのタンデム艇に N さんとキヨカちゃん、ウォーターフィールドのホエールウオッチャーを 3 人乗りに改造した物に北田さんと奥さん、ナルミちゃんが乗る。僕はフェザークラフトの K 2 で前にコージ君を乗せていく事になった。
 ふるさと村で昼食に手のべ素麺を食べてから出発。
 午後の半日ツアーの人達もいたので目の前にある弁天島までは芳地さんとも一緒だった。 この日は東風が強く、湾から出るとものすごい勢いでカヤックは進む。池田湾はフェリーが発着するので航路があるのだが、そんなの気にする暇もなくカヤックは進んでくれた。あまりの速さに N さん達も「カヤックってけっこう速いんですね~」と驚いているが、いやいや、そうじゃなくて皆さんの運がよすぎるんですよと笑う。波ができるかできないかのギリギリの強さの風なので本当にちょうどよかったと言うか、運がいい。あっという間に土渕海峡の入口まで来てしまった。
 ここには干潮の時間だけ島と島がつながる大余島と中余島、弁天島がある。通称エンジェルロードと言う名前で親しまれ、観光名所にもなっている。 しかし今回はそこはスルーして手前にある海峡を通って島の反対側に出ることに。小豆島は牛に例えられる事があり、それで言えば首筋を通って頭の部分は省略する事になる。
 ここの海峡は通過する入口にも書いてあるとおり、ギネスブック認定の「世界一狭い海峡」らしい。コンクリートで護岸され、海峡の間に橋がかれられているので、ただの都市部にあるドブ川にしか見えない・・・。

 ちょうど潮が引いており、護岸についたカキ殻がむきだしになっていて、この熱さでかなりの異臭を放っている。もともと水も臭いし。だが子供たちはカニがいっぱいいるので喜んでいた。
 世界一細い部分を通過し、造船所を見ながら漕いでいくと土庄港に出る。右岸を舐めるように漕いで港が切れたあたりで砂浜に上陸し休憩することに。波打ち際はアマモが繁茂して、足に絡まりタチが悪い。
 ナルミちゃんは最初は面白そうに漕いでいたが、海峡あたりから下を向いて寝ていた。あまりに下を向いているので気持ち悪くならないか心配だったが、大丈夫みたいだ。カヤックから降りるとピンピンしだした。
 缶ジュースを買って飲み、30分位で出発。
 ここから先は風裏に入るためか海はベタ凪。僕らにとっては気持ちよかったが、先ほどの追い風Go Go状態でやって来たNさん達にはいきなりペースダウンして戸惑った様子だ。 
 この日は島の北西の外れにある小江という漁村の沖にある千振島に上陸、ビバークする事に。
 この島は北田さんもキャンプするのは初めてで、2人で近づきながら上陸地を探したのだが、花崗岩、堆積岩が削られたボコボコした階段状の地形に、白い砂のビーチがあり、松が生えている。夕日に照らされて、それはカヤッカーが求める極上ビーチの理想に近い物で、北田さんも「いーんじゃない、アカツカ君、ここ!」とテンション上がり気味だ。
 静かな渚に上陸。みんなで力をあわせ、荷物満載の3隻のタンデム艇を潮上帯まで持っていく。海岸のすぐ側からそそり立つ岩山の側の木陰にテントを張ることにする。この島は無人島のはずだが、昔は人が住んでいたのか明らかに集落があったと思われる平地があり荒れ果てたように草木が生い茂っていた。よく見ると足元にはサボテンが生えている。ここはBAJAか?どうも植木鉢のものが割れて自然繁殖しているようである。
 それにしてもいいロケーションだ。裏の岩場にはカサガイやカメノテがいっぱいあり、うれしくなる。小豆島もなかなかいいフィールドが多いじゃないですか? 
「ハッピーアワー!!」
 北田さんがいきなりでかい声でそう叫び、オレンジジュースベースのワインクラー、お子様達はジュースで乾杯する。
 しばらくNさん達と話をしながら料理を作っていたが、突然ゴロゴロと空が鳴り出す。島の裏側に行くと、岩山で見えなかったがドス黒い凶悪な雲が近づいてくるのが見えた。案の定、風も吹いてくる。 
「北田さん、これヤバイですよ。来ますよ」 
「んー・・・大丈夫じゃない?」 
「いや、絶対来ます」
 そう言ってタープを張ると、途端に雨がバケツをひっくり返したように降ってきた。みんなで作りかけの料理やらなにやらタープの下にしまいこみ、雨がやむのを待つ。雷がそこら中に落ち、なかなかスリリングな展開だ。
 しばらくすると雷もやみ、雨もやんで遠くの空がピカピカ光る程度になった。 
「あー、間一髪、助かった!ナイス判断だったよ、今のは…」
 北田さんも迫り来る雲を見ればタープを張っていただろう。そのくらい急な襲来だった。
 その後はとってもいい天気。岡山の方では雷が通過するのを待っていたのか花火が打ちあがりだした。それを見ながら夕飯を食べる。
 ダッチオーブンで作った鶏肉の蒸し焼きとスパムスープ、そして御飯。タンデム艇を利用したツーリングだとダッチオーブンが持っていけるからいい。これがあると料理の幅も広がる。
 Nさんが持参してきた「安室」という泡盛を飲みながら波打ち際に光るクラゲを見ていたら、自分のテントを張るのが面倒臭くなってしまい、皆さんが各自テントに帰った後、タープの下で寝袋に包まって寝てしまった。蚊も少なくて快適でしたヨ。
 

 

麦酒を求める男達の執着根性小旅行

 
 次の日は千振島を 10 時頃出発、小豆島の北海岸を漕いで行く。
 海は凪いでいたが、潮がけっこう流れ海岸線も単調で面白みに欠ける。沖を漕いでいたこともあるが、さすがに子供たちは昼頃になると飽きてきたようだ。Nさんも妙に疲れた感じだ。毎日忙しく働いていた人が休みをもらってツアーに参加すると、だいたい2日目に疲れが出てきてしまうのだが、その兆候だろう。それにしてもNさんは朝が早い。5時前にはすでに海岸を散歩し、島を一周してしまったという。タープの下で寝ていた僕はあまりにも早くから人の声が聞こえるのでビックリした。
 風がなく、とにかく暑い!パドリングも飽き気味になってきていたのでこまめに休憩は取っていたが、昼過ぎに小海の港に上陸。カヤックを泊め、すぐ近くにあった道の駅で休憩、昼食となった。
 パスタを茹でようと思ったが、売店があるのでここで食べてしまう事にした。三浦のカヤッカー、けむたまさんが「三浦を漕ぐ時は何を持っていくのが一番か?それは小銭です」といって、一緒に海岸にカヤックを泊めラーメンを食べに行ったのを思いだした。
   カヤックは遠征にも使える道具だが、ママチャリみたいな手軽な乗り物でもある。こういうツーリングも良い。
 ビールが飲みたくなった。冷たい奴。あいにく道の駅の食堂には生ビールを置いていなかった。道の駅なのだからある意味当然であるが…。
 男三人の意見が一致し、近くの売店にビールを買いに行くが、食べ物だけで酒類は取扱ってないと言う。仕方がないので酒屋を紹介してもらい歩いて向かう。
 集落の奥まった所に酒屋を発見。ところが閉まっていやがる!好運な事に自動販売機があった。子供が買えないように免許証を投入するタイプだ。ところがこの自動販売機が反応しない…! 
「オッかしいな~。なんなんだよ、ここまで来て、まったく~」
 自然に3人のイライラが募ってくる中、騒いでいる僕らを見かねて閉まった酒屋から店主が出てきた。自動販売機が壊れているんじゃないかと言うと、ただ単純にコンセントが入っていない事がわかった。
 意味ネーじゃネーか!! 
「ビール買いたいのかい?金出せば自動販売機開けてやるよ」 
「え?でも電源が入ってなかったのだから冷えてないでしょ?」 
「そりゃそうだ?」
 そんなビールいるかァ!!
 結局酒屋まできたのにビールは買えないのである。田舎って怖いぞ。シブシブ我慢する事にして、奥さん達が待っている場所まで戻る。
 ところが北田さんがどこかに消えてしまい、しばらくして現れたかと思ったら僕の肩を叩いた。 
「行くよ」 
「え?出発ですか?」 
「違うよ、ビール買いに」
 そう言って北田さんはおもむろに駐車場に置いてあった軽トラのエンジンをかける。なんでも道の駅の食堂の親父に交渉して隣町の売店までビールを買いに行くためだけにキーを借りたのというのだ…!
 呆れた・・・。
 僕はビール大好きだが、いくらなんでもそこまではしないだろ、普通。 
「ん?アカツカ君、こんなの沖縄では普通だよ?」
 車で5分ほど、隣町の売店でNさんのぶんも購入し、帰ってきて三人で飲む。
 ちくしょう、美味いぜ・・・(しみじみ)。
 道の駅にある石切り場の資料館を眺めてから14時頃出発。小豆島は良質の石が採れるので、大阪城の石垣を作るために多くがここから運ばれていったようなのだ。それは今でも変わらず、島のいたるところで採石場が大きな音を立てて島を削っている。
 隣の港にあるヨットの造船で有名な岡崎造船により、ちょっとだけヨットを見せてもらう。石切り場で島風にもちょくちょく来るこの会社の営業のYさんと会ったからだ。明後日から下田までヨットを届に行くそうだ。帆船の旅もしてみたいな~と思う。
 岬を越えると今日のビバーク地、田井の海岸が見えた。 海水浴場だが、のんびりとしていて人があまりいない。砂浜の端から上陸し、早めに今日はテントを張っておくことにする。
 田井は普通の海水浴場といった感じだが、日本の正しい海岸のように背後には樹齢がかなりいった松の木が生えており趣がある。その松林の中に公園のように芝地があり、ここがキャンプ場となる。
 コージ君が浮き桟橋から飛び降りて遊んでいる。本人はかなりスリル満点の様だが、水深は1mもなく、飛び降りる瞬間ビビるのか、妙にかっこ悪い。妹2人は、かなり呆れていた。
 小海を出る時から僕の前はコージ君からキヨカちゃんに変わったのだが、実際キヨカちゃんの方がお姉さんではないかと思うくらい落ち着いていて、コージ君がキヨカちゃんに対し妙な対抗意識をもって漕いでいるのに対して、彼女はそんな兄貴をあしらいながらマイペースで漕いでいた。
 やはり女の子のほうが精神年齢は高いようだ。哀れな兄貴に同じ大人気ない男として同情する・・・。
 夕方6時頃、芳地さんが車で食材を持ってやって来た。 
「今日は鯛の塩焼きですよ~!田井で鯛を食う!なんちゃって・・・!」
 …こういうの芳地さん好きらしい。
 この鯛を焼くために流木の少ない海岸から必死に北田さんと薪を探して熾き火を作っていたのである。「なるほどね・・・」と思いつつ鯛を焼く。かなり立派な鯛。
 夕食はこの他に、鯛を焼く時にもげてしまった頭を入れた味噌汁、御飯、そしてエビチリである。芳地さんが持って来てくれたのとは別に管理人さんがくれたビールもあり、昼の苦労はなんだったのだろうかと思うくらいビールを飲みながら芳地さんが料理するのを手伝う。
 8時頃、イソイソと芳地さんは帰っていった。色々と忙しいようだ。
 今日はけっこう初心者には長い距離を漕いでいたのでNさんには堪えたらしく、早めにお休みになったので家族の皆さんも早めに寝てしまい、僕と北田さんで浜の上に寝転びながら飲んだ。さすがにここは蚊が多く、テントで寝たけどひんやりとした砂の感触が気持ちよかった。

 

気持ちのいい海岸、削られる山肌

 
 翌朝、あまりのテントの中の暑さに起きる。天気はすこぶる良い。
 昨日の残飯をチャーハンにし、鯛の食べ残しで作ったアラ汁で朝食。このアラ汁がメチャクチャ美味くて、朝からかなり食べてもらった。
  N さん達が色々準備をしている間、少し泳ぐ。
 普通の海水浴場で透明度も悪いのだが、浮き桟橋の下にはシマダイが群れており、砂地の海底には 30cm ほどのチヌがいる。なるほど、やはり田井の浜にはタイが多いのかもしれない。水中写真を撮りコージ君達に見せると喜んでくれた。
 昨日よりややゆっくり出発。
 大部港の目の前にある弁天島、中ノ島、大島を見てから大部港の航路を横断。
 千鳥ヶ浜は小豆島北部では一番大きい海水浴場らしく、浮き桟橋にはビキニのお姉さん方が座っており、北田さんとしっかりチェックし通過する。重要なチェックポイントである。
 そこから東、小部のあたりは採石場になっており、山が大規模に削られ、採石会社の桟橋から運搬船に積まれて大阪や神戸方面に運ばれていた。そのため、この周辺は大型船舶がイレギュラーに航行するので船の進路を見る状況判断に気を使った。
 山で削られた石がダンプカーに積まれ、桟橋の近くで下ろされる。この時の音が雷のようにあたり一帯に響き、田井の海岸からもよく聞こえた。ナルミちゃんが怖がっていたほどだ。  桟橋の周りには石を運ぶベルトコンベアーだと思われる鉄橋が連なっており、なかなか宇宙ステーションのような様相である。「宇宙刑事ギャバン」とかの特撮を撮ってそうだ。

 その採石場を過ぎて、吉田の藤崎に行く手前に道路からは来られそうもないビーチが広がっており、そこに上陸して昼食となった。
 ここが最高によかった。北田さんと顔を見合わせ、  
「ここでキャンプやったら最高ですね!」  
「やっぱり!?アカツカ君もそう思った!?」
 大阪や神戸から近く、車で来られるという距離なのにこんな素晴らしいビーチが残っているなんて意外だった。シーカヤックのフィールドはまだまだ探せばいくらでもでてきそうな気がしてくる。
 北田さんの「アイデアカリントウ」を食べながらみんなで火をおこし、昼食を作る。海岸には大量の流木、ゴミが落ちていて、ビールケースと発砲うきで土台を作り、おあつらえ向きのベニヤ板でテーブルとは別に作業台を作ると「シーカヤッカーはアイデアマンですね~」と感心されてしまった。いやいや、これは子供が秘密基地作ってやることと大して変わらないもんですよ。
 明太子スパゲティーとお茶で昼食とし、海で少し遊んでから出発する。
 ここまで来るとけっこう海の透明度も上がってきており、試しにマスクだけして潜ってみる。やっぱり透明度は悪かったが、メバルやベラなどがいっぱいいる。海底に体を着けるとシロガヤがいっぱい岩に付いていて、ビリビリと痛い。子供達にはちょっとシュノーケリングは厳しそうだ。Tシャツ程度では、上からでも痒い。

 今日の目的地、吉田はもう目と鼻の先だ。ゆっくりと出発し、ベタ凪の海を漕いで行く。
 吉田は小豆島の北東に出っ張っている岬の間にある、くぼんだ湾の中にある。遠浅の干潟になっており、僕らが上陸した時はちょうど干潮で、アマモが露わになった干潟にズリズリと上陸。ヒィーヒィー言いながらみんなでカヤックを運び、砂浜まで持っていく。たくさんのウミニナがおり、その上を子供たちが「踏んづけてごめんね!」と言いながら歩いていくのが微笑ましい。
 吉田の海岸にはヨットハーバーがあり、ヨットから直接、入る事ができるホテルがある。そこに歩いていき、せっかくだからと生ビールをいただく事になる。
 う、ウマイ・・・!
 酒代は自費だとわかっていながらオカワリしてしまった・・・!  自分の単独行ではまずこんな場所には入らないだろう。ツアーだとこういう所にも素直に入る事ができるので単独行とは違う楽しみ方ができる。特に僕のような野人生活的なことばかりやる人間にはこういう場所でのひとときは貴重だ。

 吉田には温泉があり、その隣にもシャワーもあるキャンプ場があるのだが、そこは遠いので海岸にあるコジンマリとしたキャンプ場に泊まることにする。一応海水浴場兼用なのでコイン式のシャワーはある。
 この夜は芳地さんも泊って明日は一緒に漕ぐ事になっていたのだが、急用が入り食材だけ持ってきてすぐにいなくなってしまった。また翌朝、来ると言う。
 Nさんたちが温泉に行っている間、夕食のカレーを北田さんと一緒に作る。  温泉から帰ってきた N さん一家と最後の夕食。
 この日は子供達が疲れていたようで 10 時頃、みなさんテントに入っていった。僕と北田さんは 2 人で防波堤の上に寝転び、ビール飲みつつ星を見た。しばらくは風が吹いて蚊も来なくて快適で、色々とカヤックの話をする。
 北田さんは元A&Fの社員で、フェザークラフトを当社が取扱いだした頃の担当だった。その為、今でもフェザークラフトを使ったツアーを行っており、その昔話やカヤックを使った旅の考え方は共感できる物もある。何だか気さくで話しやすく、僕には兄貴的な存在だ。 
 風が止まり、蚊がまとわり付き出したので寝る事にした。
 

 
 翌朝、朝食を食べ、パッキングが終わる頃、芳地さんがやってきた。自艇のウォーターフィールド社の赤いサスケを持ってきて、みんなの舟と一緒に海に浮かべる。荷物は置いて行く事にし、空舟で出発。
 この日はほとんどお遊び程度で、吉田から小豆島の北東端、金ヶ崎を越え、福田の手前まで行って引き返すというコースだった。
 この岬は絶壁になっており、洞窟もあって面白い。何よりここが一番小豆島で透明度が高く、冬の三浦半島くらいはあった。途中の浜に上陸し、昼食に芳地さんが買ってきたパンを食べ、しばらく遊ぶ。  あまりの海の透明度に我先にと海に潜る。海底にはメバルとベラが泳いでおり、妙にカサゴが目に付いた。小魚ばかりだが魚影はすこぶる濃いのだ。あまりにも面白いのでフィンを持ってこなかったことを後悔した。

 
 

 帰りがけにタコを見つけたので手づかみで取り、海岸に放り投げるとゴロタ石のあまりの熱さでか、タコは弱ってじきに死んでしまった・・・。子供達に見せたら逃がそうと思っていたのでちょっとショック・・・。無駄殺しの罪悪感もあるので食べてしまう事にする。スカリに入れてカヤックにぶら下げて持って帰ろうとしたが、あまりの水の抵抗に嫌気がさし、内臓を出してカヤックに貼り付けて干物にすることにした。  まさにバジャウ族みたいだ。
 吉田に戻るとカヤックは翌日から島風のツアーとは別の、北田さんの「スパークル」によるツアーにも使うので置いていく事にする。荷物だけを車に詰め込み池田のふるさと村まで戻る。
 途中、酒屋によって飲み物を買うと、なんと 2002 年のアサヒビールのポスターに井川遙が!!かなりきつめのハイレグがお宝物である!地方の酒屋に行くと、こういうアイドルの昔のポスターとかがあったりして面白い。今でこそシマノのメインキャスターとなっている児島玲子のアサヒビールのポスターを見つけた時も、持って帰りたい衝動に駆られた・・・。
 あ、言っておくけど僕はアイドルオタクじゃないっすよ。
 帰りはカヤックを漕いできた場所を海からでなく陸から見ながら走っていく。  
「いやー、こんなに漕いできたんですね~。カヤックって、すごいですねー」
  N さんも自分達が漕いできた走行距離に驚いている。確かに 3 4 日とはいえ、島を半周してきたのだ。普通に考えればこんな小さい舟で自分達の力だけでここまで漕いだと思えば、大冒険のような気持ちにもなるだろう。お客さんが面白がったり、感動してくれるとツアーをやった側としては嬉しいもんですね。
 ふるさと村に着くと、芳地さんも用事があるといってすぐに消えてしまい、 N さんも今日は家族だけでどこかでキャンプしますと行って、去っていった。
 ツアー終了。
 北田さんととり残されたキャンプ道具を整理し、宿舎に戻る。  北田さんは明日からまたツアーが入っているので、一緒に買出しを手伝いにいく。お礼にとこの日の夕飯は北田さんに奢ってもらった。
 ショップに戻り、食料の仕分をし、宿舎に戻るとすでに時間は 10 時を過ぎていた。  翌日、僕も隠岐ノ島に行く予定だったので準備だけし、その後干上がったタコを炙り、マヨネーズと醤油で食べながら北田さん、帰って来ていた前川君と飲む。潮の匂いがしてなかなか美味くできた。
 今回のツアーの話などしていたら結局寝たのは 2 時近くなっていた。
 
 

 
 後日、 N さんからメールが僕宛に届いていた。読むと何だかずいぶんと楽しんでくれたようで、非常にありがたかった。とくに僕が色々と捕まえて子供達に見せたり、ウンチクを述べていたのが子供達にもウケていた様で、生きる上ではまったく関係ない知識だが、「プランクトンの定義ってのはね~・・・」と、話した事をコージ君はは家に帰ってからも必死に覚えていたらしい。そういう話を聞くとずいぶんと彼の人生にインパクトを与えてしまったな~、変な事教えなくてよかったな~、と思うのだった。
 とにかく自分達の担当したお客さんに「面白かった、一生もんの思い出です!」とか言われると、すごい「ガイドやってよかったなー」と、うれしく思う。
 カヤックガイドはすごいやりがいのある仕事だ。
 でも今の自分はそれが本業にできるかといわれれば・・・チト悩みます。色々と思うことのある、久々のガイドヘルパーでした。
 

小豆島りたーん

 
  N さん達のツアーが終わってから、僕はいったん小豆島を離れ、隠岐ノ島、高知と寄ってから再び、 8 13 日に土庄の港に降り立った。
 あいにく北田さんも芳地さんもつかまらなく、自力で島風のスタッフルームに行くと、ちょうど芳地さんと北田さんも到着したところだった。
 今回は特にキャンプツアーとかがあるわけでなく、遊びで小豆島の残り半分を漕ぎに来たのだが、諸事情があって一日ツアーを手伝う事になった。どうせ次の目的地、北海道に行くまでには時間もあったし、大阪京都に寄るのもまだ時間があったので軽く承諾する。  もともと働く予定で小豆島を今回の旅の通過地点にしたので「アリガト~助かるわ~」と特別感謝されても困ってしまうくらいだった。
 この夜は隠岐のお土産話などもあり、北田さんと前川君と安い惣菜類や寿司を買って飲む。
 コテコテの旅派シーカヤッカーの僕や北田さんに加え、レーシングカヤックの競技派カヤッカーの前川君という組み合わせで会話はなかなか面白かった。
 屋久島でレーシングカヤックを経験していた僕は、北田さんにその話をすると、前川君が今度の連休で実家に帰る際、レーシング艇を持ってくるからみんなで練習しようという話になった。かなり熱いカヤック業界に対する話になり、この夜も遅くに就寝する事となる。
 
 翌日は芳地さんの友人が来島しており、島内観光に行くというので「アカツカ君も行こう」という事になっていた。
 朝起きるとすでに目の前の海岸で芳地さんの娘、風ちゃんが泣き叫んでいた。
 芳地さんと風ちゃん、それに今回の主役の S さんと北田さん、そして僕の 5 人で島内を巡ることになったのだが、 S さんはすでに小豆島には三回も来ているので目ぼしい所はまわっているという。僕も前回小豆島に来た時に小豆島の観光地、寒霞渓などには行っていたので正直困った事になった・・・(笑)
 とりあえず飯を食べましょうと北田さんが小豆島に来るとよく行く讃岐うどんの店に行く。トッピング自由、セルフタイプの店で、僕はぶっかけ大盛りに竹輪の天ぷらをのせて食べる。やっぱ讃岐うどんは「ぶっかけ」というイメージがある。
 香川の人達はウドンを小腹がすいた時に食べる物というものとして捉えているのか、安く、そして昼しか店はやっていない。夜は居酒屋に変わるということもなく、 3 時には閉まってしまうのだ。ウドンの本場はなかなか潔い経営方法である。
 テンカスとネギはお好みなので、テンカス好きの僕はかけ過ぎてしまい、見事に腹の中で膨らんでしまった。うどんを食ってこんなに腹がふくれたのは初めてだ・・・。
 食後、Sさんが店をみたいというので島風に行く。
 ちょうどツアーが終わったところで前川君の手伝いを北田さんと行う。島風によく遊びに来る地元カヤッカーYさんがスタッフ用にチャーハンを作ってくれており、みんなご馳走になっていたのだが、僕はさっきのテンカス山盛りうどんが効いてしまい、食べる事ができなかった。チャーシューをきざんで入れてある、本格的なものだっただけに悔やまれる・・・。
 芳地さんがお客さんと話したり、ツアーの対応などをして、しばらくここにいそうなので風ちゃんとキックボードなどして遊ぶ。なかなか人見知りの厳しい子で、最初はなかなかなついてくれなかったが、次第に僕の事が識別できるようになってきてわがままを云う様になってきた。僕にも年齢的にこの位の子供がいてもおかしくないと思うと正直複雑な心境だ・・・。
 Sさんと話したり店に置いてある本など読んでいるとそろそろ行こうということになった。草壁の方に行く事に。
 マルキン醤油資料館に寄る。ここのお土産屋には「醤油ソフトクリーム」というものがあり、それを食べることに。水戸に行くと「納豆ソフトクリーム」や、山形に行くと「ずんだソフトクリーム」があるように、醤油の名産地である小豆島ではこんな物もあるのである。
 醤油独特の風味とコクがあり、けっこうイケる。 250 円ナリ。
 その後は「二十四の瞳」の映画を撮影した映画村とは別にある、本当の「二十四の瞳」のモデルになった分校をのぞく。昔ながらの木造校舎で、たいへん申し訳ないがドリフの学校コントを思い出してしまった。
 翌日のツアーの下見などをし、喫茶店で休憩したのち、Sさんの彼氏が岡山から来る時間だというので土庄港に戻る。
 イケメン彼氏Tさんと合流し、一緒に夕飯を食べようということになったが、お盆前で郷土に帰ってきている人達が多く、どこも混んでいた。しかたなくショッピングモールの中にある食堂で色々注文して食べる。 S さんがTさんにメンバーを紹介するも、あまりにも共通点が少なく、よく考えるとヘンなメンバー構成ではあった。
 その夜、SさんとTさんは僕らの宿舎の前にある海岸でテントを張って寝ることになり、海岸で北田さんと僕が加わりビールなど飲んだ。
 
 翌日、僕と北田さんはツアーを手伝い、夜はカヤックから花火を見るという企画でツアーをやり、忙しい 1 日は終わった。
 

 

小豆島、残り半周!

 
 次の日、 8 16 日に北田さんは仕事があるので島風ショップに向かい、僕は午前中のんびりし、買出しなどして午後から宿舎のある鹿島からカヤックを漕いで島風のある池田まで漕ぎ、そこで北田さんにピックアップされてNさん達とのツアーを終わらせた吉田まで連れて行ってもらう予定だった。
 いろいろと準備していたら鹿島を出たのは 16 時半を回ってしまい、急いで池田まで漕ぐ。
 結局着いたのは 17 時半。仕事が終わった北田さんと、島風の取り巻き助っ人の一人、うどん屋の若旦那Mさんに手伝ってもらいカヤックを上げ、荷物を北田さんのハイエースに放り込む。
 吉田まで連れて行ってもらえる代わりに、この日は僕が北田さんに夕飯を奢る約束だったので途中、鹿島の中華料理屋で飯を食う。  あまり鹿島から漕いできた意味が無い・・・。  
 北田さんの運転で僕はビールなど飲みながら闇夜の中、吉田に向かう。
 キャンプ場には前回とは違い、 3 張ほど先客がいたが、かまわずカヤックを下ろし、テントを張った。  
「う~ん、俺もキャンプ道具持ってきて、明日はここから出勤すればよかったな~」
 北田さんはいろいろ迷った末に帰り、僕もなんだかこれまでの疲れが出てきていたのか眠くて、この夜はすぐに寝てしまった。
 
 翌朝、 7 時頃起床。
 夜露で濡れたテントを乾かしながら朝食に野菜をいっぱい入れたラーメンを作り食べる。
 その後カヤックにパッキングをし、 9 20 分、吉田の海岸を出発して前回潜った海岸まで行く。天気は前回同様よい。潮も満ちているので出艇は楽だった。
 海岸に着くとさっそくウエットスーツに着替え、完全装備で海の中に飛び込んだ。
 水深 5 7 mくらいの場所では岩下にたくさんのメバル、カサゴがいる。どれも 20 ㎝未満だ。キュウセンやウミタナゴはウジャウジャいる。チャリコやカワハギの子供など、とにかくサイズは小さいのだが魚影はとにかく濃い。
 さらに深場に行くと水深 10 12m 付近に漁礁のように岩が沈んでいて、そのあたりまで行くとクロダイやウマズラハギが目の前をチラチラと通過するようになった。  なんだか聞いていた瀬戸内の魚類相をそのまんま見た感じだ。  海面を見上げると大量のコアジが群れており、僕の周りを囲いだした。  
「なんちゅう、魚の濃い所だ、ここは!」
 アジを狙ってか、予想に反してカンパチは回ってくるは、バカでかい 3 キロはありそうなアオリイカ、トビエイなどがヒラヒラしてるはで、予想以上に面白い海だった。ただし魚突きをやるには対象物が小さすぎる。クロダイやスズキのでかいのがいればいいけどな~。
 写真を数枚撮った後、エキジットして今度は浜からルアーを投げた。底まで落としてしゃくっていると、狙っていたカンパチは釣れなかったがカサゴが釣れた。美味しい魚だが、今釣れてもしょうがないので(カンパチなら刺身にして食おうと思ったが)、リリース。
 漁船が近づいてきたと思ったらダイビングの舟らしく、みんなタンクを背負って潜りだした。確かにここなら濁った瀬戸内でもダイビングはできるだろう。
 ウエットが乾いたところで出発することに。

 
 

 すぐに隣にある福田に上陸。海水浴場の端っこから上陸し、売店を探して今日のビールと昼食、獲物を焼くアルミホイルを購入、そして釣具屋でジャリメを買った。
 関東ではジャリメというが、こちらでは石ゴカイと言うらしい。関東では普通、パック売りで 500 600 円といったところだが、こちらでは量り売りしてくれる。このサービスは嬉しい。そんなにいらないので 300 円分と、仕掛けを買い、カヤックのある海岸に戻った。  
 この福田から南は、小豆島は基本的に大きな集落はない。道路も海岸よりはるか上を走っているのでカヤックをやるには面白い所だ。ただし上陸できるところ、もしくはテントがはれそうな海岸も限られてくる。
  13 10 分、出発。余裕ブッコいてビールなど飲みながら漕いで行く。透明度もなかなかよく、岩はほとんどカメノテやフジツボに覆われ、水際スレスレまで木が生い茂っているので面白い。
 小豆島は何故か知らんがカメノテが異常にある。しかもでかい。岩の割れ目にビッシリとカメノテが詰まっていて、地元の人はこれを食べないのだろうか?と、思うくらいだ。瀬戸内海の漁業調整規則、もしくは漁業法はちょっと特殊なので、心配だからあまり手はつけなかったけど、それにしたってすごい。関東のほじくられすぎた磯しか知らない僕には新鮮だ。実際、屋久島や隠岐なども見たが、小豆島はダントツで多い。これは間違いない。
 途中、ホテルの跡地だろうか、海岸に突き出たサラ地があったので上陸し、休憩がてらあたりを探索する事にした。しかしこの上陸が後々面倒な事を起こしたようだ。
 大した珍しい物も無く、再びカヤックに戻り南下を続ける。
  15 30 分、小豆島南東に浮かぶ風ノ子島が見えてきた。うどん屋の M さんの情報では、この島の沖には有名な根があって、ここでルアーを流せばシイラやヒラマサが釣れまっせ!とのことだった。瀬戸内でシイラかよ!と、興奮しつつ今日のビバーク地を早く見つけて行ってみようと思っていたのだが、事態はそうも言っていられなくなっていた。
 なんか妙に尻が冷たいな~と思っていたのだが、この頃になってシーソックスの中がチャポチャポいっている事にやっと気がついた。
 僕はこの時、水タンクが開いて水がこぼれたと思っていた。僕の使っているカスケードデザインのプラティパス 6 リットルはジップロック式で開く様にもなっているので、そこが割けたのだと思ったのだ。
 ところが急遽上陸してシーソックスを開けてみると、水タンクには並々と水が入っているじゃありませんか!にもかかわらず、カヤック内は想像以上に浸水している!!  
「マジかよ!」
 こんなに水が入るなんて有り得ないだろうと思いつつも、しかし実際水は入っている事実に困惑し、とりあえずこの浜はビバークするには向かないので、先に見える浜まで、そのまま漕いで行くことにした。
 ホテルがあるビーチの隣に、無人の小さなジャリ浜があったのでそこになだれ込むように上陸。急いでカヤックの中身を放り出した。  もう何もかもビショ濡れになっていて、貴重品を入れたトートバックまで浸水している。  
「ぐあぁアーッ!!」とか思わず叫びながら中身を出すと、バッテリー充電器やらメモリーカードも濡れていて、急いで拭いて乾かす。正直使えなくなったら洒落にならん・・・!!  
 防水バックの中身も入口あたりにあった物はほんのり湿っていた。この手の巻き込み式の防水バックは水がかかる分には大丈夫だけど、浸かるとダメね。やっぱりカヤックは濡れる事を前提に考えねばダメだって事か・・・?
 カヤックをひっくり返して舐めるようにハルを見回す。たいがい、船体布の穴は後方にあるので後ろを中心に見るが、傷はあるものの、あれほどの水が入るほどの穴は見受けられない。おっかしいな~と思いつつ、前方を「やっぱりこっちは大丈夫だよな~」と思いながら見ていると、自分の目を疑うほどの穴がキールの部分に開いていた。  
 
「な、なんじゃこりゃ~!!」
 
 まさに叫んでから松田優作みたいだなと思うほど、素でそう叫んでしまった。
 キールの部分が、まるで彫刻刀で削ったようにエグれており、フレームまで達している。綺麗に船体布の層が見えて、自分の体が怪我したように痛々しい。  
「これか・・・。しかし、何でやられたんだ?」
 おそらくはさきほどの上陸時にカキ殻か、割れたガラス瓶が落ちていた、もしくは定置網のロープの上を通ったときに貝殻で切った・・・と思われるが、何が原因かわからないところが怖い。
 これがコースタルカヤックじゃなく、今から海峡横断に出る途中だったと思うと恐ろしい・・・。ファルトならではの弱点がモロに出た感じだった。
 カヤックに乗って釣りをする予定だったが、今日はもうダメだ。テントを立て、乾かす意味でタープまで張り、この日はここでビバークとなった。電子機器に一応すべて異常は見られなかったので安心する。カヤックの穴も、修理できるので不安は無かった。
 濡れた物をすべて乾かし、カヤックも乾いたところでエポキシ樹脂と予備の船体布で塞ぎ、落ちているビニールとロープで縛りながら固定して朝まで待つことにした。
 やれやれ。
 
 

 
 こんな状況下だったが、そんなに慌てる事も無く、釣りがしたかったので海岸からキス釣りの仕掛けを投げる。 不幸中の幸いか、この場所がシロキスの穴場だったらしく、ワンキャストワンヒット!二本バリで一家釣りも何度もあるくらいだ。シロギス、メゴチ、ベラ、チャリコ、ハゼなどを 1 時間で 30 匹くらい釣る。型は「ヒジタタキ」物こそ出ないものの、満足♪ すべて腹を出し、食べることに。
 このキャンプサイトはなかなか良かった。
 流木もそこら中にいっぱいあり、夕方から正面の海に月が出て、海上を照らす。その青白い明かりと焚き火の赤い炎の光が対照的で美しい。
 夕食は山菜炊き込み御飯と野菜と魚のホイル焼。炊き込みご飯を炊いといて、アルミホイルに入れたエリンギや玉ねぎ、キスなどを酒と塩だけかけ、丸ごと焚き火に突っ込み、焼けた奴、俗に言う「野田焼(この名前の由来がわかる人はちょっとおかしい)」を日本酒でやる。
 焚き火の前で飲むならビールはダメね。日本酒か焼酎。寒い時はスコッチ、バーボンなんかがよろしい。ビール大好きな僕が言うからけっこう説得力あると思うんだけどナー。
 かなり気分よく過ごした様にここまでは書いたが、世の中、そんなビジュアル通りに気持ち良いということは少ないのだ。  周りにはたくさんのフナ虫やハサミムシがうごめきまわり、食べ残したアルミホイルの中身、使い残したジャリメにもハサミムシが蝟集し、食い尽くされてしまった・・・。
 寝転がると体のどこかにハサミムシやフナムシが紛れ込んできて不快でしょうがない!
 アウトドアとは、自分以外の生命の存在を受け入れる事にあり・・・と思い、自分を納得させる。
 酒がなくなったところでテントに入り就寝した。

 
 

何とか一周!瀬戸内の釣りにはまる

 
 翌朝、昨日の残りの山菜御飯と味噌汁で朝食。
 物が乾いてからの出発なのでゆっくりだ。出発したのは 11 時過ぎだった。
 カヤックは無事、穴も塞がってくれたようで、浸水する事もそれから無かった。もともとシーソックスがそろそろ寿命なので、そこから入る水の方が気になるくらいだ。
  1 時間ほど漕ぐと小豆島の土庄、池田、福田、大部と同じような表玄関である坂手港に到着した。港の隣にある砂浜に上陸し、ターミナル前で飲み物と、釣具屋で再びジャリメを買っておく。
 出発してしばらくすると坂手港に大阪からやって来るフェリーがちょうど着岸する所だった。かなり大型のフェリーなのでタイミングが合ってしまうと厄介だったろう。こういう客船が入る港は漁船以上に気を使うのでたいへんだ。
 昨日、消化不良でパドリングをやめさせられたせいか、この日は妙に漕ぐ気満々で、あっという間に「二十四の瞳」の映画村の海岸に出てしまい、その先端にある塩谷鼻から福部島に行って、その島経由で三戸半島の谷尻まで行ってしまう。  この海峡は航路なのでかなり周りを見ながら漕いだが、船がたくさん通る割には岸ギリギリをフェリーが通過するので、カヤックではどこを漕ぐのかちょっと悩んだ。ツアーでここを通るのはちょっと気を使いそうだ。
 三戸半島に着いてから、白浜までが同じような景色が広がり飽きる。海もそれまでの透明度がなくなり、鹿島の海水浴場と同じ透明度になってきたので少し意気消沈、つまらなくなってきた。
 白浜は名前の通り、白くて広い砂浜になっている。近づくとトップレスのギャルが 2 人いて、こっちに気付くなり慌てて去っていった。
 後姿を見る限り、
「ここは人が来ないって聞いたから来たのに、何で来るのよ!!」  
「私だって海から人が来るなんてわかんないもの!!」
 と、言っているようだった。申し訳ありません。でも見えてないから安心してな。
 ここには無駄に綺麗なバリアフリー対応のトイレがある。食料や飲み物の装備がしっかりしているならキャンプも良さそうだ。ちょっと休憩するが、風も岬の先端だからか強く、先を急ぐ。
 ここからは北上だ。三戸半島を北上し、崩鼻という場所に来ると池田や土庄の町がはっきりと見えるようになってきた。薄っすらとふるさと村も見える。もうゴールしたような物だ。
 この辺で釣りをしてから帰るつもりだったのだが、どういう訳かここに来て風が強くなってきた。長者鼻を回り込んだ湾内で、釣りをすることにした。
 透明度はほぼ無に近かったが、地元の漁師が竹の銛を持って何か獲っていた。カサゴ?タコだろうか?こんな所にも潜り漁師がいるのかと驚き、話し掛けようとしたらガンを飛ばされたのでやめた。妙に迫力があったので○ク○さんかもしれない・・・。
 最初は立ち込んで投げ釣りをしていたが、ここがやたらとシロガヤが多く、少しでも足を踏み外すとシロガヤが刺さり、非常に痛いのだ。これはかなわんとカヤックに乗り、小型定置網の仕切り網のブイにカヤックを引っ掛けて釣りをする。
 釣果は昨日の場所に比べるとイマイチだったが、シロギス、キュウセンなども釣れ、最後に大物がかかったと思ったら 30 ㎝近いイシモチだった。キス釣りの外道としては上々だ。
  5 時にふるさと村到着。最後の直線はツアーの手伝いでも漕いでいるコースなので新鮮さは無かった。
 この島もまた、継接ぎのような回り方ではあったが一応、一周できた。牛の頭の部分が残っているが、まぁそれもいずれはという事で今回は勘弁しといてください。
 カヤックを島風のショップの前まで運び、荷物を出して潮抜きをする。カヤックは明日も使うだろうから水をかけただけで済ませ、仕事が終わった北田さんとショップ内のスタッフ、ユイちゃんと 380 円のうな丼があるというので食べに行く。
 宿舎に着くと休みを取っていた前川君も実家の香川から帰ってきており、車の上にはレーシング艇が乗っている!さっそく明日漕ごうということになった。

 
 翌日、午後から島風に行くが、僕はカヤックに乗って再び前日と同じポイントまで行き釣りをする。
 ところがこの日はまるでダメだった。北田さんと前川君がツアーのお客さんと僕がいるところまで来たが、ちっとも釣れていないので僕だけこんな事やっているのが後ろめたくさえ感じた。
 釣れるには、釣れるのだ。だが釣れるのがクサフグかイトヒキハゼという、これまたどうでもいい魚ばかりなのである。おまけにクサフグはブツブツと針だけ切って仕掛けをダメにするし、油断もスキも無い。この日釣れたまともな魚はキスが二匹に、ベラが一匹。勘弁してください・・・。これが釣りか?
 そう思って二本バリの仕掛けも最後の一つになり、その二本針のうちの一つもフグにやられた最後の一投。強烈な当たりが手元に伝わってきた!  
「何だこれは!?」
 思わぬ大物に戸惑いつつ、その魚を揚げると、赤く綺麗なピンク色の魚体が見えてきた!  一発逆転ホームラン!マダイだ!!  手のひらサイズではあったが、真鯛にはかわりない。瀬戸内海は全長 15cm 以下のマダイは逃がさなければならない決まりがあるのだが、それもクリアーした、しっかりとしたタイ!小さいが本当に綺麗だ。針を外そうと思ったらいきなりハリスが切れた。今日はこいつで終わりという事か。納得して帰路に着いた。  「魚獲り」は過程だ。大きいのが獲れればうれしい事にはかわりがないし、僕も自慢したいが、でかい魚を獲る事だけが楽しみ方ではない。どういうプロセスを得て、どういう方法で、どういうシチュエーションにある魚を獲るか。例え小さくて、少なくてもそういう楽しみ方をしていれば、無限に魚獲りは楽しい。
 ふるさと村に戻ると北田さんと前川君、ユイちゃんと M さんがカヤックに乗ってこっちに向かってきていた。前川君は海だというのに自前のレーシング艇を漕いでいる・・・!  これからみんなで弁天島まで行って帰ってくるらしいので僕も自分のカヤックをとっとと洗い、ツアーに使うスパーキーという、「沈できるもんなら、やってみやがれ!」といった感じの舟で彼らを追いかける。
 猛スピードで漕ぐ前川君の船は波間の中では見る事が出来ず、何だか海坊主が上半身だけで猛烈なスピードで移動しているみたいで不気味だ(前川君はスキンヘッド)。
 究極にスピードを追及したカヤックと、普通のシーカヤック、そして究極に安定性を求めたスパーキーという組み合わせが、何だかありそうでない組み合わせで面白かった。
 浜に着くと、さっそくみんなでレーシングカヤックを乗ってみる、北田さんは僕が釣りをしている間に乗ったらしく、「こりゃー無理だわ」と舌を巻いていた。 M さんも、ユイちゃんもやはりダメだった。もちろん俺もダメだ。前川君はこれに座って静止することができる。慣れているとはいえ、一輪車に乗れる人以上に尊敬するわー。同じカヤッカーというくくりに入れられるのが恥かしいくらいだ。
 初めてみんなとカヤックに乗ってビショ濡れになりながら遊んだのは楽しかった。こんな複数の人と遊ぶのは久しぶりだったので何だかいいね。
 単独行をやっているからって孤独が特別好きだって人はいない。僕の場合、カヤックをやるのが周りに俺くらいしかいないから一人でやっているだけだ。誰か他にも同士がいるなら一緒にやってみたいものだね。
 

思いがけず長居、人の温もりに触れた小豆島

 
  8 22 日の舞鶴発のフェリーで小樽まで行く予定だった。  本当ならば、友人と先輩、その他会いたい人達などもいたので大阪、京都に寄ってから北海道に行こうと思っていたのだが、どうも友人も先輩も僕が関西に向かう頃には都合が悪いらしく、滞在する事ができそうもない事がわかり、資金面的にもかなりきつくなってきたので金のかかる都会は避け、小豆島から直接舞鶴まで行ってしまうことにした。  そのため小豆島にいる滞在時間が長くなった。
  8 20 日、カヤックを解体しつつ、ショップでユイちゃんや M さんと話をしながらすごす。 2 人とも顔こそ会わせていたものの、あまり話をしていなかったのでここにきて話をすると色々わかって面白い。
 ユイちゃんは島風に来る前から芳地さんに「すごいかわいい子がいるから!」と言われていて、女の人が言うかわいいという言葉をあまり信用していない僕は、あまり気にしていなかったのだが、実際本物のユイちゃんは平山あやに似ていて、悔しいことにかわいかった・・・。かわいい子と仕事ができるのはうれしい事ですね~♪
  M さんは島風のお客でもなければスタッフでもないのだが自分のカヤックを持っていて、しょっちゅう遊びに来る。手伝いもしてくれるので最初は何者か不思議だったが、話しているうちに仲良くなってきていた。
 島風は M さんや前出のYさん、他にも地元の若者達が集まる溜まり場みたいになっており、良いか悪いかは別にしても、何だか雰囲気は悪くはなかった。ただ、最初はだれが客かジモティーなのか、わからなくて困ったが・・・。都会にはない、田舎独特の雰囲気だ
 ツアーが終わり、北田さん、前川君も戻ってきた。今日は前回、島を出る時にチョコっとだけ会ったKさんが来ており、この人も加わって冷蔵庫に残っていたスイカを前川君がハンマーで割り、みんなでむさぼり食った。
 この夜、島風のお客さんの店で飲んだ。小豆島の神霊スポット話で盛り上がる。どうもこの島は神霊スポットが異常にあるようだ。なんだか一人でこの島でキャンプするのが怖くなった。今更だが・・・。
 次の日は特に予定もやる事も無く、日程を埋める為にいたといった感じだった。
 午前中は半日ツアーに同行する。一般のお客さんの他に北田さん、Kさん、Yさん、そして僕。この日からふるさと村沖ではディンギーの大会があり、多くのセーラーがふるさと村の周りに集まっていた。風を受けて優雅に進むディンギーの間をカヤックで「すいません、すいません…!」と、無駄にあやまりながら漕ぐ。 あいにくの雨で、どうせ濡れるんだからとエスキモーロールとはどういうものか見せましょうと言う話になってしまった。Yさんがロングロールをやり、お客さん、前川君は大喝采!北田さんが「アカツカ君もできるならやって見せてよ」と、余計な事を言うのでKさんが乗っていたサスケにK‐1から乗り換え、通常のスイープロールとリエントリーロールをやってみせる。調子に乗って3回転連続ロールなんてするから失敗してしまい、なんだかこっぱずかシイ・・・。あの失敗して沈脱した時の間は、なんとも言えず嫌だな~。
 昼はYさんが用意してくれた炊き込み御飯と手延べ素麺のきれっぱしで作った冷汁。
 これがうまい!毎週日曜はYさんがスタッフに昼食を準備してくれるらしい。これも何もかもボランティアだと言うのだからなんと愛されているのだろう、このショップは。
 午後はKさんと北田さんとツーリングに出るが、ユイちゃんがしばらく京都の入院した友人の所に行くというので、もう会う事がないだろうと早上がりして挨拶する。
 仕事が終わってやってきたMさんと話していると北田さんや前川君も帰ってきてしばらくダラダラと話す。
 Kさんが今夜の8時に帰り、僕は明日島を発つのでみんなで飯でも食べようと北田さんと前川君、僕とKさん、Mさん、Yさんでジョイフルに行って10時位までとりとめもない事を話して過ごす。ファミレスでだらだらとすごすなんて学生の時以来で懐かしい感じだ。
 最後の夜だったが、特に飲む事もせず、荷物をまとめて各自思い思いに過ごす。
 
 島を出る日、それまで体調が思わしくなくて店に顔を出していなかった芳地さんがやっと姿を現した。
 午前中はショップにいた芳地さんとほとんど話をしていた。よく考えたらここに来て、オーナーの芳地さんとは面と向かって話をすることは少なかった。
 沖縄やカナダ、アラスカの話、そして共通の友人であった本郷さんの話を主にする。
 人間、何が縁で会うかわからないものだ。芳地さんも昔は雑誌『 Outdoor 』で知っていただけの存在だったのに、まさか会って、こうやっていっしょに仕事までさせてもらう事になるとは思っても見なかった。
 昼に前川君と M さんの店にうどんを食べに行く。厨房に立っている M さんは僕らからするととても違和感があった・・・。
 北田さん、前川君に別れの挨拶をし、 13 時に高速船で高松まで行くという芳地さんの車に乗って島風を後にした。
 土庄港で芳地さんとも別れ、ターミナルで切符を買っていると、一人の女の子と目があった。 意外にもユイちゃんだった。  昨日は親の都合で出発できなくなってしまい、今日、京都に戻る事になってしまったという。しかも高松に着いてから連絡があったのだが、見舞いに行くはずだった友人から「別に来なくても、もうすぐ退院するよ」とまで言われてしまったようだ。  同じフェリーで高松まで行き、彼女は友人のいる徳島方面にバスで向かう事になった。何故か送られる立場にあるはずの僕が、先に徳島のバスに乗ったユイちゃんを見送る形となった。
 何はともあれ、最後まで人に見送られるのは久しぶりだ。
 小豆島は多くの人に出会った場所だった。カヤックも予想に反して面白いフィールドで、沖縄や屋久島のような派手さはないが、瀬戸内独特の雰囲気の海がしんみりとよかった。満足、感謝。
 芳地さん、北田さん、前川君、ユイちゃん、 M さん、 Y さん、Kさん、ありがとうございました。おかげでよい旅ができました。

 

 

 さて、次はついに最終目的地、北海道だ。
 大阪、京都経由で僕は小樽行きのフェリーが出る東舞鶴に向かった。