日本海の絶壁島はカヤックの桃源郷だった!

島根県・隠岐島前 西ノ島

2005年8月7日~10日

 

隠岐諸島に渡る

 
 だいぶ時間の流れがむちゃくちゃになってしまうがご了承ください。
 8月7日、小豆島のツアーの手伝いが終わった僕は、いったん島を離れて日本海に浮かぶ隠岐諸島に行く事となった。
 高松から岡山、岡山から備中高梁、新見を経て米子に行く。もちろん交通の手段は 18 切符である。そのためこの区間は特急なら 30 分に一本はあるのだが、鈍行はほとんどない。各駅で 1 時間、 2 時間待ちはザラなのである。やたらとヒマなのでその間に駅から出てあたりを散策したり、ベンチに座って本を読んだり、たまった日記などを書いたりするのである。
  9 25 分のフェリーで高松まで出たのだが、最終目的地、境港に着いたのは夜の 8 時をまわっていた。境港の街をぶらつくが、ゲゲゲの鬼太朗の妖怪達ばかり目立つばかりで案の定、安宿はありそうもなかった(境港は水木しげるの出身地らしい)。しかたなく港の横にある公園にテントを張ろうと思ったが、妙に東洋系の外国人が多く、夕涼みをしていてテントは張れそうもない。駅の前にある緑地が目立たなさそうなのでそこにテントを張ってその夜はすごす事にした。
 ここでも駅の近くに大型スーパーがあり、安い惣菜を買って夕飯とする。
  8 8 日。早朝、テントをかたし、公衆便所で歯を磨き洗顔する。
  8 15 分の七類(しちるい)港行きのバスに乗り、そこから隠岐諸島の島前に向かうのだ。境港から出るフェリーは同じ隠岐諸島でも島後に行くのだと、境港に来てから知った。
 バスは 20 分ほどで港についた。  
「帰りは手荷物料金も払ってくれよ」
 バスの運転手は僕が荷物を出すのにてこずっていると、そう明らかに嫌な顔をして言った。しかたない、わかりましたとカラ返事をし、バスを降りる。
 ターミナルは夏休みを離島ですごそうと大阪や兵庫、広島などから車で来ている家族ずれ、学生などでごった返していた。
 隠岐諸島は島に着いてから島と島を移動する事が多いためか、フェリーは片道のみの販売だった。島前の西ノ島浦郷までのチケットを買う。  
「フェリーくにが」は思ったよりも大型で、とても設備がしっかりしていてよい。 2 等客室はもう座る所がなかったので食堂のテーブルやデッキの上のベンチで本を読んで過ごす。  
 宮崎のSさんにもらった野田知佑の「のんびりいこうぜ」を久しぶりに読む。ちょうど 20 年前の話が載っており、ポール・カフィンが日本を一周している話があって面白い。 20 年前の話が今でも十分通用するのだからカヤックやアウトドアの世界というのは完成されていたのか、進歩がないのか・・・。とりあえず今読んでも面白いのでよしとする。
 昼前にデッキに出ると前方に島が見えてきた。島前の知夫里島だ。ここでいったん停泊し、お客を乗り降りさせてから浦郷に向かう。青い日本海に浮かぶその島は慶良間のような奇岩に覆われて、いかにも島らしい。こんなベタ凪の日本海だが、冬は荒れ狂って島の沿岸を削って行くのだろう。ボコボコと洞窟が見えた。
  11 55 分、フェリーは浦郷に着いた。
 奄美大島で会った広島の中尾さんが、「隠岐に行くのなら現地のガイドを紹介してあげるよ」と言っていたのを思い出し、境港で中尾さんに連絡をとってもらっていた。電話番号を教えてもらい、そのガイドの人にかけるとバスに乗って小向まで着てくれとのことだった。時間を見ると後 2 分で出る!急いで荷物を抱えバス停へと駆け込んだ。
 バスは狭かったが、バリアフリーになっているのでフォールディングカヤッカーにも優しい。 200 円でどこでも行け、 10 分ほど乗っていると小向に着いた。 バス停から降りると、海の方にB&Gの施設が見えた。ダイビングショップの「NOAH OKI」だ。  入口あたりまで行くとガイドらしき人が入口で待っていてくれた。  
「いやー、急にうかがって申し訳ありません」  
「いーですよ~。今もお客さんが来たばかりでカヤックに行くみたいなんです。これカヤックですか?すごいな~。ウエイトまでしているの??いくらでも貸したのに~。」
 休憩所に通されお茶をもらう。風がなく、それでいて空は雲もない。つまり暑い。
 ここはシーカヤック専門のショップではなく、主力はダイビングらしい。だがその他にもマリンスポーツ全般をやっていて、今はカヤックが流行りだしていると言う。とにかく島の中でカヤックをやっているのはここだけらしいのだ。  
「うちは、ちょっとカヤックを漕いでみたい人向け。本当に漕げる人は本土からカヤック持ってやってくるもん。今も何組か漕いでいるんじゃないかな」
 隠岐に来ようと思ったのは、この旅を計画していた 2004 年の夏。後輩が素潜り道具とキャンプ道具を持って 18 切符で東京から鹿児島の甑島まで旅をした時、隠岐にも寄ったので、その時の写真を見せてもらったのだ。  彼も西ノ島をまわっており、そこには絶壁の摩天崖、通天橋、乙姫御殿などの国賀海岸が写っていた。  
「ここ、カヤック向きだよ、絶対カヤックで漕いだら面白い!!」
 その写真を見て興奮した僕は、ぜひともそこにカフナを持っていって浮かべたいと思ったのだ。調べてみるとあまりここでカヤックをやっているという情報がない。まさに穴場的なポイントだと思った。
 そんな動機で隠岐に来たので、けっこうカヤックやりに来ている人がいるというのは残念だった。でも確かに関西方面の人がこれだけのフィールドを前にして漕いでいないというのも、ありえない話である。
 ガイドのナカオさん(なんと紹介してくれた中尾さんと同じ!)に主な出艇ポイント、目ぼしいところのビバークが可能かどうか、水の有無、商店の有無などの情報を聞き、その気になれば知夫里島まで行って、そこから帰る。でなければ今回は西ノ島を中心に遊べばいいかと考えた。なにしろ漕ぐだけが僕の楽しみではないのだ。摩天崖の上にも登ってみたいし、潜りもしたい。  とりあえず、今日は外浜海水浴場でビバークする事にし、荷物をナカオさんが預かってくれるというのでお言葉に甘える。カヤックと潜り道具だけを持って再びバスに乗り、国賀海岸まで行って、そこから矢走二十六穴あたりまで漕いでそれから北上し国賀海岸を通り外浜海岸まで行く事にした。
 国賀海岸の手前、小国賀で下ろしてもらい、そこから歩いて海に向かっておりる。
 いきなり黒牛が道路をふさぐ。なんだか八重山っぽい。
 海岸に出るとスロープがあり、そこでカヤックを組み立てて出艇することとなった。両サイドを岩山に囲まれ、なんだか南伊豆の中木みたいだ(あそこはカヤック出せないけど)。深い入江はベタ凪で、竹ざおで少年たちがおじいちゃんと一緒に小魚を釣っている。麦わら帽子に海パン一丁。あぁ・・・絵に描いたような夏の海と少年の正しいあり方だ・・・。
 汗だくになってカヤックを組み立てていると、先ほどの少年が「なにやってるの~?」「それカヤックだったんだースゲェー」と、あたりをブラブラしながら聞いてくる。  
「やっぱ漕ぐの難しいの?」  
「んなこたねーよ。俺でも漕げるんだよ」  
「兄さん、泳げる?」  
「泳げないんだよなー」
 そんな冗談を言いながらからかっているとバックからロングフィンが出てきて子供相手にかなり気まずくなった・・・。困っているとちょうどいいタイミングでツアーに行っていたカヤックが帰ってきた。挨拶をするとどうやらNOAHのツアーの人達らしい。僕の事をナカオさんから聞いていたらしく、意味もなく安心する。
  3 時頃出発。
 出艇直後、いきなりバカデカイ海月が舟の下を通る。  エチゼンクラゲだ。
 今年は異常発生していると言われているが、この時期からすでに隠岐では大量に見ることができた。最初はものめずらしさも手伝っていじくって遊ぶ。  なかなか進ましてくれない。パドルに力をいれ南に向かうことにする。
 漕ぎ出してちょっと進んだだけだが、海岸には洞窟がボコボコ開いており、イチイチ全部通っていったら切りがないだろうと思えた。そして何より想像以上の絶壁が目の前にそそり立ち、見上げる首が痛くなりそうだ。入江に入っていくと海岸ぎりぎりまで牛が来て海浜植物を食んでいる。  
「すごいぞ、隠岐ノ島!!」
 自然に口もとが緩み、テンションが上がって行くのがわかる。
 屏風岩、大神立岩と通り、鯛の鼻についた。
 ナカオさんの情報ではこの辺に「明暗の岩家(あけくれのいわや)」があると言うのだ。これは、全長 200m 以上の海上トンネルで、真ん中まで行くと光が入らなくて真っ暗になってしまうほどの洞窟なのである。だからここを通過するために僕はヘッドランプを防水バックに入れ、水中ライトをカヤックのデッキにセットしておいたくらいだ。
 ここは観光船もギリギリだが通っていくので入口と出口の方向さえ間違わなければ事故にはならないからそれだけ注意してくれと言われていた。  だがそれ以前に見つからない。穴がありすぎて、どこだかわからないし、あったとしても「ここは遊覧船が通過できるサイズか~??」と、疑いたくなるような洞窟ばかりだ。そのうちの一つに入っていくと、どうも細くなって行く気配はなく、むしろ行けば行くほど中が広くなってきた。  
「ここだな~!」
 そう思ってパドリングをしていくとそのうち波が岩を叩きつける音だけが響き、あたりは真っ暗になってきた。ライトを灯してバランス感覚がおかしくなりそうな中、ぶつかる波の音を頼りに前進する。ライトは正直あまり意味がない・・・。  しばらく進むと、前方がかろうじて明るくなってきた。  眩しい外の光が差し込み、何とか外に出ることができた。目の前には矢走二十六穴が見える。通り抜けられる洞窟はなかなか少ないので、これはちょっと面白かった。前方の二十六穴も行こうと思ったが、なんだか大変そうだ。
 入江の中には先ほどと同じように多くの牛がいて、上陸してみようと思ったがけっこう距離があるので引き返すことにした。時間もそれほどない。  再び絶壁の海をひたすら漕いで行く。
 すると出発した入江あたりでたくさんのカヤックを見た。 NOA のカヤックかと思ったが、何艇かリジットもあるがほとんどファルトだ。しかも近づくとみんなフェザーの舟だと言うことがわかった。  
「この辺でフェザー使ってツアーやっているなんて・・・どこだ??」
 一番近くを漕いでいる人に「こんにちわー!」と、手を振って挨拶すると何だか煙たそうに挨拶され、なんだか孤高を愛する人達なのかと思いそれ以上深追いするのは止めることにした。  確かに同じ舟を使っているからと妙な親近感を湧かせる必要もないのだよナ…。  
 摩天崖の手前、天上界から通天橋、乙姫御殿はカヤックにとってはメチャクチャ理想的な地形で、岩の迷路を漕ぎ進んでも行き止まりになることもなく、トンネルをくぐったり透明度のいい海のうえを舐めるように漕いだりと、非常に面白いところだ。  そして摩天崖の真下に来る。  海岸からイッキに海抜 300m まで上がる絶壁は壮観である!ゴロタ岩に上陸し真下から見上げると全部が視界に入らないのだ。広角レンズが欲しいーッ!!  で、せっかくだからと、この絶壁の下で潜る事にした。
 ウエットスーツはメンドクサイので、Tシャツ 1 枚でカヤックから直接飛び降りて潜る事に。カヤックをぶら下げるロープの関係上 5 mも潜れなかったけど。  初めて潜る隠岐の海は、カヤックの上から見るほどの透明度はなく、少しガッカリした。妙な縣濁物が多く、 10 12 mといった透明度である。それでも浅場からいきなり魚が群れており、スズメダイやメジナの群れが潜るとあたりをグルグル回りだした。岩をのぞくとかなり浅いところでもイシダイも見ることができる。海藻の他にスガモが浅瀬にすごく生えていて寒流の影響も受けている事がわかる。
 しっかし、なんだか体がチクチクする。あまりにも痒いので 15 分も潜るとカヤックの上に上がった。どうもエチゼンクラゲの触手がちぎれて浮いており、それがいけないらしい。Tシャツの上からでも痒く、どんなに暑くてもウエットを着て今度は潜ろうと思った。

 さっぱりしたところで北上を開始する。絶壁の国賀海岸を漕いで行くと鬼ヶ島という物騒な名前の島というか、磯がある。そこの細い水路を通り、岩に囲まれた小さい入江で異常に集まったエチゼンクラゲを撮影する。潮がよどんでいるこの様な入江の奥や洞窟の中には必ずホンダワラにまみれたエチゼンクラゲがいるのだ。ただ、本当にでかい、ビーチパラソルのような個体は中層を漂っており、たまにカヤックを漕いでいると真下を巨大な桃色の物体が通過するので不気味だ。
 イザナギ浦を横断し、たんなかやの迷路みたいな磯を通過すると外浜海水浴場の灯台が見えてきた。あたりはすでに日が落ちて夕暮れが迫っており、ちょうど美田港のイカ釣漁船が出漁する時間と重なってしまってなかなか航路を通れなくなってしまった。
 タイミングを見計らってイッキに航路を横断し、夕凪の海水浴場に上陸した
 ここ外浜は西ノ島でも珍しい砂のある浜で、あとはどこもゴロタの浜しかないのである。さらに西ノ島の最もくびれた部分で、明治の頃からここを掘り進めて水路を作り、島の南側と北側を通す運河になっているのだ。そのためここには漁船がひっきりなしに通る運河があり夜も漁船が目の前を通過していく。
 この運河はカヤックでは通過しないというローカルルールがあるので、明日、舟を運んで内海つまり島の南側に行こうと思っていたので歩いて船を出せそうなスロープを捜す。歩いて15分ほどの船越というところで良さそうだ。
 ナカオさんに電話すると、荷物を持ってやってきてくれたがそのまま車に乗りシャワーを貸してくれた。海で遊ぶ人はこのベタベタ感がわかってくれているのでありがたい。ついでに水ももらっていく。外浜近くの商店を教えてもらい、そこでビールと夕飯を買ってナカオさんと別れる。なんだかお客でもないのにずいぶんとお世話になってしまって、いつもながら土地の人の親切さに救われる。
 運河の堤防でスパゲティーを作り、ビールで流し込む。
 何だかものすごく充実したカヤッキングに満足の初日だった。
 

 

 

摩天崖登頂!舐めてかかるとひどい目に・・・。

 
 運河の堤防近くにテントを張ったので、早朝から釣りに来た親父の、やたらでかい声で目が覚める。やや機嫌悪めにテントから出る。
 この日は午前中、内海を漕いで由良比の浜の神社により、昼は摩天崖まで漕いでいき、登る。午後は国賀海岸の遊覧船の通らない場所で潜るという予定を飯を食いながら計画する。
 空荷のカフナにカートをつけて、転がして船越まで行く。
 ちょうど、もうすぐお盆なので船越の前にある広場では地元の中学生がお爺さん達の指導によりシャーラ船を作っているところだった。
 シャーラ船(精霊舟)と言うのはこの島、とくに美田地区特有の伝統行事らしく、竹と藁で作った船に、供え物を乗せ、先祖の名前を書いた札をくくりつけて、お盆の最終日に海に出すといったものである。いわゆる精霊流しの一種だと思うが、人が大勢乗れるほどの船に、無数の白い紙の札が結ばれ、なびかせながら沖に引っ張られて行く光景をNHKの特集番組で見たことがあり、こんな伝統行事もあるのかと驚いた物だ。
 その本物が実際に作られていた。
 面白いのは実際に作るのは地元の中学生で、それを地元のじいさんばあさんが色々教えながら作っていくという方法である。 3 世代、 4 世代の間に受け継がれて行く文化が無くなっていく今、この様な親から子供、子供から孫といった一子相伝のように、各部落の年長者から次世代の子供たちにその部落の伝統を任せ、作らせると言うのはとてもいい文化継承の方法だと思う。

 そんながんばっている中学生を背中に感じながら僕はカヤックを漕ぎだした。
 内海は鏡のようにベタナギで、カヤックも軽いのでスイスイと進む。あっという間に美田港の入江を出て浦郷港を横断し、由良比の浜の近くにある造船場のスロープに上陸する。造船場のオヤジに挨拶し、舟をあげといてもいいかと聞くと気持ちのいい笑顔で了解してくれた。歩いて由良比女神社に向かう。
 なぜ神社などに行くのか?
 実はここの神社は海上守護の祭神の神社なのだ。
 しかもここの神社はとても変わった事が起きる事で知られていて、祭神(由良比女命)は 11 29 日になると出雲の国から帰ってくるので神帰祭が行われる。この夜に由良比女神社の目の前にある由良比の浜には、大量のイカが打ち寄せてくると言うのだ。
 伝説や言い伝えだと思われちゃ困る。実際、現在はそうでもないらしいがたくさんのイカが打ち寄せられるので昔は浜にはイカ待ちの番屋が用意され、コタツなどを入れて漁に行かない女の人達でイカが来るのを待ったというのだ。
 最も最近の逸話では、昭和 43 年、 11 30 日。浦郷警察署の署員が歳末警戒からの帰り、由良比の浜に大量のイカが打ち寄せているのを発見、署長や休みだった職員や、周辺地域の住民も呼び 16000 匹を拾ったと言うのだ!  採り過ぎだろ!と思ったが、とにかく浜にそれだけたくさんのイカが打ち寄せられているのを想像してみるとよろしい。なんと気持ち悪い光景だろうか!SFの世界だが、当時の人にとっては重要な現金収入の糧になっていたようだ。
 その為ここの浜は「烏賊寄せの濱」という別名があり、由良比女神社も「するめ大明神」、「いか神様」と呼ばれているくらいなのである。神社の梁にはイカのモチーフが彫られているくらいだ。
 神社には平成 4 年のイカが寄せられてイカ拾いをしている写真がかかっており、半信半疑だった僕も「なんとまー」と感嘆するしかなかった。
 ちなみに打ちあがるイカはなんとケンサキイカ。高級だ・・・!  海上安全守護の神様だ。香川の金毘羅様にも寄れなかった僕はここで今回のカヤック旅の安全を祈ったのである。賽銭は安かったが。

 そのまま歩いて浦郷港まで行き、明日の帰る船の時間を見る。どうやら知夫里島に行くよりはこの浦郷から帰った方が長く居れそうだった。  そうとわかれば急いで帰り、摩天崖に行くのを急がなければならない。 2 3 日だからスケジュールはいっぱいいっぱいだ。
 宮崎にあったような回転するスルメ乾燥機があやしく回っており、派手な色彩のヒオウギガイや、シャレで作ったと思うソデイカ(こちらではドウナガイカ、紅イカとも言うらしい)のスルメなどをお土産屋で見ながらカヤックのあるスロープまで戻る。
 内海は瀬戸内海のように穏やかで、海岸線近くまで松林があるのはまるでカナダの西海岸のようだ。しかも透明度がいいのが素晴らしい。カヤックから泳ぐチヌが見えた。
 だが、大陸からの影響かゴミが多い。海岸線は発泡スチロールで埋め尽くされていた。  
 航路を一気に渡ってしまって、もと来たスロープにたどり着くと、出発した時よりもシャーラ船がだいぶ形になっていた。あまりにも暑いので目の前にある商店に入りアイスを買ってバス停のベンチに座って食べる。  ちょうどシャーラ船を作っていたおじいさんの一人も横に座っており、僕を見て「黒いなー兄ちゃん!漁師より黒い!ヒヒヒ」と言われる。地元に人に言われると少し「マジですか?ちょっとヤリスギですか?」という不安な気持ちに何故かなる。
 カヤックにカートをつけて再び外浜まで歩いていき、そのまますぐに舟を浮かべて潜り道具を積み、出発する。大学生の女の子 3 人組がカヤックの準備をしている僕の方をチラチラ見ており、微妙に気になる・・・。
 ん?そんな事は書かなくてもいい??いや、家族連ればかりだった海水浴場にビキニギャルがいたのでちょっと嬉しかったのよ。
 それだけである。

 摩天崖に向かってひたすら漕ぐ。しかしそれにしてもここの海岸線はカヤッカーには絶品の景色だ。昨日とは光の当たり方が違うのでまたこれも良しと言った趣がある。
 摩天崖の麓に観光船用の桟橋がある。そこを利用するのは申し訳ないので手前にある浅瀬から上陸し、カヤックを舫って係留しておく事にする。波で揺られるがたいした事はなかろう。
 三脚とカメラ、防水バックに入った貴重品だけを持ち、摩天崖の頂上まで続く道を歩いていく。昨年ここを訪れた前出の後輩によると、ここの道は予想に反してかなり厳しいですよと言うので気合いを入れて歩いていく。
 だが、気合いとは裏腹に、暑い・・・シンドイ・・・。後輩の苦悩が手にとるようにわかる!なにしろあたりには日陰になりそうな障害物がまったくなく、ナデシコとマメ科の紫の花が咲いているだけであとはひたすら芝生が広がっているだけなのだ。ここは牧草地になっており、牛やウマがそこら中にいて、道もウンコだらけ。しかしこの熱さですでにほとんどが干草レンガ状態になって干からびている。
 手前の岬の先端で休憩。摩天崖はまだまだ先に見える。そこまで続く、なが~くて、あつそ~な道が否らしい!  
「根性だ、コノヤロウ!ナメンな、牛ヤロウ!」
 目の前で横になり、尻尾だけ動かしてハエを追っ払っている無関係な牛達を横目に、ほとばしる汗を干からびさせ、塩を吹きながらなんとか摩天崖に登りついた。
 ふと横を見ると家族ずれが歩いている。なんとここまで車で来れる別ルートがあるのだった・・・!
 観光地のバカヤローッ!!
 微妙なカタルシスの中、摩天崖からの展望を満喫する。
 こんな事を書いた流れでどうでもいいような感じになってしまったが、摩天崖からの国賀海岸の展望はお世辞抜きで素晴らしかった。まさに絶景。世界の絶景 100 選にも入れていいのではないかと思えるほどの景観のよさにしばらく風に当たりながら見惚れてしまった。  
 摩天崖の上には日本陸軍のトーチカ跡があった。その跡地を見て、そういえばこの先は国境で北西の方向には竹島が数十キロという距離にあるということを思い出した。この眺めなら確かに軍事施設として利用されるのはごもっともな事だが、国立公園という景勝地として現在利用されているのは平和な証拠なのだろうか。
 島根県は竹島を日本領土と主張しているが、だとすれば不法侵入されている今の現状は、とても平和とはいいきれない状況なのではなかろうか??なんだか余計な事を考えてしまった・・・。

 
 
 

 放牧されている馬の親子などを見つつ、癒されながらもときた道を下って行く。帰りは楽だったが、暑さはかなり体内にたまってきており、カヤックをとめた場所からさらに歩いてバス停まで行く。自動販売機でジュースを 2 本買い、あまりの美味さに一気に飲んでしまう。体には悪いが自然にのどが動いてしまうので仕方がない。
  20 分ほど休憩してからカヤックに乗り込み今度は摩天崖のちょっとはずれたところに上陸し、ウエットスーツに着替えて潜る。いつもと同じように前半戦はカメラ、後半戦で銛を持っていく。
 摩天崖からカヤックを出す時、ちょうど地元の素潜り漁師ともあった。二又竹ヤスを持ち、同じ場所から僕はカヤック、その人は水中にエントリーするところだったのだ。話を聞くと、最近密漁団がクルーザーで来て島前近海でかなりの量の密漁をしでかしたので地元の人は外の人間の潜りに関して厳しくなっているらしい。  
「だけど銛持っていれば魚目的だってわかるから、大丈夫だよ。でも貝は採らないでね」
 なにを狙うのかと聞くと、この辺ではイシダイかスズキだと言う。アコウは最近まったく見ないと言われる。島根沿岸や他の日本海側ではアコウはよく揚がっているのでこれは意外だった。隠岐にはアコウはいないのか~・・・。ちょっと狙っていただけに残念だ。
 で、実際に潜ってみると確かにアコウの姿はなかった。ただしバカでかいムラソイを発見し、カメラに収めた後、銛に替えて見事捕獲。 34 ㎝のゴジラ顔ムラソイだった。
 イシダイも何匹かいたが小さい。アジの群れやタカベかウメイロかわからないが、その類の幼魚も泳いでいたので回遊魚(ブリ、ヒラマサ)でもこないかと思ったが気配なし。それに予想に反して潮が速く、かなり流される。根がぼこぼこある岬の先端に行こうとしたら、かなりの勢いで流されるので、「これに逆らってまで頑張って魚獲る必要も今はないな~」と、やる気の無さを発揮してしまい途中でUターン。おかげでたいした魚は見れなかった。
 とりあえず気持ちよかったし、一人で食うには十分な獲物もゲットできたので引き返すことにする。神社にも行き、山にも登り、海にも潜る。そして移動はカヤックという肉体酷使を繰り返していたのでだいぶ疲れてしまった。外浜に着いた頃にはヘロヘロになっていた。
 浜に上がって水を浴びようと公衆トイレに向かうと、向こうから見たことある白髪のおばさんがやってきて挨拶された。どうやらこの人もカヤックをやっているようだ。単独でひたすら漕ぎまくって島前(西ノ島、中ノ島、知夫里島)を一周し、次は島後にも行くらしい。話をしている途中でやっと思い出した。  
「あー思い出した、 3 月の西伊豆で会いましたよね?いや、会いましたよ」
 多分本人はわからないと思ったが、西伊豆であったアルガフォレストとNCKの合同イベントでこの人には会ったことがあったのだ。また、後でヒマだったら話しましょうと、いったん別れトイレで水をかぶりサッパリする。
 夕食はムラソイの刺身と汁。それに島根、鳥取だけに売っているのかもしれないが、「ゴールデントーフ」という、ソーセージのようなビニールに入った密閉性の豆腐。面白いので安いし買ってみたのだが、美味いのだ。これをヤッコにして刺身と共にビールを飲む。
 突きたてのムラソイは身がブリブリしすぎてゴムみたいだ。味がしない。汁も身がしまりすぎて食いずらかった。
 腹が満たされ防波堤の上で横になりウトウトとしていると、不意に話しかけられる。
 さっきのおばさんだ。
 おばさんはCさんと言い、車にカヤック(ノースショアデザインのショアライン)と生活道具を詰め込んで全国の灯台がある岬を単身漕ぎまわっている強者、言い換えれば変わり者で、見た目は白髪だけど気はかなり若そうで実際年齢不肖なおばさまである。若い頃は沖縄にもいたといい、 30 年前の西表島の話などをしてくれた。  
「あなたみたいな人・・・どっかで見たことあるんだよね・・・」  
「いや、だから 3 月に西伊豆で会ったんですよ」  
「違うの、もっと前に確か・・・同じように銛もってカヤックで旅している男の子がいたのよね・・・」
 ん?カヤックで銛もって旅している奴なんて、俺以外にもいるのか?と、興味深々で聞いていると、Cさんは思い出したようで急に大きな声で  
「わかった。鹿児島だ。鹿児島の野元さんのところで沖縄から奄美までのツアーがあったんだけど、そこで会ったんだ。エーと、名前は確か・・・」
 僕もピンときた。  
「あーそれ八幡さんですよ」  
「あ、そうそう、思い出した!」
 八幡さんは沖縄から鹿児島、熊本まで漕いだ時、鹿児島のアウトフィッター「鹿児島カヤックス」の野元さんのツアーと合流していたと聞いた事があったので、その時にツアー客だったCさんと会ったのだろう。確かに八幡さんは僕よりもカヤックで旅をしながら素潜り漁をしている人だ。
 しっかし、カヤックやっている人間のあいだと言うのは、極めて狭い物だと痛感する。
  11 時過ぎくらいまで話をしたところで僕が眠くなってしまい、Cさんは明日、早朝から原付で島内観光に出るのでいないと言うので一応分かれの挨拶をし、就寝した。
 旅先で出会う『出逢い』というのは、どうも因果律が高めらしい。Cさんとはこの後も顔を何回かあわせることとなる・・・。
 

 

 

秘密基地だらけの東国賀

 
 翌日は 16 50 分のフェリーで浦郷を出て七類港に戻る予定だった。
 早朝、テントから出た僕は潜り道具とカヤック以外はすべて片付けてバックパックにパッキングしてしまい、堤防のスミのほうに隠しておいた。天気は昨日までと違いやや曇り空だったので作業はやりやすかった。
 初日から国賀海岸でばかり遊んでいた僕は、やはりどうしても他の場所も気になっていた。特に本来キャンプ場がある耳浦は気になる所で、そこまで行って引き返してくるというコースを取り、 9 時半に出発した。国賀海岸と共に景勝地として知られる、しかし船でしかいけない東国賀も見れるのでコースとしては面白いはずだ。
 最初、高崎鼻まではダイナミックではあるのだが単調な景色が続き、逆潮だったためつまらなく、淡々と漕いで行く。
 しかしこの岬を回ると潮は追い潮になり、周りの景色もまるでケーキを包丁で切ったような、本当に山が半分削り取られたようなムチャクチャな地形が続き面白い。
 途中、船の上から棒を海中に突き刺してサザエを挟んだり引っ掛けて獲る「覗突き漁」をやっている漁師と会う。あいにく一生懸命に海中をのぞいているので静かに通り過ぎる。  
 隠岐諸島は面白い事に、このような船の上から覗突きでサザエや鮑を獲る漁師もいれば、ウエットスーツを着て素潜りで貝を採る漁師、海士、海女もいる。通常、各地方では周辺漁協などと同じような共通の漁法で水産物を採るのだが、たとえば佐渡島ではみんな船の上から覗突きでサザエ、鮑を採るが千葉や伊豆では潜って採っている。隠岐では人によって違うみたいだ。大概は潜る方が効率がいいので 2 つの漁を選ぶとすれば潜る方を漁師は選択するわけで、この漁法の多種性はおもしろい。今度行った時は漁師に話しかけてみよう。
 いい気分で漕いでいるとすぐに耳浦に着いてしまった。
 入江の中に入っていくとキャンプ場らしき施設が見え、海岸の中央に人が立っているのがかなり遠くからでも確認できた。
 砂浜に上陸すると同時にあいさつがとんできた。  
「どこからきたんだ?」という言葉から話が始まり、「まぁ、ゆっくり休んでいけばいいよ」とキャンプ場を案内される。どうやらここの管理人の人らしい。でも今日ここで宿泊するつもりはないのでその趣旨を話すと「関係ない関係ない。トイレでもシャワーでも自由に使いなさい」という。  シャワーまで!水のシャワーとはいえ、これには感動。さらに事務所に行き管理人さんと世間話をしていると、のどが渇いたので自動販売機はないかと訪ねる。西ノ島のパンフレットには自動販売機有とあったのだが、それらしき物が見当たらない。  
「あー、去年台風でいかれちまってよ、今年からねぇンだヨ。わるいなー、おじさんのでよければ飲むか?」
 そう言って事務所の冷蔵庫からポカリスエットを出して、僕にくれた。財布に手を出すと金なんてイラねえよという。
 な、なんていい人なんだ!金払ってもこの管理人さんがいるキャンプ場なら是非泊りたいと思いましたね!皆さん、ここのキャンプ場はオススメです!
 実際、耳浦の海岸は地元の女の子が 2 人海水浴に来ていただけで、とても静かだった。ここはすぐに発ち、東国賀の磯のどこかでも潜ろうと考えていたが、あまりにもきれいな砂浜のビーチにとりあえず潜ってみる事に。
 ここが予想以上に面白い。砂地にはキスが群れとなって泳いでおり、側にある岩にはホンダワラが繁茂しチャリコ(マダイの幼魚)がヒラヒラと優雅に泳いでいる。思いのほかこのミクロの魚の観察が面白く、ウエットスーツを着て本格的に潜る事にした。
 砂地には何かが這いずりまわった跡がある。これの終着地に手を乗せるといきなり砂煙が舞い上がり何かが飛び出した。
 シタビラメだ。あたりにたくさん這った跡がある。最初はほとんど見分けられなかったシタビラメの有無もじきにわかるようになり、手づかみでヒラメをおさえたりして遊ぶ。他にも砂地にはシロギスやネズッポ、バイなどがいて面白い。ガラモ場に行くとチャリコやカワハギの幼魚、アジの群れなどがいてかわいい。
 大型水槽に水草をいっぱい入れて小さい魚を飼うと妙に本当に水の中にいるような錯覚になるが、まさにそれを地でやっているのだ。大型魚ばかり狙っていると気付かない面白さがあった。
 沖に出るとかなり深くなり、底まで行って待っているとアイゴの群れに交じってカンパチやヒラマサの幼魚がやって来た。日本海とはいえ、対馬海流の影響か暖流系のカンパチまでいるとは驚きだ。この時はさすがに銛を持ってくればよかったと後悔した。
 何枚か写真を撮り陸に上がると、何だかすごい満足してしまって、もう今日は潜らなくていいやという気分になった。どうせ魚突いてもしょうがないし。シャワーを浴びてウエットが乾く間、ジャリ浜の上で日光浴をする。

 
 

 

 
 本当にのんびりした所だ。かなり気に入る。
 時間も無いので 12 時半に出発。しかしここの海岸がまたいけなかった。
 行きはけっこう沖目を通ったので帰りは沿岸ギリギリを漕いで行く事にした。するとこの海岸のなんと洞窟、トンネルの多いことか!  少しでも先に明かりが見える場所は少し不安でもカヤックごと通り抜けて遊んだ。まっすぐに進む事ができず、クネクネと岩の間をすり抜けながら漕いで行く。中途半端な磯ではなく、かなりダイナミックな岩場なので迫力が違う。海の色も清々しく青で、なんとも気持ちがいい。
 ある場所は洞窟かと思って入っていったら吹き抜けになっており、上空からは日光が差し込んで青の洞窟のように海の色を青く染めていた。中はけっこう広く、まるで秘密基地だ。  
「こういう所に来れるのは、まさにカヤッカーの特権だよな~」
 ニヤニヤしながら自分のおかれている情景を楽しむ。究極の一人遊び。
 大満足で東国賀を出るが、深浦のあたりで風が強くなり逆風の中外浜まで漕いで行く。楽あれば苦ありだ。夏の日本海とは思えない波の中、何とか浜に上陸すると 1 40 分にもなっていた。

 カヤックをばらし、完全に乾くまでの間、NOAHのナカオさんに別れと感謝の挨拶をしに行く。ところがちょうど今日出張で島を出ているとのこと。事務の人によろしくとお願いし、外浜に戻る。  ちょっとやばい時間になってきた。急いでカヤックをパッキングしていると原付に乗ったCさんがやって来た。  
「バスの時間大丈夫?港まで送ろうか?」
 願ってもないことだ。俺は運がいいと思ったね。
  15 39 分のバスに乗ればフェリーには間に合うと思っていたが、これはどうも間に合うかわからなくなっており、案の定パッキングが終わったのは 16 5 分になっていた。Cさんの車に僕の荷物を詰め込み、浦郷港まで行ってもらった。  
「でも、こんな重い荷物持ってよく旅するよね~。女の私にはまずムリだよ」
 一人で車に住みながら旅している人にそんなこと言われたくはないが、確かにファルトボートに潜り道具、 8kg のウエイトを腰に巻いてキャンプ道具を背負って旅をするスタイルは自由な発想云々ではなく、体力の有無云々である。ゆっくりとしか移動できないしとっさの移動もできない。身軽でない。つまり自由でない。それは旅人としてすごい不完全なような気がしてならない。
 でもカヤックに乗ってしまえばこっちのものだ。ただ漕ぐだけの人にくらえれば、僕は数倍も海で遊ぶ事ができる。海上も海中も陸も見ることができる。
  BAJAUTRIP 開設時に TOP ページに画いたイラストはまさに今の僕だ。海で自由でいられるなら、陸の上では多少苦労はしてやるぜ。それが僕のやり方だから仕方がない。
 でも若いうちだけだね。ファルトかついできままに旅なんかできるのは。精神的にも肉体的にも。
  16 50 分のフェリーで予定通り浦郷をあとにした。 C さんはこの後北海道に行き、僕と入れ違いで新谷さんの知床 EXPEDITION に参加するようだ。
 船の中でシャワーを浴び、ひさびさに石けんで体を洗ってサッパリする。そして潮風に当たりながらビールを飲んでいると七類港に着く頃には静かに夕日が沈んで行くのが見えた。
 帰りの七類港から境港に行くバスでは荷物超過料金は取られなかった。やはり会社の規定というよりは運転手さんの独断による判断なのだろう。いい運転手でよかった。
 この夜も境港駅近くの緑地でビバークし、翌日早朝の電車で高知へと僕は向かうのだった。
 

 

 

 今回の旅の中ではかなり異質なフィールドでのカヤッキングだったが、正直あそこまで隠岐諸島が面白いとは思わなかった。ダイナミックな地形や豊かな海などの自然もいいが、なにより出会った地元の人がものすごく感じがよかった。
 関西や中国から遊びに来ている観光客の人達もとても隠岐が好きな感じがしたし、毎年来てるんだと自慢するおじさんもいた。浜辺で一人でキャンプをしている僕にも不気味がらずに気さくに話し掛けてくれる地元のおじさんたちも嬉しかった。
 島の文化があり、子供がしっかり育っており、観光に頼らなくても漁業で生活していける隠岐の人達はとてもいきいきしている。
 たった 3 日間だったが、隠岐にこれてよかった。
 次も来よう。今度は島前一週、及び島後まで漕いじゃおうかな・・・。