第二章 沖縄本島中途半端縦断

沖縄県 沖縄本島

2005年6月22日~30日

 

雨男の受難は慶良間も続く・・・

 
 622日、早朝。那覇新港にたどり着いた。
 宿の予約をしていたが、9時になるまで送迎には出られないというのでその時間まで本を読んで時間を潰す。
 ちょうど読み終わった頃、送迎の確認の電話があった。
 那覇ではいつも「とまりや」さんを使っている。
 泊港の近くにある宿屋で、那覇で一番卑猥な店が建ち並ぶところにあるのだが、港に近いのがいい。
 国際通りの近くは沖縄観光の最初のうちはいいのだが、馴れてくると騒がしすぎる。那覇は結構いいドミトリーが多いのだけど学生の学祭のような仲間内の手作り感覚な店が多く、気が会う奴がいればいいが一見さんは気まずい思いをしてしまう所も多い。店の中も手作りだけあって粗末だったり、自己満足だったり、不潔だったりする。何よりヘルパーの兄さん、姉さんと常連客がべったりしすぎて勝手に楽しくやっている店もあり、「本当にこれは客商売をやっているのか??」と疑う場所も多い。
 その点、「とまりや」はそういうことがなく、値段の割には気に入っている(ちなみに11500円)。
 送迎車に乗って宿のある前島に行く。チェックインを済まし、町をぶらぶらする。
 昼過ぎ、同じ前島にある「沖縄カヤックセンター」に立ち寄った。
 いつもパドルを買うという名目で訪ねつつも、その決断に苛まされておばさんとのお話で終わってしまうのだが今回は真剣に買う覚悟でやってきた。
 計画では那覇から漕いで辺土岬を越え、海峡横断して与論島に向かう・・・という予定だった。沖縄一周はさすがに諦めたのだが、どちらにしろそのためパドルを一本しか持っていない僕はスペアパドルが欲しかった。
 出発前にデジカメを壊してしまい、ただでさえ金がない状況だったが、背に腹は変えられないとやっぱり買うことにしたのだ。どうせ買うならグリーンランドタイプが欲しいが、安くすむのなら普通のプラスチックパドルでいいぞ、とも思っていた。
 「あら・・・どっかで見たことある顔だねぇ~」
 久しぶりの訪問、一度もツアーに参加したこともないが、用はなくとも再三顔は出していたので覚えていてくれたようだ。パドルの購入について言うと、中古パドルに関してはガイドの池上さんに聞かないとわからないとのことなので、また来られるのならその時にしなさい・・・との事だった。
 仕方なくまた来る事にしたが、それからしばらく西表島の話や沖縄での話し、ちょうどショップに発売されたばかりで読んでいなかったBEPALの増刊号「b*p」があったので、その話などしていたら随分と長居してしまった。
 この日は別のカヤックショップ、「漕店」にも寄る予定だったのだ。
 沖縄の後に行く奄美大島で行われる「奄美加計呂麻シーカヤックマラソン」に出場する為、この出場者カードを実家から漕店に送ってもらっていたので、その受け取りがあったのである。
 早速、漕店の大城さんに電話すると、ちょうど店を出たところだという。
 ガーン!!
 もっと早く連絡を取っておくべきだった。また後日伺いますという事で電話を切った。
 この日は買い物や調べ物などをし、人と連絡などとっていたら眠くなって寝てしまった。

 翌日、僕は慶良間に向かった。
 前回ケラマに来た時は天気が悪く、巷で見かける慶良間の海の写真とはまったく違う景色しか見ていなかった僕はどうしても今回リベンジしたかったのである。
 ところが13時出発の阿嘉島経由、座間味島行きの「フェリーざまみ」に乗ると、最初のうちは晴れていたものの海は大時化、阿嘉島に着いた頃にはどんよりと曇ってきた。
 「俺は雨男かもしれない・・・ケラマに限っては・・・」
 慶良間ではキャンプ道具は持ってこず、カヤックと潜り道具だけ持ってきていた。民宿で一泊だけする予定だったので阿嘉島で降りてカヤックを漕ぎ、座間味島の民宿に泊まって翌日はシュノーケリングでもして帰ろうと企んでいた。
 ところが阿嘉島から座間味に行くのは無理ではないが、しんどそうだった。天気が悪いからカヤックも乾きそうもない。
 臆病風が耳元を通り、「やめろ~やめちまえ~」と囁く。
 結局僕はそのまま座間味島までフェリーを乗っていってしまった。純粋無垢なシーカヤッカーでない僕は別に漕げなくても潜れればいいのだ。潜れば十分楽しいのだ。根性無とか、計画倒し野朗とか、罵るのはよしてもらいたい!っと、自分に言い訳しつつ、コソコソと座間味の港に下りたのだった。
 阿真にある宿に荷物を下ろし、歩いて古座間味ビーチまで潜り道具を持って行く。
 20分くらいで浜が見えてきた。浜に出くわしたところで怪しい親父たちがなにやらやっている。その一人と目があった。沖縄カヤックセンターの仲村さんだ。
 「今から、魚突きですか?」
 ドキッとした。
 なんで俺が魚突きやっているの知っているんだ!?でも今回はカメラしか持っていなく、長物は持っていなかった。もちろん仲村さんは俺の事は知らない。どうやらただ単純に「地元の人」に見えたようだ。
 お留守番をしている奥さんにサバニレースの練習で仲村は座間味にいるから会えるかもしれないね・・・と聞いていたのでいるのは知っていたが、まさかこんなすぐに出くわすとは。挨拶を軽くして海に向かう。なんでもサバニの帆が折れてしまいその修理に向かうところだったのだそうだ。
 座間味はその3日後に座間味島から沖縄本島宜野湾までの「サバニレース」が行われる為、港から港湾内までサバニに埋め尽くされていた。スイスの時計メーカー、オメガがメインスポンサーのこのレースは年々規模が大きくなっており、メディアの世界でも取り上げられる事が多い。今回も多くの取材があるようだった。
 港に置いてある様々なサバニは近代の海人が使うFRP製のものではなく、しっかりと杉材で作られた木目の美しい帆船だ。各チーム、本番前にしてその手入れに余念がない。地元高校生も港の中で練習していた。
 珊瑚礁の沖縄の海では遠浅で根が急に出た場所があったりするため、海人はサバニの舳先に立ち、長い棒でエンジンを操作し、障害物を見ながら走って行く。その腕組して風を切って進むサバニと海人は石西礁湖でカヤックから見ているととてもかっこよく見えた。
 沖縄の海とサバニ。このビジュアルの相性は最高で、実に惚れ惚れしい。
 話がちょっとずれてしまった。
 古座間味ビーチの海は砂地の上に根が時々「ボンボン」とある感じで面白みには欠けるが、海水浴場としてはかなりの透明度とサンゴや魚が確認できた。ケラマの海はやはりクマノミが多い。そしてタマンも多い。意外に小さいがアーラミーバイやアカジンも見ることができ、なかなか面白かった。
 2時間ほど潜った後、再び歩いて座間味の集落により、105マートでビールとポテチを買い堤防で飲んでから阿真に帰った。
 夜は阿真のビーチで久しぶりに歌いながら三線を弾いていたが、途中で風が強くなり、終いに雨まで降ってきやがった。ヘタクソはやめろ・・・!と、座間味の海が言っているかのようだ。ヘィヘィと納得し、宿に戻って置いてあった野田知佑の「日本の川を旅する」を読んでふて寝する。
 翌日も性懲りもなく古座間味ビーチに行って潜る。昨日は夕方に行ったので気付かなかったが、どうやら遊泳区間というものが決まっているらしく、そこから外にはでてはいけないという、典型的な清く正しい海水浴場のルールが決まっており、「つまらん」といいつつも律儀にその区間で潜っていた。
 理由はその区間でも十分楽しかったということもあるが、水着のお姉さんたちがたくさんいたということに他ならない。さすが沖縄本島近くの離島、観光地の海だけあって水着も派手なギャルが多い!不思議系少女ばかりの西表とは違うぜ!!
 冗談はさておいて、やはり面白いところで潜るならカヤックで行かないとダメだな・・・と悟った次第である。陸からエントリーできる場所はやはり限度がある。ダイビング船などが行くような場所にカヤックならいけるのだ。これを知ってしまうとどうしても海水浴場で我慢するには限界があるようだ。
 昼過ぎに座間味島を後にする。
 

F君との再会

 
 那覇に戻るとその足で奧武山公園の隣にある「漕店」にむかった。結局僕とは会えそうもないので、店のポストに入れておくからかってに取りに来いということになった。無事出場者カードを手に入れ、途中にあったラーメン屋で沖縄なのに何故か札幌ラーメンなど食べる。
 なんだか那覇にきてからラーメンばかり食べている。沖縄なのだから沖縄そばでも食べればいいじゃないかとお思いだろうが、那覇で沖縄そばを食うなら僕はラーメンの方がいい。那覇のラーメン屋は量が多くて美味いのだ。でもソバは観光客向けなので高くて少ない。ソバは八重山で食べることにしているのである。
 まぁそんな事はどうでもいい、人の好みだ。
 モノレールで美栄橋駅に着くとバケツをひっくり返したような大雨になった。しばらく止むのをまったがいっこうにその気配がないので走って宿まで帰る。おかげでズブ濡れだ。その状態でシャワーがあくまで1時間待つ事に。あったかい沖縄でよかった・・・!
 翌日、午後に琉球大学の大学院生であるF君と合流する約束があったので午前中のうちに沖縄カヤックセンターによってパドルを買わなければならなかった。
 荷物をパッキングしていたら大城さんから電話があり、ポストの中身がなくなっていたからしっかり受け取ったかという事だった。どこにいるか?ということで泊にいると言うと、大城さんも今から座間味に行くところだという。
 走って泊港に向かうと、遠くからでも一目でわかるようなド派手なアロハを着たサングラスのあやしいオヤジが2人確認できた。大城さんとライターの堀田貴之さんだ。
 「やっと会えたな~、このやろう」
 大城さんとは2年前に西表島半周の際にお世話になったこともあるが、つい最近横浜であって以来だった。毎回「呑もう、呑もう」と言っているのだが、いつもタイミングが悪く今回も無理そうだ。堀田さんは西表島にいるときから噂は聞いていたが初対面だった。与論島まで漕いでいくと言うと、
 「大丈夫、大丈夫、与論島なんてあんな感じでしっかり見えるから!」
 そう言って後ろにそびえる「とまりん」のビルを指差して笑った。
 んー・・・噂どおりの法螺吹き男爵だ・・・。
 2人はサバニレースのため、フェリーに乗って座間味に向かっていった。
 急いでその足で沖縄カヤックセンターに寄る。
 池上さんはまたいなかったが、パドルを置いてもらっていた。正直イケテないパドルだった…。
 「せっかくパドル買うのなら、そういうのはやめて新しいの買ったほうがいいと思うよ」
 奥さんもそういうし、僕の中でももうグリーンランドパドルがほしくなっていたので思い切ってニンバスのグリーンランドパドルを買うことにした。本当はフェザークラフトのクラトワが欲しかったのだが、経済的諸事情によりそれはかなわぬ夢だった。
 奥さんは大変喜んで在庫の5本を持ってきてくれた。もう日本でこの5本しかないという。一本一本、手作りなので長さは同じでも太さや重さが違う。グリップの感じも違う。5本の中から、1時間ほどあれやこれやと試した末、これだ!という一本を選んだ。
 ついにこれで俺もグリーンランドパドラーだ。アンフェザーだ。カヤックを買ったときのように妙な感動がある。カヤック以上に体に馴染ませる必要がある道具である以上、仕方がないことだ。
 パドルが決まって喜んでいたら、今から用ができたから留守番お願いね!と言われて言われるまま店番をする事に。
 フリーマガジンなど読んでいると見たことある人が訪ねてきた。ホーボージュンさんとカメラマンの人で、この人達も明日からのサバニレースに出ると言う。しかもジュンさんはアラスカからの帰りだというからすごい行動力だ。さすがアウトドアライター!
 なんだか妙にアウトドア業界の有名人に会う日だなーと思っていると奥さんも帰ってきて無事開放された。奥さん、ジュンさんたちはそのまま車で泊港に向かい、僕は歩いて宿に戻る。
 泊港の北岸で久しぶりにF君と会う。彼とは4年位前に佐渡島で会ったのが最後だが、何だか妙な縁もあって今回沖縄でのサポートをしてくれることになったのだ。
 4年も会ってないのだから、すぐにわかるだろうか・・・?と思っていたのだが、とんだ考えすぎで、車の中にいたのにもかかわらず「あ、こいつだ」とすぐにわかった。
 ぜぇんぜぇん変わってない。ここまで人の外見は変わらないものだろうか?と問いたいくらいだ。
 とりあえず行きたい所はありますか?というので琉球大学を案内してもらう。
 僕は高校生の頃、第一志望の大学は琉球大で、マングローブ林の生態系と海洋への影響を研究したかったのである。一身上の都合でそれは出来ず、東京水産に入ったのだが、そのため琉球大学がどんなものか興味があった。
 案内された琉球大だったが、予想に反してしょぼかった・・・。なんと言うか、活気がない・・・。F君の研究室を少し拝見し、図書館の本を物色し、早々に退散した。
 つづいて海が見たいのでF君が「カヤック出すんなら、ここがいいんじゃないですか?」というその場所に行ってみる。宜野湾コンベンションセンターの前浜は静かでなかなかいい感じだった。ここにしよう、ということで出発地点は決まった。
 時間もいい感じになってきたのでF君行きつけの食堂に行く。彼は肉そば大盛りとライス、僕はトーフチャンプルー定食530円を頼む。
 びびった。量が多いのだ。多いというより多過ぎる。とても御飯一杯では食べきれないのでおかわりする。そのおかわりの御飯の量も多いことよ・・・!食べ終わった頃には胃が溢れそうになっていた。支払いの時に気付いたのだが、おかわりの分は無料!530円でこれだけ食えるとは・・・!!さすがウチナンチュの心意気はすごい。ちなみにF君は肉そば大盛りにライス付けても腹八分並の余裕だった。
 あまりの満腹感に、その後F君の家に行ってもビールが飲めず、腹をさすりながらテレビでやっていた「海猿」を見ていたら2人とも寝てしまった。爬虫類の研究をしているF君の家は部屋中に亀の水槽があり、昔よく通った熱帯魚屋の匂いがした・・・。

 
沖縄本島縦断
1日目

宜野湾コンベンションセンター→読谷漁港

 
 さーて、いよいよカヤックの旅の話を書くことが出来る・・・。
  626日。前日まで続いた不安定な天気は収まり、いよいよ本格的に梅雨が明け、南からの季節風カーチベーがやってくる時期になってきたようだ。天気はイイ。
  9時に出発予定地の宜野湾コンベンションセンターの前浜に付き、F君に手伝ってもらいながらカヤックを組み立て、荷物をパッキングしていく。今回の荷物の量は今までに体験した事がない量なので、正直全部カヤックに収まるか疑問だったが、やってみると何とかなるもので心配していた三線のパッキングも予想通りに上手くいき、ヒーヒー言って運んでいた荷物全てを収める事が出来た。
 目の前のテトラポットの上から外人のおっさんが服を着たままバクテンして飛び込んでいる。パッキングしている時から気になっていたが無気味だ。そのオヤジを警戒しつつ、F君に記念写真を撮ってもらい、いざ出発となった。

 

 
 午前 11時過ぎ出発。強い南風にあおられ、スイスイとカヤックは進む。慣れないアンフェザーでのパドリングであったが、それほど支障もない。みるみるうちにF君は見えなくなり、コンベンションセンターの堤防も見えなくなってきた。 北谷までは真後ろからの風に吹かれて漕がなくても進んで行く感じであったが、北谷沖くらいからリーフエッジでサーフができ、それがえらくウザイ。はっきりとしたリーフエッジがないため、沖に出てもブーマー(隠れ根によって突然起きるサーフ波)が頻繁に出現し、なかなか予断を許さないのだ。 「これ呑まれたらやばいな~」というサーフの隙間をぬうようにして漕ぎ進む。
  2時間ほど漕ぐと、まだ体がカヤックになれていないせいか、もしくは慣れないアンフェザーのせいか、妙に体がだるい。 あまりにも疲れるので途中、トリイ通信施設の前にある海岸に上陸した。
 それまで他の海岸にはやたらと人がいたのに、ここは人が少ない。上陸して体を伸ばし、体操をしながら回りを見ると、どうも日本人がいない。みんな白人さんなのである。どうやらここは米軍の施設の中みたいである。小便してイソイソと立ち去る。
 読谷村に近づいてきたので、よくテレビのニュースで見る「象のおり」が見えてきた。不謹慎かもしれないが海から見るとゴルフの打ちっぱなしの練習場とあまり変わらない。そんな事を考えていたら再び天気が悪くなり、出発した宜野湾あたりはなんだか物凄くどす黒い雲に覆われている。 
「これはこっちに来るなー」
 そう思いながら上陸地点を探すがなかなかいい場所がない。
 目の前に漁港が見えたのでそれを沖からかわし、リーフが切れた場所からリーフの中に入り砂浜に上陸する。
 港のテトラポットが乱立する沖を漕いでいる時から猛烈に風が強くなり、「これはやばいぞ!」と思っているとやはりすさまじい勢いでスコールが振り出した。あまりの雨に前後の視界がまったくなくなる。上陸したのはナイス判断であった。
 アダンに覆われた隆起サンゴ岩が波浪によってえぐれたサーフノッチの中で雨が止むのを待つが、一向にやむ気配がない。
 パラパラ程度になった時、周辺を探索するとそこが読谷漁協のある場所だとわかった。ここは定置網にジンベエザメを入れておき、ダイバーに見せるという事をやっているのだ。港には大量のタンクが置いてある。さらに探索すると、僕が上陸したビーチの隣には有名な高橋歩が「島プロジェクト」でやっている「ビーチロックハウス」があることがわかった。 
 缶コーヒーを飲んで雨がやむのを待っているとなんとか雲が晴れ、太陽がのぞくようになってきた。 出発しようと思ってカヤックを水に浮かべるまでは良かったが、ここである失敗に気付いた。
 閉じ込められたのだ。
 引っ張っていけば何とかなるだろうと思っていたが、たびたびカヤックの底がサンゴに擦れる。これはかなわんと諦め、今日はここでビバークする事にした。
 偶然にしてはできすぎている感じもするが、たまたま上陸した浜の近くにあるということで、ビーチロックハウスのお世話になることにした。何気に僕は高橋歩の本、好きだったりするので・・・。
 ビーチロックハウスは正直言って泊まる場所としてはあまりよくない。建物自体はバーになっており、物凄く雰囲気はいいのだが、宿泊客以外の地元の人達も遊びに来る。その為、誰が宿泊客なのか、旅人なのか、働いている奴なのか良くわからん。妙にみんな仲が良いな~と思っていたのだが、こんな理由だったのだ。
 そして泊まる場所もよくない。僕はドミに泊まったが、隣にある掘っ立て小屋みたいなところにベッドがあり、暑いし、蚊は多いしで最悪だった。隣にテント村といって常設のテントがあるのだが、あれなら自分のテントを晴らしてもらった方がよほど清潔だ。 それでドミ 12000円。ちょっと納得いかない宿だ。高橋歩という名前がなかったらまず泊まらないだろう。少し後悔する。
 バーの二階にあるテラスでハイネケンなど飲んでいるとここのスタッフらしき女の子が来たので少し話をする。本業は保母さんらしいが一年間自由に休める制度があるという変わった保育園で、ここで働くのはまだ一ヶ月未満だという。みんなボランティアスタッフらしく、給料は出ないが飲み食いタダで彼女はテント村で暮らしているとか・・・。かわいい子だったのでテントで生活しているというギャップが面白かった。
 正直、沖縄の自然に憧れて沖縄にやってきた僕には、一般の町の楽しみしか知らない若者が何を求めて沖縄に来るのかわからない部分がある。それはなんとなくわかりつつあることなのだが、無給で時間を潰してテント暮らしまでしてここで働く意味は僕には理解できないものがある。同じ世代でありながら不思議だ。すごく似た価値観である気もするのだけど、何を第一に捉えているか?
 いやはや、人のことは言えないぞ・・・!
 
注※:ビーチロックハウスは 2005101日をもって閉店したらしい
 

2日目

読谷→残波岬→仲泊→万座毛→名護

 
 翌朝、思いのほか寒く、寒さで目が覚める。荷物をまとめ、チェックアウトして宿を後にする。
 去り際、海に下りる階段を下りていくと、女の子のスタッフが不思議そうに「海で遊んでからいくのですか?」と聞くので「海から来たんだよ」という。 
「エエーッ!!」
 意外なまでに興奮され、なにで、どうやって、どこから来たのかと立て続けに質問された。 
「すごぉーい!すごいですよ!あー私もそんな旅がしたいですぅ!」
 そう興奮して眼を少女漫画の女の子のようにキラキラさせて女の子は僕に握手を求めてきた。んー高橋歩の本を読んでいるだけあって情熱的な子が多いのね、ここ。そう思いつつも嬉しく、カヤックがある場所まで手を振って送ってくれたのは何だが悪い気はしなかった。
 
 マックスバリューで買った握り飯を食べ、 840分、出発。 岬を回るので最初からリーフの外に出て漕ぐ。 いきなり目の前でナブラが起きた。飛び回るミジュンらしき小魚に下からでかい魚が何回か突き上げている。出発そうそう景気がいい。
 今日は昨日漕げなかった分、ひたすら距離を稼ぎたかった。できることなら今日中に名護まで行ってしまいたい。そういう思いからパドルを慣れているコーモラントにうつし、フェザーリングで漕いでいく事にする。
 しばらくサーフの外側をなぞるように漕いでいくとかなり沖に出てしまっていた。だが前方には今回最大の難所であろう、残波岬が見える。岬をこえるときは通常、岸ベタで行くのがセオリーだがリーフが切れてサーフが立っていると厄介なので外から回ることにした。 
 案の定、うねりはあるものの、追い風に乗って船は順調に進み、残波岬の灯台が右手に見える頃には完全に追い波、追い風になった。岬の沖にある根を回るようにして岬の裏側に行こうとすると滑らかだった海面は、潮がぶつかり複雑な流れになって三角波をつくりだした。途中まで余裕だなと思っていた僕はここでイッキに焦り、「やばいやばい」と必死になって漕ぐ。
 なんとかその乱潮帯を越えると、潮が驚くほどのベタ凪へと変わった。完全に岬が風を遮り、鏡のような水面になっている。豆粒のように見える岬の釣師が手を振っている。無事に岬をこえ、嬉しくて自然に手を振っていた。
 この残波岬を回ってからしばらくは非常に素晴らしい海岸線が続いた。 途中、岩と岩の間にある小さな入江に上陸すると昔の人が使っていたのか、海人が使うためのものなのか、岬から染み出す水をためる水槽があり、そこから滝のように水が流れ出ていた。 
「ウォー!!キモチいいーッ!!!」
 太陽にやられ、体じゅう潮だらけのカヤッカーには最高のシャワーだ。全身にかぶり、クールダウンして再び出発する。

 

 残波岬をすぎてから、それまで人工物が目立つ景色だったのが沖縄らしい海岸の景色に変わりつつあった。遠浅のエメラルドグリーンの海がつづく。海人が残した小型定置網の柱の間を通り、たまにいる潜り漁をしている海人の様子を見ながら先へ進む。自分の考えていた通りの沖縄の海岸のツーリングがつづき、気分は上々、かなり楽しい。
 ところが真栄田岬を越えた辺りから風も向かい風になり、なんだか気分も低迷してきた。パドリングに飽きてきたこともあるが、真栄田岬のあまりにも多いダイバーやシュノーケリングの客、そしてリゾートホテルの前を通る度にジェットスキーが気にさわった。 真栄田岬など、観光パンフレットなんかで見るとすごい綺麗で楽しそうだが、カヤックで沖から見ると、ナントも人だらけ、船だらけでやるせなくなる。
 リゾートホテル前のバナナボートを引っ張っているジェットスキーも怖くてしょうがなかった。 面白い、面白くないは別にして、僕はジェットスキーが嫌いだ。素潜り仲間の間でも「ハエ」と呼んでいる。
 そろそろ休みたいなーと思っていたら目の前にカヤックが見えた。ダイバーやジェットスキーをやっている連中を見た後なので妙な仲間意識が働き、彼らが上陸した仲泊に上陸。案の定、船を上げていると彼らもやってきて少し話をする。なんでも先日までのサバニレースにも出た地元カヤックのアウトフィッターらしい。本島一周かと聞かれたが本部か与論までと答える。ファルトを見るのは初めてらしく、ヘェーっと感心した後、お客さんがいるといって商店の場所を教えてくれ帰っていった。
 発泡酒と金ちゃんヌードルを買って昼食。よほどアスリートの行動食ではない・・・。
 商店のオバァは清く正しい沖縄のオバァといった感じでよかった。
  1時間ほど休憩して 13時ちょうど出発。
 ムーンビーチホテルの前ではウィンドサーファーと出くわす。けっこう風があるのだが、この風の中、物凄いスピードで滑走し、セールを瞬時に持ち替えて方向転換したり、スピードを殺したりして、ナントもかっこよかった。風をつかまえて走るというスポーツはより自然との一体感があって面白そうだ。その技術体系が気になる。やっぱヨットかなー。
 だが、後半はほとんど景色を見るより、ただただ漕いでいたという感じになってきた。あまり景色が変わらない上に風が強くなり、カーチベーのはずなのに向かい風になることが多くなってきた。
 沖縄本島きっての景勝地、万座毛はカヤックで沖から見る分にはたいした事なかった。もっと近づきたかったが、風が強い上にけっこう多くの船が走り回っており仕方なくそのまま前進する。
 ひたすら北上し、 5万分の1の地形図が 3枚目の「名護」に移る頃、海中公園が見えてきた。ここで一度上陸したかったのだが潮が引いてサーフがたっていたので上手く上陸できる場所が見つからない。あたりは観光地で人だらけだというのに・・・! 仕方ないので海中公園の沖で風にあおられながら休憩。黒糖やらスニッカーズやらをバリバリ食べて水分も補給した。ここからはイッキに名護湾を縦断し、名護にある「名護ゲストハウス」の目の前まで漕いでいく。
  1630分、海峡横断開始。たった 6㎞だが、もう相当疲れていた。うねりは風でできるものなのでたいした事ないが、その分こまかく、追い波なのでバランスを崩しやすい。正面に見える名護の市街を眺めつつ、「そういえば、名護ゲスって、どのヘンだったっけか?」と、不吉な事を思いつつ前進。
  1733分、なんとか上陸。本日はここまでとなった。
 昨日漕げなかったからということもあるが、この日はだいぶ漕いだ。ヤレヤレといった感じで船を上げ、チェックインしてゲストハウス前のビーチにテントをはらしてもらう。ドミトリーなら一人 1500円だが、自前テントを張って施設利用料だけなら 500円ですむ。前回の沖縄旅行でここを利用し、今度は海から来てテント泊しようと考えていたのだ。
 シャワー浴びて飯喰って、一通りの事を済ましてからハンモックでブラブラしているとお客らしきケバいネーちゃん 2人が一緒に飲もうという。ここのヘルパーの男の子とここで寝泊りしている他のホテルで働いている兄さんも混ざって飲む。泡盛でない、久しぶりのバーボンが美味い!毎週ここで行われるジャンベ教室の音が聴こえてきて良いBGMだ。 ホテルに兄さんと西表島の話をしていると、隣でやっていたジャンベ教室が終わり、その習っている一人がファイヤーダンスをやるというので見に行く。
 そのファイヤーダンスはハワイアンが良くやっている棒のものではなく、ワイヤーにぶら下げた火の玉を回すもので、それまで見てきたファイヤーダンスの中で一番すごかった。なんだかもう、まさに曲芸という感じでこれなら金払ってもいいなーと思うほどだ。
 ファイヤーダンスは警察にやっているところが見つかるとけっこうまずいらしい。何しろ日本の法律では街頭でやってはいけない部類に入る曲芸のようなのだ。まさに命張っている曲芸だ。だから熱心な奴が多い。昔、浅草の隅田川で夜桜見物をしているとファイヤーダンスをやっている奴がいて、みんな珍しがって人だかりができていたが、それが終わると何を思ったのかそのダンサーが、「僕がこのダンスに込めた思いというのは・・・」などと語りだしてしまい、みんな蜘蛛の子を散らすように去っていったのが印象的だった。
 とりあえず、何が言いたいかと言うとファイヤーダンスは思った以上にすごいということが言いたいのです。はい。
 

3日目

名護停滞(観光)

 
 この日は一日遊ぼうと決めていたのでカヤックは漕がない事にしていた。だが実際この日は風が強く、なかなか海はイカツい感じになってはいた。
 午前中はゲストハウスにある海の見えるハンモックで揺ら揺らと過ごす。このゲストハウス周辺はよくグラビア撮影に使われるらしく、この日も隣のビーチでセーラー服を来た女の子の撮影が行われていた。ヤンジャンか何かだろう。前に来た時も数日前に松浦あやがきていて、このハンモックに揺られて撮影していたそうだ。
 まぁとくに意味はないんですが、そのくらい絵になる場所・・・ということです。
 
 バスに乗って市街に買出しに行って帰ってくると、一緒に泊っていたカマボコ屋のせがれ、I君が「いっしょにオリオンビール工場に行かないか?」と誘ってきた。僕は知らなかったのだが、オリオンビールの工場は名護にあるらしく、行けばタダでビールが飲めるというのだ。 
「行くしかないでしょ!!」
  2人で色々話をしながらビール工場に向かう。彼は自転車で沖縄を周っているのだがカヤックや人力移動に興味があるらしく、石川直樹のファンであるなど話していた。
 予想に反して片道 40分もかかった。汗だくになりながら受付の姉さんに挨拶し、工場見学をする。パパッと済まして試飲コーナーへ。
 愛想の良いお姉さま方が出迎えてくれてグラスにきめ細かな泡をつくりながらビールを注いでゆく。一人一杯とはちょっと足りないが、贅沢はいえん。I君と満面の笑みで乾杯する。 
「!!」
 チビチビ呑もうと思っていたのに思わず半分以上呑んでしまった。美味い!!! 
「やっぱビールは鮮度なんですよ、だからビール工場めぐりはやめられないんです♪」
 I君はそう言ってうまそうにビールを飲む。
 実際、この時のビールは最高に美味かった。鮮度ももちろんあるだろう。 40分、炎天下の中歩いて行った努力もあるだろう、沖縄の気候に適したつくりをしているオリオンビールだからということもあるのだろう、あらゆる要素が渾然一体となってまさにあの時の一杯は至極の一杯だった!
 大満足で工場を後にしたのはいいが、再び 40分ゲストハウスまで歩いて帰りついた頃にはアルコールはすっかり抜け、またまた缶ビールの栓を開けたくなってしまうのだった。

 

 その後は海に潜った。 目の前の海は激濁りで、かなり沖まで泳いでいかなければ海底も見れないほどだった。最初はそれでも我慢して潜っていたが、努力が報われないほど何もいないのでカヤックに乗り沖に出て潜る事にした。
 ここはかなりまともになったが、それでも濁りは効いている。しかも魚が妙にすれている。穴の中にいるアカマツカサさえ、一度銛を打ち込むと穴から出てこなくなった。普通はこの魚、アホみたいにこっちをにらみ続けるくらいなのだが・・・。八重山と沖縄本島の違いをまざまざと見た気がした。
 もちろんそんなだからアカジンとかタマンとかも見たが獲れる訳もなく、ボーズで帰ることに。ただ、ここで初めて僕は水中で泳ぐカーエー(ゴマアイゴ)の群を見ることができた。あれはいずれ突きたい魚だ。美味いし。帰りにスイジガイを見つけたので拾って持ち帰り、ヘルパーの女の子にあげた。
 ウエットスーツのままシャワーを浴び、サッパリする。
 今夜はたこ焼きをみんなでやるというので参加する。たこ焼きといってもタコはなく(こういう時こそ本来僕の出番なのだが・・・!)、ソーセージやチーズ、キムチなどを入れて変わりたこ焼きをして楽しんだ。けっこう味はいいが、タコ焼き器に油が馴染んでいなく、最初の内はみんなであーでもない、こーでもない、関西人、まかしたぁ…!といった感じでやっていたが、後半はコツを覚えてだんだん美味くなっていった。こういうのは楽しい。
 たこ焼きを焼いていたメンバー以外にもこの日は客が多く、ドミトリーのベットもほぼ満室といった感じだった。酒盛りが激しくなってきたので少し離れ、海岸で三線など弾いてすごす。
 遠くでディジュリドゥの音がするので近寄ると泊り客の一人の女の子だった。
 その子と民族楽器やたわいもない事を話していると、今度は宿の客ではない兄さんがやってきた。兄さんは名護が気に入り、最初は名護ゲスの客だったが今はアパートを借りて住んでいるようだ。だいぶフレンドリーに話し掛けられ、しばらく話をしたが、正直苦手なタイプで、どこで逃げようか悩みまくっていた。おかげで女の子はどっか行っちゃうし、勘弁してくれだ!
 潮風を浴びすぎたので再びシャワーを浴び、ビールを飲んでハンモックでブラブラしていると眠たくなり、 1時頃テントの中に潜りこんだ。
 呑んでいる賑やかさは気にならなかったが、一匹の蚊の襲来は気にせずにはいられなかった。
 

4日目

名護→本部

 
 だいぶ寝てしまった。起きたら 9時。だが、急ぐ日程でもないので午後からにでも出発しようと思う。今日はたった 10㎞先の本部まで行けばいいのである。
 この日が 629日。 72日からある奄美のシーカヤックマラソンに出るには与論に行っているヒマはないことがわかり、出発時から本部で沖縄の旅は終了しようと思っていた。本部からならそのままフェリーに乗って奄美にいけるからだ。
 午前中一杯は溜まった日記など書いてすごし、パッキングをし、いよいよ出発となったのは 13時をチョイ過ぎた頃だった。お世話になったヘルパーのターボーとクミちゃんに挨拶をする。ターボーと一部のお客さんはそのままウェイクボートに行き、クミちゃんは「また海から来てください!!」といって別れた。
 シーカヤックの旅と言うと、港や無人の浜でキャンプを「しなければならない」といったイメージを受けるが、僕はそんな事ないと思う。今回僕が泊った 2つのゲストハウスのように、海に面した場所にある宿ならどんどん使っていった方が面白いと思うのだ。海から来るというインパクトも面白いだろうし、海外のヨットハーバーのようにホテルと併設しているような施設が日本にもできれば海の遊びももっと面白くなると思う。ハングリーな精神だけがカヤッカーに求められるとは思わないからだ。
 出発間際に昨日の女の子と別の女の子と別れの挨拶をする。
 ここだけの話だが、その別の女の子と言うのがメチャクチャ僕の好みで、「今日はもうここには泊らないんですか??」と目を潤ませながら聞いてきたのはマジで「あー、出発したくネー!!」と出発をためらったほどだ。
 旅とは無情だ・・・!
 満潮だったので本部まではリーフの中を行く事にしたのだが、石灰の採掘場のあるあたりから気持ち悪いうねりがリーフの中にまで入ってきて非常にパドリングが面倒臭かった。ブーマーができないだけまだ全然気が楽だったけど。
 ところが採掘場を過ぎ、採掘場の港を通る頃からリーフが切れ、サーフが自分のすぐ横で崩れるような場所に出てちょっと焦りだした。距離が短いのでなんとかなったが、その後もサーファーがぷかぷか浮いている事からもわかるとおりサーフが立ち、危なっかしいのでサーフを突っ切って外に出る。
 それ以外は何の問題もない、たった 2時間ほどのパドリングで本部港のすぐ脇のビーチにたどり着いた。
 しばらく周辺をぶらついた後、テントを張って荷物をぶち込む。カヤックは浜から上げて堤防の上で一部分解して乾かす事に。
 ダイバーが妙に多い場所だなーと思ったら有名なダイビングポイントのゴリラチョップだと気付く。
 歩いて本部港を歩き、その先にある瀬底大橋に向かう。
 瀬底島につながるその大きな橋は真中まで来ると遠く伊江島から美海水族館、南は万座毛のあたりまで見ることができた。
 今回の沖縄本島の旅、あんまり漕いだ気はしなかったが、それでも宜野湾から本部まで、沖縄本島に自分のたどった線をひけるのは良かった。
 沖縄本島一周という当初の計画は果たせなかったが、むしろ那覇から本部まで漕いで、フェリーで奄美に行くと言うのはファルトならではの移動方法で、これはこれで旅としてはアリだろうと自分に納得させるのだった。そう、また沖縄本島は別の機会に一周すればいいのだ。次はもっと現地の海人と仲良くなるような旅をしたい。
 翌日、僕はフェリーに乗り次の目的地であり、初めての奄美大島に渡った。