カナダ・アラスカ旅行記
2004年9月1日~22日
ゴギッ!!
「あっ・・・」
自分の腰がずれた感触を感じながらその音を聞いた瞬間、僕は動きを止めてしまった。バスの運転手は何が起きたのかもわからずこちらを見たままだ。
「お客さん、どうしたの?早く出したいんだけど・・・」
「す、すいません・・・」
急いでつっかえたカヤックを放り上げ、バスの座席についた。
重さ25㎏のバックサックを背負い、30㎏のカヤックの入ったバックをカートで引っ張っていた僕は、自宅から歩いて3分ほどにあるバス停でバスにカヤックを積み込む際、いきなりぎっくり腰になってしまった。バスの中で出発5分にして最大のピンチと決断に苛まれた。脂汗がとまらない・・・。
「ど、どうする・・・このままカナダに出発しても腰は持つだろうか??い、いや、せっかくここまでこぎ付けたんだ、くたばってでも行くしかないだろ・・・。アー俺もこれでついにヘルニア持ちか・・・。」
京成電鉄の京成船橋から成田空港第2ターミナルに向かい、そこで海外旅行保険に22日分加入し、シアトルまでお世話になるノースウエスト航空の受付まで腰に気を使いながら急ぐ。
「お客様、次回からもっと早く来てください!!」
E-チケットだったのでチェックインは済ましていたので最初の海外旅行だと言うのにかなり余裕をこいていた僕は、いつもの国内旅行と同じようにギリギリになっての搭乗となった。僕のバカデカイ荷物をヒーヒー言いながらお姉さま方が運んでくれ、時間がないというのにしっかりカヤックの中身などもチェックされた。何かが引っ掛かったと思ったら、カヤックを修理する際のエポキシ樹脂だった。
そのまま急げ急げと、飛行機に案内され無事席に着く事が出来た。やれやれ。
2004年、日本の日付で9月1日。僕は初の海外旅行に出かけることになった。飛行機自体は国内旅行でかなり乗っているほうなので違和感はないが、外国人のアテンダントと成田空港という空間がかなり新鮮だった。
この出発の3日前、僕はある事実を知って急に胃を壊した。
それは、カナダからアラスカに行って、アラスカでは10日間ほどグレイシャーベイ国立公園でカヤッキングをする予定だったのだが、3日前になって初めて僕がアラスカに行く時期、ジュノーからグレイシャーベイのあるガステイバスまでのフェリーが無くなり、レンジャーステーションのあるロッジも閉まってしまうという事実を知ったのだ。
これを知った瞬間、急に胃がキリキリ痛み出し、自分の情報収集の甘さに呆れてしまった。
急いでアラスカ観光局や日本語で対応してくれる旅行会社に聞いてみても、現地に行ってみないとわからないと言う返事があり、ひょっとしたらアラスカではカヤックは出来ないかもしれないと、意気消沈するようなことばかりの情報が入ってきた。
そして出発間際のぎっくり腰。
前途は多難を極め、初めての海外旅行、しかも単独で、バカデカイ荷物を2つも持ち、英語はもちろん喋れないと言う、極めて不安要素の多い条件下で出発する羽目になってしまった・・・!!
「笑い話のネタばかり増えやがる・・・チクショウ!」
帰ってから報告するにはもってこいのネタばかりだが、当の本人の、その時の状況と言うのは不安で不安で、誰かにすがりつきたい気分だったが、これもさだめだ。ある意味自業自得だし・・・ということで僕の初海外旅行は始まっていくのだった。
ちなみに僕の英語力は極めてひどいレベルだ。中学生の時は英検4級を2回受けて2回とも落ちて諦め、大学受験ではセンターで100点いくかいってないかという馬鹿さ加減である。
①VANCOUVER
9時間のフライトは連日の疲れの為にほとんど寝ていた。腰痛は動かなければ何とかなるようなレベルだったので、逆に長時間座っていられたのは良かったかもしれない。国内線とは違ってビールが呑めたり機内食が出てくるのはなかなか面白かったが、たいして美味しいものでもなかった。
夕食はカレーで、朝食はフルーツとヨーグルトだけ食べる。ビールが呑み放題だと聞いていたのだが、何故だかオレンジジュースが妙に美味しく感じてしまい、そればかり呑んでいた。
現地時間7時過ぎにアメリカ合衆国、SEATTLEに到着。目的地はバンクーバーなのだが、一応アメリカ上陸と言う事で入国審査をしなくてはならないらしい。アー面倒臭い。「advance canada」で通過するも、荷物をもらってすぐにまた預けなおし、シャトルバスに乗ってAlaskanAirlineに向かう。これからアラスカに本当に向かう事とは関係ないが、アラスカ航空に乗れるのがちょっと嬉しい。
そこで2時間ほど待ち、VANCOUVER行きに乗ると、わずか1時間もかからないうちに到着した。 バンクーバーに着くと再び入国審査。ゾロゾロ並んで待つのが面倒臭い。思ったより日本人より中国人のほうが多いことが以外だった。
入国審査の段階で、すでに英語が喋れずに、いや、英語が理解できずに困る。なんとかボディーランゲージとジェスチャーで勘弁してもらう。幸先不安だ。空港に付いて荷物を受けと得ると、腰の調子もだいぶましな事に気付き、安心した。
「さーて、着いたぞー。外国だー」
しかしそれほど見るものすべてが真新しいと言う感じは無く、むしろカナダ程度では文化の違いは見た目ではわからないのだと思う。なにしろ西洋文化が浸透したインチキアジアの日本人だからね。周りに結構同じような顔の人種がいっぱいいた事も関係あるだろう。ほとんど中国人だったけど。
さっそく公衆電話でこれからお世話になるかもしれない留学でこっちに来ている後輩に電話を入れる。
ところがここでいきなり困った。電話の使い方がわからない。
プレジデートカードを購入しようと自販に$20入れると、お釣りが出ないと言う事で、しっかり$20ぶん、カードを買ってしまった。まぁ、それはいい。その後そのカードで何回かけても、電話が通じないのだ。
何回目かの時にのお姉さんが出てきた。この番号にお願いしますと、伝えるが、英語が下手くそなので上手く伝わらない。あげくの果てには近くに英語が喋れる日本人がいないか探して、再びかけ直してくれと言って切ってしまった。
そんな人がいるなら苦労しねえよ。
で、もう一回かけると、いきなり切られた。
「あー、もう英語嫌だー。帰りたい~(涙)」 しょうがないので電話は諦め、INFORMATIONで今日、宿泊する予定のJericho Beechにあるユースホステルの行き方を聞くと、
「タクシーにしなさい」
と、きっぱり言われ、確実に着きたかったのでちょっと高く付きそうだが、タクシーにのりこんだ。 このユースは日本の水道橋にある「日本ユースホステル協会」でネットで予約してもらったのだが、バンクーバーに3つもユースホステルがある事を知らず、思わず海の近くにあり、シーカヤックもできると言うのでここを選んでしまったのだが、後で地図を見たら中心地のダウンタウンからかなり離れていることに気付いて失敗した。
運転手のおっさんはジャック・マイヨールを攻撃的にしたような顔立ちで、僕の行きたい所を聞くと、聞き取れないのかアドレスを教えろと言い、僕の地図をひったくった。
「あー、ここか。オーケーオーケー」
そう頷くとすぐに車を出した。僕の荷物はトランクに入らず、後部座席に一緒に乗り入れた。
外は雨が降り出した。だだっ広い景色の中をタクシーは走る。あんまり地図を見ていなかったので自分が今どこにいるのか良くわからない。
しばらく行くと町の中に入り、そのままさらに走る。あまりにも時間がかかるので、道を余計に走っているんじゃないかと疑ったが、途中、「ここから左に行くとダウンタウンだ、わかったか?」と、ユースからダウンタウンに行く道を教えてくれた。
30分ほど走るとバンクーバーのはずれ、Jericho Beech Park に出て、ユースに着いた。ちょうど$50札しかなく、それを渡してお釣りをもらおうとしたら「$10でいいか?」と言ってきた。その時はまだチップがどうのとか、よくわからなかったので、「あぁ、いいよ」と言ってしまったが、よく考えたらメーターは$27となっており、どう考えても払いすぎだ。タクシーが去ったあと、なんだかものすごく騙された気分に陥った。
重い荷物を持ってユースの扉を開ける。カウンターでチェックインを済ませたが、いまいちヒアリングがうまくいかず、ダーっと何かを言われるとサッパリわからない。とりあえず部屋の番号を聞き、そこに行ってみる。
普通のドミトリーだ。2段ベットの上だったので荷物をとりあえずバタバタと置き、再びカウンターに行ってドル札をコインに両替してもらう。この時たまたま日本語が喋れるスタッフがいたのでカナダのコインの説明を受ける。ありがたいが、馬鹿にするようなしゃべり方が正直むかついた。あれならまだ英語で悪口言われた方がマシだ。
そのコインで再び電話を試みる。すると今度は上手く行き、何とかつながって話すことが出来た。彼女は友達とエドモントンに遊びに行っていて、明日バンクーバーに戻ってくると言うので、また明日連絡する事にして電話を切った。 安心したら急に腹が減ってきた。散歩がてらに町に出てみる。
さすがに都市のはずれだけあって何もない住宅地だ。しかし映画の世界でしか見たことのない外国の広くて手入れの行き届いた庭はちょと外国っぽかった。ひたすら街に向かう道を歩く。今思えばバスに乗ればよかったのだが、バスに乗るのもこの時は不安要素だったので、歩いたほうがマシだったのだ。
40分ほど歩くとマックがあったので、初心者海外旅行者の定石どおり、ここで最初の食事をする。ところがいきなりコーヒーを頼んでも、発音が悪いのか通じない。「かふぃー」「こふぃー」「かふぇ」「こーひー」と、いろいろ言っても通じない。それどころかコーラは3種類あるけどどれがいいか?などと、まったく見当違いな事を言ってくる。しかたなく「コカコーラ!!」と言うと、一発で出てきた。あふぅ。 ここで食事をした後、目の前にある本屋でバンクーバー島でのカヤックガイドの本と、LONLY PLANET のブリティッシュコロンビアを買う。
なんと僕は心の頼りにしていた「地球の歩き方」を家に忘れてきていたのだ。この事実を知った時は、もう鼻血が出そうだった。なんなんだ、この間の抜け具合は・・・。完全に英語のみの生活なのである。
本を買って、スーパーにも寄るが、何を食べていい物か迷いあぐね、何も買わずにユースに戻る。
Jericho Beech に出てみる。遠くにバンクーバーの町が見え、バックにあるカナディアンロッキーが巨大だ。
カナダの海はとても静かで、アオサみたいな海藻が大量に打ちあがっていて東京湾のようだった。海岸を歩いていると、シーカヤックが見えたのでフラフラと近寄っていくと、なんと今から出発するようだ。もう17時をまわっていると言うのに。
よくみると艇庫がすぐそばにあり、看板を見てみると、なんとあの有名な「エコマリン」じゃないか!まさかこんな所にあるとは思いもしなかった。ユースに戻るとカヤック案内にエコマリンのチラシも交じっていた。寄ってみたかったが英語が喋れないし、これといって話すことも聞きたいことも無いのでユースにもどった。
シャワーも浴びずに明日に行く予定のUBCの人類博物館の行き方だけをヘルパーのお姉さんに聞き、ベットに横になった寝てしまった。夜中何度か起きたが、なかでも途中、夜中の3時位に帰ってきたおっさんのイビキが殺人的にうるさく、なかなか寝付けなくなってしまった。太った人のイビキというのは途中でいきなり止まり、こっちが苦しくなってしまい、急にまた「フゴーッ」とか言って復活するのでちょっと面白い・・・。
翌朝、起きるとすでに10時をまわっていた。急いで起きてシャワーを浴びて歯を磨き、ロッカーのカギを借りて($3)荷物をぶち込み、必要な物だけ持って歩いてUBCに向かった。
地図上では結構近くに思えたが、実際には丘を一つ越えていかねばならず、これが思いのほかしんどかった。そしてだんだん家も無くなり、森に囲まれた道をひたすら歩いていくと、1時間ちょっとしたところでやっと博物館に着いた。ヤレヤレ、バスを使えよ、俺。
実は今回、アラスカ行きの旅行のはずなのに何故バンクーバーから入ったかと言うと、先ほど電話をした後輩に会うということもあったが、それ以上にこの、UBC(ブリティッシュコロンビア大学)の人類博物館に来たかったからだ。
またまた星野道夫さんの話になってしまうのだが、彼の著書、「森と氷河と鯨~ワタリガラスの伝説を求めて~」に、この博物館が出ている。そこにはハイダ族の血を受け継ぐビル・リードと言う人の彫刻「ワタリガラスと最初の人々」が展示してあるのだ。
ハイダ族というのは北西カナダ、今のブリティッシュコロンビア州のインサイドパッセージを中心に住んでいたインディアンの一族で、主にアラスカ国境に近いクィーンシャーロット諸島に住んでいた部族である。「森と氷河と鯨」では、星野さんがアラスカのシトカでクリンギットインディアン(ハイダ族と同じく北西カナダにいた部族)の血を引くボブ・サムと出会い、共にクィーン・シャーロットに行く事から物語が始まっていく。そこで朽ちていくトーテム・ポールを見て、星野さんはその学術的な調査をしているこのUBCの人類博物館を訪ねているのだ。
この本を読んでそのビル・リードの彫刻と、本物のトーテム・ポールを見たかった僕は、せっかくバンクーバーに行くなら、これを見に行かなきゃ意味が無いなと、足をはこんだのだった。
博物館は相当良かった!高い吹き抜けのガラス張りの館内にはクィーンシャーロットから持ち込まれたトーテムポールやハイダ族の工芸品などが展示してあり、もともとハイダ族やクリンギット族のネイティブアートに興味があった僕にはまさにお宝ばかりの場所だった。奥に入るとハイダ族がポトラッチで使う巨大なワタリガラスをモデルにしたマスクや帽子、そして中から人の顔が出てくるトランス・フォーメーション・マスクなどの手の込んだ工芸品に魅入った。あのデザインの無駄のなさと言うか、バランスのよさは非常に美しい。
また、彼らが狩猟に使っていた道具や、ハリバット(オヒョウ)を釣る為に使っていた釣バリや、鮑の殻で作った装飾品など、沖縄の首里城で見た夜光貝の装飾品のデザインと似ていて、非常に興味深い。
ただ、星野さんが言うには、ここのトーテムポールはクイーンシャーロットから運び込まれた事によってスピリチュアルな物がなくなってしまったと言っているが、本物の、自然のままのトーテムポールを見たことがない僕にはそれが理解できなかったのが残念だ。 博物館の奥に行くと、屋根から光が入る場所があり、そこにビル・リードの「ワタリガラスと最初の人々」は展示されていた。
まさに本に載っていたそのままの彫刻があった。何枚かの板を組み合わせ、それを削りだして造ってあるその彫刻は、正直なにが言いたいものなのかは何も知らなければわからない、意味のわからないものであると思うし、他のトーテムポールに比べれば真新しい事この上ないのだが、他の遺跡よりもこの彫刻が一番スピリチュアルな物に僕は感じられた。
すべて見て終わり、外にあるトーテムポールも見終わって博物館を出るとき、日本人の学生だと思われる団体がやってきて、やたらとうるさく感じた。普通なら、「オ~日本人だ~」と、親しみを感じたいところなのだが、なんとなく神聖な気分になっていた僕には、この馬鹿そうに騒ぐ学生どもの間抜け面が許せなかった。ケッ! 博物館を出て、UBCのキャンバス内に入っていく。
昨日とうって変わって今日はキリリと晴れ渡り、湿気の無い気候が非常に心地いい。そんな中、大学の中を歩くのはなかなか気持ちよかった。とにかく広くて、昼食を食べたかった僕はメチャクチャに歩き回り、それっぽい場所を探した。キャンバス内には何箇所か生協があると聞いていたのでそれらしきところに入って飯を食べることに。
メニューがガーッと、書いてあるが、ふとJapanese noodle bowl というのが眼に飛び込んだのでそれを注文する。$6と、意外に高い。
出てきたのはウドンの上にやたらとサヤエンドウとブロッコリーが乗っており、ぶつ切りのネギがかかっている物。チキンとフィッシュがあったのでチキンにしたのだが、これが味薄い・・・。素材の味がよ~くわかるたいした関西風ウドンだった。
公衆電話で後輩に電話すると、今バンクーバーについたので、今からとりあえずこっちにくると言う。博物館の駐車場で待ち合わせる事にし、電話を切った。
大学のメインロードを歩く。国際色豊かな学生が歩いており、ベンチには知的な美人の姉さんがリスにエサなどやっていたりする。みんな楽しそうで、こんな光景を見ると「ん~おれも留学してみたいな~」などと思ってしまった。UBCなんていったらかなりのエリートで俺なんか無理だっちゅうのに・・・。 待つこと30分。「バジャウさ~ん」と名前を呼ばれるので見てみると、後輩とその友人2人の乗った車がやってきた。相変わらずのSちゃんスマイルが懐かしい。
後輩はS、友達は男がT、女の子がMといって、2人ともSの一つ年は上だが、もうほとんどお友達である。同じ大学に入っている日本人だ。
3人はもう今日のうちにバンクーバーを去ってビクトリアに帰ると言うので、どうせビクトリアに来るなら今日行っちゃいましょうという事になった。3人の車に乗り込み、ユースに戻る。3人とも昨日はキャンプをしていたせいか、車内は妙に焚き火臭かった。
ユースにはあっという間に着いてしまった。車ってすごいのね・・・。いつもツクヅクそう思う。
今日の宿泊予約をキャンセルしたいと言うと、ヘルパーはいいけど、金は返さないぞと言ってきた。まァ、それはわかりきったことだったので別に良かったのだが、そのやり取りを聞いてMが何かヘルパーにいい、しばらく4人で「どーしようかー」と、グダグダ話をしていたらヘルパーのお兄さんが「アーわかったよ!返せばいいんだろ!」といって$20返してくれた。ラッキー♪英語が喋れるって素晴らしい!
Thank you ! そういって荷物をまとめてユースを出た。 急いで荷物を車に詰め込もうとするが、なにしろ3人もキャンプの帰りなので車の中はぐちゃぐちゃで、さらに僕の大量の荷物が入るのだ。積載量ギリギリのラインで何とか詰め込むことが出来た。しかしこのとき、すっかり腰の事を忘れていた僕は、カヤックを奥に積める際に再び、ゴリッ・・と、やってしまった。
「あ、ああ・・・やぶぁい・・・」
「これからアラスカまで行かなきゃいけないんだから、安静にしてください!」
そういう訳でSが運転し、僕は助手席、TとMには悪いけど、荷物も入っている後部座席に回ってもらった。
サー一路、ビクトリアへゴーッと、行きたいところだったが、なんかせっかくバンクーバーに来たんだからと、昔Mが住んでいたと言うメトロタウンと言う場所に行き、そこで「バブルティー」というものを呑む事になった。 自己紹介的な話をしながら目的の場所まで行き、地下の駐車場に車を停めてそのビルの何階かに行く。なんだか中国人と韓国人の巣窟のような建物で、建物全体がチャイナタウンと化しているようなショッピングモールだ。そこのマーケットの一角に喫茶店のようなカウンターがあって、そこでバブルティーを飲んだ。
ティーと言うからお茶かと思ったら、ミルクとフレッシュフルーツをミキサーにかけて、それにブラックタピオカが入ったもので3人はグレープ、僕はパパイヤを頼んだ。ストローからモチモチしたタピオカがツポツポ入ってきて、その食感が面白い。ほとんど飲むというより食べるに近く、一杯呑み終わると、なんだかお腹も膨れてきた。 そのままそこのマーケットで今夜の食材を買う。カナダだと言うのに香港で売っているような野菜や果物が売っていて、なんだかよくわからん。中国人の食材の探究心はすごいものがあるが、何もカナダにまでライチを生で持ってこなくてもいいと思うのだが・・・。
ここでは魚屋が面白かった。生きたダンジネスガニをはじめて見る。日本にもアメリカイチョウガニという名前で輸入されているようだが、僕は開高健の「オーパ、オーパ!」を読んでいたのでどうしてもダンジネスガニと読んでしまう。
ほかにも巨大なグルーパー(ハタの仲間)や、ロックフィッシュ、リングコッドなどのカナダの有名な魚が見れてためにもなったし面白かった。
車は今度こそVICTORIA に向かう。
8時のフェリーでバンクーバー島に向かい、この1時間の船旅で今まで使うことの出来なかったプリベートカードの使い方を教わる。なんと使い方が全然違った。しかも日本語で対応してくれるサービスまでついていた。いやーカナダってすごいね(げんきん)。
ビクトリアの港に着いたのは10時前で、急いで開いているリカーショップを探してビールを買う。カヤックの項でも書いたが、カナダやアメリカはアルコールが特定の場所でしか買えず、購入には身分証の提示が必要。しかも公の場での飲酒は固く禁じられているのだ。なんだか面倒臭いネェ~。
ハイネケンを買い、Tのアパートに行き、そこで夕食を作って遅い晩飯となった。
2人ともスゲェいい奴で、この時点で結構仲良くなれていた気がする(俺的には)。しかしユースホステルを出発する際に再発した腰痛がなんだか極まってきており、腰を横に捻る事も出来ず、ビールを飲むと何故か異常なまでに鼻水が出た。暖かい部屋に急に入ったためなのか、疲労が出たようだ。
夜中の一時頃、Tの運転でSの家に送ってもらい、荷物をSの部屋に置かせてもらって、シャワーも浴びずにマットを引いて寝そべっていたらいつのまにかウトウトと寝てしまった。
んーまだ2日しか経っていないのにメチャクチャ濃いカナダの日々である・・・。
②VICTORIA
■ビクトリア上陸
起きたら11時をまわっていた。起こしてくれてもいいのに・・・。
シャワーを浴びさせてもらい、サッパリして出るとSが遅い朝ごはんを作ってくれていた。日本から持ってきた炊き込み御飯の素で作ったご飯と味噌汁、目玉焼き。シンプルながら作ってもらえるというのは嬉しい。ところがこのご飯がどう見てもインディカ米でパサパサ。箸で取るのも苦労するくらいなのだが、Sに言わせると
「エーこれ、日本のお米といっしょじゃないですかー??」
えーッ??勘違い甚だしいぞー!かっ込むようにしてお茶漬けでもないのにサラサラと食べる。
ご飯を食べ終わるとコーヒーなど飲みつつ、久しぶりに会うので話が弾んだ。3時頃、彼女の通うUVIC(ユービックと読む。ビクトリア大学のこと)に行き、生協で買い物をし、そこのバスストップからダウンタウンに向かった。バスはどこに行っても$2で、結構遠くて20~30分くらいかかった。 これから僕のアラスカに行くまでのキャンプ道具の足りない物を買い物もあるが、明日からSとTと3人でワンデイカヤックに行く事になっていたのでその準備も必要だった。
Sといっしょにダウンタウンをぶらつく。
すごい綺麗な町で、街灯には花が飾ってあり、レンガ造りの港の倉庫や建物、ホエールウオッチングやシャチを見るためのクルーズ船の会社や、そのモニュメントなどがあり、非常に綺麗でヒロ・ヤマガタの絵のような街だ。
ネイティブアートの店に入り、カウチンセーターを見せてもらう。以前からすごく欲しかったのだが、安い物で$140。やはり本物は高い・・・。観光の終わりにお金が余れば買いたいが、旅のこの始めで買うにはちょっと手が出ない。しぶしぶ諦める。
Sに紹介されたアウトドアショップに行ってみる。
さすがバンクーバー島の街だけあってシーカヤックの取り揃えがすごい!主にカレントデザインのカヤックが多かったが、値段を見るとあまり日本と変わらなさそうだ。ここで日本から持ち込むことが出来なかったMSRのシグボトルを購入する。1/4ガロンのものが$14。高いんだか、安いんだかわからん。包にくるもうとしたので「いいです」と言うと、すごいにこやかに「すばらしい!」と褒められてしまった。ん~ちょっとうれしい♪
その後、隣にある別のアウトドアショップに行って釣竿などもみるが、日本に比べてショボイ竿しか売っていない。一番いいものでフェンウィックのトラウトロッドだったが、買う気になれず、ここでは止すことにした。
さらにその隣にある「バリュービレッジ」という、UVIC学生御用達のリサイクルショップに行き、セーターとジャージを買う。しめて$18。やっすいネェ~。
買い物が終わった頃、TとⅯが車でやってきた。それに乗り込み、何故か中華街で見て気になってしまったマンゴスチンを購入し、そのままスーパーに行って酒と食材を買い、再びT家で夕食会となった。
昨日はチゲ鍋だったが、今日は麻婆ナス。カナダに来てからまったくこっちらしい料理を食べていない。
ビールもカナディアンビールとハイネケンだったが、この日は何を呑んだか忘れてしまった。ただ、Ⅿが「私は今日は飲むよ~」といって、ひたすら良く飲んでいたのは覚えている。
明日からのシーカヤックキャンプのこともあったが、僕がアラスカに行ってもグレイシャーベイに行けるかわからないと言うと、「ンなこター無いでしょ」と言って、Tが、ネットで色々調べてくれた。
これが日本で調べた時よりも具体的な情報を得る事ができ、この日の段階でフェリーでは無理だけど、飛行機でなら行けることがわかった。そしてその料金も思ったより高くない。往復で$200も掛からないことがわかり、若干希望が見えてきた!あとは僕の英会話力にかかっていっているともいえなかった。
「よっしゃー!これで心置きなくカナダの海を漕げるぜ!」
まったく現金な物である。こうして僕は少しテンションが上がり、腰のひねりがあまりうまくいかないことも忘れ、翌日からのカヤックキャンプのガイドとして、燃え上がるのだった。
■ビクトリアを去る
3人でバンクーバー島に戻ってきてから、まずSの家に行ってカヤック以外の我々の荷物を下ろし、その足でSAFEWAY(日本で言うイトーヨーカドーみたいなスーパー。アラスカにもあった)に行き、今夜の食材を買う。今日はとにかく俺が最後の夜だったので「肉が食いたい!」と、贅沢をいい、その代わり全部俺が料理する事となっていた。
しっかしここは肉が安い!400gはありそうな豚のロース(骨付き)が、2ドル!これを三枚買ってトンカツにし、ラム肉と手羽先が食べたいということでこれも購入し、煮物を作ることにした。
日曜日だったのでリカーショップが休みで、わざわざダウンタウンまで行って地元の地ビールを購入した。その名も「ビクトリア・ビアー」・・・そのまま。オルカのマークがあってそれっぽい。
やっと家に着いたのは5時頃で、ここで我々と旅を共にしたTの愛車、ECOを洗車し、ついでに干潟でたたんだため、泥だらけだった俺のカフナも洗う。自分たちで掃除して言うのもなんだが、新車並にきれいになった!この車には僕自身、非常にお世話になったので掃除にも手抜きがなかった。
途中、大体外の掃除が終わると僕とSはTの部屋に行き料理に取り掛かった。
といってもSが米をといで炊きだしたと同時に僕はキャベツを千切りにし、ラム肉と手羽先で肉じゃが風の煮物を作り、豚ロースの下ごしらえを済ませてしまった。
Tが帰ってきた頃、トンカツを揚げる。カナダのキッチンは基本的にガスではなく電気コンロらしく、油の温度がなかなか上がらなくて苦労したが、何とか揚げる事ができた。まな板の上で切ると、「サクッサクッ」っという音と共に脂が滴る。うまそうだーッ!
自分じゃなくて、彼等2人もトンカツは久しぶりなようで、近代稀に見るご馳走に一同、いっせいにかぶりつく。あまりのでかさに下田にある「とんかつ一」を思い出し、その話をSにしたら、いきなりケラケラ笑い出した。
無事完食。ラム肉の煮込みもワインを入れたので洋風に仕上がってこれはこれで美味かった。とろける玉ねぎがよかったね。
その後、再びネットでアラスカ情報を探ってもらった。そしてここでグレイシャーベイにも9月一杯は行ける事がわかり、「グレイシャーロッジ」の中にあるというバックカントリーに入るための許可を受けるビジターセンターもロッジが閉まってからもやっていることがTが電話をしてくれたおかげでわかった。いやぁ~持つべき者は英語ができる友人だなーオイ! もしアラスカのグレイシャーベイに行けないようなら、アラスカに行くフェリーに乗るのではなく、プリンス・ルパートからクィーンシャーロットに行こうと考えていた。ここはここで行っておきたい場所なので、その候補もあったのだが、グレイシャーベイにいけるなら、それに越した事はない。だって帰りはジュノーからシアトル経由で帰るので、結局アラスカには行かなくてはいけないからだ。
いつもより早めにSの家に送ってもらい、明日8時に出ようということでTと別れた。
シャワーを貸してもらい、荷物をかたし、ネットを少し見せてもらい、しばらくSと話していたが、知らないうちにウツロウツロと寝てしまった。
翌日、朝7時に起こされる。この子は朝とても強いのだが、僕は非常に弱い。
コーヒーをもらい、飲んでいると「ホットケーキ作りましょうか?」と、聞いてきたので「オ、気がきくなー」と思っていたら
「どうやって作るかわかりますか??」
などと聞いてきた。すかさず断る。危ない危ない・・・・。小麦粉団子がでてくる所だった・・・。
ちなみにホットケーキには薄力粉とベーキングパウダー、コーンスターチに砂糖ね。
8時に昨夜は暗くてわからなかったが、ピッカピカになったECOがやってきた。僕の荷物をぶち込み、バンクーバーに向かう。この日は僕をバンクーバーに送ることもあるが、バンクーバーの友人の所に行っていたMを迎えに行く仕事もあったのだ。
フェリーはあと4台というところで乗れず、1時間余計に待つことに。その間にTにアラスカフェリーやジュノーからガスティバスまでの飛行機の料金など、具体的な事を電話で聞いてもらった。なんだかもう、自分専用の海外旅行コーディネイターを雇ったように心強かったが、申し訳ないほどのお世話をしてもらった。
「いいんですよ、自分が旅行しているみたいで、これはこれで楽しいし」
T君、日本に帰ってきたら奢らせてくれたまエ!
フェリーに乗り込み、情報にも目処がついてきたので3人でデッキに出る。バンクーバー島からバンクーバーまでは地図ではすぐだが、なかなか船の上から見ると遠い。フレイザー・デルタからの濁った水が海面を被うとバンクーバーの高層ビル群がかすかに見えてきた。
バンクーバーに着くとちょうどいいタイミングでMから電話があり、12時半にメトロタウンに着くだろうと伝える。ところが運転手のSが道を間違え、危うくシアトルに行ってしまうところだった。Uターンし、急いでメトロタウンを目指す。
何とか10分遅れで目的地に着いたが、Mが友人の韓国人と中国人の3人でやって来た時にはすでに1時半を回っていた・・・。そこでしばらくSの従兄弟も来るというので待ったが現れず、Sを残し5人でMオススメの点心の店に行って先に昼食をとることになった。
ものすごい大声でまくしたてるおばさんに案内され、円卓に着くと中国人の女の子が注文し、あれやこれやと色々点心が運ばれてきた。朝から大した物を食べていない僕とTが、男子代表としてとにかくむさぼり食う。とにかく美味い!カナダに来てこれほど中華を食べる事になるとは思いもしなかったが、湯葉の点心や蒸し餃子からホイコーロー、パクチー入りの海老シュウマイなど、とにかく美味い。あれこれ次々に食べる。そしてお茶を飲みまくる。Sが従兄弟とその友人2人と来た頃には俺とTはすでに腹いっぱいで、少し目がすわり気味だった。肉にヌードルの生地を巻いた物にタレがかかった奴が立て続けに出て、みんなそればかり食べていた。
この店で気付いたのだが、中国人はカナダにいるのに、カナダ人が英語で注文しても中国語で受け答えする。理解できないと中国語で何かまくしたてている。なんなんだ、このエネルギーと図々しさは??しかも食べ終わった席の食器は使い捨てのビニール製テーブルクロスをめくり上げ、ガラガラと食器ごと持っていってしまう。日本人には及びもつかない、大胆不敵な考え方とエネルギーを感じた。チャイナタウンというものが世界各地にあるというのも不思議な物だ。中国人は世界どこに行っても中国の考え方でコロニーを作って生活している。あのバイタリティーのなさというか、順応力ではない進出力は脅威だ。Ⅿに言わせると、この店の店員は以前両親を連れてきたときにスプーンが落ちたので、新しくもらえないかと言ったら、投げてよこしたという。もうムチャクチャというか、世界で中国人が嫌われる気がよくわかった気がする。しかし存在するこの理不尽さ。中国人はある意味すごい・・・。
かなり満腹だ。Mの友人2人、そしてSの従兄弟たちと別れ、4人で今日の俺が泊まる場所を探す。
ダウンタウンのユースでいいということになり、無理やり停まれる場所を探し、そこで荷物を下ろし、Mといっしょにユースに行ってチェックイン。すんなりと宿は取れた。
荷物を置いて再びみんなのところに。 ダウンタウンの片隅に車をとめ、4人で町をぶらついた。
本屋により、アラスカの地図を探すがあまりいいものがない。各自各々の好みの本を物色し、誰がどういうものに興味があるのかすぐにわかっておもしろかった。僕はアウトドアコーナーで面白そうな本を探したが、意外にも少ない物だ。本屋が悪いのかどうかはわからんが、これ以上荷物を増やしてもしょうがないのでちょうどいいか。
気付けば6時半。3人のフェリーの時間があるので最後に食事でもと思ったのだが時間がなさ過ぎてスーパーでバスの中で食べるものを購入し、SUBWAYでサンドイッチを買い、ENGLISHBAYの麓で4人で食べた。時間にしてわずか5分。
ユースまでおくってもらい、3人と握手をして別れた。
「Bajauさん!無事アラスカに着いたら電話くださいね!」
「オーッ!君たちも明日から学校頑張りなさい!」
とにかく異国で人と別れるのはものすごく寂しい。3人にハグしたい気分だったが、そんな時間もなく、彼らは容赦なく車を出した。最後だからと長居してくれたが、内心、かなり焦っていた事だろう・・・。だって9時のフェリーでダウンタウンを出たのが8時前だものナー。後日聞いたら間にあっていたのでよかった。
ユースのドミトリーには日本人がいて、ワーホリでカナダに来て、語学研修が終わりこれからバンフに行くという。この人としばらく話をしたのち、下の階のカフェに行って、4人で食べようと思っていたが食べれなかった苺を一人でむさぼっていた。カナダの苺は野性味が強くてスッパイ!口がイガイガしてきたところに日本語で喋っている2人組みを発見し、苺をやる。
2人とも行き当たりバッタリでバンクーバーまで来て、一人は留学目的でここまで来てこっちで学校を探すといい、もう一人は北海道から来たようだが、バーテンダーになる為に来たという。
みんな色々な考えを持って海外に来ているのだなーと、思ったが、それ以上に
「バンクーバー、本当、日本人多いなー」と思った。
噂には聞いていたが、このユースに泊まっただけでかなりの日本人を見た。でも女の子などの話を聞いているとバンクーバーから出ることはないような人が多く、クラブ遊びや葉っぱ目的でいる輩もいる。それにやはり日本人は日本人で集まる。
さっき、中国人の事を書いたけど、日本人だって小規模ながら集まって自衛団みたいな物を作っている。コミュニティーがある。人のことは言えないものだなぁと思った。
シャワーに入り、コーラを飲みながら、これまでたまっていた日記を書いていたら11時を過ぎてしまった。ビクトリアやソルトスプリング島でのカヤックなど、楽しかった事が蘇ってきた。もう十分充実した旅行ともいえたが、これからが本番とも言える。
初めての海外にして、やっと下準備ができたといった感じだ。
さて・・・明日早いので早く寝ようとしよう。 いよいよ、再び一人旅だ。
③Prince Rupert
早朝、バンクーバーダウンタウンのユースをテェックアウト。
ヘルパーの 「What's your name?」 の発音がわからず、3回も聞かせてもらって、やっと理解できた。こんな簡単な英語も理解できない自分がかなり悲しかった。
タクシーを呼んでもらいバスディーポへ。当初は地下鉄で行こうと思っていたが、荷物が大量なので歩くとどのくらい時間がかかるかわからないので楽をしてしまった。
それでも9.7ドル。まぁ納得。
今日はバンクーバーからグレイハウンドバスに乗り、カナダ国境の町、プリンスルパート(PrinceRupert)まで行くのだった。
タクシーから降り、バスのチケットを購入するがチケット売り場のおばさんの言っていることがほとんどわからない。しかもカナダ$のTCも少なく、キャッシュももうわずか。両替したかったが朝早すぎてバスディーポの両替所はやっていない。なけなしの手元にある金でなんとかチケット購入。「セブンティーン」というのは聞こえたので17番ターミナルに行くとそれっぽいバスがあった。
バスの前には東洋人の従業員がいて、手をまねき、ここに荷物を置けという。バッゲージタグを付けてから荷物を預け、「これはプリンスルパートに行くか?」と聞くと「ジョージ!」と言ってきた。「No!ルパート!」というと、呆れたように「プリンス・ジョージで乗り換えるんだよ、ボーイ。」と言われ、納得。少し焦りすぎた。
8時過ぎにバスは出発。ところがここで運転手がチケットと乗車人数が合わず、困惑している。何回か人数を数えなおしたところで「チケット切ってない奴いるか?」みたいな事を聞いてきた。言っている言葉の意味はよくわからなかったが、素通りでバスに入った僕はチケットを見せると運転手は「おまえか・・・」と言う顔で受け取り、不思議がりながらも、すぐに運転席に戻った。あいやー、ちょっとしたトラブル。 バスはフレイザー河に沿って北上をしていく。途中、一時間に一回のペースで町に到着し、生活物資を下ろしたり乗客が入れ替わったりする。
最初は町の中を走っていたが、早起きして眠かった僕はウトウトし、それから目覚めると景色がどんどん変わっていった。カナディアンロッキーの岩山を突っ切るようにフレイザー河が渓谷を造り、それにそってダイナミックな道路が走っている。景色がいい。
グレイハウンドバスは噂に聞いていたよりも乗り心地はよかった。日本の観光バスとほとんど変わらないつくりで、特に座席が決まっているわけじゃないが1人2席与えられている感じでユッタリできた。
夢心地にウツラウツラし、たまに景色を見ると豪快な風景が広がり、のんびりとこれはこれで面白かった。途中ステップ気候のような荒涼とした原野に出たかと思うと、ゴツゴツした岩山の間をゆっくり通り抜ける。天気も晴れていたり曇ったり、雨が降ったり、あげくの果てには巨大なヒョウがバスを打ち付け、ガンガンすごい音を立てながらゆっくりと徐行する時もあった。
そんな景色をみながら、そろそろバスにも飽きてきたぞ…という日が暮れた夜の9時頃、バスはプリンス・ジョージに到着した。真っ暗なバスを収容する倉庫のような建物に入れられ、みんな次々に降りていく。切符売り場の時刻表を見たらプリンスルパート行きは夜の11時出発。あと2時間もある。おいおい、何をせえというのだ。 バスディーポの周りをうろうろし、何かないかと探すが既に閉まっている店が多く、バンクーバーでは24時間開いていたMcも、ここは閉まっていた。ショッピングモールに入るが売っているものがでかすぎて買う気にならない。そのうえ、すごい寒くて、上着を預けたバックに入れてしまっていたので停留所に戻り、コーラを飲みながらまだ書き終わっていなかった日記を書き、本を読んですごした。
11時10分にチケットを切る。ここでもまたやってしまった。 チケットをきり、そのままバスに乗ればいいものを荷物はちゃんと入っているかと貨物置場に行き、戻ってくるとさっきチケットを切ったおっさんが凄い形相でこっちを睨み、「てめぇ、そんなところで何やってるんだ!チケット見せろ!」ってな感じで迫ってきた。さっき切ったじゃないか、顔ぐらい覚えていろよと思いつつ、半分になったチケットを見せるが、まだ何か怒鳴っている。しょうがないので千切ったチケットの片方がたまった山を探し、僕の名前のあるものを見せる。
「ほら、これとこれ。いっしょだろ?」
そうやってやっとおっさんは納得し、すまなそうに僕をバスに誘導した。言葉が通じない場所ではウロチョロしない方がいいね…。
このバスは最初の方は停まっていたが、後半はほとんど走りっぱなしで隣の座席にはみだして寝ていたら、いつの間にか朝になっていた。さすがに24時間近く座っていると尻が痛い。
朝8時頃、プリンス・ルパート到着。
バスから出ると息が微かに白い。
雨がぱらついていたのか道路が湿っている。9月の頭だと言うのに日本の晩秋のようだ。
荷物は無事入っていた。カヤックにカートを装着し、合計55㎏の荷物を持って街に歩き出した。 今日泊まろうと思っていたキャンプ場は地図で見るとバスディーポから約1㎞ほどしかないので歩いて行けるだろうと思った。ところがこの道のアップダウンが凄いこと。普通にバックパックだけ背負って歩くぶんなら関係ないが、カヤックを引っ張る手が攣りそうになるくらいツライ!途中、休みながら歩いていったが、丘を登っても降りてもキャンプ場が見えず、終いには腕が攣ってしまったのでカヤックを道の籔の中に置き、バックパックだけで先にキャンプ場に向かった。するとすぐに見つかった。
2往復して荷物をそろえ、キャンプ場の管理人小屋にゼェーゼェー言いながら入ると、やさしそうなおばさんが一人。チェックインはすんなりでき、ゆっくり丁寧にキャンプ場施設の使い方を説明してくれた。料金は14.8ドル。Lonely planetを見たら12ドルとあったのに、15ドルだして3ドルでなく2セントしか返ってこないので焦った。だってもうカナダドルの持ち合わせがないのだ!両替所を聞くと「BANK」としか教えてくれなかった。仕方ない、銀行で両替しなければ。
キャンプ場はきれいな物だった。ほとんどがRV専用区画で、僕のようなバックパッカーがテントをはるスペースは端の方に少しあるだけだったが、森林湿地の側で、ウッドデッキもあり、なかなか景観は良かった。
テントを張り、荷物をぶち込んで街に繰り出した。
金がないのでまずは両替。銀行でアメリカドルのTCをカナダドルとアメリカドルのキャッシュにしてもらったのだが、手数料が取られなかった!ラッキーというよりなんで?? ともかく金ができたので側にあったSUBWAYにはいってサンドイッチとコーヒーを頼む。腹に物が入り、久々にまともなコーヒーを飲んで納得。少し落ち着いた。こんな単純なことで人間とは気持ちが入れ替わる物だ。俺が単純なだけだろうか?
まだ10時過ぎという早い時間だったのでキャンプ場でもらった地図を頼りに、ここの博物館に行ってみる。観光パンフがいっぱい置いてあって無料でくれるので、これでもかという数をもらい、その後入館。一人5ドル。 なかなかいい博物館だったが、ネイティブ文化の紹介ではさすがにUBCの博物館にはかなわない。それでも本場、クィーンシャーロット諸島の入り口の町だけに、ハイダ族の展示品はすごかった。
2時間ほど見物し、お土産コーナーでポストカードを買っていると、妙に人だかりができてきた。博物館の外にでるとたくさんの中高年夫婦がいて、どうやらアラスカからの豪華客船が接岸したようだ。すぐ側の港に巨大な船が見える。日本人と思われる人達も多数見受けられた。 そばにある公園で海を眺める。この沖にハイダ族の住んでいたクィーンシャーロット諸島があると考えると、なんだか遠いところにきてしまったなーと思った。ところが島が多すぎてどれがクィーンシャーロットかわからない。それどころか後ろから日本語でしゃべるおばさんたちの声が・・・。感慨している暇などないな(あとで地図を見たらプリンスルパートに着いたからってクイーンシャーロットが見えることはないのだとわかった。向きも違うし遠いのだ。)。
Safewayで買い物。今日の夕食の分と、明日からアラスカまでのフェリーに乗っている時の食料を買う。ここでも日本人観光のおばさんたちが多数侵入しており、アラスカから来たため、お金がアメリカドルしかなく、カナダドルが支払えなくて店員が困っていた。全然居直る気配のないおばさん。日本の主婦はたくましい…。だが一方、こんな観光客もいるのなら、英語がしゃべれなくて困っている俺なんて、まだましなほうだな…と、低レベルな優越感に浸るのだった。
友人に手紙を出そうと思っていたが郵便局が閉まってしまった。アラスカに着くまで手紙が出せない。
キャンプ場に戻り、コーラを飲んで一服。あー、コカコーラ美味い!
特にやる事がなく、フェリーターミナルの下見などに行ってすごし、少し早いが夕食の準備をした。帰ってきてからキャンパーも増えていて、僕の隣のサイトには自転車で来た若い男女2人がテントを張っており、なんだか妙にちちくりあいながら料理を作っているのに対し、隣では怪しい東洋人の男が一人、パスタを茹でトマトソースぶち込んですすっているのだ。
こういうギャップに自分で自分を悲しく見てしまうのは、まだまだ俺が若いからだろうか…?よく旅の達人なんかはこういう時に関係なく自分の世界に浸っていたりするようだが、実際どうなのだ?ぶっちゃけ俺はうらやましい!!また、この二人が外国人(彼らからすれば俺が外国人)で、美男美女だからよけいに気に入らない!と、この文を書いている今の自分が虚しい・・・。
パスタは美味かった。トマトソースが美味い!日本のキャンプでよくやる缶詰のミートソースを茹でたパスタに入れるだけの物だが、この缶詰が日本のものより味が濃くて美味かった。それなりに満足。
管理人室に行くと高校生くらいの若者がいて、電話を借りてビクトリアのSに無事に着いたと連絡し、洗剤を購入。せっかくだから洗濯をし、乾燥機にかける。その間にシャワーを浴びたのだが、熱いお湯が気持ちいい。かなり上機嫌でお湯を浴びていたのだが、石鹸とシャンプーをバンクーバーのユースに置いてきた事をこの時初めて気付いた。がっくりだ。一気にテンションが下がる。
乾燥機をかけている間、ランドリー室で本を読んで時間をつぶす。最初はかなり料金の高いキャンプ場だなぁと思ったが、施設がすばらしく良い。RVのサイトなど、電気まで引けるようになっているのだ。キャンプ場のあり方が日本のそれとはなんとなく違うなぁと思わずにはいられない。良いか悪いかは別にして。
デジカメの充電が終わり、ふかふかになった洗濯物を持ってテントに戻り、11時頃、就寝。
翌朝、Tiが予約してくれた時はpmの9時半までにターミナルに行くよう言われたらしいが、船の運航予定表を見ると、どう考えてもamが正しいはずだった。 心配なので午前中に行く事にした。ちょっと寝坊して、あわててパッキングをし、カナダの不味いカップラーメンをすすってキャンプ場をでる。
キャンプ場をでて、港に向かう途中、僕のように大きなバックパックを背負った人間がこちらに歩いてくる。なんだか親近感が沸いて「ハーイ!」などと挨拶などする。中には日本人らしき人もいた。どうやら船が着いたようだ。
ターミナルに着くとやっぱり人が集まっており、フェリーは午前中に出るようだった。受付に行って予約番号をいい、チケットを受け取った。お姉さんに「予約した時、pm出発だって言われたんだけど、実際はam出発ですよね?」と聞くと、「オーそれはびっくり!」と、驚いてはいたがあまり反省の色なし。こっちの対応はこんな物なのだろうか?とにかく危うく乗り損ねるところだった。危ない危ない…。
10時15分に乗船開始。途中、カナダからアラスカに入るのでイミグレーションを通る。僕の前の人が妙に係りのおばさんにイチャモンを言われていたので「あー俺、対応できるかなー」と心配だったが、僕には結構フレンドリーに対応してもらえ、カヤックのカバンだけ見られ、
「What is this?」
「kayak!Seakayak!」と、ジェスチャーでパドリングの真似をすると
「Oh!cool!good luck」と言ってすんなり通らしてくれた。いやいや、よかったよかった。
その後、通路を通ってハルクホーガンのような親父に何やら言われ、チケットを切り、荷物をカーゴに預けて波止場に出ると、目の前にアラスカン・ハイウェイフェリーが見えた。アレに乗って行けば、ついに憧れのアラスカだ! 入口にいる船員に軽く挨拶などし、船の中に入っていった。
いよいよ、アラスカだ。
④JUNEAU
アラスカ州が運営しているアメリカ、べリンハムからカナダ、プリンスルパートを経由してインサイドパッセージを通過し、アラスカのスキャングウェイまでを通るアラスカ・マリンハイウェイ・フェリー。この州営のフェリーに乗って氷河の後退によってできたフィヨルドの海を旅するのはひそかな楽しみではあった。それはいずれこのインサイドパッセージもカヤックで縦断してやろうという考えがチラついていたからだ。
そして何よりこの船に乗れば憧れのアラスカに行けるというのが、なかなか感極まるものだった。 船に乗り込み、通路の階段を上がると、フロントが見えた。
ここでチケットを渡し、キャビンのルーム・キーを渡される。このフェリーは乗船代金とは別に、キャビン代が取られる事になっていたのだが、一番安いのは2等室のInsideの部屋だった。そのためそこを予約したはずだったが、カギを渡され、その場所に行ってみると、どういう訳か窓があるOutsideだった。InとOutは微妙に値段が違うのだ。
「Tの野郎、あじな真似しやがって・・・」
この船の予約をしてくれたT君がどうも僕に内緒でいい方の部屋を取ってくれていたようだ。もちろん僕は彼にinの方の値段しか払っていない。最後の最後でかなり粋な真似をされ、ニヤリと笑ってしまった。
キャビンに荷物を置いた時点で「ん?」と気付いた。
「ひょっとして、目的地に着くまで、預けた荷物は手元にこないのか?」
せっかくフェリーの中で食べる為の食料を買こんできたのに、それら食料は預けたバックパックの中なのだ。なんでこんな初歩的なことも気付かずに荷物を預けてしまったのか・・・!
しかたなく部屋を出て食堂に行く。
船はすでに港を離れていて、他の乗客も各自テーブルに座って昼食を食べていた。$1のコーヒーを頼み、それを飲みながらカフェのテーブルの上でプリンスルパートに着いてからの日記を書いた。なかなか旅情があってよろしい。
腹が減ったのでホットドックとコーヒーを貰うが、どうもここのシステムがわからない。
ホットドックの発音が伝わらないと言う事もあったが、これにコーヒーをつけたら、レジで何か訳のわからない事を言われ、最終的になんだかものすごい安い料金で済んでしまった。
生協のように好きなものを取って、最後に会計をするというものだと思っていたのに何か違ったのだろうか?腑に落ちないがとにかくテーブルについてホットドックをかぶりつき、カロリーを取る為に「これでもか」とコーヒーに砂糖を入れて飲んだ。
なんだかまたここに来て食べ物を頼みづらい感じになってしまった。 さらに部屋に戻って、これからジュノーに着いてからの予定を決めていると船は最初の寄港地、ケチカンに到着した。
部屋を出ようとすると、ドアを誰かがノックする。
ドアを開けると黒人のおばさんが出てきて「ケッチコーン、ケッチコーン」と言う。
「けっちこーん?」
いったい何を言いたいのかサッパリわからず、何回か聞きただすとおばさんは「なんだいこいつ??」といった顔で去っていった。おいおい、そりゃ俺の立場だろ。そう思って外に出ると、なんと言う事か、誰も人がいない。
「なんだ、どうした??」
急に不安になり、船中を歩き回るが、誰も乗客らしき人間が見当たらない。少々焦る。何か重要なアナウンスを聞きそびれたのか?
しきりに歩き回っていると、フロントに受付のおばさんがいた。とりあえず今何が起こっているのか聞いてみると、僕の焦った顔とは対照的に、飄々とした顔で僕の部屋のキーを見ると地図を指差して「ここはケチカン、あなたはジュノーだからまだ降りちゃダメ」というような事を言われた。地図でケチカンを指差され、「ケチカン」と言われた時、すべての謎が解けた。
あのおばさんが言った「ケッチコーン」というのはケチカンの正しい発音なのだ。
「なーんだ、OK,OK!」
そう言って僕はフェリーの甲板に出てケチカンの街を眺めた。
それにしても英語の発音と言うのは実際に聞いてみないとわからないものだ。特に地名なんて人から聞かないと読み方すらわからない。他にも「シアトル」など、実際にネイティブの発音だと「スィーアトール」と聞こえる。んー自分のヒアリング能力のなさにますます滅入る。
ケチカンの街には雨が降ってきて、僕の気持ちも空腹と合わさってなんだか落ち込んできた。先ほどまでアレほどウキウキしていたのに・・・。 フェリーの中で本を読みすごすが、とっくに読み終わってしまう。
フェリー内にはあちらこちらにみんなで集まってしゃべる事ができるようなスペースがあり、案内などを読むと、どうやらキャビンがなくてもテントがあったり、スリーピングバックがあれば一定の時間内であればそこで寝ても大丈夫なようだ。実際、夜中に船のなかを歩いていると寝ている人達もいた。
夕食は¢75のスニッカーズを買ってそれをかじって終わり。腹がなる。
英語が喋れればもっと楽しいのだろうなぁ~と、一人キャビンの中で思う。乗客の一人に東洋人の男の子がいるのだが、話し掛けたくても中途半端に話し掛けて日本人じゃなかったら会話に戸惑うし、続かない。
フェリーの座席に座っていて、隣に可愛い女の子が座っていても話し掛けることもできない。
いや、それよりもレストランで食べ物も頼めないのじゃ話にならないじゃないか・・・。
旅は出逢いだと、散々思っていたけど、コミュニケーションの手段である言葉と言うのは出会いの最低条件だろう。そう考えるとこの旅は何のためにやっているのか?楽しめているのか?そんな事を考えてしまい、なんだか自分の軽率な行動力が嫌になってきた。
「はやくバックカントリーに入りたいナー」
人との会話ができない分、僕にはそれだけが望みだった。
翌日、甲板に出ると冷たい風が頬に吹き付けた。着る物もバックパックに入っているため薄着なので非常に寒い。他の乗客は温かそうなダウンのジャケットなど着ている。ここはもう日本の冬並に寒い!
10時半を過ぎた頃、フェリーの先に氷河が見えてきた。
メンデンホール・グレイシャーだ。そしてその氷河の麓にある街が目的地、ジュノーである。
しばらくメンデンホール氷河を見ていたが、まもなくジュノーにつくと言うのでキャビンに下りて荷物を取りに行くと、昨日のおばさんが今度は陽気な声で「ジュノ~ウ」と笑顔で言ってきた。なんだかな~。 何の合図もなくフェリーはジュノー、アークベイに接岸。これまた何の合図もなく下船する。
ターミナルに向かうとちゃんと荷物を預けたバージも待機していたので自分の荷物を探しておろす。
「さーて、ついたぞー」
そう思ったものの、ここからどうやってダウンタウンに行こうかまでは考えていなかった。シーズン中はシャトルバスが出ているようなのだが、どうもそれらしきバスは見当たらない。ターミナルをうろついていると、ドアに「ダウンタウンまでのシャトルバスは8月いっぱいで運行を中止しました」と書いてあるのを発見!ガーン!!
少々焦りつつも、まァこうなったら一般のバス停まで歩いていくかタクシーで行くしかないのだと思い、まずはまずはとバックから買っておいたサンドイッチとバナナとミネラルウォーターを取り出し、心行くまで食べる。空腹だと考え方がネガティブになるが、腹に何か入ればそれだけで幸せになり、考え方もポジティブになるのだ。 先ほどから僕と同じくウロウロしているおばさんを発見。物をためしと、一緒にダウンタウンに行かないかと持ちかける。
するとおばさんは親切丁寧に「タクシーで行きなさい」と、教えてくれた。んー、さすがに怪しい存在の男だったかもしれない、俺は。でも優しい人でよかった。御厚意に甘えて苦手な電話でタクシーを呼び、つながったかつながらないかわからないがとりあえずアークベイまで来てくれと言って電話を切った。
まもなくしてアメ車のバカデカイ車に乗った黒人のおばさんがやってきた。ヤレヤレだ。こんな事で苦労するなよな、俺。
僕のバカデカイ荷物もすっぽりトランクに納まり、一路ダウンタウンのアラスカ州立博物館に行ってもらう。
ジュノーという街はアラスカの州都なのだが、ものすごく長細い街で、フェリーの泊まるアークベイから空港までが約9㎞、空港からダウンタウンまでが約13㎞もある。これを理解していないとジュノーについてからもかなり移動する事に驚く羽目になってしまう。目的地までの時間も考慮しなくてはならない。
主な街の中心はダウンタウンだが、ここら辺はほとんどが大型客船が泊まるため(フェリーとは違うのだ)に、観光客相手の店しかない。ショッピングモールなどがあるのは空港のそばで、ここはメンデンホールグレイシャーの入口でもある。僕が今日泊まるユースホステルはダウンタウンにあるので、グレイシャーベイに行くための買出しは空港回りのほうがいいのだが、まずはダウンタウンに向かう事にしたのだ。博物館もダウンタウンにあるのだ。
ダウンタウンまでは約29ドルもかかってしまった。
博物館の前は人が少ないので大丈夫だろう、もってけるものなら持っていってみろ!と、荷物をそのまま置き、フェンスにワイヤーをかけて入館する。
受付の学芸員の人はとても親切に対応してくれ、日本語のパンフレットまでくれた。さすがにこういう場所での対応は素晴らしいね。
荷物も預かってもらえる様だったが、さすがに僕の荷物は入りそうもないのでロッカーに入りそうなものだけ預け、電子辞書とデジカメだけもって館内を探索した。ちなみに一人5ドル。
ここの博物館は、正直UBCの人類史博物館とはまた違った意味で素晴らしかった。
アラスカにいる先住民族を4つに分類し、その4つごとに展示品が集められている。4つと言うのは、まずはUBCの中心的な展示品だったハイダ族のような北西カナダ、もしくは南東アラスカの先住民。アラスカの場合、クリンギット族となる。
もう一つはアラスカ北部にいるエスキモーとも言われるイヌイット。
アラスカ内陸部にいるアバガスカンインディアン。
そしてアリューシャン列島に住んでいたアリュート族である。
この4つに分けられた部族達の文化や工芸品などが展示してあり、どの部族ともとても興味深かったが、中でも僕が一番興味を引いたのはやっぱりアリュートのカヤックである。
エスキモーが使う大型のウミヤックや、アザラシ狩用のカヤックなどもあったが、やはりアリュートのカヤック、もしくはアリュート族のあのアザラシの腸で造ったパーカーなどは、現代のカヤックともつながる部分があって非常に興味深かった。
他にも自然の事や、アラスカのゴールドラッシュ時代のことなども展示してあり、アラスカを知るには面白い博物館だ。
ものすごい傾斜角の坂をヒィーヒぃー言いながら上ると、何とかそれらしき建物が見えた。
ユースは5時からでしかあかないので、荷物を入口のベンチの下に入れさせてもらい、再び港まで戻る。油断すると転がっていってしまいそうなくらいひどい坂だ。
途中、本屋に寄ったりアウトドア用品店をのぞいて見たりしたがあんまり物色する暇もないので、グレイシャーベイの地図だけ購入する。ナショナルジオグラフィックの地図で、グレイシャーベイ全体を把握できそうで、これ1枚あれば何とかなりそうだ。
ダウンタウンはお土産屋と観光客向けのバーばかりでどうも居心地が悪い。しかしマクドナルドがあるのには驚いた。離れていてもここはアメリカ合衆国やね。
アメリカと言えば、アラスカに入ってから黒人の人をよく見かける。そしてジュノーだけかもしれないが、なんだか薄気味悪いネイティブのおじさんがやたらいる。子供もなんだか悪ガキぞろいだ。一言で言えば治安が悪い。
ガラが悪いルンペン親父がいるかと思えば、いきなり目の前でものすごい勢いでゲロを吐き出す親父までいる。
星野さんの本を読んで、「ジュノーは綺麗な街」というイメージがあったが、ちょっとこの地元民と観光客との生活のギャップの差はすごい・・・。
カヤックを持ってゼーゼー言いながらユースに戻る。入口で女の子3人と開くのを待つが、開いたのは僕の時計で6時になってからであった。
5時開店のはずなのに。
チェックインを済まし、ベットのそばに荷物を置くとヘルパーの人にスーパーと白ガスの売っている場所を聞くが、すでに閉まっていたり、あまりたいした店じゃなかったりして買出しはできそうもないので、明日一日かけて買出しをしようと決めた。 外出先から戻ってくると、フェリーでいっしょだった東洋人の男の子もいた。
なんだか知らないうちに話し掛けると、どうやら現在メキシコに滞在している韓国人であることがわかった。いっしょに旅をしているのはメキシコ人の兄さんで、明日はツアー船に乗ってグレイシャーベイに行くと言っていた。いっしょに行かないかと言われたが、僕もカヤックをしに行くと言うと、「へぇ~」と言うような感じで合図地を打たれ、一緒にチェスをやろうと誘われた。しかし将棋とルールがごちゃ混ぜになってしまい、イマイチ思い出せないので断った。
だが、夕食を食べたあと、みんなが対戦しているのを見ていたらなんとなく思い出してきて、メキシコ人の兄さんに誘われて一局交える事にした。ところが俺がにわか仕込みと言う事もあるだろうが、この兄ちゃんメチャクチャつえェ!あっという間に玉砕され降参。何だ、こいつと言うような目で見られた。チクショウ、将棋ならまだ何とかなりそうだけどな・・・。
また、この対戦を見て、先ほど僕に対戦を希望した韓国人の兄さんが、「なんだよ、できるんじゃないかよ、この野郎、ルール知らないとかいっときながら!」というような、ひねくれモードになってしまい、気まずい雰囲気になってしまった・・・。 シャワーを浴びて、リビングのふかふかのソファーに腰掛けながら、置いてあった「SeaKayaker」という雑誌を読んでいると、不意に日本語が聞こえてきた。ドタバタした感じでやってきて、今日釣ってきたのか鮭をさばいて調理し始めた。
たまらず話し掛けると男の人はYOSHIさんといい、車でカナダから旅行中。もう一人の女の人はカナダでワーホリしていて、それが終わったので今はアラスカを旅行していると言う。
2人とも英語はそれとなくできる感じで、そりゃー英語ができたらここいらの旅行は楽しいだろうなーと、羨ましく思った。
そんな日本人の人と話をしていると、さっきのメキシコ人に飲みに行かないかと誘われたが、あいにくキャッシュがなく、久しぶりにビールは飲みたかったが断った。残念。 このジュノーのユースホステルは1泊$10と、格安なのだが、それにしても部屋は綺麗だし、泊まっている人もまともな人が多いし、非常に素晴らしい。そのため、連続一週間までしか泊まる事が許されず、それ以上は立ち退かなければならないようだ。日本人の女の人、サチコさんも、明日には立つようだった。コーヒーを飲みながら日記を書き、12時過ぎにベットに入った。
ジュノーの街は雨だ。明日は晴れるといいが・・・。
⑤JUNEAU2
■カヤック旅行準備
翌日、9月12日。
ユースホステル内は特に暖房器具があるわけではないのに毛布1枚しかベッドにはなく、寝ている間ずっと寒かった。
カナダに着いてから思うのだが、こっちの人はこんな寒いのに薄着だ。前にも書いたかもしれないが街を行く人も僕がトレーナーにフリースを羽織っているにもかかわらず、平気でTシャツ1枚で歩いていたりする。ランニングしている紳士なんか、無意味に裸だったりする。北国に住む者の、「晴れているときは薄着でいよう」という考え方からなのか、よくわからん。
確かな事は、僕は寒がりで彼らのような真似はできないと言う事だ。
僕の時計で8時に置き、急いで朝食を食べているとYOSHIさんがのんびり現れた。
このユースは朝9時になると自動的にみんな追い出される事になっているのだが、9時前になっても誰も外行きの格好になっていない。念のために時間を聞いてみるとなんと、まだ8時前だと言うではないか!
「あー、カナダから来たんだっけ。一応1時間時差があるんだよ、ここ」
ガーンッ!なんという基本的な事に気付かなかったのか!昨日ユースの開くのがちょうど6時に開いたのは、ただ単に僕の時計が1時間早かっただけの話だったのだ。
1時間あまりの時間が空いたのでまったりしていると早朝着いたフェリーで来たのか、新に3人日本人の人達が現れた。今夜はにぎやかになりそうだ。 9時になると昨日会ったばかりのサチコさんはジュノーからまたフェリーに乗って南下すると言い、どこかに消えてしまった。僕はYOSHIさんに連れられて車に乗せてもらい坂下まで行き、再びアラスカ博物館によった。
外はあいにく雨で、何とかこれを逃れたくて時間はあるのでもう一回来たのだ。今度は一つ一つの説明をじっくりと電子辞書片手に読んでいった。
アリュート族の民芸品、工芸品、遺跡の類というのは実に少ないらしく、この博物館に展示されている物も他の3つの部族に比べると少なかった。それだけにいままで余り見た事がなく、興味の対象ではなかった。
しかしここの博物館の展示品を見て、そのアリュートのカヤックや狩猟道具、アノラックの造りなどを見て、ぶったまげてしまった。特にカヤックはその構造がシーカヤックの雑誌などで見ていたものではわからなかったが、実に精巧にできていて、カヤックで狩猟をする為の近代カヤックには必要とされていない部分の工夫などが施されており、非常に興味深い。独特の帽子や、コクピットに水が入らないための工夫など、ほとんど現代カヤックにも共通する技術もあり、「こいつら、スゲェ!」と、唸ってしまった。
何より、世界の海域の中でも悪天候で有名なアリューシャンを生活圏にし、カヤックでアザラシ、鯨、オヒョウなどを獲っていたその技術体系がほとんど残されていないと言うのが神秘性を高める。極めて高度な技術が使われていたに違いない。
そう思うと、それまではアートがすばらしいという事でハイダ族などの南東アラスカのネイティブに興味があった僕も、アリュートの魅力の方に興味がかたむいていった気がする。 博物館には今日来た3人の日本人もいた。
アメリカで働いていたと言う車で旅をする女の人と、それに便乗している男の人2人という組み合わせのグループだ。
男の人の一人は30代くらいの人で、長野でスポーツインストラクターをやっていたが、アメリカでトレッキングをした後、カナダのホワイトホースに行き、そこからユーコン川を下ってドーソンに行き、そこでこの女の人と出会っていっしょにスキャングウェイから南下してここに来たという。
もう一人の男の人は年配の人で、今年の7月上旬からカナダに入り、10月下旬までいるようだ。世界各国でトレッキングをしているらしく、ほとんど英語は喋れないがかなりアクティブな事をしているおじさんである。旅の最初から女の人と行動を共にしているという。 博物館を見終わったところで長野の人と一緒に隣にあるインフォメーションセンターにより、ジュノーの地図を貰う。ここでダウンタウンにある大きなスーパーを教えてもらった。
2人でマックに行き昼食。コーヒーがシアトルコーヒーなので無難に美味い。ハンバーガーも安いし、マック様さまである。
ここでしばらく話をしながらまったりしていたが、時間も時間なので僕はバスストップに向かった。3人は本来の目的地がここからさらに南下した場所で、ジュノーは時間稼ぎのために上陸しているだけに過ぎないのだ。 ところがここのバス停、雨が降っているからか、屋根があるために町中のホームレスが集まっていて、非常に怖い。しばらくベンチに座ってバスを待っていたが、次第に回りに汚いオジサンやおばさんが集まってゲラゲラ笑い出したので「これはキ、気まずい!」と、たまりかねて移動。
別のバスストップに行くとバスは僕に気付かず、過ぎ去ってしまった。 新しいバスが来る時間がもったいないので、インフォメーションセンターで聞いたスーパーに行ってみると、これがかなり大きいスーパーで、ここでとりあえず明日からの食料を買い込む。大体$60ぶん位か。アラスカでも身分証の提示があるらしく、パスポートを見せた。
いったんユースに戻り、荷物を昨日と同じくベンチの裏に隠し、今度は郵便局に向かう。
郵便局で用を済まし、そこの前のバス停からダウンタウンから北上。ジュノー空港の近くにあるナゲットモールというショッピングモールに行き、ここのアウトドアショップでゴム手袋、軍手、ベアースプレーを買う。フィッシングライセンスと白ガスも欲しかったが、ここでは手に入れられなかった。
さらにその足で空港へ。明日のフライトの予約をする。地元の国内線だからか、予約のお姉さんは私服で普通の高校生のように見えた。かなりフレンドリーで会話もうまくいき、ちょっと浮かれる。何気にこの飛行機の予約は憂鬱だったので、うまくいって安心したのだ。
(まァ実際はその後とんでもない目に会ってしまうのだが・・・。それは「カヤック背負って初海外旅行・アラスカ編」を読んでください)
バスに乗ってダウンタウンに戻り、リカーショップでバーボンを買ってユースに戻る。 ユースに戻ってからは買い込んだ食料の包装をはずして捨て、米やパスタ、ベーコンなどはジップロックに入れる。なるべくかさ張らないように、そして軽量にまとめる。バーボンもビンで持っていくと重いのでコーラを一気のみし、そのペットボトルにいれる。ユースは全館内、アルコール禁止なので、トイレでこっそり移し変える。
準備が終わってリビングに行くとキッチンが開いたようなのでYOSHIさんと一緒に晩飯を作る。昨日YOSHIさんとサチコさんにもらったシルバーサーモンのフィレをベーコンとガーリックバターでソテーし、しょう油をぶっかける。インスタントの味噌汁に米を炊き、久しぶりに腹いっぱい食べた。
食後、YOSHIさんや、3人組と旅の話やグレイシャーベイの話などしたりしてすごし、シャワー浴びて12時頃まで日記を書いた。
いよいよ明日からはガステイバスまで行き、グレイシャーベイでカヤックだ。やや興奮していた物の、なれない異国暮らしで疲れているのか、気負うことなくいつのまにか寝ていた。相変わらず寒かったが。
グレイシャーベイカヤックの模様はココから↓
【カヤック背負って初海外旅行・アラスカ編】
■帰国に向けて・・・
9月19日、予想外のトラブルはあったものの、何とか僕は再びジュノーの町にたどり着いた。
空港のお土産屋で$100のT/Cを$1のホールズを購入して強引に現金に替え、明後日のAlaskan Airlineの予約確認を済まし、そそくさと空港を後にした。
ダウンタウンに向かう時に乗ったタクシーの兄ちゃんはかなり気さくな人で、しきりに話し掛けてきた。そして商売上手で僕があさって日本に帰るというと、
「よし、それじゃあ、その帰りにタクシー使うだろ、予約しておくから何時の飛行機か教えてくれ!」
「まじで!?そりゃ助かるなぁ~」
正直、日本に帰る飛行機は早朝なので、どこかでタクシーの予約をしておいた方がいいなと考えていたのだ。もしくは最後だし、空港近くの普通のホテルに泊まろうかと考えていた。だからこの提案は非常にありがたかった。
しかし、この運ちゃん、運転しながら予定帳とペンを出し、ハンドルを操りながら記入しだした。こ、こわい・・・。 ダウンタウンに向かう時もグレイシャーベイはどうだったというような話をしながら行き、アザラシとか多く見たと言うと、ココにもいっぱいいるぜといって途中にある鮭の加工工場を指差した。ココでは鮭のアラを捨てるのでハーバーシールがいっぱいいるといったローカルな話もしてくれた。カナダでは一頭見ればかなり得した気分になったが、このジュノーの港には普通にいる。
さすがアラスカといったところか・・・?。
ユースまでは$19。再び会う事を約束して別れた。
荷物を下ろすとスーパーに行き今日の食料を買って晴れ渡るジュノーの町を探索する。
最初はそのダウンタウンの汚さに驚いたが、実際坂の上や住宅地に入ると確かに綺麗な街だ。背後には巨大な岩山、ロバーツ山がそびえ、氷河に削られたフィヨルドの急斜面を覆うように家が連なっている景色はなかなか綺麗だ。何より急な坂の町のため、どこに行っても眺めは良かった。坂が多いために近道か、歩道橋のように階段が多く設置され、そこの橋から見る景色は良かった。
ユースにチェックインするとこの間までいた兄さんではなく、綺麗なお姉さんだった。子供を抱えていて、奥には主人と思われる優しそうな男の人も見えた。どうやらこの2人が実質的、ココの管理人のようで、これまでいた兄さんはヘルパーのアルバイトの様だった。
アルバイトの兄さんが早口で宿泊施設の使い方をベラベラまくしたてたのに対し、お姉さんは親切丁寧に教えてくれた。
パソコンをいじっていると(このホテルには日本語も読めるパソコンが使える!)、今日来たという韓国人のおじさん、ハンさんが話し掛けてきた。同じつたない英語しか話せない東洋人同士に妙な親近感を覚えた。
一週間のキャンプ生活で体がバッチイのでシャワーを浴び、ビールの変わりにコーラを飲む。あー文明、文明。夕食はズッキーニとマッシュルームのパスタを「これでもか」と作り過ぎてしまい、さすがにこれは多いかと思ったが自分でも驚くくらい完食してしまった。キャンプ中、ずっと同じような物を食べていたので変わった味のものが美味い。
リビングでインターナショナルな会話が飛び交う中、一人日記を書いた。時々会話に参加したりはするがやはり僕の英語では最後まで会話が続かない。このもどかしさは何とかしたいな。
キャンプ中の日記が結構たまっていたので一気に書いていたが、北海道から来たという日本人の兄さんと、韓国人の青年が熱く会話していてとても羨ましく思った。英語だ。やはり基本は英語だ。この旅でそれだけはつくづく思った。
カナダのSに帰国する事を伝えるために電話したがついつい長電話してしまった。まぁどうせこのテレフォンカードも帰国してしまえば使わないのだからちょうどいいといえばいいって奴だ。
翌日、朝起きるとトイレで昨日の北海道から来た日本人の方と出くわした。挨拶がてら話をしていると弾んでしまい、こんなところではなんだからとチェックアウトしてからどこかで朝食でも取ろうということになった。
ところが2人とも朝食が取れそうな場所といえばマクドナルドしか知らない。朝マックとなった。
天気は昨日の晴れ間が嘘のように雨。それもかなりひどい。
日本人の兄さんはOさんといい、今日はメンデンホール氷河の麓のキャンプ場に行こうと考えていたのでバカデカイバックサックを持ち歩いていたが、生憎の雨で町の中なのに全身レインパーカーのかなりイカツイ格好になっていた。と、いってもアラスかではそれも気にならず、僕自身も同じような物だった。話し出すと、これが止らなく、昼近くまでエッグマックマフィンとコーヒー2杯で話し込んだ。
彼は北海道からカナダに5月の半ばに来て、そこから北上してアラスカに入り、ユーコン川なども下ってフェアバンクスなどにも寄ったようだが、「自分は森の仕事がしたい」と考え、寄るつもりはなかったが、レインフォレストを見るため東南アラスカに来たのだと言う。どこか先輩の面影と似ている部分があり、とても親近感があった事もあるが、その旅に関しての話はとても共感できる部分が多く、30歳になるというOさんの話は参考になった。 例えば、自分は南方系の人間か、それとも北方系の人間か。旅にしろ、何にしろ、住む場所を北に求める人と南に求める人の2つに絶対旅人は選択されるという話。カナダ、アラスカにきて、その大自然の雄大さに驚いてはいるし、もっと知りたいとは思っているけど、どこか南の島を意識している自分もいて、「おれはやっぱ南方系の人間なのかなぁ~」と思っていたところに、この人のこの話は共感できた。Oさんは逆に「自分は北に向かう人間だと思ったよ」といい、「色々な場所に行ったけど、どちらかというと北が俺には向いている。だから生まれ故郷の北海道にやっと根を下ろそうかと思っている」という話は、旅人の先輩としては非常に参考になる話しであった。
また、若い10代とか20代の前半の時はなりふり構わず、ノリと勢いでどこにでも行く事ができたけど、だんだん年齢を重ねていくにしたがって腰が重くなってきた。安定を求めるというか、何か旅や、行動を起こすのにすごいエネルギーが必要になってきた。強力な意志が必要になってきた。だから旅をしていて出会う若い旅人と話をしていても、なんだか噛み合わないことが多いという話もした。
最初はただ単に「やりたい」からやっている。それが若い時の旅だった。だけど年を重ねると自分のやりたい事や目的も自ずと見つかってきて、ある程度地盤も固まってきて現状維持の方向に進んでしまう。この状態から抜け出すにはものすごいエネルギーと、そこから出るはっきりとした意志、目的がないといけないというのは、まったく同感で、ただやりたい事をやってればいいと思う様には今は思えず、ただ単に目的もなく、珍し物見たさで旅をしている人間とはあまり話しが合わないでいた。
家具職人をしていたOさんはその仕事を辞め、今は林業に転職しようとしている。そしてそれは北海道に居を構える事を意味していた。
北に住む事を覚悟したOさん。
南の人間だと思う。
だけどまだ北も知りたい・・・。僕はまだまだ中途半端野郎だ。
キャンプするので食料が買いたいというのでスーパーの場所を教え、ココでアドレス交換をしてOさんと別れた。
沖縄に来る人間とは違う、また一つの旅人のあり方。
こんな人の生き方を知っただけでも僕はアラスカに着てよかったと思った。
ダウンタウンの本屋で欲しかった本を$300分も購入し、郵便局で家に送る。ついでにMSRのシグボトルもカナダのT君の家に送る。Sに送ろうと思ったが、色々お世話になったし、些細ながらお礼とした。
その後は昼食をとってお土産屋回り。世界どこにいっても観光地のお土産屋と言うのはどうでもいい物ばかり売っているものだなぁ~と思い、さらにこんなくだらないものを買うのは日本人くらいの物だろうと思っていたのに、結構外人さんも大量に買っちゃうのね。それも行列なんか作っちゃって。
普段、日本人のおかしな行動と思っていることも実は世界的に見ても珍しくないのではないかと思えてきた。
結局みんな、同じようなものということか・・・。 家族へのお土産と今晩の夕食を買ってユースに帰るとOさんがいた。
なんでもキャンプ場に行ったのはいいが、あまりにも雨がひどく、「なんでわざわざこんな日にキャンプをしなければならなきゃいけないんだ?」と悟り、1泊10ドルのここに戻ってきたというのだ。その選択が正しいと思う。 夕食にあまった食材をすべて放り込んだ、「オリエンタルごった煮ヌードル・アラスカ風」をつくり食す。
シャワーに入り、久しぶりにヒゲを剃った。浅黒い汚らしい怪しい東洋人が、ヒゲを剃っただけで男前になった。 最後の晩はOさんとハンさん、そしてもう一人の韓国人の青年とアラスカの旅の話し、グレイシャーベイでの話、カヤックの説明、韓国の年齢の話(韓国では西暦の年齢より2歳、年を取っていることになるという、あんまり良くわからない事実を教えてくれた)などをして過ごした。
コーヒーを飲んで日記を書き、荷物を整理して就寝した。
早朝4時半、起こしてくれと頼まれた隣のルームメイトを起こし、キッチンで冷蔵庫に残していたベーグルを焼いて食べていると、タクシーがやってきた。急いで荷物をまとめ、タクシーに詰め込む。
タクシーの運転手はこないだの兄さんとは違ったが、ハワイから出稼ぎにきたという陽気なオヤジで、僕が日本人だと知ると、
「俺の親友は日本人なんだ。日本人はいい奴ばかりだよ」
そう言って、妙にフレンドリーな感じになった。まァこれは僕が助手席に座らせてもらったこともあるかもしれないが。日本国内では助手席に座ってはいけないのだが、何故だかこっちに着てからはタクシーの助手席に座ってしまう。よく考えたら、こんなフレンドリーなタクシーの運転手など、日本では考えられないな。
空港で荷物を下ろすのを手伝ってもらい、別れる。 日本との時差を考えると朝6時に電話すると、大体夜の10時くらいだろう。家にこれから帰る事を電話し、飛行機に乗り込んだ。
9月21日、日本時間では22日に僕はアラスカを後にした。
シアトル経由で成田に向かったのだが、見たことのあるシアトル空港は日本語と日本人に覆われていて、すでに日本に帰ってきてしまったような錯覚に陥った。アレほど英語の生活に辟易していた自分が、実際日本の文化を感じ出すと、何故だか無償に寂しくなってきた。
僕のはじめての海外旅行は終わった。