雪中のカフナ

~冬季 奥琵琶湖ツーリング~

2008年2月9日・10日 

 
 
「琵琶湖に来るなら、夏もいいけど、冬に来なよ」
 2006年の油谷で行われたシーカヤックアカデミーの帰り、グランストリームの大瀬さんはそう言って僕を誘った。
 去年は仕事が忙しすぎて休みを取ることが出来ずにいたが、今年は何とかなりそうだった。2月頃、遊びに行こうと考えていたら、ちょうど九州のサザンワークスの松本さん達も参加して冬の琵琶湖をやるようなので便乗する事にした。
 シーカヤックアカデミーでも沖縄でのフェザーミーティングでもそうだし、何故か大瀬さんと会う時は松本さんもいる。偶然とは言え、僕にとっては2人でセットな気がしてならないが、それは別に本編とは関係ないので気になさらないでください…。
 
 2008年2月9日。僕にとっては年が明けてから初のパドリングになりそうだった。
 仕事を終えたのが朝方3時。職場の飲み会と被ってしまい、そのまま6時の新幹線で米原に向かい、そこから乗り換えて近江塩原を経由してマキノに向う。軽い睡眠を電車の中でとったものの、微妙にアルコールが残っている体で駅に到着した頃には気持は悪かった…。
 ホームを下りてトイレに入ろうとすると手を振って合図する男の人がいた。大瀬さんだ。そのまま2人でトイレに入り、並んで小便をしながら挨拶する。久しぶりの再会なのにいきなり二人並んでタッションとはね。
 車に乗って駅から3分ほどで湖岸にあるキャンプ場に到着し、降ろされる。
 車から降りると、今回参加する男の人を紹介された。 
「おー、久しぶりやんかー!」
 あまりのリアクションに僕も驚いたが、顔を見ると思い出した、3年前の奄美のシーカヤックマラソンで会ったIさんだった。知っている顔があると初参加のツアーでも安心できる物だ。軽く久しぶり談議をしてもう一人、Mさんを紹介される。
 届いたカヤックを受け取る。今回参加する人間は10名あまり。そのメンバーのカヤックが並べられている中、僕のカヤックはすぐにわかった。他の人のカヤックに比べてあまりにもボロボロだからだ。
 マキノ駅に着いた頃から雪が降り出していたが、キャンプ場に到着してからしだいに雪は本降りになってきた。その雪の中、カヤックの入ったバックを開いて組み立てを開始する。そうこうしている内に九州からやって来た松本さん一行も車で乗り付けてきた。ほとんどの人が新潟の妙高でスキーをしてからこっちにきている。かなりの強行軍である…。
 カヤックを組み立て始めて、僕はある異変に気付いた。
 K1を買ってからというもののカフナに乗る機会がなく、よく考えるとカフナを組み立てるのは2006年の八重山諸島一周以来だったのである。しっかり洗ったつもりだったが、塩が残っていたようでエクステンションバーがガッチリくっ付いてしまっていた。チャインやガンネル部分のバーは何とかなったが、キール部分のバーが完全にくっ付いてしまい、水をかけたり叩いたり、色々やっていたら、プラスチックの部品が割れてしまった…。大瀬さんに頼み、このパーツだけ貸してもらって組み立てる事に。
 確か2005年の西伊豆でもこの部分を忘れて人に借りた気がする…。単独行ではなく、こういう人が集まる時にこういう失敗をすると言うのは、運がいいのか悪いのか、よくわからんが不甲斐ない事実だ。しかしまぁ、助かった。
 参加者全員のカヤックが組み立て終わり、パッキングが行われる頃には雪はかなり降っており、早くも積もり始めていた。キャンプ場の前の浜は真っ白になり、視界はまったくない。目的地の岬などまったく見えない。完全な雪の天候となった。

 今回のパドリングウェアーは、ドライスーツを借りた。
 2007年5月の知床でドライスーツの利便性を知り、実際に自分でも使ってみたかったのだ。いきなり買うのは抵抗があるので一回試しに使ってみたかった。どうやらレンタルがあるようだったので迷わず借りる事にしたのだ。
 海パンを履かずに、ジーンズのまま、ドライスーツを着込んで長靴を履いた。いやー、楽チン♪ひっくり返った時のこともあるが、それ以上に体が濡れないという事が非常に好ましい。ビバークでも体を乾かす必要がないのでいい。値段は張るが、冬に水際で遊ぶなら申し分ないコストパフォーマンスだと思う。
 他の人達は皆、買出し等済ませているので東京から直で来た僕は大瀬さんにスーパーまで連れて行ってもらい、適当に食糧と昼食を買い込んでからキャンプ場に戻る。路面からは凍結防止の水が噴射されており、雪国に来た感じだ。
 13時頃、皆さんの準備が整ったようなので出艇することとなった。
 あたりは完全にホワイトアウト。何も見えない。ガイドに大瀬さんが先頭を行き、僕らはそれを追っていく形だ。
 それにしてもこの雪よ。カフナのデッキの上には雪が積もり、まるでホワイトカラーのカヤックのようだ。上空を見上げると無数の牡丹雪がハラハラと落ちてくるのが見える。湖面は静かに静水を湛えている。ベタ凪。風は珍しくない。おのおの、静かにパドルを回し大瀬さんの後に続いた。
 湖面は驚くほどに静かだ。ただ、自分と周りで漕いでいる人間のパドリングの音しかしない。時おり水鳥の羽ばたく音だけが湖面に響き渡る。
 冷たい空気とひんやりと当たる雪をよそに、体はパドリングをしているためにほのかに温かい。漕いでいる限り、寒さは苦痛ではない。だが、止まると手から足先から、冷気が体を支配してくる。でも、それは悪くない感覚だ。
 ホワイトアウトの中を微かに見える対岸の岬を目指して漕ぎ進んでいく。
 カサラノに乗っている大瀬さんは、風が出るのを心配してか予想に反してスピードが速い。結構ついて行くのに苦労する。だが、漕げば進むベタ凪だ。だれも脱落することなくカヤックを進めている。
   11人参加者がいて全員シングル、そしてフェザークラフト。途中、休憩に上陸した地点で松本さんがぼやいた。 
「パーキングエリアとかでたまに厳ついハーレー軍団とかに出くわすけど、俺らもあれと一緒だな…。怪しい趣味の集団だな」
 湖の沿岸を漕いでいる最中、車から僕らを見ていた人達はどんな風に思っていたのか?こんな日にカヤック?何でみんなフェザークラフトなの?確かに、怪しい事だろう。
 でもそんなことは慣れっこなのだ。怪しくて結構。奇特に思われても別にかまわないではないか。
 2時間ほど漕いだ所で上陸して休憩。餅屋の前にある東屋で小休憩となる。ここから先はバックカントリーになるので最後の文明、自動販売機にお金を入れて温かい缶コーヒーを飲んでおく。湖面に浮かんでいる時より寒い…!トイレ休憩もかねるが、あそこがおそろしく縮こまっている。
 30分ほど休憩した後、再び出発。
 ここから今日のキャンプ地である場所まではあと僅かなようだ。先に見える岬を目指して漕ぎ進む。

 

 通常、琵琶湖のこのあたりは山からの吹き降ろしがひどく、風の通り道として荒れる事が多いらしいのだが、この日は深々と降る雪のおかげで風はほとんどなく漕ぐのに何の支障もなかった。むしろ久しぶりのパドリングで自分の体力の低下の方が気になっていた。しかしまぁ、徹夜明けでのぞんだこのツーリングだけに、途中途中、かなり眠くなってしまい目をつぶってしまう事が多かった。 
「アルピニストが山で死ぬ時、こんな感じなのだろうな」
 そんな物騒な事を考えながら手だけは動かした。実際、この湖に今落ちたら、かなりのダメージを負う事は確かだ。
 対岸の景色はそれまでの湖の周遊道路があるものから完全に山へと変わった。山の稜線は雪なのか雲なのかわからないが不明瞭で見えず、その為にこの場所に詳しい大瀬さんでさえルートファインディングが困難になってきていた。
 それにしてもここは素晴らしかった。
 それまでベタ凪といっても多少は風があったが、この入江は本当に無風。鏡のような水面に雪が消えるように落ちていた。
 水墨山水画のような白黒の世界。グレーの曖昧な水平線と空の境目が、雪が消える事で理解できる。その中を漕ぎぬけるカヤックたち。こんな冬の綺麗な景色を見ずして日本のフィールドでカヤックをやっていると言えるのだろうか??
 そう思えてしまうほど、ここの景色は最高だった。
 フワフワ、ヒラヒラ、深々と降る雪。それが目の前で「ふっ」と、消える。水面に吸収されると言うより、完全に消えてしまうように見える。音は完全に無い。視覚だけの映像がさらにその美しさを際立たせている。
 もう、そこにカヤックでいるというだけで満足だ。
  

 

 
 だが、このままでは凍死してしまう…。
 大瀬さんの秘密のキャンプ地に案内され、みんなでその湖岸に急ぐ。夕暮れももうすぐだという4時過ぎに、キャンプ予定地に上陸した。波が無いので水際ギリギリまで積もった雪。山の木々には雪が積もり、その景色は最高だ。焚火台を置き、みんなで薪を探して持って来た乾燥した薪をベースに乾かしながら焚き火を起こした。
 冬のカヤックで焚き火が出来なければ凍え死んでしまう。重要な技術だと思う。
 夜はその焚き火の周りに寄り添って皆で飲んでいたが、僕はジャケットを乾かしながらウトウトと寝てしまい、途中落ちる。再び起きるが、眠さと寒さで、10時過ぎにはテントの中に入ってシュラフに包まれて眠った。
 ダンロップのテントと、モンベルのエアマット。そしてモンベルの羽毛寝袋に包まると、家のフトンの中よりも落ち着いてしまう…。
 もう一つの僕の部屋だ。
 翌日、テントに雪が放り投げられてきた。 
「バジャウー、起きろー」 
「あと30分で出発するぞー」
 時計を見ると9時半だった。寝すぎだろ、オレ…。緊張感なさ過ぎだ。
 テントから出るとすでに皆さんパドリングウエアーに着替えて荷物をまとめ、コンロでコーヒーなど飲んで出発する前の一休みという勢いだった。急いで荷物をまとめ、テントを撤収し、カヤックにパッキングする。
 ある意味撤収時間は早い自信があるので、そそくさと作業を進め、皆さんの出発時間には間に合った…と、思う。
 雪は昨日の夕すぎには止み、木々から雫がボタボタ落ちていたのだが、この日は完全に跡形もなく雪は消えていた。白い絨毯に覆われていた湖岸には見えなかった緑の絨毯が表れていた。コケが地表を覆っていたのだ。
 九州からやって来た松本さんの連れ、ジョンさんはカメラでしきりにコケを撮っていた。何を隠そう、僕も『コケマニア』なのでこの光景は妙な親近感を感じてしまった…。
 

 結局出発したのは10時45分頃。ゆっくりと湖を南下していく。
 昨日と違って風がかなり吹いている。だが北からの追い風だ。追い風、追い波に乗ってグングン舟は進む。
 ところが30分ほど漕いだ所で時間を見ようとしたら時計がないことに気付いた! 
「あ、やばい・・・」
 ドライスーツを着るときに外したのを思い出した。全力で漕いで大瀬さんに追いつき、時計を忘れたから取りに行くと告げる。どこを通ってどこに向うかを聞き、みんなと離れてもと来たビバーク地に戻ることに。
 パドルをグリーンランドからコーモラントに替えてマジ漕ぎで戻る。
 あー、何でこんな苦労をしなきゃいかんのだと自分を罵りながら汗だくになって漕ぎ続ける。
 時計は湖岸の石の上に「ちょこん」と誰でもわかるようにあった。
 みんなより5㎞ほど多く漕ぐはめになってしまったが、まぁしょうがない。一人で漕ぐ事にも慣れている(むしろそっちの方が楽だ)し、追いつけないという自信もなかったので気ままに漕いでいく。開高健の云うところの「悠々にして急げ」といった感じか。
 いや、もうちょっと自戒の念を持てよ…。
 湖の上はかなり風が強くなり、波がかなり出てきていた。この波を使わない手はないと、サーフィンをしながら距離を稼ぐ。だがイマイチ乗るには小さい波なのでパドリングが大変ではあった。
 湖岸にはたくさんの定置網がある。その柵の沖を漕ぎながら南下を続けていると、前方にそれらしき影が見えてきた。よしよし、これで一安心。スポーツの森の前あたりで皆さんと合流。そのままカヤックを漕ぎ進める。
 姉川河口で上陸し、昼休憩となった。
 上陸して風影に入るとポカポカとした陽気で非常に気持ちがよい。MSRに火をつけてラーメンを作り、朝食に食べようと思った米も入れてごった煮みたいにして食べる。
 飲食店で働いているので料理にはうるさい方だと思うけど、個人で行うアウトドアでは結構テキトウ。腹に入ってエネルギーになれば何でもいい。たいていの物は空腹時に食べるので美味く感じる。普段食べないチョコレートやソイジョイなんかも美味しく食べてしまう。

 

 休憩の後、最後のパドリング。
 左手に滋賀県最高峰の伊吹山を見ながらサーフィンしつつ上陸地である長浜を目指す。 
 正面にその伊吹山と長浜城が重なった頃、上陸ポイントに到着。湖岸に打ち寄せられた水草の残骸が積もって岩のように見えたが、先に上陸した大瀬さんが蹴るとボロボロと崩れた。カヤックに付かないように静かに上陸した。
 いきなり怪しい船団がやってきたので驚いたのか、一人お爺さんがしきりに僕らにカメラを向けていた。何に使うんだよ、その画像…。
 公園の芝生の上で快適なカヤックの分解、パッキングを済ませ、みんなで長浜駅を目指す。ツアーはここまで。思い思い、各自帰路について行く。
 僕は大瀬さん達とともに電車に乗り、もと来たマキノに戻る。
 ファルトボートだと、こういう公共交通機関でお気軽にカヤックを運ぶ事が出来るので、ワンウェイツーリングが簡単にできるのがいい。長浜駅は湖にとても近いので歩いていく事が出来て非常に理想的な立地条件だ。コンビニもあるのでそこから送る事も出来る。まさにフェザークラフトならではの旅のスタイルであった。
 

 
 今回、雪を見ながら冬のカヤックツーリング、雪上キャンプをやるために琵琶湖に来たわけだが、琵琶湖自体にくるのも実は初めてだった。
 友人にバス釣りをする人が多いので琵琶湖によく行っている話は聞いていたが、自分が琵琶湖に行く、しかもカヤックをしに来るというのはよく考えれば考えてもみなかった。あまり関心がなかったのだ。
 だけど、海と違って干満がないし、塩害の事も考えなくていいので非常に快適なツーリングができる。何より湖独特の雰囲気、条件が面白い。湖は他に中禅寺湖を漕いだことがあるけど、釣りではもっと色々湖は行っている。四季折々の植物の様子や、水鳥の多さなど森や山を観察するには非常にいいフィールドだと思う。
 今度は夏にでも来て、ブラックバス退治と称して潜ってもみたいね…。野田知佑さんは昔よく潜っていたらしいしね。
 とにかく、今回のツーリングは初日の雪景色に価値があった。それほど、あの景色の中のパドリングは幻想的で、感動し、面白かった。
 ガイドしてくださった大瀬さん。そして九州から来ていた松本さん、ジョンさん、久しぶりに再会したIさん。お会いした方々、ありがとうございました。楽しかったです。
 

 
 ツーリング後の話はブログにて書きたいと思います。
 雪中のカヤッキング。最高です。