200766日~69

 
 64日の午後3時ころに日本を発った僕は、日付変更線を越えて同日64日の早朝、シアトルに到着。そこで国内線に乗り換えてアラスカのジュノーへと向かう。
 ジュノーはゴールドラッシュの時代に栄えた街で、州の端にあるものの、立派な州都だ。アラスカというとアンカレッジやフェアバンクスなどの大都市が思い浮かぶので、これは意外に思うかもしれない。でも実際、街としての機能もアンカレッジの方がはるかに優れているようだ。
 写真家・星野道夫さんの本によると、ジュノーは坂道の多い美しい街だと書いてある。
 実際、ジュノーは背後に山が迫り、氷河の後退によってできた水路を挟むように作られた街だ。水路際の湿地と、背後の山との間の僅かなスペースに街が作られている。住宅地は急な山肌に建てられていて、町の坂はとても急だ。ウッド性の歩道橋や階段がいたる所に作られており、それらを利用して町を歩くと、まるでジャングルジムのようだ。
 初夏の太陽を受けてタンポポが異常に大きく伸び、黄色い花を満開に咲かせている。水路の際にはルピナスの紫色の花が風に揺れている。遠くには雪をかぶった山々が見え、確かにジュノーの街は美しい。
 現地時間の午後2時頃、ジュノー国際空港に到着した僕は、そのまま空港にある「Wing of Alaska」の窓口に行き明日のガステイバス行きの飛行機を予約した。ジュノーからインサイドパッセージに点在する町へは何社かの航空会社があるが、前回の反省(というか復讐)もあり、前回利用した会社は使わず前にお世話になった会社を使うことにした。
 Oasisのノエル・ギャラガー似のお兄さんとつたない英会話で交渉すること20分、なんとか往復チケットを買うことができた。海外ではカヤックを漕ぐことより、英会話をする方が僕にとっては冒険的だ。
 タクシーでダウンタウンのユースホステルに向かい、そこに荷物を預けて早速街に繰り出す。
 ジュノーの街は基本的に3年前に来た時と変わりはなかったが、よく晴れわたっており街のいたる所に花が咲いていて、前に来た時よりは印象がかなり良かった。建物も改築しているところが多く、さびれた町というイメージは感じなかった。
 マクドナルドで飯を食べ、スーパーに買い出しに行く。
 2週間分の食料、ホワイトガソリン、ライター、酒などを買う。
 ユースに戻ったのは7時頃だった。チェックインをすまし、シャワーを浴びて部屋でくつろいでいると、猛烈に眠くなり少しの間寝てしまった。何しろ出発日は徹夜で寝ていなかったし、時差の関係でかれこれ40時間近く起きている計算だった。
 10時頃起きて食料の包装をとき、ジップロックにまとめてゴミは捨てていく。軽くパッキングし、夕食も食べずに再び寝てしまった。
 翌朝、買っておいたベーグルとコーヒーで朝食。日本ではあまり食べないのだが、海外で食べるベーグルは妙にうまい。
 9時にはチェックアウトしなければならないので、8時半ころタクシーを呼び、それに乗って空港へと向かう。
 空港で手荷物を預け、空港近くにあるナゲットモールというショッピング街にあるアウトドアショップで雑貨とクマ除けスプレーを買う。前回来た時は$30くらいだったのが$43と、ちょっと値が上がっていてショックだ。でも命には代えられないのでこいつは外せないアイテムである。
 空港からちょっと離れるが、歩いて15分くらいの所に「Fred Meyer」という日本で言う「マックスバリュー」みたいなスーパーがある。ここで釣り具とライセンスを購入しようとしたのだが、ライセンスがバカ高く、2週間で$80もする。毎日釣りをするわけでもないし、サーモンもいないので釣れるかどうかもわからないロックフィッシュやハリバットを狙うには高いと思い、購入はやめることにした。よって、釣り竿の購入もやめた。
 またまた近くにあるマクドナルドで昼食を食べ、空港に戻る。飛行機は予定時間を30分遅れて出発。前回は天候不良で5時間くらい待たされたので、それに比べればありがたい。
 水色の軽飛行機に僕を含めた3人のお客を乗せ、曇り空に向かってパイロットは加速し、飛行機を飛ばした。みるみる離れていく地上の風景が、本物だとわかっているにもかかわらず、模型のおもちゃのように見えるのが可笑しい。トウヒに覆われた森と、山上湿地しかない山、そしてその島々の間を流れるインサイドパッセージ。漁船やヨットが航跡を残しながら進んでいる。クジラはいるかな?カヤックを漕いでいる人はいるかな?そんなことを考えながら飛行機の中で妄想しながら眼下を眺めていると、わずか30分ほどでガスティバスの荒涼とした空港に着陸した。
 Wing of  Alaskaの事務所はしっかりとしたウッドロッジで、そこでタクシーを呼んでもらおうとすると、すぐ隣にいた女性がタクシードライバーだと紹介された。その人の車に荷物を入れてここから更に15km先にあるBartllet coveにあるキャンプ場に向かう。途中、ガソリンスタンドで給油をし、出発しようとしたら給油口にホースを突っこんだまま出発しようとするので焦ってしまった…!
 隣で給油していた兄ちゃんも、運転手も僕も、笑ってすましたが、なんだか田舎くさくていい感じだ。
 運転手の姉さんは、冬はマッシャー(犬ぞり)の仕事をしていて、夏の時期はタクシードライバーをしているらしく、自分の家の前を通った時に教えてくれた。片言でしか話せないけど、外国の人と話をするのは楽しいし、うれしい。
 無事、キャンプ場にたどり着くと荷物を出し、インフォメーションセンターへと向かった。
 Bartllet coveはアラスカで唯一、ユネスコの世界自然遺産にも登録されている、ナショナルパーク「グレイシャーベイ国立公園」の入り口である。この公園に入る者はキャンプ場に滞在するものも含め、全員ここで講習を受けなければならない。僕が中に入るとレンジャーが3人もいて、ちょうど、公園内の説明ビデオを流しているところだった。僕が話しかけると40代くらいの女性のレンジャーが対応してくれた。
 公園内の説明やルールを説明され、要約した20分くらいのビデオを見せられる。また、ツアーでなく個人でバックカントリーに入る者は何日間バックカントリーに滞在するか、何で行くか?そしてカヤックである場合、何色のカヤックか、PFD、テント、ジャケットの色なども聞かれ、銃の所有、エマージェンシーグッズの有無、旅の計画などが事細かく聞かれる。予定をだいぶ漠然と立てていた僕は、大体の予定を話し、最後に食料を入れるベアーコンテナを貸してもらい、計1時間ほど話してキャンプ場へと向かった。
 Batllet cove Campgroundは非常にきれいなキャンプ場だ。
 レインフォレストの苔生した森の中にあるキャンプ場で、通路は砂利で覆われており、設備はトイレと食料を入れるフードチャーチ、それに濡れた衣服を乾かすドライハウスがあるだけで、日本のキャンプ場にある炊事場などはない。
 これは、クマ対策で、このキャンプ場はバックカントリーのルールがそのまま適用されており、食料の調理は潮間帯で行い、テントから100ヤード(約90メートル)離したところで行わなければならないのだ。テント内には食料は持ち込まず、3つあるフードチャーチに保管する。その為、決まった調理場がないのである。キャンプ場としては不便かもしれないが、クマがうろつくこの界隈で、人間の生活をなるべく熊の社会に持ち込まないようにするには必要なルールなのだと思う(まぁ、それはおいおい身をもって知るのですが…)。
 なにより、無料であるというのがうれしい。水はインフォメーションセンターの横のトイレから汲めるし、隣にはグレイシャーベイロッジという宿泊施設があり、ここのレストランやシャワー、売店はキャンプ場の人間も利用できるのである。そう考えると、非常に素晴らしいキャンプ場だと言えないだろうか?実際、この時はまだロッジが使えるということを僕は知らなかったのだが、それを除いても、このキャンプ場の美しさは十分価値があった。
 荷物を運び、テントを立て、早速カヤックを組み立てる。
 夏至に近づいた南東アラスカは、白夜に近く、ほとんど暗くならない。この日も8時過ぎだというのにあたりは明るく、まるで夜だということを気付きにくい。そんな中、夕飯にと、これから毎日食べるであろう「ベーコン玉ねぎ炊き込みご飯」にバターと醤油をたらしたものを食べ、紅茶をすする。正直、味を濃くしすぎた。毎日これを食べていかなければならないと思うと少しウンザリしたが、久しぶりに腹いっぱい飯を食べ、バーボンを飲むと、眠くなってきた。
 まだ夕日も見ていなかったが、僕はテントの中に入り、明日からのカヤッキングをイメージしつつ、就寝した。
 

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Bartlett cove →Sturgess Island

初日の活動を終え、夕食を作る私(Sturgess island)

 朝、5時30分起床。朝食を食べようと思っていたが、潮の関係でなるべく早く出発したかったので結局抜いた。しかし思いのほか新しいカヤック「K1」へのパッキングに手こずり、思うように荷物がまとめられずイライラしながら荷物を詰め込む。そうこうしているうちに時刻は7時を回り、ようやく出発となった。
 ファルトボートを出すには厄介な目の前の海岸から舟を出し、いったんレンジャーステーションの前に上陸して水の補給をする。この時昨日対応してくれたレンジャーの女の人に呼び止められて、手書きの名簿にサインをしていなかったことを指摘され、そこに記入したのち出発となった。
 Bartlletcoveから出発した場合、北のYong Islandを左に回るか、右の細い水路を通っていくかでだいぶ時間が違ってくる。後者の方が時間は削減できるので前回も利用し、今回もそこを通っていく予定だったのだが、ここは潮が大潮の満潮でないと通過が難しく、しかも下げの時間だと、向い潮になってしまい、遡っていくことになるのだ。今回、時間が遅れた僕は正にギリギリのタイミングでそこを通ることになったので、水位は微妙だし、潮の流れもまるで川のようになっている所を遡るありさまだった。
 いきなりのハードな道程にとまどいつつも、なんとかパドルを必死に振り回し、ハルが岩にぶつかるたびに冷や冷やし、水路を通過した。
 浅くて狭い水路を通過すると、穏やかな静水面にトウヒ(sitka spruce)の森がある島々が目の前に広がった。3年前に初めてここに来た時は、水鳥が大群で水面を泳ぎ、アザラシが多数、カヤックの前に現われてくれた。今回もそうであってほしかったが、野生動物の気配は少なく、ただ静かな海を漕いで行くのみであった。
 空はどんよりと曇り、年間のほとんどを雲に覆われている東南アラスカとしては当然の天気ではあったが、風がなく、べた凪の海はその生物の少なさもあいまって静けさに包まれていた。聞こえるのはまさに自分のパドルが水をキャッチする音くらいである。
 同じような島々が連なるBeardslee Islandsを漕ぎ切り、島が途切れると静かだった内海も波が出てきて、海底には多数のケルプが見えるようになってきた。それに伴ってか、遠くにラッコ(Sea Otter)も確認できるようになってきた。
 Beardslee Islandsを抜け、正面に見える上陸禁止であるFlapjack Islandを横目に通るころには、潮もかなり引いており、浅い海にケルプが生い茂ってカヤックの走行を著しく妨げるようになってきた。潮の流れも速く、透明度が良くなったために海底の様子がよくわかり、ものすごい勢いで流れているのがわかる。だが、すぐにケルプの森にひっかかり、そこを抜けて流され、また引っかかるということを繰り返してなんとかこのケルプ帯を抜けることができた。
 ここを抜けると正面に見えるはずのLeland Islandまでは海峡横断となる。
 ところが、ここにきてすごい濃霧に囲まれた。俗にいうホワイトアウトというやつだ。
 朝から曇り空ではあったが、ここまで視界が悪くなるとは思いもしなかった。
 前回来た時はクジラも見られて、すごい野生動物の濃い場所だと思っていたのに、今回はそれほど多くの野生動物を見ておらず、その寂しさがよりこのホワイトアウトを悲しく受け取らせた。うっすらと見える島影に向かって漕ぎだす。
 べた凪の油を流したような海に多少のうねりが入り、その上をカヤックは進んでいく。前回来た時は今向かっている島が一番出発地点から離れている場所だったと思うと、そこにわずか4時間余りで到着してしまうということが非常におかしかった。当時の自分がどれほど臆病だったか、もしくはのんびりとした計画を立てたものだとか、あれから随分自分のカヤッキングも上達したものだとか、色々と思惑が重なり、一人ほくそ笑みながら島に向かった。
 クジラでも登場しないかと思っていたが、ラッコが数匹現れるだけでLeland Islandに到着してしまった。
 島に近づくころ、霧雨が降りだして気分はさらに滅入ってきた。潮が引いており、島の周りは尖った石ころが多数転がっている上に、カキ殻やムラサキガイが剥き出しになっていてとても上陸する気分にはなれない。心なしか3年前に来た時より地形が変わっているように思えた。一応上陸し海岸を探索するが、どうもテントを張る気になれない。雨が降っていることがなおさら目の前にある場所でテントを張らなければならないという状況を想像しがたくしていた。カヤックに乗り込んで島の西側に回り込んでいくが、自分が知っている島とは思えなかった。
 この島は南半分しか上陸、キャンプが許可されていないので西側に回るとあっという間に上陸できない区間に入ってしまっていた。フラットな場所があり、そこの様子を見ると、流木の上にハクトウワシが遠くを見ながら座っていた。テント場としてはなかなか良かったが、上陸禁止な場所であるうえに、雨が前進するようにと訴えていた。決断は早く、この島はあきらめ、さらに先の島に向かうことにする。
 出発早々、前回の最長距離を越えてのパドリングだ。
 Leland islandを過ぎ、さらに北を目指すが、目的の島はまったく見えない。ただ、左前方にお椀をかえしたような島が見え、右前方には陸地とつながっている島が見えた。それを頼りに地図で確認できるseabree islandをおおよそ予測して漕ぐ。それほど心配することもなく、しばらく漕いでいると島は確認できた。それにしてもすごい濃霧だ。べた凪の海の上に漂っていると、幽霊船でも目の前に現れてきそうな雰囲気である。
 右手にはPuffin Islandという愛らしい名前のついた島があったがその周辺は熊の多発生地帯らしく、キャンプが禁止されていた。その島々のすぐ脇に、Sturgess Islandがあり、この島には他に2つの島が近くに存在していた。このうちの一つに上陸し、高台に登って様子をうかがうとなかなか良さそうな島だ。カヤックに戻り、この3つの島の周りをぐるぐると漕ぎまわってテントを張るのによさそうな場所を探すと最初に目を付けた場所が一番よさそうだった。
 カヤックをゴロタ浜につけ荷物を潮上帯まで運び終えると、「ふぅ」と、ため息が出た。とりあえず、初日のキャンプ地は決まった。時間はまだ午後2時近くだ。7時間漕いでここまで来られれば上等だろう。
 朝飯を食べずに出発したので、猛烈に腹が減っており、行動食の消費が異常に早かった。これでは行動食がなくなってしまうので、とりあえず何か腹に入れようとパスタを茹でて食べた。海水と水を半々で割り、それでパスタとベーコンと玉ねぎを茹でて味をつけたもの。茹で汁ももったいないのでスープスパゲティにして食べた。
 ムール貝の貝殻が砕けて堆積した砂浜にハマハコベのグリーンが映え、背後には苔むしたレインフォレスト。磯の上には黄色い小さな花が咲き乱れ、霧の晴れてきた海岸線には遠くフェアウェザー山脈の雪をかぶった姿が見て取れた。最初のビバーク地としてはなかなかのロケーションに満足。まわりにはカモメが多数飛来し、オイスターキャッチャーという鳥がケタタマしく鳴いているものの、愛嬌があるのでつい見入ってしまう。初日くらいは熊の心配の要らない場所でテントが張りたかったので安心する。
 午後4時頃にパスタを食べたのだが、どうも腹が減ったままなので7時頃に焚き火をおこし、米を炊いて食べた。食べることが非常に楽しい。米を食べるとさすがに満足し、バーボンをチビチビと飲みながら焚き火を眺めた。
 夜の9時頃、やっと太陽の日が傾きだし、オレンジ色がかってきた。その光が低く垂れ曇る空からこぼれ、遠くの山脈を映しだすさまは、まさに雄大な風景という表現がぴったりで、その中を大型旅客船がGlacierを見た帰りなのか、通り過ぎていく。
 出発初日にして、前回漕いだ距離を追い抜き、未知の領域に踏み込んでしまった。しかしその場所は自分の考えていたビバーク地を越えるもので、まさに理想的なグレイシャーベイのキャンプだった。その事実に不安はいっぱいあるものの、この旅が自分の予想を超える面白いものになるだろうと思えてきて期待が膨らんできた。
 興奮冷めやらぬ中、気分は高揚していたが疲れているだろう体を無理やりテントの中にしまい、まだ明るい空のもと就寝した。
 寝つきは意外に早かった。

 

 

67
Sturgess Island Mcbride glacier

気付くといつもそばまで来て様子を見ているBlack oystercatcher


 テントから出ると相変わらず空には暗雲が垂れこみ、昨日までとは違って風が強く吹いていた。しかし幸運にも追い風の南風。パドリングに支障はない。
 昨日残した冷や飯に水とコンソメを入れて雑炊にし、それを朝食にして出発の準備をする。昨日の反省から、しっかりと朝食は取った方がいいと判断したのだった。
 風に乗って島を北上し、そのまま海を北に向かって行ってもよかったのだが、東にそれて陸沿いに行くことにする。東側、Mount Wrightのそびえる沿岸は絶壁となっており、その壁を雪解け水が多数の沢となって流れているのが見えた。このあたりはクマとの遭遇率が高いという理由でキャンプが禁止になっているのだが、もはや物理的にも不可能に近く、やってできない場所もないが崖崩れが心配だ。沢が岩伝いにものすごい勢いで流れ、海に直接落ちている。新緑の細木が岩の隙間から生えていて、その風景は日本のダム湖の感じにそっくりだった。秋になってもこの沢が枯れずに残っているのならば、この場所でピンクサーモン(カラフトマス)がもんどりうっているのだろう。知床の風景を思い出した。
 絶壁地帯を漕いでいると正面左側にGarforth Islandが見えてきた。素通りするつもりだったが、帰りにビバークしようかと思っていたので下見を兼ねて上陸することにした。島と山との間は風が抜けるためか、ものすごい勢いで風が吹き抜けており、追い風だからよかったが普通に考えるとえらい強い風が吹いていた。その風を受けながら海峡横断し、島に渡るとファルトボートにもやさしい丸い砂利でできたビーチが待っていた。安心して上陸し、島を探索する。

 
 

 Garforth Islandは北側に開けたビーチがあり、そこが上陸するには一番よさそうで潮上帯の上にも野イチゴ(Wild strawberry)やタンポポ(Dandelion)の花が咲く開けた場所があってキャンプをするにはひじょうに良さそうな場所だ。砂浜には小型の獣の足跡こそあったが、クマらしきものは見つからず、East armを漕ぎ切った帰りに寄ろうと決める。
 島を出発して北上し、沿岸に移るとそのまま岸沿いに漕ぎ進めていく。このあたりはピックアップサービスをしてくれるポイントになっているのだが、相変わらず人の気配はない。
 レンジャーの人が「ここはいいビバークポイントだ」と言っていた通り、確かに開けたビーチがあってキャンプはしやすそうだが、まだ出発して間もないので先を急ぐ。この先にあるAdams Inletの入り口を横断するのだが、ここは潮が速いので注意と言われており、やや気合が入る。
 入り江の入口まで来て、横断を開始すると潮の色が濁り始め、きれいなミントブルーになった。草津温泉の色というべきなのか、細かい白いシルトを含む濁り水である。おそらくAdams Inletから流れ込んできている水なのだろう。潮が複雑に絡み合って流れており、少し面倒くさいが漕げないレベルではない。
 上空にはどこから現れたのかアジサシ(Arctic tern)が飛び交い、興味ありげに僕の方に向かってきては上空にとどまり、去っていくのを繰り返していた。
 なんとか水路の横断に成功すると、今度は岩礁帯の沿岸を漕いでいく。たまに岩礁帯の隙間に良質のビーチを発見しては上陸し、休憩をとった。追い風のために波が高く、上陸の際はけっこう波をかぶった。
 出発してから6時間。少し疲れてきた。まだ新しいカヤックに慣れていないのか、尻と腰が痛くなるのが早い。これといった肉体的な楽しみもないので、行動食を食べるのが楽しい。
 ちなみに行動食は初日にバクバク食べ過ぎたので数が減り、その後数えた結果一日ミニチョコバー2つ、キャラメル3ヶということに決まった。だから一つのミニチョコバーを食べるときの感動はなかなか筆舌しがたいものがある。魔法瓶に入れた甘い紅茶と共に嗜むと、ほっとする。
 強力な追い風に助けられ、その後も距離をどんどん稼ぐ。ずいぶんと開けたビーチを横目に北上していくと、Sealers Islandが見えてきた。ここでビバークできたらいいと思っていたが、名前からしてアザラシやアシカのコロニーになっているのではないかと予想していた。しかし予想は外れ、島には海鳥以外はほとんど生き物が見られなかったものの、とてもファルトボートで上陸できるような場所はなく、すんなりとあきらめて先を急いだ。
 午後4時頃、かれこれ10時間ほど漕いだころに、今日のビバーク地と決めていたMcbride Glacier前の更地についた。手前の海岸に上陸してもよかったのだが、できるだけ距離を稼いだ方がいいと、Glacierが流れ込む水路を越えて対岸の更地に上陸、氷河の様子を見に行くことに。
 しかしここで油断した。ものすごい勢いでカヤックが入江の中に吸い込まれていくのだ…!慌ててフェリーグライドで脱出し、対岸に上陸した。事前にMcbrideの入り口は激流になると聞いていたのをすっかり忘れていた。これでは情報をもらった意味がないではないか…。アーびっくりした。
 海岸にはMcbride glacierから崩れて流れ、漂着したのか多くの氷の塊がグレイシャー・ブルーに輝きながら転がっている。さまざまな形に溶けており、差し詰め現代美術館に来たような抽象的なイメージ。まさに写真で見たことがある、氷河の流れだした風景に一人「ぐふふ」とほくそ笑みながら、できる限りカヤックを引き上げロープを岩に結び、三脚とカメラを持って氷河の見えるあたりまで歩いていく。
 いい気分で歩いていたが、足もとに目を移してから一気に緊張が走った。泥と砂地に残るツアーで来たと思われる人間の足跡とともに、大きな獣の足跡が誰にでもわかるかのごとく残っていた。
 熊だ。それもとても大きい。
 気になって周りを見渡すと、自分以外に動いているのは海鳥くらいのものだ。それでもブッシュなどもあり、その影に何かがいそうで気になる。
 だがしかしだ。そんな簡単に熊に出くわすとも思えないし、知床半島でクマがどんなものか知識は入れてあったので、それほど慌てることもないと考えていた。いくら熊が多いとはいえ、奴らだって人間を見ればすぐに逃げるだろうとたかをくくっていた。
 今思えば完全にそれは大陸の熊をナメていた。
 ふと対岸を見ると、茶色い大きなものが移動しているのが目に留まった。
「・・・!!グリズリーだ…」
 英名、ブラウンベアーという名の通り、赤茶色の巨大なクマが悠々と歩いている。走っているわけではなく、歩いているだけなのに移動スピードが妙に速い。そして何より、はるか遠くにいるにもかかわらず、ものすごいオーラを発していらっしゃる…。
 とにかくデカイ。でか過ぎる…!
 自分の知っている知床で見たヒグマの二倍はある。
「ま、まいったなー」
 まさか自分がビバークしようと思っている場所でクマを見るとは思いもしなかった…。あんなのが自分のテントサイトに近づいてくるのを想像すると、それだけで今すぐに帰国したい気分になってきた。
 動揺してか対岸から渡ってくるとも思えなかったがそれ以上氷河に接近するのも怖くなり、セルフタイマーでMcbrideGlacierの前で記念写真を撮るも、地平線がずれている。それでも構わず撮り直しもせずにスタコラとカヤックのある場所に戻った。
「勘弁してくれよ~」
 完全にこれでヒヨッた僕は、ある意味戦意喪失。胃に穴が開きそうだ…。だが相当漕いできたので疲れて早くテント地を決めてしまいたい気持ちも強く、少し移動した海岸に熊の足跡が少ないことを確認し、上陸、テント設営となった。
 前日は島だったのでよかったが、今回はどこからクマがやってきてもおかしくなく、ここにきてようやく熊のいる場所での単独行の厳しさを知った。クソ面倒臭いバックカントリーでのルールを生真面目に守ることが唯一、僕のできる精一杯のクマ対策であった。
 クマがいるという緊張感はともかく、この日のビバーク地も景色は良かった。浜にうちあがった氷河の欠片、正面には何百メートルもありそうな絶壁の山々。そして目の前の水路には時々アザラシやイルカが現れて僕の目を楽しませた。
 夕食をすまし、どこからやってくるとも限らないクマに怯えつつも、肉体の疲労には勝てず浅くはあったがいつの間にか眠っていた。
 
 

68
Mcbride Glacier →CurtisHillsの麓

絶好のロケーションを見つけてコーヒーを煎れる私

 朝起床すると、すぐに荷物をまとめてパッキングし、朝食をとって出発となった。
 この日は East   Arm の末端である、Muir Glacierに到着できるということで、少し気合が入っていた。天気は昨日までの南風はやんで無風。海面は鏡のように凪いでいた。
   ただし、初日と同じく朝方はどんよりと曇り、低い雲が空を覆っていた。
 キャンプ地を出発した僕は、沿岸をなめるように漕いで北上する。すぐに目の前の山頂に次の氷河、Riggs Glacierの上流部が見えてきた。正面の岬をドキドキしながら回ると、広大な干潟の奥に氷の塊が姿を現した。  
「ついに来たぞ…、氷河のふもとに!!」
 最初のMcbrideはあまり近くによることができなかったので、あまり氷河のある場所に来たという感傷はなかったのだが、このRiggs Glacierは広大な干潟に行く手を阻まれているとはいえ、大迫力で目の前に迫っていた。地図だと水路のカーブの外側、つまり川で言えば淵の部分にあたり、氷河がある場所とは思えなかったのであまり大したものではないと想像していただけに、そのスケールには驚いた。
 近くまで歩いて行こうと思ったが、氷河から溶けだした水で水路ができており、それが迷路状になって行く手を阻んで時間がかかりそうだ。帰りにでも寄れると思い、一番近くまで行ける場所までいって記念写真。先を急いだ。
 Riggs Glacierから先はまさに氷と岩の世界となった。右手に見える絶壁の岩山には上層に雲がかかって頂を見ることができない。それがこの山をものすごく高いものに思わせる。山頂付近に降った雪解け水がいたるところから流れ落ちており、いくつもの沢、滝を作っていた。途中、上陸して水をくむ。冷たくて清潔な水が気持ち良い。
 漕ぐにつれて水路はどんどんと狭くなり、氷河に削り取られたフィヨルドの地形がはっきりとしてきた。きれいに放物線を描きながら削られた岩山は、あまりの規模の大きさに自分の存在が小さいのか大きいのかさえ、わからなくする。時々現れる岩棚の隙間にある砂浜は、極上のビーチだ。帰りに昼食をとる場所に…と目星をいくつか立てておく。
 グレーの巨大な山々に斑状に白い雪が降り積もり、所々で流れ集まり即席の氷河となって水路に落ちている。きれいなエメラルドグリーンの水の上を赤いカヤックが滑るように進んでいく。

 
 

 
 不意に現れるイルカ(Harbor porpoise)。こんな無垢で清楚な場所が世の中にはあるのだなと、胸の高まりを感じながらその先にある East   arm 最奥端の氷河、Muir glacierを目指す。
  Muir glacier
 グレイシャーベイの歴史はこの氷河の名前にもなった男、ジョン・ミューアのこの地の探検から始まっている。
 アウトドア愛好家ならその名を一度ならず聞いているはずだ。ヨセミテ国立公園の制定をはじめ、セコイヤ、マウントレイニヤ、ペトリファイドフォーリスト、グランドキャニオン等の国立公園の制定にも携わったことから、アメリカのナショナルパーク、国立公園の生みの親とも言われ、シェラカップで有名なシェラクラブの創設者としても有名な男である。
  探検家のジョージ・バンクーバー提督によって1794年、アイシー・ストレートが発見される。しかし当時はまだ氷に覆われており、グレイシャーベイもまだ氷に覆われ、氷原の下に埋まっていた。

 だがその後、1879年にジョン・ミューアがこの地を訪れた時、氷はほとんど湾からなくなっており、グレイシャーベイを発見した。約77㎞(48マイル)も氷河が後退している事実をつきとめたのだ。Muir Glacierを発見したのは翌年の1880年のこと。

 グレイシャーベイの氷河の後退は他の地域に比べても特異で劇的だ。その為多くの科学者が大気や気候変動と氷河の後退の関係を調査するために訪れ、科学的にも重要な場所となっている。

 つまり、現在のグレイシャーベイがあるのは、ミューアの発見によるところが大きいのである。

 そんな期待を膨らませていた僕は、いよいよMuir Glacierの前に立った時、あまりの想像との違いに戸惑いを隠せなかった…。  
「これが…ミュア?」
 しょぼいのだ。何となく。
 確かに規模としては大きいのだが、氷河の流れ方もメリハリがなく、だらだらと流れており、明らかにRiggs Glacierの方が、氷河としてかっこよかったと思う。  
「これが、温暖化の影響って奴なのかな~」
 グレイシャーベイに行った人達のレポートを読むと、Muir Glacierに感動しているのだが、とても僕は感動できなかった。こんなものを見るために僕は遙々ここまで漕いできたのかとさえ、思った。せめて近くまで寄って氷河の上に登ってみたりすれば、臨場感がわくかもしれないと接近を試みるが、ここでも多数の力強い流れによって遮られ三回ほどルートを変えて試みたが、無念。嫌になって諦めた。
 正直、がっかりだった。 East arm のドン詰まりまで来たのだから、素晴らしい迫力ある氷河があるのだと思っていたし、事前の情報でもそのようなタレこみだっただけに、この事実には落胆せざるを得なかった。意気消沈して今回のグレイシャーベイ遠征自体、やらなくてもよかったのではないかと思いそうになったが、思いとどまった。  
「東がダメなら、西がある!西の氷河なら遊覧船も行っているくらいだから見事に違いあるまい!」
 そう言い聞かせるときっぱりとMuir Glacierに見切りをつけ、先を急ぐことにした。奇しくもMuir Glacierを出発する頃から空を覆っていた雲は次第に薄れ、青空がのぞくようになってきていた。
 天気が好転すると、ヒマラヤの奥地といったイメージが、アルプスのようなイメージに取って代わった。

 途中、白い岩肌の山に雪解け水が勢いよく流れて滝になっており、そこがかなり気持ちよさそうなので上陸した。岩棚の上に登ると驚いた!背後には滝、近くには清流、正面にはミントブルーの海に雪をかぶった山々、奥にはRiggs Glacierが臨めるではないか…!  
「す、素晴らしい…!!」
 Muir Glacierにはがっかりだったが、ここのロケーションは最高だった。
 ここでコーヒーを飲むためだけにも East   arm に来て良かったとさえ思ったほどだ。
 沢の水でコーヒーを煎れ、ラーメンを作って昼食とした。あまりに気持ち良いので上半身裸になり、沢の水で頭を洗った。縮みあがるくらい冷たかったが、それがこの状況下では気持ち良い。蒸れた靴下や長靴の中を乾かせるのも気持ちが良かった。
 

 

 もっとゆっくりしたかったが、潮汐が早いこの地では、長時間カヤックを係留しておくのは危険だ。リジットならともかく、ファルトはとにかく気を使うのだ。一時間ほどでカヤックに再び乗り込み、先を急ぐ。
 来る時は雲に覆われて幽玄な印象を受けた山々も、帰りには晴れ渡り、その全貌をはっきりと見せてくれた。Riggs Glacierも日の光を浴びるとところどころ青白さが増し、来る時と違って今回は遠目から見たのでまた違った印象を受けた。風景がでかいとはいえ、自分の立ち位置によって全然印象が違ってくるのだなと思う。
 ビバークした場所の対岸にある絶壁地帯の真下を漕いでいると、前方に氷河の砕けた欠片 が多数漂流しているのが見えた。明らかに昨日来た時よりも多い。天気が良かったからか、それとも風の影響か。ともかく、昨日寄ったので素通りするつもりだったが、フラフラと対岸に渡り、Mcbride Glacierに向かう。
 昨日のグリズリーの件があり、あまり近寄りがたい気持ちもあったが、目の前に広がる奇妙な風景に対する好奇心が勝ってしまい上陸。泥の広がる干潟に等間隔で多数の氷の塊が点在している。どれもこれも青白く光り、奇妙な光景を作り出していた。しかし、言い換えれば、以前から知っている、写真で見たことのある氷河のふもとの風景が目の前にあった。
 見事なグレイシャー・ブルー。
 カヤックをできるだけ高く上げておき、写真を撮りまくる。
 Muir glacierでやろうと思っていたのだが、氷河まで行けなかったので、ここで前からやってみたかった夢の一つをやってみることにした。
 ズバリ、「グレイシャー・オン・ザ・ロック」…!

 氷河の氷でオンザロックをやるのである。氷河のふもとに初めて行く男なら、だれしもが憧れる夢ではなかろうか!?何百、何千年も前に閉じ込められた空気がはぜる音を聞きながら呑む極上のロック…。いや~、男のロマンですな~。
 本来ならこれ用にグラスを持ってくればよかったのだが、あいにくそんなテレビの企画のように用意周到なことはできるはずもなく、仕方なくコッヘルの蓋にバーボンをそそいでやってみた。
 このあたりの氷河は圧縮がまだ浅いらしく、どれもこれもクラッシュアイス状になってしまった。しかし贅沢は言えん。琥珀色の洋酒ににじみ溶ける太古の水を確認しながら一気に流し込んだ。胸に熱いものが伝わる…。  
「…美味い」
 感無量。とりあえずグレイシャーベイでやりたいことの一つは叶えることができた。
 空腹時にバーボンなどという強い酒を飲んだためか、気分がかなり高揚してきた僕は上機嫌でカヤックに乗り込み、高テンションで East arm を南下していった。

 
 

 

 氷河から流れ出した氷塊はかなり多く、ずいぶん先まで流れていた。その氷塊を伝うように僕はカヤックを進ませ、今晩のビバーク地を探していた。
 この時間になると気分はかなり憂鬱になる。ビバーク地探しはその後もこの遠征にとって一番神経を使う作業だった。その決断一つで、クマに遭遇するか、しないかが露骨に決定するからだ。入江の奥や沢の近くなど、キャンプに適している場所はクマやその他の野生動物にも好条件なため、上陸するとまず、必ずといって足跡が残っていた。足跡が比較的残りずらい森の中にも、多数の糞を発見することができた。
 何度か地図で目星をつけた場所を当たってみるが、クマの気配が濃厚でいまいち決断ができず先に行ってしまう。しかしその先に条件のいい場所があるとも限らず、その先からしばらく絶壁が続いたりするから体力がなくなっているこの時間ではどちらを取るかでものずごく悩むのである。この日は僕好みの、左右を岩に囲まれた小さな砂利浜を見つけたのでそこでビバークをすることにした。
 時刻を見るとなんと19時。どれだけ漕いでいるんだか…。
 テントを張るスペースはほとんどなかったが、そういう所にもテントが張れるのがソロの良いところだ。
 ムール貝の殻でできた浜をならし、テントを張ると落ち着いた。すぐに夕食を作って食べ、テントに潜り込む。
 夜中、テントの前を多数、クジラが泳いで行った。その呼吸音がテントの中にいると不気味でたまらなかった。

 

69
CurtisHillsの麓 →Garforth Island

河口のほとりの更地を歩いているとアジサシが威嚇してきた。巣があるらしい。


 朝から快晴である。後ろの森から小鳥の声がさえずっており、非常にすがすがしい。
 テント、シュラフ、マット、靴下、長靴、カヤックなど、一通り日向に出して乾かしておく。その間に朝食を食べて出発の準備をする。
 今まで毎日長靴をはきながらカヤックを漕いでいたが、この日は天気がいいのでマリンブーツを履き、靴下を海水で洗ってデッキの上で乾かすことにした。一足しかないウールの靴下は大活躍だが、悪臭はかなりひどくなっていたからだ。
 この日はまっすぐ真南に南下しGarfoth Islandまで行く予定だったが、ビバーク地を出発してすぐにあるWhachusett Inletを横断している最中、ちょっとその先にある風景が気になってしまって途中まで様子を見に行くことにした。まぁ、これはあとあと、大面倒な目にあうのだが、この時はまだ快晴無風で気持ちがよく、気分もよかったので寄り道をしてもたいして時間はかからないだろうと思っていたのだ。
 途中、対岸の岩の上をブラウンベアが歩いているのが見えた。歩いて行く先には僕のビバーク地がある。もう少し出発が遅れていたら鉢合わせになっていたということか…?岩に囲まれているからクマが現れないと思っていただけに、この事実には驚いた。クマはどこにでも現れる。会うか会わないかは、結局のところ運なのだろうか。
 さらに先に行くと、岩の上に動物の骨らしきものがうち上がっていた。上陸してみてみると、クマの骨に思えたが、よく見ると水カキがある。Steller SeaLion(トド)のようだ。きれいに肉はなくなり、多少の皮膚と骨だけになっていた。こういうのを見ると自分もこの野生動物たちの世界に足を入れているのだなと実感する。明日は我が身だ。くわばら、クワバラ。
 ここまでのんびり景色など見ながら漕いでいたのだが、途中であまりにも時間を費やしている割には進んでいないことに気づく。どうやら潮を逆流しているらしい。しかも向かい風が吹き始め、ますます困難を極めてきた。別にその先に何かがあるわけでもないのだが、自分が「ここまで行ったらUターンしよう」と思っていた場所まで行きたく、意地で漕ぎまくって2時間かけてやっとそのポイントまで到着。ここまで来ればこの水路の全景が見えるのであった。その風景を見て満足した僕は写真を撮って、もと来た道を戻った。追い風、追い潮に乗ってさざ波の出た水路を行くと、2時間かかった場所を30分で戻ることができた。 
「今回最低の寄り道だな…」
 独りごちながら2時間30分前にいた場所を通過し、さらに南へと向かう。
 そこから先は良くもなく、悪くもないといった沿岸の風景を見ながらひたすらカヤックを南に向けていった。昨日と違って北からの追い風なので苦労はなかったが、さすがに4日目ともなるとカヤックを漕ぐ筋肉が疲れてきており、ちょっと漕ぐと疲れ、広背筋がひどく痛んだ。カフナと違ってまだ乗りなれていないK1のコクピットに腰も痛くなり、ちょうどカヤックに慣れる前の最も辛い時期に当たっていた。景色もすでに見たことのある場所だからすぐに気が散ってしまい、お茶を飲んだり、行動食を食べたりしながら気を紛らわしてひたすら漕ぎ続けた。
 Adams Inletの前まで来たとき、その対岸、つまり僕が漕いでいる側に大きな川が流れ込んでおり、そこが広大なデルタになっていた。
 多数の海鳥が営巣しており、上陸するとアジサシが僕の上空を旋回し、ホバリングし、けたたましく鳴いた。悪い悪いと言いつつ、そのまま歩き、あたりを探索。見晴らしがよく、小高くなった原っぱは流木も多くてテント地としては上等だったが、いかにもクマ(それもグリズリー)が出そうな雰囲気だ。アジサシにも悪そうなので先に行くことに。
 そこからは再び沿岸を離れて対岸側にある、来る時に寄り道したGarfoth Islandを目指す。やはり熊の恐れがある場所よりは、島の方がまだ安心感がある。カヤックを泊める条件も良かったので今日はこの島に泊まると考えていたのだ。
 島にはすぐに着くことができた。フジツボの付着していない丸い砂利浜に上陸し、とりあえずあたりを探索する。前回来た時はとくに大きな獣はいなそうだったが、今回はどうかわからない。すると恐れていたことが…。 
「あ、ありやがる・・・」
 なんと熊の足跡、発見。大きさからしてグリズリーではなさそうだが、明らかにブラックベアーの足跡だ。しかも子連れ。ご丁寧にウンコまで発見してしまった。少なくともこの島にはクマの親子が一家族いるようだ。あー、何故前回来た時はなかったものが、今回に限ってあるのか…。ただここを歩いていなかっただけなのか、はたまた泳いでやってきたのかは知らないが、ともかくクマと一緒に過ごさなくてはいけないようだ。 
「あー、もう面倒くせぇ。出るなら出やがれ!」
 風も強くなってきており、また新たにカヤックを漕いでビバーク地を探すのも億劫なので、それほど大きくないブラックベアーということもあってそのまま構わずここにテントを張ることにした。 
「ここにテントはるからなーっ!出てくんじゃねぇぞ!!」
 北海道の新谷さんがやるように、雄たけびを上げて日本語でそう叫び、クマに僕の存在を目一杯知らせた。
 苔とワイルドストロベリーに覆われた茂みにテントを立て、その風下潮間帯に流木を集め、今日は焚き火で煮炊きをすることにした。強い風にあおられて焚き火はよく燃えたが、少し風が強すぎる。日差しはまだ強いのだが、北風を遮るものは何もないのでもろに風を受け、テントは大きく弛んだ。
 ポールにロープを付けて支えるが、普通に考えればもっと風の弱いところにテントを立てればいいと思う。しかしクマの存在に敏感になっていた僕はできるだけ見晴らしのいい場所にテントを立てておきたかったのだ。おかげで日あたりのいい場所にあったテントの中はとても暑く、シュラフを使わずに寝れるほどだった。
 あまりにも暑く、寝つけたのは薄暗くなった11時過ぎだった。
 
 

610
Garforth Island →Sebree Island近くの島

Sebree island近くの島で、これからの進路を見つめる私。カモメが乱舞していた


 浅い眠りのために雨が降り始めたのは3時頃だというのは知っていた。それまで吹いていた強い北風はやんでいたが、しとしととグレイシャーベイに雨が降っていた。
 この日はいわゆる停滞日に近い感じで、昨日の疲れ具合から、そろそろちょっと休もうかと思っていたのだ。East Armも終わったし、West Armに行く前に一回節目として休みがほしかった。だが、一か所に留まるのはクマの心配が大きいので、少しでも移動しておきたく、その分テントサイトにいる時間を多くしたかった。そのため今回は目の前に見えるSebree Islandまでのわずか10㎞ほどの航海とした。だから出発は遅くても良かった。
 8時頃にテントを這い出し、雨が小降りになったのを見計らってパッキング。朝食は取らずにそのまま出発した。
 対岸に見える島をまっすぐに目指すのもいいが、せっかくなので昨日対岸に移ったCroline.Ptまで漕いで行き、そこから沿岸を漕ぎながらSebree Islandを目指した。
 Sebree Islandと呼ばれているものの、この島は干潮時には陸地続きとなる。十分クマが歩いて渡ってくることも可能なのだ。実際この島と陸との間にある干潟まで来ると、北の海岸線からのっし、のっしとブラウンベアが歩いてきていた。ちょっと上陸して様子を見ようと思っていただけに、なんというタイミングの悪さだろうか…。でもまぁ、鉢合わせになるよりはましか。せっかくなのでクマが目の前まで来るのを待つが、さすがに熊も僕の存在が気になるらしく、近くまで来ると浜ではなくて茂みの中に消えてある程度距離をとるようになったが。でも目的地には行きたいようで遠く僕をまいてから再び現れ、南の方に歩いて行った。せっかく近づいてクマの写真が撮れると思っていたのだがな…。
 不思議なもので、カヤックに乗っているとあんなに陸にいると怖いクマも、落ち着いて観察することができる。カヤックに長時間乗っているのは苦痛かもしれないが、クマと遭遇するかもしれない陸の上にいるよりは遙かに安心できた。
 島の間はすでに干上がり始めて座礁しそうなので通らず、島の外側を南下していく。
 途中、離れ小島があって、島と島の間には細い砂州ができていいキャンプサイトになっていた。確かに何人かテントを張った形跡があり、焚き火の跡まであった。ここでビバークしようと思ったが、やたらとムースの足跡とうんこが落ちており、雨のせいか妙に薄暗い印象を受けたので先を行くことにした。 島の外側は岩礁帯になっていて、とてもテントなど張れない、もしくはカヤックで上陸できないような場所だったが、南の端に小さな砂浜があり、そこはなかなか良さそうだった。そこに上陸しようと思ったとき、島を回り込んでみると向いに小島が見えた。 
「あそこは良さそうだな…」
 とりあえずそこの様子を見てみて、ダメならこの砂浜にしようと思ってその島まで漕いでみる。
 するとどうだ、ちょうどいい感じで湾になっていて奥には砂利浜がある。木はあまり生えていないが、植物に覆われて満潮になっても水没はしなそうだ。もちろん、クマの姿は見受けられない。 
「いい場所、見つけちゃったよ~」
 あまりにも海鳥が多いのでサンクチュアリかどうか疑問だったが、地図で見る限り立ち入り制限はなかった。海鳥には申し訳ないが、クマの恐怖には耐えられない。一晩だけここに泊まらせてもらうことにした。
 カヤックを上げ、島の中央部にある茂みの中にテントを立てる。反対側からは風がうちつけていたが、自分がいる方は静かなものだ。ただ、島を歩きまわるといたるところでカモメやオイスターキャッチャーが営巣しており、それが居たたまれなく、一通り島を見歩いた後は静かにすることにした。あまりウロチョロして親鳥が巣を放棄してしまったら申し訳ないからだ。
 だから島ではずいぶんとのんびりと過ごした。雨も上がって、天気も回復してきたので上半身は裸になり朝食を兼ねた昼食を食べる。
 その後は風景を写真に撮ったり、潮だまりを観察したり、たまった日記を書いたり、コーヒーを飲みながら考え事をしたり、ボーっとしたりして過ごす。とくに目の前に現れるオイスターキャッチャーの夫婦が面白くて、2羽を長いこと観察していた。日本には存在しない、このチドリともクイナとも思える鳥は、クリンギット族のトーテンポールにも描かれるほどこちらではポピュラーな鳥のようで、けたたましい鳴き声と奇妙な飛び方、チョコボールのキョロちゃんみたいな風貌が面白くて見ていて飽きない。鳴き声はひどいが、それでも愛すべき鳥である。
 クマがいない空間に僕は非常にリラックスして過ごすことができた。夜になるとスズガモの群れが飛来し、それがいっせいに飛び立つ時などはものすごい音がしてびっくりしたが、これだけの鳥に囲まれながらキャンプするというのも日本ではあまりできないことだろう。
 調子に乗って遅くまで起きていたのだが、明日はいよいよWest Armだと思うとますます興奮して眠れないのだった。