2004 9 月、僕は初の海外旅行にして初めてのカヤック海外遠征を計画した。その場所は僕の中で「どうしても行かなければいけない場所」という使命感にまで気持ちが高まっていた土地、アラスカだ。
 そのアラスカの東南海岸にある Glacier bay に行き、カヤックを漕ぐと決めた僕だが、ちょうどカナダのビクトリアに後輩が留学していることもあり、バンクーバーにも行ってみたかった僕はバンクーバーからビクトリア、その北部にあるソルトスプリングアイランドで初の海外パドリングを経験したのち、バンクーバーを北上、バスでアラスカ国境プリンス・ルパートまで行ってそこからフェリーに乗って東南アラスカ、ジュノーに向かった。つまり、初めての海外旅行で、欲張りにもいろいろと周ってみたかったのだ。
 だが、これは良いこともあったが、悪いこともあった。
 初めてのということもあるが、もともと行き当たりばったりな旅の計画を立てる僕は海外の情報集めを怠り、僕がジュノーに向かう頃には Glacier bay でカヤックはできないのではないかという事を出国の 2 日前に知って、胃を痛くしたのだった。一抹の不安を抱いて出国したものの、問題は解決されないまま飛行機は飛んで僕をバンクーバーという異国に運んでしまった。しかも出発の直前にぎっくり腰になるという不運もあり、何のための海外旅行かわからなくなってきていた。
 しかしこの不安は杞憂に終わった。後輩の友人がいろいろと現地で調べてくれ、なんとかカヤック自体はできることがわかり、移動手段などわからなかったことも調べてくれて僕は無事にアラスカを漕ぐことができた。海外での社会ルールなども彼らに教わることができ、非常に助けられた。本当に多謝である。
 もともとの計画が曖昧だったこともあり、結局この時 Glacier bay はキャンプ場泊を含めて 6 7 日しか居られず、ピックアップサービスを使うほどの交渉術も金もなかった僕は、湾の入り口付近を漕いだだけで帰国することとなった。
 初の海外旅行で異国の生活に辟易していたこともあったし、湾の入り口でも野生動物や素晴らしい自然を垣間見られたことで十分満足していた。それにこの時は自分にはまだ時間があると思っていたのでまた来ればいいと思っていたのだ。
 
 帰国してしばらくしてから西伊豆の松崎にある「NCK」で、スライドショーがあり、ここでグレイシャーベイ遠征の報告をする人がいた。そこに映っている写真は、僕の知っているグレイシャーベイとは違った風景があった。
 僕は本当にグレイシャーベイに行ったのか?
 なんだか、自分がものすごく中途半端なことをして帰国してしまったような気分になっていた。
 その後もグレイシャーベイに行ったという話や、ツアーで行くという話、遠征に行くという話などが飛び込んできたり、舞い込んできたりし、グレイシャーベイという土地が僕の中でチラついて取り除けないでいた。
  2006 年、 Glacier bay リベンジを考えていたものの、ここでも計画力の無さというか、意志の弱さに負けて経済的な理由で断念。現地で合流しようと考えていた人もいたので、この決断は我ながら情けなかった(詳細は日々漕想にて)。
 そして 2007 6 月、満を期して僕は Glacier bay に再び向かった。
 色々と思うことがあり、純粋にこの土地を目指してきたわけではないが、この遠征のためにカヤックも新艇、 feather craft のK1を購入し、前回の反省を含めて今回は情報収集、装備準備も確実に整えての出発だった。
   ただ、不安要素があるとすれば、現地での失敗と、語学力が当時とたいして変っていないということだ…。
  6 月4日。 Seattle 経由で juneau へと、寄り道もせず僕はまっすぐに Glacierbay のある Gasteibus に向かった。