石垣島編



  109日の夜に那覇新港を出港した「フェリー飛竜」は、石垣島フェリーターミナルに翌朝 10時過ぎに寄港した。
 修学旅行生にのっとられたフェリーは 2等室がなく、仕方なく 1等室に乗って僕は石垣島にたどり着いた。修学旅行でフェリーなんか使うな。
 荷物を 2回に分けてターミナルから離島桟橋まで運び、一先ずここに荷物を置いて行きつけの「あさひ食堂」に朝食兼、昼食を食べに行く。ここのソーキソバは大ボリュームなうえに美味い。石垣島に着たら必ず食べる味で、これを食べるとやっと八重山に来たという実感がわいてきて、納得できる。
 この日は桟橋周辺のドミトリーで一泊し、翌朝の出発を考えていたのだが、宿をとったところで午後の時間は空いていた。宿代も勿体ないので出発する事に。
 石垣島に到着した時、僕は手漕屋素潜店「ちゅらねしあ」の八幡さんに電話を入れた。
  9月半ばの台風 13号の影響でネット環境から切断され、メールのやりとりが出来ず、携帯に電話してもツアー中でままならない事が重なり、結局当日になって連絡を入れる事となったのだ。
 その時の話では、季節風の北東風が連日吹き荒れ始めたので、今回最大の難所であるパイミ崎を考えた場合、追い風の方が断然有利だから反時計回りのほうが良い…という助言を受けた。確かに最初に黒島に行くという事に妙にこだわりを持っていたわけではないが、何故そんな単純な事に頭が回らなかったのか?
 沖縄本島で「 Feather craftミーティング」に参加した際、沖縄カヤックセンターが 1017日から八重山周遊を企画していた事を知り、それに合流する為にも最初に石垣島を周ってしまうというのは、理にもかなっていた。
 そういう訳で、荷物を登野城港に持っていき、そこでカヤックを組み立て、さっそく出発する事にしたのだった。 目的地は「ちゅらねしあ」のある白保。登野城からならば、宮良湾を横断し、 2時間ほどで到着できると踏んだ。八幡さんに電話すると、軽く了解してくれ、石垣で囲った桟橋まで来れば迎えにきてくれるとの事だった。
 登野城港のスロープに荷物をばら撒き、 10月だというのに強力な炎天下の中カヤックを組み立てる。もちろん事前に網の修復をしていた海人のオジィにスロープ利用の許可は得ていた。
「滑るから気ぃつけろよ」
 港のスロープは別に許可などもらわなくとも誰でも使える。しかしコミュニケーションは取った方がいいにこした事はない。オジィは手も止めずに仕事を続けながらも、笑顔で優しい言葉をかけてくれた。
 カフナの組み立て、荷物のパッキング、全て終わって飲み物を買い、スロープから舟を漕ぎ出したのはちょうど午後 3時頃だった。
 登野城漁港の堤防を越え、リーフの中を東に向かう。
 漁港周りは潮がかなり流れており、海面はざわついていたが、そんな場所も短く、じきにラッパモクという海藻がおいしげるリーフの中を進む事となった。
 

 
 石垣島を漕ぐのはこれが 2回目だ。
 最初は 2005年、 11月に鹿児島の「かごしまカヤックス」と前出の「ちゅらねしあ」の合同イベントに参加した時だ。
 あいにくの天気、そして僕の情けない失敗と事故により、なかなか凄惨な印象の残る石垣島だったが、今まで西表島などの離島への掛け橋的な役割しかなかった石垣島に、これほどの海、海岸、サンゴの群生地があるというのは新鮮だった。
 だがこの時、あまりの強風の為に 1㎞も漕がずにいたので、実質まったく漕いでいないのに均しい。
 その為、石垣島の沿岸を漕いで行くのはまったくの新境地を開いていくようなドキドキ感はなかったものの、自分の近所の道を別のルートから行くような、不思議な新鮮さがあった。
 登野城港から出発し、しばらくは穏やかで浅いリーフの中を漕いでいく。
 途中、何回かワタンジと呼ばれる砂浜からリーフエッジまで歩いていける干礁にでたりして水路を見つけてはカヤックから降り、引っ張って移動した。とくに宮良湾にでるまでの間はリーフ内が浅く、カヤックの座席に岩が当たる感触に驚いたり、パドルが珊瑚に当たったりしてビビッたりと、ヒヤヒヤもんだった。
 宮良湾にさしあたる辺りでリーフを抜け、そのまま湾を横断、対岸の白保に向かう。
 このままリーフエンドを漕いでいくと白保の広大なリーフの中に入るのが面倒臭いと助言を受けていたので再びリーフの中に入り、沿岸を漕いでいく。このあたりは水深があり、よほど変なコースを漕がない限り、座礁は考えられなかった。
 正面に見えた集落に上陸する。
 石垣島の沿岸は、 9月に直撃した大型の台風 13号の為に潮焼けし、砂漠のように海岸植物が枯れていた。それはもう、見事というほかないほど緑がなく、極わずかにハマユウの葉が砂から出ているだけであった。
 防潮林として植えられたモクマオウは完全に枯れ、ハスノハギリは葉が落ち、デイゴやギンネムも酷い有り様だ。沖縄の白い砂浜を覆うグンバイヒルガオも乾燥ヒジキの様になった蔓がしょぼしょぼとある程度である。
 自分の中にある八重山の海岸のイメージと、遠くかけ離れた目の前の光景に愕然としつつも、リアルを実感し、僕は先を急いだ。

 
 強い向かい風の中、沿岸を東に漕いでいくと、やっと白保の有名な桟橋が見えてきた。
 白保に来た事はほぼ無い。昨年、八幡さんの家に伺ったぐらいで、集落全体を見てまわった事はなかった。だが、昔見た椎名誠監督の映画「うみ・そら・さんごのいいつたえ」や中村征夫さんの写真で、この白保の桟橋を知っていたのですぐにわかった。
 砂浜に珊瑚の岩で囲いを作り、その中の淀みに船を泊めているだけのシンプルな物だ。巨大なリーフの中にあるのでこの程度の堤防があれば普段は十分なのだろう。
 ここで電話をすると、すぐに八幡さんが車でやってきてくれた。
「ずいぶん小さいんだな」
 久しぶりに会ったというのに、八幡さんの第一声は僕の舟の感想だった。確かに八幡さんが乗っている舟に比べれば僕の乗っているカフナは 4.5mと玩具みたいに短い。この小ささに特に不満はなかったのだが、この遠征で僕は舟の長さに関して思う事が出てきた。だがまぁ、その話は後ほどに…。
 2人でカヤックを潮上帯まで運び、ひっくり返して必要な荷物と、預かってもらいたいバックパックや靴などを車にぶち込み、ショップに向かった。 
「ちゅらねしあ」は白保集落のほぼ中央にある。コンクリートでできた沖縄風の平屋だ。 車から降りるとさっそく荷物の整理。途中、昨年お世話になった雪ねぇと居候の十河君なども出てきて挨拶する。
 十河君は僕が沖縄に入る前に行われた与那国から西表島への遠征に参加し、それからこちらにお世話になっているようだ。西表にいた時、一度会った事があるらしいが、僕も彼の存在は知っていた物の、実際に会ったことはないと思っていたのでちょっと驚いた。人間どこで出会っているかわかったものではないナ…!
 シャワーに入れさせてもらい、図々しくも洗濯までさせてもらって、そのうえ夕飯もご馳走になる。まぁ最初からそのつもりなのだから世話ない。十河君が 3日前に突いたという立派なミーバイが煮付けになっていた。
 この日は八幡さんの友人で競輪選手の方も遊びに来ており、その人の競輪の話や、海の話などをして過ごした。
 八幡さんは与那国~西表島間の遠征ツアー、西表島一周ツアーと、立て続けのハードスケジュールの為に疲れているようで、それが突然お邪魔した僕には申し訳なく、早々に立ち去ろうと翌日ツアーに出るという八幡さんにカヤックを置いた海岸まで序でに送ってもらい、出発する。

10月11日 北東の風(4~6m/s)晴れ

 

 朝 9 時、白保の海岸を出発する。
 これから行く石垣島沿岸の情報を聞くために八幡さんのところに行ったのだが、これといった具体的な話はせず、取り留めのない話だけをして別れた。  
「まー、アカツカ君はある程度漕げるから、問題ないよ」  
1 時間漕いで 1 キロしか進まなくても、ずっと漕いでればそのうち到着すると思っていれば(この風で)波照間も大丈夫だから」
  ま、まあ、無謀な事はしないと信用されていると思い、とりあえず漕げば大丈夫だろうと納得する。僕としては「ここが潜るとアツイ!」とかいう情報がほしかったのだが…。
 八幡さんは僕を送ると早々に去っていった。
  リーフの中をひたすら北上する。
  石垣島沿岸は、先ほど述べたように台風 13 号の影響ではげ山と化したかのように殺風景で、白い砂浜に枯れた樹木が、いっそうその寂しさをしのばせていた。まるで雑誌で見たバハ・カルフォルニアの沿岸のようだ。
 代わり映え のない沿岸を左手に見ながら、向かい風を受けながら、ひたすらパドリングを続ける。
  今回、チャートケースには地形図ではなく、チャートケースだけに、ちゃんと「チャート(海図)」を入れて用いた。  この海図の縮尺が不明で、とりあえず地形と見比べて漕いで行けばいいだろうと思っていたのだが、これが思いのほか縮尺大きく、実際の漕いだ距離と海図上に現れるトレースした線のギャップに最初は戸惑った(実際 100000 1 だった)。何しろいつもは国土地理院の 50000 1 を用いているので、その感覚からすればずいぶんと、大きいのだ。
 似たような景色の沿岸線、そして漕いでも漕いでも移動した感じがつかめない感覚には少し嫌気を感じていた。
 それでも漕いでいれば、着実に進んではいる。
 少しでも出っ張っている岬を越える度に、次の目標を定め漕いでいくのは、地道だか、確実な自分の進歩を感じる瞬間だった。
  漕ぐ事はともかく、リーフ中の色彩の変化はなかなかよかった。
  特に白保から出発してしばらく行った場所は、青と水色が眼下に広がる、海藻の交じった緑色の水の色ではない、かなりきれいな珊瑚礁の海だった。風が強く、水面は波立っていたものの、強い陽射しが差し込み、揺ら揺らと水面で反射する色の変化は見事だ。  体力的にも、まだまだ余力のあった状態なので、きれいな海に自分がいる満足感でテンションはかなり高め。パドリングの力も強まった。
  2 時間ほど漕いだ 10 30 分頃、伊野田の浜に上陸。
  白保と同じ、珊瑚の岩を積んでできた桟橋の横に舟を泊め、歩いて商店に行く。コーラと島酒(泡盛)を買う。コーラは一気飲み。白保を出た時、 500ml のさんぴん茶を持ってきたが、すでになくなりつつあった。やはり南国の陽射しの中、漕ぐのはかなりの水分を消費する。 500ml の缶はあっという間に無くなった。ゲップをしつつ、カヤックに戻り、再び海に出る。
  伊野田にはキャンプ場がある。  白保で水を汲んでくるのを忘れたので、そのキャンプ場を見つけて水を分けてもらう予定だったのだが、そのキャンプ場が見当たらない。いったん海に出たものの水は得ておきたかったので、しばらく漕いでから再び別の場所に上陸し、カヤックの中をあさって水入れを探すが、なかなか見つからない。
  やっと見つけて集落を探索し、公園の水道で水を汲んでカヤックに戻るとすでに昼を過ぎていた。思わぬ時間のロス。
  パッキングをやり直して出発する頃には、なんだか疲れてしまった。
  白保で買っておいたジューシーのおにぎりを食べ、出発。
 伊野田から野原崎を越えると、あとは遥かに見える玉取崎を目指していく事になる。
 ひたすら漕ぐのみ。
  1 時間ほど漕いで、名勝地、玉取崎の展望台の下を通る。石垣島には珍しいロックガーデンがあり、潮流が流れていたがパワーで何とかなる流れだ。風も相変わらず向かい風だがどうって事はなく通過。
  この岬を越えると今度は伊原間の集落が見えてきた。
 しかし、これといって寄ることもないので沖を漕いで北上。陸から離れると自分が進んでいるのかどうか疑わしくなるほど、景色が変わらない。舟の下を流れていくリーフで自分のスピードを知る。
 伊原間をすぎ、明石の集落が見えてきた頃、一度上陸。
  白い砂浜に青い海が非常にきれいな、すばらしいビーチだ。  奥にはヤラブの大木からなる森があるが、残念ながら葉がついていない。白い幹に、青い空が映える。
  ここでキャンプしてもいいなと思ったが、足元には巨大な牛糞がチラホラ。予報では明日は風が強いというので行ける所まで行っておきたい。痛かったケツも回復したところで、早々に出発する。
  明石の集落の沖に出ると、風がいくぶん強くなってきた。波も出てきて、何度かデッキを洗う事もしばしば。  耳に聞こえるのは風が耳に当たる「ゴォーッ!」っという音のみ。後ろを向くと音は消える。正面を向いて漕ぎ出すと、再び風の音で僕の聴覚は支配される。
  パドルがうまく水をキャッチできない時が出てきた。色々と体勢を変えたり、フォームを変えたり、パドリングのやり方を変えてみたりする。時間はすでに 15 時を過ぎている。予定では上陸予定だったが、なんとかもうちょっと行きたい。
  明石を完全に過ぎて左手には放牧場が見えてきた頃、風はものすごい勢いで強くなってきた。海上は明らかに8 m は吹いている。カヤックが思いのほか進んでいない。
  目の前に見える岬が風裏になると思い、そこまでがんばってみる。
  16 時過ぎ、上陸。
  海岸から陸に向けてある崖を登ると、そこは見事な放牧場になっている。遠くに牛達が見えた。事実、海岸の砂の上に牛糞が落ちていたが、もう体力の限界だ。芝生の上にテントを張った。
  いきなりかなりガンバって漕いだ物だから、相当疲れたらしく、腕とヒザが、プルプルと震えていた。
  とりあえず、おかずを獲らなきゃいかん。手っ取り早く、ルアーでも投げてイシミーバイでも釣れてくれればいいと思っていたが、全然釣れない。いれば釣れる魚だけに早々に諦め、結局潜ることに。
  ウエットスーツなしで、三点セットだけつけて銛を持ってエントリーすると、釣れないはずだ、何もいない。
  近場でブダイでも獲ろうと思っていたが、何もいないので最終的にリーフ際まで行き、そこのイノーでトガリエビスを突き、帰りにスイジガイを採って戻る。夕闇が迫っており、体も冷えていて急いで焚火を起こした。
  キャンプ初日の夕飯は、ふりかけ御飯にスイジガイのつぼ焼き、トガリエビスの姿焼き。以上。それでも米をたらふく食ったので満足だった。トガリエビスは面倒臭いので内臓も鰓も鱗も取らず、そのまま黒くなるまで焼き、表面の焦げを取って食べたが、さすがに内臓は取るべきだったと反省。手抜きは良くない。それだけ疲れていた。 
「あー、ビールのみテェ・・・」
  そう思いつつ、島酒をキで飲みながら星空を見た。さすがに石垣島でも地の果てだ。この時の星空は感動的にきれいだった。流れ星などしょっちゅう見る事ができ、焚火の明かりでアダンのシルエットが浮かび、それが南国らしい。
  やや風は強かった物の、最初のキャンプは上々だった。



10月12日 北東の風(5~9m/s)晴れ


  この日は風がとても強くなるので、早朝の風が出る前、なんとか昼前には平久保崎を越えたかったので、まだ日も昇らぬ 5 時半、起床。
  風はすでに吹き始めていた。
  焚火を起こし、昨日の御飯を温めてお茶漬けを作って朝食。しかし火起こしや食器洗いに時間を使いすぎて、結局出発したのは 8 時をまわっていた。
  カヤックを水面に走らせると、沖に出た瞬間、風で押し戻されそうになる。風上にバウを向け、北上を開始する。これは大変そうだ。
  風はすでに昨日、このビバーク地に到着した頃と同じくらい吹いている。しかしこちらの体力も回復しているし、あともう少し、 2 時間ほど漕げば追い風に変わるのだ。気持の上でもテンションは高い。頑張って漕ぐ。好運にも天気は良い。真横から差し込む朝日を受けてカフナを走らせた。
  昨日のナビで、自分がどこにいるのかイマイチわからなかった事もあって、出発当初は自分の位置がわかりづらかったが、岩崎を越えた辺りで、それまでの漕行時間と地図上の距離感覚でわかってきた。しかし、やはり風のせいでスピードはかなり遅い。
  岩崎を越え、浦崎が見えてきた。 
「あの岬を越えて、平久保崎までの直線をクリアーすれば、あとは楽勝だ…!」
  そう思って漕ぐが、この岩崎、浦崎間がなかなか手ごわかった。モロに向かい風を受け、ジリジリとしぶとく進む。
  浦崎の先端はちょっとしたロックガーデンになっており、その岩と岩の隙間を波と風を受けながら越えると、意表をついて風は追い風にまわった。 
「あれれれ・・・?」
  予想外の嬉しい誤算に一喜一憂し、あとはこのまま流れていくだけとなった。
 小型の定置網がいくらか設置してあるので、それに引っ掛からないように漕ぎ進めて行けば、楽勝だ。それまで向かい風に苦労していたのでこれには報われる思いがした。
 正面には昼の三日月。水平線の先には平久保灯台が見えた。

 平久保崎は開けた草原になっていて、そこから断崖があって海岸と隔絶されている。そういう意味では知床岬に似ていると思った。だが、そのふもとの海は珊瑚礁に囲まれたすばらしいブルー。
 舟の真下を真っ黒い巨大な魚が猛スピードで泳いでいった。ロウニンアジの老成魚だろうか?
 午前 10 時、平久保崎通過。
   かなり早い通過となった。

 
 

 どこか上陸して灯台まで行きたかったが、ビーチはあっても、そこから灯台まで上がれるような道は無い。仕方なく海岸を南下する。
 石垣島北部の西海岸は、サーフノッチが発達しており、その隙間隙間に小さなビーチが点在している。それがカヤッカーにはたまらない存在で、どこもすばらしく上陸したい衝動に駆られるが、全部まわる訳にも行かず、先を急ぐ事に。
  川の河口に広い砂浜があり、ここからなら県道に出られる様だった。
 舟を浜の上に上げ、ウエイトをアンカー代わりにして満潮時に備え、軽装で歩いて灯台まで向かう。
  砂浜から県道に出て、ひたすら北へのびる道を歩いていく。
  道の周りは森だったり、牧場だったり、キビ畑だったりと、沖縄の典型的な農業用開墾地の景色そのままだ。石垣島の先端部分だけあって何もない。永遠と続くかのような道だが、カヤックを漕いでばかりいた自分には、歩くのは苦痛ではなかった。
  道端にはクワの木がいたるところに生えていて、ちょうど実が熟し始めるところのようだ。それを摘みながら口に運び、甘酸っぱい味に喜びながら長い道を歩いていく。
  40 分ほど歩くと灯台にたどり着いた。
 放牧場の草原に、ぽこん、ぽこんと禿山が岬の先端にあり、そのひとつに平久保崎灯台がある。坂の上には駐車場とトイレがあり、出店の車が発電機をまわしてブルーシールアイスを売っていた。
  風は強い物の、炎天下の中歩いてきたので喉がカラカラだ。アイスも食いたいが、我慢して自販機のコーラに手がのびた。
  灯台の麓から見る平久保崎は最高にきれいだ。
  眼下にはコバルトブルーの海が広がり、緑の平地が広がる台地とのコントラストがすばらしい。

  15 分ほど写真を撮ったりした後、あまりの強風にコンタクトが取れそうになり退散する。それにしてもすごい風だ。よくもこんなところを漕いできた物だと自分でも呆れる。追い風だけど。
  牧歌的な風景の中をまた歩いて戻ると、カヤックは無事、そのまま浜に打ちあがっていた。
  再びカヤックに乗って南下。
  景色は変わらず、サーフノッチの発達した岩礁帯に、ときどき気持ちのいい無人の浜が続いていくといった感じだ。途中、何度か上陸してみると、あまり人が入らないせいか砂がフワフワ。森の中に入り道に出られないか捜索するも、どこも台風のせいでか倒木が多く、車の走る音がしても出る事は不可能に近かった。
  風がやはり強くなってきたようだ。後ろから吹く風が僕の背中を押すよりも強く、追い抜いていく事が多くなってきた。波はないものの、海面は細波が立ち逆に漕いでいたらとんでもない状況だろう。
  あまりにも風が強いのでとっとと移動し、明石のあるダテフ崎を回って風裏に入ると、急に静かになった。
  ここでちょっと休憩。
  透明度は高いが、内湾なので海底は砂泥で、アマモが生えていたりする。わずかに入ってくる風に背中を押されながらカヤックの上でお茶を飲んだ。
  どうも昨日がんばり過ぎたようだ。妙に疲れている。向かい風の時は思いっきり体を使ってひたすら漕げばいいのだが、追い風だと自分のパドリングによって進む力と、風に押されて進む力のバランスが取りにくくて、速いけど返って疲れるのだ。
  しかしせっかくの追い風だ。先には進みたい。
  とりあえず、明石のあたりに上陸し、そこの干潟に上陸。小規模だがマングローブ林になっている。
  農道を歩いて県道にでて、お土産屋の前のトイレで水を補充する。明石の集落は東側にあるので寄るのはよし、すぐにカヤックの元に戻って進む事に。
  北ノ崎を越えて岩礁地帯の横を漕いでいく。上には放牧場があるのか牛のシルエットが逆光で見える。珊瑚の岩の上に生えるソテツは塩害で酷く枯れていた。ソテツが枯れるというのは結構な被害だ。やはり前回の台風のすごさがうかがえる。
  伊原間湾を南下すると、次第に遠浅になってきて、干潟になってきた。途中、岩が転がって迷路状になっている所を危なっかしく通過し、このままさらに南下して野底のあたりでビバークするか、伊原間に買出しに寄って、そのままビバークするか迷った。
  結局体力的に疲れており、さらに野底方面に向かっても良い条件のビバーク地があるとも思えず、伊原間の手前、港のすぐ横の浜でビバークする事にした。時刻は 4 時近くになっており、遠浅の海は潜っても魚はいなそうだったが、しかたない。
 伊原間の集落に行き、商店でビールとアイスを買った。それをもって反対側、東の海岸に出る。
  東は白い砂浜が広がり、南国色の強い海になっている。潜るならこっちの方が良さそうだが、あいにく、もう何もかも面倒臭くなって来ていた。冷たく甘いモナカアイスが心底美味い…。肉体疲労時にはビールよりもこっちの方が優る。
  テントサイトは台風によって根っ子から引っこ抜かれて横倒しになったハマボウの木の横に張った。物を干すには都合のいい木だが、こんな状態になっているにもかかわらず枝は生きていて、青い葉がついている。さすが厳しい環境に生きる海岸植物は強い。
  魚がないのは寂しいので、こういう内湾ではイソハマグリがいるだろうと、目の前の砂浜を掘ってみると、これが出るは出るわ…。小粒だが、白いシジミのようなイソハマグリがあっという間にコッヘルの蓋一杯採れた。夕飯はこれを味噌汁にして身だけを食べ、汁は明日の雑炊にまわす事に。主食は非常食のカレーとなった。
  早くも暮れかけた浜辺で流木を探し、焚火をする。
 昨日我慢していたのでビールが美味い。カレーも米を明日の朝食分も合わせて 2 合くらい炊いたのだが、全部食べてしまいたいほど、ガッつり食べた。
  夕食を食べ、焚火の側で横になっていたら、いつの間にか寝ていたらしく、気付くと程よい熾きになった焚火が足もとにあり、空を見上げると昨夜と同じ、満天の星が仰ぎ見えた。
  時刻はまだ 9 時あたりだったが、テントに入り、本格的に寝ることにした。

10月13日 北東の風 7m/s 晴れ

 
  翌朝、特に時間も決めず起きる。カニの巣穴の上にテントを張ったためか、昨夜はツノメガニのハサミを擦る「ギ…ギ…」という音を聞きながら寝ていたので眠りが浅かった。
  昨日炊いた米にイソハマグリの味噌汁を入れ、焚火にかけて温め直して食べる。
 これが最高に美味い!あんな小さい二枚貝でこれだけ上等なダシが出るのだから、最高である。イソハマグリは前浜干潟の波打ち際に多く、水がきれいでないと生息できない。沖縄以外の国内海岸にも生息するが、環境の悪化で減少している。水質もあるが、前浜干潟自体が内地には少なくなっているのだろう。
  焚火を消し、カヤックを波打ち際に持っていってパッキングをする。比較的テントサイトから近いので楽だった。
 10 時頃、出発。今日は米原のキャンプ場まで行くと決めていた。
 八重山諸島を旅する貧乏旅行者、もしくはキャンパーにとって、一度は行っている、もしくは行かなければ始まらない場所、というのが米原のキャンプ場だ。ここをベースにして離島を旅するスタイルが一般的な八重山キャンパーとも言える。  西表島に長く滞在していた経緯がある僕だが、実はこの米原キャンプ場、話は散々聞いているのに一度も行った事がなかった。
  理由は足がないのと、すぐに離島に渡ってしまうからだ。石垣島の北部に興味がなかったことも手伝って、ライダーやチャリダーだったらまだしも、バスでわざわざ米原にキャンプしに行くということがなかったからである。
 そういう事もあり、せっかくの機会だから今回は米原のキャンプ場に 2 泊くらいするか…と、前々から決めていたのである。
  伊原間から米原まではたいした距離ではない。この風に乗れば半日も漕げば着くと目論んだ。
 まずは多くのダイビング船が通過する航路を渡って野底石崎に向かう。ここから海岸線を南下していく。
 それまで内湾のよどんだ海だったのが、ここで急にきれいになった。青い水に、白い砂が海底に見え、珊瑚がイキイキとしている。テーブルサンゴの発達がすばらしい。
  あまりにもきれいなので、風も追い風という事もあり、ドリフトダイビングをすることにした。とは言っても、ただ単にカヤックから PFD 着たまま飛び込んで、ぷかぷか浮きながら流れるだけである。
  帽子とサングラス、胸にかけている携帯電話をデッキの上にしまい、マスクとシュノーケルをつけて飛び込んだ。
 眼下に広がる枝サンゴの草原!無数に広がるスズメダイの群れ!海底に写る自分とカヤックの影。 
「気持ちえーッ!!」
 適度に流されるスピードもちょうどよく、カヤックのリードを引っ張りながら水上散歩を楽しむ。透明度がいいうえに浅いので、日光がよく差し込んでいて海の中もそうとうに明るい。体が冷え始めるまで、マクロな視点で楽しんだ。
 野底崎の手前で再乗艇し、一息入れてから漕ぎ始める。
 急に突き出た野底崎はけっこう危ない場所かもと思っていたが、リーフに囲まれているせいか、この風でもたいして問題にならずに通過できた。
 その後もリーフの上を南下していく。透明度は野底沖に比べると悪くなってきたが、それでも海はきれいだ。海岸の方は北部に比べると人工物が増えてきて、海岸に人の影を見ることも増えてきた。
 このあたりから石垣島の北東部に突き出たながーい半島を回り終え、石垣島沿岸も半分近く漕いだことになる。
 なかなかいい海岸が続いていたが、けっこう似たような地形が多く、さらに台風のせいで緑が無くなってしまって南国的な雰囲気が足りないように感じる。ちょっとそれが残念だ。
 くびれた湾を横断し、対岸にある桟橋の横に上陸する。
 ここからは風を受けるので波がジャバジャバと海岸を洗い、それがウザイけど、乗り降りに問題はまったくない。舟を上げ、桟橋から陸のほうに歩いていくと、何かの施設のようだった。中に入っていくとそこが水産試験場だという事がわかった。 
「勝手に入ってもいいのか…?」
 ノコギリガザミやハタの親水槽なんかもあるらしく、ちょっと見学したい気持ちもあったが、今の自分がそうとう怪しい人物に見えるだろうこともあり、それは諦めて県道に出る。自動販売機を探したが見当たらず、すぐにカヤックに戻って出発した。
 今回、僕は石垣島の海図しかなく、地形図は持っていなかった。 ガイドブックの類も沖縄の名護に置いて来てしまったので、陸の上の情報がほとんどなかった。実は米原キャンプ場がどの辺にあるのか、具体的な場所がわからなかったのだ。
 それで一端上陸し、県道に出れば「米原キャンプ場 ○○km」という標示看板が出ていると思ったのだが、それは当てがはずれた。海図は漠然と町の名前しか書いておらず、はたしてこの先に進んでイイものか、ちょっと悩んだ。しかしキャンプ場の沖を漕げば、キャンパーが誰かしら海岸にいるだろうからわかるだろうと思い、横風を受けながら先を進んだ。
 海図を見ると、米原は一端リーフがなくなる場所があるように示している。実際、リーフの中を漕いでいる自分の前のリーフは、どんどん細くなってきている。このままリーフの中を漕ぐのは横波を受けて危険なので、サーフに突入して外洋に出る事にした。
 いくらか弱いサーフの場所を見定め、カヤックを波に対して直角に、一気に突っ込む。 タイミングを外してしまい、何度か波をモロに受けてしまったが、たまにはこういうスリリングな事があったほうが楽しい。
 なんとか深い藍色の外洋に出る事ができた。リーフの中にいると気付かなかったが、けっこううねりがあって海は荒れているようだ。
 横目に崩れるサーフを見ながら西に向かう。2~3mのうねりが入ってきて面白い。
 僕は外洋がけっこう好きだ。夏に瀬戸内海の小豆島で働いていて、湖のような静水面ばかり漕いでいたことも手伝ってか、このうねりの中を漕ぐのは楽しかった。なにより、この外洋特有の深い藍色の海がたまらない。吸い込まれそうだ…(吸い込まれたらヤバイっすけど)。
 そのうち、進行方向に大きな砂浜が見えてきた。多分あそこに違いあるまい。
 だがその砂浜の沖リーフにはかなり大きなサーフが巻いていて、あそこを越えて中に入るのはちょっと遠慮願いたかった。せっかく出たばかりだが、再びリーフの中に突入。リーフから出る時よりも気を使うが、すんなりとリーフの中に入る事ができ、ちょっと面倒臭い横波をいなしながら進む。
 昼過ぎ、米原のキャンプ場がある海岸に到着した。
 どうやら海水浴場も兼ねているらしく、砂浜には派手なビキニを着たお姉さんや、肥満体のお父さんなどもいて、予想に反して賑やかだ。
 静かな砂浜に上陸し、陸に上がると、すぐにテントサイトの林に出て、管理棟が見えた。なるほど、本当、海が目の前にあるキャンプ場のようだ。シャワー施設やトイレも各所に設けられており、思っていたよりもかなり充実している。さすが竹富町より金がある石垣市。キャンプ場も上等。
 キャンプ場を歩いて、全体を把握し、どこにテントを張るか決める。だいたい僕が上陸した正面が、ちょうどいいようだ。カヤックを少し進めて荷物を上げる。
 何とか苦労して荷物を上げ、カヤックも安全な場所まで持ってくると、一息入れようとラーメンを作って食べる。
 正直、獲った魚だけを食べて旅をしようと思っていたが、カヤックを漕いで全身運動をひたすら繰り返していると腹が減って体が動かなくなる。実際、インスタントラーメンでも食べるとエネルギーが体に回るのが実感できるのだ。僕はもともと体脂肪も少なく、燃費が悪い方なので貯め食いとかができない体質だ。
 飲み物も然り。これが真夏の炎天下だったらとてもじゃないが、やってられない。今回も1リットルのシグボトルに麦茶を毎晩作って補充していたが、それだけじゃとてもじゃないが1日のカヤック行では足りない。自販機を見つけては高カロリーで刺激があるコーラなどを飲まずにはいられなかった。
 いきなり今回のサバイバルに関して、敗戦宣告をしてしまったが、魚が獲れる状況では魚を獲り、極力他の食料は食べないようにしていた。今回非常食はインスタントラーメン、ランチョンミート一缶、レトルトカレー、サバ缶とシンプルな物ばかり。売店での買い食い程度の嗜好品は勘弁してもらう事にした。楽しくなくちゃ、意味ないから。買出しできる所では十分「買い物」という欲を満たしたい。
 さて、ラーメンを食べてテントを張り、少しマッタリした僕は、今晩のおかずを獲りに海に入った。
 米原は遠浅のリーフが目の前にあり、そのリーフエッジを越えると立派な珊瑚礁の海が広がる。礁池が浅く、リーフエッジまでの距離が比較的短いの南風見田浜に近い。
 最初、サンゴが思ったよりもしっかりしているので感心してみていた。米原でキャンプしている人達が、「米原の海はたいしたことない」と言っていたのをよく耳にしていたので、このサンゴの立派さは意外だった。むしろこんな手軽にこれだけの珊瑚が見られるのは西表島にはなかなかない。きっと彼らはリーフエンドまで行っていないのだろう。
 あるバリ(リーフの切れ目。海が荒れるとリップカレントが発生する場所)の海底でじっとしていると、沖の方からユラユラと巨大な魚が3匹、近寄ってきた。微妙に白濁りしている水の中で目を凝らして見ると、それは1メートルをゆうに越えるナポレオンだった。
 両側を珊瑚礁に囲まれたその礼拝堂のような場所をサスペンドしている巨大な魚は、目をぐりぐりと動かし、体を斜めに傾けて浮遊するかのごとく泳いでいる。それはまるでポリネシアの人達が祭っている神のように日常とは違う違和感を醸し出していた。
 良い物見た。今までナポレオンは何度も見ているが、この時の個体はなかなか神秘的で、ナポレオンの印象がちょっと変わった気がする。それまではただ「ほげぇ~」っと、泳いでいるイメージしかなかったからだ。
 さて、魚突きのほうだが、これが超苦戦。獲れそうな魚がまったくいない。いても深すぎるし、ちっとも寄らない。型のいいキツネフエフキや、50㎝くらいのアカジンを見るも、遠ーくに行っちゃったり、深ーく潜っちゃったりで、全然勝負にもならない。
 2時間潜って、そろそろ何とかしないとやばいと思っていた時、偶然のぞいた穴にツバキ(アヤコショウダイ)を発見!もうこれしかない!
 しかしこれを外す…。
 だが、かなり深い穴なのに、奴は奥に引っ込まずあたりをウロウロしている。ヤスのゴムをもう一度引きなおし、再び放つと、今度は命中。チョキが外れて魚とのやりとりが始まる。
 穴の奥に入ってしまった魚を引きずり出そうとするが、物凄い力で抵抗する。 
「こんなに力の強い魚だったか?」
 そう思って渾身の力で引っ張ると、なんと丸太みたいなドクウツボが俺の獲物を咥えこんでいた!こいつと綱引きやっていた訳か。どおりでさっき穴の中に逃げなかった訳だ。こんな奴に自分の獲物が獲られるのはシャクなので無理やり奪い取り、やっとの事で浮上。ヤスを二度も引いて長時間のやり取りだから、相当潜っていたはずだ。
 頭に歯型の付いたコショウダイをゲットし、安堵して浜に戻った。

 思いのほか海に居すぎたため、浜に着いてからは忙しかった。
 浜で記念写真を撮ってから魚の鱗と内臓、鰓を取り、それからシャワーを浴びて着替えて魚を三枚にさばき、頭はかち割って汁にし、身の半身は刺身にして残りは放置。カマは焼いて食べる事にした。
 日が完全に落ちた頃、焚火をしようと台風で落ちた大量の枝を鉈で薪にし、かまどで火を付けるが、湿っていてなかなか付いてくれない。何とか火をつけて米を炊いてアラの汁を作る。その間に商店に買出しに行ってビールを買い、それを飲みながら酢でしめた刺身を食べる…と、なかなかの忙しさ。のんびりしている暇がないのが単独キャンプです。
 アヤコショウは西表のカヤックショップでキャンプツアーを担当していた時、しょっちゅう獲って食べていたので懐かしい味と香りがした。この個体は異常に脂が乗っていて、なかなか美味かった。とくに頭に脂がすごくて、汁はギトギトの豚骨スープみたいになっていた。この魚にしては珍しい。
 この旅が始まって以来、やっとまともな魚を獲る事ができて腹いっぱい食べたため、とてもいい気分になり(というか安心し)、海岸で三線を弾き、頃合を見てテントに入った。
 夜半頃、雨が降り、テントに打ちつける雨音を聞きながら眠った。


10月14日 停滞日 晴れ

 
 せっかくの米原。この日は海で遊んで一日過ごそうと考えていた。
 朝起きてまず気付いたのは、蟻。
  小さい、本当に小さいアリが、無数に群がり、ある場所では列を連なって行進している。テントの前室に置いておいた食料バックはアリだらけになっていて、これを払いのけるのが大変。さらに放置しておいた半身はビニールに包んでいたのでいいのだが、洗って置いておいたまな板や包丁もアリに被い尽くされて、とんでもないアリサマだった…。
 頭上の枝の上にはカラスが虎視眈々と獲物を狙っており、油断できない。
 思えば 8 年前、南風見田浜で初めて本格的な単独キャンプをやった時も、ずいぶんとアリとカラスにやられた物だ。すっかりその性質の悪さを忘れていた。
  半身は切身にして味噌と泡盛、砂糖を入れたジップロックに入れ、味噌漬にして夕飯にまわす事に。朝は昨日の残りの汁を御飯に入れて雑炊にして済ませた。
 午後、ウエットスーツを着てカヤックに潜り道具を入れ、沖にある「環礁」に向う。
 米原の沖には丸い離れの珊瑚礁、根があり、そこにはダイビング船が何艇か泊まっているのが見えていた。米原のリーフも楽しいが、せっかくカヤックがあるのだからあそこまで行こうと考えたのだ。
 5 分も漕ぐとすぐにダイビング船のすぐ横まで行ける。さらに進んでエンジン船は入れない浅場まで漕いでからマスクとフィンをつけてカヤックから飛び込む。
  野底の沖もすごかったが、ここはもっとヤバイ!
 しばらく流れながら浅場を観察する。テングハギや、スズメダイの仲間が愛らしい。ギーラ(シャコガイ)もよく見かける事ができた。
 ある程度深いところまで来てからカヤックを死んだサンゴに結びつけ、周辺をカメラ持って泳ぐ。
  なんと言っていいかわからんが、とにかくここは最高に気持ちよかった。抜けるような透明度ではないのだが、 20m は確実にあり、ドーンっと、切れ込んだリーフエンドにはミジュンが大量に群れていて、その群れが泳ぐ様がすごい。ときどき群れに突っ込んでくるサバみたいな魚はイソマグロの子供のようだ。
 とにかくトンネルが多い場所で、中にはトガリエビスやアカマツカサはもちろん、チョウチョウコショウダイがやたらといて写真の被写体には困らなかった。コショウダイがいるからミーバイもいるだろうと思っていたが、この時見たのはカンモンハタとニジハタ、バラハタの小さいのしか見かけず、アカジンや、でかいマダラハタなどは見つけられなかった。

 

 

  武器も持たずに 3 時間ほど海中遊泳を楽しみ、カヤックに戻って帰ることにした。すごく楽しかったが、シュノーケルならともかく、漁場にはならないな…と言うのが素直な感想です。
  浜に戻ってシャワーを浴び、まったりしていると、 2 人の女の子が僕のテントの隣にテントを張りだした。見た目は普通の女の子なのだが、手には網だの、ヤスだの、釣竿だの持っており、この時は「大学の生物調査か何かできたのかな?」と思っていた。
  女の子が隣に来たことは素直に嬉しかったが、だからと言って何かあるわけでもあるまいし、この時は特に関心もなかった。
 洗濯物を干していると、お爺さんが車から降りてこっちに歩いてやって来た。  
「兄ちゃん、初めてだな。」
 どうやらキャンプ場の管理人さんのようだ。週に何回か、こうやって見回りに来ては料金を貰っているようで、昨日泊まったのだが今日来たことにして一泊分、 400 円払い許可書をもらった。
  お馴染みの「どこから来た?」というような話から始まり、カヤックで来たと言うと、別段驚きもせずに「いいなー、おじさんもカヤック持っているんだよ、使ってないけどナー」と、話は色々な方向に進んでいき、なかなか気持ちのいいオジィだった。
  そのオジィが隣の女の子達のところに行くと、これまた長話が始まったが、おもむろに枝を拾い集めて焚火をしだした。どうやら女の子たちは焚火で煮炊きをしているらしく、それをオジィが教えてあげているといった感じである。
 オジィがいたときは大丈夫だったが、オジィが帰ると、火はあっという間に消えた。木の枝はまだ少し生木だし、昨夜の雨で小枝も濡れているので、ちょっと焚火に慣れていないと難しい状況ではあった。 
「ここを逃すと、関わるきっかけはないな…」
 あまり人助けはしないのだが、お隣さんだし、女の子だし…という事でついつい着火剤を持って困っている女の子の場所に行く。
  無事に火は着き、焚火をいじりながら女の子と話をする。
  彼女等はもう社会人で、長期休暇をとって八重山に来たらしい。それで何故八重山に来たかというと、友人が沖縄で無人島キャンプみたいな事をして、非常に楽しかったという話を聞き、じゃぁ私達もサバイバルなキャンプをやろうと、来たと言うのだ。煮炊きは焚火のみ。もちろんテント泊で食料は海から調達すると言う。
  ナルホド…。じゃぁそれなりにアウトドアな子達なのかと思えば、どうもそうではなく、焚火が起こせない事からもわかるように、かなり素人に近い方に属する子達なのだ。釣りもほとんど初めてだし、潜って魚を突くなんて初めての経験だという。
「え!?魚…、突くの!?」  
「ほら、あそこにいるじゃん」
  海のほうを振り向くと、確かに女の子が三点セットをつけて水深 1 メートルもない場所で潜っているのが見えた。
  なんだかなー。すげぇアグレッシブな姉ちゃん達と知り合ってしまった…。
  ここで俺が「実は同じような事を、カヤックで移動しながらしています」と言うのも恥かしいぐらい奇遇で、この出会いが確かに僕のこの旅行を変化させていったとも言える。
  しばらくすると唇を紫色にして寒そうな女の子があがって来た。挨拶をし、これまでのいきさつを話する。ちなみに彼女の獲物はなかった。
  この日は石垣島の中学生がキャンプに来ているらしく、やたらと賑やかで、先生だか父兄だかわからないが、大人達も生ビールサーバーまで持ってきてバーベキューをしていた。
  隣に居る彼女たちの焚火でお湯を沸かせてもらい、そのまま米も炊かせてもらって夕飯にした。彼女たちは食料が採れなかったのでスパでティーを作っていたが、なんだかウドンみたいな…スパゲティーになっていた。
  味噌漬を焼いて食べようと思ったのだが、焚火に乗せて焼いてみると、ぼろぼろと崩れる。味噌で肉が柔らかくなったのだろうと思っていたのだが、食べてみて、ただ単純に腐っているのだと気付き、食べさせるのを止めた。見た目は美味そうだったので、彼女たちは残念がったが、臭いもかなり酷かった。さすがに味噌に漬けても、南国の熱では生魚の保存はきついらしい。
  一晩中、中学生たちは騒ぎ、大人も早く寝ろということもなく、夜中の 3 時頃まで夜釣りなどして遊んでいた。そのやかましい声を聞きながら僕は女の子 2 人と焚火の前で話をしたり、釣りがしたいというので夜釣りに付き合ったりした。餌はその辺にいるヤドカリ。中学生たちはイットウダイやイシミーバイを釣っていたが、僕らはボーズだった。 
「明日もいてくれると、助かるんだけどナー」
  彼女たちのそんな要望のせいか、それともあまりにも危なっかしいサバイバルキャンプに見かねたのか(後日、ハリセンボンを獲ったと言って見せてもらったら、普通のフグだった。俺がいなかったら喰っていたぞ、あいつら)、予定にもまだ余裕があったこともあり、「ま、いいか。女の子と遊ぶの、楽しいし♪」と、ずいぶんと軟派な考えが浮上し、翌日の出発を見送くる事にしたのだった。

 だがこれが 5 泊もすることに、その後なるとは思わなかった…。

10月15日~17日 晴れ

 
  1 日だけの停滞は、 2 日になり、それは3日となって、終いには 4 日となった。
  最後の 17 日は出発しようとしたものの、潮の干潮が速く、閉じ込められてしまったという事もあるが、それでも午後に出発する事はせず、彼女たちに付き合ってバスで石垣島を周遊する事になった。
  いっしょにシュノーケリングをしたり、イザリをしたり、釣りしたり、観光地巡りしたり、個人的には一人でヤエヤマヤシ群落に行ったりと、まぁとにかく米原でのキャンプは十分なまでに送る事ができた。
  この 3 日間は特に今回の遠征では関係ないので別の機会で書くことにして、いよいよ出発する 18 日から続きを書こうと思う。
 ともかく、海は目の前で、料金も安く、水道もシャワーもあって、自販機まであって、売店で冷たいビールも買える、あげく携帯も充電できる米原キャンプ場は最高でした。住み着く人がでてしまうのも仕方ない、居心地の良さでした。何より、他のキャンパーとの交流がやはり楽しかった。

 

10月18日 北の風 ~4m/s 晴れ


 正直焦っていた。
 あまりにも、のんびりしすぎたからだ。
  沖縄本島で出会った「沖縄カヤックセンター」は 17 日には石垣島に入り、八重山周遊の旅を始めたと言う。このままでは途中で合流するはずだったのに、追い抜かれてしまう。仲村さんも最初は黒島経由で時計回りに西表島に渡るといっていたが、この風では小浜経由で西表に渡るだろう。もし時計回りなら途中で鉢合うが、同じ進行方向なら合流するのは、まず無理だ。
  一抹の不安を抱きながらも、長居してしまったのは仕方がない。
  6 時起床。前日に大体、片付けは終わらせていたので朝食をとり、パッキングをすると 8 時前になっていた。 
「じゃ、今度は西表島で会おう」
  彼女たちもこの後、波照間、与那国と回り、西表島の西部経由で東部の南風見田浜まで行くという。ちょうど僕がそこにつく頃、彼女達もいると言うので、そこで再会する約束をし、記念写真を撮って僕はまだ日も高くない海に漕ぎ出した。
  何とか無事、リーフを飛び出し、そのままリーフ際を西へと進む。
 この日はそれまでの風が嘘のように止んでいて、場所によっては油を張ったようなベタ凪で、海底のサンゴが手にとるように見えた。
  1 時間ほど漕ぐと川平湾の入口に到着。  前日、バスで普通に観光地の川平湾に行っていたが、沖から見るとほとんどわからない。ただ、観光用のグラスボートがたくさん出入りしているので大体の場所は見当がつく。
 川平湾を越えるとリーフが広くなり、エッジも鋭いのか波が大きく、サーフが酷いのでリーフの中に入ってしまうことに。
 サーフィンしながらリーフの中に入ると、それまでの外洋の深い藍色とは違う、澄んだエメラルドグリーンの海に変わった。そしてリーフ内にもかかわらず、サンゴがものすごい元気だ。  
「さすが観光名所で有名な川平湾!やるじゃない」
 湾の入口からクラブメッドカビラがあるまでの間は、とにかく浅くて目立った障害物などは小型定置網位しかなかったが、何につけてもその海の色が、とてもきれいで最高のパドリングだった。

 川平石崎の先端には世界的に有名なリゾート施設、クラブメッドがあり、この岬の先端にはダイビングで有名なマンタスクランブルというポイントがある。できればカヤックから飛び降りてマンタを見たかったが、ダイビング船がそれほど固まっていなくて、場所が特定できなかったので先に進む事にした。
  岬の先端はロックガーデンになっており、岩山の隙間をすり抜けるようにして反対側に抜ける。リーフの中も漕いでいけたが、ちょっと面白みにかけるので、いったん外海に出ることにした。
 これが失敗。リーフの切れ目と岬の先端が同じ場所で切れ込んでおり、波が相当あった。余裕かましてスプレースカートをしていなかったので、モロに波を被って全身ビショ濡れ。本気ブレイスまでしてしまい、まぁそれなりに楽しめたけど、油断した。
  川平石崎を越えると、今度は崎枝湾に出る。
 弧を画いて沿岸を漕いでいくのもダルイので、ここは一気に横断して御神崎(ウガン崎)を目指す。
 この湾の最深部は 80 mほどあり、外洋と言ってもいい。けっこういいうねりが入っており、後ろからの追い風とあいまってなかなか面白い、外洋カヤッキングの醍醐味が楽しめた。何より青物の背中のような深い藍色の海が最高に気持ちいい。何度も書くけど、やっぱり俺、この色大好き♪  光の帯が八卦に分散し、遥か海底へと続いている。
  その海面では黄色いカフナが水面を切り裂く音を耳に届けながら進んでいく。最高に気持ちがいいッ!!
  カヤックを漕ぐのって、「何が楽しいのか?」って昔は思っていた。目的地に行く為のただの手段だと思っていたけど、最近はやっとカヤックを漕ぐ事自体も楽しくなってきた。それは理屈を考えていた昔に比べ、カヤッキング自体が僕の生活に浸透してきた証拠だろう。
  そう、なにごとも理屈じゃないんだよ。
 崎枝湾はあっという間に漕ぎきれそうだ。目の前には険しい岩礁帯が剥き出しになった御神崎が迫り、海底のサンゴがチラホラと見えるようになってきた。海面にはウミガメ。やたらといる。しかもでかい。
  11 時頃、御神崎灯台下を通過。石垣島の難所はとりあえずこれで全てクリアーだ。反射波がウザッタいものの、カヤックでも十分漕げる範囲だ。  少し行った所でドリフトダイブをしてみたが、あまりたいした事はなかった。地形はのっぺりとしていて、イソマグロやカスミアジなんかがブンブンいると思ったが、二ザダイ系の魚がいるだけだった。場所が悪かったのかなー??

 

  岬の裏にまわるとビーチがある。ここは以前、「ちゅらねしあ」のツアーで出発地点だった場所である。ここが礫浜だったので膝くらいの水深の場所にアンカーをしてカヤックを泊め、歩いて御神崎灯台に向かった。
  この灯台に来るのは 3 回目だ。最初は石垣島の民宿に泊まっていた時、深夜に宿で知り合った友人たち 12 人で無理やりマークⅡに乗り込んで(詰め込んで)、来たことがある。 2 回目は「ちゅらねしあ」のツアー時に。最初の時は真っ暗闇で何も見えず、 2 回目の時は爆風で体も飛ばされそうで、海は大時化だった。
 今回、御神崎から見た景色は最高にきれいだ。平久保崎灯台の時に比べると風も弱く、あそことはまた違った海の色がすばらしい。
  西を見ると、遥か沖に西表島の山々が見えた。
  石垣島も今日で最後だ。今までは石垣島の沿岸を漕ぎ、コースタルカヤッキングでしかなかったが、いよいよアイランドホッピングだ。明日はあの島まで行く
 西表島に行く事を、これほどまでに期待する事が今までにあっただろうか? 海の向こうにある島に自分の力だけで渡ることができるという事。いつもは高速船で行くべき島にカヤックで行くという事。自分の青春をかけてきた望郷の島。そしてその島が目の前にあるということ…。
 ちょっと、久々にワクワクしてきちゃったりした。
 カヤックに戻り、南下。
 少しでも島渡りがし易い場所にテントを張ろうと思って、昨年の11月に来た時にキャンプした場所よりもさらに南下、屋良部崎、大崎まで行ったが、ビバークはできるものの、潜る海としてはつまらなさそうだなぁと思い、結局また向かい風に苛まれながら御神崎と屋良部崎の間にある浜に上陸、そこでビバークする事にした。
 八幡さん達とキャンプをした場所は謎のクライマーがボルダリングをしており、不気味なのでこっちに来たのだが、ここもサンゴの岩に囲まれた不思議な浜で、ちょっと不気味だった。
 お昼だったのでとりあえずラーメンをストーブで作って食べる。
 そして無人の浜で全裸になり、フルチンのままウエットスーツを着て海に入った。あ、ロングジョンね。フルチンでカブリだけして潜ったわけじゃないから。
 念のために付け加えると、今回の遠征でほとんど僕はロングジョンを着て、上はパドリング時のシルクシャツしか着ていない。一応2ピース持ってきたが、熱くて死にそうになる。この日も2本目はフル装備で行ったが、熱くてたまらなかった。完全にオーバー装備でした…。
 一本目はカメラを持って潜水。だいたい魚の居場所がわかったので、2本目は魚突き目的で潜り、セグロコショウダイと良型のカースビ(ゴマフエダイ)を突いてエキジットした。
 ここの海はなかなかよかった。魚も多かったし、途中、グルクンの群れに囲まれてみたり、アカジンの写真を撮ったり、ヤマトナガイユ(ツムブリ)のでかいのが足元を泳いでいったりと、楽しめた。
 夕飯はコショウダイの塩焼きをおやつにしながら、ふりかけ御飯、ゴマフエダイのアラ汁、味噌漬焼きと、なかなかゴウジャス。しかしゴマフエダイは60㎝もあり、一人で食べるにはちょっと多すぎた。頭は食べる事ができずに海岸にいるヤドカリ達にあげて、残りの半身は焼き枯らして翌日の行動食にすることにした。
 焚火の前でこの日は久しぶりにハープを取り出し、吹いてみたが、あまりに自分のヘタクソ加減に嫌気がさして10分でやめた。
 空は相変わらず満天の星。
 入り江の中なので御神崎灯台の明かりも直接は届かず、定期的に目の前の海を照らしている程度だった。
 石垣島の旅もこれで終わりだ。
 今までいつも来ていたのに知らない事が多かった石垣島の沿岸は、職場でしか会わない女の子と、何かの偶然で食事を一緒に行った時のような、灯台下暗しな発見があって面白かった。
 風は午後から強くなってきており、夜も結構吹いた。この分では翌日も吹きそうだが、北東の風は今の僕には強い見方だ。
 明日はいよいよ八重山島渡り。
 テントに入り、ラジオで天気予報を聞いてから明日へと備えて寝た。