第六章 九州イカ釣爆釣紀

宮崎県・大分県

2005年7月22日~26日 


 

たまには川でも遊ぶのだ

 
 夕方1730分、屋久島からの船は鹿児島に到着した。
 やっと本土到着である。
 鹿児島は僕の田舎だ。本籍も何気に鹿児島である。ただし住んだ事はない。
 親父の実家に寄ろうと思っていたが、気を使わせるだけだし、何気にこんな歳でこんな事をやっているなんて知られたくないので今回は予定通り、宮崎の友人の家に直接行く事にした。
 鹿児島はシーカヤックのフィールドとしても最高だし、潜りも良さそうなのだが自由な旅をしている身分でも時間と金には限りがある。フェリーから見る桜島はかなり魅力的だったが、今回は諦めた。
 タクシーで鹿児島駅に向かう。鹿児島の一番大きい駅である鹿児島中央駅は、僕が昔来た頃には西鹿児島駅という名前だったのでちょっと戸惑った。ともかく僕はその鹿児島中央からすればかなりコジンマリとした鹿児島駅から電車に乗り込む。
 宮崎方面に行く普通電車は1時間に一本しかなく、ホームにはたくさんの高校生や社会人が並びだした。よく考えれば都会から地方に行く路線、しかもちょうど帰宅時間とかぶってしまったのだ。これには参った。
 案の定、2両しかない電車に人がギッシリはいりこみ、その間に大量の荷物を持った僕が入り込む。申し訳ないが1時間も次の電車を待っていられるか。特急にすればよかったと少し後悔する。
 錦江湾を眺めながら電車は進む。国分をすぎたあたりから人がドンと減り、だいぶ楽になった。
 920分、宮崎駅に到着。前回、西表島で働いていた時の帰りにも寄ったので懐かしい。
 ここで友人と待ち合わせる。駅の前で彼はフォレスターに乗り待っていた。
 
 友人Oは学生時代のサークル仲間だ。
「釣り研究同好会」という、極めてマニアックな釣バカ達の集まりで、釣りに狂いすぎて馬鹿なのではなく、只単に馬鹿なことばかりやっている集団で、深夜の天王州アイルで我が大学独特の自己紹介を大声でしたり、台風から逃げる為に琵琶湖まで下道で車とばしたり、マックでハンバーガー100円時代に100個買いに行ったり、京浜運河で釣ったボラを近くのビルの噴水の中に入れたり、まぁ、これ以上書くと善良な市民から苦情が来そうなほどの自虐的なことやいたずらをやっていたサークルなのだ。
 まぁ、多分僕らの時代だけだとは思うが・・・。
 Oはそんなサークルの同期で、俺は休学、奴は〇年ということで卒業も一緒で研究室も同じだったので何かと学生生活をつれそった友人なのである。
 そんな彼も今は実家のある宮崎で公務員。本人も仲間内も「世の中わからんな~」と言っている。
 ここから彼の実家のある延岡まで車で行くことに。久しぶりに会うが会話には事欠くことはなく、いつのまにか彼の家に着いていた。
 Oの両親に挨拶する。この家には何と3回目の訪問である。おじさんもおばさんも僕がやっていることをわかっているので話が早い。おじさんは野田知佑さんのファンなので似たような事をやっている僕には理解があるようだ。 いつもここにくる時は沖縄からの旅の帰り、よることが多いので髪はボサボサ、肌は浅黒く荷物満載といった風貌なのだが、何の気もとめず相手してくれるのでありがたい。 
「まぁよく来た」と部屋に通され夜も遅かったがちょっとした肴と酒をもらい、深夜の2時近くまで飲んでしまった。
 
 翌日、O家族3人と僕、そしてOの従兄弟が加わり、延岡の某河川に遊びに行く事になった。
 途中、スーパーで買出しをし、釣具屋で雑魚釣り用の仕掛けなどを購入する。
 この釣具屋がなかなか面白い。投網やカニ篭が売っているのはもちろん、高知などで使われる投げ網(投網とは違って刺網を投げる奴)やウナギ採り用の筒、エビ採り網、さらにはシジミでも採るのか棒ケタまで売っている。地方の釣具屋はナカナカにワクワクするアイテムが多くて艶かしい。
 車で1時間も行くと目的の川についた。
 この川は5年前、はじめてOの家に来た時にも遊びに来ていた。だがその時はちょうど台風の後で増水しており、水温がとても低かったのだ。その為5分も泳ぐと体が冷えてしまい、とてもじゃないが泳ぐ事が出来ず、ドンコを一匹突いただけで終わってしまっていた。
 今回はそのリベンジをすべく、ウエットスーツを持ってきたのだ!これなら水温が低くても川で泳ぐ事が出来る。ところが今年はそんな姑息な道具を使わなくてもいいくらい、川は温かかく、水位も以前来た時よりかなり水位が低かった。
 おじさんが焚き火を起こし、その間に僕らは泳いでテナガエビを突くことにした。
 川の淵のサイドや葦がしげっているところなどに行くと、大きなテナガエビがいる。これを青ヤスや竹と針金、輪ゴムで作った土佐銛のような仕掛けで突くのだ。 
「エビなんて余裕だろ!」
 魚突きに比べれば川でのテナガエビなど簡単に突けるだろうと、完全に舐めてかかった僕は、手当たり次第にエビを突きにかかった。
 ところがだ、これがけっこうあたらない。銛を放った瞬間、エビは横っ飛びで逃げてしまうのである。しかも一度失敗すると泥が舞い上がってしまい、エビを見失ってしまう・・・。 
「こ、これは・・・屈辱だ!!」
 つい魚突きのクセでエビの真横に行き、突いてしまうのでやや上から突くようにすると、けっこう突ける事がわかった。だがエビは岩の下にいるのでなかなか上から突けるシチュエーションがない。それが難しくて面白いのだ。
 型がいい奴だけを狙い、胴体と体のジョイントの部分を上手く狙う。そうして採っているうちに体も冷え、5~6匹採ったところで陸に上がった。
 焚き火にあたりおじさんとおばさんが焼いたバーベキューをご馳走になる。テナガエビも塩をふって焼くことにする。川エビはジストマがいるからしっかり焼いたほうがいい。カラが真っ赤になったところで火から取り出し、殻ごとバリバリと食べる。芳ばしい香りとエビ特有の旨味が口に広がる。 
「美味いッ!!」
 ビールが進む。また泳ぐからほどほどにしなければならないのだが、トマラン。
 体が温まったところで今度はおじさんも泳ぎに行くことに。僕もせっかくだからとウエットスーツを着て潜る事にした。これならさっき水が冷たすぎていけなかった淵の底(4mくらい)にも行けるだろう。
 川にはエビ以外にも様々な生き物が見れた。あたりにはオイカワがウロウロと泳いでおり、潜っているとマスクを突付くくらい寄ってくる。藪の方に入っていくとアブラハヤやカワムツが泳いでおり、ドンコがいる。岩下にはヌマチチブやでかいナマズがいた。ナマズは突こうと思ったがけっこう警戒心が強くすぐに逃げられてしまう。泥が舞い上がっている場所があると思えばコイが泥ごと食べながら前進しているところだった。
 5年前に来た時にはアユカケも見ていた。さすがアカメも住む宮崎の河川は生き物が豊富だ。こういう川なら遊んでいても飽きない。
 川底にべったりとへばりつき、ジッとしていると、目の前をアユが群れで通過する。川の中で見るアユは陸の上にあげて見る以上にきれいだ。黄色のヒレとパール色の魚体が美しい。何度か突こうと挑戦したがムリ。コツがいりそうだ。
 エビを10匹ほど突いてあがる。
 上がるとおじさんは酒を飲み、Oは御飯粒を餌にハヤ釣りに興じていた。
 正直、夏の川でウエットと着て潜るのはフェアじゃない。さっき潜っていた時に比べると全然寒くないのだ。しかも倍近い時間を潜っていても。O達がTシャツだけで潜っている中で自分だけウエットを着ているのは何だかかっこ悪い気分になっていた。
 春や秋、冬に潜る機会がある以外は川でのウエットは着るのをよそうと思う。
 だけど、久しぶりに淡水で潜るのはちょっと面白かった。川底を蹴って浮上しようとしても、海なら浮力でホワッと浮かんでくれるところでちっとも浮いてくれないのだ。「マジかよ!」とかいって慌てて手をかき浮上するのだが、なんだか苦しい。海で泳ぎを覚えた人より川で泳ぎを覚えた人のほうが水泳は上手いだろうな・・・と思った。
 

 

 

 夕方帰宅。その日の夜は魚突きをやる同じ延岡在住のIさんと飲む約束をしていた。
 本来は一緒に海に行きたいところだったのだが、思いのほか屋久島に長居してしまった僕は宮崎滞在が短くなってしまい、Iさんも出張があるということで夜に会うと言うだけになってしまった。
 待ち合わせ場所に行くと、ランクルが停まっており、その車以上に厳つい男が立っていた。とにかく腕が異常に太い・・・!少し後ずさりしたが、話してみるとイイ人でした(笑)
 Iさんの家に行って飲む。ちょうど魚突きに行った帰りらしく、車のボックスの中に今日の獲物が入っていた。50㎝オーバーのチヌと70㎝近いゴマフエダイだ。 んーでかい。僕はゴマフエダイに関しては相当な個体を見ているので珍しくは思わなかったが、それでもこれだけでかいのはなかなかお目にかかれない。 
「けっこういるんですよね、テトラの中とか」
 Iさんはとにかくでかいから突いてみたと言うが、こういう南国な魚がいるのが宮崎の海のすごいところである。
 西表島にショアからガーラを釣りに行っていた時、僕の最高記録は72㎝のオニヒラアジである。ところがそんな中、石垣島の本屋で釣り雑誌を読むと宮崎で80㎝オーバーのロウニンアジが釣れると言う記事が載っていて、鼻血が出そうになった事がある。しかもジャンボエバとか言うセンスのないネーミングで呼ばれており、「俺は何のために西表島まで行っているのだ??」と、落胆した物である。
 しかも追い討ちをかけるようにOが、「そんなんワザワザ西表行かんでも、うちの実家あたりでも釣れるのに。先日もオヤジの知り合いがスズキ狙いで70cmのロウニン釣ったみたいだぜ」などとデリカシーのない事を言うのだ。
 宮崎は他にもアカメや冬のオオニベなど、超大物を狙うには外せない場所になっており、サーフで70㎝オーバーのヒラスズキがトップで釣れてしまうような場所でもあるのだ。日向灘、侮るなかれなのである。
 ゴマフエダイを僕がさばき、刺身にする。
 奥さんの手料理をご馳走になりながら、久しぶりに魚突きの話をする。この旅が始まってからカヤックや釣りの話はよくしていても魚突きの話はあまりしていなかったので宮崎の魚突きの話は面白かった。
 あまり長居し過ぎる訳にも行かず、11時頃、酒を飲んでしまったので奥さんの運転でOの家までIさんとともに送ってもらう。
 ところがこの奥さん、運転がかなり怖い・・・!外は雨が降ってきて雷も鳴り、なんだか妙なスリルを味わいつつ帰宅したのだった。

イカハンター、宮崎のイカを釣り尽くす!!

 
 翌朝、寝すぎた。恐る恐る起き、 O 親子に挨拶する。
 釣りチャンネルでクロダイをルアーでバカバカ釣っているのを見ながら朝食を食べる。  
   説明がだいぶ遅れたが、この O 親子は相当な釣りバカ親子である。この場合の「バカ」は釣り研のように只単にバカなのではなく、釣り狂いの方のバカの意味なのであしからず!
 とにかく会話はほとんどが釣りの話。テレビもつまらなくなればすぐに WOWOW の釣りチャンネルに変えてしまうくらいだ。仕事が早く終われば釣り、休日は釣り、まさに釣り漬で、今おじさんはイカ釣にはまっているらしく、冷蔵庫の中にはアオリイカで埋まっており、奥さんは相当困った感じだった。
 息子の O も手がつけられない男で、先日もアルミボートを買っただの、新しい竿を買っただの、給料いくら釣りにつぎ込んでいるのか怖くて聞けないくらいだ。
 
 そんな親子に連れられて、この日は北浦、大分方面にアオリイカのエギングをやりに行く事になった。
 僕の持っているタックルは一応エギングができるものだが、今回はOのタックルを借りることにする。ベアリングがイカれたリールを使っている僕には彼の使っているリールは恐ろしく滑らかに回ってくれる。思わず「オォッ!オォオォオー!!まわる~」っと、あたりまえの事を叫んでしまった。
 昼前に出発。途中、釣具屋の自動販売機で氷を買っていき、漁協がやっているスーパーで弁当も買う。 600g ほどのアオリイカがいい値段で売っていた。  
「まぁこれよりチョいでかいのが釣れれば上々だね」
 そんな事を言いながら魚屋を冷やかして目的の釣り場へ。
 最初の釣り場は足場の高い堤防から投げる。目の前にはブイが浮いており、そこにイカがサスペンドして付いてそうだ。
 さっそく投げてエギが着底したと同時にシェイクを入れ、竿をしゃくる。思いっきり 2 回しゃくり、ラインにある程度テンションをかけつつエギが落ちるのを待つ。だいたいこのフォール時にイカがエギを抱いてきて次のしゃくりでのる事が多い。
 この時も最初の一投目から僕の竿にあたりがあった。  しゃくった瞬間に竿に「ドスンッ」という重みが伝わる。  
「オッ乗ったかな?」と思っていると「グーン、グーンッ」というイカ特有の引きで、ドラグからたまに糸を出して行く。この竿に重みが乗った時が、最高に気持ちイイのだ。
 足元までイカを寄せ、小さいのでそのまま引っこ抜いた。おおよそ 300 g位のアオリイカだ。  
「幸先良いな~♪」
 そんな浮かれて写真を撮ってもらっていると、堤防の先でやっているおじさんにもヒット。しかもでかいらしく、ドラグから糸が出ていく音がここまで聞こえる。大物が釣れるとは思わなかったので走って車まで行きタモ網を持ってきてイカをすくい取る。大型特有の茶色い色をした 1 キロオーバーであった。
 その後、この場所で僕がもう一杯、おじさんが2ハイ釣り、5ハイ釣り上げたところでアタリが遠のき、場所を移す事にする。
 宮崎県を越えて大分県にはいる。
 このあたりはリアス式の海岸が続き、景勝地としては最高だ。かなりいい海が続く。静かなリアス式の湾の中ではタイやヒラメ、アコヤガイ、ヒオウギガイなどの養殖が行われていて漁港の近くではその筏を干している為か、ちょっと臭った。
 途中、魚市場の屋根の下で昼食をとる。
 その漁港の防波堤で釣りを試みるが、潮が引きすぎて隠れ根のテトラが剥き出しになるほどで、まったく釣りにならない。地元の人がそのテトラの隙間にいる貝を潮干狩りで採っているくらいだ。そのテトラを越え、地磯まで行ってエギをキャストする。
 養殖棚がすぐ近くまであるので引っ掛からないように気をつけるのだが、海底の岩には牡蠣ガラがいっぱいへばり付いているため難しい。潮も悪く、3人でかなり粘るが釣れず、Oが何とか1ハイ釣り上げ、おじさんがタコを一匹釣って場所移動することにした。
 あまりにも暑いので途中、海水浴場のシャワーを借りて水を浴びたりアイスを買って食べたりしながら移動する。車を使ったこういう「ラン・アンド・ガン」の釣りはけっこう好きだ。こういう事をやると、やはり旅に出る予算を我慢して車を買うか・・・?という気分にもなってしまう。
 次の場所は潮があまりにも悪いので即行で見切った。
 この頃になるとけっこうな時間になっており、そろそろ潮がまた入ってくるというので最初に釣った場所に戻ってやる事に。
  30 分ほど移動した後、再び同じポイントに行くと確かに潮が大きなうねりとともに入って動いているのがわかる。キャストを 3 人でしているとおじさんがいきなりかけた。やはりこの場所は今日、当たりである!  
「うわぁ!」
 痛恨のバラシ!エギを回収するおじさんだが、不意に海面を除いて叫んだ。  
「おいッまだいるぞ!そこっ、そこっ!エギ投げろ!」
 アオリイカは捕食体勢に入ると自分が狙った獲物にかなり執着心を持つ。一度ばらしても再び同じ場所にエギを落とすと抱きついてくる時もあるのだ。僕とOが急いでエギを投げるが、水面から微かに見える茶色い影はエギに抱きついてはくれなかった。
 しかしそんな事はおかまいなしに、イカは釣れてくれた。
 それまであまり釣れていなかった O がかなりの勢いで釣りだす。それはもう、釣れるわ釣れるわ。なるべくタモ網に入れる前にスミは吐かせているのだが、僕らの釣るイカによって堤防の上はみるみる墨で汚れていった。隣でメジナを狙っていた子供釣れのおじさんが可哀そうなくらい釣れてしまい、おじさんが少しわけていたくらいである。
 しかもアベレージがでかいのだ。どれも 800 g~ 1500 gはありそうなアオリイカばかりなのである。ぼくはエギの色が悪かったせいかあまり釣れなく、後半ヒットカラーを貸してもらってやったところ、釣れだして 1 キロオーバーを1ハイ含む3ハイ釣り上げた。エギがかじられて下地の木がむきだしになるくらい活性が高い。
 結局ここで3人合わせて20ハイ近いアオリイカを釣り上げた。イカ釣ばかりやっている O のおじさんも今日は満足だと喜んだ。数がでる日はあっても、今日みたく型も揃うのは珍しいとのこと。
 僕は毎回、宮崎に来てもあまり良い釣りをした記憶がなかったので、今回はかなり満足して宮崎を後に出来そうである。
 港でイカをさばいてしまい、クーラーに入れて延岡のOの家に帰ることにした。
 その日の夕飯はまさにイカ尽くしの夕御飯だった・・・と、書きたい所だが、なんでも O 一家はすでにイカを飽きるくらい食べているし、冷蔵庫にストックがいくらでもあるので、おばさんも僕らの帰宅時にはすでに夕飯を用意してくれており、イカはまとめて僕の実家に送ってしまうことにした。たまには自分ばかりでなく家族にも旅の美味しい部分を提供しなければ駄目だというおじさんの計らいである。
 そういう訳で僕は結局アオリイカを食べないで宮崎を去ることになった。
 
 今だから言うけど実は少しくらい刺身が喰いたかった・・・。
 

 
 
  

ハンターの素質

 
 翌日、宮崎方面に帰る O と一緒に車で宮崎に戻ろうと思っていたので午前中、撮った写真を O のパソコンに落としたりしていた。
 天気予報では台風が近づいてきており、今日から雨のはずだったが延岡の空は晴れ間が出ていて、風も気にするほど吹いてはいない。  
「時間がちょっとあるから、エバでも釣りにいこうや」
 出発までの 2 3 時間、家でダラダラしてもしょうがないので釣りに行こうということになった。車でものの 10 分も走れば釣りのポイントに着くのだから良い立地条件だ。
 いつも宮崎に来ると寄る、橋の下のポイントに行く。ここでもタックルを貸してもらい、ルアーをキャストする。最近はあまりエバが釣れていないという情報通り、まったくエバが釣れる気配はない。
 O はガキの頃から釣りをしまくっているので、どの時期にどこで何が釣れるかはよく心得ているのであまり気は乗ってなかった様だが、短時間で行けるポイントで面白いのはエバだろうという事で行けば何とかなると思ったのだ。
 ちなみにエバとはメッキ(ヒラアジの子供)の事だ。九州、四国ではこう呼ぶ。
 エバは釣れなかったが、ここでヒラセイゴと何故かゴマサバを O が釣る。  
「川でサバなんて初めてだぞ!?」
 地元の O もさすがにサバが釣れた時には驚いていた。引きが河口域でも釣れるイケガツオに似ているのでそれだと思っていたからだ。もちろん俺も驚いた。それほどまでに海水がまとまって河川に流入しているという事か?自然はなにが起きるかわからない物だ・・・。
 その後、色々ポイントを変えるが何も釣れなかった。
 肝心のエバはしっかりルアーを追いかけてくるのが見えるのだが、まだまだ相手にするには小さすぎる物ばかりだった。
 
  15 時頃、 O の車に荷物をまとめて延岡から再び宮崎に南下する。
 連休が終わり職場のある小林に戻る O に頼んで、僕は宮崎に住んでいるSさんに会いに行く。
 SさんもIさんと同じ魚突きをやる人だが、以前僕のHPの掲示板に遊びに来てくれた事があり、「宮崎に来た時は是非遊びに来てください」というので、遠慮もせずに遊びに行く事にしたのだ。天気がよければ一緒にキャンプでもしようと計画していたが、台風ではさすがにやばいのでお宅に伺う事にした。
 宮崎駅で待ち合わせ、 O の車でSさんの家まで行き、ここで O と別れる。今年の大学の学祭で会うことを約束し、奴は去っていった。
 Sさんの家に通されると、いきなりバカでかいカニが茹で上げられて現れた。僕にはとても馴染み深いカニ、ノコギリガザミだ。  
「へぇ~、宮崎にもいるんですねー!」
 ノコギリガザミは英名、「マングローブ・クラブ」と呼ばれている通り、亜熱帯から熱帯にかけて汽水域に生息する肉食性のワタリガニの仲間で、マングローブ林の泥の中にいる事が多いのでマングローブ・クラブと呼ばれている。
 日本でも、あまり市場には出ないが捕獲されており、漁業の対象になっている地方もある。東京湾の盤州干潟からも見つかっており、人が思っている以上に分布は広そうだ。
 日本国内には 3 種類、亜種が確認されており、それは静岡県の浜名湖で主に確認されている「トゲノコギリガザミ」と、沖縄本島に多い「アカテノコギリガザミ」、マングローブで有名な西表島で獲られるガザミの 95 %を占める「アミメノコギリガザミ」がある。紹介した順に北方系の傾向が強く、アミメノコギリガザミは一番南の系統だと思っていたのだが、Sさんに出されたガザミは僕が知る限りアミメだった。
 そんな事からガザミの話になり、しばらくガザミ話になる。なんでもSさんはこのガザミを採るのが得意なのだ。
 カニをご馳走になり、近くの温泉に行き、その後せっかくだからと宮崎市内の繁華街に連れて行ってもらって日向地鶏をご馳走になる。なんだかえらくご馳走されっぱなしだ。申し訳ないな~と、思いつつも、そこはしっかりいただいた。だって美味いのだもの・・・。
 Sさんは魚突きもするが、冬は散弾銃をもって山にも入るハンターだ。鴨やヤマドリの食べ方など、山での狩猟に興味のある僕には面白い話が続いた。
 そもそもSさんが僕の HP に書き込みしたのは西表島のカマイ(イノシシ)猟の話を書いたときで、僕が齊藤令介さんの本を紹介した事で思わず書き込んでしまったらしい。 
 Sさんは自称「齊藤令介本コレクター」だけあって家に戻ると僕の知らない齊藤さんの本を見せてくれたが、どれもかなり昔に刊行された本なのだけど、かなり充実した内容で、僕なんかにすれば「これだよ!こういう内容の本が読みたかったンダヨ!」と言いたいくらいの面白さがあった。
 齊藤さんの本が面白いのは、本当のアウトドアだからだ。
 欧米などで行われるバックカントリーに入って行われる狩猟と、それにともなうサバイバル。その為に必要な技術紹介と動物との関わり方が惜しげもなくカラー写真付きで書かれており、必要以上に僕からすればセンセーショナルなのである。
   日本の箱庭的自然で行われるアウトドアーもどきとは、訳が違うのである。
 あまりにも本物すぎてどうやら齊藤さんの書く内容は日本では受け入れられなかったようで、今はほとんどの本が絶版状態である。
 そんな齊藤さんの本をお互い読んでいたので、どうしても狩猟の話で盛り上がってしまうが、やはり共通する意見として、「自然を知るには、自然の生き物を殺して食べるのが一番だ」ということである。
 自然保護と環境問題が先行してしまい、アウトドアの世界でも保護とか維持とか自然を取りまく輩は言っているが、エコツアーとか自然観察だとか、見たり感じたりするだけでは自然を知るのは、僕に言わせれば不十分なのである。
 見るだけでは、あくまで自然は生活の付属品でしかない。
 本来自然は生活の中に入らなければならないわけで、それはとにかく「食」というもので一番感じられる物だと思うのだ。人間の生活の中で現在自然と直接結ばれるのは食べると言う行為のみ…ではなかろうか。 自然から搾取する事が、悪いことと認めてしまう近頃の傾向は、人間の存在が自然には必要ない事を認めているに過ぎない。
   まずは殺生すること、恩恵を受ける事が重要だと思うが、皆さんどう御思いだろうか?  
   少なくとも僕とSさんの意見はそういうことなのである。
 残念ながら今回は初対面と言う事もあるし、町の中で酒飲んだだけなのであまり自分を表現する事が出来なかったが、今度は海か山で是非ご一緒したいと思う。
 繁華街から帰り、お宅に戻ってからもしばらく写真を見たりして飲んだが、 2 時頃、さすがに寝ることに。
 

 翌日、午前中色々と所要を済ましてからSさんと昼食をとり、駅まで送ってもらった。たった 1 日しか会っていないのに随分とお世話になってしまう結果となった。  
「東京に行ったらしっかりお世話してもらうから安心してよ(笑)」
 Sさんはそう言って僕を見送り去っていった。
 宮崎駅から青春 18 切符を買い、いよいよ大分まで移動、佐伯からフェリーに乗り九州を後にする事になる。
 
 初上陸、四国。初めて行く土地に少し緊張気味の俺だった。