⑦ カヤックでの海旅、のススメ ~甑島の場合~
西表島という島でカヤックを中心としたアウトドアガイドをしているバジャウトリップ西表フィールドサービス。西表島の独特な自然環境を舞台に様々なアウトドアアクティビティーを提供、サポート、ガイドしています。
しかし「バジャウトリップ」という屋号の由来は「漂海民バジャウ族のように海をさまよい旅したい」というところから始まっています。西表島なら沿岸、そして隣の島々、石西礁湖、八重山諸島全域とフィールドは無限大。何しろ海は広いのです。
カヤックは北米ネイティブの北方民族が考えた1~3人用の皮舟。北の海で養われたその操船技術、船舶としての性能は欧米人がキャンバスやプラスチックでカヤックを作り出してからも受け継がれ、今では多くの人にレジャーとして使われています。世の中に多くの海を渡る術がある中で、最も手軽で機動性があり、運搬力もあり、安全で、何より乗り手の自由がきく舟だと思っています。
そのような理由があり、バジャウトリップでは西表島という南の島でありながらこの北方民族の作った舟を使って海旅を行っています。
皆さんが旅好きで西表島に遊びに来るのと同じく、ガイドも旅が好きです。
その中で特に面白いと思っているのがカヤックによる海旅。ツアーに参加するでもなく、ガイドを付けるでもなく、勝手に好きなところを漕ぐ。基本的なカヤック航行の技術があれば、自由にカヤックを操って好きなところに行けるわけです。
日本全国、いろんなところに行きました。
そしてどこも素晴らしい。
自転車でツーリングをするように、車中泊で旅をするように、カヤックで日本の沿岸を漕いで旅するわけです。無人島で休憩したり、透明度の良いところでシュノーケリングしたり、ナブラが立てばルアー投げて釣りしても良いし。普段あまり会うことのない漁師さんとかと仲良くなることもある。面白そうでしょ?
今は日本全国にシーカヤックのガイドショップがあって、そんな海旅をサポート、ガイドしてくれる店が結構あります。西表島に僕らがいるように。
でも、ガイドがいないフィールドにも良いところはいっぱいある。初心者には難しい、つまり海況が厳しく商業的には難しいけど、カヤックの技術に長けた人間なら漕げるフィールド。そういうところを行くのが、我々カヤッカーにはたまらないのです。
鹿児島県の北西、いちき串木野の沖にある「上甑」「中甑」「下甑」の三つの有人島が連なっている島々。7月の前半、僕はカヤックの先輩たちとその島を漕ぎに行ってきました。もうそれは単純に遊び目的で。
甑島を知ったのは大学生の頃。
八重山旅行に没頭していた前半。休学して八重山から帰ってきた後の学生生活は魚突きに明け暮れていた。魚突きをはじめて憧れだったのがこの甑島。友人知人が「甑島は海も良い、魚も良い、何より人が良い!」と太鼓判を押しており、写真を見せてもらうととんでもない地形、ぜったいシーカヤックで行っても面白いだろうなと妄想を膨らました。
その後カヤッカーになってからもきれいな断崖が続く海岸線、洞窟だらけの地形など甑島の海岸線の素晴らしさを色々な人から聞いたり、フィールドレポートを読むことによって知り、いつかはカヤックを漕ぎながら海にも潜りじっくり島を旅してみたいなと思った。日本国内で行ってみたい場所はまだまだあるが、まずは行ってみたい場所、それが僕の場合甑島だったわけだ。
今回の参加者の一人でもあるサザンワークスの松本さんがツアーで甑島に行った際、けっこう手痛い目にあったようで「これはなかなかの好敵手だな?」と武者震いに近いものを感じ、松本さんに詳しい話などを聞いて色々と情報を集めた。そして松本さん本人に一緒に行きましょうと何回かお誘いを入れていたが松本さんも僕も色々な理由で予定がかみ合わず。
昨年、フェザークラフトオーナーミーティングが琵琶湖湖畔で行われた際にいつものようにそんな話をすると「じゃ、来年の7月とかどうだ?」と具体的な話になった。これを逃すとまたいつ行けるかわからない!ツアーのシーズンには若干入るけど甑島も梅雨の時期をなるべく外して条件の良い時にやはり行きたい。時期的にギリギリの選択だったが7月6日集合、12日解散という約一週間の日程で甑島遠征が決定した。メンバーは松本さんが声掛けし、何人か集まった。ツアーではないので完全にプライベートである。
久しぶりの沖縄以外の海を漕いで潜れる!砂利の無人の浜でキャンプして、海に潜って魚を突き、流れ込む川で行水をする。焚火で飯食いながらお客さんとは違って気を使わない会話で酒を飲む・・・。しかも参加者は皆強者のカヤッカーばかり。もうそれはそれは楽しみで、それを糧に春は製糖工場のアルバイトに精を出したのでした。
ところが出発が近づくころになると恐ろしいことが。
台風が3つも同時に発生したのだ。これの一つは確実にこの旅に影響を与えるもので、計画自体を延期する必要性も出てきた。案の定、関東から参加するはずだった2名は早々に離脱。この人とはいっつも会いそうで会わない、すれ違い、ニアミスばかりなので「こ、今回もかぁ~」と、縁のなさに呆れたものだ。
それでも計画が続行したのはすでに僕を含め2人が鹿児島入りしていたということ。そして松本さんも九州在住なのでいつでも来られる状態だった。予定通り一週間の海旅は叶わないが、ちょっとでもいいから甑島の海を漕ぎたかった僕らはとりあえず行ってみることに。まぁこれは結果から言えばやはりやってよかった海旅となったのでした。
○7月6日
高速船に飛び乗ると松本さんが静かに文庫本を読んでいた。「おっす」、相変わらず渋い声であいさつ。間に合って興奮している僕とは対照的な再会であった。
鹿児島県は6月に入り晴れた日が5日もないという、記録的な長雨、大雨に見舞われていた。その雨はこの時点でも続いており、川内港から船が出た時の天気も何とか雨は持ちこたえているといった重い空だった。
松本さんの話によると、もう一人の参加者、サーフェイスの武田さんはすでに甑島に入っており、さらに上甑島をすでに一周してしまっている状況だという。毎日雨で気分は滅入っているが海況はそれほど悪くなく、カヤックフィッシングをすると入れ食いで魚が釣れているという。武田さんとは今回初対面で、西伊豆コースタルカヤックスで働いていた時に日本一周しているという人で、「え、あかちん、武田君と会ったことないの?意外やね」とカヤック仲間からはよく言われていた。
船は高速船というだけに速く、10時前に上甑島の里港に到着した。最近新造された船らしく、とてもきれいな作りで快適な船旅だった。船の中から上甑島の東に点在する離れ小島を見ると、いかにも魚が釣れそうな磯が現れ、そして見るからに潮の速そうな流れが見て取れた。早速来てよかったとまだ漕いでもないのに思う。
港に降りるとターミナルにて松本さんが一服入れる間に僕も缶コーヒーなど飲んでリラックス。そこから歩いて3分くらいの場所に宅急便事務所があり、そこでカヤックを受け取り、港の側にある砂利浜に面した公園で組立を開始する。実はこの時まだ松本さんは出発するか迷っていたらしいのだが、僕はお構いなしにカヤックを組み立て始めたので「あ…しょうがないな、雨も降っていないしなぁ」と、出発することを決めたらしい。タブレットで天気を調べ、グーグルマップでビバークできる場所を調べ、メールで仕事をしながら家に電話などもしていた慎重な松本さんがさすがに大人に思えた。
カヤックを組み立てていると沖の方からカヤックが向かってきているのが確認できた。武田さんだ。ちょいちょい止まっては釣りをしている。浜に上陸すると皆であいさつをする。今回はこの三人でのツーリングとなる。
カヤックが組み終わり、小さなスーパーで買い出しと昼飯を買うのだが、これといった惣菜類が売り切れてしまい、お湯を沸かすのもパッキングして億劫なのでインスタントラーメンをそのままバリバリ食べることに。「本当にそんな食べ方するやつ、初めて見たわ・・・」と言われ、「そうすか?俺よくやりますよ」とその時はとっさに答えたものの、実はかなり久々だった。こんな貧乏くさいこと、普通やらない・・・。
ラーメンをぼりぼり食べながら、里港を出発。港を出るとタイミングが良いのか悪いのか、雨がぱらついてきた。でも海はベタ凪。油を流したような海面がゆらーりゆらりとうねりをともなっている。
この日は里から時計回りに島をまわり、ややこしいのだが上甑島の中甑まで行くことに。
甑島列島は三つの島で構成されているのは最初に説明したが、その行政区分が島ごとではなく、やや複雑だ。上甑島の右半分が里村。それ以外と中甑島が上甑村。下甑島の上先端が鹿島村。それ以外の下甑島が下甑村である。全島鹿児島県川内市に含まれるのだが島の中ではまだ色々あるようだ。上甑島に中甑という地名があって、中甑島が上甑村である。んー、やはりややこしい。
本格的に雨が降ってきた。
島の山頂付近には雲がかかり、しとしとと雨が海面に落ちる。しかしそれでも海から見上げる甑島の景観は素晴らしく、絶壁となった岩礁帯の美しさに見とれながら漕ぎ進める。
今回、松本さんが輸入販売している「パシフィック・アクション・セイル」を使用するのが目的でもあるらしく、武田さんと松本さんは追い風が吹くとセイルを立ててセーリングを試みるのだが風はほとんどなく、結局パドリングで進むことに。2人はそんな理由で沖を漕いでいたが、僕ははなからパドリングオンリーなので岸の側をじっくり舐めながら海岸線を堪能した(武田さんは2周目だったからというのもあるだろうけど)。
3人の舟は奇しくも皆赤色。僕がK-1、松本さんがヘロン、武田さんはカフナである。説明が遅れたが今回のメンバーは基本的にフェザークラフトという折りたたみカヤックを持っている人で行われるもので、皆カヤックを漕ぐことはもちろんだけど折り畳みのカヤックを持参して好き勝手に漕ぎまわる人達なのである。そのへんがやはり気を遣わなくて自由度が高いのである。自分の都合で旅を切り上げ帰ることもできるからだ。実際予定では武田さんは10日には当初離脱する予定だった。結局台風でその前に皆撤収することになったのだけど。
海が良かったせいか、久々の内地でのパドリングだったからか、気づけばあっという間に目的地の中甑に到着していた。雨はけっこう激しいレベルになっており、ひっくり返ったわけでもないのに全身ずぶ濡れである。
ここは海浜公園があって東屋みたいな屋根があるのでそこでビバークするつもりだったのだが雨がすごすぎて砂のうえなのに水はけが悪く、屋根の下もぐしょぐしょ。風も出てきて横殴りの雨になってきた。さすがに寒い。考えられる中でかなり劣悪な状況である。
なんとかタープをはり風と雨をしのげるように工面してその下にテントを張る。武田さんはシャワー室にテントを張ることに。集落の食堂にでも行って生ビールでもと思っていたが雨がひどすぎて店に入れるような格好にもなれず、この日はテンバでまったりすることに。夕方になると雨が降っているにもかかわらず蚊が大量発生して虫除け、蚊取り線香がないことに焦った。西表島では海岸でもそれほど蚊がいないので気にしていなかったが、ここの場所は異常じみていた。暑いのに長袖長ズボンになって足回りは座って隠す。
夕飯は武田さんがその日釣ったアカハタを御馳走になる。初めてタイラバを使ってみたがこれほど釣れるとは思わなかったといい、アカハタは入れ食いで釣れるという。これは潜るのが楽しみになってきた。
正直この夜は環境が悪すぎたからか、酒がまわったのか、あまり記憶がない。写真もないので記憶をたどることもできず、とりあえずそんな夜だったけどけっこう飲んで寝たと思う。なかなかパンチのある甑島初日だった。
○7月7日
午前中はのんびりしようとまずは買い出しに中甑の市街地へ。すでに上甑島一周をしてしまっている武田さんはスーパーの場所などもしっかり把握しており、「いやー武田君は頼りになるガイドだな~」と松本さんも暢気なものだ。正直僕もおんぶにだっこ状態ではあった。けっこう立派なスーパーで、足りない物を買い出ししてテントサイトに戻る。朝食を食べ、あらかた渇いたタープやらテントを片し、グダグダゆんたくなどしながらパッキングをしていると11時になっていた。
曇り空の下、中甑を出発。今日は南東の風なので見事に最初は追い風、風裏に入ることができる。中甑湾から出て甑大明神橋の下をくぐりぬける。潮は逆だったが反流をつかまえてするりと西側に出ると、二人は見事な追い風をつかまえてセイルでスイスイと進んでいく。僕が追い風+パドリングで進むスピードと同等、もしくは上?くらいのスピードで何もせずにクイクイ波を切っている。ずるいぞ…。なんで俺だけ漕いでいるのだと馬鹿らしくなるが、島渡りの際に風が使えるならこれほどいいものはない。収納も早いしパドリングに支障も与えない。優れた道具だと思う。そしてそんなセーリングをしている二人がなかなか絵になるのだ。バックには中甑島の西海岸があり、昨日までの大雨で滝がいたるところにできている。迫力がある。
真珠やマグロの養殖をしているという浦内湾湾口を横断して上甑島最大の見せ場でもある西海岸を北上していく。
ここがすごい!甑島は断崖絶壁が素晴らしく、その絶壁を目玉にクルージング船が出ているくらいなのだがこのポイントは観光用ポイントには選ばれてなく漁師くらいしか船は見なかった。普通の場所でこれだけ見事なのだ。有名ポイントである下甑島などどうなっているのか実に気になり、ワクワクする。
黒と白の岩からなる正断層で縞々の独特な模様だ。その岩の隙間から雨の後だからかかなりの水量の滝が流れ出しており、ニュージーランドのフィヨルドランドみたいだなと思った。
隊列を作るわけでもなく、3艇好き勝手に漕いではいるがある程度の距離感は保ち、お互い写真など撮ったりし、武田さんなどは良い場所があればタイラバを落として釣りに興じていた。最初はその統制のなさに「??」と思っていたが、慣れてくるとそれが「いい加減」で確かに気が楽なのだった。
昼食を兼ねてある浜で上陸。武田さんは沖で釣り、僕は潜りに出た。
とくに凹凸があるわけではなく、ゴロタの浜であったがこういう砂地にでかい岩が転がっている場所はハタ系が多いのだ。案の定、エントリーしてすぐにアカハタがホバリングしているのを見つけた。するするとゴロタまわりをうろついている。それに何と数の多いことか!こちらの魚屋でアカハタを「メバル」と表記して売っていたがまさにメバルやカサゴ並みにいる。そして10匹に1匹の割合で、ちょっと違うハタがいる。スジアラだ。
まずは小手調べと大きめのアカハタを突く。いきなり岩に入られたのでいったん手銛を放して浮上しようとした。すると巨大な生き物が高速でアカハタに向かってきたが手銛を見てすぐに引き返していった。
「・・・・・・!!!!」
絶句。3mはありそうなメジロザメが濁りの中から現れたのだった。
こいつの登場でいきなり戦意喪失…ビビりあがる。沖で漁師の人が操業していたので深場に行けば何か回遊魚が現れるのではないかと期待していたのだが、冗談ではない。早々に陸に上がりたいところだったがまずはそのアカハタを回収し、これであがるのもこんなに魚がいるのにシャクなので、浅場でアカハタをもう2匹突いてあがる。ここだけの話、2㎏くらいのスジアラも一匹突いたがばらしてしまった・・・。
浜にあがり、遅い昼食を食べ終わると荷物をまとめて再出発である。
そこから先はこれといって素晴らしい断崖が続いているという訳ではなかったが人工物のない自然海岸が続き、海鼠池がある長目の浜の沖に出た。天橋立にも似た甑島有数の景勝地だが上陸して展望台に行くこともせず、そのまま海を漕いで先に進む。本日はその長目の浜を過ぎたあたりで上陸、ビバークとなった。
ゴロタ浜の海岸で、3人でカヤックを運んで上げ、タープを張ると何となくまったりしてしまう。16時半とけっこう遅くに上陸したので時間はなかったがどうしてももう一本潜っておきたかったのでエントリー。アカハタは十分だったのでそれ以外の魚を獲りたかった。最初は何もいないただの浜だと思っていたが、東にある小さな岬に向かっていくとどんどん魚影が良くなってきた。時間に縛りもあるので岩下をのぞいた時にいた石鯛を一匹突き、その後現れたスジアラを突いて皆のもとに戻った。予想よりも水温が低く、持参したウエットスーツでは寒かったのもあるが、1時間ほどであがることに。
石鯛とスジアラは刺身にし、アラは味噌汁。アカハタ2匹は武田さんが煮つけにし、もう2匹は以前、松本さんが西表島に来た時に食べた清蒸(中華風魚の酒蒸し)が美味かったというのでご要望をかなえてそうすることに。
上陸時は「焚火がしたいな~」と3人で言っていたものの、武田さんはパソコンを出してタープの下でデスクワークをはじめ、松本さんは獲ってきたカサガイをストーブで焼いて食べ始め、僕もガスストーブで料理を始めたら焚火をおこす必要もなくなってしまい、タープの下に座って手の届く範囲にいろんなものを置いたら移動するのもおっくうになってしまって結局、焚火はしなかった。変なこだわりがないので「ま、いっか」といった感じである。サクサクと料理は完成し、お湯割り用のお湯も沸かし、芋焼酎を飲みつつ島の魚を舌鼓。久しぶりに食べる石鯛は予想に反して臭くもなく、甑島名物の「やっきり」にして食べたらとてもうまかった。甘辛い醤油もご当地で食べると合うものだ。あまりの甘さに煮つけに砂糖が要らないと武田さんも絶賛である。
米を喰わずして腹も満たされ、話をしながら夜は更けて、僕は僕で星の撮影などをやっていたら良い時間になった。そう、昨夜の雨がどこに行ったのかというくらいこの夜は晴れて満天の星空が広がった。なにせ今日は七夕なのである・・・!
天の川を見ながらこの日は就寝した。
○7月8日
甑島に来てからずぅ~と、雨に降られていた武田さんは最終日にして晴天に恵まれ笑顔がはち切れそうである。その一方、松本さんは急用ができてしまい今日中に帰ることになっていたのだが、あいにく高速船はドッグ入り。朝一のフェリーに乗って帰れば本日夕方には福岡に戻れる、予定通りの正午のフェリーに乗れば下甑経由なので福岡に付くのは深夜になってしまう。だが朝一のフェリーはあと2時間で出る…間に合うか?という葛藤に揺れていた。
結局松本さんは朝一には乗らず、安パイの昼発を選んだのだが、事実、もし急いで港に向かっても間に合わなかっただろうなとこの後わかる。
里の町は陸繋砂州(トンボロ)と呼ばれる地形の上にあり、その昔島であった遠見山と上甑島は砂が溜まってできた砂州によってつながり、その平らな場所にできた集落のようだ。だからわざわざ遠見山を回り込まなくても西側に上陸し、陸の上を歩いて港までいけてしまうほどくびれている。
松本さんの事情もあり、武田さんも十分堪能したので今日で切り上げ帰るという。二人が帰っていてもしょうがないので僕も台風が八重山に接近していることだし、帰ることにした。
朝飯は昨日の煮つけや清蒸、刺身の残りなどをすべて味噌汁にぶち込んだごった煮。これが悶絶級に美味い!3人で黙々とむしゃぶりついて朝からコラーゲンで唇をペトペトさせながらごちそうにありつく。やはりハタは格別に美味い。
朝9時半に出発。最後の見どころ、荒人崎にいくとトンネルなどもあり、なかなか面白い。なによりそれまでなかった太陽の差し込む景色がたまらない。水の色といい、岩の白さと言い、ああ、やはり甑島、最高だなと感慨にふけりながらパドリングをするとあっという間についてしまった。それにしてもきれいな玉砂利の浜だ。夏の海水浴にはたまらない場所だと思う。
上陸して二人は海水浴場のシャワーを浴びに行き、僕はあまりの気持ちよさにマスクだけつけて泳ぎだした。砂地に光が差し込み、沖にあるテトラポットまで行くと小鯵の群れに囲まれた。ユラユラとミノカサゴが泳いで行く。
「…やっぱ、俺残りますわ」
陸に上がると二人にそう告げた。二人は帰る用があるけれど僕にはない。そして何より台風7号がこの時西表島に接近しており、この島を出ても西表島に帰れる保証はなかった。だったらここに残って漕げるだけ漕いだ方が良いというものだ。きれいな海を泳いでいたらそんな考えが浮かんできた。周っていない遠見山を周りこみ、市ノ浦にあるキャンプ場に泊ることにして二人がカヤックを解体している間、里の町に行ってお土産の焼酎を買って島に送る。
甑島には僕の好きな焼酎の銘柄がある。上甑島にある塩田酒造、「六代目百合」。甑島に来たい動機の一つがこの焼酎を飲むことでもあった。今回の旅先が上甑島であったのも幸運だ。下甑島の「亀五郎」も売っていたが「六代目百合」の一升瓶が普通の商店にずらっと並んでいるのはさすがご当地ならではだ。これで帰ってからこの焼酎をたらふく飲めると思うと嬉しくなった。
カヤックをパッキングし終わった松本さんと武田さんも集落を通り抜けて宅急便でカヤックをおくり、手軽になったところでフェリー乗り場へ。12時50分のフェリーで帰っていった。
さてさて、ここからは久しぶりのソロカヤックである。でも天気が良いだけましである。予報では台風のうねりが南から、風が東から吹く予報だったが出発地は風がさえぎられてのどかなものだ。再びベタ凪の海を漕ぎだし遠見山を周りこんでいく。ここも岩肌が美しく、トンネルや洞窟がちらほらとあって面白いロックガーデンが続いた。
射手崎を周りこむとさすがに潮が流れ出し、またうねりが大きくなった。6日の日にはなかったうねりだ。市ノ浦に入ってキャンプ場を探したがどうもまだオープン前らしく業者が草を刈り、閑散としている。ロケーションもいまいちだし、時間もあるので先を行くことに。風が強くなかなかしんどいパドリングになりそうだ。
里の港沖を横断し、殿崎から獅子の口まではかなり潮の流れとうねりが伴い、前回漕いだ時とは打って変わって荒れた海になっていた。大きなうねりが打ち寄せるたびに岩礁帯に飛沫を浴びせる。上陸が難しくなりそうだ。
馬込浦か蓑掛浦に上陸してビバークしようと思っていたが、風は遮られるもののさすがに南からのうねりがまともに入り上陸、そしてこれからうねりは上がるので明日の離陸が難しそうだ。日もかげって来ていたがさらに先を進み、確実に泊れる前回と同じ中甑を目指した。距離はあったが時間的にはなんとか行けそうだった。
久しぶりに長時間タフコンディションで漕いでいたのと、使い慣れていないアリュートパドルを使っていたためか妙に疲れが出てきた。茅牟田崎を周りこむとなんとか風は弱くなったが疲労はかなり困憊だ。なめらかな海面に西日が反射し、岩礁に叩きつける飛沫が霞がかってなんともきれいだ。体はきついのに非現実的な光景が心にしみ込むようだ。
甑島の旅が始まるかどうかの頃、弟から一通のメールが来ていた。それは実家で飼っている犬が亡くなったというものだった。その知らせを受けた時は特に何も感じず、「そうか、死んじゃったか…」と現実的に受け止めていたのだが何故か夕日を前にし、鹿の子大橋のシルエットを見ながら疲労一杯で漕いでいると、犬のことを思い出した。旅ばかりして家を離れ、たまに帰ってくるとたいてい家には誰もいなく、この犬だけが僕を迎えてくれていた。ワンワンと叫ぶので疲れている体に「やれやれ」と言い、散歩に連れて行った。島に移住してからは、実家に帰るたびに年を取っているのか力もなくなり、おとなしくなっていく。
「とうとう最後に顔を合わせることもできなくなっちまったな」
そう思うと、突然涙が出てきて止まらなくなった。涙を流しながら、嗚咽しつつ人知れずこんな時間に甑島を漕いでいる。何をやっているんだ俺は?そう思いつつも涙が止まることはなくパドリングを続けた。
カヤックを漕いでいると色々なことを考える。俗世間を離れて自分をみつめる時間を得られるともいえる。だからまさにカヤックは「禅」ではないかと常々思っている。自然という不可解なものに囲まれながら自分の力のみで漕ぎ進む。なんかその最中は心が妙にピュアなのかもしれない。普段感情を押さえ込んでいるものが溢れ出てくる。そんなものをこの涙に感じてしまった。
中甑の浜に付いたのは19時をまわっていた。スーパーに買い物に行ったがすでに閉まっており、自動販売機でコーラを飲んで引き返した。
お湯を沸かし、それでレトルトのご飯を温めて、温めたお湯に出汁とねぎと味噌を入れて味噌汁にする。ごはんに塩辛をのせて食べ、夕飯はそれで終わり。温くなったビールを飲む。料理好きと言われる僕だが、一人の時はそんなものである。
松本さんにしこたま酒をもらっていたが疲労と何よりとんでもない蚊の来襲をやっぱり受け、早々にテントに引き籠って寝てしまった。
しかし翌日は上甑島を離れて下甑島を目指す。知らない土地に行く喜び。どんな光景に出会えるのか、楽しみでしょうがなかった。
○7月9日
8時ちょうどに出発。天気は快晴、風は昨日と同じ東からである。本日は中甑島を経由して下甑島に渡り、下甑島の玄関口、長浜周辺まで行く予定だ。
7日と同じく甑大明神橋を潜り抜け、そのまま中島にとりつき中甑島の西側沿岸を南下することに。この作戦は成功し、風もなく、うねりも入らないベタ凪の海を漕ぐことができた。そして想像していた通り西側は見事な断崖絶壁になっており、ときおり滝が流れ落ちている。青空と透明度の高い海、そしてきれいな模様が素晴らしい岸壁。
「甑島だ!これが甑島だー!!」
早くに帰ってしまった二人には申し訳ないが、想像していた光景を目の前にしてテンションマックス。一人でこれだけ幸せになれるのだから安い男である。
ある滝の流れる浜に上陸。崖を這い上がり、PFDを着たまま滝に突っ込んだ。風呂に入っておらず、海水に浸かっていた身にはすこぶる気持ちが良い。頭から滴る水がしょっぱくなくなるまで滝を浴びていると、さすがに寒くなってきた。しかし太陽が降り注ぐゴロタ浜にいるとすぐに体は温まり、濡れた衣服もすぐに乾きそうだ。
このままここでビバークしたいところだったが、先を急ぐ。
ベタ凪の海と断崖絶壁に気を良くしていた僕だが、黒崎を越え、馬乗崎を越えるとさすがにうねりが入ってきて回り込んできた風の影響で波も立ってきた。そして何より驚いたのが馬乗崎を越えたところで目に入ったのが中甑島と下甑島を隔てる藺牟田(いむた)瀬戸に橋が架けられようとしていたことだ。そんな話は聞いていなかったのでびっくりした。
「ところ構わず、橋なんか作っちまってよ~」
そう罵りながら建築中の橋脚を避けながら下甑島への海峡横断を開始する。本当なら大鹿崎まで行ってそこから渡るつもりだったが、建築中の橋の下をくぐるのはどうも気が引けて沖の瀬上、ヘタノ瀬上を経由して下甑島の平瀬崎にとりつく。なんでよりによってこんな潮の流れる場所をあえて通らなければならないのか??それが罵る最大の理由だったが、島という島がどんどん道路で繋がってしまい、船の必要性が薄くなっていくのも個人的には寂しいものがある。
なんとか下甑島にとりついて歓喜したいところだがこの平瀬崎がなかなか曲者で潮は早いし台風のうねりも入ってきており漕ぐのが大変だった。藺弁田港に近づくと、今度は白い大きい船が港に入ってくるところで、不安定な海面上で船の通過を待機する。こういう時は複数でなく単体でよかったと思う。船は海上保安庁の巡視船だった。下甑島は自衛隊の基地もあるのでなんとも重々しい場所でもあるがそれも関係あるのかな?と思いつつ、それでもここが東シナ海の玄関口なのだなと思った。
中甑島の海峡横断を終えてからは南東からやってくるうねりはかなりのもので、中甑島の西側を漕いでいた時とは全く様相が変化した。そして下甑島に来てからは岸壁の色が変わり、岩の種類もかわったと思った。赤茶色の堆積岩に変わり、雰囲気としては上甑や中甑の方が個人的には好きだと思ったが、この下甑島の北部は鹿島断層と言われ景勝地が多々ある。やはり西側にそれは集中するようで、次回は是非この下甑島の西側を周ってみたいと思う。今回は天候が今後悪化する見込みなのでビバーク地の少ない西側は諦め、偵察を兼ねて東側のみにしておく寸法だ。
熊ヶ瀬鼻を越え、中山浦などなかなかよさそうな浜を見るも、うねりが打ちあがりサーフ上陸は困難。そのまま南下する。吹切浦は景勝地とあり、その尾根沿いにある道路には観光客が多数車から降りて写真を撮っている。うねりがなければ上陸して歩いてそこまで行き景色を山の上から僕も見てみたいものだが、やはり上陸不可。皆が見ているミタレの岩礁帯を目指す。
ミタレは今回漕いだ下甑島の中ではもっとも甑島らしい地形だったと思う。巨大なタワー状の岩が乱立し、ところどころ洞窟やトンネルも見受けられたがうねりがきつすぎてさすがに近寄れない。でも遠目でも十分迫力ある景色で満足できる。
そこからにごりが浦、水の下(とも)という地名の場所を通過するが、言い得て妙、にごりが浦は実際海水が濁っており、水の下は崖から白滝が流れ落ちており、そこをカヤックで漕いで行くと「水の下」であった。途中、小型定置網がうねりで壊れており、漁師が潜って修繕していた。台風が来る前に直さなければ大変なことになるのだろう。非常に潜りづらそうだったがさすがに漁師。離島の海の男たちは強いものである。
立平瀬を通過する頃には目の前に長浜の集落が見て取れた。その先には瀬尾と瀬尾崎も見て取れる。先を見てしまうとそこまで行ってしまいたくなってしまうが、今回は我慢するしかない。あとで最南端の町、手打まで行ってしまい、いざとなったらバスで長浜まで戻ってこればいいと思ったが、後々のことを考えればここでやめておいたのは正解だった。
長浜の手前、芦浜にキャンプ場があるというのでそこに泊る予定だったが薄々気づいてはいたが南からのうねりがまともに入り、とてもじゃないが上陸できる状態ではなかった。キャンプ、ビバークはできないが長浜に上陸し、民宿にでもこの日は泊ろうと考え長浜に上陸。教えてもらった通りフェリー乗り場のすぐ横に小さな浜があり、そこにあがって早速カヤックを解体、乾かすことにした。
天気予報ではさすがに明日あたりからこの甑島も台風の影響を受けそうで、天気は明日まで、明後日からは天候も崩れる見込みだった。それでカヤックの旅は止めるなら今日だなと思っていた。ただ日程はまだいくらでもあったので(何しろ本来は12日までいる予定だったのだ)明日はバスでうねりのない西側の瀬々野浦まで行き、魚突きを楽しんで午後のフェリーで鹿児島に渡ろうと考えていたのだ。バスも良い時間帯にあり、その方向で僕は宿を取ろうとしたが近くの宿はあいにくの留守で電話をしても携帯電話に転送もされない。まぁ何とかなるだろうと腹が減ったのでターミナルで昼飯。どこにでもある軽食屋だと思っていたのだが、ここがすごかった。キャンプ生活が長いと食べたくなるものと言ったら…そう、カツである。ここでも迷わずカツカレーを頼んだのだが、こいつが思いの外、大盛りで美味い!味噌汁とサラダもついて¥850は離島価格としては破格だ。おばちゃんもランチ時間ぎりぎりだったのに気さくにおしゃべりなんかしちゃってなんかいい感じ。やはり島旅は良いなぁと満足。
ターミナルで少し仕事をして涼み終わると、重い腰を上げてカヤックのパッキングに取り掛かる。せっかく汗が引いたのに、また炎天下の中、カヤックを分解してカバンに詰めていく。そんな中あまりイイ気のしない視線を感じた。駐在さんだ。こちらをちらちら見ていたのだが、終いにこちらに向かって歩いてきた。
「やばい…職務質問だろうか?」
ただでさえ怪しい格好なのに、こんな怪しいものをしまっているのだから目にもつく。愛想良くこちらから挨拶をすると、駐在さんは「どこからきたの~」とおなじみの質問をしてきた。
「台風が来ていて、明日は高速船、欠航すると思うよ。フェリーはわからないけど、経験的にはたぶん欠航だろうな。」
え?なんだって?まさかこんなうねりで欠航しちゃうの?カヤックで漕いできたとはいえ大型船が止まってしまうほどのうねりとは思えないが、港の構造上、すぐに船が止まってしまうのが甑島なのだという。それに明日になればさらにうねりが上がるのはわかる。駐在さんのいう「経験的に」という言葉が同じ島に住んでいる身としては引っかかる。しかも最初怪訝そうな対応をしてしまって申し訳ないと思うくらい有益な情報を素直にありがたいと思った。
せっかくだから陸路でもいいから下甑島の西沿岸を見てみたい。潜っても見たい。しかし、帰れなくなっては元も子もない。潜れるほど海況が安定している確証もない。考えた末、宿もまだ決まっていないことだし16時30分の高速船で鹿児島に戻ることにした。
無理はしてはいけない。島旅としては甑島に残るのも面白そうだが、目的は果たせたのだ。道がある以上はそこを行こう。カヤックを宅急便事務所に持っていくと僕は高速船に乗り、鹿児島本土に戻ったのだった。あっけない幕切れではあったが結局3泊4日の甑島滞在。カヤックの旅はこうして終わったのだった。
鹿児島に戻った僕は航空会社に問い合わせて搭乗日を早めてもらうようにしたのだが、変更不可のチケットだったためにべらぼうに高い値段を請求され、これは敵わんと結局鹿児島市内に4日間、滞在することになった。島にいては本来の搭乗日に間に合うかもわからなかったので、これはこれで鹿児島観光と久々のシティライフが楽しめて良かったのでよしとする。
結局、思い通りの甑島カヤック旅はできなかったのだが最初から来ないよりは甑島の感じが掴めて良かった。それにツアーのお客さんに何度も言っているのだが自然相手の遊びである。その時自分の与えられた条件で遊ぶしかないのだ。出会えなかった人たちや十分に周れなかったこと、上陸できない場所が多かったことなどはしょうがない。とても面白いカヤック旅ができた。今はそう思うしかない。でも正直、台風のバカ野郎とも思ったし、長雨には辟易した。おかげで天候が悪い時にあたってしまった西表島に来るお客さんの気持ちも十二分に理解することもできた。余談だが、観光することで久しぶりに訪ねる側の立場になり、ホスト側の対応についてのヒントも色々得られて有意義な旅だったと思う。
甑島はその絶壁の岩礁帯が続くことから西高東低の冬の時期は西風が強く、海が大変時化ることがわかる。地理的な場所から潮流も速く、黒潮が近くを通るために海流の影響も強い。それらが風と合わされば、かなり厳しい海況になることが予想できる。
カヤックに適した景観であるということは、そのぶん海況の変化が激しい場所ともいえる。そんなフィールドを楽しむためにはカヤックを漕ぐ体力と技術はもちろん、やはり海を読む技術と感を養う必要がある。でもそれは難しいことではなく、普段から身近な海で遊び、色々な経験をして海の基本を知っていけば、あとは応用していくだけで色々な海に対応することができるようになる。
僕自身、20歳の時に西表島に行くまではシーカヤックなど漕いだこともなかった。地元の海と言えば干潟しかない船橋三番瀬。夏休みと冬休みに行く房総の海で磯や防波堤で釣りをして泳ぐくらいしか海の経験はない。でも大学生になり、魚突きを主体とするスキンダイビングを伊豆諸島で始め、海の基本的なメカニズムを体得していく。
そんな中、同時に西表島でシーカヤックを知った。
釣りが好き、魚を獲ることが好きな僕にとって、カヤックはただ単純に「もっと魚のいる場所に行くことができる」ツール、舟でしかなかった。これがあればあの根に行ける、あの磯に渡れる、あの無人の浜に行ける…。不純な動機だったかもしれない。でもそれは今でも思うし、カヤックの便利な点の一つだ。
しかしカヤックの本当の面白さを知ったのは西表島を出て、自分の舟を漕いで全国の色々な場所を旅するようになってから。特に印象深いのが北海道の知床を漕いだことと、瀬戸内カヤック横断隊に参加したこと。他のカヤッカーの先輩たちと会い、カヤックを始めた動機が違う人、出生が違う人、価値観の違う人とともに漕ぐことで議論し、認められ、怒られ、恥をかきながら色々と身に着けていった。何よりそういう過程を得て「海を知る」楽しみを知った。
海を知る手段はカヤックだけではない。サーフィン、ダイビング、ヨット、SUPなどのマリンスポーツを始め、釣り、自然観察、ホエールウォッチング、漁労、様々な方法で知ることができると思う。でもそれは一方的な角度からの視点でしかないと思うのだ。色々な手段を用いることで、初めて様々な角度から海を知ることができる。
シーカヤックの旅はそういう複数の手段を用いる総合的な理解が得られる手段だと思う。昔、日本を縦断したカヤックガイドの先輩が「king of outdoorが何かと言ったら、そりゃぁ、sea kayakだろ!」と、なんとも言えない笑みを浮かべて語っていたのを思い出す。
カヤックの旅は「その時の海」だけを楽しむのではない。ただのデイツアーでは「その時の海」でしかない。旅になることで長ければ長いほど、海の変化を知ることができる。それは天候の変化であり、海自体のことでもあり、海岸線の生物相でもあり、住んでいる人間の文化の変化でもあり、自分自身の肉体的、精神的変化でもある。その変化の波を知ることがカヤックの旅の最大の魅力だと思う。
残念なことにそういう長距離の、長期間に及ぶカヤックの旅は人生においてそうたくさんはできない。だからこそ、自分がどうしても行きたい場所、行かなければいけない場所、それが行える時期に限定されてくる。
僕にとって今回の甑島の海旅はそういう旅の一つだった。だからどんな展開になろうとも、良いカヤッキング、良い旅だった。
皆さんにもぜひ、そんな海旅をしてもらいたい。
まだまだもっと、魅力はあるのだが、話が止まらなくなるのでこの辺で。自分の海を見つけて日々精進し、一生に一度でもいい、海旅を体験してほしい。生きていくうえでの心が豊かになるというか、絶対に人生観が変わるはずである。
そんなきっかけを与えるのが、僕らの仕事の誇りだと思っています。
関連リンク
甑島観光協会:http://www.koshikijima.net/
甑島への足、甑島商船へのリンク、宿泊所、観光地の説明など、まずはここをのぞいてみるのが良いと思います。
SOUTHERN WORKS サザンワークス(松本 哲也):http://www.southernworks.com/
福岡県糸島でフェザークラフト、マウンテンバイク、カヤックで使用できるアウトドア用品など選りすぐりの逸品を販売しています。九州にお立ち寄りの際は是非。
SURFACE Kayak Guide Service サーフェイス (武田 仁志): http://www.the-surface.com/
南伊豆でシーカヤックガイドを行っています。日本一周の経験も持つ頼もしいガイドさんです。