⑥ アウトドアと狩猟採集 ~リュウキュウイノシシ編~


猪を担ぎ山を下りる中沢氏(2010年1月撮影)
※本文に出てくるNさんとは違います。

 西表島は野生の島だ。面積の90%以上が国有林であり亜熱帯植物によって山は覆われている。その多くはスダジイやオキナワウラジロガシなどのドングリを実らせる木でありその他にもハゼノキ、タブノキ、などの実をつける樹木が生い茂っている常緑照葉樹の森だ。
 堆積岩でできた地質の山には雨や流れる沢の水に削られて複雑な地形を作り出している。沢筋にはシダやコケ植物が多く、ガジュマルやアコウ、アカギなどの木が奇妙な形状で巨木を連ねている。谷には流れた土砂がたまり、盆地ができて湿地帯を形成している。風の強い山頂付近には樹木は少なくリュウキュウチクが密生し、様々な環境がそろっている。
 そんな手付かずに近い西表島の森の中をまるで自分の庭のように入っていく人たちがいる。この島に生息しているリュウキュウイノシシを獲る猟師たちだ。

 意外に思うかもしれないが大自然の島といわれる西表島にはなんと四足と呼ばれる哺乳類がひじょうに少ない。特別天然記念物に指定されているこの島の固有種、イリオモテヤマネコ。そして今回の主役ともいえるリュウキュウイノシシの2種しか存在していないのだ。その他の哺乳類といえばコウモリの類(ヤエヤマオオコウモリ、コキクガシラコウモリ、カグラコウモリ、ユビナガコウモリ)だけ。ネズミの仲間もいるがそれらはサトウキビの栽培とともに入ってきた外来種だと言われている。だから西表島の山の中で見ることができる大型哺乳類といえば運が良ければヤマネコ、通常は気配を感じることがあればそれはイノシシ…ということになる。たまに逃げ出したヤギや牛だったりするけど…。
 同じ鹿児島から台湾まで続く南西諸島でも屋久島にはサルとシカがいてイノシシがいない。沖縄諸島には慶良間にケラマジカがいる。そうかと思えばお隣の国台湾にはシカもサルも、もちろんイノシシもいて、クマまでいるというから不思議だ。
 リュウキュウイノシシは南西諸島に生息するイノシシで、ニホンイノシシの亜種とされている。奄美大島、徳之島、沖縄本島、石垣、西表島と生息しているが他の島の物は豚との混血が進んでしまい純血に限りなく近いものは西表島のみに生息しているという。
 競争相手がいない為か、西表島にはたくさんのイノシシが生息しており、古くから西表島で生活し、稲作を行っていた人たちには厄介な先住民だったらしい。今でも山に入ると「猪垣」と呼ばれる岩を積んで作った垣根があり、これでイノシシの田畑への侵入を防いでいたようだ。

 前置きが長くなったが、西表島ではシカやサルなどの被害、問題はなかったがイノシシとはとても昔から戦ってきたことになる。犬に追わせて獲るということもしたが、それよりもワナ猟が主流で、「肉を獲って食べる」という食料としての目的よりは「田畑を守るために獲る」という目的でイノシシを獲って食べている。戦中に台湾からやってきた人によって伝えられた「台湾式ハネ罠」が広がってからは多くの人がこの罠を田畑のまわり、そしてイノシシが湧いて出てくるような山や沢筋にかけるようになった。
 日本の猟師といえば、蓑を羽織って笠をかぶり、尻にクマの毛皮を巻いて雪の中を歩く「マタギ」を連想する人、もしくはオレンジ色の帽子をかぶって鉄砲を持ち山を歩く猟友会の人たちを思い浮かべる人が多いと思う。どちらかといえば寒い山間部で行われるイメージが強いと思う。だから海に囲まれた、ましてや沖縄の島々で猟をしている人なんて…と、思う方々もいるのではなかろうか?でも西表島はその山が多い島なのである。もちろんその中で肉を獲る者たちもいるわけだ。
 ちなみに西表島ではイノシシのことを方言で「カマイ」という。だが少なくとも僕らのまわりでは日常的には使わず「イノシシ」や「ヤマシシ」で通っているので本稿でもカマイとは書かず、イノシシとする。

 
罠回りをして、時々罠を直す中沢氏(2010年1月撮影)

 西表島のイノシシ猟を知ったのはもう何時だったかは忘れるくらい昔のことだ。こちらでは冬の猟期には当然のように行われ、色々な場所で肉が振る舞われる。まさに「ヌチグスイ(命の薬)」と呼ばれるだけの栄養があるごちそうだ。これは肉を普段から食べることができる現代においても昔から変わりない。
 昔から狩猟採集に興味のあった僕は2001年、何回か島の人に連れられてイノシシ猟に同行させてもらった。この時に基本的な罠の仕組み、かけ方、イノシシ担ぎ、解体の方法などを知ることができた。なによりそれまで魚の解体はさんざん経験してきた僕だが、さすがに最初に四足の生き物を解体したのは大きな衝撃だった。今考えても良い経験になったと思う。
 2007年、西表島のシーカヤックガイドとして復帰した時、一緒に働いていた先輩が冬のオフシーズン期間中にイノシシ猟で生計を立てている人がいた。この人とともに何回か猟に同行させてもらった。僕と同じ本土から来た人であり、地元の人は本土から来る研究者などの依頼はあまり受けないのだが、この人はそういう依頼もしっかり受けてサンプルを取ったりデータ-も集め、ボランティア精神あふれる研究熱心な人だった。色々なものに好奇心を抱く人だったので知らないことや疑問に思ったことをすぐに質問できたのでとても話しやすく、おかげで多くと事を教えてもらい知ることができた。
 その後、この先輩は島から出てしまった。残念ではあったがその頃からこの先輩の狩猟の師匠であるNさんと知り合うようになっていた。海外から戻ってきて西表島でバジャウトリップを起ち上げようと住むことを決めてからいよいよ本格的にイノシシ猟に取り組みたいと考えていたのだが、いきなり初めても上手くは行かないだろうし、なにより罠をかけることができる山(縄張り)がわからない。Nさんのイノシシ猟に同行して何回か担ぎ役はしていたので、まずは狩猟免許を取るところから始まった。2014年8月、狩猟免許を習得し、いよいよその年から本格的にNさんのもとでイノシシ猟を学ぶことになったのだ。

 Nさんは西表島東部地区での自他ともに認めるイノシシ獲りの名人である。イノシシ猟をするならまずはNさんの門をくぐれと言われるくらい実際多くの人がNさんと猟を同行し多くを学んでいる。米農家のNさんの家には何名かお手伝いの若者が住み込みで働いているのだが、その仕事の厳しさは有名である。それはもちろん山の中でも一緒で、例え話をだしたらキリがない。イノシシに限らず西表島の生き物全般に精通しているNさんは幼少の頃からモノトリのプロであり、山も海も詳しい。仕事にも厳しいがハンターとしての実力も半端なし。そんなNさんのもとで狩猟を学べるというのは、僕には願ってもないことだった。しかし酒席で先輩たちから話を聞いていたので、実際にやるとなるとビビっていたのも事実だ。
 台湾式ハネ罠は金属のワイヤー以外はほぼ現地の山のもので作る事ができる仕掛けだ。必要なのは直径5㎝ほどの竹の筒「タケ」と、同じくらいの太さの木の棒を四つに割ったもので作る「人形」。四角に切った竹製の板に針金を巻き付けたピン、後はイノシシの足をくくるワイヤーと「ハネギ」と呼ばれる現地で採取する2m以上の生木だ。「タケ」と「人形」は10月の初めには材料を切っておき、乾燥させておいて解禁日である11月15日までに必要量を作っておく。僕に最初に与えられた仕事はこの「タケ」を作ることだった。自分で罠をかけたことはもちろんないので(あくまで免許習得前はイノシシを担いで山から降ろすだけをやっていた)、どういう構造の物が使いやすいのかよくわからない。先輩に言われるがまま、Nさんが作ったモデルをもとに作る。最初は「なんだこれ」とどやされるだろうが、そのうちコツがわかるだろう。
 秋のツアーシーズンが11月の文化の日の連休あたりでひと段落し、その後両親が島に遊びに来るなどドタバタした時間が経過した後、ついに解禁日が迫ってきた。
 11月14日、この日は東部地区の猟友会での集まりがあり新人であった僕はBBQの準備などして先輩たちの話を聞き、それで会が終わった後におとなしく帰ればいいものを同年代の猟師とともに酒も弱いのにスナックに飲みに行ってしまった…。結果はまぁ…わかりますよね??
 解禁日当日、この日は誰しもが気合を入れて罠の場所を決めて設置していく日である。2014年は土曜日というのもタイミングが良かった。石垣島から先輩のHさんもやって来てNさん、先輩のBさん、僕を含め4名で罠かけに山に入った。案の定というか、当然というか、僕は昨日の酒が残っており記念すべきこの狩猟最初の日に見事に二日酔いで苦しむことになった・・・。
 罠はいたってシンプルな構造だ。穴を掘って「タケ」を打ち込み、そのタケに開けた溝に人形の頭を入れる。タケを打ち込んだ方に「ハネギ」を打ち込み、その先端をまげてタケの前まで持ってくる。ワイヤーを先端にくくりつけ、ピンの針金で固定する。ピンを使ってタケと人形を固定して穴の周りにワイヤーを広げて設置する。穴は獣道に掘ってあり、どこをイノシシが通って踏み抜くとピンが外れてハネギが跳ね上がり、ワイヤーが絞られてイノシシの足を拘束する…という寸法である。
 罠かけ初日ということで穴を掘ったりする罠かけは先輩二人が行い、Nさんは場所の設定とハネギの調達。僕は穴をふさぐ小枝と葉っぱ探しとハネギを地面に打ち込むのが仕事だった。ところが今年は雨が少なく干ばつ続きで山の土もパサパサになっているうえに固く締まっている。そこにハネギを打ち込むのはこれがまた至難だ。挙句の果てに僕は二日酔いである。ドスンと地面にハネギを打ち込むごとに頭痛を吐き気に襲われてたまったもんではない。

「おい、赤塚!オマエいくらなんでも力なさすぎじゃないか!?」

 見かねて先輩が何回か変わってくれたが、フラフラして平静を保っているだけで精いっぱいだったのが実状だった。初日からえらい醜態を晒してしまい、これはNさんにどやされるぞとビクビクしていたが、一日が終わり山から下りると「モンダイだな~?」と悪態はつかれたものの意外に優しい口調だったのが意表を突かれた。先輩二人も同感だったらしく、「赤塚君、ラッキーだな~。Nさん今年は妙に優しいぞ。俺の時なんか…」「俺なんかゲロ吐きながらでも仕事したぞ!?」と。
 優しくなったNさんにある意味不気味さを感じ、先輩二人の言葉攻めにあって僕の狩猟初日は終わったのだった。

 

 
  写真左上:台湾式ハネ罠の一部。タケ、人形、ワイヤーのセットを肥料袋に入れて携帯する。強くて防水性に秀でた肥料袋はたいへん重宝される。
写真右上:罠の罠を掘る。穴を掘る、タケを削る、挿し棒を切る、ハネギを倒す、すべて左腰にある鉈で行う。鉈と虫除けスプレー、ダニを落とすフマキラーは罠回りの必須アイテム。
写真左:人形をピンで固定すると、どこを踏んでも人形が作動するように挿し棒を挿す。この上に腐りにくい葉っぱを敷いてその上から土を被せる。仕組みは玩具のようだが大人は真剣にこういうモノに取り組むものだ。
(写真はすべて2010年1月撮影)

 その日から自分のツアーの仕事がある日以外は山へ同行した。しばらくは罠を新しく作設置したりしながら罠を見回っていく。
 最初にイノシシがかかっていたのは解禁してから5日経った日だった。
 いつものようにNさんと先輩Bさんと3人で罠を見て回る。西表島の森は同じような風景のジャングルが続くため罠の場所をすぐに忘れてしまう。もしくはあっても見つけきれない時もある。次第にわかるようにはなるのだが最初の頃は何度もどやされることになる。印でもつけていればいいと思うのだが、師匠のNさんが「そんなモノ、必要ない」と一蹴するので仕方がない。おかげで山を見る感覚は養われていった気がする。同じような景色でも毎回来ればどこか変化がわかるようになる。それを養わないとワナ猟は難しく、そして危険な目にもあう。
 スタスタとかなり速いスピードで山の中を歩き進み、罠をチェックしていく。僕の場合、かかっているかどうかよりもワナの場所を覚えていくことで必死だった。そんな中、急に先頭のNさんが立ち止り、小声で「シッ」と呟いた。

「マギィ(大きい)ぞ。赤塚は木に登っていろ。B、あっちから回り込め」

 正直僕には何も見えない。どこに罠があるのかも理解していないのだから当たり前なのだが、言われた通り近くにある木に登って様子を見ることに。Nさんは僕の背負っているカバンからワイヤーを取り出せと言い、それを細長い生木の先端に取り付けた。そして静かに前進すると前方の茂みが激しく動いた。釣竿のようにしなり、伸びるハネギとワイヤーが見えその先に真っ黒い塊りが動いているのが見えた。

「熊や、クマがおるでぇ~」

 Bさんがビビりながら山の斜面の上から回り込もうとする。「違うそこじゃない!」とどやされる。これはでかい…。デビュー戦にしてはでか過ぎやしませんか?
 Nさんは前進と後退を繰り返し、イノシシの近くの木に登るとそこからさきほどの仕掛けをイノシシの方に向けた。あとで聞いた話ではイノシシはキラキラしたものに興奮すると噛みつくらしく、この為に新しいワイヤーがこの時有効らしい。自らワイヤーの輪を噛んだ瞬間、間髪入れずにNさんは仕掛けを引っ張ってイノシシを捉えた。イノシシは引っ張られると本能で引き返してしまうらしく、引いてる限り前進することはないようだ。

「B、今だ!捕まえろ!!」
「赤塚、こい!!」

 手短にNさんはそう叫び、僕は木から飛び降りるように下りると急いでNさんのもとに駆け寄る。「急げ急げ!」と檄が飛ぶ。
 ワイヤーがイノシシの口元を締め上げ、足も締め上げられているイノシシは動くことができない。走り近づいたBさんが後ろ脚を掴もうとするがうまくいかない。

「あー、駄目だ!オマエこっち持て!」

 Bさんが仕掛けを持ち替えてNさんは近くの木を切り倒して棍棒を作るとそれでイノシシの鼻元をめがけて渾身の力で振り下ろした。すごい音がするがイノシシはビクともしない。そうこうしているうちにイノシシが棍棒とは関係なく目がまわり、泡を吹き始めた。

「やばい!?死んだか??」

 イノシシの目が虚ろで瞳孔が開いているのが僕にもわかった。普通に考えるとイノシシを殺して持って帰るのだから死んでも構わないと思うだろう。でも西表島東部ではイノシシは主に生け捕りで山から降ろすのが鉄則だ。死んでしまうと血抜きが上手くできない。急いでナイフを取りだし心臓を突き刺した。止め刺しというやつである。だがだいぶ弱っていたのかうまく血が抜けず、イノシシは息を引き取った。黒毛の雄。下あごから突き出た牙がとても立派だ。棍棒が後から効いたのかと聞くと、そうではなく口をワイヤーで縛り過ぎて窒息で死んだんだろうとのことだった。後日解体したこのイノシシの頭骨を標本にしたのだけど、鼻面の骨は粉々になっていた。それでも平然としていたのだからイノシシの生命力たるやすごいものだ。

「イノシシはよ、足をちぎってでも生きようとするよ。すごい執念よ。それだけ生命力の強い生き物を獲って食べるわけだから精がつくわけさ」
 
 たまにかけている罠に野生化したヤギや狩猟犬がかかってしまう時がある。ヤギは動かずにじっとし、犬はキャンキャンと吠えながらうずくまっているだけだという。足を自らちぎってでも逃げようとするイノシシのその生きる執念にNさんは尊敬にも似た感情を抱いていると思う。
 この日は他にも何頭か獲れて、それを担いで山から下した。僕は先ほどの死んでしまった雄のイノシシ。牙が折れないようにと蔓を口元に巻き、両足を縛った状態でショルダーバックのようにして肩に担ぐ。結んだ紐が肩に喰いこんで痛いので、皆創意工夫してトン袋の紐やシートベルト、ウレタンマットなどを巻きつけてクッション材代わりにして担いでいた。死んでいるので暴れないからまだましだが、それでもかなり重い。登り坂ではハァハァと息を切らせ、膝をガクガクさせながらなんとか運び出す。大物が獲れるのは嬉しいが、この運び出すことを考えると憂鬱になる。あとで量るとイノシシは40㎏近い個体だった。

 山から出てイノシシを軽トラックに乗せると一段落だが、生きているイノシシは結んでいるとはいえ油断するとすぐに逃げようとする。トラックに縛り付けて近くの解体場まで持っていく。
 西表島のイノシシの解体は他の地域と大きく異なる点が一つある。それは皮も食べるため、毛皮を剥ぐ行程がない。代わりにバーナーで毛を焼き、刃物でこそぎ落として丸裸にしてしまう。昔は松の枯葉で松明を作って吊るしたイノシシの皮を焼いたらしい。全身真っ黒に焼かれたイノシシは水槽の中で水に浸けられた後、たわしで洗い真っ白な状態になる。こうなるとまるで巨大な鼠のようにも見える。
 解体は重要な作業なのでNさん本人がやることが多く、首を切り、肛門の周りを切り外してから腹を裂き、横隔膜を掴むと一気に内臓をはがす。あとは魚のように三枚におろしてから前足、後ろ足、肩甲骨などを外して精肉する。内臓を心臓、肺、肝臓、これから胆嚢を外し、すい臓、腎臓、横隔膜を外して胃や腸など消化器系とわけるのと、骨を手斧でバラバラにする作業、そしてチラガー(顔の皮)、タンを頭からはがす作業を僕らが行う。腸類は中身をしごいてよく洗えばホルモンとして食べることができるが、Nさんは破棄することが多かった。手間がかかりすぎるからだ。
 焼いたイノシシをタワシで磨く作業も大変だったが、個人的には止め刺しの行為が何度やっても嫌なものだった。
 「殺す」という行為自体嫌なものだし、それにまだ慣れていないので一撃で絶命させられないと苦しませてしまってとても残酷な気持ちになるのである。首根っこから肋骨の隙間に刃を通して心臓か動脈を切断する。理屈や方法はわかっていても相手は動くし暴れるし、声は出すし動揺して上手くいかないこともある。何度も刺すと肉も傷むし、それこそ残酷な行為を行っていることに嫌気がさすのだ。上手くいくとピンク色のきれいな鮮血が驚くほど流れだし、イノシシはあっという間に痙攣をおこして絶命する。そういうイノシシの肉は解体していてもそれほど血が滴らないし内臓も肉も状態が良いのだ。そんな重要な役が一番下っ端の仕事だったのだから、それは責任重大。憂鬱な気持ちにもなる。
 肉は親方のNさんがある程度を取り、残りをメンバーに等分でわけてくれた。内臓は肝と心臓は別にしてそれ以外をひとまとめにし、骨も猪汁の出汁に使うのでばらしたものをまとめておく。フィレは担いだ者が持っていくという伝統があるようで、先輩が欲しいと言わない限り下っ端がもらえた。チラガーやタンも然りである。
 獲れた日は一頭でも配当があり、獲れない日はもちろん何もなし。肉をもらい上気分で帰る日はビールも美味いが、何もない日はただトレッキングをしに行ったようなものである。やはり一日一頭は辛くても担ぎたかった。

 

 
  写真左上:バーナーで毛を焼いてたわしで綺麗にした状態の猪。
写真右上:背ロースと呼ばれる部位。脂のノリが素晴らしい。
写真左:その日のうちに解体を終わらせなければならないので日が暮れても仕事は続く。
写真下:胃袋を開いたところ。白いのが椎、緑が樫の実。ぎっしりだ。天然イベリコ豚といわれるゆえん(写真撮影すべて2010年1月)



 年内はほぼ毎日、ローテーションを組んで山をまわった。最初のうちはNさんや先輩のBさんにひたすらついて行き言われるがままにしていたが、そのうち何となく道もわかってきてイノシシの形跡なども自分で見つけられるようになってきた。ただ罠の位置だけはいまだ定かではなく、Nさんのようにパッと見ただけで罠に獲物がかかっているか、空振りで跳ね上がっているかを見極められるようになるには結局今期は完全にとは言えなかった。今年はまずイノシシの捕え方、正しい罠の作り方、何の木の何が何に使えるか?そういう技術的なことを知ることで精いっぱいだと思った。
 人形を踏ませるための挿し棒の配置、ハネギに使える樹木の種類、そしてその太さと長さ、打ち方等々…。森の中にある様々な種類の樹木とその葉や蔓。その特性を理解して探し出して利用する。その行為は直接イノシシを獲ることとは関係ないにしても自然を知る行為につながり、それが僕には一番楽しみでもあり、学びだった。

 同時に覚えておかなければならないのがイノシシの危険性だ。
 命のやり取りである以上獲物と対峙する時間は最も危険な時である。危険が伴わない野外遊びなんてないと言ってしまえばそれまでだが、野生動物を取り押さえ生け捕りにするというのは尋常ではない集中力を必要とする。猪はワイヤーによって拘束されて動きが制限される。そして人間は少なくとも猪より知恵がある。優位な立場にいるのは当然だが、それでも何が起こるかわからない。
 猪は前出のとおり、足をちぎってでも逃げる。もしくは攻撃してくる。手負いの猪は必ず人間がいれば向ってくるそうだ。捕まえる段階でワイヤーから抜けるかもしれないし、シダやツルアダンなどの障害物でよく見えない状態で掴みにかかり、実はワイヤーがすでに外れている場合などもあるようだ。だから必ず罠にかかっている猪を見つけたら、状況をまずは観察することを忘れるな…とNさんは口を酸っぱくして事あるごとに言う。特に雄の猪は大きさに関係なく気を付けなくてはならない。
 最初の頃は僕のような初心者にも平気で猪を掴ませに行かせていたという。だが数年前に信頼していた人がイノシシを掴むときにキバで重傷を負い、それ以来初心者は木に登らせるようにしたそうだ。猪の牙は上顎の牙が砥石の役割をし、下顎の牙がナイフのように鋭い。ガチガチと威嚇の際に出す音はキバを研ぐ音でもあるのだ。山岳民族が猪の牙を装飾品に使うのは強さの象徴だからというのは納得できる。
 島にいると普通に食べることができて、美味いだの不味いだの言えるがやはり一頭一頭、獲る時にはドラマがあるのである。

 でもやはり一番重要でかつ面白いのは獲るまでの行程。戦略を練るのが面白いはずだ。
 これは狩猟に限らず釣りにしても潜りにしても、何よりシーカヤックにも共通することだ。
 ワナ猟は基本的に釣りのように餌でおびき寄せて獲ることは少ない。ハネ罠もそうでイノシシの獣道を探し出してその上に罠をはる。人間と一緒で獣もいつも違う場所を歩くわけではなく歩きやすい場所を皆が利用することが多い。だから森の中にイノシシがいれば必ず獣道があり、足跡が残っている。しかしそれを見つけたとしても現在も使われているか?新しいものか古いものかを知る必要がある。
 その道はどこからどこへ向かうための道なのか?道ならどこにでもかければ良いという問題でもない。人間の数百倍、犬よりも良いとされるイノシシの嗅覚からすれば少しでも人間の匂い、ワイヤーの金属臭、土を掘り返した匂いなどが怪しいと思われればイノシシはすぐに道を変える。数ある道、長い道の中で狭まっていたり合流するような「ここしかない」という場所を選び罠をはるのだ。
 今は使われていないけど、そのうちまた使われるかもしれない道もある。またはまったく道はないけどある日突然イノシシの形跡が現れることもある。道を必要としない沢筋を歩いたり尾根を歩いたり、時には川を泳いで渡る時もある。基本的にイノシシは食料を求めて移動する。だからその季節に実る木の実や食物とその場所を把握し、それに伴うイノシシの大まかな移動をイメージする必要もある。ドングリがいっぱい落ちている場所に罠をかければそのうち獲れるというモノでもないらしい。
 何より最初のうちは擦れていないから大猟するが、日に日にイノシシの頭も良くなってきて獲りにくくなってくる。そういう中で自然の条件と照らし合わせて罠の場所を変えていく。その行程が楽しいのだろうなと僕は思うのだ。自分のシミュレーション通りに獲物が獲れた時の快感といったらない。その感覚だけは一応知っている。軌条に富んだ西表島の山を立体的に考え。鳥瞰図を頭に浮かべながらイノシシの移動ルート、そして効率よく罠周りができるコースを組み立てて(獲れても山から下すのが大変では体が持たない)、罠をはっていくのはさすが名人のなせる業だなと唸るしかなかった(まだ理解できていないことの方が多いとは思いますが)。
 待つばかりがワナ猟ではない。ある日罠のまわりが荒れていて、あるはずのハネギがなかった。猪はハネギごと抜いて逃げる時もある。普通なら「逃げられたからしょうがない」と済ましてしまうところだが、Nさんは違う。ここから追跡が始まるのだ。逃げたイノシシは2m以上あるハネギを引きずって逃げている。必ずその跡は残っているし途中何度か引っかかってそう遠くへは行かないものらしい。草や蔓がなぎ倒されている向き、泥の有無、キズ、そういうものを細かく発見しながらイノシシに迫っていく。もちろん聴覚や嗅覚など全身の感覚を総動員させて探す。猪は臭いし、近づけば威嚇で牙を鳴らす。その日に見つけることができなくとも、後日また同じ場所に行ってほぼ確実に、イノシシを捕えていた。

 月に何回か、日曜日に猟友会の鉄砲撃ちが犬とともに共猟を行う。俗にいう「まき狩り」という奴だ。鉄砲撃ちの人と話をするとまたこれも世界があって面白そうだが、まだよくわからないのでここでは書けない。
 いずれにせよNさんが何故そこに罠をはるのか?それが理解できるようになり、イノシシがかかる罠を自分でもかけられるようになるにはあと何年かかるのだろうか??



 年末間近になるころ、僕が病気にかかってしまい、そのまま正月を迎えて1月には復帰と思いきや今度はインフルエンザにかかってしまい山に行く機会が減ってしまった。Nさんも本業の稲作の方が忙しくなり、僕も病気が治ってからも平日はアルバイトを始めたので週末に石垣島から来るHさんと何名かの行ってみたいという若者と罠をまとめて見まわる程度になった。実際イノシシも年が明けるとめっきり獲れなくなり、山を歩きに行ってもハゲる日が多くなっていた。

 2015年2月15日、狩猟期間最終日。前日にNさん宅の住み込み寮で皆で早くもお疲れ会を開いた後、酒も微妙に残っている頭で罠を外しに回った。罠を作動させてハネギに付いたワイヤーとピンを外していく。それ以外はすべて自然の素材でできているので罠はそのまま自然に還っていく。
 ハネギや挿し枝からは新しい芽が出ており、タケや人形はシロアリにやられはじめていた。

「タブの花がだいぶ咲いているな」

 たわわに咲き乱れるタブノキを眺めながらNさんが呟いた。ドングリが終わった後、イノシシはこの実を貪るのだという。独特の香りがあり、風味の良いイノシシの肉が獲れるという。でも現代はタブの実を食べたイノシシは普通食べることはできない。まだ狩猟期間も決まっていない昔にはこのタブノキのふもとに罠をかけると面白いように獲れたそうだ。今でも農家であれば「有害獣駆除申請」を出すことができ、禁猟期でもイノシシを獲ることはできる。農家であるNさんももちろんイノシシは年中捕獲している。
 しかし僕の狩猟期間は終わった。また来年の秋、シイの実が落ちる頃、イノシシとの知恵比べが始まるのだ。

 
 
 今、日本は空前の狩猟ブームに沸いているように思える。2006年に服部文祥さんが「サバイバル登山家」を書いた頃から本屋には狩猟関係の本が平積みで並ぶようになってきたように思える。昔からのマタギの仕事を取材したものから、若者が狩猟を始める過程を描いたものなど。グルメ志向の人が自らジビエと呼ばれる野生肉を求めるようになってもいた。

 東日本大震災をむかえてからはその傾向はさらに強くなり、自分で食糧を得る技術を得たいと思う人が増えたと思う。「狩りガール」なる者も生まれ、マンガすら出るようになった。サバイバルブームが起きると同時に日本各地で獣害の被害が多くなり、シカやイノシシなどの駆除を目的とした行政のサポートも狩猟ブームを後押しする形になってきていると思う。

 だけどそんな流れとは関係なく僕はじわりじわりと狩猟に対する好奇心を蓄えていたし、西表島移住とともにそのタイミングはちょうど良かったのだと思う。だから獣を獲って食べることに関してはそれほど特別なことだとは思っていないし普通に何の障害もなくこの趣味にとりついた感がある。西表島において狩猟や猪肉を食べることはごく普通のことなのです。その中で内地の友人たちもブームかどうかはともかく狩猟免許を取る者が増えてきて、鉄砲でのカモ猟やシカ猟の話などfacebook等での情報交換にはとても刺激を受けた。
 今のところ、僕の周りの狩猟をする人にはトロフィー目的の「ハンティング」をする人はいない。必ず食べることを目的とした狩猟を行っている。また害獣駆除の目的で猟をするにしても、その肉を食べている。
 何故獣を獲って肉を食べるのか?肉を食べなくても人間は生きていけるのになぜ?そんな命のやり取り、殺生に対する倫理観などはここでは置いておく。ただ野菜だけを食べていても生きていける人間が何故わざわざ生き物を殺して命を奪って肉を食べる必要があるのか?ある狩りガールは「狩猟はとてもエネルギーを使うので、必然と肉を食べる機会は減っていく」とブログに書いていた。これは現代の都市部の人間が必要以上に肉を食べているということだろう。健全な生活では必然的に野菜中心の食生活になっていくというのだ。
 殺生などせず、獣の肉を食べなくても生きていくことは確かにできるだろう。ただ、それが健全で本来の人間の姿である…という考え方をする人がたまにいるが、僕はそうは思わない。米農家のNさんにとってイノシシを獲るということはもちろん肉を獲る、食べるためでもあるがそれ以上に「米を守る」ためでもある。手当たり次第に殺生を好んでしているわけではない。獣害を減らし、その代り殺してしまうイノシシは大切に食べるのだ。
 野菜や米などの穀物を鳥や獣に盗られずに収穫するというのはそれこそ健全な環境であればあるほど難しいことだと思う。だから古来の日本には田畑を荒らす猪や鹿を食べてくれる山犬(狼)を犬神として祭っていた地域もあるのだろう。

 自然と共存して生きていくというのはそういうことではないだろうか?

 やはり人それぞれの考え方、思想は置いておいて肉を獲ることも生きていくには必要な技術だと思う。何より狩猟を行ったことによって僕はより西表島の自然の奥深さと、その知識を昇華して狩猟を行う先人の知恵を学ぶことができることを知った。

 「獲ること=殺すこと」になる狩猟は遊びとしてはやはりハードルが高い。アウトドアというくくりに入れてしまうにはあまりにも学ぶべきことが多い遊びだと思う。始める理由は人それぞれだと思うけど、自然とともに、仲間や社会といった人間のことも多く学ぶことになると思う。それがまた海外や荒野でのサバイバルとは違う、日本の狩猟事情の面白さではないだろうか?

 まだ始めたばかりの狩猟。一人前になるにはまだまだ早い。だけどこの遊びの奥の深さを垣間見てやはりはじめて良かったと思っている。これからのことを考えると楽しみでならない。猟師としての視点を持って本業のガイド、西表島でのエコツアーが行えるのもまた楽しみだ。

 海も山もある西表島。やはりその楽しみ方は多様だ。海ばかりに固執するのも良くないし、山ばかりでもよくない。両方できる、それが島の良いところだと思う。
 そんな楽しみ方を皆さんにも共有できたらいいなと思います。

2015年4月
油断すると見失ってしまう。二人だけで山に入る時は常に必死だ。Nさん。(撮影2015年2月)

関連リンク

DriftWoodBeach 狩猟採集とアウトドア①:http://ameblo.jp/driftwoodbeech/entry-10760523399.html
ブログで写真に使われている中沢氏との狩猟同行記を書いています。