ファーノース

 パイヒアに戻ってきた僕は、バス停留所でマークと合流し事の次第を説明した。彼は「言わんこっちゃない…」と言いたいところを我慢して僕に優しく接してくれているように思えた。まるで苦虫を噛みつぶしたような感じだ。
 とりあえず明日警察に行くことで話がまとまり、この日は早々にベッドに入った。
 パイヒアのバス停に到着してからマークが来るまでの間、観光都市の華やかなイルミネーションの中でこれからの事を考えていた。当然今回のカヤックの旅は終了、車を売ったお金で当分の生活費を賄おうと思っていた僕には当然お金がなく、早くにでもすぐに働けそうなオークランドに戻ることを考えた。

 しかしまだ何か、ここでやり残したこと、やれそうなことがあるような気もしていた。
 とりあえず、車の行方を捜すことが先決だった。
 翌日、起きると体がだるい。微熱を感じる。
 カヤックの回収は翌日にマークが一緒に行ってくれるというのでその日はひたすら電話をかける。といっても僕では説明が英語で上手く伝わらないのでマークにかけてもらう。
 DOCの方はまったく応答なし。
 車のナンバープレートを管理しているRegistrationに電話すると、車が盗難された場合は警察から連絡がいくようになっているため本人からは報告する必要はないらしい。
 警察はPaihiaが不在で、隣町のKerikeriが対応してくれた。それによると僕の車の所在がわかった。詳細は一時間後にまた電話してくれとのことなのでその通りにすることにした。それまでPaihiaの市街地に出てメールでことの詳細を知人に報告する。
 マークの家に戻り電話をすると、結局オフィスまで来てくれということになったのでマークに連れられてKerikeriの街まで行くことに。
 Police officeに行くと事情聴取を受け、盗難されたものを聞きだされて被害総額を見積もられた。そして肝心の僕の車だが、ノースランドの北の街、Kaitaia近くのビーチで炎上されているのが発見されていた。最初、ただでさえヒアリングが苦手なのにゴニョゴニョ話す警官の話が聞き取れず、困っていたら「バーン(burn)」という発音が聞こえて思わず「バーン、爆発?擬音語??」と、顔をしかめるマークの顔を見ながら意味もないことを考えてしまった。しかし内容は似たようなものだった。
 警官の予想はこうだ。Cape Reinga近くのキャンプ場に停めていた僕の車は地元マオリキッズと呼ばれるマオリの悪童どもに盗まれ、そのまま90マイルビーチを南下し、オフロードでスタックしたところを乗り捨てられて最後にいたずらか何かで炎上されたのではないかというのだ。すでに1か月も前の話で、炎上された車を見たいというと両手を思いっきり挟むジェスチャーをして「今頃スクラップだから行っても無駄だ」ということを説明された。
 なるほど…。納得した。
 盗まれただけならまだどこかに乗り捨てられているかもしれないと期待してしまうが、炎上したということでもう僕の車はないのだと諦めがついた。
 やれやれだ。
 安心したのか気が緩んだのか、熱がひどくなってきた。マークが風邪には温泉だと言って以前行った温泉に連れて行ってくれたが、だるくなる一方。その日は夕食も食べずに寝てしまった。
 
 次の日、カヤックをHihi Beachまで取りに行く約束をしていた。午後から出発したのだが体がだるくて何もする気がしない。マークはHihi Beachに行く途中、Taupo Bayに寄ってサーフィンをしようと誘ったが、僕は車の中で横になっていた。頭痛がひどい。車窓から見えるTaupo Bayの雄大な山が悩ましい。
 マークは1時間半ほどで揚がるとその場にいたサーフィン教室の先生と話をしだした。彼はスピアもやるらしく、このあたりの魚突きポイントの情報を教えてくれたがその情報が役に立つかどうかはもうどうでもいい感じだった。
 Hihi Beachに到着して管理人のオヤジに挨拶し、カヤックを回収する。オヤジもマークと話をして僕の実情と現状を理解したらしく、それまでにない妙に優しい顔で僕を送ってくれた。
 車の上にそのままカヤックを積み、夕食は隣町のMangonuiに行ってやっぱり名物のフィッシュ&チップスを食べる。桟橋の上に作った魚屋で、オープンデッキの上で食べていると夕日が落ちるのが見え、なかなかいいシチュエーションだった。
 その日も再び温泉へ。いつもの温泉はやっていないので隣の温泉に入る。ここはいつもの場所より安いが熱いお湯の出る浴槽が少ない。良い湯加減の風呂に浸かっているとキウィと日本人のコンビがやってきた。最初はお互い英語であいさつをしていたが同邦だとわかると久しぶりに日本語で話をした。
 彼はWOOFという農業や酪農の手伝いをする代わりにホームスティをさせてもらうといった形で滞在しており、普段はコンビのキウィの実家で野菜を作っているという。
 久しぶりの日本語と日本の住所がお互い近かったので意気投合し、かなり長いこと話が弾んでしまった。一時間後くらいに温泉を出て、別れた。

 この日の帰り、マークがこういう話を持ち出してきた。 
「ヨシ、実は5月の11日から一週間のツアーが入っているんだ。もしよければだが、一緒に行かないか?」
 アシスタント兼、ガールフレンドのサーシャがオーストラリアにしばらく帰ってしまい、アシスタントが不在だったマークは以前からこのツアーに僕を格安の代金で誘ってくれてはいた。だが、遠征の失敗で滅入っていた僕は金銭の不足で早く仕事について働くことばかりを優先していてそれどころではなかった。そのツアーまでの日数が勿体ないと思っていたのだ。
 しかし遠征が失敗してオメオメと負け犬のごとくオークランドに戻って残りのニュージーランド滞在を仕事をして過ごすというのも癪だった。あのベイオブアイランズの海で20年間ガイドをしているマークのツアーに一から参加するというのはガイド職についている自分にとってこのうえない機会なのではないかとも思う。
 色々なやり取りがあったのだが、結局のところ僕はこれに参加することにした。条件として英語と日本語をしゃべれる友人を参加さしてお互いの意思疎通ができるようにする、つまり通訳を雇うということで話がまとまった。
 都合が良いことに?オークランドの友人が前からカヤックツアーに参加したいと言っていたし、トランピング好きのその子の彼氏も来ることになってこの話は丸く収まった。
 ツアーまでの10日間、何もせずにマークの家でグダグダしているのも悪いので以前に参加したツアーで上陸した場所からCape Wiwikiを回って、Matauri Bayまで行きたいとマークに持ちかけた。
 すると彼はこういった。 
「そこはツアーでまわるコースだから、別に行かなくていいだろ。それより続きをやればいいじゃないか?」
…つまり、Cape Reingaまでということか? 
「サーフィンついでにまたHihi Beachまで連れて行ってやるから、Cape Reingaまで行ってくればいい。それで11日までにカヤック折畳んでヒッチハイクで帰ってくればいいだろ?」
 あ、そうか。僕のカヤックはフォールディングカヤックなのである。何でこんな基本的なことが思い出されなかったのだろう…。テンパッていたとはいえ、自分を見失っていたというのはこういうことなのだろうか。
 翌日はマークはサーフィンに、僕は準備とツアーに参加する事前打ち合わせをメールと携帯電話で友人達として過ごし、夕食は僕がチキンカレーを作ることにした。材料を食料の買い出しと共に行い、マークはマークでナチョスを作っていたが僕が夕食を作るというと喜んでくれた。ナチョスを前菜にし、チキンカレーを二人で食べた。
 マークはハワイ生まれだ。日系や華僑の多いハワイで生まれ育ったために東洋人とその文化に理解がある。箸を使うのも問題ないし、マイチョップスティックも持っていた。だからジャパニーズスタイルのカレーも問題なく気に入ってくれてよかった。
 山盛りのナチョスを食べていたら、僕はアラスカに行った時のことを思い出し、その話をするとアラスカでサーモンのコマーシャルフィッシャーマンをやっていた時の話もしてくれた。アメリカ北西海岸でカヤックガイドの仕事をしていた時の話、山岳ガイド時代の話、ニュージーランドの冬の期間にハワイでやっているシュノーケリングキャンプの話。ブッシュが嫌いでアメリカを出たという話などなど…。壁に無造作に飾られている写真と共に語られる話はとても興味深く、日本以外の土地でカヤックをやっているリアルカヤッカーと海の話が出来るのがとても楽しかった。
 日本の西表島の写真を見せたり、先日撮ったサーフィンの動画などを見せていたらいい時間になり就寝となった。
 
 これまでの事が色々と頭をめぐって寝つけられない。僕にも人並みに羞恥心もあってここには書けない色々な事があり、自分の考えとの違いを処理できず、上手く表現できずにストレスが溜まっていた。

 自分の理想と現実とのギャップ。その狭間に立たされた中に垂らされてきた、一つの光明。
 まずは漕ぐことだ。
 それが僕に考えられる唯一の無駄にはならない、確かな手段だった。

5月1日Paihia → Hihi Beach (準備)

 体調はだいぶ良くなっていた。10時半にはマークと共に出発。
 この日はとっておきの場所に連れて行ってやるとマークはいたずらっ子のような顔でニやけて笑い、車を一路Hihi Beachに向かわせる。どうやらこの途中にあるプライベートエリアのサーフポイントで極上の波と戯れようという魂胆らしい。
 途中、友人でありカヤックガイドでもあるリチャードさんと合流し、彼の車からウェイブスキーをマークの車に移して同乗していく。
 Hihi Beachに到着する手前でプライベートエリアのゲートのカギを持っているメアリーという女の人の家に行き、彼女とブギーボードを乗せてUターンすると、見知らぬ道に入っていった。かなりデコボコの四駆でなければスタック必至の畔道だ。時速10kmほどの超スローで走らせると、広大な海が目の前に広がった。そこはちょうど一週間前に僕がテンパりながらやっとこさ沖を漕いだ浜だった。プライベートエリアなのでもちろん牛と羊以外、人は全くいない。我々4人だけだ。
 小屋があり、そこに車を止めるとおもむろに皆準備体操などをし、ウエットスーツを着て各自準備をしだす。マークは準備が済むと真っ先に海に向かって駆けていった。マークはロングボード、リチャードはウェイブスキー、メアリーはブギーボードを持って海に入っていった。皆、年齢は50~60歳の壮年期の人達だ。とても日本じゃ考えられない光景である。メアリーなんて、きれいな淑女だったのに今は完全に海女さん状態だ…。ニュージーランドの人達の親水性にはいい意味、呆れる。
 僕は体調がまだかんばしくなく、旅への出発前に無理をしたくないので陸の上で彼らの写真などを撮っていた。
 昼食をはさんで午前午後と1時間半ほど彼らは波と戯れて浜に上がってきた。最後は波待ちをしていたマークが、本日一番のデカイ波に乗り、満足いく笑みで「今日は良かったぜ~」と唸りながらウエットスーツを着替えた。
 もと来たあぜ道を再びとろとろと車を走らせ、メアリーの家にお邪魔することに。
 メアリーは夫婦2人で住んでおり、家に着くなりご主人の手作りだというドラフトビールを勧めてくれた。
「ヨシ、ビールはお好き?」
 嫌いなわけがな~いじゃないですか~…という、下品な笑みをこぼしながらビールをもらうと、これが…美味い!ニュージーランドに来て飲んだビールで一番美味かった。
 そのビールを飲みながら軽食を食べつつ、話をする。ご主人が出てきて自己紹介。なんでももともとアメリカのカルフォルニアでコマーシャルフィッシャーマンをしていたらしい。しかも潜りの。僕がスピアをやるとマークが紹介すると、彼は自分の部屋から当時採っていたアバローニ(鮑)の殻を見せてくれた。僕の顔がすっぽり隠れてしまうアメリカ西海岸産の鮑だ。博物館とかで見たことはあったが、フリスビーのようにでかくて洗面器のように深い。これにはたまげた。
 さらに先日、近所の海で獲れたというキングフィッシュの写真と新聞記事を見せてもらった。なんと48kg、しかもポールスピア(手銛)で突いたというから…驚きだ。 
「これから先ファーノースで何かあったら彼に助けてもらえ」
 マークがそう言うと彼は名刺をくれた。ありがたい。残念ながら?彼の助けを借りずにこれから先を旅することはできたのだが、この好意はありがたかった。
 夕方、彼らの家をお邪魔すると、一路Hihi Beachへ。ここでマークとリチャードと別れる。管理人のオヤジがやって来て2人と談笑し、僕はその間に荷物を下ろしてテントを張った。しばらくするとマークはこれと言って別れのあいさつも淡々とし、去っていった。
 さて、あれほど打ちひしがれていた心はどこに行ったのか、海に恐怖していたのにも係わらず僕は再び行うことができるカヤックの旅にワクワクしていた。今回は潜りはなし。簡単な釣道具だけを持ち、かさばる潜り用具は持ってこなかった。ある意味、純粋にシーカヤックの旅をするのだ。
 現金もない、車も金目のモノもない。ある意味、切羽詰まった状況ではあったがそれほどの心配もなくなり、心の余計なものが剥ぎ取られて妙な研ぎ澄まされた感性が残った。マークをはじめ、多くの人達と出逢えたことが自分の殻を柔らかくし、考えに余裕が生まれていったのかもしれない。そしてその分、カヤックの旅に集中できるようになったのだろうか…?
 ともかく、何故か興奮している。
 明日には知らない土地でテントを張り、寝ることができると思うと心の底の方がモゾモゾとむず痒いのだ。
 これだけ多くの人にお世話になり、迷惑も省みず、何をやっているんだろうと思う。
 だけどその一方、思うのだ。 
「あー、俺本当にカヤックの旅が好きなんだな…」

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5月2日 Hihi Beach → Maitai Bay

 7時15分テントから這い出る。以前に5日間も閉じ込められたHihi Beachのホリデーパークではあったが、いざ出発となると感慨深いものだ。管理人のオヤジは不在で奥さんがいた。車がないのでNon guestだと思っていたらしい。財布に料金ちょうどのキャッシュがなかったのであるだけの料金にマケテくれた。
 当時は幸先がいいと思っていたが、今になって考えるとオヤジが自分がいると金を払わなければならないからと、わざと不在のふりをしていたのかもしれない。キウィらしい、粋なはからいかな。
 9時10分、出発。
 以前は東の風が強かったが今回は南南東の風といった感じで、岸の近くではあまり気にしていなかったが沖に出ると次第に強くなっていった。それでもオフショアだ。うねりがそれほど強くなることはないとふんで追い風に乗って距離を稼ぐ。今日は微かに見えるKarikari Peninsulaの先端にある入江、Maitai Bayまでで、その間にあるDoubtless Bayを横断する形になる。
 最初は追い風になり喜んでいたのだが、次第に風が強すぎて焦ってくる。どう見積もっても10m/s以上はある…。うねりがないぶん以前のHihi Beachまで来たパドリングよりはマシだったが、風浪が小刻みで舟の向きがすぐに変わってしまい厄介だ。一時間も漕いで沖に出ると、周りの波はオフショアとは思えないほど大きくなっていた。どうもDoubtless Bayとは相性が悪いようだ。
 半島の先端にある岬に近づくと、不思議に風はおさまってきたがうねりが東と南から入るようになり三角波が出来るようになる。そしてさらに漕ぎ進み岬を回り込むと、反射波も加わって複雑な、面倒くさい波になってきた…。
 Pihakoa Ptの手前でやっと休憩できるかと思ったが、風が強くて落ち着かないので結局先を急ぐことにし、この岬を回り込むとやっとうねりは消えて凪ぎになった。
 岸ベタに沿って南下すると風が吹き下ろしてきて危ない湾があり、その先に小さい岬があって、そこを越えると妙にうねりが入ってくるようになった。
 色々なところから海のエネルギーが感じられて不気味なところだ。
 向かい風の中、最後のパドリングを繰り返すと12時20分、やっとMaitai Bayの端のビーチの上陸することができた。ここはDOCの管理するキャンプ場があるのだが、意外に海から遠くて荷物を運ぶのに難儀した。
 カヤックは海岸のそばに横付けすることにしたのだが、中には恐ろしく水が入っていた。ハルに穴が開いていなくても波がある場所を漕ぐ場合、スプレースカートとシーソックスを通してかなり水が入ってしまう。遠征前、もしくは海峡横断を主にする場合にはシーソックスをオニューにする必要がありますね。
 ここから次のキャンプ地までは30km近く離れているのでこの日中に行くのは至難だ。初日の体慣らしもあるので今日はここでビバークすることに。
 キャンプ場をぶらぶらし、半島の最先端にある岬を反対側に歩いてまわるとそこにはKarikari Beachという日本語にするとふざけた名前の砂浜がある。だがここがきめの細かい真っ白な砂で非常に美しいビーチだ。海浜植物も多く生えており、保護区でなければ是非キャンプしたい浜だ。
 ここでビーチコーミングをしていると、一人のおじさんがラジコンの水中マシーンにはえ縄仕掛けを付けて沖に走らせているのを見かけた。以前にこっちの釣り雑誌で見たことがあったが、投げ釣りではなくラジコンに仕掛けを運ばせて、その間に数珠つなぎに餌を付けた仕掛けを落とすのである。もはやレジャーなのか、漁なのかわからん…。浜を一通り歩いて戻ると、大きなドラム型のリールを巻き、時々抵抗がでかい為か糸を直接手繰りよせながらリールを巻いている。何が釣れるのか楽しみに見ていたら、なんとスナッパーが5匹釣れていた!サイズはそれほど大きくないものの、40cm台とお手頃サイズだ。砂がきれいな為に魚の色もきれいなピンクでおっさんはホクホク顔で仕掛けをしまい、きれいにバックパックにまとめて帰って行った。
 夕方になると今度は一眼レフカメラを持ってカヤックの置いてある海岸に散歩に出た。するとWhangamumu Harborの時のように子犬が2匹、僕の周りをウロチョロしだした。今度のはボクサーの様な猟犬の子犬で、成犬になったらゴッつくなるんだろうな~という風態だが今はまだあどけなく、人懐こくってかなり可愛い。最初は面白がって遊んでいたがあまりにも馴れ馴れしい。コリンは紳士だったが、こいつらはただの腕白小僧だ。悪ふざけが酷過ぎるので後半は無視した。
 浜の奥で他のキャンパー達と遊んでいるのを見ると、そのうち彼らも呆れることだろうと憐みの眼差しを送っておいた。
 6時半には辺りは暗闇に包まれ始めた。この夜は月がきれいで、まだ満月ではないので星も十分きれいに瞬いており、その写真撮影などをして過ごすがそれでも時刻は8時をちょっと過ぎたばかりだ。
 明日はいよいよファーノースの基部に到着である。色々と悩ましいこともあるのだが、できるだけ忘れよう、旅に集中しようとテントに入る。
 ヘッドランプの調子が悪い。これはちょっと参った…。

漕行距離:22km
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5月3日 Maitai Bay → Houhara Heads

 朝6時起床。コンタクトレンズを付けようとライトを灯すが上手くつかない。仕方なく携帯電話についているライトを使って事なきを得たが、ヘッドランプの故障はかなり厄介だ。不安要素がまた増えた。
 朝食を食べ、朝焼けの写真を撮ると荷物を何回かに分けて運び、砂浜でカヤックにパッキングをしていく。すると沖からボートがやって来て接岸し、絡まった網を下ろすと砂浜に広げていって魚を外し始めた。どうやら刺し網をやっていたようだ。パッキングを中断して見に行くと、スナッパーやベラの仲間がかかっており、日本と同じでエイや蟹がガンジガラメになっていた。ウエットスーツの男も小さい少ないと呟いた。
 彼らは男3人組で二人はかなり若い。沖の海の様子を聞くと、南東の風、Too rough、北東からのswellとの返事であった。あまり良い情報ではない…。ちょっと雑談を交わし魚の写真を撮らせてもらうとカヤックのパッキングの仕上げをして出発することに。
 湾から出ると、確かにうねりが入って来て反射波とかぶってかなり三角波が立ち始めている。でも風は昨日ほどではないのでしっかりパドリングをこなすことができる。
 しばらく岸沿いに北上を繰り返し、半島の最先端、Cape karikariを越えると小さな入り江がありそこに入って休憩する。ここも風が回り込んできたり吹き下ろしてきたりであまり落ちつける場所ではない。
 ある程度体がほぐれたところでWhale Islandの南岸を通りつつこの日のメインイベント、Rangaunu Bay横断に入る。
 微かに見えるファーノースの基部、Perpendicular Ptを目指すが、先ほど刺し網漁をしていた男の情報より、南西からの風のように思える。彼らはどこで網漁をしていたのだろうか?しかしそれほど気になるものでもなく、海はゆっくりとした緩やかなうねりしかなく、波浪もなくてほぼ凪ぎに近い。ただ、風だけは吹いていて左舷に風を受けながら黙々とパドリングを続けた。まったくの凪ではなく、多少の風を受けている感じに近い。どうも強風下でのパドリングに慣れてしまっているのかもしれない。
 2時間半ほどで岬の先端まで行けると考えていたが、実際には相当時間がかかり、9時半から湾の横断を開始したのだが、到着したのは13時10分。そのまま入江の中に入り、ホリデーパークの前に上陸、何とも天気が良く風もなくてのどかな光景だ。海岸ギリギリまで牛が放牧されて歩きまわっている。
 この日はここからさらに15kmほど漕いだ先にあるRarawa Beachまで行きたかったが、妙に疲れてしまい一応ここの値段を聞こうと持ってオフィスまで行くと、ちょうど管理人のマオリのお姉ちゃんが「買い物に行くけど一緒に行く?」と誘うので、思わず了解してしまった…。車に乗ってさらに北にある街にある雑貨屋の様なスーパーで最後の食料を購入して戻ると、時刻もけっこういい時間になっていた。宿泊料も$12と安いので今日は無理せずここに泊まることに。
 昼食を食べると妙怠惰感に襲われ、ぽかぽかの芝生の上で寝ころんでぐだぐだしていた。
 しかしここまで来て何もしないのはもったいないので、冷凍庫に入っていたお客の忘れ物らしき釣り餌を拝借し、カヤックに乗って釣りに行くことにした。
 最初は湾の中でやっていたが砂地でまったく釣れず、その次に岬の先端まで行ってやってみたが小さいスナッパーが釣れたものの、流れが速くて難しい。そのまま漕いで外洋まで出て、かけ上がりと思われる場所に釣り糸を垂らすとボチボチ釣れ始めた。釣れたのはベラの仲間とスナッパー、そしてカーワイ。カーワイは手釣りで釣るとかなり面白い。カヤックごと引っ張られるし、ラインを出したり寄せたりするやり取りがタマラナイ。それほど大きなカーワイでもなかったが、そいつと30cmほどのスナッパーをキープして、夕闇せまるホリデーパークに必死になって漕いで戻った。
 夕食は魚のアラのマース煮、カーワイとスナッパーの刺身+マリネ、鯛飯、お茶。ホリデーパークだとキッチンがしっかりしているので料理が楽しい。もう一組、ジャーマンカップルがかなり不自然に場所を占拠してうざかったが、良い夕食だった。
 この日も天気が良く月、星共にきれいだ。この晴天が続いてくれるとありがたい。

漕行距離:29km+7km
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5月4日 Houhara Heads → Rarawa Beach

 
 ゆっくり7時過ぎに起きた。この日は天気も良く、漕ぐ距離も短くて済みそうなので午後からの出発にする。
 キャンプ予定地のRarawa Beachから先はファーノース名物の長距離サーフが続き、上陸できそうな場所が限られているのでその手前にあるRarawa Beachで様子を見るのが一番いいと考えていたからだ。
 日差しが強いので海図やテント、服などを全部だして干す。
 ほのかなそよ風が吹いてきて気持ちいい。ほどほどの日差しの中、ナショナルジオグラフィックなどを読んで過ごす。ニュージーランドにはどういう訳か何処に行ってもこの雑誌が置いてある。かなり知的レベルが高く、良い趣味だと思う。週刊●○とか、漫画ゴ○クとか、エロ雑誌まがいの週刊誌ばかり転がっている日本とは品格の違いさえ感じてしまう。まぁ、エロ雑誌はあったでそれはそれでこしたことはないんだけど…(笑)。 
「シーカヤックで来たのはあんたが初めてじゃない!?」
 マオリの姉さんは最後まで愛想よく僕を送ってくれた。シーズンオフに訪れた変な日本人が面白かったのだろう。なかなかいいホリデーパークだった。
 
 12時30分出発。潮が満ち潮時だったので入江から出るのがやたら大変だった。昨日釣りをした場所を素通りし、その先にあるKowai Beachという縁起の悪い浜の沖を通過する。この浜の沖には何か知らないが養殖筏のようなものが浮いており、船が一隻やって来て操業していた。マッスルだろうか?なんの養殖なのかが気になるところだったが、思いのほか風が強くて近づくのがはばかれたので先を急いだ。
 西風が強い。この日は沖にあるSimmonds Islandという島に巨大な潮吹き穴があるというので見に行くつもりだったが、島に渡ってしまうと戻る時えらい大変だと考えてやめた。先にあるHenderson Bayも横断せずにいったんシャローに入って内回りで漕いで行くことにして端にある岬を目指した。たった15kmほどのパドリングだと油断していたが、意外に苦戦している自分に笑えた。
 岬の先端の手前でかなり大規模にブレイクしている場所があり、そこを沖に避けて岩礁帯を漕ぎ進む。しばらく黙々と漕いでいると今日の目的地、Rarawa Beachの手前にあるPaxton Ptらしきものを確認したが、どうも確証が持てない。これといったランドマークがなく、海図の通りに来ているのか疑問だ。これかな?と思える白い帯があるのだが手前に見えるサーフゾーンは海図にはない大きな浜で、ここがRarawa Beachと考えると自然だ。大きさからするとここに間違いないので南の端にある河口目指してサーフを抜けると、やっぱりあった。すごくきれいだ。砂がとにかく白い。そこから川を昇るとお目当てのRarawa BeachのDOCキャンプサイトがあったので正直、ホッとする。時刻は16時前になっていた。
 キャンプ場に泊まるつもりではいたのだが、何せ海から遠い。今は満潮だからスムーズに入れたが、明日は早朝の干潮時にはここを発ちたい。そうなると海辺にテントを張ってしまった方が都合が良かった。今考えればオフシーズンなんだし、それでよかったと思うのだが、川辺の森の中にテントを張るのも悪くはなかった。
 で、結局キャンプ場の敷地内で、川のすぐそばにテントを張ることにした。 Rarawa Beachはファーノースを南北に延びる国道から少し外れた道を行くと来ることができるキャンプ場のある砂浜だが、車で旅をしていた時にはこんなにもきれいな場所だとは思わなかった。
 Karikari Beachもきれいだったが、ここのはさらに際立っている。片栗粉のようにキメの細かい白砂は歩くと「キュッキュッ」と鳴き、サラサラと肌に触れる感触は心地いい。何よりその白い砂に夕闇せまる中写る月明かりの紫が、何とも美しかった。
 海岸に出て写真を撮っていると、なにやら男女がいい歳にもかかわらず、凧あげなどしている。面白がって観察していると、どうもそれが釣りをしようとしていることがわかった。Karikariでもラジコンではえ縄釣りをやっていたオヤジがいたが、この人達はオフショアの風を利用して凧を沖に飛ばし、はえ縄を沖に流しているようなのだ。これにはさすがに感心し、さらに観察を続けていると、凧を上げている兄ちゃんがこっちを向いて手招きしている。指を自分に向けて「俺か?」とジェスチャーすると「カマーン!」と笑顔で叫ばれた。
「俺はクリスだ、よろしく。こっちはクリスティーナ」
 ダイハードのブルース・ウィルスを連想させるクリスはニュージーランドのカントリーボーイといった感じのワイルド兄さんだ。握手をすると方脇で焚火の準備をしている女の人も紹介してくれた。
 でかいジープが泊まっていて、そこには犬が一匹繋がれている。クリスティーナにも挨拶し、犬にも挨拶しようと手を出すと、妙な殺気を感じた。 
「ガプッ!!」
 僕の手をめがけて噛みついてきた…!あぶねぇなぁ。反射的に手をひっこめたから助かったが、久々に誰にでも愛想のいい犬以外の猟犬に出会った。よく見ると掌に若干血豆が出来ていた。
 クリスは話をしながら作業を進めていたが、仕掛けを付ける為にいったん凧を下ろすと、今度は今まで吹いていたオフショアが止んでしまい、凧がなかなか上がらなくなってしまった。俺と二人でなんとか上げようとするが、走り回っても振り回しても、いっこうに凧は揚がらない。 
「ファーックッ!!!」
 終いにクリスが切れだした。ヤバイ人と知り合っちゃったな~と思っているとクリスティーナが諭すように落ち着かせ、とりあえず風が吹くのを待つことになった。
 焚火を盛大に燃やし、その脇で彼らが作ったというハプカ(日本で言うイシナギ?だと思う。物の本にはアラと訳されているが、個人的にはイシナギの方が近いと思う)のWing(かまの部分)のスモークをごちそうになったり、マッスルの酢漬けなどをいただく。ハプカがハンパなく美味い。 
「ファイヤーは好きか?そうだよな、好きだよな。これやんなきゃキャンプじゃねえよな~」
 日本でも焚火が禁止になっているところは多いが、NZはそれ以上に焚火がうるさい。だが、ファーノースや南島のウエストコーストなどでは浜で焚火をやりながら酒を飲む人が多いように思えた。彼らもDOCのキャンプサイトが側にあるにもかかわらず、浜で焚火をし、ここでマットと毛布を引いて寝てしまうといった。
 彼らはMangonuiの近くに住んでいるのだが、クリスティーナがもうすぐフィジーに働きに出るので、それを追ってクリスもNZを出るのだという。だから最後にNZの海遊びを謳歌しているのだそうだ。クリスが巻きタバコの様なものを巻きはじめ、それを吸いながらビールを勧めた。ありがたく頂く。
 しばらくするともう一台ワゴン車がやってきた。南島のエイベルタスマンがあるマラハイに住んでいるというドレッドのお兄さんで、現在休職中で北島をラウンドしているそうだ。クリスからタバコみたいなものを受け取って深く吸いこんだ。さらにその後はオーストラリアから来た旅人姉さんもやって来て、宴もたけなわとなってきた。 
「カヤックを漕ぎながらこの国を旅してるのかー!そりゃ最高だな!!」
 ドレッド兄さんはややラリっているとはいえなかなか嬉しことを言ってくれる。妙に「クレバー、クレバー」と、連呼していた。
 夜が更けてきて風が出てきたのでクリスが凧を揚げた。凧の下に長く伸びた糸があり、その先に砂の入った錘が垂れていて、そこからはえ縄の仕掛けがぶら下がっている。ハリに事前に投網で獲ったというボラをブツ切りにしたものを付けてから順番に仕掛けを流し、凧をオフショアの風に乗せて沖に出す。オフショアが吹いていなければ出来ない漁法だが、なかなか面白いやり方だ。日本でもやってみたい。

 その後、10時まで待ち、その間にやんや、やんやとバカな話をする。
 2時間ほど経って上げてみることに。あまりにも重いので、クリスがドラム型のリールを渾身の力で巻き、僕らは直接道糸を綱引きのように引っ張って手繰り寄せていく。順番に釣りバリが上がってくるが魚はかかっていない。まだかまだかと仕掛けを引っ張っていると、いよいよ魚の感触が伝わってきたではないか…!波打ち際にライトを照らすとそこには馬鹿でかいスナッパーが引きずられていた。 
「Ohoou…!!Monsterrrrr…!!」
 ラリっているクリスがテンション高めで雄叫びを上げ、魚を回収していく。
 仕掛けを巻き終えると、4匹のスナッパーがかかっていた。そのうちの一匹は80cm、7kg近くはありそうな大物。砂にまみれたまま、皆で魚を掴んで記念写真を撮った。自分の獲物ではないが、ちょっとこの大型スナッパーに出会えたのは嬉しかった。 
「ヨシ、ソイソース持ってこい!日本人なら持ってんだろが!!」
 クリスはそう叫ぶと、刺身というにはあまりにも乱暴なやり方で魚をさばいていく。僕が醤油を持ってくる頃には「これは刺身か??」と言いたくなる鯛の「切り身の山盛り」が出来ていた。ビールの缶をぶった切り、醤油を入れてタプタプに切り身を浸し、べろりと食べる。仮にも日本料理を作る仕事をしていた日本人としては、これを刺身というにはちょっと考えさせられるものがあったが、漁師料理と思えば潮の風味満点で美味かった。結局この切り身にはレモンが絞られ、最終的にはホイルに包まれて焼かれて「うま~」と、完食した。
 11時頃、オージー姉さんが車に戻り、クリスティーナが寝に入ったので僕もテントに戻った。
 明日は山場の「ノースケープ越え」だったので早く寝たかったのだが、これはこれで旅の醍醐味としては面白かった。やれやれと思いつつも、にこやかにシュラフにくるまり就寝した。

漕行距離:18㎞
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5月5日 Rarawa Beach → (Via North Cape) → Tom Bowing Bay

 6時起床。朝から気合が入る。
 この日はこの遠征の最大の山場、North Capeを越えてニュージーランド北島最北端、Surville Cliffsを通過し、Spirits Bayまで行く予定であった。この難所さえ漕ぎきってしまえば、これまで北上してきた旅も王手手前まで行き、最悪車をヒッチハイクして帰ることもできる。
 岸沿いに漕いでTapotupotu Bayまで行くことになればCape Reingaに着いたも同じだと思っていたのだ。
 距離も長い。ファーノースの長くてダイナミックなサーフ沖を漕ぎ、難所の岬を回り込んで目的のキャンプ場までは50km近くあった。何としても漕ぎきりたい。
 荷物をある程度持って砂浜まで歩いて行き、いったん戻ってカヤックに乗り、浜まで漕いで行く。途中浅いところは持ち上げて歩いた。そうしてからパッキングをし直すと、時刻は8時を過ぎた頃になってしまっていた。それにしても朝焼けが素晴らしい。時間を気にしているにも関わらず、昇る瞬間には思わず見惚れてしまった。
 ちょうどクリス達が目を瞬かせながら起きるところだった。別れのあいさつをし、ドレッド兄さんに見送られながら8時25分、浜をあとにした。
 
 風は真西から吹き出してくるオフショアで、けっこう強いのだがうねりはほとんどなし。この海域にしてはかなりコンディションは良い方だろう。最初の目的地、Kokotaはまだ見ることもできないほど遠いが、とにかく漕ぐしかない。サーフのすぐ脇を漕ぎ進んでゆく。
 時々雨雲が西からやって来て、雨を降らしていく。Mangawai Headの時と同じパターンだ。面倒くさくはあるが、その雨によって虹が二重に出来るのはなかなかきれいだ。
 この旅ではずいぶんと虹を見たものである。虹の根元など、まったく珍しいものではなかった。
 同じような風景がひたすら続く。平べったい砂丘の様な地形が延々と続き、そのパドリングはこれまでの旅の事を思い出しながら漕ぐには十分なほど殺風景だった。
 ぼんやり漕いでいると、突然正面に何かが飛び出して放物線を描いてまた消えた。イルカだ。この旅で初めてカヤックの上からイルカを見た。全速力で漕いで口笛を吹き、自分をアピールして遊ぼうと誘ったのだけど、それっきり彼らは姿を現さなかった…。
 12時過ぎ、最初のランドマーク、Kokotaに到着した。ここは潮の流れと風によって砂が吹きだまり、広大な砂丘を生み出している場所で、白い砂がニュージーランドのものとは思えない光景を作っている。この脇にParengarenga Harbourという馬鹿でかい入江があり、いざとなればその中に入ってビバークできる場所まで行けるのだが、中に入ってからも長く広く、浅いうえに潮が速いので時間をとられる。今回は素通りしていくことに決めていた。
 入江の入口にはKoteoneporo Spitという浅瀬というか、砂州があり、ここが潮が速くて荒れやすく難所とされていたが今回は満潮時で西の風だった為に波が起きなかったのか、確認しないまま通り越していた。ある意味、ラッキーだ。
 ここを過ぎると長い砂浜が終り、まっ平らだった地形は山が張り出してきて地形が複雑になってくる。風に流されながら昼食に作って置いたジャムだけを挟んだサンドイッチを船上で食べる。ペース的には申し分ない。風も西風から南西の風になって追い風気味になり、順調な漕ぎっぷりに目標通りゴールできると確信していた。
 追い風に乗って波はけっこううねっていたものの、これまでのパドリングで多少荒れた海には慣れていたようだ。
 あれよあれよと漕いで14時10分、ニュージーランドの北に突きだしたファーノースの右端の岬、North Capeに到着した。この岬には先端に小高い島があり、その島に灯台が置かれている。その岬と島の間は遠浅の瀬になっており、干潮時には歩いて渡ることができ、満潮時にはその間をカヤックで漕ぎ抜けることができた。僕はちょうど潮が微妙な時で、とりあえず間に入って漕いで行くと岬の反対側に上陸して休憩することにした。
 ロックガーデンに囲まれて先端の砂州は穏やかなものだ。そこにカヤックを乗り上げて、岬の反対側を歩いて偵察にいってみる。案の定、岩山を登って反対側に出てみると、西風は向かい風になる。はるか沖に沖合漁業の灰色の船が浮かんでいるのが見えた。 
「最後の山場だな…」
 向かい風はかなり強かったが、漕げないレベルではない。スピードは落ちるだろうが、ジリジリと進もうと小便を済ませるとすぐにカヤックに飛び乗った。
 ロックガーデンを越える為にうねりのタイミングを計り、時期を見計らう。今思えば、こんなことをせずに後ろに戻って島を遠回りしていけばよかったと思う。島を回り込む時の向かい風が面倒くさいと思ってしまったのだ。
 ものすごい勢いでぶつかってくる波で磯場がサラシにのみ込まれた後、引き波に乗って外洋に出ようとカヤックを思いっきり漕ぎだした。が、予想以上に潮が引くのが早い…! 
「あっ!!」
 やばいと思った時にはもう遅かった。カヤックはすでに潮の流れに乗って岩と岩の間を滑るように外洋に向かっている。そして船底に岩が見えたと同時にものすごい音と振動がした。 
「バリバリ、ドカッ!!」
 明らかにハルが破けた。こんな時になにやってんだと自分を罵りながらも、危険なこの状況から脱すべく先を急ぐ。向かい風の中沖に舟を進めていると、次第にシーソックスがチャポチャポとなりはじめ、カヤック内に水が侵入してくるのがすぐにわかった。 
「上陸している暇はない…。スポンソンの空気を頼りにこのまま前進しようか…」
 そう考えたものの、あまりの水の侵入の早さに尋常じゃないと思った僕は、ふと周りを見渡すとゴロタ浜が見えた。とりあえずあそこに緊急上陸し、応急処置を施すしかない。
 海から見る分には普通のゴロタ浜だったが、上陸してみるとすごい傾斜だ。半ば激突するように浜に打ち上げられると急いでカヤックから這い出て潮上帯に引っ張り上げる。満水のカヤック、足場の悪いゴロタ浜、波に乗った時を見計らいカヤックをずり上げるが、あまりの重さとテンパリ具合に、ギックリ腰になってしまった…! 
「これは…ヤバイ…」
 なんとか動けたので波に対して真横を向いたカヤックをバウを引っ張り、次にスターンを引っ張り…といった順番でずりずり浜に上げ、ある程度大丈夫なところまで行ったら荷物を放り出して軽くし、その後カヤックを潮上帯まで引っ張り上げた。やれやれだ…。おまけに雨まで降って来てこれでは接着剤が使えないのでブルーシートでカヤックを包み込み、乾いたタオルで船底をふきあげていった。
 とにかく時間との勝負だった。ハルを見ると3か所に大きな破損個所が見られ、あとは細かい切り傷が無数にあった。中でも一か所はキールのフレームとリブに押しつけられて直角に裂ける形に破けていて、ダクトテープではもたないだろうと思い、アクアシールを出してありったけ硬化剤を入れて練りあげると当て布をして接着し、その上からダクトテープでがんじがらめにした。もう、ハルの凹凸によって水の摩擦による速度の減少など、どうでもいい。漕げればいい。
 手慣れたもので、案外サクサクっと対処でき、一通り作業が終了すると周りの景色などを見る余裕なども生まれて、今いる自分の現状に笑えてきた…。 
「最後の最後で、やっちまったな~」
 そう思いつつも、落胆する暇はなく、やっちまったものはしょうがない。
 今日中にSpirits Bayに行くのは不可能だと思い、今日はSurville Cliffsを越えたところにあるビーチまでは何としても行ってビバークしようと考えた。今いるゴロタ浜もテントは張れそうだが地形的に危険であり、閉じ込められる恐れもあった。脱出するしかない。
 2時間ほど、クラッカーを食べながら海図を確認したり、これからの行程のシミュレーションをして過ごすと、そろそろ乾いたはずだとカヤックを波打ち際に置いてパッキングをし直した。
 16時、再出発。ところがここに来てうねりが高くなったのか、ダンパー気味に割れる波に苦戦し、なかなかエントリーできない。2回ほどカヤックごとひっくり返され、その拍子にサンダルを片方流してしまった…。
 普通にエントリーしても波のパワーが強すぎて無理なので、波がひいた瞬間にカヤックと共に泳ぎだし、サーフゾーンを越えたあたりで再乗艇、やれやれと先を急いだ。
 それにしても波の力の強いこと…。荷物満載のカヤックをまるで重さがないもののように軽々と転げ回し、波が来る直前に足元のゴロタごと吸い上げると恐ろしい勢いでぶち当たってくる。
 正直、波に殺されるかと思った。一回カヤックを放してしまい、ぷかぷかと沖に流されるカヤックを必死で泳いで捕まえた時は冷や汗ものだった。全身ズブ濡れでカヤックも浸水したが、船底からの侵入はなさそうである。
 
 もうそこからは必死だった。なんとしても日が落ちる前に陸の上にはいたい。もし仮に日が沈んでしまったとしてもこの日は満月だし、雲もない晴天だから月明かりを利用することはできるだろう。
 だがそんなことは最悪のケースだ。向かい風によって自分のペースがどれだけ落ちるかが不安だったが、もうここは漕ぎ進むしかないのだ。
 カヤッカーにとって一番怖いのはカヤッカーが漕ぐことが出来なくなった時だ。メンタルにしろ、フィジカルにしろ。
 この時の僕はまだまだ全然漕げた。それだけが根拠のある自信になった。
 夕日が正面からさす眩しい海上で、いつの間にか僕はニュージーランド北島最北端を通りすぎていた。ただ、ひたすら目の前に現れる岬を越え、その先に浜が見えることだけを期待して漕いだ。波は荒い。しかし、そんなことはどうでもよかった。
 目の前に上陸すべき浜が見えた時は、すでに夕日は水平線の下に隠れた後だった。目標は見えたものの、明るいうちに浜に到着するにはちょっと足りない時間に思える。案の定、辺りは急激に暗くなり、ほのかに月明かりが辺りを照らす程度になっていた。
 18時20分、このあたりに上陸しようと浜の前まで漕ぎ進んだ。湾の中に入り、波が穏やかになってくれたのは救いだ。夕凪も考えられる。そんな安心しきった中、浜に近寄るといきなりバウが前方に沈み込んだ…!
 ダンパーだったのだ!遠浅の海で手前で波が割れてくれればサーフ上陸のタイミングが掴めたものなのに、波打ち際でしか波が起きないから直前までわからなかったのだ。何で波の音でそれに気付かなかったのか今でも不思議だ…。
 そのままひっくり返って沈するかと思ったが、どういう訳か体をひねって波に対して平行に落ちたので、思いっきり右側に波を受ける形になった。反射的にハイブレースが出来てそのまま波に乗って浜に上陸、急いで降りてカヤックを引っ張り上げようとするが砂がフカフカ過ぎて脚をとられてしまう…!波の力も強く、何度もカヤックを転げ回されて砂まみれにされてしまった。
 ゴロタの時と同じくバウ側を引っ張り、スターン側を引っ張りと尺取り虫のようにカヤックを浜に揚げると、荷物を放り出してテントを張れそうな場所に運び込んだ。
 濡れた体に砂がこびりつき、不快度指数はかなりマックスだったが陸の上にいられるだけありがたい。濡れたテントを立てて、その脇にカヤックを持ち上げて運び、荷物をテントにぶち込んで乾いた温かい服に着替えると、やっと、生きた心地がした…。
 お湯を沸かし、温かいコーヒーを飲んだ。 
 
「今日はがんばったな…」
 舟の破損で時間を喰ってしまったが、とりあえず漕ぐべきところは漕ぐ事が出来たと安堵する。
 落ち着いてまわりを見渡すと、広い砂丘が背後に迫り、左右に広大な砂浜が広がっていた。音は波の音以外全くなく、そのビーチに月明かりが照らされて、淡い光がこの白い砂に反射し何とも明るい。まるで砂漠にいるみたいだ。夢中でカメラのシャッターを切った。
 ニュージーランドにもこんな場所があるのだなと、若干興奮気味だ。
 シーカヤックの楽しみはメディアにも取り上げられない、名も知れない場所に行くことが出来ることだ。僕がこの日偶然泊まることになった砂浜は道路からは遠く離れており、まさにカヤックでしかこれないような場所だ。
 そしてそこが、自分のイメージするその土地とかけ離れた景色だったりすると、もう何故か異常じみて僕は嬉しくなるのだ。
 夕食を食べた後、紅茶の中にアプリコットジャムを大量に入れて、その甘酸っぱいお茶を飲みながらこの空間にいることを楽しんだ。
 この日の夜は、今でも忘れがたい、満ちたりた時間だった。

漕行距離:43km
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5月6日 Tom Bowing Bay → Spirits Bay

 疲れていたのかいつもなら6時前後に起きるのだが、気付くと7時だった。
 昨日は暗くなってからここに来たので辺りがどうなっているのかイマイチわからないでいるのが気になった。
 明るくなり始めたところで後ろの砂の丘を歩いて頂上まで行ってみる。砂浜に生える細長い草が風に煽られてクルクル回るのか、その周りにサークル状の砂模様が出来ている。真っ白い巻貝の貝殻がたくさん落ちていて、よく見るとこのあたりに生息しているというカタツムリの殻だった。
 丘の上に昇ると、裏側は灌木林になっており、遠くに牧場が見えた。ちょうどCape Reingaを中心とする国立公園と私有地の間で、テントを張ることに抵抗があったのだが大丈夫なようだ。地平線から朝日が昇るとテントに戻り、出発の準備を始めた。
 サンダルを無くして片側だけ裸足だった。日本だったら海浜ゴミがたくさんうちあがっているのでサンダルの一つくらい簡単に見つかる。ニュージーランドは南極からの海流のせいか、ゴミはほとんどない。しかしこの時は偶然にもスリッパが落ちていて、運よく無くした方の、それもサイズもまぁ大丈夫と言えるものだったのでありがたく頂戴した。どれだけ貧乏なんだ?
 第一、遠征時にサンダル何かでカヤック漕いでる方がまずいのだろう…。
 ある程度準備が完了し、カヤックを出艇させるだけとなった。
 さて、このダンパービーチをどうやって脱出しようか?
 砂浜は通常、弧を描く真中に波の力が集まる為に大きな波が出来る。だから端の方に行けば波は弱くなるはずだが、浜の先まで荷物を持っていくのはかなり時間をとられそうだ。カヤックの教書などには波打ち際でカヤックに乗り込み、スプレースカートをはめたらパドルと手でずりずりと前に出て、やってきた波と一緒に沖に出る…という流れだが、これも出来そうもない。カヤックが重すぎるうえに波の力が強すぎてすぐにカヤックの向きが変えられてしまう。すると横から波をかぶって…。
 スプレースカートをせずに波の弱い時を見計らって一気に突っ切る方法をとるにしても、なかなか波の弱まるタイミングがない。こんな波は初めてだった。
 2回、3回とエントリーに失敗して波間でカヤックごとひっくり返りながらチャンスをうかがうが、5回目くらいでさすがに「大丈夫か~?出られるのかここから??」と、気持ちが揺らいで来た。
 また失敗してスープ帯でカヤックを捕まえて周りを見渡すと、スーっと、カヤックが沖に流れるように引っ張られる。必死になって抑えるが、この時逆にこのまま沖に出てしまおうとカヤックにつかまって泳いで沖に出た。横で波が崩れるのを確認してから再乗艇し、ガムシャラにパドリングをしてなんとかサーフゾーンを抜ける…。
 何とか成功した。紛失した物もなし。コクピット内の水を排水し、漕ぐことに気持ちを切り替えて前進する。それにしてもこの時は本当によく脱出できたな~ラッキーだったな~と、今でも思う。グループなら問題ないエントリーも、ソロだとたいへんだ。つくづくこの時は思った。
 しばらくは風裏にいたためか、うねりはあるものの風をあまり感じることなくパドリングをすることが出来た。だが、ほどなくして湾から出ると猛烈な西風が向かい風になって襲ってくるようになった。これまでのこの遠征で、追い風や横風を進むことはしょっちゅうあったが、ここまでモロに向かい風の中を延々と漕ぐのはここに来て初めてだったかもしれない。
 波も北西の方向からやってくるような感じで、時たま波頭が崩れて白波をかぶることも多くなってきた。できるだけ沖に出ないよう、岸側を漕ぎたいが反射波で近すぎても複雑な波に翻弄される。
 波をずっと見ていると、ちょうど良い互いの波が相殺されるラインが浮かんできてそこを漕いで行くことになる。ともかく、通常のカヤックを漕ぐ海況ではなかった。
 それでもジワリジワリとではあったがカヤックは進んでいた。
 昔、八重山諸島を一周しようとした時に寄った八幡さんの言葉が思い出される。 
「たとえ一時間漕いで1kmしか進まなくても、それを10時間漕ぎ続ければ10km進める」
 数字だけ出せばたかが知れた距離だ。でも実際のカヤッキングではその10km進んでおくか、留まるかでその後のルート選びに違いが出てくる。一日の行程を停滞して過ごすか、わずか10kmでも進んでおくか…。この例えは八幡さんらしい言葉だと思うし、自分の中でも好きな言葉だ。この時の僕はまさにそのわずかな距離を稼ぐことで必死だった。
 この風からすればまずまずのスピード。ひょっとしたら潮の流れはよかったのかもしれない。2時間も漕ぐとSpirits Bayの西側が見えてきた。油断しないようにジリジリとパドリングし、湾の東側に突き出た岬を回り込む。
 本来ならばSpirits Bayを横断してこのままゴール地のTapotupotu Bayまで行ってしまう予定であった。だがあまりにも海況が悪すぎる。障害物のなくなった吹きっさらしの湾中央部には恐ろしい風が吹いて波が立ち、その先漕いで行く自信が正直なかった。しかしSpirits Bayのキャンプ場は東の端の根元にあり、そこは風をモロに受ける為に上陸不能だと思っていた。しょうがねえから進むしかない…といった感じだ。
 しかし回り込んでみると海図にはない小さな島があって、それがうまい具合にうねりをさえぎっていて、沖から観察する限りではタイミングさえ見れば上陸できそうだった。一先ず上陸しようとバウをそちらに向けた。
 西からの追い波になってしまうのを恐れ、斜めに乗るようにしてジグザグに岸に近づいて行った。あの波はサーフィンできるレベルではない。
 近くまで来ると島は島ではなく、岬の先端だとわかった。今更戻ることもできないので、そのまま小さな湾になっている方のビーチに向かってタイミングを見計らいながら上陸を試みる。最後の最後に崩れた波が後ろからやって来て、ハイブレースをしながら浜に上陸した。干満差が大きく、干潟状になった砂浜をカヤックを引きづってできるだけ上に持っていく。ある程度行ったところで一息つけた。
 自分が上陸したところに巨大なチューブが巻いてサラシが広がっていた。よくもまぁ、こんなところに上陸で来たものだと呆れてしまう…。
 ここからTapotupotu Bayまではあとわずか13kmほどだ。この時まだ午前中。風がやむか、うねりが収まることを期待して午後にでも出発すればまだ今日中にゴールできるチャンスはある。すぐに出発できるようにカヤックは流れ込んでいる川に浮かべ、そこを漕いで上流にあるキャンプ場に向かった。
 Spirits BayにあるDOCキャンプ場Kapowairuaはかなり敷地が広く、居心地はよさそうな場所ではあった。だが、天候がイマイチ良くない為にキャンパーは僕を含めて3~4組といったところだ。だだっ広い敷地に風が吹き抜けると、何だかうすらさびしく感じる。
 じっとしているのも暇なので川の上流の行けるところまで漕いで行ってみる。上流からは民間の所有地になる為に牧場になっていた。北海道の川を漕いだことはないが、そんな感じだった。
 再び海に向かうと、風があり得ないくらい強くなっており、ビーチに打ち寄せる波は尋常じゃない迫力を醸し出していた。
 これは無理だ。ここに泊まることにする。
 この日が6日。10日の晩には集まってミーティングをしようと言っていたので最悪10日の日中、自分の中では9日にはPaihiaに着いていたかった。だから残り13km。
 Tapotupotu Bayのちょっと先にあるCape Reingaまでこの海況では行けないとはしても、その13kmはなんとしてもこなしたかった。チャンスは明日と、明後日(8日)までだと悟る。
 テントを張って移住空間を確保するとカメラを持って辺りをぶらついた。車は侵入禁止のはずなのだがピックアップにオフロードバイクを積んだ如何にもゴロツキ的な感じの男達が柵を乗り越えてやって来て、オフロードバイクでバックカントリーを走りだした。この砂漠的な砂丘の広がりを走るのはさぞかし気持ちよかろうが、エンジン音がやかましくて勘弁願いたかった。どこの国にも変なのはいるのね。
 夕方まで溜まっていたログブックを書いて、夕食にする。
 月が今夜も出てきてきれいだったが、時たま雨雲がやって来て雨を落としていくので8時にはテントの中に入り込んだ。

漕行距離:14km
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5月7日 停滞

 夜中にテントの前室からなにやら音がするので起きてみると、朝食用に取っておいたコッヘルの中身を目当てにハリネズミが侵入していた。このあたりには多いらしく、以前にTapotupotu Bayでキャンプしていた時もこいつがやって来ていた。傍から見ると可愛い動物だが、残飯荒らしの常習犯で、顔はよく見ると気持ち悪い。この時も睡眠を邪魔されて少しイラつきながら外に放り出した。乱暴に扱うと重い栗の実のようで痛い…!と、いうのも困った奴らだ。
 そんなわけでイマイチ良く眠れず、明け方の寒さにもやられて起きたら7時過ぎになっていた。
 海をまず見に行くと、それほど風も上がっていないのでさらに潮が引いて打ち寄せる波が穏やかになるだろう11時頃に出発することにした。しかしまぁ、先に言えばこの中途半端な判断が今回の遠征の失敗のもう一つに挙げられると思う…。
 時間に余裕ができたので昨日書けなかったぶんのログブックの続きを書き、荷物をまとめて海へと向かった。
 ところがだ。潮は引いていたが風が強くなっていた(今考えれば当たり前なのだが…)。波打ち際でチューブを巻く波に、正直怯む…。
 島だと思っていた岬の先端まで行き、沖を眺めてみる。バカみたいに荒れている訳ではないが、漕いで行くには微妙な海が広がっている。岬の先端はどういう訳か岩礁帯に波がぶち当たらず静かなものだ。ただしそこを越えたうねりはサーフゾーンで一気に波となって砂を洗っている。そのエネルギーはカヤックに乗った人間など簡単に吹き飛ばしてしまう様なものだ。
 風を受けながら考える。あとわずか13km…。
 なんとか無理やり出艇し、湾の内側を漕いで行って西の岩礁まで行けば多少は風が防げるかもしれない。そしてそのままジリジリ前進し、ゴールのTapotupotu Bayの入江に入る…。
 不可能ではない。理論上は。
 だがその無理やり行う出艇が、無事に出られるかが目の前の波を見ていると微妙だ。仮に行けたとしても、ゴールの入江の中は今日の感じでは車を取りに行った時のようなグシャグシャな海になっている…そう思うと二の足を踏む。
 悩む。相当悩む。
 困った時はやってから考えようと、日常生活では考えることにしている。でも、やってみてダメだったら、この状況では物が紛失する、カヤックが破損する、肉体が故障するなどのダメージが大きすぎると考えられる。
 引き返すにしても、このサーフではエキジットが只で済むとは思えないのだ。 
「遠征では頑張ってはダメだ」 
「海では判断3秒」
 先人達の声が頭に響く。
 僕は昔から無茶をする人間と、すぐに諦める人間とにわけるとしたら、後者の分類に入る人間だ。その癖に変なこだわりがあるから選択肢に幅がない。
 大好きな素潜りにしても、波酔いで気持ち悪くなればすぐに陸に上がるし、耳が抜けなければそれを理由にすぐに魚を獲るのを諦める。吐いてまで泳がないし、鼓膜を破ってまで潜れない。だからココ一番という所で力が出し切れない。
 過去の遠征にしても2004年の初めてのGlacier Bay。氷河まで無理やり行こうと思えば行けたかもしれない。
 2006年の八重山一周。女の子にうつつを抜かしたために、出発を早めれば天候が悪化する前に黒島経由で石垣まで行けたかもしれない。南風見崎で早々に遠征を諦めた。
 ニュージーランドに来てからのダウトフルサウンドだって…。
 基本的にヒヨッた人間だ。
 でも、この時は漕ぎたかった。何としてもゴールしたいと思った。
 3月から始めたこの北島遠征も、もう5月になっている。それまでにお世話になった友人、知人、出逢った人達。彼ら、彼女達の事を考えるとこんなつまらないところで旅を終わらせてしまうことに申し訳がないと思っていた。どうしても、「Cape Reingaまで、行ってきたよ!」と、報告したい。この旅自体が自己満足だったとしても、せめてこの旅の経過だけでも自信を持って話したかった。
 冒険家は自分の意志とは関係なく冒険することを求められた時、事故を起こすという。そんなことは僕には無縁の話だなと思っていた。もとより冒険をしているつもりはなかったし、そこまでの責任を自分の遊びの為に賭けることは僕自身も周りにもないと思っているからだ。
 だがこの時は違った。自分の「やりたい…ッ!!」という気持ちが高まり、その気持ちをコントロールすることがこれほどまでに辛いものなのかと改めて感じることが出来た。ここにきてやっと通常の遠征をする人間の考え方になったのかもしれない。
 結局、出発は諦める。
 もう少しだから行こうと頑張って、そこで遭難してしまったら意味がない。ここ、Spirits Bayは昨日のビーチと違って車でも来られる場所だから、カヤックと一緒に帰ることも可能なのだ。帰れない場所ではない。それに可能性は低いだろうが明日もあるのだ。
 カヤックを海岸の近くにある藪の中に隠し、再びキャンプ道具だけを持ってキャンプ場にテントを張った。 
 
「本当、停滞だらけだな…」
 この旅の後半はほとんど停滞で終わっている。その決断が正しいのか、正しくないのかはこれを書いている今でもわからない。
 ひょっとしたら漕ぎだしてみれば漕げていたかもしれない。その時の自分の怠けた心に負けているだけなのではなかったのか…?「漕げる海」ではなく、「快適に漕げる海」ばかり選んでいたのではないか?そう思う事も強い。その度に、言い訳がましい理由を考えて、納得させてきた。
 それは本当にヤバかったかもしれないが、ヤバくなかった現状では想像の域だ。妄想だけが膨らんでいく。
 ただ、その反面、漕ぎきったことに満足するカヤッキングもなかったわけではない。自分に残っている課題をクリアーするカヤッキングをこなした後にはたまらない充実感がある。
 でもそれが今回は決断後に検める機会よりも少ない。
 それだけこの海が厳しい海だったのだろうか…と思う。ニュージーランドの強い風の中、これだけ漕いでこられれば上等ではないかと言えるのかどうか…。僕にはまだはっきりとした答えがない。
 そう思うと、もっと漕ぎたい、もっといろんな状況下での海を知りたい…!と、思ってしまうのだ。経験が足りなすぎる。自分の中で状況判断をくだす判断材料が足りなすぎるのだ。
  遠征では無理をしてはいけないと思っている。
 でも無理をしなければ進めない状況も多い。だから冒険なのかもしれないが、だとしたら冒険はただの博打ではないのか?そう考えるとやはり僕には冒険をやる資格すらないのだと思う。
 
 夜、風がやんで月が非常に明るく浜を照らしている。
 ビーチに出てその月を見ていたら、前方の岬に灯台の明かりが見えた。 
「ケープレインガの灯台か…」
 灯台の明かりが見える距離にいる…。その事実がまたもやこんなところで燻ぶっている自分の醜態をさらしているようで悔しい。モヤモヤとした焦燥感が胸の中でかき混ざっている。
 海は日中に比べれば凪いでいる。この月明かりを利用して夜間漕行を試みようかと閃いた。だが、すぐにそれを制止する自分もいた。面倒くさいという理由もあったが、港への上陸ならともかく、暗礁の多いTapotupotu Bayに夜間に侵入するのは危険すぎる。それこそ何かあった時に自分一人では対処できないのではないかと不安がよぎったのだ。
 月明かりが悩ましかったが、熱い紅茶を二杯飲み、テントの中に入った。
 夜半、風の強い唸り声が響いてテントを揺らす様になった。それを感じ、僕は明日の出発がほぼ絶望的になったと悟った。

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5月8日 遠征終了

 6時に起きるが時折雨が降ったり、やんだりで安定しない天気だ。
 日が昇った7時に海を見に行こうとすると、西風がメチャクチャ強い。ある程度の覚悟を決めて海に行くと、案の定というか、絶望的というか、それまでに見たことがないほどに荒れた海が目の前に広がっていた。クリームソーダのように青白く泡立ったサーフ。沖の海に飛ぶウサギたち。帽子をふっ飛ばしかねないほど吹いてくる向かい風…。バチバチと体に砂が当たる。空にはインディペンデンスデイの様に黒い雲が押し寄せてくるのが見えた。
 遠征は終わった。
 カヤックを持ち上げて運び、テントの前まで持っていく。
 さて、ここからはカヤックの遠征ではなく、どうやってPaihiaまで戻るかが重要になってくる。キャンプ場には前日にやってきたカップルのキャンパーが一組だけで、昨日話した感じでは今日には帰るということだった。彼らの所まで行ってヒッチハイクできるか交渉してみることに。
 彼らはデンマーク人のカップルで、何故か2匹の犬と一緒にいた。犬はここで拾ったらしい。ニュージーランドは捨て犬が多いのだろうか?ともかく彼らに事情を説明すると、しばらく二人で話をしてからこうもち掛けられた。なんでもこの2匹の犬をここのレンジャーに託そうと思っているから、レンジャーが来たら彼らに国道まででも送ってもらえばいいのでは?というものだった。彼らのキャンパーバンは確かに小さく、僕と僕の大量の荷物を乗せてもらうのは忍びなかった。了解し、レンジャーが来るまで待つことにした。
 3月の半ばにMt.manganuiを出発してから2カ月近くずっと組みっぱなしにいしていた愛艇フェザークラフトK-1。いよいよ解体する時が来たかと、ちょっと感慨深く舟を見つめた。
 バウの先端カバーが外れ、ハルはズタボロに穴があいてダクトテープで継接ぎだらけになり、ラダーは根元からもげた。骨組みのフレームも軋んでバウ側の留め具も外れていた。よくぞこんな手荒な扱いにも耐えてくれた、本当に良い舟だなと心から思う。その船体の痛みが、我が身の怪我のように痛々しい。浮気してこっちでリジットカヤックなど買わないでよかったと思う。この舟で旅が出来ることが、やはり僕にとって一つのアイディンティティーなのかもしれない。そう思いながら一つ一つのパーツを剥がしていく。
 塩はそれほど浮いておらず、ジョイント部分は潤滑油とグリスを塗りたくったのが功をそうしたようだった。
 雨が降って来ていったんテントの中に入って雨宿り。テントの中にあるものをパッキングしていく。
 しばらく、テントの中で放心していたのだが一向に雨はやむ気配がないので濡れてしまうがそのままカヤックをばらしてパッキングしてしまった。ブルーシートを被せてそのまま置いておいた。
 テントの中にはキャンプ道具をパッキングした荷物だけを置き、あとはカヤックと共にブルーシートの下にまとめて置いた。これであとテントさえたためばすぐに撤収できる。そのまま待つことにしたのだが、どうしても寒い…!あんまりやりたくはないのだがテントの中でMSRを灯して温まる。せっかくだからとお湯を沸かしてコーヒーでも淹れようとしていると、デンマーク人のカップルがやってきた。今からキャンプ場を出るから、やっぱり乗せてくれるというのだ。 
「スペシャル サンキューだよ!!」
 レンジャーが来るかどうかわからないので犬はもう彼らに任せて出発することにしたのだけど、僕一人残ってしまうし、誰も来る気配がないし、心配だから…と、いう訳だ。もうこれには彼らの優しさに感無量であった。実際彼らに助けられなかったら僕はしばらくここで燻ぶっていたか、自力で歩いて国道まで行く羽目になっただろう…。
 国道までと最初は言っていたが、この雨ではヒッチハイクもキツイのでゴリ押しでKaitaiaまで連れて行ってもらうことにした。よかった、そこまで行ければバスで帰れる…。30分でしたくするから!と叫び、慌てて作っていたコーヒーもほっぽリ投げ、テントを撤収する。
 なんとか彼らの協力のもと荷物を放り込むと、意外に入るもので彼らも驚いていた。荷物を抱えるように車に乗せてもらい、その後は安堵とちょっとした興奮で彼らと談笑しながらファーノースを後にした。
 1時間半ほど車に揺られていると、Kaitaiaの街に近づいてきた。i‐サイトの前で降ろしてもらうと、感謝を言って彼らと別れた。
 彼らはこれからウエストコーストをまわってオークランドに行くようだ。どこか面白いところはあるかと聞かれたが、この雨では何処に行っても…と考え込むと、笑っていた。
 雨の降る街で、車のテールランプを見ながらその騒音に街に帰ってきたことを実感した。i-サイトで宿と明日のバスを予約し、宿に行ってチェックイン。街をぶらつきジャンクフードを食べ、スーパーで買い物をした。
 食べ物に溢れるスーパー、屋根のある風の吹きこまない部屋、温かいシャワー、夜でも物が書ける明かりとテーブル。全てが嬉しい。夜のバックパッカーでログブックを書いていると雨が猛烈な勢いで屋根を叩く音が聞こえてきた。帰ってこれてよかった~と、本当に安心する。
 明日にはPaihiaに着き、マークとのツアーに出る。オークランドで知り合った友人も二人やってくるし、とりあえずしばらくは現状を忘れ、マークのやり方、ツアーの方法を学びながら、楽しもうと思った。
 
 僕のニュージーランド遠征は終わった。

 遠くで雷鳴がする。この遠征が終わった瞬間だけは、自分が街にいることに安堵できるのだった。

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