ベイオブアイランズ
ニュージーランドのマリンレジャーのメッカと言えば色々あるが、湾の中に多数の島々が点在するノースランドのベイオブアイランズがまず選ばれるであろう。シーカヤックと同じく素潜り、特に魚突きが好きな僕にとってこの地はニュージーランドに来て一番楽しみにしていた地域でもある。
この地で20年間シーカヤックツアーのガイドをしているマーク・ハトソン氏を知人から紹介されていたこともあり、この人と出会うのも緊張と共に楽しみであった。
しかしそんな期待の中、ここに来て今回の遠征最大の困難が待ち構えているとは、当初はもちろん思いもしないことだった。
4月13日 Whangamumu Harbour → Urupukapuka Island
朝6時に起きるが、寒いので再びシュラフの中に入ってまどろみ、30分にやっとテントから這い出る。
焚火の熾きが残っていたので湿気た薪を乾かしながら火をつけ、コッヘルを直においてお湯を沸かした。ストーブでは昨日の潮汁にご飯を入れて鯛雑炊を作る。これが絶妙に美味いっ!朝から良いもの食べた気分だ。
犬はテントの脇でまだ寝ていた。僕が声をかけると眼だけ開けて様子を見て、あくびをするとゆっくりと立ち上がって伸びをした。すると散歩にでも出かけたのか、しばらく姿を消した。
朝食を食べ終わり、コーヒーを飲みながらパッキングをするといつも通り便意が襲う。その時をねらってトイレットペーパーを持って海岸を歩き、人の目のさらされない場所で用をたす。
浜を歩きはじめると彼女が帰って来て、僕の前に出ると先導するように前を歩き、時々こっちに振り返る。特に餌付をしたわけでもないのに妙に絡んでくるこの犬が妙にかわいい。憂い奴だ。ポフトゥカワの張り出した枝の下を通り抜け、海岸を歩いて行く。実家で飼っている犬の事を思い出して少し寂しくもなる。
「こいつ、日本に持って帰って飼っても良いなぁ…」
そう思ってしまうくらい、僕は彼女が気にいってしまっていた。
テントの場所まで戻ると、昨日僕の流木を奪っていったキャンパーの彼女がやって来て犬を「コリン!」と呼んだ。彼女達の犬なのかと聞くと、やはり彼女達の犬でもなさそうだ。彼らはキャンプをしに来ただけのkiwiで、珍しく車で旅をしているのではなく歩いてまわっているのだという。彼氏は上半身裸で筋骨隆々の大男だったが、顔はジャニーズ系の甘い顔でイケ面だった。コリンは彼らと遊びだし、僕はカヤックにパッキングをし、彼らに挨拶してからビーチを去った。コリンはこっちを見てはくれなかった。
ちょっとした片思いだったね。
自分の旅に意識を戻す。何せ今日はこれからこの旅の一大イベントの一つ、Cape Brettを越えるのだ。この岬の先端には島があり、この島には大型船も通過できるほどの大きなトンネルがあってHall in the Rockと呼ばれている。ここをくぐるのが観光船ツアーの目玉になっているのだが、ここももちろんカヤックで通ってしまおうと企んでいた。
昨日会ったコテコテカヤック釣師が今日は西風が10ノットと言っていたのだが、実際には南東の微風である。後ろから押されながらどんどん岬の先端を目指す。行けばいくほど見えている岸壁は高くなり、迫力も増してくる…!海のうねりも大きくなってきて、外洋に突き出た大きな岬周りを漕いでいるという実感がわいてきた。水の色も濃い群青色をしており、それまでの沿岸域とは異なった趣だ。
途中にある小さな岬に横穴があり、そこをうねりがぶつかるタイミングを見計らいながら通過する。地形がダイナミックだけに遠くからは普通に見えたものが近づくにつれて迫力を増し、実際に通過するときはものすごい威圧感だ。しかし通り抜けてしまうと何とも爽快な気分になる。思わず「ウォーっ!!」と、らしからぬ奇声を発してしまった。そのくらい、面白い。
そのトンネルを越えると断崖絶壁の急峻な岬がすぐ目の前に迫り、その奥に灯台が見えた。Cape Brettだ。その手前にはカーワイがナブラを立てて、ボイルしている音が炸裂している…。釣師としての自分とカヤッカーとしての自分が両方興奮しているのがわかる。
正面にHall in the Rockのある島、Piercy Islandが見えた。島の周りにはたくさんのプレジャーボートが浮かび、釣りに興じている。陽光が逆光気味に海を照らし、その中で大量の海鳥達が飛び回っているのがきらめく。
ベタ凪ぎ、そよ風、潮止まりのベストコンディションで先端に来ることができた。
「すげぇ…、すげぇところに来ちまった…!!」
ものすごい鳥山が島の周りを取り巻き、その下には魚がうごめいて頭やヒレを出し波立っている。魚が沸くというのは正直表現として適切ではないと思っていたが、目の前の光景はまさに魚が沸いているようだった。カヤックからは魚の帯が見えて、その中にデジカメを動画にして突っ込んでみると、海底はトレバリーがすごいことになっていた…。周りの釣り師はこの魚を狙わず、その下に徘徊する超大物を狙っているのだろう。竿がめちゃくちゃゴツイ。ちなみにトレバリーも40㎝位は十分あるサイズだ。
島自体も断崖絶壁の海に直立したようなすごい岩山である。
ぐるっと回り込んでHall in the Rockを通り抜ける。多少潮が速くて苦労したが凪ぎなので問題なく漕げてそのまま島を離れ、Cape Brettの向こう側に向かって漕ぎだした。ポール・カフィンはこの穴を通り抜ける時、反対側から客船が突っ込んで来て死にそうになったと書いていたので恐る恐る行ったのだが、実際ひっきりなしに観光船がやってくるのでタイミングがあってよかった。
Cape Brettの先端部分はわずかに水路で分断されているので島になっており、この水路を通り抜けて遊んだ後、小さい桟橋があったのでここから上陸し、灯台を目指すことにした。半分崩壊している桟橋にカヤックをもやい、直登気味に急な斜面を登っていくと30分ほどでlight house(灯台)にたどり着いた。
ここがまさに絶景!急な上りに息も絶え絶えだったが、これから向かうベイオブアイランズの島々が西側に見え、東側には今まで漕いで来た海が見える。天気も最高で、本当に良いコンディションでベイオブアイランズに入ることができたことに感謝する。正面に先ほど通ったPiercy Islandが見え、沖にはっきりと潮目が見えた。
泊めてあるカヤックが心配なので一時間ほどで戻る。途中、灯台小屋を改造したハットがあり、白いペンキに塗られたきれいな山小屋の中に入って休憩する。このあたりの海図が張ってあり、それを見ながらこれからの予定を再確認した。
カヤックに再び乗ると今度は南下。ただ、来る時は山登りでいう「登り」の気持ちなのだが、南下は「下り」といった気分なのでイマイチ気持ちが載らない。潮の影響もあったのかもしれないが妙に疲れるパドリングで、途中にあるDeep water coveに入って休憩する。ここもWhangamumu Harbourと一緒でキャンプ場ではないがキャンプができるビーチらしい。しかし霊感がないもののここは妙に薄気味悪い印象を受けた。何故か一匹だけ岩の上で昼寝をしていたファーシールに挨拶してこの入江をあとにする。
ここを出発し、目的地であるUrupukapuka Islandに着いたのは3時を少し過ぎていた。この島がDOCに管理されており、キャンプ場があることはわかっていたのだが、島のどこにキャンプサイトがあるのかは地図には記されていない。おおよそ見当つけていた場所は観光客の乗り付け桟橋になっており、キャンプ場とは思えないので適当な浜に上陸したら、お馴染みのDOCの緑地に黄色で書かれた看板があったので、そこでテントを張ることにした。
ほかにもキャンプ場らしき浜はあり、この島内に何箇所かあるようだ。僕が上陸した場所には誰もおらず、少々不安だったがテントを張り、荷物を放り込んだ。そしていつものごとく、潜り道具だけカヤックに積み直し、良いポイントを探して漕ぎだした。
意外に透明度が悪く、潮の流れている場所や地形的にはどこも面白そうだったが、比較的近場のRawahitiの北海岸にあるゴロタ浜に無理やり上陸し、そこを起点に潜った。
案の定、透明度は芳しくない…。泳いでいる魚も小さかった。時間があまりないので焦る…。
しばらくすると表層を魚が群れてボール状になっていた。その群れの下の方まで潜って待っていたら大物が来るはずだと企んでいたら、その群れている魚の中にニュージーランドではまだ見たことがないムロアジの様な魚(koheru)がいることに気付いた。
「こいつ、喰ってみたいな…」
あまり大きな魚ではなかったが、色々試してみたい性質の僕はこいつを突く。銃のシャフトが貫通してラインに通されたムロアジが暴れ回り、それを何とか取り押さえてシャフトから抜こうとしていると…。
足元に巨大な魚影が…。King Fish登場である。どう見ても20kgはある。
「でけぇ~!!つ、ツキテぇ~!!でも無理~…」
こういう、どうでもいい魚をとりこんでいる時に限って大物が近くをうろついたりするものなのである。急いで魚を抜き取り、シャフトを再装てんして突いたアジを放り出して奴を誘うが、足元を数回まわっていたのにもかかわらずそれ以降姿を現すことはなかった。
アジを回収し、その後やってきたブルーマオマオを突き、これでは足りないので来る時に見つけたporaeがまだいないかどうか探したら案の定いて、ごっつあんでしたと突かせてもらいカヤックのもとに戻った。
カヤックに荷物をまとめてキャンプ場に戻る段階ですでに時刻は18時をまわっており、夕日が沈んだ後だった。何でいつもこんなギリギリまで海で遊んでいるんだと自分に嫌気がさすが、泳いでいる時は楽しくてしょうがないのだから仕方がない。しかし現実が見えない男というのはダラシナイものだよ…。
夕飯は3日連続の煮ツケをベースにカルパッチョ(たまねぎ、人参入り)、ご飯と紅茶。
突いた魚を全部食べたのでかなり腹がいっぱいになった。このテントサイトは芝生が伸びすぎてフワフワしていて気持ちがいい。テントに入ると各種本を読んで日記を書いたら10時半を過ぎていた。
4月14日 Urupukapuka Island → Paihia
ベイオブアイランズに来たことにより、期待していたことが一つあった。
それはこの地で20年以上、シーカヤックツアーをやっているマーク・ハトソン氏(Mark Hutson)と会うことである。
2005年の73回目の知床expeditionで出逢った藤井夫婦が現在ニュージーランドネルソンに移住し、「リアルニュージーランド」というアウトドア旅行代理をやっている。その藤井さんからの紹介で、「ベイオブアイランズに行くなら、彼にあってみたら?」という助言をいただき、この旅が始まりオークランドに到着した時、ベイオブアイランズへのだいたいの到着日程を添えてマークにメールをしていた。
生憎、その期間はキャンプツアーに出ていて事務所にはいないという返事をいただいたのだが、そのキャンプ予定地を何時いつはここにいる…と、細かく教えてくれたので現地で会おうという粋な計らいをしてくれることとなったのだ。
Cape Brettを越える前に彼の携帯電話にそろそろ着きますという様なテキストを送ったのだが、返事が返ってこず困っていた。こうなりゃ現地で探し出して会うしかないな…と考えていて、この日は同じくUrupukapukaに泊まっているはずだったのだが見つけることができなかった。彼らの予定では今夜から明後日にかけて別の場所に行くようだったが、カメラの充電や食糧の補給などから僕は一旦Paihiaの街に行きたかった。だから今日中に見つけて話をつけ、明日から合流しようと考えていたのだ。
朝7時半、ゆっくりと起きてしまった。何だか妙に体がだるかったのだ。昨日の煮汁をご飯にかけて食べると、それはもうこっちで言う、「beautiful!」な、味だった。しばらくこの味にはまりそうなくらい美味い。おそらく日本の味に多少飢えてきているのかもしれない。
コーヒー飲んでパッキングし、ウンコをしていたら時刻は9時を過ぎてしまった。カヤックに荷物をパッキングしていると、はるか沖をカヤックの船団が進んでいくのが見えた。カヤックの名所でもあるベイオブアイランズだから自分以外のカヤッカーがいても当然とは思うが、もし彼らがマーク達のツアーなら面倒くさいことになりそうだ。追いつけないのはわかっているが急いで出発して他のキャンプサイトを見て回る。案の定、カヤックはどこにもなかった。すでに彼らはどこかに向かったようだ。
「しょうがない、彼らが行く島に向かっていればどこかで会えるだろう」
あまり深く考えてもしょうがないので、とりあえず自分の行きたいところを目指すことにした。
昨日の段階でもかなりわかり得たことだが、この湾の中はかなりの多島群で構成されている。そしてどの島も大小様々な形で地形も異なる。みごとなロックガーデンに覆われ、北に面した側は荒波によって削れた断崖絶壁の荒々しい感じ。南に面した側は内海に包括された入江や浅瀬、砂州が存在する。その多様性は漕いでいて本当に飽きない。
ベイオブアイランズを漕いで、つまらないという人はカヤックには縁がないものと思って辞めた方がいい…。そこまで言い切れるほど、この海域は面白い。
Urupukapukaを南から西側を取って北上し、Waewaetorea Islandの南側を東に抜ける。この地帯のロックガーデンが素晴らしい!Okahu Islandの間にあるビーチはニュージーランドに来てそれまでで一番きれいだと思った。
ここに上陸するとおっさん二人がやって来て談笑する。二人はタウランガからやって来ており、僕が隣街のマウントマンガヌイから漕いで来たと言ったらさすがにたまげていた。カヤックが流されそうになっておっさんの一人が捕まえて引き摺りあげようとしたのだが、想定以上に重かったのだろう、みごとにスッ転んで波でずぶ濡れになってしまった。申し訳ないと思いつつも、その見事な転び方に笑いをこらえるのが大変だった。
Okahu Islandの西側に出ると、たくさんのトンネルがあるロックガーデンになり、面白い。Motukiekie Islandの西先端を通って今度はMoturua Islandの間にあるビーチに上陸する。たくさんの島の名前が出てきて、地図を見ないと何が何だかサッパリわからないとは思うけど、あとで各自地図を見て確認してください(笑)。
たくさんのヨットが停泊し、中には古式の帆船が泊まっていたりして外国らしい。それもちゃんと帆走しているのだからすごい。
このビーチで昼食休憩し、ちょっと陸の上に登って行って写真を撮る。それにしても何処から見ても景色が素晴らしい。天気も最高に良いので、まさにベイオブアイランズを堪能できる一日に巡り合った。この島の北西側はかなりの絶壁地帯だが、とくに西側のロックガーデンはすごい。
Motuarohia Islandに渡り終えると、前方にカヤック船団を発見した。よし、捉えた!…と、思っていたのも束の間、面白そうなロックガーデンが現れてふらふら~と、入り込んでしまう。まぁ、まだ余裕があったのだ。小さな狭い岩の隙間を通って行くと、式根島の泊港の様な場所に出た。満潮になると現れて干潮になると入れなくなるようで、閉じ込められる可能性があるのでとっとと出た。
岩の隙間から出て、カヤック船団の方を見るとすでにMoturoa Islandの方へ海峡横断を開始し始めていた。全速力、必死になって30分ほど漕いで行くと、やっと彼らに追いつくことができた。
カラフルな色彩のパフィン、これを使っているのはマークの所しかないだろうと思ったが、よく見ると全員女。女性4人のメンバー構成だった。先頭を行くガイドらしき女性に話しかけると、彼女はガイドではなく、後ろの女の子がガイドだった…。外人は見た目で判断できん…。
マークのツアーかと聞くと、そうだという。ただ、マーク自身はMoturoa Islandに先に行っているようで、彼が僕の事を知っているはずだから連絡しといてくれ、僕はPaihiaに行くのであとで電話する…と伝えてこの時は別れた。
途中からラッセル方面の岬に方角を変えて漕いで行く。全速力で漕いでいたのでドッと疲れが出てきて上手い具合に北からの追い風が吹いてきたのでそれに押されながら何とか岬に取りつき、ラッセル(Russell)を横目に見ながらPaihiaに向かう。ここまで来ると内海の中の、さらに内海なので波はかなり穏やかになる。海上ではパラセーリングが行われていて白人の女の子が「ヒャッホ~♪」と、叫んでいるところが、観光街っぽい。
15時半、Paihia到着。
遊覧船の出る桟橋を更に越えて奥にあるビーチに上陸し、道路を横断すると思った通りのバックパッカー通りに出れた。貴重品だけ持って目当てのバックパッカー、「マウストラップ」に行ってベッドがあるか聞いてみる。残りラストワンベッド残っていて、みごとチェックインできた。
窓口のお兄さんはおっとりした良い感じのメガネ紳士で、僕がカヤックで旅をしているというと、自分の昔、タウランガからヨットでここまで旅をしたことがあると言って、僕の旅を羨んだ。
カヤックと荷物を4回に分けてバックパッカーの駐車場まで運びこみ、そこから着替えと貴重品を持ってベッドに行った。いや~、久しぶりのベッド、と言うかバックパッカーである。人がいっぱいいて面白い。東洋人があまりいないのも良かった(いつもはもうちょっと日本人などもいるらしい)。
まずは熱いシャワーを時間を気にせず浴び、カメラを充電して洗濯機に洗濯物をぶち込む。MTBを借りて町はずれにあるワーズワース(スーパー)に行って買い出しをする。ここぞとばかりに冷たいビールを…と、言うと思うかもしれないが、もちろんビールも買ったけど実際はアイスクリーム!こいつが食べたくてしょうがなかったのだ…!1リッターのブロック状ラクトアイスを買い、ビーチで一人、かぶり付いた。
アイスを東洋人が一人怪しく食べていると、突然後ろで唸り声が聞こえてきた。おっさんが一人のた打ち回りながら嘔吐を繰り返し苦しんでいるではないか!?
あまりの異様な光景にどうしていいかわからなかったが、男も「It’s OK、it’s OK…!」と手でさえぎりながら繰り返すばかりで埒が明かん。持病なら薬でも持ってないか聞いたが、やはり「It’s OK、it’s OK…!」を繰り返すのみ。いやいや、全然オーケーじゃないでしょ、あんた!
そんなことしていたら周りに人が多く集まってきて彼を介抱し始めたので彼らに任せ、僕は溶けかけたアイスを持って宿に戻った。彼がどうなったかは今でも心配だ。
宿に戻ってもしばらくはキッチンが空かず夕食が作れず、7時半頃やっとご飯と普段食べられなかった肉…!ポークステーキを焼いて食べる。肉、美味すぎる…!ニンニク入り照り焼き風にしたので悶絶級に美味い。脂身が身にしみる美味さだ…。大満足の夕食の後はしっかりとデザートのアイスを食べながらテレビで「レジェンド・オブ・ゾロ」を観て、コーヒー飲みながら日記を書いた。
木造建築でシックな感じ。オブジェも海関係に統一されており、ガーデニングもかなり念入りに手入れされている。面白い構造の建物も相まって、何とも雰囲気の良いバックパッカーだ。テラスの上でビールを飲み、良い感じになって寝た。
4月15日 Paihia → Moturoa Island
今日はゆっくりと出発しようと思っていたので油断していたら目が覚めると7時半だった。荷物をまとめ、朝食にトーストとミルクコーヒーを飲んでまったりし、ネットをする。バックパッカーで旅行するってなんて優雅なんだろうと思ってしまうよ。
パソコンいじっていたら調子に乗ってしまい、8時には出発するとオーナーには言っていたのに実際に宿を出たのは9時半を回っていた…。
来た時と同じく4回に分けて荷物をビーチに持って行き、パッキングを済ませると11時前になってしまっていた。生憎の曇り空の天気でしばらくすると雨が降りそうだ。ここのビーチは意外にもサンドフライが多くて厄介。
今日はまず寄り道としてすぐ脇にあるWhaitangi riverを遡り、ちょっと行ったところにあるHaruru Fallsを見に行く。
この川の周りはマングローブ林になっており、西表島の川を思い出させた。時折マオリの住居が川辺にあったりするが、それ以外はマングローブに囲まれて鵜の巣などを眺めながらのぼっていく。
Haruru Fallsはすぐにあり、みごとな段差からカーテン状に水が落ちていた。 写真で見ると立派な滝で、実際カヤックから見ると迫力があって、こんな住宅地にあるのが不思議な感じだ。しかし上流から家畜の糞尿が流れてくるのか意外に臭いし濁っている。小雨が降る中、「まぁこんなもんか…」と帰路に就く。
再びWhaitangi riverの河口に出ると左手にWhaitangi条約を結んだ時の旗を左手に見ながら、北にあるMoturoa Islandに向かって漕いで行く。昨日の午後から風が北に変わり、向かい風の中じりじりと前進する。内海とは言え細かい波が立ち、漕ぎずらい。どうも天候が悪化しそうな気配だ。事実、天気予報でも今後天気が崩れることを示唆していた。
13時半頃、やっと島の風裏に入ることができてホッとする。北東から風が来ているので本来は島の東側を回って北側に出たかったが、仕方なく西側に行く。Kent passageを通って島の北側に出て、対岸のPoraenui Ptに向かって漕ぎだす。とにかく風裏を求めて漕いで行こうと考えていたのだ。
Moturoa Islandにマーク達は泊まっているはずだったが、それらしきカヤックを見かけることもなく、今回も会えないかな~という気配が濃厚になってきた。何故なら前日、パイヒアから電話をしても応答がなく、困っていたのだ。
海況はけして良いとは言えず、むしろ悪い。外洋からうねりが入って来ており、そのうねりと風波が同調し、何とも面倒くさい波を越えていかなくてはいけない。14時になんとかまた風裏にたどり着き、そこから先にはこの海況では進めそうもないので安全な場所を探そうと内海の方に入っていく。ガイド本にその先にあるCrater Bayにビバークできるポイントがあると記してあったので、その名前通り丸くくり抜かれたような湾を目指して言ってみると、どっからどう見てもテントサイトに適した場所はない…!ガセネタだ…。
さらに北に行ってみるが、どこもプライベートエリアでキャンプできそうな場所はまったくない。時折訝しげにマオリのおばさんなどが僕の方を見ているのが怖い。
時刻も迫って来ているし、天気も悪いので一番よさそうな場所に行ってみると一隻のヨットが停泊してあった。甲板にいたおじさんにここの土地の者かと聞いたら違うらしく、たまたまここで錨泊するだけのようだ。天気を聞くと明日からは荒れるらしい。まいったなぁ。目の前の浜に上陸し、隣接している農家の家にいってみる。白人の奥さんとマオリのご主人がいる家で、僕を遠くから見ていたようだ。
「キャンプ地を探しているのか?焚火をしなければいいぞ」
顔の表情を一つも変えずにおじさんは言い、奥さんがそれに応えるように笑顔を僕にくれた。水も汲みに来ても良いとのことだった。よし、何とかなりそうだ。浜の前にある一本の木の下にタープを張って、長期滞在になるかもしれないことを覚悟した。
ふと、防水バックに入っている携帯電話を見てみる。知らない間にメールが来ていたようだ。読んでみるとマークからだ!今夜はMoturoaの貸別荘に滞在しているから、もしよければ来てディナーを食べよう…とのことだ。急いで返事をしようと電話をすると、思わぬ返事が来た。
「おまえ、いい加減にしろよ、誰だ?」
「へ?」
メールくれた人の割には態度が悪い…というか、怒っていらっしゃる。
「すいません、マークさんじゃありませんか?」
「俺はマークじゃねぇ。ジムだ。」
人違いだ…。慌てて謝り電話を切ると、届いたメールの番号と登録した番号が微妙に違う。どうやら僕が登録した番号が違っていたらしい。なるほど、道理で返事が一向に来ない訳だ。昨日のガイドに会って話をしたからメールを届けてくれたのだろう。そちらにメールを返そうと思っていたら、今度は携帯のチャージ(プリペイドの通話料金)がなくなった…。ドつぼにハマった。
「ウォーっ、もう行くっきゃねぇ~!!」
慌ててカヤックの出した荷物をパッキングしなおし、農場のおじさんの所に走って今日はやはりMoturoaに行くと伝えてから感謝を述べ、急いでカヤックに乗り込んだ。この時点で時刻は16時20分くらいだ。8kmは離れていたがおよそ一時間、17時半には島に到着し、彼らのものと思われるカヤックが浜に並んだ別荘を発見した。
「オー、ヨシー!!」
浜に上陸してカヤックを上げていると、別荘からやたらテンションの高いおっさんが出てきた。かなり背が高いが脚も長い好色おじさんと言った感じだ。初対面だというのにかなりフレンドリーに接してくれて、実はけっこうどう接すればいいのか緊張していたのでこの待遇にはありがたかった。何しろメールでしかやり取りをしていなかったから。
簡単な自己紹介をしていると別荘から昨日会ったアシスタントガイドの女の子とお客さんも出てきた。一通り挨拶を済まし、カヤックから荷物を放り出してゆく。
マークが22年前のジッパー開閉式のK1を持っていたと、僕のK1を懐かしそうに眺めながらそう呟いた。フェザークラフトで旅をしていると舟自体に他のカヤックより話題性があるので会話には事欠かない。きっかけ作りにも最適な舟だ。
マークは思い出したかのように僕を急かし、今日採ったマッスルが蒸しあがったところだから早く食べようと僕を部屋に誘う。
別荘に入ると暖炉の薪が気持ちいよい音を立てて燃えており温かく、お客さんが好きなところでくつろいでいた。ワインを一杯もらい、何だかよくわからない感じで乾杯。蒸しあがったマッスル(グリーンムール貝)を口に入れる。ジューシーな潮の香りが口に広がり、そこに白ワインを流し込むと最高に美味い。
さっきまで一人雲行きの怪しい海岸で、どうやって停滞するかを考え海乞食のような生活をしてきたのに、現状は外人の女の人に囲まれて、陽気なおじさんとワインなど飲んでいる…。このギャップに我ながら呆れつつも堪能した。
ばっちい体でレディー達に失礼なのでシャワーを浴びさせてもらい、サッパリしたところでワインなど飲みつつ、色々とお話をする。メンバーはオーストラリアから来た女性3名と、地元パイヒアに住んでいる女性一人、アシスタントのサーシャ、マークの6人で、あと二人一昨日までいたのだが、マークに送られて帰ったらしい。オーストラリアからの3人はナースらしく、看護師がカヤックツアーのお客さんに多いというのは世界でも一緒なのかな…と、変な詮索をする。
(マークは本来、Mr. mark、マークさんと呼ばなければならないほどの人なのだが、マークと呼んでいたし、そんな細かいことを気にしてもしょうがないので、彼に対する敬意の念はこの先の文章から読み取っていただきたい)
夕食はみんなでピザを作りながらその場で焼いて食べ、お腹がいっぱいになったところでみんな各自ベッドに戻って行った。僕は暖炉の前に寝袋をひろがせてもらい寝た。
明日は彼らと共にツアーに参加し、パイヒアのマークの家で打ち上げバーベキューをするというので便乗し、そのまま泊まらせてもらうことになった。いたせりつくせりと言うか、孤独のカヤック旅から一気に花園に入ったような別世界に、「あー、あの時遠慮してテント立てなくて良かった~」と、切に思った。
これはその後、更に思うことになる。
意外に蚊が多くて寝付けない夜だった…。
4月16日 Moturoa Island → Paihia
7時から7時半の間に起きれば良いよ…と言われていた通り、7時15分に起きる。起き上がると腰が痛い…。どうも借りたマットレスが合わなかったようだ。皆さん各自起きだして歯を磨いたりしている。サーシャがコーヒーを淹れてくれていた。
朝食はフレンチトーストとこんがり焼いたベーコン。マークの18番らしく、オレンジ風味とシナモンがバッチリ聞いた美味しいフレンチトーストだった。ちなみにオーストラリアから来たクリスティンがフランス系の人で、本場フランスのフレンチトーストは朝食などでは食べず、ディナーに出るくらいちゃんとした料理らしい。マークのフレンチトーストにいちゃもんを付けつつも、「まぁまぁネ…」と言いながら食べているのが可笑しかった。
その後はおしゃべりしたり、荷物かたしたり、パッキングしたりしているうちに時間がたち、出発の時刻は10時になっていた。残りの片づけはマークがするのでお客様とサーシャ、僕は先に出発する。島を西側から北側に行き、東側にあるBlack Rocksを目指す。
海況は天気予報通り悪い。かなりうねりが入っており、風も強い。隣を漕いでいるはずのカヤックがうねりに隠れて消えてしまう様なうねりと波だ。日本のツアー会社だったらまずツアーを行わない海況だが、皆さんお構いなしに進んでいく。それも全員女性、シングル艇だというのに…。スピードこそ遅いものの、この海を怖がらないで行けているのはすごいことだ。
ほどなくして反対側から回ってきたマークと合流し、11時にBlack Rocksの手前のビーチの上陸。
「ここは北側を向いているのに、どんな時でも上陸できるんだ」
マークはそう言って笑顔を作るランチの準備に入った。手伝おうと思ったが、彼を残して皆はランチができるまで漕ぎに行くというのでそちらの方に行ってくれと促された。なんなら俺の舟に乗ればいい…。そういってマークの乗っているクオリティーカヤックスのTasman Expressを貸してくれた。彼の足が長すぎて、ラダーのペダルを調節する際、いくら手前にしても届かないので呆れた。
久しぶりに乗るリジットカヤックは何だか妙な乗り心地だったが、喫水が高く、バウが妙に軽く感じるのに慣れてしまえばその水を切り裂いて進む感覚は独特で、面白くなった。それにしてもでかい舟だ。
空は太陽が指してきて青空がちらほら見えるようになったが、風とうねりはますますひどくなるばかりだ。さすがにロックガーデン遊びはしなかったが、岩の間を通り抜けたり周りを漕いだりして12時にはビーチに戻った。
ランチはサンドウィッチ。チーズとか、トマトとかが久しぶりで美味い!昼寝をしているとクリスティンに起こされて出発を促された。
島を東からぐるっと回り、東の端から風に乗って南下し、Whaitangiの少し北にある入江に向かって漕いで行く。つまるところ、昨日来た航路を逆に行くことになる。行く時には通過しなかったのか途中にBrampton Shoalという浅瀬があり、ここは突然ブーマーが起きたりして地味にデンジャラスなポイントだった。どうもマークはそういう所をワザと通るのが好きなようだ。それは後日、彼のツアーに同行する時になって確信したけど…。
15時10分、ゴールの入江に上陸。カヤックを皆で芝生の上まであげて、停めてあった車に荷物を詰め込みトレーラーにカヤックを積んで、マークの家へと帰る。この辺は日本と変わらない。
Haruru Fallsの隣にあるマークの家に着くと艇庫に舟を入れ、潮まみれになった道具類を裏庭に持って行って水の入った桶の中に放り込んでいく。これも日本と変わらない。お客さんは各自車に乗ってホテルや自宅にいったん戻り、着替えてからまた来るらしい。僕は彼らの片づけの手伝いをしようとしたが、「お前はゲストなんだからゆっくりしていろ」と制止される…。そういうわけにもいかないのでこまごまとしたことを手伝いながら、様子を見ながらここぞとばかりに質問する。
シャワーを浴びさせてもらい、リビングでマークの本棚などを見させてもらっていると、夕方になりマークとサーシャと三人でツアーの残り物で軽く小腹を満たす。3人で軽くおしゃべりをしていると皆がぼちぼちやって来て、BBQの準備を始めたので途中から手伝うことに。
「料理人なんでしょ?いろいろ教えてよ」
昨日の話で日本では料理を作っていると言っていたので教えてみろと言わんばかりの事を言われたが、こっちのスタイルがどうなのかよくわからないので何とも言えない…。勝手にやらせてもらう。肉と野菜をそれぞれ別に串に打ち、サラダのドレッシングを作る。生のオレンジとソイソースのさっぱり味。これは我ながら有り合わせで作った割には上手くできたと思う。
BBQは日本と違って焼いてるそばから食べるのではなく、一気に焼いてしまい、それらを各自の皿に取り分けて食べるといった感じだった。そのほか、お客さんの一人が作ったクスクスが不思議な味で美味かった。要は黄金伝説の「ちねり米」みたいなものなのだが(わかりにくい例えだな…)、ドライフルーツやナッツと一緒に炒め、シナモンの味がしておかずなのか、デザートなのか日本にはジャンルにない料理で妙に口に運んでいた。
9時半くらいにお開きになり、みんな帰って行った。こちらのディナーはけっこうあっさりと終わるので健康的ではある。僕らもベッドルームに戻り、僕も物置になっている部屋を貸し与えてくれた。ちゃんとベッドもあるのでありがたい。
腹いっぱいのはずなのだが、妙に食欲が残っている。自分の持ち物の中からパンを出し、ジャムを付けて食べる。なんだか異常な食欲だ。アラスカから帰ってきたばかりの頃も異常な食欲に駆られたことがあったが、まさにそんな感じだった。
ビールをもう一本飲みたいな…と思っている間にウトウトして来て、気付いたらベッドの上で眠っていた。夜中に寒さで目が覚め、寝袋を出してはおった。
何とも平和な日々である。
4月17日 停滞(初めてのサーフィン)
朝、6時半に目が覚めてしまい行動食のチョコレートなど食べながら本を読んでいると、再び睡魔に襲われて寝てしまった。気付くと9時半!ありゃりゃと慌ててリビングに行くが、まだ誰も起きていないようだ。マークの本棚にあったポール・カフィンのオーストラリア一周の本を読んでいたら、マークが起きてきた。
「普段はもっと早いんだが、ツアーの後はどうしても寝てしまうよな…」
そう言いながら照れ笑いをし、コーヒーを入れてくれた。とても60歳を過ぎたおじさんには思えない、はにかんだ笑い顔が親しみ深い。サーシャも起きてきて一緒に朝食を食べる。
シリアルとトースト。全てツアーの残り物なのだが、ミルクは粉ミルクを水で溶かして使っていた。なるほど、これなら遠征にも牛乳を持っていき作ることができるのか…と、為になった。
「ヨシ、今日はどうする予定だ?」
僕がう~んと唸って曖昧な感じで考えているとマークがこう切り出した。
「よし、もし良かったら今日も一泊うちに泊まっていくことにして、一緒にサーフィンに行かないか?」
天気も風が東の強風で出艇するには厳しく、腰の具合も昨日の朝から悪いままだった。サーフィンにも昔から興味があったので彼の提案を飲むことにした。
しばらく昨日干した装備を片したりしてまったり過ごした後、11時頃出発する。
サーフボードとリバーカヤックをハイエースに詰め込み、サーフィン用のウエットスーツを借りていくことにする。彼らに任せるままに車に乗って走っていくと、けっこうな長い時間ドライブをしている。何処まで行くのかと思っていたら、Cape wiwikiを通り越してその北にあるMatauri Bayと言う場所だった。結局1時間ほど車に揺られていただろうか?サーフが見える坂の上で車を止め、ビノキュラーから波の様子をうかがう。
「すげぇ、波だな…」
白波が立つサーフと規則正しく打ち寄せる波は北島の西海岸に比べればマシな方だとは思うが、あそこをカヤックで上陸しなければならないかと思うとウンザリする。しかしそんな感傷的な僕の横でマークは偉い興奮している。
「すげぇ波だな…!」 ↑(俺のとは違う意味で)
Motukawanuiと、Motukawaitiの二つの島にってうねりが抑えられ、まだマシな場所のようだ。ホリデーパークもビーチにとても近い。
駐車場に車を止め、とりあえず昨日のBBQの残り物でランチをとる。
お茶を飲んでまったりしているかと思ったら、意気揚々とマークはウエットスーツに着替え、奇声を上げながらボードを抱えて海に突っ込んでいった。見た目はおじさんだが、中身は完全に波乗り小僧である・・・。
「ヨシはどうするの?私のボード貸してもいいわよ?」
「いや、まずはイイよ。僕は写真でも撮ってるから、二人の」
そう言うとサーシャも納得して海の方に歩いて行った。
最初は僕も彼らの波に乗っている写真を撮って満足していたのだが、次第に体がムズムズしてきた。風をモロに受けていたので寒くなってはきていたのだが、サーフィンに対する好奇心の方が次第に勝ってきていた。
しばらくするとマークが上がってきた。自分はブギーボードをやるからヨシ、やってみろ!っと言ってロングボードを貸してくれた。ここぞとばかりにウエットスーツに着替えてサーフィン用のキャップを借り、海に走った。
ところが僕が初心者だということは伝えていたはずなのだが、マークは何もレクチャーしてくれない…!勝手にボードを抱えて泳いで行ってしまった。
「うそーん!」
そんな感じで見よう見まねでロングボードの上に乗り、パドリングをして波に向かっていった。パドリングが辛い。肩の弱い僕にはかなり億劫な行為である。最初のスープ地帯はまだ良かったが、次第に波が大きくなるにつれて辛くなっていく。浅いところはある程度歩いて沖まで行くことに…かっこ悪い。
カヤックと違って顔が水面擦れ擦れなので波がやたら高く感じる。一発波を交わす度に顔がズブ濡れになり、目が痛い。波の避け方もわからず、ショートボードのように潜って波をかわそうとするが、浮力が強すぎてふっ飛ばされるのがオチだった。後にマークがダイブオーバーのやり方を教えてくれたが、何も知らないのでボードを縦にして波をいなし、先に進む。
やっとのことでイイ感じの場所までこれた。ここで波を待って後ろから良いのが来ると、パドリングが足りなくて垂直に吹っ飛ばされる。波でかすぎだろっ!!初心者がどのくらいから始めた方がいいのか知らないけど、肩より上にある波でいきなりサーフィンやるって、けっこう度胸いるよ?
話を戻して今度は思いっきりパドリングをするが、やはり乗れずに通り過ぎてしまう…。
まだまだーっ!!
そう気合を入れて次の波を待っていると、こいつはかなりでかい!頑張ってパドリングをすると、テクニック云々関係なく波の力で思いっきりひったくられるように体が運ばれていく。
「お、おもしれぇ~♪」
カヤックで波乗りするのも楽しいけど、サーフィンはより水に親しむ感じが素晴らしい。ショートボード乗りからすればその感動はまだまだ足りないとは思うが、波に乗るのはやはり楽しいものだな~。
…と、思いつつもそんな感動は海・初心者のものだ!そこはカヤック乗り。波に乗る感覚ならすでに知っているのだ!
立ってナンボだろ!!ましてやロングボードだ。調子に乗って立とうとするが、どうもバランスがとれず、立ってもすぐに落ちてしまう。それを見ながらマークが陸の上で「イェース!!」とか、「ワォーッ!」とか叫んでる。
疲れて皆のいるところに戻ると、マークがニコニコしながら近づいてきた。
「さすが、カヤッカーだな~。波の捉え方をわかっている!それにいきなり立つところまでいくとは…!」
褒められて嬉しいものの、このぐらい誰でもできるだろうとニヒルな気持ちも沸いてくる。
とにかく、サーフィンも面白い。そう言えば今回、波待ちというものをしていない気がした…。
その後、マークがリバーカヤックに乗ってサーフカヤックで遊び、僕は僕で彼のサーフィンをしているところを動画で撮ったりして遊んだ。波にモミクチャニされながらでカメラを無くしそうになりかなり大変だったけど。
16時くらいに切りあげてまっすぐ帰るのかと思いきや、途中寄り道してHot Springに行くという。いわゆる温泉だ。
「Ngawa Hot Spring」という場所で、僕が入ったNZの温泉の中で一番、日本の温泉の感覚で入れる場所だった。浴槽が何箇所かあり、その一つ一つの温度が違う。足元は真っ黒い砂利と砂になっていて温泉水も泥濁り。でも温泉っぽく硫黄の匂いもして足元から直に沸き、ぬるい温泉が多い中、熱い湯に満足できるものだった。
「サーフィンの後に入る温泉が、これまた気持ちいいんだよな~」
そう言いながら「Uhu~」とか言って湯に浸かるマークは、その瞬間だけ60代のおじさんだった。ちなみに水着着用の混浴である。
マークの家に7時半ごろに着き、おしゃべりをしながらサーシャと僕はビール、マークはワインを飲み、夕食はスパゲティートマトソースで、デザートはアイスのチョコレートがけだった。
夕食後、何故このノースランド、パイヒア周辺でツアーをするのか、カヤックを始めたきっかけなどを聞いた。話の内容の半分は理解できなかったかもしれないが、おおよそ、マークがこの場所をホームにしている理由もわかり、それが僕の思っていたことと被っていたのが興味深く、生意気にも共感もした。
話が混みいってきたところでハウスシェアをしている同居人の女性がやって来て、彼らで話を始めたのでサーシャもいなくなったことだし僕も部屋に戻ることにした。
天気予報を見る限り、かなり大型の低気圧が接近してきていて21日まで天気は安定しない…という予報だった。その間中、ずっとここに居る訳にもいかないし、根が張って動けなくなりそうだ。どうしたもんか…夜ベッドの中で色々と思案を膨らませていた。
4月18日 停滞
腰の具合が悪化しており、けっこうひどい状態になっていた。この日の夜はマットを引いて地べたに寝たのだが、こちらの方が腰には優しかった。急に柔らかい寝床であおむけに寝るのはよくない。
朝食は勝手にシリアルを食べてくれという感じでテーブルに置いてあり、サーシャと黙って食べる。マークがトーストを焼いてテーブルに座り、僕のこれからの話になった。
マークが言うには、まず第一に僕の車の事が気がかりだという。
僕の車がゴール地点のケープレインガ側のキャンプ場に置いてあると伝えると、それはとても危険だという。あの辺は治安が悪く、人が少ないとはいえ多少は住んでいるし、彼らは所得も低い。何かあれば必ず手をつけてしまうという。マーク達がファーノースにトレッキングに行くついでに、車をチェックしに行こうと提案したが、僕は盗まれているならすでに盗まれているはずだし、彼らにも悪い。第一、Paihiaまで帰って来て再び旅をスタートし、ヒッチハイクで戻ってくるという行為が面倒臭いと感じてしまった。
第二に、ここから出発するにしてもこの悪天ではベイオブアイランズの西の出口、Cape Wiwikiを越えるのはかなり危険だという。僕のカヤックの技術がどの程度かはともかく、あまり賛成はできないという。
なにしろここから先はキャンプ場も少なく、エスケープルートも少なくて断崖絶壁か、ものすごいサーフ、東と北からの風では酷い海岸線になるだろうというし、プライベートエリアも多く、その大多数は「マオリランド」といってマオリの自治区のようになっており上陸はいいがビバークは止した方が良いというのだ。
そこでマークは、昨日行ったMatauri Bayまで彼らのサーフィンついでに出発し、そこから出発すればいいと言った。つまりポーテージである。
「ケープレインガまでたどり着いて戻ってきたら、再びPaihiaに戻ってくればいい。そして続きをやればいいじゃないか」
長いことマークの家にお邪魔するのも申し訳ないし、これが最良だろうと判断した僕はそれに賛同し、明日の朝早くに再出発することになった。
この日はその後、彼の本棚から図鑑を借りてこっちで気になっていた魚や植物、鳥などの名前を調べたり、カヤックの本を読んだりして過ごした。
午後からは携帯電話のプリペードと食料を買い足す為にマークに売店の場所を聞いて歩いて行ったのだが、あまりにも小さいので結局市街地のワーズワースまで40分くらい歩いて行った。近くだと思っていたが、車でなくて徒歩だと同じPaihiaでも遠いものだ…。マークの家に帰ったのが18時を過ぎてもう暗くなっていた。
夕食はサーシャがスイートチリをまぶしたラビオリの様な料理を作ってくれ、デザートにツアーで余ったバナナを使ったケーキを焼いてくれていた。これがアイスと一緒に食べると美味い!こっちの女性はみんなケーキが上手だ。
マークがノースランドの海岸線一覧図のような本を見せてくれ、それに沿ってこれからの要所要所のポイントを教えてくれた。水場、売店、キャンプ場、上陸ポイント、各風が吹いた時のサーフの立ち方、グッドキャンプサイトかバッドか…。非常に為になった。ただ、ファーノースから先はマークもあまり行かないのではっきりは断言できないと断られた。
「外国からこの国に来て、カヤックで旅をする。十分Expeditionだと思うぞ。俺はヨシは勇気があると思う。カヤッカーとしてお前に役に立ちたいんだ。いくらでも協力するぞ」
最初にマークに言われたことが思い出される。本当に彼と出会えたことは幸運だった。彼を紹介してくれた藤井さんには本当に感謝する。
明日の朝は早いのでこの日も早く寝たかったが、そうも簡単には寝られなかった。
もはやゴールできるかどうかよりも、車の方がやや心配になって来ていた…。
4月19日 Matauri Bay → Tauranga Bay
朝6時に起きて荷物をまとめ、二階に上がるとマークがすでに起きてパソコンを見ていた。サーシャはまだ寝ているらしく二人で朝食をとる。コーヒーはカップに入れ、車の中で飲もうということになった。
朝食が済むと荷物を車に乗せ、サーシャも起きてきて3人で僕のカヤックを車の上に積んだりした。
7時に出発。天気は生憎あまり良くない。風は東の風でけっこう強め。前回通った道を同じく進み、Matauri Bayに着いたのが8時前だった。サーフィンをやったビーチは前回よりもひどい波になっていた。
「ヨシ、ここから出発するのと風裏のイージーな場所から出艇するの、どっちが良い?」
ニヤニヤしながらマークが聞く。もちろん後者だ。ホリデーパークの裏側は入江になっていて、沖に風紋ができているものの静かな海が広がっていた。
マークはアメリカのエクストリームシーカヤック集団、「ツナミレンジャーズ」に傾倒していて本人自身も準会員になっているくらいだった(今はもう正規メンバーだと思う)。だから家にも彼らのシンボルマークが張ってあり、まず見せられたのが彼らのDVDだった。だから上記のような質問はあながちジョークではなく、彼的にはどちらにも選択権がありうるのだ。
浜の上にカヤックを運び、荷物をパッキングする。いよいよ出発だ。マークとは握手をし、サーシャはハグしてくれた。カヤックに乗り込む時サーシャが後ろでサポートしてくれたので引き波に持って行かれずに楽にスプレースカートもして乗ることができた。サポートすることはあってもされることは少ないので嬉しい。あまりにも気が高揚していたせいか、彼らの写真を撮るのを忘れてしまっていた。洋上から一枚撮ると、いよいよパドリングに力を入れる。
目の前にあるCallbi Islandのおかげでうねりが分散されるのか、沖に出てもそれほどうねりが高くない。風も後ろからの追い風なのでかなりスピードが出ていた。空も曇り空で暑くもないので、考えようによってはグッドコンディションかもしれない。
実際、かなりのハイペースで漕ぐ事が出来た。Motuekaiti Islandの風裏で休憩したのが9時半で、Whangaihe Bayに入ったのが10時15分である。昨日ビールを3本もいただいたし、コーヒーも飲んだので妙に尿意がある。休憩の度に用をたした。
11時にはTauranga Bayの沖を通りすぎた。そのまま海岸の岩を見つつ、奇岩で入口をかためたWhangaroa Harbourに入っていく。この湾は火山の噴火によってできた湾らしく、そこらじゅうに面白い形をした岩が連なっている。ドーム型やキノコ型、屋久島のモッチョム岳のような物から蒸しパンをちぎったような穴だらけの岩まで、色々ある。湾もダム湖のようにいくつも枝わかれしており、思ったより広くて奥の方にはたくさんのヨットが停泊していた。
Lane Coveに行き、そこにあるDOCのハット(山小屋)の前に着いたのが12時5分だった。ここはカヤックからも行けて泊まることができるハットだと聞いてきたのだが、ドアを開けようとしたら閉まっているじゃないか…!宿泊者は事前にレンジャー事務所に連絡して予約する必要があるらしく、電話番号が書かれていた。
ここに泊まってもどうせ悪天候で停滞することになるし、周りの山々に登るトレッキングは魅力的だったが、便所サンダルしかない僕にはこの雨空の下で行うには危険だと思われた。それならばと手前のTauranga Bayか、さらに進んで30km先にあるHihi Beachまで行くことにした。ちなみにもう一つTaupo Bayというホリデーパークのある浜があるのだが、そこは東を向いているのでこの風では上陸できないだろうと踏んでいた。 引き返すと向かい風で、これがかなりきつかった。細長い湾を吹き抜ける風は集約されているのか威力があり、漕いでも漕いでもなかなか進まない…!湾の入口まで10分で来たのを30分かかり、13時になっていた。ここで考える。30km先のHihi Beachまで17~18時には着きたかった(管理人の関係で)。追い風とはいえ時間はギリギリ。なにより海況がこの先どうなっているか予測できなかった。ここまではまだ岬などの陰に隠れながらだましだまし来ることができたが、ここから先はモロに外洋の影響が出てくる。間にはマオリランドしかない…。
安全パイでTauranga Bayに戻ることにした。さらに30分かかって浜に到着したのが13時45分とちょっと早めの上陸となった。この頃になると雨がぱらつく様になっていた。ここの波がけっこうパワフルで、上げておいたカヤックを波が持って行ってしまい、それを見ていたおじさんの助けを借りてなんとか回収した。波打ち際でもみくちゃにされて砂まみれになり、ひどい有様になってしまった…。
そのカヤックをもっと潮上帯上部に持って行き、荷物を出して事務所でチェックインし、テントを立てたらもう15時になっていた。
一息ついてテントの中で着替えていたら、事務所のお姉さんが血相変えてやってきた。
「天気が悪いのにこんなテントで泊まっていたらズブ濡れになっちまうよ!キャビンに泊まりな!!」
NZのホリデーパークにはキャビンと言って、コンテナハウスの様なものがあり、キッチン、トイレ、冷蔵庫、エアコン、シャワー、ベッドなどが3~6人分あって泊まれるような殆ど貸別荘みたいなものがあるのだ。通常は一部屋いくらと決まっており、たとえば4人部屋だと一泊$60くらいで泊まれる。4人で割れば一人当たり$15位で泊まれるので、複数の人間と旅をしているならバックパッカーなど泊まるより安いし、キャンプをするより快適な夜を過ごすことができるのだ。NZの大概の場所にホリデーパークはあるのでキャンピングカーを使うくらいなら普通車で旅をしてキャビンを利用する…というのが僕のお勧めである。
話がそれたが、そのキャビンを使わしてくれるというのだ。そんな金はないというと、「テントサイト料金でいいから」と言ってくれた。
ラ、ラッキー!! 最初は遠慮していたものの、さすがに天候もひどくなりそうな気配ムンムンなので、このご厚意をありがたく頂くことにした。
一番小さなタイプのキャビンのカギを渡され、そこに荷物とカヤックを運び、せっかく立てたテントを撤収する。
キャビンに入ると何と快適な空間なのだ!シャワーをさっそく浴び、キッチンにあったワイングラスにやっすい箱ワインを注いでちょっと良い気分になって飲んでみる。ん~、素晴らしい。写りは悪いがテレビまであるのでそれを見ながら英語の勉強。
夕食を作って食べたらまどろんでしまい、起きたら夜中の2時。雨音がすごく、窓を覗くとすさまじい雨が降っている。いや~、キャビンにして正解だった…。お姉さんの粋なはからいに感謝多々。
その後、ここに3日間も泊まることになるとは思いもしなかった…。
4月20日~21日 停滞
その後二日間、大雨と強風で停滞することとなる。
一泊だけでなく、その後もキャビンにはテント料金で泊まることができたのは幸運以外何でもないが、それを許可したお姉さん的にはこんなに長居されるとは思いもしなかったことだろう…。
2日目の午後、風は強いものの晴れ上がった。カヤックのハルを見てみると案の定傷が結構あり、それを修理する。ソロでのツーリングではファルトボートも曳きずらないと移動できないし、そうしないとまずい状況も多々あるのでどうしてもボロボロになってしまう。もともと僕のカヤックはシーソックスもボロボロなのでどちらから水が入っているのかはわからない状態だけど…。
暇なので激濁りの海だけどダメもとで魚突きに行こうと思ったが、初日に舟を上げるのを手伝ってくれたおじさんがボートで釣りに行ったらしくカーワイのフィレをくれたりしたので潜る理由がなくなり、ありがたくそれを料理して頂いた。
キャビンで停滞できるというのは非常にありがたいことで、快適な空間で共同キッチンに置いてあった釣り雑誌やナショナルジオグラフィックなどを読み、海図とにらめっこし、テレビを見て過ごし、たまに散歩に荒れた海を見に行った。釣り雑誌は最初は面白かったが、釣りの対象種がある程度限定されているし、釣り方もほとんど一緒なので日本の釣り雑誌ほど面白くない。すぐに飽きた。海外遠征のレポートなどは面白かったけど。
4月22日 Tauranga Bay → Hihi Beach
前日の天気予報でこの日は何とか晴れることはわかっていた。何時までも留まっている訳にもいかないので早朝6時に起床。部屋を片付けて掃除をし、荷物とカヤックを浜に持っていきパッキングする。
お姉さんにお礼を言いたかったが、事務所がまだ開いておらず、仕方なく置き手紙と鍵をポストに入れて出発した。時刻はちょうど8時だった。
若干急深でダンパー気味の前浜は出艇しづらく、恒例の一発波をもらい、ビルジーで排水してから出発となった。ビルジーの吸い込みがイマイチ調子悪く、吸水用のスポンジもロストしていたのでその重要性が身にしみる。
Turanga bayを出発すると、Whangaroa Harbourの入口沖を通り、Taupo Bay沖を通過する。ここまでは入口あたりの潮流と反射波でだいぶチョッパー気味の海ではあったが問題なく漕ぐ事が出来た。そこから先、Stephenson Islandによって外洋のうねりがさえぎられていた湾から抜け出ると、予想以上に大きなうねりが入るようになっており、その際にあるKaraui Ptは速い潮流と合わさり、かなりの難所となっていた。
この岬を越え、三角に突き出た巨岩、Corn Rockの間を通り抜けるまではヒヤヒヤしたパドリングが続いたが、その先にあるTe Umokukupaの西側まで出ると安心できる区間に入った。
脂汗をぬぐいつつ、休憩を試みるが後ろから得も言われぬ薄気味悪い突風が吹き下ろしてくるので落ち着くことができない。
Motutahakeha Bayを横断し、右手にWukerua Islandを見ながらその距離が左手の陸地と同じになるような中間点を漕ぎ進む。
このあたりは国道からかなり距離が離れており、砂利道かプライベートの農道からしか海に抜ける手段がない。その為に陸からのアプローチはかなり難しい。その為に魚突きのポイントとしてもかなりいい場所のようだ。この旅が始まる前に図書館にあったダイビングマップガイドを見ると、この国は魚突きが一般的なレジャーなので律儀に釣りポイントマップみたいに魚突きポイントが点描されているのだ。それを隈なくチェックし、自分のマップにしっかり書き写していた。その点がやたら多く密集しているのがこのあたりの海岸線なのである。実際、この周辺での魚突きを僕はとても楽しみにしていた。
だが現状はそれどころではない。目の前には3~4mのうねりが入って来ており、沖に居てもかなり僕のカヤックを上下させている。岩礁帯にはその巨大な波が打ちつけて真っ白いサラシを作っている。2005年に漕いだ屋久島一周で台風の土曜波が打ちつけている様相そっくりだった。とても魚突きどころではない。
しかもこのあたりはその地名からもわかる通り、マオリが多く住む「マオリランド」ど真ん中である。ビーチからはマオリの集落にある門の彫り物がしっかりと沖からも見て取れた。非常事態はしょうがないにしても、マークの助言通りなるべく上陸は避けたい。
波はすさまじく、上陸は不可能。もう前に進むしかなかった。
定石ではなるべく岸際に沿って漕いで行くはずだが、変に湾の中に入って岬手前の出口で燻ぶるよりは岬から岬へと直進した方が良いと思った。これが陸からのオフショアならまだわかる。しかし真後ろから吹く強風下では波に対してまっすぐにカヤックをキープしていたい。Totohu Pt、Otonga Ptとその沖は先ほどのCorn Rockを通過した時のようにすごい三角波が立っており、サーフィンをしないようにパドルでスターンラダーを極めながら、強風でジリジリと押されるように進んでいくしかない。
2007年の秋、「ちゅらねしあ」の八幡さん達が宮古島から多良間島経由で石垣島に渡った時、強風波浪注意報が出ている中決行し、無事に完漕した。この時僕は西表島にいてニュージーランドの藤井さんも参加しているということで到着後に会いに行って話を聞いていた。その時聞いた話では、追い風、追い波の中でサーフィンしつつ、ほぼ全艇一回は沈しながらも漕ぎ渡っている。その模様はカメラマンの亀田君が撮った写真と共にアドレナリン冷めやらぬ参加者の会話に戦慄を覚えたものだ。
遠く離れたニュージーランドの海で、僕はその時の様子を自分の目の前に見ていた。
うねりの頭から砕けた波がうねりの上を滑り落ちてきて、前にいる僕のカヤックデッキの上になだれこんでくる。まるでその瞬間潜水艦のように僕は自分の体だけを水の上に出し、バランスを取りようがなくなるのだ。ヤジロベエのように左右にパドルを突きだし、顔が青ざめる。
最後の岬、Berghan Ptが見えてきた。あそこを回り込めば風裏になるのでとりあえず休めるだろう。
しかしあまりにも怖すぎる。
その手前にあるOtonga PtとBergha Ptとの間にある入江に入ろうかかなり悩む。
「漕ぐだけさ~」
瀬戸内横断隊のテーマソング、内田ボブの歌声が聞こえてきた。
そうだよな、もう漕ぐしかねぇんだよな…。
入江に入ってもそこから出るのが大変なだけだ。岬から岬へと、再び直進する。
岬の先端は迫りくるうねりと、返しのうねりによってうねりの周期が短くなっている。だからうねりの底に自分が行きつくと、そこには目の前に水の壁があった。正直、生きた心地がしない…。
「なんで俺はこんなおっかねえ事してるんだ…」
今度は北海道の新谷暁生さんの「海はおっかねぇよな~」という声が聞こえてきた。
「まったくだよ、おっかねぇ、おっかねぇー!!」
自分でそう声に出して叫ぶと、そのアホさに呆れて我に帰る。で、また「漕ぐだけさ~」と、震える声で叫び歌うのである。
岬の手前、ちょうどエディがあるのだろうか。海鳥が上下に揺れながらたくさん固まって浮いているのが見えた。そして僕が近づくと一斉に飛び立ち、僕の周りを旋回する。よく見るとこの海の中に空から突っ込んで捕食行動をしている者もいる。
「何をテンパッているんだい、君? 海とはこういうものだよ??」
僕の真横を滑空していくミズナギドリがそう囁いているように思えた。
「海で生きる」ということは、こういうことなのか…。
海で生まれ、海に育ち、海で生活する彼ら海洋生物にとって、このような時化た海にいることは日常の一部なのだろう。時化た海でも生きていかなければいけない。それはどんなに海が好きだと言っていても、ほとんど穏やかな海しか知らない僕らには計り知れない境地にいる。海洋生物を見ることによって僕らは学ぶことが多いのは、当然のことだと彼らと出逢うと実感する。
岬の先端にある島をかなり沖から回り込む。
焦らず、じっくりと時間をかけて漕いだのか、それとも恐怖で時間を長く感じたのかはわからない。ともかく、無事僕は岬を回り込み、風裏に入り込むことができた。思わずため息が出た…。あれほど僕のカヤックを翻弄したうねりは消えて風は時折風紋を海面に作る程度になった。鏡のような海面に魚のナブラが見えた。
安心したのも束の間、今度は山からの吹き下ろしで向かい風になった。岸際ギリギリを漕ぎ、入江を見つけて上陸。スプレースカートから浸み出し、シーソックスも越えた水がカヤック内に大量に入っていた。ポフトゥカワの大木がせり出し、透明度もあるものすごくきれいな入り江で普通なら潜りたい気分になってしまう所だが、この時はそんな気分にもならなかった。
予定ではここからさらにDudtless Bayを横断してKarikari peninsulaまで行くはずだったが、とてもそんな気分になれない。遠く霞んで見えるkarikari peninsulaまであのうねりの中漕いで行くのは僕には無謀に思えた。でも風裏から見る半島までの海は行けそうにも見える。試しに行ってみたとしてもあの風では引き返すことは無理だ。沿岸を漕いで行くにしても時間内にキャンプ適地に到着する見込みはなかった。今日の所は風裏にあたるHihi Beachのホリデーパークを目指すことにした。
この選択は正しかったと、僕はこれを書いている今でも思う。
14時前にHihi Beach到着。ホリデーパークはビーチの目の前にあった。チェックインし、テントを立てるとある程度の荷物を放り込んだ。
こんな早い時間にテントを張ってしまい、やることなしにボーっとしているのも嫌なので魚を突きにいく。ついでにこの奥にある入江の中にあるMangonuiという街に行って、名物のフィッシュ&チップスを食べることに。
Mangonuiの街に着くと、先ほどまで恐ろしい波に挟まれ生きた心地のしないパドリングをしていたとは思えないほど、のどかな観光地の風景が広がっていた。
カヤックを桟橋近くの浜に上げてフィッシュ&チップスを買いに行く。トレバリー$3.8、チップス$3の計$6.8とまぁまぁな値段。アツアツで確かに美味い。カヤックに乗って浮かびながら食べた。
この街にはハワイのホクレア号の様な、マオリ式の航海用カヌーが係留されていた。マオリもポリネシアの一員だし、ポリネシアンの南限で遠く南島のさらに南の島にまで行っていることがわかっている。このカヌーの航海に関する本も見つけたのだが読んでおらず、変なことは書けないのでここでの追及は避けよう。とりあえず、このカヌーにはちょっと心踊らされた。
再びHihi Beachに戻り、そのまま北上し、来る時に目星をつけていた浜に上陸して潜った。ここがかなりしょぼくて、潜ってすぐにあらわれたブルーコッドを手突きで獲り、結局獲物はそれだけに終わった。
この魚突きが終り、帰ろうと思ってひっくり返していたカヤックを元に戻した時にあり得ないことが起きた…。なんとラダーがもげたのだ。根元の接着部分からみごとに剥がれ、思わず「はぁあ~!?」と、叫んでしまった。天下のフェザークラフトがこんなんでいいのか?と嘆く。
まぁやっちまったものはしょうがない。
キャンプ場に戻るとラダーの根元を綺麗に洗浄してよく拭き、接着剤をゴテゴテにつけて接着し、ダクトテープをグルグル巻きにして針金でしっかり固定した。これで明日の出艇までには何とかなるだろう。
獲った魚で夕飯を作り、シャワーを浴びてホッとする。
カヤックが壊れ、体も腰が悪くてボロボロ。お金もそろそろなくなってきたし、何より予定していた4月中にCape Reingaに到着するという目標もやや危なくなってきた。
天候は相変わらず不安定だ。なかなか追い詰められてはいるが耐えるしかなく、進むしかない。この日はTauranga Bayでの滞在でたまった鬱憤があり頑張りすぎた。テントの中ですぐに眠りについた。
4月23日 停滞
朝起きるとすでに7時を過ぎており焦るが、よくよく考えると今日も行けてKarikari半島のMaitai Bayだろうと思い、安心して準備に取り掛かる。
天候は晴れとも曇りとも言えない天気ではっきりしない。そして何より風が昨日よりも強くなっている。南東風が東風に変わったからだけかもしれないが、これには滅入る。
9時半に出発。まずは岸ギリギリに漕いで行って昨日のBerghan Pt手前にある入江まで行って様子を見、Dubtless Bayを横断しようと考えていた。ところがだ。昨日魚突きをした沖を通過すると、昨日までは風だけで海面は凪いでいたのに、今日はうねりがかなり入って来て波立っている。
さらに漕ぎ進むと、追い風だった風が向かい風に変わり、それもかなり強力になってきた。小さい岬状に張り出した暗礁があり、その沖を漕ぎ抜ける時、あまりにも風が強くて全然進まないのだ…!風裏でこの状態なのに果たして外洋に出られるのか?まだ目的地のBerghan Ptは見えてもいなかったが、これはダメだと判断して引き返すことに。
岸沿いに湾を漕いで行ってもKarikari Peninsulaの手前でダプダプになって通過不能だろうと考え、停滞することにした。あれだけ怖い目をみたTauranga Bayからのパドリングだが、正直昨日ここまで来られなかったら、あのままあそこに閉じ込められていただろうと思う。 引き返しながら時刻をみると、もう11時になっていた。どれだけ向かい風の中漕いでいたんだ、この短距離を…。
途中、どうせ暇だしこれはこれでかなり長期の滞在になるかもしれないので食料を獲っておこうと魚突きをする。あまりパッとしない場所で期待はしていなかったのだが、なんとKing Fishと遭遇!最初はあまりの遠さに外し、これで燃え上がってしまった僕はかなり寒かったのだがいったん陸に上がって休み、再び潜った。
結果、カーワイ2匹とスナッパー1匹、あとは揚がる寸前でシマメジナを1匹突いただけで終わった。2ダイブ目にKingの頭に当たってしばらくやり取りしたのだがすっぽ抜けてしまった。シャフトに残った肉片が悔しくてたまらない…。今考えてもあれが回収できていたらその後の食料事情もだいぶ豊かになったと思う。
沖をみると、雲の間から太陽の光が差し込んでおりそれが創世神話の様な光景だ。ガーネット(カツオドリ)がたくさん飛んでいるなぁ…と思うと、突然海面に突っ込んでいく。それはまるでミサイルのようで、もっとマニアックな例を出せばエヴァンゲリオンのワンシーンみたいだった(わかりづらいけど、わかる人には非常にわかると思う…)。海面に突入する際に体を縮めるガーネットが加速した瞬間…!海中に消えてカッコイイ。
浜に戻るとガーネットが集まっていた原因なのか、カーワイのナブラが浜に打ち寄せて来ていた。ここぞとばかりに浜にいたおっさんとキャンプ場の管理人がやって来てルアーを投げて立て続けにカーワイを釣り上げた。投げ竿に安そうなミノーで、テクニックもただ巻くだけでけして上手とは言えなかったが、あれだけ釣れれば問題ないのだろう。おじさんが「一匹やろうか?」と聞いてきたが、すでに獲ってきたので遠慮した。その後の事を考えればもらっておいても損はなかったのだが…。
この日から僕はしばらくこのホリデーパークの住民となるのだった。
4月24日~26日 停滞
4月22日にHihi Beachに到着してから5日間、僕はここに留まり続けた。あとで知ったのだが、この時はニュージーランド全国で悪天が続いており、全国各地で大雨が降っていたらしい。この北島のノースランドももちろんだが、南島もひどかったらしく、ウエストコーストの家などは大雨の為に半壊してしまうほどだったという。風裏のホリデーパークに滞在していたというのはある意味幸運だったのかもしれない。
でもそんな中、僕は毎日雨と風に悩まされ、ジメジメとしたテントの中で悶々と過ごしていた。ホリデーパークのキッチンで毎日テレビを観て天気予報で天気図を見る度にガッカリしていた。何しろ北島の北西に低気圧、南に高気圧があり、南半球は北半球とは逆に高気圧から低気圧に風が流れるのでちょうどノースランド周辺には東風が吹くのである。等圧線が密集し、それはもう、アホみたいに典型的な悪天天気図だった。
それが一向に変化しない。
最初は耐えるしかないとポジティブに考えて色々戦略を考えるのだが、さすがに4月30日一週間前になると気力が失せてくる。ファーノースを攻略するにはどう考えてもKarikariのMaitai bayから3日間はいる。それもかなりの好天で、無理をして…の話だ。逆算していくとどう考えても日程が合わなくなってくる。旅程が合わなくなり不安になってくると、車が存在しているかという不安まで思い出されてきて葛藤のネタが増える。
追い打ちをかけるようにジットリとした居心地の悪いテント。急激な雨が降ると水はけが悪くなって水没することもあった。
何もしていないのに減る食料、お金。気持ちがどんどん弱くなっていくのがわかる。
Taurangaから考えると合計で一週間くらい棒に振っていることになり、それを思うとますます気持ちが落ちてくる。カヤックの旅においてこれほどまで停滞が辛いと思ったのは初めてだった。当初決めた「4月いっぱいまでにゴール」という目標をこれ以上伸ばすのも嫌だった。
26日、もう4月中にCape Reingaにはカヤックで行くことは無理だと判断し、この旅を打ち切ることを決断した。
とりあえずバスか何かでReingaまで行き、車の所在をはっきりさせ、Paihiaまで戻ってその後の身の振り方はその時決めようと思った。
長雨でランドローバーのエンジンもおかしくなり、その手入れをしている管理人に相談すると、ツアー会社に電話してくれ$70でCape ReingaまでMangonuiから連れて行ってくれることになった。カヤックなどは置いていってもいいというのでもしもの時の為にキャンプ用具と食料だけ持っていくことにし、話がまとまった。
夕方、カヤックに乗って沖に出てみた。海面は静かだが、長雨の影響で茶色く濁り、上下に大きくゆっくりとしたうねりが入って来ている。微かに見えるKarikari peninsulaは白い霧がかかったように見える。おそらく沖にはかなり高い波があって、強風で波頭が飛沫を上げているのだろう。それをみると妙に納得したと共に、無性に悔しくなってきた。
自分の決断は正しいのか?
自分は賢者なのか、それともただの負け犬なのか?手段はまだあるのではないか?
そういう未練とも後悔とも言い切れない複雑な感情が胸中渦巻いて、風を受けながらしばらくカヤックの上でたそがれていた。
言いきれるのは、この旅はまず、ここで終わったのだった。
4月27日 Hihi Beach →(Via Cape Reinga)→ Paihia 陸路
不安と興奮で昨夜はちっとも眠れず、2時までラジオを聴きながら横になっていたが眠れず、3時くらいに記憶が薄れたが、朝の6時には起きていた。どんな切羽詰まった状態でも眠れる僕だけに、この時の緊張は異常じみていたと思う。
6時半頃テントから出て準備をしだす。天気はいつもと同じ。黒くて重い雲が高速で移動している。ニュージーランドらしからぬジメっと湿った空気にいつでも雨が降ってもおかしくない。
8時にバス会社に電話するつもりでパッキングをしていたのだが、管理人のオヤジがやって来て「俺がMangonuiまでは連れて行ってやる」と言うのでそうすることに。このオヤジも英語がほとんど話せないうえにいつまでも長期滞在している日本人に辟易していたのだろう。出ていくとなるといつもに増して協力的だ。素直にありがたい。急いで朝食のシリアルをかっ込んで必要な荷物を持ち車に乗せてもらう。
Mangonuiは陸路だとけっこう遠くて10kmくらい離れていた。バスが泊まるMangonui Hotelの前に落としてもらい、前から一度言ってみたかった「I will be back soon!」と言って別れる。アホだな、俺。
雨が降り始めて屋根の下でじっとする。
30分ほど待っていると、観光ツアーバスがやってきた。思ったより客は少なく、年齢層は非常に若くてバックパッカーなどに泊まっている若者が中心だ。運転手が観光業だけにテンションが高くて握手を求められ、自己紹介すると$70払って席に着いた。雨の中、一路観光バスはCape Reingaを目指す。
しかしまぁ、よくもこんな雨の日に眺めが良くなければ意味がないとまで言えるCape Reingaに行くものだな…と、感嘆していたのだが車がファーノースの突き出た半島を走りだすと不思議に雨は上がり、青空が見えてきた。
なんだこりゃ。
ファーノースの一本道を走っていたが、DOCのオフィスがあるTe Pakiの分岐点でCape Reingaではなく90マイルビーチの方に曲がった。こっちには行ったことがなかったのだが、ちょっと行くとSand Streamという場所に出た。周りには砂丘が広がり、そこを流れる河川敷を車は走っていく。しばらく行くとバスは泊まり、運転手と皆がおり始めた。運転手が荷物置き場からボディーボードを出して皆に配っている。周りのみんなはおもむろに服を脱ぎ始めているではないか。
あ、これがうわさのサンドボードか…と、独りごちる。
90マイルの有名なアクティビティーの一つがこのサンドボードで、砂丘の坂をボディーボードに乗って下るという、至極単純な遊びなのだが、そのスケールがハンパないのだ。砂丘といっても鳥取砂丘の様なしょぼいものではなく、落差50m、滑降距離数百mはあるんじゃないかというものだ。最初はそんな気分じゃないと断っていたが、皆が砂丘を登って行き、下るのを見ていると、何だかムズムズして無性にやってみたくなってきてしまった…。
砂丘の上に登ると、まるでサハラ砂漠に来たような細かい砂の砂漠が広がる。奥には90マイルビーチの長いサーフが見えてタスマン海が見える。車や遠征の事を忘れ、その絶景に感嘆してしまった。
「Waohooooo…!!!!」
前傾姿勢になって直滑降で一人ずつ下に滑っていく。好きな奴は助走までつけて一気に下っていく。その爽快感とスリルはバカにしていた割には面白かった…。ビキニのお姉さんのポロリはないかと期待したが、そんなスケベな日本人の期待には応えてはくれなかった。
それが終わると再びバスに乗ってCape Reingaに向かう。運転手が僕の要望にこたえてランチをTapotupotu Bayで食べるようにしてくれた。これでわざわざ歩いて下っていく必要がなかった。
平静を保ってはいたものの、かなり緊張していた。もし車がなかったら…。そう考えると憂鬱ではあったが、元来、楽観主義の僕はあるに決まっていると自分に思い込ませていた。きっとある、きっとある…。そう考えながらTapotupotu Bayまでの坂道を下る。
Cape Reingaに行く途中に右に曲がる道があり、そこを降りていくと小さな入り江がある。ここがNZで最北端にあるDOCの管理するキャンプ場、Tapotupotu Bayがある。ここに来るのは3回目だ。最初は車を買って北島をラウンドしていた時に来た。2回目は後輩達が遊びに来た時に一緒にやって来て車をデポした時。そして今回が3回目。もうなじみ深い場所と言ってもいい。海はかなり時化ており、湾の真ん中にある大きな平岩の沈み根のせいでサーフが立ち、サラシが広範囲に出来ていた。今日のような日に上陸するのはかなり難しいだろう。
バスから降りて各自休憩時間となった。僕は全員が降りた後、恐る恐るバスから降りて車を置いた場所まで歩いて行く。
「あってくれ、あってくれ、あってくれ・・・!」
そうやって念じながら近づいていくと…
「…」
「あれ?」
車はなかった。
しばらく唖然となる。
「本当に、ねぇよ」
車があったと思われる場所ははっきりとわかる。若干黄緑色になった芝生。そこから新しく伸びた葉の感じから、かなり前に大きなものが退かされてもうかなり時間がたっていることがわかった。辺りを歩いてみるが痕跡と思われるような道具は何一つ見つからなかった。DOCのレンジャーがレッカー移動したとも思えない。
「やられたか…」
海を見ていた。かなり長いこと。
ぐちゃぐちゃにかき混ざったサラシだらけの湾を見て、こんなところにカヤックで来ようなんて、なんてバカな行為なんだと笑えてきた。
失意の中、運転手に今の実情を説明する。
「そうか…そりゃ残念だな。こころから同情するよ…」
運転手はそう言って僕の肩を叩いた。
もともとここまで連れてくるという約束だったが、料金は往復分含まれている。発着所がPaihiaのはずなので、このままPaihiaまで乗って行ってもいいかと聞くと、「もちろん」と返事が返って来て安心した。
一時間のランチタイムが終わると、再び坂道を上がって行き、本命のCape Reingaに到着した。
マオリの魂が死後にこの場所に集まり、先端にあるポフトゥカワの木から沖にある島に渡り、天に昇って帰るという話がある。つまりマオリにとっても神聖な場所であるのがこのCape Reingaなのである。
バスから降りてやはり3回目となるCape ReingaのLight Houseを見に行く。ここから海を見ると、眼下にタスマン海と太平洋のぶつかる潮境が一直線に伸びているのが見える。右手には微かにニュージーランド北島最北端のSurville Cliffsが見え、左手にはCape Reingaよりも通過が難しいと言われているCape Maria van Diomenが見える。
「あー、カヤックで来たかった…」
思わず日本語でそう叫んでしまった。
東風の為に前回は荒れまくっていたCape Maria van Diomenがそれほど波は荒くなく、ただCape Reingaの少し沖にあるColumbia Bankだけが激しく波を立てていた。その漕ぐうえでまだ可能性のある海況が、妙に焦燥感と後悔の念をかきたてた。潮が緩かったこともあるだろうが、「誰がこんな場所を、カヤックで漕ごうなんて考えるんだ」と、半ばヤケクソな発言もこぼれてしまった。
青空のもとに白い灯台と、3回目に見るCape Reingaの海が輝いている。
無邪気な観光客が妬ましい。
この先の自分の身の振り方の方が心配で、カヤックのリベンジを図るなどとても考えられる余裕は、まだこの時には微塵もなかった。