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④ 海を漕ぐこと

~瀬戸内カヤック横断隊に参加すること~
 

■瀬戸内カヤック横断隊


 毎年、晩秋になると瀬戸内海に行くようになったのは2007年の頃から。香川県から山口県の瀬戸内海300㎞を一週間で漕ぐため瀬戸内海をフィールドにするガイドを中心に、全国のカヤッカーが集まってくる。
 「瀬戸内カヤック横断隊」と呼ばれるその旅団は2002年から海洋ジャーナリスト内田正洋氏を隊長としてシーカヤックの勉強会「シーカヤックアカデミー」の実践版として始められたのがきっかけだ。
 基本、無補給で晩秋の完全な冬型になる前の瀬戸内海を一週間で漕ぎ抜ける。
 来る者は拒まず、去る者は追わず、途中参加、離脱は自由、自己責任で行うツアーではないカヤックの旅だ。
 最初の頃は香川県小豆島と山口県祝島を結んでいたが、その後香川県側は直島になり、高松になり、現在は香川県豊島となっている。過去10回行われて10戦5勝5敗。横断できないことももちろんある。
 今年で記念すべき第10次を迎え、もちろん僕も参加した。

 最初に参加したのは第5次、2007年の時。
 その前年の2006年、僕は香川県小豆島にあった「島風」というショップでシーカヤックガイドをする機会があり、その縁で西表島ではない瀬戸内海という海を意識することになった。瀬戸内海というと沿岸をコンビナートや工場のために埋立てられ、「内海=汚い」というイメージがあった。確かに本土側は見事に埋め立てられた海岸が多く水の透明度はお世辞にもきれいとは言えない。しかしそれを差し引いても素晴らしいフィールド、条件がある。
 はるか水平線の向こうまで続く島の数々。予想していなかった真っ白な砂浜と複雑な海岸線を持つ世界有数の内海。そして潮流の影響で川の瀬のように流れる瀬戸。この独特な海とその魅力を知ったことで、もっとこの海のことが知りたくなった。その前年に参加した山口県油谷のシーカヤックアカデミーで横断隊の存在を知っていた僕はその隊に加わって瀬戸内海を漕いでみようと思ったのだ。
 参加するまでの経緯に関しての詳細は、横断隊参加者の義務であるレポートがあるのでそこの僕のレポートを読んでもらえれば動機、意義、理由を知ることができると思う。

 瀬戸内カヤック横断隊(ブログ) http://oudantai.blog98.fc2.com/
瀬戸内カヤック横断隊(Facebook)  https://www.facebook.com/#!/groups/setouchi.kayak.oudantai/
bajautrip 2007年レポート http://www.bajautrip.com/setoutioudan1.html


 ここでは僕の考える横断隊、横断隊で学んだことを書いてみたいなと思う。それと、これを読んでいる方々はバジャウトリップのお客様だったり、興味がある方がただったりすると思うのでツアー内容にどういう影響を受けたかなどを記録しておきたいと思う。


■横断隊に参加して学んだこと

 西表島のカヤックガイドが何故毎年のように瀬戸内海に行くのかといえば、それは単純にそれだけの価値があるからです。この横断隊に参加することで多くのことを学びました。
 まず、大勢のカヤッカーと漕ぐことができること。これはありそうでなかなかない。お客さんという人たちと大勢で漕ぐことはあっても、漕げる者同士でチームとして漕ぎ進むことはなかなか機会がないのです。僕の場合、単独行をしているか、2~3人で同業者と漕ぐか、お客さんをつれて大勢で漕ぐかですが、横断隊では多くのカヤッカーと隊列を組んで漕ぐことになります。これはカヤッキングの細部まで洗練した意識を持たせてくれます。
 またそれでも実力に差異はあるので、その見極めをしっかり行い、隊全体で判断を下して行動しなければならない。そういう判断力を鍛えるにはたいへん素晴らしいです。これはなかなか西表島にいても学べる機会がないので貴重な体験になります。
瀬戸内海で漕いでいる人たちはもとより、全国からカヤッカーが集まることで様々な個性ある人が集い、そしてそれぞれの地域で起きていること、当地でのものの考え方を語り聞くことができる点も多くの人が集まる強みです。瀬戸内においては実際に自分の目で確かめることもできるわけです。後述する上関原発に関してはまさにそれが当てはまります。
でも一回参加して学んだことよりも、何回も参加することで気づき、学ぶことが多いです。毎回何かしらの発見、面白さがあり、それが足繁く通う理由なのだと思います。

 僕の場合、最初に参加した時は完漕できたことにまず喜びました。カヤックを漕ぐという意味でもなかなかの偉業です。でもそれ以上に参加する他のカヤッカーの人たちと一緒に漕ぐにつれて色々な物を感化され、考え方、モチベーション、物の捉え方が変わってきます。
「もっと感動を共有したい」
 そういう感情が湧いてきて、また翌年も参加してしまうのです。
そうしていくうちに瀬戸内海の様相、輪郭がはっきりとしてくる。自分の中の瀬戸内海像ができてきて地名や地形、ビバーク地、サポート隊との合流ポイント、潮流のスピード、リズムが何となくわかってくる。最初は漠然としたイメージだけでまったく土地勘もなく、無知で情報も乏しかった瀬戸内海という物がわかっていくにつれて、その海にどうラインを引いて行くか、どう攻めていくかがわかってくる。するとますます面白くなっていくわけです。
 そのうち「カヤックを漕ぐ」ということが目的ではなくなり、手段となった時、理解できることが現れ始めてきます。
 それが海からの目線を持つようになることです。
 僕らは通常、自然のエネルギー(太陽や月による時間ともいえる)の流れとは関係ない流れ(文明社会とその時間軸)に乗ってばかりいるために、自然という物を理解できなくなってきているといえます。夜も昼も関係なく24時間働き、満潮も干潮も潮流の流れも風もほとんど関係なく移動できる手段をもっている。
 カヤックを漕ぐ(人力で移動する)ということは、その自然エネルギーの流れを知ることにつながると思っています。潮の流れには逆らえないし、風や天候にも逆らえません。自然の厳しさを学ぶ…とも言い換えられます。アウトドアとはシーカヤックに限らず本来そんな楽しみもあるはずです。
 そんな自然のエネルギーの流れを感じ取ることで僕らは海からの目線、文明や経済からの目線ではない物の見方を学ぶことができるわけです。

 瀬戸内海を漕いでわかってきたことが大きく二つあります。
 一つは伝統的な文化に対する敬意です。瀬戸内海はその昔、まだ島と島が橋でつながっておらず、道路も発達していなかった時代は重要な物流の幹線でした。このため多くの舟が往来し、大変栄えていたといいます。瀬戸内海を漕いでいるとそういう昔ながらの島の重要性が見えてきます。岡山県の笠岡諸島近くにある潮流の分水嶺。これを境に豊後水道側と播磨灘側とで潮の流れが変わります。その流れに乗って移動するために各所に転流を待つための街があり、そういう場所で昔の船乗りは舟を止めて潮待ちをしたのだそうです。
また、村上水軍に代表される水軍、海賊たちの隠れ家となった瀬戸。潮の流れを利用した要塞をも作っていたアイデアには感服します。
 何よりそのような海を効率よく移動するための帆船、櫓こぎ舟。漁をするための打瀬船などの存在は昔の人がいかにこの海の特性を理解し、自然エネルギーの流れを巧く使っていたかが伺えます。
 二つ目は人間社会、経済中心の考え方からの逸脱です。
山口県上関に現在、上関原発が建設されつつあります。
 上関の先端、長島の田ノ浦に原子力発電所を作る計画ができたのが1985年。それ以来、半島の対岸にある祝島の人たちは何十年間も原発建設に反対してきました。
 横断隊は結成当初からこの祝島と縁があり反対運動には「虹のカヤック隊」と称した有志が集まり島の人とともに戦っています。それはただ縁がある、世話になっているからというわけではなく、その反対する考え方が海を漕いできた我々には理解できるものだからです。
 祝島は漁民の島です。ほとんどの島民が海を向いて生きています。地形が良いのか漁場としても大変すばらしいところです。その島の向かいに原子力発電所が作られる。島民の中には福井県の原発建設に関わった人たちもいて、彼らの凄惨な現場の話を聞いて反対運動が起きました。
 海があれば魚が湧く。魚があれば生きられる。その海が原発によって変化、もしくは壊されるのなら島での生活はままならなくなる。祝島周辺の海域に限らず、瀬戸内海の入口にあたるこの海域に原子力発電所ができればその温排水、もしくは漏れ出る放射性物質が瀬戸内海という内海に広く広がるのは目に見えています。
 他の地域の多くの漁協、行政は補償金をもらい、原発建設に賛成していく中で祝島の島民は断固反対してきました。それは海を守る漁民として当たり前のことをしているように思えます。
 経済優先の都会的な考え方では上関原発ができることは必要なことだと思うかもしれません。ましてや過疎化、雇用のない地方では喉から手が出るほど欲しい金なのでしょう。
 しかし瀬戸内海の潮流と風に揉まれながら人力でこの海を漕ぎ渡ってみると、人間の経済の営みとは関係ないところからものが見えてくるようになります。
 海を守るために戦い続けている祝島の人たちとの出会いとその共感はそれを如実に表しています。
若いころ、極北の地で最も自然に従って生きているイヌイット達とすごしていた次期隊長の原さんは、彼らイヌイットと同じ自然観を祝島の人たちが持っていることに大変驚いたと言います。同じような海の捉え方、海との暮らしをする祝島の人たちに共鳴した原さんは、彼らとともに上関原発に対して現在も戦っています。
 第7次、8次の横断隊では原さんを中心として虹のカヤック隊の数名は参加することができませんでした。それは反対運動の激化により田ノ浦から出ることが難しくなっていたためです。
 原さんは横断隊に初期から参加しており、最も横断隊を愛している一人です。カヤッカーとしての実力も群を抜いています。そんな原さんが横断隊に参加することなく反対運動に与されなければならない現実。どれだけ悔しいことか。僕らにとっても横断隊に原さんたちがいない辛い時期でした。
 東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の事故を受け、現在上関原発建設はストップした状態です。そのおかげではないですが、原さん含めて虹のカヤック隊メンバーも横断隊に参加できるようになってはいます。しかし、まだ白紙撤回されたわけではありません。地域住民にはいまだ原発建設を賛成している人がいる。それが現実です。

 文明とは、より利便性のあるものを求めていくだけのものなのだろうか?
 それは間違いである、もしくはその利便性を得るためにさらに享受しなければならないハイリスクな物が人類のキャパシティーを越えつつあることを理解する時期なのではないか…。
 今までに忘れ去られてきた、もしくは失いつつある伝統文化の中には一時の利便性のために失われつつあっても、今後僕らが生きていくうえで重要な技や知恵が含まれているのかもしれない。
 その便利さと、不便さ、不自由さのけじめがついた時、新しい文明と呼ばれるものの中で僕らは生きていけるのではないか・・・?
 海を漕ぐとそんなことまで理解できたような気分になる。瀬戸内カヤック横断隊ではそれを参加メンバーで共有することができるわけです。それがとても嬉しく、楽しく、考えさせられることなのだと思います。
朝日とともに出発し、日が陰る前には寝床を決める生活(2010:下蒲刈島)
瀬戸の激潮を如何にかわすかがポイント(2007:女猫ノ瀬戸)
 
奇跡の凪で斎灘を横断し、中島に初上陸(2009:中島)
 
焚火の前のこの笑顔、わかりますか、この幸せ(2010:周防大島)
 
埋立てのためのボーリング調査が行われていた(2007:田ノ浦)

 

■バジャウトリップへの還元 ~僕ができること~

 
 カヤックは北米インディアンが開発した北の海の道具ではあるが、人力で(単独でも)漕ぐことができる舟としてはもっとも優れた、洗練された舟だと思う。この舟を使うことの意味はとても大きい。それは素人でも乗れば進む使いやすさ、ひっくり返っても元に戻り沈まない構造、安全性、そして漕ぎ手が止まらない限りどこにでも行くことができる航海能力などが理由だ。
 シーカヤックは海を漕ぐものではあるけれど、海に向かっていく舟ではない。どこか陸伝いだったり、島に向かったり、陸を意識している。それはまさに海から陸を見るための舟であり、海からの目線を陸に向けるための物ともいえる。
 だからこそ、シーカヤックという手段は素晴らしいと思う。
 北の海にカヤックがあるように、南にも南のカヌーがある。
 沖縄にはサバニという刳舟があり、カヌーであり、これもとても優れた舟だ。しかし現代では完璧に乗りこなせる人間はおらず、乗り手全員にある程度のトレーニングが必要であり、今はまだ試行錯誤を繰り返している段階である。この世界も奥が深そうで、今後僕もかかわっていく予感はある。
 失われた海を渡る技術を補うのは難しい。だからこそ、たとえ当地で昔から使われていた舟では無いにしても、カヤックを使って海を知るのは必要なことだと考えています。

 瀬戸内カヤック横断隊で行っていることや学んだことをいきなり、すべてうちのツアーで伝えるのは正直、不可能に近い。むしろ遊びにしては重すぎる内容だと思う。
 僕が皆さんにできることはカヤックという乗り物の面白さ、海の面白さ、楽しさとともに厳しさ、興味深さ。瀬戸内横断隊のようなムーブメントが現在行われているということを伝えることであり、そのようなエポックメイクできるきっかけを与えることが「直に」できることだと思っている。そして興味を持ってもらえれば、それでいいと思う。

 西表島のカヤックガイドである僕は西表島のフィールドをガイドする。西表島に来てくれるからには、自然を軸とした西表島をつたえる、エコツアーを行う、島と皆さんをつなぐ架け橋的な役割を担う。
 でも島という限られた空間の中のみの話ではなく、シーカヤッカーとして学んだ多くのことを提供するのも役割、もしくは個人的な楽しみだと思っています。
 シーカヤックは旅の道具であり、旅人は吟遊詩人、語り部です。
 西表島のことや、そんな旅人の戯言を訊きに来る感覚で遊びに来てくれれば幸いです。

 もちろん、横断隊に参加したいという方は是非上記ブログ管理人にメールをするか、わたくしにご連絡ください。ただし基本、自艇参加であることをご覚悟ください。