④Kepler Track
2009年2月7日~9日
■Kepler Track
ミルフォードサウンドを後にした僕はその後無事に仕事も見つかり、何とか必要最小限のお金を稼ぐことができた。この働いている期間に僕の旅の計画もだいぶ変更することになる。それはなるべく早く北島に戻って北島東海岸沿岸を漕ごうというものから、もう少し南島を旅しようという形になったと言うのが一番説明しやすい。
2月の終わりにニュージーランドのカヤック団体の一つ、KASK(Kiwi Association of Sea Kayakers NZ)のフォーラムが2年に一度あり、今年がその年に当たると藤井さんに教えてもらい、KASK会員以外でも参加できるオープンなものだと言うことでせっかくNZに来たのだから、ちょっと顔を出してみようかと思っていたのだ。それに参加するため北島に渡るのは3月1日と決め、それまでに南島を周ろうと考えを改めたのだった。
2月6日、仕事が終わり一緒に働いていた友人を静かな山岳観光地ワナカ(wanaka)に送ると、その足でクインズタウンへ。ここで一泊したのち、再びフィヨルドランドの入口、ティアナウ(Te Anau)に向かった。 ミルフォードサウンドに行った際、どうもこのフィヨルドランドの感じが印象深く、もう少しこの土地で遊びたかった僕はやはりダウトフル・サウンドを漕ぎ、フィヨルドランドの3つあるグレート・ウォークの一つを歩いておきたかった。しかし日程は限られている。南島の最南端近いこの場所からKASKのフォーラムが行われるMarlborough Soundsまでの移動も考えると二週間ほどしかない。長いようで短い日程だ。
のんびりしている暇はなく、まずは山から攻めることにした。グレート・ウォークのミルフォードトラックはすでに予約の段階で無理だとして、残り二つのグレート・ウォークで手頃と言えるのはケプラートラックだ。ここを3日で歩くことにした。
ケプラートラックは3泊4日の日程でティアナウの街から出発し、ティアナウ湖とマナポウリ湖をつなぐ水路ゲートがある場所(コントロールゲート)まで行ってスタートするのが代表的なルートなのだが、完全にこのサーキット状のトレイルを3日で無理なく完走したかった僕はそこからではなく、マナポウリ方面にしばらく走った場所にあるRainbow Reachというつり橋があるポイントからの出発にした。こうすることで宿泊ポイントを二つにし、全工程を歩くことができる。ティアナウのスーパーで必要な物を買いだしし、DOCのビジターセンターでキャンプサイトの予約、使用許可を得て3日後までの天気予報を聞き、出発した。今回もハットではなくテント泊。3日目に天気が崩れるが、今日、明日は何とかなりそうだ。
Rainbow Reachのつり橋
Waiau Riverを見下ろす
ソテツシダっぽいシダに覆われた林床。
コントロールゲートからすぐに入ったビーチで
■2月7日 Rainbow Reach → Brod Bay (16.5㎞)
レインボー・リーチには駐車スペースがあり、同じようなバックパッカーが駐車している。しかし車上荒らしが横行しており、セキュリティーはしっかりしておくようにとの忠告を受けた。カギはしっかり締め、車内はきれいに整理しておいた。 クインズタウンから車を走らせ、ティアナウで色々と用事を済ましていたため出発したのは遅く、16時を過ぎていた。しかしこの日はティアナウ湖畔のBrod Bayというキャンプ地までで、高低差はさほどなく、15㎞ほどなので3時間半もあれば着くだろうと考えていた。
案の定、道はグレート・ウォーク特有の整備された非常にいい道で、何のストレスもなくスタスタと歩くことができる。南極ブナの森林と下草に生えるシダ植物の森を見ながら、また時には右手に流れるWaiau Riverを見ながら、突然湿地帯に出たりと、バリエーションのある環境を通って歩くことができ、予定より早く18時40分頃、キャンプ地に到着した。
キャンプ地には僕を含めて3組ほどしかキャンパーはいなかった。ほとんどの人間がハットを利用するからだろう。世界的に有名なトレイル、それもオンシーズンにもかかわらずこの人の少なさは魅力的だ。のびのびとテントを張り、花崗岩の砂でできた白い砂浜で夕食を作って食べた。湖からの風でそれほどサンドフライは気にならない(と言っても、虫よけは塗らないと酷い目にあうが)。
旅の疲れもあり、この日は早々にテントに入って寝ることにした。
■2月8日 Brod Bay → Iris Burn Hut (27.1㎞)
8時10分ごろ出発。この日はここから怒涛の登りが始まる。
ケプラートラックは非常にわかりやすいルート構成だ。このブロドベイからラクスモー山の山頂までの高低差1200mを一気に登りそこから山の稜線をなぞるように歩き、ハンギン・バレーシェルターから今度は一気にアイリスバーン・ハットまでの高低差900mを下る。そこからはなだらかに下りながら歩き、レインボーリーチにいたる。レインボーリーチからブロドベイは前日の通りだ。だからとにかく、このラクスモー山頂までが辛く厳しい地獄のトレイルなのである。しかもその後の下りもこの一日でやることになり、とにかくケプラートラックの美味しいところ(?)はこの日に凝縮されている訳である。
等高線の妙に密集した地形図を見て、かなり憂鬱になったが、その期待にこたえるように山は勾配をキツくし、ジグザグに山の斜面を上がっていく。2コーナーで休憩していたのが1コーナーごとに休憩するようになり、次第に10歩歩くだけで休憩を取らなければきつくて歩けないほどになった。
「お、俺って、こんなに体力なかったか…!?」
荷物の重さもあるにはせよ、移動は車、仕事でもほとんど歩くことがなかったために体が衰えているようだ。激しく息をしながら、よじ登るかのごとく斜面を上がっていく。途中、石灰岩の断崖があり、それに備え付けられたウッドデッキの階段がこれまたきつかった。ダイナミックな地形で観るのはよかったが、そこまで到るまでの過程がきつ過ぎる…!
それでもなんとか森林限界に10時には出ることができた。山に登る時、森林限界を超える時はなかなか興奮する瞬間の一つだ。下界から天上界に移る境界線のようにも思える。ケプラートラックもそれは同じく、一気に開けた山の稜線上を木製のタラップがかけてあり、そこを歩いていると空の上を歩いているようだ。右手にはテアナウ湖が湖面に太陽光を反射させている。絶景だ。
しかし風が強い。強すぎる。湖を渡ってきた北風が、山脈にぶつかって吹き上がり、稜線の上はとんでもなく風が走っている。セルフタイマーで自分の写真を撮ろうとするも、風が強すぎてすぐに倒れてしまう。風でなびく髪が目に入って痛い。身をかがめながら吹きっさらしのデッキの上を歩き、10時40分、ラクスモーハット(Luxmore Hut)に到着する。風除けの為に中に入るが掃除をしているDOCのスタッフ以外誰もいない。コントロールゲートから出発した人達は通常ここで初日泊まるのだ。その方が体力的にかなり楽だろう。自分のとった無謀なコース取りを呪う。
ここからハンギン・バレーシェルターまではとにかく風との戦いだった。あまりの風の強さの為に行くかどうか考えたが、どうも皆さん歩いてはいるようだ。地を這うようにしてじりじりと歩いて行くことに。 高低差はそれほどでもなくなったが、上りであることには変わりなく、しかも風がべらぼうに強くて足の裏の全体で体重を支えないといけない。山の斜面を歩いて行く時はいいが、コルに出て左右なだらかに落ちて行く不安定な稜線を歩かなければいけない時は吹っ飛ばされるのではないかと心配になった。このトレイルの最高地点、Mt.Luxmoreの頂上にはあまりの風で登頂を諦めた。山の経験がそれほどない僕にはなかなかの試練である。フォレストバーン・ハットが見えた時は正直ほっとした。
しかしこのシェルターも見晴らしが良いところにあるためにえらい風当たりがいい。風圧でものすごい力を入れてやっと扉を開けて中に入ることができたと思うと、ものすごい轟音が小屋の中に響いていた。でも風がしのげるのは最良だ。しばらくするとドイツ人の2人組がやってきて、「やれやれだな」みたいな顔をしておどけ、すぐに出て行った。僕は時間も12時を回っており、コーヒーを入れて行動食を食べ1時間ほど休憩した。
気合を入れて再度扉を開け、爆風の中に飛び込んだ。
このシェルターから次のハンギン・バレーシェルターまでは細い稜線上を進むことになる。ところが不思議なことにこの辺は風があるにはあるが殺人的ではなく、スムーズに足を運ぶことができる。その景色のよさもあり、ややテンションを揚げて歩いた。ある意味、このあたりがケプラートラックのケプラートラックたる場所だろう。空の上を歩く様な素晴らしいトラックだ。
だがまた風が強いエリアに入ってきた。風で体重を支えていたためか、早くも足が痛い。
まだかまだかと歩いているとやっと15時ちょうど、ハンギン・バレーシェルターに到着。小休憩をしたのち、出発する。いやー、本当、このシェルターには助けられた。作って正解です、DOC!
シェルターを過ぎると急な下りに階段がかかっているのだが、ここもまだ山の稜線上なので左右には何も掴む物がない。風が横から吹いたら危ない。景色は良いので写真を撮りたいのだが、風でそれどころではない。黙々と歩く。
森林が見えてきて、その中に再び入ると、今度はかなり細かくジグザグになった道になり、ありえない高度を下って行くことになる。なんでこんな道を作ったのか、正直不思議でならない。山の稜線を歩くというコンセプトのトレイルを作るために無理やりつなげたような印象だ…。
その急な下りを過ぎると今度はうって変わって苔むしたレインフォレストの中を歩いて行く。空気は湿り気を帯び、雨がちらちらと落ちてくるようになってきた。
18時半、アイリスバーン・ハット到着。小屋の先にキャンプ地があり、雨の中何張りかテントが張ってあった。炊事場と思われる屋根があるシェルターの下には今日宿泊しているキャンパーが集まりワイワイお茶を飲んでいる。適当な場所を探してテントを張り終えると必要なものだけを持ってコースを外れたトレイルを歩いて滝を見に行く。20分ほど歩くと立派な滝が現れた。雨の中、水量を増したであろう滝を静かに見つめる。苔むしたレインフォレストにその滝と雨はよく似合った。
キャンプ地に戻ると炊事場には人がいなくなっており、僕はひとり米を炊き、夕食にした。さすがに付け焼刃の登山でこの上り下りは堪えた。しかもアノ風。早くも足の裏には豆ができそうだ。夕飯を食べ、食後のコーヒーを飲んで暗くなる前にテントに入った。 テントに当たる雨の音が心地よい。
■2月9日 Iris Burn Hut → Rainbow Reach (23.4㎞)
朝起きてコーヒーを飲んでいるとある夫婦も食事の準備を始めた。話をすると、奥さんの方は日本人で、ご主人はアメリカ人だという。こんなニュージーランドの人のいない所で日本語を話しかけられるのは意外だった。
雨は昨晩からやむことなく、シトシトと降り続いている。テントをシェルターの下でたたみ、パッキングを済ませると9時前に出発した。
この日はもうひたすらIris Burnの川沿いに歩いてマナポウリ湖に出て、そのままレインボーリーチを目指すというコースだ。昨日と違い森の中を歩くので風は全く感じないが、雨が体を冷やし、全てを濡らしてしまう。早くも靴の中はぐずぐずだ。カヤックの旅を主体にしているため、靴は本格的なトレッキングシューズではなく、トレイルランのシューズを履いていた。ゴアテックスでできている靴だったが、ここまで雨が降って水が入ればさほど違いはない。
しばらくは森の中を歩いているが、40分ほどで開けた河原に出る。氷河によって削られた山肌に、雨が降った時しかできないだろう滝が何本もできていて、上空は風があるのかなびいて霧になっている。その高低差はなかなかの迫力がある。
まわりには転げ落ちてきた岩の塊があり、その隙間を縫うように一本のしっかりとした道が続いている。途中、1984年に起きたというバカでかい地滑りの跡が残っている。地形図にもしっかりそのあとが記されているくらい大きいものだ。
雲の層が薄いのだろうか、時々雲が割れて日差しが照りつけるのだが、すぐにまた隠れてしまう。その間にも雨がやむことはなく、雨に濡れた緑色の森に光が反射して美しい。こういうのは雨の日の特権だろう。森の中を歩くとフワフワの苔にすべての物が覆われており、グレイシャーベイに行った時のレインフォレストのトレイルを思い出した。
しかし風景はそれほど変わらない。苔むした森に感動していたのは最初だけで、あとはひたすら、黙々と歩き通した。途中、レンジャーステーションがあり休憩を考えたが、屋根がある場所がある訳ではなく、雨に濡れて体が冷えるだけなのでスニッカーズを一本食べるとすぐに出発した。雨に濡れて足の豆が?がれてしまい、熱をもったように足の裏が熱い。
4時間ほど歩いて13時になったころだろうか、やっとマナポウリ湖の湖岸に出ることができた。湖岸を歩いているとこのあたりから人が自分を抜いて行ったり、正面からやってきたりするようになってきた。たまに湖岸に出て休憩すると、ロビンという小鳥や、ファンテイルという小鳥が飛んできて、余りでピィピィ鳴いて去っていく。
高低差はほぼなくなり、苔むした下草のあまりない南極ブナの森をきれいに一本道が続いており、そこを歩いて行く。14時にMoturau Hutに到着した。
さすがにこの山小屋は人が多くとどまっており、みんな雨宿りをしている。僕も小屋の裏側に回り込み、屋根の下で一息つかせてもらう。靴下を脱いで絞り、顔を拭いてコーヒーを入れ、バナナを食べた。足の裏の感覚がほとんどない。
体が冷えると逆に良くないし、休憩すると勢いがなくなって気持ちが途切れがちなので30分ほどで出発する。すぐに最後の山小屋、Shallow Bay Hutに行く分かれ道に出たが、迷わずレインボーリーチへ。この小屋は予約がなくてもハットパスがあれば泊まれるようだ。釣りでもするには良いところだが、今回はもう寄り道すらする気になれない。
しかしここまで来ればもうゴールは近い。途中、小さな山上湿地帯があり、そこで食虫植物であるモウセンゴケの仲間を見る。ピンクの色で毒々しく、それっぽい。ニュージーランドにもあるのだなと感心する。
体が濡れ過ぎてきた。僕が着ているmont-bellのレインジャケットはもうかなり使っているために防水機能がそれほど働いておらず、体温で温まっていたから気にならなかったが、かなりインナーまで濡れているようだ。風の当たる場所に出ると恐ろしく冷える。
Waiau Riverに出るともうゴールが近付いたような気がしてきた。この道をひたすら歩くこと15時40分、やっとのことで出発地点のレインボーリーチのつり橋に到着した。入口にあるシェルターでやれやれと休憩し余韻にふけり、すぐに車の場所まで行って着替えた。
全行程約67㎞のケプラートラック、無事に歩くことができた。
Aucklandで知り合った友人のjimmyさんが僕が歩くより1ヶ月前に歩いていたので情報を聞いたのだけど、その時は夏だというのに雪が降り、危うく遭難するんじゃないかと思ったくらいヤバかったらしい。そんな話を聞いていたのでラスクモー山周辺の稜線伝いは厳しいことになるんじゃないかと想像していただけに、実際あの風は想定内のことではあった。でも、ガイド本などにある写真で見るようなスカッとしたものではなく、ちょっと現実は甘くないゼ…といった感じだ。
でもあの山の稜線を歩くコースの展望の良さ、森の中を歩く太古の自然を彷彿とさせる苔むした感じ。湖畔の気持ち良い風と歩き疲れた足をいやす白い砂浜。
なかなかいいトランピングでした。