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⑦Marlborough Sounds

2009年2月20日~23日

 ニュージーランドの地図を眺めていると、局所的にものすごい入り組んだ場所がある。 南島の北端、ちょうど北島に近い場所である。リアス式海岸やフィヨルドと一言で済ませてしまうにはあまりにも複雑に入り組んだ迷路のような入江と半島でできた海域。それがマルボロサウンズである。 北島からフェリーに乗って南島に渡る時、このマルボロサウンズの一部であるクィーンシャーロットサウンドの中を通り、Pictonという港町に入る。四方を山に囲まれた独特の風景でクック海峡の爆風が嘘のように静かになる。時々イルカの群れが泳いでいるのが見える。緑も多く、非常に心和む風景だ。 このクィーンシャーロットサウンドのどんづまり、一番奥に当たるアナキワAnakiwaという場所でニュージーランドのシーカヤック団体の一つ、KASK(Kiwi  Association of Sea Kayakers)の2年に一度の集まりがあると聞いて参加する事にしたのだ。

Kiwi Association of Sea Kayakers (KASK) Official New Zealand Website:

http://www.kask.org.nz/

 
 北海道の新谷暁生さんの73回目の「知床expedition」で出会った藤井巌さんが現在ニュージーランド在住で「リアルニュージーランド」というアウトドア旅行代理店をやっているのは何度も紹介しているが、この人が「ポール・カフィンに会いたいならこんなものがあるよ」と紹介してくれたのがこのイベントである。
 当初、夏のうちに北島のカヤック旅を始めたかった僕は2月の初めには北島に戻る予定だったのだが3月に変更したためにこのイベントに参加できることになった。自分で勝手にこの国を漕ぎ回るのもいいが、こっちのカヤッカーがどんな事をしているか、興味を持っているのか知ってみたかった。
 何より僕の中では本の中でしか知りえない伝説のカヤッカー、ポール・カフィン(Paul Caffyn)に会えるとなれば、胸が躍った。
 ポール・カフィンを知らない人に簡単にすごさを伝えるとすれば、日本を最初にカヤックで一周した人物と言えばわかってくれるだろうか(その他の遠征や日本でのその内容もすごいのだが、それは別の機会に…)?
 南島の旅を終え、北島に渡る一週間前に行われるKASK フォーラムに合わせてモトゥエカに寄ろうと思っていた僕は現地在住のヒロさんに電話した。
「面白そうだね、僕も行こうかな…」
 意外な展開になった。偶然仕事が休みだということでカイテリテリでガイドをしているヒロさんも参加するという。藤井さんも参加するようなのでちょっと面白くなってきた。
 長旅で車のブレーキパットが擦り切れて無くなり工場に運ぶというハプニングがあり、天気もすこぶる悪かったが、僕は2月19日の夕方、アナキワの会場に着くことができた。

■KASK FORAM


 夕方、雨の中会場に着くと、すでに夕闇の中であった。会場は山小屋のようなコテージが何錬かある宿泊施設で、会社の研修や学生たちの合宿などに使われるような場所である。ここを貸し切って行われるのだが、すでに多くの人が集まっており、カヤックが所定の位置に集められていた。携帯電話に電話があり、ヒロさんが迎えに来てくれた。挨拶もそこそこに、受付を済ませカヤックを組み立ててから車を駐車場に運んだ。
 カヤックを組み立てている間にもたくさんの人が見物にやってきた。ファルトボートで参加するのは僕だけではなかったが、フェザークラフトは珍しいのか、それも外人だからか、好奇心に溢れる人達がやってきては挨拶と質問を浴びせてきた。
 この日はオープニングのようなもので、食堂になる大広間で開会とスライドショーが行われる程度だった。
 フォーラムの日程は3泊4日の工程で、初日は夜の部のみ、翌日からは日本のシーカヤックアカデミーと同じく各講師がテーマごとに講義を行うので参加者は自分の興味のある講座を選んで受けるという形で行われる。3日目の昼に講義というか、フォーラムの大体は終わり昼過ぎからみんなでカヤックを漕いでDOCのキャンプサイトがある場所までカヤックを漕いでツーリングし、キャンプ。翌日は朝にミーティングをして各自解散…という流れである。
 最初の夜のスライドショーはダウトフルサウンドからブラフまでのフィヨルドランド遠征と、Paul caffyn氏とConrad Edwards氏によるグリーンランド遠征の遠征報告が行われた。スライドに映る写真のすごい事よ…。グリーンランドの氷の世界もよかったが、フィヨルドランドの遠征報告は行けなかった分、関心を強烈に誘った。あそこはいつか再挑戦したいフィールドだ。
 
 翌日からは講義を受けることになる。
 その前に朝食。ビッフェ形式でいくらでも食べることができる。恥ずかしい話だが、貧乏旅行でろくな物を食べていなかったので、これでもかと御代わりをしまくった。しかしそのハングリーさは置いといて、ここの飯は美味かった!一品、一品が実に味わい深い。ニュージーランドは食材自体が本当においしいのだ。朝食の後ブランチがあり、ランチがあり、さらにその後ティータイムがあり、ディナーとなる。このティータイムでのシナモンロールなど、美味しすぎて3個も食べてしまった…!実質5食もあり、あまりの美味さにガツ喰いしていたが、これだけ食ってればそりゃこっちの人、あんな体形になるわ…と、納得の食生活である。ほとんどの人はお茶だけ…とかだったけど。
 
 この日の講義は4つ。僕が受けたのは最初がオーストラリアから来ていたDave Wink worth氏によるフットポンプの話。日本ではあまりフットポンプというものに出会わなかったのだが、レスキュー中にも自艇に浸水した水を排水できるという利点でオーストラリアではかなりポピュラーなものらしく、台湾製のポンプの装着例などを自艇を参考に見せてくれ、説明してくれた。よくできていた。
 次がグリーンランドパドルによるエスキモーロール講習。ニュージーランドでもグリーンランドタイプのカヤックやパドルを愛用している人がいて、それによるロール、ハンドロールの仕方を講習してくれた。言葉が7割以上理解できない僕にとっては、こういう実技の方がありがたい。自艇であるK-1では成功しなかったが、人のリジット艇を借りてやったら何度か成功した。K-1では通常のロールの方じゃないと無理だと実感した。原因はシートのすぐ後ろにあるリブが邪魔で、のけ反ることができないのだ。前に見た海外DVD「Pacific Horizon」でグリーンランドロールチャンピオンのDubside氏がウィスパーでグルグル回っている時、後ろのリブを外していた、もしくはデッキ側の部分を削っていた意味がわかった。
 昼休憩をはさんで3講義目はGPSの講義。いろいろなタイプのGPSとソフトのダウンロードの仕方などを説明してくれたようだが、ほとんど理解不能。日本でGPSを買うよりNZで購入した方が安いだろうなと思ったのだが、これでは買っても豚に真珠だ。最後にGPSを持ってそのあたりを歩く実技があったが、ちんぷんかんぷん。GPSは日本で買う事にしようと思った…。
 この日最後の講義はポール・カフィンによるナビゲーションについてである。現在はGPSなどで自分の位置を把握することができるが、カヤッカーはチャートと水路情報と観天望気によって遠征を行えるようにするべきだ…みたいなことを言っていたと思う。ヤマタテなどの基本的な事や、潮の流れる場所の横断での自分の位置の確認の仕方、もっと基本的なことでは、マイルやノットなどの数値の概念や緯度経度、極地におけるコンパスの誤差など狭い範囲での遠征ではなく世界的な遠征をしてきた人だから話せる講義で、カヤッカーというより、船乗りの講義のようだった。
 日本ではあまり話題にも出ない内容だと思う。
 また、「THE NEAZEALAND PILOT」というニュージーランドの航海用水路誌のような本を見せてくれた。これは彼が北島を一周した時の著書にも多々に渡って紹介されており、日本版のこういう本もないものかと今も探している。あるのかな?
p2210010_r.jpg Dave Wink worth氏によるフットポンプの話 p2210011_r.jpg これがフットポンプ。かなり小さい p2210014_r.jpg 装着した状態。やや改良が施してある。 p2210015_r.jpg 向かってコンパスの右にあるのが排水溝 p2210020_r.jpg エスキモーロール講座。英語はほとんどわからないけど、練習の過程は非常にわかりやすい。 p2210021_r.jpg p2210037_r.jpg GPS講座。目的地からどのくらい自分が離れているかを調べることをやっていたが、いまいち理解できなかった。 p2210039_r.jpg p2210041_r.jpg Paul caffyn氏によるナビゲーション講習。非常にリラックスした状態で行われた p2210042_r.jpg 本文に登場する「THE NEAZEALAND PILOT」。

 この日の講義が終わった後、夕食前に2時間ほど自由時間があった。そこでヒロさんと少しあたりを漕ぐことにした。ヒロさんは自艇を持っていないので会社からネッキーのカヤックを借りてきていた。
 



 ヒロさんを知ったのは知人のブログだった。
 

 ニュージーランドのカヤックガイドの試験を受けるために練習をしに来たという人が紹介されており、折しも僕も近日その人のツアーに参加する予定だった。そこでこの人を紹介して欲しいというと承諾され、僕はその人と連絡をとった。それがヒロさんだ。知人というのは葉山でスクールをやっている僕のカヤック技術の先生、ケムさんである。
 ニュージーランドに着いて南島に藤井さんに会いに行ってタイレストランでご飯を食べていると、ウエイトレスをしている人が日本人だと紹介され、話をするとなんとヒロさんの奥さんだという事がわかりびっくりしてしまった…!その次の日にヒロさんと会う約束をしていたので「bajauさんですか?明日は私も行きますんで♪」と唐突に言われた時には「世の中、セマァ~」と唸ったものだ…。
 次の日、モトゥエカのアイサイトで待ち合わせをしてヒロさんの車に乗ってあるカフェに行き、そこで話をすることになった。
 ニュージーランドでカヤックガイドをしていると言えば、リュウ・タカハシさんがいる。しかし噂ではもう引退したというし、これといってコネクションもなく突然「話を聞かせてください」と伺っても別に僕自身がニュージーランドでガイドになりたい訳でもないし暇人の興味本位で行っても迷惑なだけだと思い、思い留まっていた。そこに現役でガイドをしているというヒロさんが現れ、話を聞くことができたのだが、これが話をしていくと驚くべきことがわかってきた。
 ヒロさんは以前に僕と出会っていたというのだ。
 話をしている内にわかったことなのだが、ヒロさんは以前西表島のデラシネカヤックスでヘルパーをしていたことがあり2004年のマンタピア鳩間レースに本郷さんの手伝いで同行しており、そこで僕はヒロさんと挨拶を交わしているというのだった…!
 なんという偶然なのだろうか!
 西表島で本郷さんの手伝いをしていたヒロさんだが、その後謀アウトドアメーカーの営業職に就き働いていたが、カヤックガイドになる為に当時もう結婚していた今の奥さんと一緒に仕事を辞めてニュージーランドに渡り、リュウさんを頼りに今の仕事にあり付いたという。この時話をしていたカフェは、その時リュウさんに連れてきてもらったカフェだというのだ。ただ、まだガイドの資格がないので一年間は会社の雑用をしていたという(現在は資格も取り、シーカヤックのガイドをしています)。ニュージーランドの話を聞くのもそうだが、西表島や本郷さんの話で盛り上がり、何だか妙に親しくなってしまった。
 話を終えて、また南島に来た時にでも会おうという軽いノリで別れたのだけど、その日の晩、バックパッカーで夕飯を作っている所に突然ヒロさんがやってきた。 
「HP見たよ。なんか、共感しちゃってさ…話がしたくなった」
 僕とヒロさんは次の日、エイベルタスマンに行く為に買ったワインを結局全部飲んでしまうほど暖炉の前で話をし、深夜にヒロさんはヨロヨロと自転車にまたがって帰って行った。だが、最初メールを送った時には思いもしなかったほど、この人と関わることになった。 
「まさかこんなに絡むとは…、お互い思わなかったねぇ…」
 このKASKフォーラムが終わった後にD’Urville Islandに行った帰りにもヒロさんとは会い、島で獲ってきた魚を肴にして酒を飲んだ。その時そんな事をお互いが思った。
 とにかく、僕にとってヒロさんとの出会いはなかなか劇的だった。
 

◆◆◆
 

「こっちの人はパワーがすごいからね。素人でもすごい漕ぐよ。それと比べるとアジア人はやっぱ弱いね~」
 ヒロさんからそんな話を聞きながら1時間ほどカヤックを漕いだ。クイーンシャーロットサウンドは思いのほか吹き下ろしの風が強く、そして同じ風景が続くために面白かったけど長距離を漕ぐには退屈な気がした。だけど、短い時間を漕ぐには気持ちのいい時間を過ごせた。

 

 シャワーを浴びて夕食を食べると、この日は午前中に講義を受けたオーストラリアのDave Wink worth氏の北オーストラリア横断の話と、同じくオーストラリアから来た女性カヤッカーSandy Robsonさんのオーストラリア一周の話が行われた。
 オーストラリアという国は魚釣りやダイビングなどではその海に行ってみたいと思ったことはあったが、カヤックのフィールドとしては考えたこともなかった。その後、ポール・カフィン氏のオーストラリア一周の本を読んでますますカヤックを漕ぐ海じゃねぇなぁと思ったが、やはり彼の地にもカヤッカーはいるようだ。そして女性ながらにオーストラリアを一周しようという情熱の高さ…。見た感じとても優しそうな人でとてもオーストラリアを一人で漕ぎ抜ける人とは思えず、そのギャップがすごい。僕の知り合いにもとてもそんな感じには見えない女の子で30m近く潜り、自分の顔より大きい顔の魚を突いてくる女の子がいるけど、女性の行動力というのはすごいもんだと感嘆するばかりだ。
 スライドーショーが終わったあとは皆、周りにいた人と話をしていたが、結構早めに就寝という感じだった。日本だったらそのまま深夜まで酒盛…という感じだが、ここは英国紳士の血を引く国だ。夜は早かった。まぁ、スライドショーが終わったのも結構いい時間だったけど。

p2210051_r.jpg Sandy Robsonさんのオーストラリア一周の話。スライド中に面白画像やジョークが入っていて、面白い。 p2210052_r.jpg あまり本文とは関係ないけど面白かったので。彼の地にはこんな道路標識があるようだw p2220062_r.jpg 食事。因みにこれは二皿目。

 最終日、実は何をしたか具体的には忘れてしまった。資料として取っておいたプログラムなども紛失してしまったので、詳細は分からないが、マリンVHFとケープレインガへの遠征の話を受けたと思う。
 マリンVHFはライセンスも習得し、実物も購入していたが実際に使うことはなかった。そこでここで具体的な使い方、天気予報のききかた、MAY DAYのおさらいなどをしたと思う。正直、この講義は役に立った。
 
 ケープレインガの遠征の話は実際、僕もその地に行く予定をしていたので講義よりも直接話を伺いたかった。だが前回のフォーラムでも話をしたらしく、受講生が3人しかいない為にポール・カフィンの講義と合同でカヤックでのリスクマネジメントの話が行われる予定だった。
 ここで一本のDVDが上映された。
 National Geographicが制作したドキュメンタリー、「SOLO :Lost at SEA」である。

http://channel.nationalgeographic.com/episode/solo-lost-at-sea-3620/Overview

 2006年12月、オーストラリアの冒険家Andrew McAuleyが単独カヤックでオーストラリアのタスマニアからニュージーランドのミルフォード・サウンドまでの1500㎞を漕ぎ渡るという遠征を敢行したが、2日後に低体温症と遠征計画の練り直しで取りやめて中断。
 翌年、2007年1月11日に再出発をする。カヤック内に入り込み、コクピットに蓋をすることでカヤック内で睡眠がとれるようにし、起きあがりこぶしのようにひっくり返っても自動的に起き上がる構造にして行われた遠征だったが、2月10日ミルフォード・サウンド沖30マイルの地点で救命信号が送られてコーストガードが捜索を開始するものの、13日に彼の肉体以外の装備を積んだカヤックが発見された。 
「my kayak is sinking」 
「I’m going down…」
 冒頭に出てくるコーストガードとの交信のレコードが実に物悲しく心に残った。それに最初の出発で息子を思い泣き崩れながら出発するシーンはこっちまで泣けてくる。ネットで全部見ることもできるし、購入もできるので是非ご覧になってほしいドキュメンタリーだ。
 
 その後ランチがあり、閉会式のようなものが行われた。フォーラム自体は実質ここで終わりのようだ。あとは残りの人達の交流会のような意味でツーリングに行くことになる。
 ランチの前にちょっと時間があり、常に人に囲まれているポールが独りでいた。ここぞとばかりに話しかけると、 
「ワタシ、トテモ、イソガシイデス…!」
 そういう日本語がいきなり返ってきてビックリしてしまった。資料を片づけていたのだった。すごいフレンドリーで、親日家で、気さくな人だと聞いていたがまさにその通りの人だった。KASKのカヤック教書とポールの南島一周の本を買うと、
「…アリガトウゴザイマス!」
と、ちょっと思い出すから待ってくれと考え込んでから、思い出して嬉しそうにそう言ってサインまでしてくれた。この時はこの本は俺の一生のお宝になるな…と思っていたが、そうはならず、後にまた別の機会でポールと連絡をとることになる(それはまた別の話で)。

Paul Caffyn氏。ものすごく気さくな人だが、時々見せる鋭い目線はただのおっさんではない…。

 しばらく話してから、ツーリングに出るので「see you soon!」と言うと「キヲツケテ!」と返ってきた。その時は「え?」と思ったが、その後メールをしても最後にはkiotsukete!と書かれることが多い。
 ポールにとって日本を一周していた時、出会った人や漁師と別れる時に常に「気を付けて!」と言われていたからだろう。だからサヨナラではなく、キヲツケテなのだろうと勝手に思っている…。
 この時、さらに僕はパドルも購入する。
 今回の北島でのカヤックの旅に使うパドルはかさ張るので現地で買おうと考えていたのだが、ちょうどこのフォーラムでワーナーのカマノが$500で販売されていた。販売元はネルソンから山の中に入ったマーチソンという街にあるニュージーランドカヤックスクールで、そこで働いているというシンガポール人のメイとロールの講習の時にペアを組んでいたのでパドル購入の件を話していたのだ。当時、NZ$1=¥50ほどだったので日本で買う事を考えればかなり安かった。ワーナーはニュージーランドではメジャーとは言い難いが僕にとってはあこがれのメーカーだ。思い切ってカードを切った。後で考えてもこの買物は正解だった。

 16時頃、グループを作ってそのグループごとに今日の宿泊予定地を目指して漕いで行く。ヒロさんは明日仕事なのでツーリングだけ便乗し、Uターンして帰るという。僕とヒロさんはグループ内でもトップクラスの上級者たちと行くことになってしまった。
 出発した時は大丈夫だったが、次第にどんどん皆さん先に行ってしまう…! 
「は、速い…!!」
 何でもなく皆さん漕いでいるのにメチャクチャに速い。グリーンランドパドルを使っている人もメチャクチャ速い。オニューのパドルではあったし、ファルトではあるけど、結構マジで漕いでいるのになかなか追いつけない。すごい人達だ。ほとんどお爺ちゃん…と言っても言い過ぎでもない年齢の人達なのに…!
 日本のシーカヤックアカデミーと同じくこの国でもカヤックのこういうイベントに出る人は年配の方が多いようだ。僕等のような30代前半、20代の人などはあまり見ない。しかし基礎体力はとてもある。身体つきは尋常じゃなく逞しい。ハルクホーガン見たいな人までいる。日本のメタボカヤッカーのような人はあまりいない。それだけ真剣にカヤックをやっている、健康を考えているのだろう。そういうお国柄がよく出ていると思う。
 ヒロさんもさすがパワフルなKiwiのガイドと一緒に仕事をしているだけあるなぁと思いつつも、負ける訳にはいかない。あーでもない、こうでもないとキャッチと推進力、抵抗などを考えつつ、効率の良い漕ぎ方を模索しながらスピードを上げる。。。
 向い風もなかなか強かった。深い入江のクイーンシャーロットだけにうねりや波こそないものの、吹き下ろしの風は強力だ。それでも前を行く人達は怯まず進んでいく。南極や北極に遠征に行っている人達だけあって半端ないな!と純粋に思った。
 キャンプ地に着くと、その足でヒロさんは出発地のAnakiwaに戻っていった。会って話をするだけじゃなく、一緒にカヤックを漕げたのはよかった。 
 

 その夜、各自夕飯を食べて過ごすという感じだった。僕はどういう訳かウエリントンから来たというグループに掴まり、彼らとワインを飲みながら話をした。話をしたといっても会話もままならずほとんど聞くばかりだったが、彼らもこの後D’Urville Islandに漕ぎに行くといい、情報を色々わけてもらった。

ヒロさんと記念写真…て、どこ見てるのヒロさん!!

 翌日、出発前に本当の閉会式みたいなものがあり、その後昨日とおなじ人達と漕いで帰ることになった。
 今回は遅れることなく、同じペースで漕いで戻ることができた。皆、ファルトボートなのにずいぶんとスピードが出るもんだなと感嘆し、色々と質問されたりした。フェザークラフトの舟はやはり質実剛健なKiwiの人達にとっても憧れの興味がある舟のようだ。
 
 顔なじみになった人達に別れを告げてカヤックを積み終わった僕は南島、最後の目的地、D’Urville Islandに向かったのだった。

p2230074_r.jpg 最後の最後でお願いして撮ってもらったツーショット。いまだにポールカフィンと出逢ったことが信じられません…。 p2230072_r.jpg 閉会式 dsc_0005_r.jpg テントサイトまでカヤックを持ってくるのが主流らしい。浜においてしまう僕にはNZを漕ぐうえでセキュリティーの面でためになった。 p2230075_r.jpg カヤックが海面にいっぱい浮いている絵はカヤッカーとしてはかなり嬉しいですね p2230089_r.jpg 絵になる二人 p2230084_r.jpg 各自出発してきた場所が違うので、皆散り散りに去っていった



 ニュージーランドに来て思ったのは、そのカヤックの認知度の高さもあるが、その使用目的がかなり細分化されてきていると思った。
 王道的なツーリングシーカヤックはもちろんだが、アドベンチャーレースで使用するためかサーフスキーをスプーンパドルで乗りこなす人をよく海で見かけた。対照的に日本でも最近人気が出てきたカヤックフィッシングなどの、漕ぐことよりも別の目的でカヤックを使用する人たちも多い。ポリネシアンの血族だけある為かアウトリガーカヌーを漕ぐグループや人も見る。何より、その男女比がほとんど変わらないというのも面白い。明らかに日本人より親水性があるというか、海での遊びに慣れているという感じだ。シティーオブセイルズと呼ばれる巨大都市を持ち、アメリカズカップを行う国だけあるし、何よりイギリスから海を自ら渡ってやってきた船乗りたちによってできた国だけある。
 その海に対する取り組み方は日本人の感覚からは趣味の域を越え、まさに生き方になっている。カヤックの使い方が細分化されているのはそれに特化した遊びの仕方を個人個人がライフスタイルとして持っているからだろう。
 そんな彼らのシーカヤックに対する情熱はかなり熱い。海を知る眼、安全とリスクを考える思考も深い。
 そして遠征をする人間に対してもかなり理解を示してくれる。そのことに関しては北島沿岸を1000㎞漕ぎだしたことに深く実感するのだが、このForumに参加した当時はカヤックという一つの海を楽しむ手段を用いる人種は、国境を隔てても変わりはしないなという共有感と、それと同時に日本のカヤッカーの凝り固まった考え方があらわになった気がした。日本にいて「シーカヤックはこんなものですよ、業界としてはこんな感じだからこうであるべきですよ…」と教わるのもいいが、世界に情報網を向ければ日本人が見てないものを当然外では見ているのだな…ということがわかる。
 そういう事を知れたのは大収穫で、フィールドとしては日本の海を漕ぎ続けたいと思っても、シーカヤックの情報はしっかりカナダ、アメリカ以外の海外からも(カナダ、アメリカからの情報もまだまだ取り入れきれてないけど…もちろん。)取り入れなきゃ駄目だなと思った。
 その一方、逆に天の邪鬼的に言えば英語が使用できる国家同士での交流は容易で、情報も世界各国の物が入ってくるけど、それ以外、もしくは卑屈な言い方をすれば白人以外の国ではあまり情報が行きとどいていないような気がする。白人以外にシーカヤックとするのがネイティブアメリカンか、極一部の他人種(日本人を含む)の人達だけという事実はあるとは思うけど、これはやはりシーカヤックが白人の考えたものだということなのかもしれない。シーカヤッカー個人が人種を差別している訳ではないと信じたいけど世界全体のカヤッカーを見ればそうだと思う。
 この違和感は、つまるところシーカヤックとして行っているものが日本人という異文化の者達が行う事によって、独自の考え方、独自のカヤッキングを生み出しているのではないか…。日本のシーカヤッキングは白人達のシーカヤックとはまた別な流れの中を進んでいるのではないか…?と、いう事も考えるようにもなりました。その為に今、僕はこんがらがっているのかもしれません。
 
 ニュージーランドはこのKASK以外にもカヤックの団体はあるし、毎年何かしらのイベントが行われているようだ。各種イベントを行うことによる啓蒙活動と情報の発信。「自分たちで楽しめればいいや」と身勝手なことを思う反面、カヤックを仕事にしつつある僕等はやはり引き籠らず、外交することも必要なのかな…と思う。いろいろ思う事のある有意義なFORUM参加でした。