エピローグ

 
 5月半ば、New Zealandの夏も終わり秋の兆しを見せていた。長いことお世話になったマークの家とパイヒアの街を出る日、朝から吐く息が白い。
 シーズンもオフになり、僕がやっといなくなることも関係あるのか、マークも肩の荷が下りたようにリラックスしていた。
 一週間のツアーが終わった後も僕はカヤックの水洗いや装備の塩抜き、テント干しなどの雑用をやりながらマークに連れられてアンドリューの家に食事に呼ばれたり、サーフィンに行って帰りにお決まりの温泉に行ったりして過ごした。
 
 5月19日、早朝のバスで僕はパイヒアを離れ、オークランドに戻った。しばらくは友人の家に居候し、その後バックパッカーでExchangeしながら仕事をして生活するようになった。マークは僕がいなくなってからしばらくしてサーシャのいるオーストラリアに旅だったようだ。
 持っている服をすべて着こまなければならないほどの寒さの中、足元だけはマークにもらったビーチサンダルだけ。何ともみすぼらしい格好での別れである。マークと握手をし、再会がいつになるかはわからないが約束し、バスに乗り込んだ。温かいバスの中、ウトウトしながら車窓からの風景を眺めつつ、これまでの旅の事を思い出していた。
 


 自分のカヤックを買い、西表島でカヌーガイドを経てから僕は毎年とは言わないがカヤックの遠征をこなし、その度に課題を自分に与えていた。
 今回のNew Zealandでのカヤッキングではとにかく距離を漕ぐのが目標だった。
 遠征報告を読んでいると「北極海沿岸4000km」、「ノルエー沿岸3000km」、「ユーコン川2000km」、「カナダ・アラスカ沿岸水路3000km」などの、距離が表示されることが多い。ほぼ毎日平均40km漕いで長距離の旅をする…。そういう長距離ツーリングが今までの遠征では約500kmが最大距離だった。 
「目標は1000kmだ」
 これが次に遠征をする際に与えるテーマだなということをALASKA・Glacier Bayを終えた後に漠然と考えていた。単純にカヤッキングの事を考えれば国内でもよかったのだが(例えるならば九州一周1200kmかな?)、そこはプロローグに書いたような海外への憧れがあり今回はNew Zealandという国を選んだわけである。
 1000km。
 一日平均40kmで漕いで25日間。停滞することを考えて単純に一ケ月で漕ぐにはちょうど良く、わかりやすい目標ではあった。ただ、こういう考え方は数字を中心とした人間社会の合理性というか、こちら側の都合だけの話であって、実際の海ではそうはいかない。 
「新谷さん、今日はどこまでですか?」 
「行けるところまでで~す」
 知床EXPEDITIONに参加すると毎回誰かがこのような事を言い、このように返事が返ってくるのを聞くことになる。
 何も知らないと「この人、テキトーだな…」と思うかもしれない。でも、実際厳しい海ほど最初に自分で決めた場所に行けるのは稀で、そこに固執するのは危険な事だと今ではよくわかる。
 海況が悪い、もしくは悪化して1日がんばっても10kmも進めない時がある。逆に僕の場合、あまりにも天気が良すぎて気持ち良い凪ぎとシースケープにゆっくりと寄り道しながら漕いでしまうこともある。停滞先で可愛い女の子と知り合ってしばらく居ついてしまう時もあるし、上陸しようとしていた場所が最悪でナイトパドリングを強いられ60km以上漕ぐ羽目もあるだろう。
 風、雨、潮流、うねり、海洋生物、人間…。色々な要素が絡み合ってシーカヤックは行われる。その中において長距離を漕いだというのはあくまで結果でしかない。
 
 スポーツ的なカヤッキングであれば、Mt.ManganuiからCape Reingaまでの約1000kmを一ヵ月以内に漕ぎきる。これがわかりやすい。
 だけど僕はGreat Barrier Islandでスキンダイビングやトレッキングをして遊びたかったし、距離を稼げる凪の日でもそこにイイ海があれば潜ってみたかった。むしろそれが目的でもあったのだ。
 シーカヤックは天候、潮汐、地形などを読み、その時最善の選択をして目的地にたどり着くことをゲームとするスポーツなのかもしれない。その考え方も確かにあるし、僕の中でも考慮する点である。だが、僕は漕ぐだけではなくその海を別の手段からも知りたいし、ただ通過するだけでは納得できない。潜水であったり、魚獲りであったり、人と出会えれば彼等ともコミュニケーションをとりたい。気にいった場所にはしばらく滞在したい。
 ベタな言い方をすれば、海を旅したいのだ。
 それを踏まえたうえで僕はこの遠征を一ヶ月半、4月一杯で終わらせるという約束を決めたものの、果たせなかったというのはその時点で今回の遠征はカヤッキング的には失敗だと思うのだ。
 ほぼ反則をしてオフタイムというか、その後にも一週間でCape Reingaを目指したにも拘らず、あとわずか13kmの地点で撤退したというのは恥の上塗りのようにも感じる。
 結果的に距離は漕げた。ほぼ1000kmに近い距離は漕げたものの、それに関しての達成感は空しいほどにない。
 あるのは最終ゴールまで行けなかった悔しさと、それに相反して与えられた人からの恩義である。
 


 子供の頃から人の世話になるのが嫌いだし、苦手だった。今でも頼みごとが下手だと多くの人に忠告される。
 とにかく何でもやりたい、やってしまいたい、人に借りを作りたくない、そのかわり人の世話もベタベタしたくないという人間だった。
 大人になってからそれでは何もできない、大きな事はできない、創れないとわかったものの、社会にいる限りはそうでも、自分の中で個人的に行うことに関しては全て自分でやりたいと思っている。
 独り旅をするようになってからもヒッチハイクの様な人を頼るやり方は好まず、知人の協力を得るのも控えたかった。
 歩いたり、自転車だったり、人力で移動する手段が好きだった。もしくはちゃんとお金を払い、公共の交通機関を使いたかった。だからファルトボートを使っての海の旅は僕には最高の手段だと思う。
 
 シーカヤックの最大の魅力は旅を計画し、準備し、実行するのをすべて自分一人でまかなうことが出来るからだ。海に出るのに一部の国、海域を除き許可はいらないし、漕ぐのに資格はいらない。燃料を買う金すらいらない。
 シーカヤックは己の力と技術などの実力と意志があればいつでも思い立った時に旅に出られる。
 それが僕には一番の魅力であり、フィールドが興味の対象である海と合わさってみごとにフィットしたのだと思う。
 ところがだ。
 実際に旅に出ようとすると、もしくは出てみるとこれが何かと上手くいかない。結局だれかの世話になってしまっているのだ。
 今回の旅で言えばコロマンデルのスティーブ、オークランドのジョン、マンガワイヘッドのディーン、そしてパイヒアのマーク達…。
 彼らの御蔭なくしてはこの旅は成立しなかったし旅の極上エッセンスもなかっただろう。そして何より僕の旅はもっと凄惨な結果に終わっていただろう。
 そういう恩義、サポートがあるからこそ、せめて最初に決めたゴール、Cape Reingaまで行ければ、自己満足かもしれないが彼らに対する恩に報いることが出来るのではないかと思っていた。それが出来なかったという事実は彼らに対して申し訳ないと思うと同時に、これだけサポートを受けても目的が達成できなかった自分の不甲斐なさを感じてしまう。
 結局僕は、一人では何もできないのだなと、今更ながら思うのだ。
 そういうことを気付かせてくれるのもシーカヤックなのだと思う。

 多くの人の助けを受けながらパドリングを続けた。
 でもやはり、シーカヤックは孤独なものだ。実際海の上にいる時は自分しかおらず、最終的な決断は自分でくださなければならない。それは新たに知らない自分を浮き彫りにし、過去の経験を蘇らせてくれる。
 それがやはり、面白いのだ。
 怒涛のように打ち寄せるサーフ帯に迷い込んだ時、
 突風にあおられて舟がひっくり返りそうになった時、
 ダンパービーチに捉まってモミクチャにされながら脱出できるか困惑する時、
 いつまでも吹きやまない向かい風、追い風の中、上陸できずに漕ぎ続けなければならない時…。
 そういう困った海況、自分の経験にあまりない状況にいる時、パニックになりそうな自分を押さえこんで必死に最善の行動を取ろうとする自分がいる。そういう一つ一つの困難、課題をクリアーできた時は本当に嬉しい。みごとなまでの達成感がジワリジワリと感じられるのだ。
 自分の意志とは関係なく無意識に波の中でブレイスポジションをとったり、突風にあおられてスタンピングをかましたりするのは、それまで積み重ねた経験が生きているのだ。
 そういうことを実感することも、いちいち嬉しい。
 でもふと振り返ってみる。
 逆境に立たされた時、僕の頭には先輩達の言葉が現れていたのではないか?
 シーカヤックの多くの先輩方に訪問し、出会い、教えられ、怒られて得た先輩達の言葉が僕を助けてくれた。やはり僕一人ではできた事ではないのかもしれない。

 海外の海(なんか変だな?)、外国の海を1000km漕ぐ。
 このUpper North Islandを漕ぐ前にもちょろちょろと南島の異なった様々なポイントを漕いだ。これは同じ海を漕ぐにしても国内で行うのとはまた違った趣があった。やはり海外の方が遠征に来ている感があるし、陸上でも独特な緊張感が付きまとう。同じ長期遠征でもやはり違って、やはり海外遠征は2年でも3年でもいいから定期的に行いたいと思う。あのヒリヒリする緊張感はズシンと重いけど、病みつきになる。
 まるで「ラーメン二郎」の様なものか。いや、例えが悪いな…。
 ともかく、あの感覚は忘れたくない。
 昔、ある有名なシーカヤッカーがシーカヤックの旅を「まるで密造酒を作るようなもの」と例えていたのを思い出す。まさにそんなエッジの上を歩く様な魅力がシーカヤックにはあるのだろう。
 そういう意味では、このNew Zealand北島を1000km漕いだ旅は、成功だったのではなかろうか…?



 風裏を求めて入った島の洞窟内に広がった極上のビーチ
 岬の先端に沸きあがった魚の群れ
 真っ白い砂地の上にエメラルドグリーンの水を湛え生えるマングローブのシルエット
 グレートバリアアイランドの雄大な地形と無数にいるクレイフィッシュの群れ
 ロックガーデンの広がるカヤックパラダイスのベイオブアイランズ
 月の光が反射して自分の手の皺まで見ることが出来るビーチでの幻想的なキャンプ
 愛らしい野良犬と過ごした夜
 旅先で出会った人達との様々なエピソード…
 
 どれも素晴らしい思い出だ。だが、これらが僕の中で感動を生むのは、シーカヤックという手段を用いて自分の意思で漕ぎ得た経験だからこそなのだ。そこには与えられた情報や人にやらされる受動的な行為では理解することができない要素がある。
 どんなにきれいなものも、素晴らしいものも、その価値に気付かなければただの風景であり、モノであり、過ぎ去った時間でしかない。
 カヤックを漕ぐことは何の生産的な事ではないし、冒険でも探検でもない個人旅行であれば社会的意義もない。 
「あ、そ。よかったね。それより君…」
 そう言われると腹立たしくはあったが、人から見れば確かにそういうものかもしれない。
 社会で生きる上で旅をすることは何だかんだで難しい。自分の為だけに時間を割くシーカヤックの旅はそういう意味では非常に贅沢な旅の手段であろう。そして限られた貴重な時間であるゆえに、じっくり吟味して本当に自分がやりたいことをやらなければならない。
 情報はいっぱいある。人にはあれがイイ、これをやれ、こうでないとダメだと色々言われるし、押しつけて来られたりもする。それに甘えて転がり込むのも悪くないかもしれない。
 でもそれが自分の中で納得できなければ嫌なのだ。
 うまくいこうが間違っていようが、後悔のもとになるのは目に見えている。もちろん聞くべき忠告にはしっかり身に留めなければならないだろう。 
 
「漕ぎ続ける為に」
 
 カヤックは面白い。
 漕ぐ事自体も今となっては面白いが、それ以上にカヤックを漕いで海を旅することが面白い。
 どうせ生きるなら、面白い生き方が良いに決まっているじゃないか。
 しかしそれを行い続けるのは難しい。
 漂うのは海の上だけで、陸の上では地に足を付けたいものだね。


 この遠征において準備の段階から、カヤックの漕行中、そして終了してからと多くの人の世話になった。
 K-1の送り先になってもらい、マークやKASKフォーラムを紹介してくれ、NZに到着してすぐに色々と相談にのってくれたリアルニュージーランドの藤井さん夫婦とは、その後連絡を取っていないが氏の御蔭で自分だけでは踏み込めない地元カヤッカーの門をくぐることが出来た。
 また南島滞在中は度々、カイテリテリでツアーガイドを現役で行っているヒロさんこと、名取さん夫婦にも大変お世話になった。2人は僕が帰国してからも西表島に遊びに来てもらい、非常に良い関係になることができた。彼らの御蔭で2010年の6月にリュウ・タカハシさんが西表島に来島した際、込み入った話が出来たと思う。
 ありがとうございました。この場を借りて感謝御礼させていただきます。
 
 オークランドで車を購入し、ポンコツ具合に辟易しながら北島沿岸を漕ぐための偵察を兼ねたラウンドに同行してくれたShoko。彼女のキャラには時々イラッとしつつされつつも、何とも癒されながら異国を旅することが出来ました。ボロ車の旅の模様は次の章でいよいよ書きます。
 車屋を紹介してくれたサモアンのMiyaにも感謝だな~。
 せっかくの卒業旅行を先輩のアホな計画に振り回されて一緒にCape Reingaまで行き、Mt.Manganuiまで連れて行ってくれた後輩のソウ、タカハラ、シンノスケの三人にも感謝です。彼らがいなかったらもう少し出発が遅くなっていたかもしれない。
 遠征が終わった後、自分のフラットにこっそりと泊めさせてくれたRyosukeにも感謝。NZ滞在で最も親しくなった友人かもしれない。
 仕事を紹介してくれたTakにも感謝だし、Exchangeを斡旋してくれたKや彼氏のRもわざわざPaihiaまで来てもらいツアーに参加してもらったことは本当にありがたい。何より嬉しかったなぁ…。
 その他にも多くの人達に助けてもらい、タイ米に味噌を塗っただけで喰い伸ばした日々を乗り越え、何とか無事にカヤックと共に日本に帰ってくることが出来た。
 何より遠征中にお世話になったり、助けてくれたKiwiの人々にお礼を言いたい。 
「車を盗まれてしまって、この国を嫌いになってしまったか?」
 マークをはじめ、何人かのKiwiに同じような事を言われた。
 とんでもない。確かに自分の車を盗まれたことを筆頭にこの国、特に北島は治安が良いとは言い切れない部分がある。しかしそれは我が国日本だってそうだし、何より僕のセキュリティー感覚の甘さが露骨に表れただけのことだと思う。その事以上に僕はこの国の人達に世話にもなったし、感心し感化され、学ばせてもらった。
 Sea kayakという日本ではまだまだマニアックな遊びがこの国では普通に存在し認知されている。そしてそれを使って海を旅する人に対する深い理解がある。自国の自然を愛し、その中で楽しむ術を知っていて、守ることを誇りに思っている。そして自然保護に対する啓蒙が深く人々に行きわたっている。
 そんな国の人達を嫌いになれるわけがないではないか。
 ブログでは日本よりも生物相が単調でつまらないという様な事を書いたが、同じ島国でありながらフィヨルドがあり、荒野が存在する。こうも違うものかと思えるダイナミックな自然、バックカントリーが残されている。それは人口が少ないということもあるが、開拓がつい最近に行われたということもある。先住民マオリとの問題もあるものの、現在のニュージーランドにおいてこれ以上の開発が行われるとも考えられない。
 南島のフィヨルドランド、スチュワートアイランド、北島のGisborneからEast Capeを経てMt.Manganuiまでなど、まだまだ漕いでみたい場所も多く、チャンスがあれば是非遠征に出かけたい。
 何よりもまずはCape Reingaをカヤックでまわるのが先決だろう。そこから見える景色はまた僕の知らないNZを教えてくれるだろう。

 

 

 本文中のkiwiのセリフは僕がそう言ったのだろう…と、想定して書いているだけです。英語にして表記してみろと言われても無理なのでご了承ください。
 この旅で「コミュニケーションはまず、しゃべってみろ!!」という意味をよく理解しました。伝えたいという気持ちは大切です。でもやはりボキャブラリーも必要です…。
 毎度のことながら長々としたレポートと、最後の〆になりました。
 こうやって書き並べてみると、本当、人にお世話になりまくっていますね。これで何でも自分でやりたいとかヌカしているんだから、どれだけメンドクサイ人間なんでしょ、俺。
 ここでは自分の中での記憶の整理も兼ねているので、ある事全て書いているような無駄な記述も多く、読むにはイライラすることもあったと思います。「読み物」としていつかどこかで発表する機会があれば嬉しいのですが、何時、何処になるかはわかりません。
 とにかく、読んでくれた方には感謝感激です。NZをこれから旅する方にはあまり参考にならないとは思いますが、彼の国のイメージが出来てくれたら嬉しいです。
 それでは皆さん、どこかの海で逢いましょう。


2011年2月 西表島にて