⑨ 単独 与那国島一周 レポート
2016年は与那国島との出会いがとても大きなものとなった。
国立科学博物館主催の「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」(※以下「3万年前プロジェクト」)に西表島の漕ぎ手として参加することになった僕は、2月からその説明会やら話し合い、5月には与那国島の漕ぎ手を交えての漕ぎ練習、与那国島に行って草船の材料となるヒメガマの刈り取りなど、年の初めからこのイベントに深く関わってきていた。
そして7月1日から仲間数人と与那国島に渡り草船作りから実物を使った漕ぎ練習、スターナビゲーションの講習、スタッフとの安全性の向上のためのミーティングなどをこなしていた。
航海自体は予定最終出発日程を大きくずれ込み、7月17日出発となった。それまで吹いていた夏至南風(かーちばい)が和らぎ、回復が見込める本当に最後のチャンスだった。しかし南からの潮流に阻まれて大きく北に流れ出し、代表の判断で漕ぎ手は全員搬送船に収容され、西表島近海から翌朝出発することになった。そして無事18日の昼過ぎにゴール予定地である内離島と外離島の間にある砂州に上陸することができた。
航海自体はとても後悔の残る(?洒落じゃないですよ)もので終わったが、このイベントを通して僕らは与那国島と、その人々と深く交流を持つことができた。これがきっかけで与那国島がとても身近な存在になったといえる。事実、僕はこのプロジェクトで初めて与那国島に行く機会を得たし、多くの友人を得ることができたのだった。
でも実は、このイベントの話が僕のところに来る前から与那国島に2016年行く予定でもあった。それはこの島の海岸線をカヤックで周ってみたかったからだ。個人的な欲求もあったが、それ以上に仕事で(ツアーとして)使えないものかと目論んでいたのである。
Feather craft社のフォールディングカヤックを用いてのツアーを独立してからほぼ毎年行っている。レンタルではなく、あくまで自艇を持っている方々に来てもらい西表島を漕ぎまわるツアーのガイドを行ってきた。西表島でフェザークラフトを使って旅をしたことがあるガイドはほとんどいないし、西表島のガイドでもある僕がフェザーオーナーを対象に西表島でツアーを行うのは至極当然ともいえる。
だがここにきて違和感もあった。それはわざわざリジットカヤックでツアーができる島において愛艇とはいえ、わざわざ自分の船を持ってきてもらいツアーを行うというのもどうだろうか?と。どうせならカヤックがレンタルできない島、ガイドが存在しない島にフェザークラフトを持っていってツアーを行うのがフェザークラフトの使い方として理想的ではないか?と。
そこで八重山諸島においてカヤックフィールドとして気にはなるけど、商業ツアーが行われていない島として最初に浮かんだのが、与那国島だったのである。
旅するカヤックであるフェザークラフト。そこはガイドの僕も旅がしたいわけである。ガイドである僕がホーム以外で仕事がしたいという、ある意味不純な気持ちで(!?)まずはロケハンに行こうと目論んでいたのだ。
「3万年前プロジェクト」で来島した際、僕はひそかに自分のカヤックも持ってきていた。これは出発地であるカタブル浜のリーフバリを見るのに役にも立ったが、本来ならば時間を作ってサクサクっと島を漕いでみようと思っていたのだがそんなに話は甘くなく、結局そんな時間はなかった。だがこのカヤックを島においておけば、それを回収するという名目でまた島に来ることができるのではないかと悪企み、あえてカヤックを与那国島に置いて西表島へと漕ぎだしたのだった。
航海が終わり、それまで吹いていた南風が嘘のように凪の日が続いた。そしてちょうど仕事がなく、潮汐も速くなく、天気もいい最高に都合のいい3日間が取れそうだった。
「ちょ、ちょっとカヤックを回収しに与那国行ってくるわ!」
そう言ってシーズン真っ最中の夏の日、嫁の疑い深い三白眼をよそに与那国島へのロケハン旅に出たのだった・・・!(笑)
◆与那国島一日目
7月28日
ということで今更予定は変えられないので結局、往復とも飛行機で行くことにした。
西表島から高速船に乗り石垣島へ。そこからバスに乗って新石垣空港に向かい、そこから飛行機に乗る。石垣島から与那国島へは一日3本、JAL系列のRACがプロペラ機を出している。昼間にある第二便に乗り込むと、あっという間に与那国島にたどり着く。空港にたどり着くとお願いしたわけでもないのにムラマツさんが迎えに来てくれていた。僕のカヤックはムラマツさんに預けていたのである。
ムラマツさんの車に乗って自宅に到着すると、カヤックを受け取ると同時に真新しい軽トラを貸してくれるとのことだった。これは正直とてもありがたかった。軽トラにカヤックを詰め込み、この日はリューセーの店で飲む約束をしていたので「また」ということでとりあえず宿に向かった。
宿は島の西にある久部良集落にある宿で、以前泊まったこともあったし何より安かった。宿のおばさんに「あー、あの草船のやつにのっとたのー、あー、そーなのー」と、しばらく同じことを何度も言われながらゆんたくし、部屋を案内されると荷物を預け、潜り道具とカヤックだけを車に積んで、せっかく車もゲットしたので島を周ることにした。明日の一周の偵察である。
与那国島の海はけして易しい海ではない。それはカヤッカーに限らず、エンジン船にまたがる海人においてもだ。
黒潮の本流、分流がすぐ島の脇を通り抜けているし、その反転流や干満による潮流も厄介だ。流れ自体が強いうえに、海底の地形が複雑で流れの向きが読みづらい。そのうえ絶海の孤島であるから風が吹き出したら島の真裏に入らなければ何かしらの影響を受けることになる。果たしてこんなところを漕げるのか?そういう気持ちに十分させてくれる島だが、それだけの価値がある海岸線の美しさが期待できる。地図で見る限りでも美しい砂浜がところどころあるし、無茶をしなければ逃げ場もありそうだ。
おおかた、この島の難所と言えるのは久部良漁港のすぐわきにある西崎、そしてその反対にある東の東崎周辺、海底遺跡のある島の南、新川鼻から立神岩の沖合あたり。このあたりの潮流が速く、厄介そうである。
久部良から反時計回りに県道を走っていく。数週間ぶりに来た与那国はとてつもなく暑く、とてもクーラーなしでは走れない。あれほど荒れていた海はとても穏やかで同じ海とは思えないほどだ。深い藍色の海の色がたまらない。
案の定というか、立神岩から軍艦岩までの間の沖合で激しく潮がぶつかっている海域がある。はたから見ると不気味ではあるが、沿岸ギリギリを漕いで行けば何も問題はなさそうである。うねりもなく、サーフゾーンもほぼ波は皆無だ。
島の北東部にある「六畳浜」で車を降りると急な崖を三点セットもって降りて行った。まずは与那国の水に浸らねばならない。
3万年前の航海で島にいた時、ちょっとした休憩時間に仲間と車を走らせて「このあたりが匂うぜ~」といって入った小道にこの絶景のビーチがあったときはテンションが上がりまくったものだ。何の事前情報もなくこういう出会いがあると旅は面白い。琉球石灰岩の絶壁と白い砂浜、そしてプライベート感たっぷりの狭い空間の前に広がる蒼い海・・・。たまらんね~。個人的にドストライクの場所だった。
魚眼のコンバージョンレンズを忘れたし、TG-4のオートフォーカスが逝かれ気味でピントが全然合わず、魚影も薄く濁りも前回よりあったのでちょっと残念だったが久しぶりに一人で泳いですっきりした。
最後に久部良漁港の裏にある久部良バリあたりの海を見に行く。ちょうど自分の嫁さんが妊婦だったので、当時のことを考えるとなんと酷いことかと臨場感が半端なく、とてもいたたまれない気持ちになってその場を去った。ここは昔、妊婦を集めてこれを飛び越えさせ、飛び越えたものだけが生きて子を産むことが出来たという。しかし無事に飛び越えても腹を強打するか極度の緊張で流産する者も多かったという場所だ(ウィキペディアより抜粋)。何故こんなことをしたかというと、当時の先島諸島で行われていた人頭税という史上最悪の税金に対する税金対策である。八重山の歴史はこれ抜きには語れないのだが、それは今回の話には似つかわしくないので知らない人は各自調べてください。
この日は店主のリューセー、ムラマツさんを含め、与那国メンバーがほとんど集まってきてくれて、数週間前の出来事をもう、遠い過去のように語り合ったのが面白かった。あのプロジェクトは西表島と与那国島を結び付けたということもあるが、同じ島の中でもそれはあったようで、それまであまり面識のなかった与那国島のメンバーも、これを機にだいぶ気心知れるようになったという。確かに与那国島には3つの集落があり、久部良、祖納、比川と、それぞれ独特の流れがあるのでそれらのメンバーが合うことはそれほどないらしく、これは西表島の東部と西部とも似ているなと思った。
そんなこんなで翌日朝早くから出発して与那国島一周に出発しなければならないというのに、新鮮なカツオの刺身が皿の上に山盛りになっているし、島酒はエンドレスだし、ブランデーは出るはだし、ついつい飲みすぎて午前様になるところだった・・・。
◆与那国島二日目
7月29日
早朝、朝日とともに出発する予定であったが、あれだけ飲めばそりゃ起きられるわけもなく、案の定二日酔いで出発は一時間遅れて7時30分に久部良のナーマ浜を出発した。
暗闇の中、水平線に赤い光が差し込む景色を眺めながら海に漕ぎ出るイメージだったのだが普通に昇りきった朝日を浴びながらベタ凪のナータ浜に舟を浮かべる。ラジオ体操に遅刻した小学生の気分だ。
与那国島一周はこのナータ浜から出発して反時計回りに一周する。それはこの時期南風によって荒れやすい南海岸を早めに漕ぎ切ってしまいたいという理由もあるが、潮が早いといわれる海底遺跡を通過するときになるべく潮止まりであってほしかったからだ。ただこのコースだといきなり難関である西(イリ)崎を越えなくてはならない。
ところがどっこい、草船でのトレーニングではあれほど苦労した西崎沖をあっさりと漕ぎ抜けてしまった。ベタ凪で潮の流れだけ意識すれば良かったということもあるがシーカヤックの漕行能力の高さに感心してしまった。
この西崎越えから久部良の避難港を通過してしばらくはチョッピーな三角波が続きライン取りに難儀するも問題なく漕ぎ抜けていく。琉球石灰岩の絶壁が続き、それほど近づくことはここではできなかったがそれほど複雑な地形ではなく、とりあえず距離を稼ぎたいなと思った。
一時間ほど漕いで見慣れた光景になった。草船を出発させたカタブル浜沖である。クルマエビの養殖場を通過してあっという間に比川集落の沖に出てきてしまった。ここで上陸し、比川の共同売店まで行って朝食を食べるつもりだったのだが上陸するには潮が引いており、リーフが遠浅になっていたのでそのまま先を急ぐことにした。
比川沖を通過して30分も漕ぐと、今度は新川鼻にたどり着いてしまった。なんという早さ。島のコンパクトさ。絶壁が迫り、南からの大きなうねりがぶつかって大波がどっぱんどっぱんしていると思っていたが、拍子抜けするほどのベタ凪で海底の岩が透けて見えるほどだった。
潮流が速くて海も荒れやすい場所で、カヤックからのダイブはあまりお勧めできないがここまで来たらやらねばならぬというものだろう。海の中も上も楽しむのがバジャウ流である。
ところがだ。ここまで漕いできて実は相当僕は気持ち悪くなっていた。そうなんですよ、二日酔いが悪化していたのである。それにメローなうねりによって船酔いも加えられてとても気分が乗った状態ではなかった。スプレースカートもPFDも脱がなければならないし、フィンも履かなくてはならない。それで僕はついにスプレースカートを付けたままフィンを履いて海に飛び込んだ。
「え~!?」
微妙な濁り…。たぶん表層だけだと思うが白濁りがあってどこに海底遺跡があるのかよくわからない…。適当に潜り様子を見るがスカートが邪魔でよく潜れない。なにより耳が抜けにくい…。またカヤックのロープを持ったままでそれほど深くまで行けず、何より二日酔いである。5分ほどシュノーケリング状態で海底遺跡を探し、これか?と思うあたりで潜り写真を撮るがどうもイマイチ。ストレスが多く気持ちよく潜れないのだ。
「なんかいいや、もう。カヤックに専念しよう・・・」
結局カヤックに戻り、海岸線を漕いでいくことに専念することにした。確かに十分、カヤック目線から見る与那国島の海岸線は素晴らしく、別に海底遺跡に固執する必要もないなとキッパリと諦めて次に決め込むことにした。この時点でまだ9時過ぎである。
この決断が良かったのか悪かったのかはわからないが、それでも十分楽しめるだけのカヤッキングがその後待っていた。与那国島の海岸線でどこが一番いいか?と聞かれたらこの新川鼻から東崎までの南海岸は十分その候補に当たる。琉球石灰岩ではなく堆積岩が絶壁のように迫り、その岩肌がバームクーヘンのように断層になっている。高低差がありその絶壁は見るに値する絶景だ。途中には与那国島のシンボルでもある立神岩もある。偵察の最中や「3万年前プロジェクト」に来ていた時はとても近づけるような場所ではなかったが潮も満ちてきて凪だったので内側に入ることもできた。ここで記念写真。
そこから先はロックガーデンを楽しみながらダイナミックな岩肌に見とれつつ漕ぎ進む。透明度がよく、サンゴ礁に囲まれていない岩礁帯の海は西表島には珍しく漕いでいて面白い。
「与那国、最高だな~!」
青い空、蒼い海、純白の砂浜、奇岩とそこに生えるソテツやビロウの木。西表島の人間が言うのもなんだが異国情緒満載である。
10時30分、ウブドゥマイ浜に上陸。道路からは隔てられた無人のビーチであるが誰かしらが来ているらしく足跡が見受けられる。それでも砂はフカフカでギョサンを履いた足では足を取られて歩くのが大変である。なんとなく探検してみたくなり、浜をくまなく歩くが結局足跡の正体がどこから来たのか突き止めることができなかった(ネットだと道路から入れるようだが現地で発見できなかった)。浜の上には牧場があり、そこを伝って降りる道があるのかもしれない。あまりの暑さにのどが渇き、特に何をするでもなくカヤックに戻り、水と行動食をとった。
琉球石灰岩のロックガーデン。海の色が素晴らしすぎる
ここからは南海岸の堆積岩の岩肌ではなく琉球石灰岩の海岸線が続き、それもかなりの絶壁なのでだいぶ迫力がある。時折小さなビーチが見受けられ、その純白のサンゴの砂と青い海の組み合わせがたまらなくなる。
サーフノッチの隙間をカヤックで漕ぎ抜け進んでいくのはカヤッカーになってみないとわからない楽しさだろう。時折サーフを越えた波がやってきて舟を揺らす。楽しみながら漕いでいたら昨日潜った六畳浜の沖まで来ていた。上から見るここの海も最高である。この先は琉球石灰岩の岩礁が祖納の港まで続いている。
祖納港の大きく張り出したテトラポットの防波堤を周り込んで港内にあるナンタ浜に上陸したらほぼお昼になっていた。ナンタ浜は安全な海水浴場ではあるがあまりにも風景が味気ない。与那国には気持ち良い場所がいくらでもあるのでここで海水浴を楽しむだけで島を去ってしまう人がいるとしたらそれはとてももったいないことだと思う。
祖納の港からちょっと歩くと崎原商店があるのでそこで買い出し。ネットだと何故か見つけにくい売店だが、同じ集落の大型スーパーより商品はここが一番品ぞろえある。カップラーメンとビールを買ったのだがレジに並んでいた前の土方の親父が最後のお湯を使ってしまい、それが沸くまでえらく待つことになった。途中でおじいがやかんで沸かしたお湯を持ってきてポットに入れてくれ、なんとも島らしい雰囲気にほっこりした気分でカヤックの場所まで戻った。
カヤックを漕いでいたら横をダイビング船が走ってきており、微妙に近づいてきているような気がしていた。こちらとしては航路は譲りたいので進路を変えるのだが、どうもその進路上に入ってくる。「面倒くさい船だな~」と思っていたら「3万年前に参加した西表の人ですか~」という思いがけず声がかかった。なんでも昨日飲んだメンバーによって僕が与那国を漕ぎまわっているのは知れ渡っているようなのだ…。話をしているとこのダイビング船のオーナーもSUPをやるということで西表島のダイビングやSUP関係者などの共通の知人などがいて「帰ったらよろしくね~、がんばって~」っと、だいぶフレンドリーな声援を送ってポイントに戻っていった。
空港を過ぎて海岸の岩が再び盛り上がってきたところで今回の与那国島一周のハイライトが迫ってきていた。実はこの空港からダンヌ浜までの区間、北牧場のある馬崎鼻のあたりがカヤックを漕いでいて最高に興奮した場所なのだ。これは自分でも予期せぬことだったのでずいぶんと感動した。まず浸食された琉球石灰岩の地形の複雑さ。アーチ状になった崖や崩れ落ちた岩が重なってトンネルを作っている。また地下水が流れ出してできたのか波浪によって浸食されてできたのか、巨大な横穴が多くその奥が鍾乳石化している感じ。最も嬉しかったのは海蝕された洞窟の中が素晴らしい青を提供していて、これこそまさに「青の洞窟」の太鼓判を押したい美しさだった。
13時45分、ダンヌ浜到着。カヤックを降りて浜の上にある公衆トイレで用を足し、洗面所で顔などを洗った。多少、周り込んできたうねりがリーフ際でサーフを作っていたが問題ないレベルだ。ゆっくりしたかったのだが仕事をさぼっているのか車が定期的に来てはかわるがわるエアコンをガンガン効かせて休憩しているので落ち着かなく、結局早々に出発。
西崎が近づいてくると石灰岩は減り、代わりに西表島でもよく見る堆積岩の地質になってきた。「3万年前プロジェクト」で夜間漕行のトレーニングをした沿岸を「こうなってたのね」と一人納得しながら漕ぎ進み、久部良漁港の東にあるテトラポットを縫うように漕いでついに港の中に入り込んだ。
14時40分。久部良ナータ浜到着。与那国島一周達成。時間はわずか7時間ほど。だいぶのんびり漕いだので漕ぐだけならもっと早くできたかもしれないが、潮流や風にほとんど阻まれなかったことを考えれば、まぁ、だいぶ余裕あるペースかな?といえるだろう。
漕ぎ疲れたというよりも、暑さにバテテしまった僕は再びシュノーケルを咥え足ヒレなしでナータ浜をなんとなく漂い、水際にいる西表島でもなじみ深いボラやコーフと戯れてしばし一周の余韻に浸っていた。
明日だと土曜日になってゆうパックでカヤックが送れないのでその日のうちにカヤックを干してパッキングし、一つの重さが30kg以内になるようにして潜り機材と一緒に4時には久部良の郵便局から送ってしまった。本当だったら久部良から直接フェリーに乗り込んでコロコロ転がして帰るつもりだったのだが、まぁしょうがない。毎度のことながら地方の郵便局の人はこんなものを送る手配などしたことがほぼないのでアタフタ狼狽していて申し訳ないのだが、おかげで僕らは日本全国、津々浦々を漕いで旅することができるのである。
この日の夜もムラマツさんとその奥さんと食事をとる約束をしており、シャワーを浴びて一人で一杯缶ビールをひっかけていると夫婦で迎えに来てくれた。今夜は祖納まで行って居酒屋で夕食。
「島だから店が少なくてね…僕らはほとんど行かないか大体同じところしか行かないから…」
「それは西表島でも一緒ですよ、むしろまだ多いと思いますよ」
与那国島はその昔、台湾と日本を結ぶ中継地ということで非常に栄えた時代がある。琉球王朝時代はもちろん、ちょうど台湾が大日本帝国だったころもそうで、日本が去ったその後も密貿易の拠点として台湾人、中国人、沖縄人、日本人が入り交じり交易をおこなっていた過去がある。だから遊郭まであったようで飲食店が多く立ち並んでいたその名残がいまだに久部良には残っている。こんな遠くて不便な島になぜ人がいるのかといえば、それは現代の目線でしかなく、過去の歴史を振り返れば(もしくは海からの目線で見れば)必然的にこの島の重要性と地域性が浮かんでくる。戦後になって本島や内地(本土)のカツオ一本釣り漁師が流れ込んできたという経緯もある。
祖納の店には昨日来てくれたマキちゃんが別件で来ており、祖納在住のユージン、ジュン選手が来てくれて、二日もかまってくれてありがたい。
この二日間、僕をアテンドしてくれているムラマツさん夫婦だが、二人とももともとの与那国人ではなく内地(本土)から来た人である。ムラマツさんはもともと昆虫好きの少年で、高校を出てすぐに与那国にやってきて、様々な仕事をしながら与那国はもちろん、八重山、沖縄などの南西諸島一帯を旅しては昆虫採集に明け暮れていたという。それが高じてひょんなことから町の教育委員会に抜擢されて今でこそ公務員だが、その昔は旅人だった。植物の知識もすごく、今回の草船の件では材料をうまく集められたのも氏の能力あってのことだといえる。
町の職員だから仕事がらみということで僕らの面倒見がよかったのかとプロジェクトの際は思っていたが、そうではなくこの人自体がとても人間好きな良い人なのだということが日に日にわかってきた。だからこそ、与那国島のメンバーは「ムラマツさんが言うのなら…」と、このプロジェクトに参加したのだと思う。具体的なことを言うのも何なので例えは出さないが、かくゆう僕もこの旅でお世話になったこともあるが、3万年前の航海の際に与那国島に滞在している時からその人間性に惚れてしまった部分がある。やはり島で生活する、生きるということを他所から来た人間が考える時、理想的な流れで生きているなと思えるのだ。同じ「島への移住者」という意味でもリスペクトしてしまう。
久部良に戻り、宿に送ってもらうと一周の疲れもあったのだろうが、コトンとベッドに落ちてしまっていた。
◆与那国島三日目
7月30日
前日と違ってゆっくり起きて久部良の大朝商店でパンを買い朝食をとる。相変わらず天気は今日もいい。
宿をチェックアウトしてムラマツさんから借りている軽トラに荷物を載せてまずはムラマツ宅に行って最後の挨拶をする。このムラマツさんの家のそばに有名なロールケーキが買える店があるというので途中行ってみたのだが、しばらくお休みのようだったのでちょっと残念。いや、嫁さんへのお土産を代わりに何にしようか焦り、かなり参った(笑)
ムラマツさんはこの日お休みのようで、15分ほどユンタクして軽トラも空港に乗り捨ててもらっていいというありがたいお言葉をいただき、再開を約束して去った。お土産に与那国島名物、クバの葉で包んだ島酒をいただき、いたせりつくせり感無量である。
ちょっと早めに空港に行って、お土産を物色したり食堂で昼飯を食べたり、まったり余裕をもって飛行機を待つつもりだったが空港についてみるとさすがに早すぎたらしく食堂はまだ閉まっていて閉散としてうすら寂しいので、比川の入り口にある「あぐの木そば」に行ってランチをとることに。巨大なアコウの木があり、アジアの食堂を彷彿とさせる西表島にはありそうでないそば屋だ。
八重山そばは「金城製麺」「荷川取製麺」が有名だが、西表島はあいにく製麺所がないのでこのそばを石垣から取り寄せて使っている。だが与那国島には製麺所があり、地産地消を地で行っている。僕はここのそば(前盛製麺所)が気に入っていた(何しろお土産に買ったくらいだ)。普通盛の与那国そばを食べ、入れすぎたコーレグースに唇をピリピリさせながら店を後にした。まだ微妙にフライトまで時間がある。軽トラを走らせて何となく東崎方面に向かう。
比川から東崎に向かう道はなかなか景色がイイ。森の中を走り、その森が切れるころ視界が開けて牧場の上を道路が走っているのが見える。この景色が圧倒的に他の八重山の島々とは異なる。空が圧倒的に広いのだ。北海道でも沖縄でもない、まさに与那国の風景なのだ。
3万年前プロジェクトの公式撮影班にダニー・ハザマさんという日系ポリネシアンの方がいた。この人が凄腕のフォトグラファーで、この人が撮った与那国の風景でどうしてもどこから撮ったのかわからない写真があった。でもそれがとても絶景で印象に残っていた。おそらくこの辺だろう…という場所に行き、そこにある適当な丘に登って全景の写真を撮ろうと考えていた。
「この辺が良いだろうな」
そう思って車を降りると何やら脇道がある。四駆の軽トラなら何とか登っていけそうな道だが借り物のましてや新車でそこを攻めるわけにもいかず、かといって諦めるにはあまりにも気になる魅力的な脇道だった。カメラを持ち駆け足でその道を上がっていく。なんだかんだで時間も限られている。一か八かでその道を小走りに上がっていくと、何やらいい予感が漂ってきた。
「これは・・・!」
10分ほど歩いて登りきったところに高台があり、雑草まみれだが明らかに人工物がある気配がした。近寄っていくと東屋があり、そこから先にはあのダニーさんの写真の光景が広がっていたのだ!思わずガッツポーズをとり、興奮がこみ上げてきた。最後の最後で素晴らしい風景を拝むことができた。まさに与那国島に悔いなしの完璧な最後の締めだった。
石垣島行の飛行機は予定通りの時刻に出発し、何の問題もない空を飛んでいた。
離陸して数分たったころ眼下に島影が見えた。この便は窓際の席が取れて上空から西表島を見ることができたのだ。干立からウナリ崎を経て西表島北部海岸を横断し、石西礁湖の上空を通って白保の空港まで。絶海の紺碧の海に浮かんでいる…というよりは聳えている与那国島と異なり、八重山の海は広大なサンゴ礁に囲まれていて島同士が密集してまるで違う場所の海だ。同じ穏やかな海だが、その地形から想像できる海況の変化はまるで違うだろう。西表島の穏やかに守られている海が安心できると思うと同時に、やはりあの荒々しい岩肌と厳しい海況の与那国島にも魅力を感じてしまう。
こんな近くにこんな面白い島があっただなんて。
もっとこの島のことを知りたいと思うには十分な二泊三日の遠征だった。
関連リンク
◆3万年前の航海徹底再現プロジェクト:https://www.kahaku.go.jp/research/activities/special/koukai/
自分が漕ぎ手として参加し、シラス号のキャプテンを任せてもらった国立科学博物館主催のプロジェクト。
来年度には台湾から与那国島までの航海を考案中、現在ももちろんプロジェクトは進行形である。