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瀬戸内カヤック横断隊 遊撃隊(安芸灘・広島湾班)

◆動機

 2011年瀬戸内カヤック横断隊。200720092010年と三回参加し、三回とも完漕できた。8回行われて4回しか完漕しきれていない横断隊の実状の中で僕はかなりの完漕率を誇っている。調子に乗った僕はさらに次の段階で横断隊に参加することを考えていた。
 今回はニュージーランドの遠征で行ったように海の中も探索することにした。横断隊の活動は天候次第だが朝、日出とともにはじまり夕方3時にはだいたいキャンプ地にたどり着いている。暗くなるまでかなりの時間があり、そのぶん夜がふける前から酒を飲んでいることが多い。この時間を使えば十分その日食べる魚くらいは獲れると考えた。小豆島でガイド業をしていた時、瀬戸内海が水の透明度はないものの魚影が濃いことを知った。装備は増えるがパッキング、巡航スピードにどう影響あるのかが今回の試してみたい部分である。祝島の対岸にある埋め立て予定地である田ノ浦に潜ってみたいという個人的欲求もあった。瀬戸内海を「漕ぐ」要領は何となくわかってきた。あとはただ漕ぐだけではなく自分の海旅のやり方を試す段階になったと思う。
 横断隊に限っては今更リジットにする気はない。横断中に話もしたが個人の遠征をフェザークラフトで行っている以上、横断隊に限ってリジットを使用するというのはシーカヤックアカデミーの実践版といわれるこの隊に参加するにあたり意味のないことだと思っているからだ。
 そんな構想を膨らまし、本番の時期が近づきそろそろ装備を送ろうかと考えていた時だ。
 なんと今回の横断隊が2月に延期になることになった…!
 えーっ!?
 これには参った。隊長のスケジュール状の問題だったのでしょうがないが、一気にやる気が失せた。開催候補の2月は仕事の関係上どうしても島から出られない。今回の本隊は諦めることにした。だがそれ以上にその為に空けたスケジュールがまったく手付かずになってしまった。
 意気消沈の最中、横断隊特攻隊長の本橋さんが有志を募って漕ごうじゃないかという提案を発表してきた。前から少人数でもう少し長い距離、例えば小豆島から祝島のもう少し先まで漕いでみたいと思っていたのでこの提案にちょっと乗り気になった僕は、その趣旨を本橋さんにメールしようと思った。
 そしたらだ。
 な、なんと本橋さんはやっぱり熊野沿岸を漕ぐというではないか…!!
 シルカーッ!!
 またこの偵察隊(のちに遊撃隊)の隊長を誰にするのかという話が出てきて原さんの名前が出て来ていたのだが、当の本人に電話してみると今回は漕ぐことはないという。
 原さんもいないし、言いだしっぺもドタキャンだし、俺のモチベーションはどこに持っていけばいいのだ!?と、思った瞬間、今回は無理して瀬戸内海まで行って漕がなくてもいいのではないかと思ってしまった。
 正直、瀬戸内までの出費もあるし西表島からカヤックを送って参加するのもしんどい。そう現実的に考えてしまうとやる気が失せてきた。
 だがその一方で今年は瀬戸内海を漕げないのかと思うと後ろ髪を引かれる様な感情が沸いてきたのだ。前回のレポートで僕は継続することに意味があると書いた。その文章と意味が自分を掻き立てる。
 漕げない訳じゃない。漕がないだけじゃないか?
 漕ぐことが前提だと考えれば、もはやそれは損得の問題ではない。自分の意志の問題だ。
 迷いがある中、西表島を離れるフライトの日程が近づき、一応カヤックとキャンプ道具一式を実家に送ってから僕は島から実家のある千葉に移った。
 関東に着いてからも迷っていた。瀬戸内海に行くとしても、誰と、何処をどうやって漕ぐか?ということだ。舟を送るのが億劫だったので当初は誰かに借りて、同じコースに便乗しようと考えていた。皆と一緒に漕いでとりあえず瀬戸内海を漕げれば久しぶりのメンツとも会えるだろうし、瀬戸内でカヤックもでき満足するだろうと考えたのだ。
 だが、何かそんな考え方をする自分を気に入らない気持ちが沸き上がった。
「それは俺のスタイルじゃないだろ?」と。
 一緒に漕がないかと誘いがあった。だが、ここ一番で自分の我侭が出てきた。やはり人にカヤックを借りてまで漕ぎたくない。誰かのお世話になるのは目に見えていた。横断隊を常にファルトで漕いで来たこともあるが「自分」が出発したい所から漕ぎだして、「自分」がゴールしたいところで旅をやめる。ファルト乗りとしての自由度が勝ってしまった。 
「よし、ソロだ!」
 最後の最後になってそういう考えにまとまってしまった。なんて我侭なのだろう。これでは日程を土壇場で変更した隊長にも、本橋さんにも何も言えん。これがカヤッカーというものなんでしょうか…?
 コースは当初考えていた小豆島から祝島は日程的にきつくなってしまった。僕がグダグダ考えているうちにどんどん予定が入ってきてしまい、さらにはカヤックが実家に届かないというトラブルもあって結局僕が選んだのは広島湾から周防大島を通って祝島を経由し、光まで行くというコースだ。
 一人で漕ぐことを決めた時から、どうせなら横断隊で行かない瀬戸内に行こうと考えた。一つは村上さん達と同じ鞘ノ浦から出発して西へ因島、生口島の北を通り下蒲刈島までの本州沿岸、呉を越えて広島まで。だがここは将来的には横断隊でも通過しそうではある。
 もう一つが広島湾周辺である。このあたりは瀬戸内横断隊のルートから大きく外れるので同じ瀬戸内海といっても横断隊しか参加しない僕にはなかなか行けない場所だ。何より世界遺産、観光名所である厳島神社があるのは魅力だった。広島から出発し、上関をまわって祝島の先まで行ってみる。瀬戸内海周辺在住の方には馴染み深いフィールドかもしれないが、僕にはかなり魅力的に思えた。何よりそれほど日数も必要としないルートだ。調べると、カヤックを送るための宅急便事務所が都合よく広島の大野浦駅、山口の光駅に隣接してあることがわかったのでそこをスタート、ゴールにした。
 こうして今回の僕の遠征計画は決まっていったのであった。

◆日程

 2011年11月14日夜  :東京から夜行バスにてJR広島駅へ。 
 2011年11月15日午後 :広島県前空 出発 
 2011年11月18日   :山口県光 到着予定 夜行バスで広島から東京へ
 2011年11月19日早朝 :JR東京駅 到着

◆装備

 当初考えていた素潜り漁は結局今回パスした。それは単純に直前に行った伊豆大島で潜り道具に欠損ができてしまったからだ。そのため逆に今回はできるだけ荷物を削減して行くことにした。
 カメラもコンパクトデジカメだけにしようとしたのだが、これだけはペリカンケースとともに一眼レフも持っていくことにした(かなり嵩張るのだが)。
 カヤッキングが34日と短い為、食料もかなり節約。夕食に米を2合炊き、一合半をレトルトカレーで食べ、朝食は残りの飯をお茶漬けで食べる。昼食は行動食(ビスケット+魚肉ソウセージ+チョコレート)か、上陸できればラーメンとする。イワタニのガスコンロと一緒にシアトルスポーツのソフトクーラーにまとめた。
 水は2Lペットボトル2個、パドリング中の飲料はコーラ、酒は350mlビール×6を持ち運んだ。ハードリカーを忘れた事をかなり悔やむ…。単独だと周りの美味そうな食べ物を気にしなくていいので質素な食事で十分だ。
 以下、今回の装備(出発時)の一覧。

◎キャンプ用具・日用品

テント:アライテント :エアライズⅡ
スリーピングバック :mont-bell スーパーストレッチダウンハガー♯1
シュラフカバー :mont-bellブリーズドライテックU.L.スリーピングバッグカバー
マット :mont-bell U.L.コンフォートシステムパッド180 
ガスコンロ :Iwatani  CB‐JRB‐2
コッヘル :スノーピーク SCS-010F
洗面具 :歯ブラシ・歯磨き粉
コンタクトレンズ+眼鏡
防水バック① :Seattle sports:エクスプローラードライバッグMD(20L)×2
防水バック② :Sea to summit Dry sack 35L
防水バック③ :feather craft おまけについてくる奴×2
ヘッドランプ :Black Diamond Storm
予備電池 :単四×3 単三×3
充電機 :コンパクトデジカメ用・一眼デジカメ用・携帯電話用
筆記用具および銀行通帳などの貴重品
週刊誌 :読んだら焚きつけ
本 :集英社「空白の五マイル」角幡唯介著
タオル :手ぬぐい一枚・タオル一枚
コンパクトデジカメ :OLYMPUS Tough 810
デジタル一眼レフ:Nikon D-60 DIGITAL
防水ケース:PELICAN:1400
ファーストエイドキッド
バックパック(カヤック収納用)
メッシュバック(キャンプ用具収納用)
携帯電話

◎パドリングウェア

キャップ :
サングラス :無名
アンダーシャツ :Patagonia キャプリーン2×2
中間着 : NORTHFACE ウィンドガード
ジャケット :Patagonia Men's Torrent shell Pullover
ボトム :高階救命器具 レイブンパンツ
足回り :NRS フェルトシューズ
ショーツ :Patagonia M's Wavefarer Board Shorts - 21
タイツ :フェニックス 
PFD :コーカタット Ronin pro

◎陸着

セーター :Patagonia M's Merino Cardigan
フリース :Patagonia R2 Jacket
ソックス :ウール製×2
パンツ :ジーンズ

◎パドリング用具

カヤック :Feather craft K1expedition
パドル :Werner Paddle kamano 230cm
予備パドル :Feather craft コーモラント 215cm
デッキバック :Nanok メッシュデッキバック L
チャートケース :seattle sports Utility Chart Case L
海図 :W1108 安芸灘及広島湾 
ビルジーポンプ :Scotty:ベクソンポンプ
修理道具 :Boeshield T9、Aquaseal、Cotol-240、予備船体布各種、ダクトテープ
 
 こうやって書きだすとけっこうな量だが、実際は20L防水バック2つ、35L防水バック1つ、ソフトクーラー、ペリカンケースの5個にまとまり、小物はデッキのメッシュバックに収まった。パッキングは非常に楽。そのため、起床してから朝食を食べ、エントリーまでの時間は一時間あればよかった。

◆詳細

1115

 14日の夜8時の東京駅八重洲口発の夜行バスに乗り、一路広島駅へ。東京から広島まで9300円で行くことができた。新幹線で行くことを考えればかなり安いし、睡眠時間と移動時間を同じにできるのでかなり嬉しい。夜行バスで寝るのは得意な方だが、今回は何故か寝付けず、それほど睡眠時間を得られなかった。
 15日朝730分頃、JR広島駅到着。通常ならここからまっすぐカヤックを送った宅急便事務所に向かう所なのだが、その前に寄っておきたいところがあった。
 広島といえば、そう。原爆ドーム。
 実は広島市内は駅を通過するだけでこれまで観光も何もしたことがない土地だった。有名な原爆ドーム、そして広島平和記念資料館に立ち寄ってみたいというのが今回出発を広島にした理由の一つでもある。
 小学校1年生の時、学校の映画祭で見た「はだしのゲン」があまりにも怖くて途中で退席してしまった。その後図書館にあった唯一のマンガが「はだしのゲン」で、それをよく借りては読んでいた。広島といえば今は牡蠣とお好み焼きと奥田民生もしくはPerfume…というのが僕の中の定義だがそれとは別に、はだしのゲンの世界が僕の中にはある。
 世界で初めて原爆が落とされた街。今年の311日に起きた東北沖地震による福島第一原発事故によって原子力の利用について再び問いただす時期に来た今、ここを訪れることは責務だと思った。事実、ニュースに出る原子力発電に関しては難しい言葉が頻繁に出てきて一般人にはわかりづらい事柄が多いが、この資料館では原子爆弾についての説明が詳細に説明してあってわかりやすい。そして、原子力が未だに人の手に余る技術だということがわかる。午前中いっぱいこの資料館を観覧し終えると広島駅に戻りコインロッカーの荷物をとりだして電車に乗り込んだ。
 徳山行の電車に乗ると、30分ほどで大野浦駅に到着した。駅の裏側に国道があり、すぐ宅急便事務所は見つかった。事務所留めにしておいたカヤックを受け取り、カートを付けて転がし今度は隣のセブンイレブンで買い出し。ここから出艇できる海は微妙に遠く、地図を見る限り隣駅の前空の方が海までの距離が近く思えた。それで再び大野浦から電車に乗り前空に向かった。前空にはカヤックショップもあるので出艇くらいどこからでもできるだろうと考えていた。
 前空駅に着くとあることに気付いた。ガスカートリッジを買うのを忘れたのだ。駅周辺を探索するが商店らしきものが全くない!あってもガスはないというのだ。家庭用ガスコンロを使っているというのにそれすら手に入らないとは、買い忘れた自分を呪った。
 さらに海に近いから大丈夫と思っていたのだが、どこもかしこも護岸され、うまい具合の浜がない。唯一あったのがカキ養殖の貝殻を捨てる場所で、そこには浜があるもののボートショップの私有地で使えそうもなかった。カヤックショップは何処から舟を出しているのだ??悩んでいるとボートショップに人がいたのでダメもとで交渉してみることにした。最初は「お金取るよ」という話だったが、あれこれと事情を話すと僕が県外の人間だということがわかり、「だったらいいよ!」と、あっさり許可が下りた。感謝を述べカヤックを組み立てていると、そこのお兄さんがやって来て色々と話しながら組み立てていった。なんでも県内の人だと情報が一気に回り、ジェットスキーをやる人や釣り人などが勝手に使用し、大変な眼に合うというのだ。沖縄から来たというと逆に目を輝かせて色々な海の話を聞いていった。基本的に海の人だから海が好きだし、カヤックにも興味があるようだ。
「来年も来るようなら仲間と一緒に来なよ!」
 いや~、そんなこと言うと本当に訳のわからん連中が来ますよと苦笑いし、午後330分、遅い出発をすることになった。
 この日は正面に見える厳島の東側にある浜まで行きたかった。
 鏡のように凪いだ海にカヤックを滑らせる。久しぶりに組み立てたものだからセンターフレームが微妙にずれておりバランスが悪い。明日の朝にまた分解して組み直さないといけないなとぶつぶつ言いながら海峡横断をして厳島に取りついた。横断途中から風が強くなっていた。風裏で無風だったが、実はけっこう風が吹いていたようだ。厳島神社の大鳥居の前に来た頃にはザブザブといい波が立っていた。
 世界文化遺産、厳島神社。超有名な広島の観光スポットだが海から来る人はほとんどいない。こんなけったいな舟で鳥居をくぐったらさぞかし観光客の注目を浴びるだろう…とほくそ笑んでいたのだが、実際に行ってみるとチラホラ僕を見る人はいても大騒ぎすることはなかった。大勢の高校修学旅行生が記念写真を撮っており、上陸して参拝して行こうと思っていたが風が強く日も暮れ、潮もだいぶ引き始めていたので先を急ぐことにした。
 本土と厳島を繋ぐフェリー乗り場の桟橋下を通り抜けて島の北側に抜けると、いたって普通の瀬戸内海の風景が広がった。岬を越えると突然現れる漁船。ノリ養殖いかだ。ワンドの奥にたたずむ漁村。なるほどなるほど…と、頷きながら漕ぎ進む。
 北西の風が思ったよりきつく、島の北先端を越えるまでは向かい風で難儀したが、そこを越えると追い風になり追い波に乗りながら先を急いだ。島の北東部、鷹ノ巣浦はミサゴの営巣地で有名らしく、実際多くのミサゴが確認できたがそれ以上にトビも多かった。そのあたりを漕いでいると、浜が全て牡蠣ガラでできている浜があった。日が暮れ始めていたもののもう少し先に進みたかったが、今回はここでビバークすることにした。
 崩壊したコンクリートの柱が見え、どうやら車でここまで来て貝殻を廃棄する場所のようだ。浜には鹿の親子がこちらを凝視しており近寄るとぴょんぴょんと跳ねながら山を登り、再びこちらを見つめていた。牡蠣ガラをバリバリと踏みながらテントを張るいい場所を探したが、あっという間に暗くなり始めたので上陸した目の前にテントを張ることにした。正面の海にはカキ養殖の筏がたくさん並び、船が通るとその曳き波で筏がガタガタと鳴った。その材料なのか浜にはたくさんの孟宗竹が打ちあがっていて、それらを焚きつけにしてたくさんある流木で焚火をした。
 海を見て左手には広島市内の明かりが灯り、正面には無人島、右手には早くも星が瞬きだした。ガスがないので焚火で米を炊き、レトルトのカレーは焚火の下に埋めて温めた。
 一人なのでこれといって話し相手もおらず、しばらくは週刊誌を眺めていたが記事があまりにもくだらないので早々にテントに入って本でも読みたかった。しかし久しぶりの瀬戸内海の浜、そして月が昇ってくると焚火のはぜる音も混じり、何とも心地よい雰囲気になってきた。しばらくビールを飲みつつ、「ウィスキー忘れたのは痛かったな…」とガスの存在も忘れて愚痴り、もそもそと夜更けにテントに潜りこんだ。
 

11月16日

 前日、バスであまり寝むれなかったこともあって睡眠は深かったがエアマットが内部で破裂したらしく、一部だけボコッと膨らんでしまいそれが邪魔で寝づらくてたまらなかった。熾き火を起こしてお湯を沸かし、コーヒーを入れてお茶漬けを食べた。コーヒーが激マズ。安物のインスタントコーヒーは缶コーヒー以下である。
 830分、鷹ノ巣浦を出発。もう少し厳島を漕いで予定していたキャンプ地を見ようと思ったが、正面に見える島に魅せられて一気に海峡横断に入る。大奈佐美島に渡り、そこからさらに奈佐美瀬戸を越えて江田島に渡ろうと試みた。ところがここが異常に軍艦が多い!右から左から、タイミングが悪かったのか大小様々な軍艦が通過してそれを待つのにえらい時間をくった。さすが呉の近くである。軍艦同士が重なり合う瞬間、挨拶なのか歓喜の声が響き渡り、なんともにぎやかなものだ。横から見ると装備満載に見える船だが、正面からだと異常に細身なのが他の船と違う軍艦ならではの特徴だと思った。
 江田島、豪頭鼻にとりつくと、そこから島沿いに南下する。すぐに海水浴場が見えて「江田島カヌークラブ」と書かれた艇庫が見えた。海水浴場のようで上陸して水を補給する。
 さらに南下した是長の漁港に上陸し、JAの売店でガスカートリッジと魚を焼く網(100円)を購入した。また、朝飲んだコーヒーがあまりにも不味かったので缶コーヒーを飲んで一息ついた。これで不安要素はほぼなくなった。天気は快晴、風はほぼ無風。秋晴れの穏やかな海に気分は上々だ。このあたりの広島湾は湾奥なので比較的水は濁っているものだと思っていたのだが、そんなことは全くなく、浅場には藻が茂り、砂地は海底が見えるほど。ぼやっとした濁りは汚れではなく栄養素の濃いプランクトンスープの色だ。キラキラとジャコがカヤックの下を通過する。好い海を漕ぐのも、また気分を高揚させた。
 南下を進めて赤曲鼻まで来ると、今度は隣の大黒神島に横断した。赤曲鼻の先からは造船所なのか、真っ二つになったタンカーや巨大な建物が後ろに見えた。ところどころ等間隔で発泡スチロールのブイが浮いており、それを漁師が手繰り寄せてはタコつぼを回収していた。潮が良かったのかかなりのスピードで漕ぐことができ、後ろからやってきた漁師には「速いもんだな~」と感心された。
 大黒神島はその名前からもわかる通り、小さい割にはかなり山が深い。見ていて気持ちの良い島だ。ただ、とりついて南下をすると、反対側は削岩されており、ちょっとガッカリする。気持ちの良い浜も多く、プライベートに来てここでキャンプをしてもいいなと思っていただけにチト残念だ。この採掘場を見てから沖に見える長島に標準を合わせて漕ぎ始めた。
 長島の北には小さな島があり、その島に向かって小さな防波堤があって、その脇の浜に上陸して昼休憩とした。ちょうど12時過ぎくらいか。
 距離的にはそれほど漕いでいないのだが、体が疲れていた。ソウボウ筋と広背筋が妙に凝っている。これしきのパドリングで疲れるのは意外だったので思っているよりも力が入っているのかもしれない。その割には距離が稼げていないのはやはり潮が上げであるのが影響あるのだろうか?とりあえず買ったガスでラーメンを作り食べる。
 30分ほどで出発する。ここ長島から南西へ約7kmの保高島を目指す。本線航路もあり、かなり緊張を強いられる海峡横断だと思っていたのだが、船の数はそれほどなくベタ凪ぎというのが拍子抜けだ。ほぼ一時間で保高島に到着、良い浜があったので上陸して写真を撮ったりした。砂浜から森にかける間の崖にはツワブキが繁茂し黄色い花を満開にしていた。今時期の瀬戸内の無人の浜は皆このような風景があり、瀬戸内横断隊でこの時期にしか来ない僕には馴染み深い光景だ。
 保高島からは手島、端島の西の端っこを通過して、さらにその南にある鞍掛島を目指した。ここまで来ると体のだるさは相当なもので、10分漕いでは首を回し、漕ぐのを休んでいた。こんなにカヤックって大変だったっけ?と、自問自答しながら進むことに。
 1535分、鞍掛島北の浜に上陸。ここでビバークしても良かったが、明日のことを考えるともう少し南下しておきたいところだった。そもそも本来の予定では保高島から柱島に渡り、そこから島伝いに南下して情島と周防大島瀬戸ヶ鼻の間を通り大島の南海岸を西に進む予定だった。何故なら、瀬戸内横断隊にとって、しまなみ海道以上に、この松山と周防大島との間を通過することが最大の難関であると思っていた僕は、ここを一人で攻略してみたかったのだ。だが今回のペース、体の調子、最終日近くの悪天予報を考えるとそこを通るのは難しく思えた。その最終判断をするにしてもできるだけこの日は周防大島に近づいておきたかったのだ。
 浮島まで行けば日が暮れ、人が多くなりキャンプできる無人浜があるかどうかわからないので頭島でこの日はキャンプとなった。今回はこれまで3回の反省を踏まえてしっかり海図を用意してきたのだが、海図は逆に陸の情報が少なく小さな漁村などは表示されない。そのため、予定していた場所は案の定漁村近くの浜だった。北向きなのが不安だったが、北の浜にテントを張った。16時と日が暮れるほどではなかったので磯を歩いて酒の肴を拝借した。何故瀬戸内の浜にはいい具合に笊が打ちあがっているのだろうか?この日はバケツもあって重宝した。ドンブリ一杯ぶんのカメノテとジンガサを採って茹でて食べた。コツを覚えるとクマが蟻を食べるように次から次へと口の中にカメノテを入れてくちゃくちゃと噛む。エビとも蟹ともシャコとも言えない独特の旨みが口の中に広がりやめられない。
 もちろんこの日も焚火を起こして暖をとった。ここはなかなか良型の流木が多く、キャンプ地も平らで良好だったので長いこと焚火を楽しんだ。思わず一日2本と決めていたビールを3本飲んでしまった…。そう、またウィスキーを買うのを忘れてしまったのだ。

11月17日

 カヤッキング3日目。当初考えていた周防大島南岸を行くのは日程的に難しいと判断して妥協案だが周防大島北岸を通り大畠瀬戸を越えることにした。
 6時に起きて必要なかったが熾きが残っていたので焚火を起こして朝食を食べた。空を見上げるとうろこ雲が広がり、トビが低く飛んでいた。何だか厭な感じだ。
 7時半に出発。南下して浮島に寄らず、そのまま南西に漕ぎだして周防大島大崎鼻を目指した。
 約一時間漕いで大崎鼻にとり付いた。昨日までとは打って変わって北風がかなり吹きこむようになっており、内海特有のチャプチャプとした風波がたっていた。岬の先端などは海底の地形の関係でそれが顕著に現れた。大崎鼻から西には久賀港があるのだが、その沖は水深10mもない浅瀬が広がっており、海図で見る限りかなりの好漁場らしい。確かにあちらこちらで鳥山が立ち、その根の周りを漁船が何艘もグルグルと回り曳き縄を曳いていた。隣にやってきた漁師がちょうど魚をはずすところで、良い型のツバス(関東で言うワラサ)を釣っていた。瀬戸内海でも曳き縄漁があるのかと驚いたが、波がダプダプでなるべくインコースを漕ぎたいこちらの都合とは関係なく、漁船は鳥山に向かって一直線に向かってくる。
「鳥山、こっち来るな~っ!!」
 そう願いつつ、一気に久賀港沖を通過した。なにしろ狭い海域にたくさんの漁船がけっこう良いスピードで走り、後ろに長い仕掛けを流しているものだから、ルート取りにはほとほと苦労させられた。単独でよかったと思う…。
 地図には載っていないのだが長浦の沖に小さな島があり、そこの浜に上陸して一息つく。あまりにもタプタプの波で腰回りと膝が何故か疲れている。
 しかしこの島に上陸すると、南に大畠瀬戸にかかる橋が見えてきた。北からの風がそこめがけて吹き込んでいる。追い風なのは嬉しいのだが、実はこの日の満潮が14時近くであり、みごとに潮は上げていた。つまり、逆潮なのである。昨年2010年にも大畠瀬戸を越えた経験があるのでそれほど心配はしていなかったが、一番潮が流れる時間帯に通過せざるを得ない今回はどうなるのか、気がかりではあった。
 風に乗って南下するが、岬の先端などは複雑な潮の流れでカヤックの進路が不規則に曲がり、盛り上がった海面に少々焦った。なんとかパワーで乗り切り、エディまで漕ぎ抜ければどうにかなる。さすが瀬戸内海有数の瀬戸である。
 1010分、大畠瀬戸のすぐそばまできて小さな浜に上陸。コンクリートで護岸された小道を歩いて偵察に行くことにした。大畠瀬戸の橋の下はものすごい勢いで潮が流れており、もはや川である。ただ、海峡すべて流れがある訳ではなく、周防大島寄りよりも本州よりに流れがある。そして岸側はかなり緩やか、もしくは反流が確認できる。漕ぎ抜けられそうなルートを頭に入れておき、シミュレーションしながら考える。どうも橋を越えてからの方が大変そうだがそこは気合と根性でカバーするしかない。潮待ちも考えたが、そこまでする必要は感じられなかった。ニュージーランドのフレンチ・パスを思い出した。
 1040分、大畠瀬戸に突入。橋下までは反流に乗って思いのほかスムーズに進めたが、そこから先は流れの緩いところを狙いながらガムシャラに漕いだ。西表島の川も逆潮にあうとえらい目にあうが、増水時の川に比べたらこんなもの~と、10分間ほどひたすら漕ぎまくってなんとか大畠瀬戸を通過した。ヤレヤレだ。
 その後は島沿いに風に押されながら南下をして大島商船高専のある小松港に寄り、そこの川をさかのぼってコンクリートの護岸から出ている階段にカヤックを係留して陸に上がった。スーパーらしき看板が見えたのでそこまで買い出しに行く。レイブンパンツは傍目には普通のズボンにも見えるのでコテコテのパドリングウェアーで買い物に行くよりは恥ずかしくなくて良い。ウィスキーが目的だったが後一泊しかしないし、重いものを持ち歩きたくないので飲みきれる日本酒にすることにした。また、僕は地方に旅行に行くと現地のスーパーの鮮魚コーナーを見るという趣味があるのだが、そこで魚を見ていたら無性に魚が食べたくなってしまった。
 で、なんと、まさかの、スーパーで太刀魚を買ってしまった…!今夜は焚火でホイル焼きだな、ぐほほ、日本酒でグビリだな、がははと、横断隊の無補給という理念と魚獲り愛好家という立場も忘れ、思考回路がおっさんになっていることも忘れて昼飯とビールまで買ってホクホクとカヤックまで戻った。
 風裏のポカポカとした階段で飯を食べ、大人のガソリンを注入して1220分出発となった。
 周防大島北岸を漕いでいる時とは打って変わって大畠瀬戸を越えると波は恐ろしく穏やかだった。風だけが後ろから吹き込み、順調にカヤックは進んでいく。日見崎まで順風満帆で漕いで行き、そこから対岸の黒崎、横添鼻辺りを目指して海峡横断に入った。さすがにこのあたりまで来ると風の影響か波浪が強くなってきた。航路なので緊張もしたが僕が漕いでいる時はそれほど船は見えておらず、航路標識を越えてだいぶたった頃、後ろを大型船が続けざまに通過して行った。
 対岸の上関、黒崎鼻にとり付いた。このあたりから馴染み深い風景になる。海岸には多くの釣り人が平日だというのに竿を振っていた。このあたりで最近魚が釣れているのだろう。事実、カヤックを漕いでいると時たまナブラを見かけることが多かった。
 ちょうど黒崎鼻を越えたあたりだろうか、削れたように切り立つ崖に見惚れながらカヤックを進めていると、後ろから獣の吐息のような音が聞こえた。とっさに後ろに振り替えると、「ブホッ!」という音と共につるりとした白いものが見えた。
「スナメリだ…!!」
 しばらく観察していると、二匹のスナメリが交互に現れては呼吸しているのだが、それとは別にバシャバシャと何かが跳ねまわっている。ハマチだ。黄色い尾のハマチがスナメリにも弄ばれながらもんどりうっている。ニュージーランドでシーライオンがタコを空中にピザのように放り投げながら捕食していたのを見たが、スナメリも同じように一気に食べずに弄んで弱ってから食べるのだろうか?写真を撮ろうと遠慮せずに近寄ると、さすがに姿を消してしまった。偏光グラスでははっきりと彼らの白い体が水面下に見えたのだが、写真には収められなかった。残念至極…。
 横断隊でも何回か目撃されているが、ここまでしっかり観察できたのはソロだからだろう。船団を組んで漕いでいるよりはソロの方が動物とのコンタクトは容易だと思う。それは単純に目立たない、威圧的でないということだろう。だから皆さん、海洋生物との交流を目的で漕ぐならソロを僕はお勧めします。
 いよいよ上関瀬戸が近づいてきた。できればこの瀬戸を横断して長島に渡り、祝島に渡らないまでも、田ノ浦には寄りたい気持ちがあった。だが、着実に風は強くなっており、明日の天候が崩れるのはわかりきっていた。祝島か四代まで行ってフェリーで柳井まで行くという手もあったが、逆にその先の佐合島、馬島を通過して周防灘に行くというのも魅力的だった。今回は後者を選び、上関瀬戸を越えることにした。
 横断隊中でも航行船舶が多くて難儀する海峡越えだが、今回もかなり船が出入りしていた。海峡横断してから長島沿いに行こうと考えていたが、潮が下げになっていた為にスルリと橋の下をくぐり、向こう側に抜けてしまった。いつ船舶が来るかわからないので緊張しながら、そして意外にも潮が速い瀬戸を横断して長島に取り付き、西に漕ぎだした。
 先ほどまで風裏だったので忘れていたが、瀬戸を越えると一気に北東風が襲ってきてコンクリートの護岸された海岸に当たった反射波で再びロデオのようなカヤッキングを強いられる。今回のツーリングでここが大畠瀬戸よりも緊張した場面だった。風は地形の関係上北寄りだが、午前中に比べ東寄りになった気がした。風が回りつつある。低気圧が近づいているのがわかる。
 マダイの養殖筏と思われるものがある島陰で一休みし、再び漕ぎ出して長島最北端、小山ノ鼻を目指す。風が強く、空は曇りがかり、気温が一気に下がり始めていた。せめて寝る場所くらいは風裏の穏やかな場所を選びたい。小山ノ鼻近くにはゴミだらけではあるが浜がありビバークは可能だったが風がモロにぶち当たりすぎて快適さは全くない。最悪、ここにキャンプすることを決め、目の前にある佐合島に渡った。予定ではこの島かその先にある馬島のキャンプ場を考えていたのだが、個人的にキャンプ場はあまり利用したくない。これは僕のプライベートカヤッキングに共通することである。バックカントリーキャンプが好きなのです。
 佐合島は直感的によいキャンプサイトがある気がしていた。南海岸は浜があるものの小さすぎた。風を避けて筏瀬をよそに西に回っていくと、予想的中、みごとな風裏のベタ凪ぎが広がった。思わず顔がにやける。
 いい浜があったので上陸するが、海図を見るとまだ先にもう少しよさそうな浜がありそうな気がした。岬を越えてそちらのワンドに行ってみると漁船が一艘停泊していたものの、ベタ凪ぎの海面下にガラモ場が広がり、穏やかな波が打ち寄せる絶好のビーチが広がった。時刻は1550分。今日はここでキャンプと決め込んだ。
 はっきりいってここはベストオブ瀬戸内ビーチといっても良いくらい、個人的に素晴らしい浜だった。わずかだが沢も流れ、流木たくさん、目の前の海は豊かそうで透明度も良い。両側には磯があり、釣りにも磯遊びにも良さそうだ。次回横断隊に参加する際は行きか帰りか、ここに寄って遊んで行こうと企んだ(メンバー募集!)。
 正面には牛島があり、その先に祝島が見えた。デカイ、お椀のような島。確かに他の島々とは違うオーラが出ている特別な島に思える。今回は偵察だから、ちょっと他の場所を漕がせてもらうことにしよう。
 昨日と同じく磯に行って今夜の肴を拝借する。白石島の原田さんに教わった(盗んだ)島流の磯物の採り方で「これでもか」的に今夜の肴は豪勢になった。前日の頭島と比べ小型の物が多い気がする。この周辺の住民に磯物を採る習慣があるのかもしれないが磯の基質が頭島は花崗岩か堆積岩だがこのあたりはつるつるの火山岩なのも影響あるのかもしれない。島めぐりをするとそういう、地質学的な事も興味がわいてくるから面白い。
 焚火を起こしてお湯を沸かし、カメノテを茹で、カサガイは殻から剥がして炊き込みご飯にすることにした。アルミホイルに太刀魚を入れ醤油と日本酒をほんの少しかけて包み込み、焚火の下に埋めて蒸し焼きにする。
 食料補給と共に酒類補給もしたのでこの夜は一人でおおいに飲んだ。人がいないと酒を飲まない人と違い、酒自体が好きな僕は一人でも飲む。これを書いている今現在も飲みながら書いている。そして独り言をたまにつぶやきながら焚火と友達になるのだ。不気味な男だ。そんな奴とは野外で会いたくない……。
 宴もたけなわではあったが、10時頃いよいよ雨がぱらついてきた。テントのペグをしっかり張り直すと太めの薪を重ねて二つ焚火にくべてテントに潜りこんだ。ちょうど持ってきた「空白の五マイル」を読み終えることができた。
 

11月18日

 夜中に降り始めた雨は明け方まで続き、朝起きる頃には小降り程度になってくれた。テントから出ると焚火の日は完全に消えてしまっていたので無理に起こすのはやめた。お湯を沸かし、ご飯を食べながらテント内の物を防水袋に詰め込み、最後にテントを畳んでカヤックに詰め込んでいった。
 745分出発。空は鉛色になり、パラパラと雨が海に落ちている。風裏なのか凪いでいるのが救いだ。
 その鏡のような湾内に漕ぎだすと、真下のガラモが良く見えた。カメラを突っ込んで写真を無意味に撮ってしまう。瀬戸内といってもこのあたりは千葉の内房、神奈川の三浦半島ほどの透明度はある。光が足りないのが残念だ。
 湾から出て岬を越えると、そこから先はみごとなロックガーデンが広がっていた。思わずフラフラと漕ぎ寄ってしまう。迷路のように入り組んだ水路を漕ぎながら、時たま現れる水族館のような眼下の景色に見入る。スズメダイ、クサフグ、ボラ、カゴカキダイ、メバル、トウゴロイワシなどが見え、大きなクロダイも水面の上から見えるのだ。潜りたいという衝動にかられながらも、上からでもこれだけ楽しめる魚影の濃さと透明度の良さに驚いた。佐合島、いいな。
 佐合島を過ぎて馬島に渡る。遠く本土の山々が見える。低く垂れこめた雲が幽玄な景色を作っていて、それはまるでカナダやアラスカの海を思わせた。
「まぁ、確かにここはジャパニーズ・インサイド・パッセージって言ってもおかしくないしなぁ」
 よく晴れた景色の中漕ぐのも良いが、このような天気は悪くとも凪いでいる海を漕ぐのは嫌いではない。顔に当たる冷たい風がなおさらアラスカを漕いだ時を思い出させた。
 馬島を越え、山口県田布施町の梶取岬を目指す。それまでの自然そのままの海岸ではなく、山肌を削られ埋め立てられ、護岸されてテトラポットを放り込まれた海岸線になり、道路がすぐそばを走る典型的日本沿岸の景色になったが、周りの景色を見ることでそこが護岸される前はどのような海岸線だったか想像することができる。遠浅の海が沖まであり、ところどころブーマーが立つ。ロックガーデンが時々現れるのはなかなか良い磯があったに違いない。それはそれで悔やまれるが、現在も好漁場らしくたくさんの漁船が行き来していて、時々スズキが跳ね、ハマチのナブラが起きていた。
 湿った空気を運んでくるのは南東に変わった風だ。奇しくもいい感じで追い風になっており、4日目にしてパドリングに慣れた身にはグイグイとカヤックを進ませることができる。9時には室積港まで来ており、鼓ヶ浦までの横断スタート地点まで漕ぎ上がっていた。
 ここから海峡横断するもわずか30分で到着。それまでにはなかったうねりを感じるようになってきた。同じ内海ではあるが、このあたりまで来ると豊後水道からの影響もあるのかもしれない。
 突然海岸にフックのように突き出た岬、杵崎を回り込む。ここはそれまでの岩礁とは打って変わって牙のように突き出た岩が海面から突き出て、黒い荒々しい火山性の岩質だった。まるで瀬戸内を漕いでいるとは思えない。どちらかというと日本海を連想させる荒々しさだ。
 岬を回り込み風裏に入るとなおさら日本海の海を思う。瀬戸内海といえども、その様相は地方によってかなり異なる。これは面白い海だなぁと今更ながら感心する。その証拠に岩の割れ目が深く入り込んでいるところがあり、そこに入り込んでいくと、はるか奥の方から反対側に抜けていることを物語る波の音が聞こえた。僕は閉所恐怖症であるくせに、こういう洞窟などが大好きなので見つけると長距離漕ぐ事も忘れて中に入ってしまうのだ。フジツボだらけでファルトにはチト危ないにもかかわらず…。
 しばらく遊ぶと先を急ぐことにした。
 そこから小さな岬を回り込むと細長い桟橋が見えた。よくある海釣りセンターだと思ったら、あとで調べるとフィッシングセンター光だった。その先端から一気に正面に見える武田製薬の工業地帯に向かって漕ぎ出した。最初は杵崎に守られて無風だったのだが、漕ぎ進むにつれて風が後ろを押す様になってきた。それは良いのだが、工業地帯にとりつく様になると反射波で非常に漕ぎづらい海になり、ある程度距離を置いて行くことにする。また、同じようなコンクリートの護岸が続くので、これといって面白味もない。対岸に見える大水無瀬島の荒々しい島の様相と、隣にある埋め立て地とのギャップがすごい。思わず島の方に行きたい気持ちになったがそれどころではない。何とか最短距離で進みたいと思った。
 護岸には一隻の貨物船が停泊しており、何か貨物を荷下ろししていた。こういう大型船が出発するとなると厄介なので近くを漕ぎたくなかったが、アンカーが打たれて作業もしているので逆に近寄って作業の様子を眺めながら前進した。
 武田製薬を越えると島田川の河口がある。このぐらいの大きさの河川だと、海図に描かれている以上に河口は小さいので(砂で埋まって)、わかりにくいと思っていたが本当にいつの間にか川は越えていた。そして正面にゴール地である光の虹が浜海水浴場と思われる砂浜が見えてきた。河口特有の遠浅の浜があり、かなり沖からいい波が立つ。斜め後ろからその波に乗り、サーフィンしながら一気に浜を目指す。カヤックを漕いでいるにも関わらず、後ろからの風を感じていた。これは思った以上に風が強くなっている。チンたらやっていたら危ないので急いでいた。
 1055分、ついに浜に上陸した。
 波が思いのほかあり、浜もかなり急こう配のあるものだった。波待ちをして波がない時に一気に上陸したが、まさか瀬戸内海でこんな波を意識するエキジットをするとは思いもしなかった。祝島を越えると確かに瀬戸内海といえどもかなり海が違ってくる。面白い経験をした。
 浜に上陸すると、潮上帯までカヤックを引っ張り上げ、浜を探索した。雨がかなりひどく降っており、カヤックをばらす為の東屋がほしかったのだが、上陸した地点には見当たらなかった。あとは公衆トイレの中なども良く使うのだが、ここのトイレはかなり人が来るようで休憩所のようなものもなかった。
「屋根がない~」
 井上陽水の「傘がない」をもじりながら歌い、辺りを歩き回ると目の前が駅であることがわかったのは嬉しかった。ついでに宅急便事務所まで行って距離を把握すると、カヤックに戻って気合を入れ、雨の中、砂まみれになりつつ、カヤックを解体することになった。
 13時、解体が終わり、濡れ鼠の状態で宅急便事務所に向かい西表島にカヤックを送った。東京から送るのとさして変わらない値段なのが納得いかないがしょうがない。風呂に入りたかったが日帰り入浴できそうなホテル、民宿はなく、駅前のコンビニでビールと昼飯を買い、1340分の広島行きの電車に乗り込んだ。
 電車に乗りこむとビールを飲み、それまで漕いで来たルートを振り返るように電車は進んでいった。大畠瀬戸はものすごい時化で、こんなときに来ていたら通過はできなかったなと安堵し、大島を越えるとベタ凪ぎであの苦労はなんだったのだろうかと思い、そして何よりも34日がかりでカヤックにて漕いだ行程を、電車は2時間ほどで僕を広島駅に連れて行ってしまった。
 電車に乗ると2時間の旅程も、カヤックだと3日間、文章に起こすと16400字になる訳です。
 いや、ホント、カヤックって面白いですね(笑)

総括

 広島駅に着くと荷物をロッカーにぶち込み、着替えだけ持って銭湯に行った。観光案内所のお姉さんに教えてもらった「This is a SENTOU」という感じの銭湯に行き、地元の銭湯愛好家と一緒に湯船につかった。温まってさっぱりし、やっとレイブンパンツを脱いで普通の格好に着替えた。都会人よろしく傘まで買ってしまった。
 駅前の微妙なラーメン屋で夕食とし、古本屋で本を物色して来た時と同じく夜行バスで東京に帰った。
 今回はこれといって誰のコネもツテもなく、自分が好きなように公共の交通機関、施設だけを使って行った。11月の半ばに白石島の原田さんが来た際に「みんな協力したいんだよ」と言ってくれたが、最近瀬戸内横断隊に参加する際の僕は、何かと人任せな部分が多いな~という事を思っており、自分の中で今回の遠征は行いたいなと思っていた。瀬戸内横断隊の発足目的はあるにせよ、やはり人の集まりだから「誰だれとの再会」「年に一度の近況報告の会」という意味合いもなくもない。それはそれでいいのだが、僕は来年3月の横断隊には参加できない。そういうことを考えると少しでも自分の身になることをしておきたかった。そういう意味では今回の遠征は、今後横断隊に参加するうえでの瀬戸内海偵察…という意味において自分の中では納得できるものだと思っている。
 今期の横断隊は3月10日豊島集まり、11日出発と決まった。
 むしろ、今年はそうなるように決まっていたのではないだろうか?内田隊長がそういう時期に行う事を天命に選ばれたのだと思う。このイレギュラーな横断隊の日程はそうとしか思えない。それに参加できない自分の立場は悲しいが、そういう立場なのだからしょうがない。また悶々と経過を聞くことにします……。
 とりあえず今回瀬戸内海を漕いでわかったこと。
「瀬戸内海は横断隊で漕いでいる範囲に限らず素晴らしい、面白い、興味深い!」
 海は広いし大きいが、瀬戸内は狭いし、浅いし、潮早い。そんなイメージも今回のカヤッキングでだいぶ払拭された気がします。自分の固定観念というか、勝手な想像、いわゆる妄想が瀬戸内にあるような気がしました。やはり自分で見てみないとわからない事っていっぱいあるなと思います。それを知るにはカヤックは良い道具だなと今更ながら思います。
 いつもながら無駄に長くて申し訳ない。ただ、それだけ今回のカヤッキングが面白かったという事で身内の方、許してください。
   それではまた、どこかの海で。

2011 12 月 赤塚 義之